からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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誘惑

神をあがめられるように

テーマは 『 神をあがめられるように 』 です

【第1ペテロ4章10-11節】

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。


小さな働きでも神に喜ばれる人と、多くの働きをしても神に捨てられる人がいます。


神様を信じる人は いつもプレーヤーとして神に栄光をささげるように務めないといけないです。


神様から賜物を受けたならば、恵みの良い管理者として賜物を活かして働くことです。

働く目的は、それを通して神があがめられるためです。



賜物を用いて働く時に、私たちに必要な姿勢があります。

その姿勢がないと、神に栄光をささげることは出来ないです。





初めから終わりまで 謙遜に働くこと




働く者にある一番の誘惑は、主の働きをした後に 栄光と称賛を自分のものにすることです。


心が高慢になって、神のしもべである自分の立場を忘れると、神が受け取るべき栄光と称賛を自分のものにします。

この誘惑に倒れる者が多いです。


色々な働きが出来ても、すべては神の恵みと賜物によるもので、自分のものは何もなく、自分が受け取るべき栄光はないと謙遜意識を持たないと、いつ心の高慢に倒れるか分からないです。



誰よりも多く働いたパウロには、この謙遜意識が常にありました。


【第1コリント15章9-10節】

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。





信仰によって働くこと




神様から与えられた使命を果たすために最も必要なものは “信仰” です。


王の王、主の主、人間と人間世界をすべて支配する まことの神を信じる信仰なしには、真実に主に仕えることは不可能です。


信仰があるように見える人の中にも信仰がない人も多いです。


信仰無しで人間的な熱心さや何かの目的で働く人たちもいます。

その人たちの働きは自分のためであって、主のためではないです。



自分の使命を果たすことが 主をあがめることだと信じ、自分は神の国の一人だと思う信仰がないと最後まで忠実に働くことが出来ないです。


信仰がないと神に喜ばれることがないと言われました。






自分を否定して働くこと




神様が与えて下さった権威によって素晴らしい結果を残したとしても、自分を誇らず、自分は無益な者で、すべては主の恵みによる結果である と告白することが重要です。



恵み意識が強い人は、いつも自分を否定して、主の恵みを強調し、すべての栄光を主にささげます。


イエス様は『自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい』と言われました。

その通りにする人たちが神があがめられる働きが出来ます。



神様は私たちが、主の栄光の道具になることを願っておられます。


神の家の働き人として忠実な者に いつでも天からの恵みを与えて下さいます。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2023.5.7
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心の目が見えるように祈る

テーマは 『 心の目が見えるように祈る 』 です

【エペソ1章17-19節】

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。


本文の祈りは、信じる者にとって必要な祈りです。


神を知っていると言いながらも、実際は神に対して無知である人、霊的なものに対しても乏しい人、長く信仰生活をしているのに真理への悟りがあまりない人が多いです。

ですから信仰の進歩も、良い実もないです。


ホセア書にあることばです。



【ホセア書6章3節】

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」


主を知ることを切に追い求めるためには、まず私たちは神を知るための知恵と啓示の御霊を求めないといけないです。

神の知恵と啓示の御霊の助けなしに、神や霊的なことを正しく知ることは難しいです。


神からの知恵によって、心の目がはっきり見えるようになると、愚かな者が知恵ある者になります。




ともしびを持って花婿を出迎える10人の娘のたとえで、5人は賢い娘、5人は愚かな娘でした。

愚かな娘は結局花婿を迎えることが出来ませんでした。


その時に愚かな娘たちに語られた主のことばです。

『だから目を覚ましていなさい。』



知恵がある人は、先を見る目、主の御心、何を準備したら良いかを知って、花婿を迎える備えが出来たので問題ありませんでした。


心の目が見えている状態が、目を覚ましていることです。

心の目が開かれると神から与えられる望みが見えます。



神がキリストにあって 私たちに与えようとする祝福は小さいものではないです。

祝福を知らないと、それを求めることも受けることも出来ないです。



【エペソ1章3節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。


天にあるすべての霊的祝福を知っている人たちは、天にあこがれながら、上にあるものを求めます。



【コロサイ3章1-2節】

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。


このことばのように上にあるものを求める人が、天にある霊的祝福を受けます。


また私たちが辛い時も心の目が開かれた人は、義なる神様を呼び求めます。

主がその祈りに答えて、義なる右の手でささえて下さるからです。



【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


心の目が開かれると、光である主の導きを受けることが出来ます。


心の目が見えないと暗闇の中で迷います。

そして暗闇の中に働く悪の力に支配されます。




悪魔は人々の心の目が見えないように惑わしと偽りの霊で 人々を誘惑し愚かな者にし、いのちから引き離していきます。


目が見えないと簡単に暗闇に迷いこんで、サタンの思い通りになります。


ですから神の光が心に差し込んで、心の目がはっきり見えて光の中を歩めるように、またみことばの光が心の隅々を照らして真理を悟るように祈ることです。



【第1ヨハネ1章5節】

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。


このように心の目が見えるようになると知恵ある者、悟りを得る者、光の中を歩む者になれるので、心の目が見えるように日々祈ることです。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.10.2
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主の恵みを忘れず、主に仕える

テーマは 『 主の恵みを忘れず、主に仕える 』 です

【申命記11章13-17節】

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、

「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。

また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」

気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。


申命記は神の民にもう一度語ることばです。

モーセはカナンの地に入る民のことが心配でした。


若い世代が入りますが、彼らは自分たちの親世代が神に逆らい、約束の地に入れず、荒野で息絶えたことを見ていました。

見たから同じ失敗をしてはいけないですが、人間はそれを忘れて 同じ失敗を繰り返します。


ですからモーセは心配して、また彼らに必要なことばを繰り返して聞かせました。



私たちも聞かないといけないことばです。

なぜなら私たちも過去に受けた主の恵みと助けをすぐに忘れる者だからです。


神様が祝福の地に導いても、そこで神を忘れ、神のことばに逆らって生きるならば、祝福は呪いに変わります。


すべての環境も主の御手にあり、神様は主権者として自由自在にすべてを変えることが出来ます。

祝福の地に入っても、呪われることがあるし、呪いの地に入っても祝福されることがあります。



いつでも人が問題です。


私たちがいつまでも神の祝福を受けるためには、神様のみこころを知り、みこころのままに行うことです。

主のみこころが本文にあります。





主の命令に聞き従うこと




主権者の命令に従う時に祝福があります。

主の命令は苦いものでも、私たちにとっては良い薬と同じです。


私たちは、体に良いものならば どんなに苦い物でも口に入れます。


主の命令は魂によく効く薬です。

魂を癒していく薬です。


主の民は神の口から出ることばによって生きる者ですから、主のことばに従って生きることです。





主を愛すること




主を愛することは自分の優先順位で一番にすることです。


神の被造物や自分が好むことを神より愛し 神よりも上にあるならば、それが偶像です。

聖書では貪欲も偶像崇拝だと言われました。


残念ながらモーセが散々注意したにもかかわらず、イスラエルの民はカナンの地で偶像崇拝をしました。

ですから祝福が呪いに変わりました。





心を尽くし、精神を尽くして主に仕えること




40年間荒野を通りながらも生きたのは誰のおかげだったしょうか?


自分の力だけでは荒野で一日生きることも大変です。


過酷な荒野を昼は雲の柱、夜は火の柱で彼らを守り、毎日天からマナを与え、水と肉を与えながら助けて養った方が主でした。

祝福のカナンの地に入るのも神の助けと守りなしでは無理でした。



ですから受けた恵みを絶対に忘れてはならないです。


そして守って下さった神に熱心に仕えることは当然なことです。

苦しい時だけ頼り、祝福を受けた後に、関わりを絶つことが裏切りであり、恩知らずの悪い者がすることです。


欲と誘惑に目がくらんで、神の存在を忘れるならば、あっという間にその祝福は取り除かれます。





他の神々を信じ拝んではならない




自分たちの主人を捨てて、主人ではない者を主人として信じることは、主人を侮辱することであり 無視する行為です。


神はねたむ神です。

妬みの火が燃えると、どうなるでしょうか?





主が下さった恵みをいつも忘れず感謝する




恵みを忘れる瞬間から心は頑なになります。

恵みを忘れるとこのような態度を見せます。


『いつ恵みを下さいましたか?』と図々しい顔で神に不満を言います。

腹立つことばだと思いませんか?



私たちは主の恵みを忘れず感謝しているでしょうか?

神様はすべての人間に対して同じ扱いはしないです。


主に対する態度が正しい人には時に適った恵みを与えますが、主に対する態度が悪い人には主の怒りが燃えて、すべてが呪いに変わります。


神様の言う通りにして恵みを受けるか、逆らって怒りを受けるかは自分の選択にかかっています。


主のみこころに従う良い選択をする者になりますように。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.8.28
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ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと

テーマは 『 ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと 』 です

今日はソロモンの人生を通して、神様と生き続けることは どういうことであるかを学んでいきましょう。


[ ソロモンのバックグラウンド ]

・ダビデ王の息子であり、イスラエルの王であった

・生まれた人の中で誰よりも知恵があり、箴言など聖書も書いた


【第1列王記4章29-34節】

神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。

それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。

彼は、すべての人、すなわち、エズラフ人エタンや、ヘマンや、カルコルや、マホルの子ダルダよりも知恵があった。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がった。

彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。

彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。

ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。


・初めは父ダビデのように神様のおきてに従って歩み、神様のために神殿も建てた


【第1列王記6章11-14節】

そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。

「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。

わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」

こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。


・ソロモンが神様の目にかなった願い(富よりも何よりも人を治めるための知恵を求めた)をしたので、神様が金銭的に祝福し、かなり裕福であった


どんなに知恵があり、信仰があり、神様からの祝福があり、裕福であり、満ち足りていても、信仰の道を踏み外し、神様から離れてしまうことがあるのです。

このソロモンさえもそうでした。


【第1列王記11章1-10節】

ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。

この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。

彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。

こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。

当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。

彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、

このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。




ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと




① 今何を一番愛しているかを知る


ソロモンは初め主を愛し、主の目にかなった生き方をしていました。

いつも主を礼拝し、主だけが神であることを認めていました。


【第1列王記3章3節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。


しかし、ソロモンは知恵の通りに神様を礼拝し、神様を愛しながら生きていた後に、神様よりもより愛するものに出会ってしまったのです。

それは女性でした。


【第1列王記11章1節】

ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。


女性の誘惑に負け、たくさんの異国の女性との結婚により、偶像崇拝をするようになってしまいました。


ソロモンは神様だけが唯一の神であるということを知りつつ、その知恵を持っていたのにも関わらず、そこから落ちてしまい、神様以外のこの世の神々のためにも祭壇を築いたのです。


知恵を持っていても、その知恵を実行しない者になりました。


それは、自分の心が神様から離れ、たくさんの女性の方に奪われてしまったのです。

女性を神様よりも何よりも愛する者になってしまったのです。



家族、配偶者、子ども、孫、仕事、キャリア、勉強、お金、趣味、ギャンブル、お酒、異性、自分自身への愛など、あなたが一番大切にしているもの、愛しているものは何ですか?


もしそれが神様ではないなら、このソロモンのように初めの愛から離れてしまっているのではないでしょうか。



私たちの心が今それぞれどこに向かっているのかを考え、もしそれが神様以外であるのならば、軌道修正をしないといけません。


そうしないと気づかぬうちに罪を犯し、そこから逃れられなくなり、むしろ好き好んでそれをするようになってしまうのです。






② 誘惑に陥らないように自分の弱さを知り、神様に立ち返る


そもそも神様以外のものや人を愛する前に、私たちは自分たちが何に弱いのか、どういうことに誘惑されやすいのかに気づく必要があります。


ソロモンは元々女性に引っかかってはいけないことを知っていました。

箴言でも何回も女性のことについて、注意しています。


いけないことと知っているのにも関わらず、ソロモンはたくさんの女性を愛し、外国人の女性を愛し、偶像崇拝をするようになったのです。


【箴言5章1-14節】

わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。

これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。

他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。

しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。

その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。

その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。

子どもらよ。今、私に聞け。私の言うことばから離れるな。

あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。

そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。

そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。

そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。

そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。

私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。

私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった」と。


ソロモンにとっての誘惑、弱さは女性でした。


その誘惑に負け、たくさんの女性と関係を持ち、神様の御言葉には耳を傾けずに彼女たちの言葉に耳を傾けるようになり、神様ではないものを拝むようになりました。

あなたは誰の言葉に一番耳を傾けていますか。



私たちは人それぞれ誘惑に陥りやすいもの、弱さは違います。


神様から私たちを遠ざけるもの、心を離そうとするものはすべて誘惑なのです。


私たち自身がそれに気づき、注意して私たちの心が奪われてしまっていないか、気づかぬうちに誘惑に陥っていないかを常に点検する必要があります。






③ 自分の生き方は後世に影響を与える


私たちの人生は私たち自身だけのものではなく、周りの人、特に家族や子どもたちに大きな影響を与えます。


父ダビデがずっと『主のために宮を建てたい』という願いを持ち、思い続け、それに対して神様は父ダビデではなく息子(ソロモン)がそれを建てるという言葉を父ダビデに与えたことをずっとソロモンは知っており、実際に主のために宮を建てました。


【第1列王記8章17-21節】

それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。

ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。

しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』

主は、お告げになった約束を果たされたので、私は父ダビデに代わって立ち、主の約束どおりイスラエルの王座に着いた。そして、イスラエルの神、主の名のために、この宮を建て、

主の契約が納められている箱のために、そこに一つの場所を設けた。その契約は、主が、私たちの先祖をエジプトの地から連れ出されたときに、彼らと結ばれたものである。」


父の生き方を見ていたからこそ、主の言葉に従い、生きていました。

しかし、父ダビデと同じように女性関係で罪を犯しました。


ダビデの場合は罪を犯した後、預言者ナタンを通して自分の罪に気づき、悔い改めました。


一方、ソロモンは多くの妻や、そばめを取り続け、偶像崇拝もし始めましたが、すぐに悔い改めず、神様に立ち返らなかったのです。



ソロモンは父ダビデの信仰によって守られましたが、逆にソロモンの罪によって、ソロモンの子どもには 王国が引き裂かれ、分断し、繁栄がないという滅びの宣告がありました。


【第1列王記11章11-13節】

それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。

しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。

ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」


【第1列王記15章1-5節】

ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、

エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。

彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。

それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。


ダビデの信仰は息子ソロモンを滅びから守り、ソロモンの信仰は息子レハブアムを滅びに導きました。


私たちの信仰の歩み、人生は、私たち自身だけではなく、私たちの周りの人、家族、特に子どもたちや孫たちにも大きな影響を及ぼします。



誘惑にあった時は自分のことだけではなく、周りの人のことも考えてください。



小さな誘惑に負け、罪を犯していくことがどのような影響を及ぼすのか、自分だけではなく周りの人にまで影響があることを忘れないでください。


私たちは弱い人間であり、罪を犯してしまう人間です。

それでも、ダビデのように罪を悔い改めながら、心を神様から移り変わらずに生きていくこと、天の御国に行くその日まで神様と一緒に歩み続ける人生を歩むことが大切です。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.3.13
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義を求める生き方

テーマは 『 義を求める生き方 』 です

【第2サムエル記22章21-25節】

主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた。

私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった。

主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。

私は主の前に全く、私の罪から身を守る。

主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。


神様は私たちの義に従って報いを与える方です。


しかし神の前で義人はひとりもいないと聖書に書いてあります。

それならダビデが 自分の義に従って神が報いてくださったと言うことばは間違いでしょうか。


神の基準で義人はいませんが、神様が人間のある姿を見て「義」と認めてくださる部分があります。



それは どこにいても主を認め、主の御心に従って歩もうとする “努力” を 「義」 と認めてくださいます。


自分が置かれた状況の中で いつも神のことをまず考え、その方のみことばを基準にし、それに従って歩む時に 神様はその人を見て祝福してくださいます。


神の御心を知って、神が喜ぶことに熱心な者、その者が義を求めて生きる人です。



神の御心に従って歩むことを わかりやすく説明するならば、車のカーナビに例えることが出来ます。


行き先を決めて目的地を設定するとカーナビは目的地まで案内してくれます。

運転する人は何も疑わずに安心して案内通りに運転します。



神のみこころとみことばは、私たちの人生を導く案内です。

疑わずそれに従って歩むならば義を行う者になります。


私たちがみことばの導きを受けるならば、多くの誘惑と落とし穴や罠を避けて通り、安全な道を歩むことが出来ます。



ダビデはそのような生き方をしました。

もちろん彼がみことばから離れた瞬間、彼は誘惑され、罠に引っかかり敵の笑いものになったことはありました。


神様もその時は彼を祝福することが出来ませんでした。

不義を行った代償は大きかったです。


その後に徹底的に悔い改めたので神様は彼を回復させました。








今、ロシアが戦争を起こしてウクライナと戦っています。

毎日悲惨なニュースを聞いています。


戦争を起こしたことは不義です。

それは神の御心に反することだからです。



【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。


平和は自然に生まれるものではないです。


平和を作るためには各自の違い、個性、そして自由と独立性、生存権を互いに尊重し 保証しないといけないです。

個人、社会、国家も同じです。



それを破壊するのが不義であり、侵略であり、独裁です。

同時に正義の神に敵対することです。



ダビデは戦いの勇士であり、国力があっても弱い国を侵略して戦争を起こしたことはありませんでした。


神様の計画がある戦争に対しては、命令に従って戦いましたが、神のみこころを無視して自分の欲望や目的があって戦いを始めたことはありませんでした。



神様は、世界が神の国になることを願っています。

国というのは領土ではなく、神様を自分たちの主人にし、その方の主権による統治を受けることを意味します。


その方の保護と導きを受けながら、その方から受けた召命通りに生きることです。

そのように生きるのが義を求めて生きることです。



【マタイの福音書6章33節】

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


この内容を理解するためには、前後の内容を読めばわかります。


異邦人は富を主人にして、富ばかり求める生き方をしますが、神を信じる者は その生き方を捨てて、義を求めて生きる生き方をしなさいと言われました。



今、ロシアのプーチン大統領に対して腹を立てる者が多いです。

ウクライナに対しては同情が集められています。


しかしそれで問題が解決されるのではないです。



自分たち人間みんなが いかに不義な者なのかを知ることです。

平和を作るための努力をどの国もしていないし、国民もみんな同じです。


義を求める生き方をバカにし、自分たちの利益だけを求めて生きてきたので、さらに利益が欲しい者が戦争を起こします。


みんなが平和を作る努力をしないと、戦争はいつでも起こります。



【イザヤ書56章1節】

主はこう仰せられる。「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現れるのも近いからだ。」


【詩篇9編8節】

主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。


【ヨハネの黙示録19章11節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。


今、世界に対して神のさばきはまだ行われていないです。

もちろん個人に対してもそうです。


ですからみんな自分の判断でさばきを行っていますが、神のさばきが行われるまでは すべてが不完全です。



神様は正義をもって正しいさばきを行います。


その時に、自分が義なる者として認められるかどうかを真剣に考えないといけないです。


その日は近いと主は言われます。

ダビデのように自分の義を言える者になりたいです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.3.6
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天国のたとえで分別する

テーマは 『 天国のたとえで分別する 』 です

【マタイの福音書13章24-30節】

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。

それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」


【マタイの福音書13章36-40節】

それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。

畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。

毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。

ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。


このたとえの中には天国に関する重要な真実があります。

まず私たちは天国が存在する事実を知らないといけないです。


クリスチャンならば ほとんどの人は天国があることを知っています。


しかし問題は、天国があることと 天国に入ることは別問題です。

知っている者が入るのではなく、ふさわしい者が入ります。



この世は善と悪が共存しています。


神によって悪がすべて取り除かれたら一番良いですが、悪人が取り除かれたノアの時代の後も、人間は相変わらず同じ道をたどっています。


いまでも悪が取り除かれて欲しいですが、そんなことは起こっていないです。



私たちは なぜ神があらゆることを見ても、いま裁きを行わないのかを知る必要があります。


神は悪魔が今も活発に働き、社会はもちろん 神の教会の中にも悪魔が働いていることをすべてご存じです。


しかしそれを黙認しています。

そして共に住まわせています。








たとえに出てくる麦と毒麦は見た目で区別がとても難しいですが、違うものです。

麦の種は神が蒔き、毒麦の種は悪魔が蒔きました。


悪魔は何でも神の真似をして人々を惑わします。

あまりにもよく似ているので、人々が簡単に惑わされてしまいます。



神は真理を蒔きますが、悪魔は真理のように見せた 偽りの種を蒔きます。


悪魔も神のことばを使うので、真理をよく知らないと見抜くことが難しいです。



完全に実が成るまでは区別が難しいです。

早く良いものと悪いものを区別して片づけたいですが、神はそれを止めました。


理由は毒麦を抜き集めるうちに、麦も一緒に抜き取るかもしれないからです。

悪者を取り除く時に、良い人も取り除く場合があるからです。



すべてがきれいに片付くのは、世の終わりの収穫の時です。

その時までは、悪い人も良い人も共存するようにしてあります。


残念なことは毒麦の方は成長が早く、麦が育たないようにすごく邪魔をしています。

今の世の中もそうです。


毒麦の方が畑をほとんど覆うような状態になってあります。

息苦しい世の中になりました。



このような時代の中で、私たちは正しく分別しないといけないです。


行動を起こすのも難しい状況、立ち向かって戦うことも難しい状況、毒麦がやっていることを見るしかない苦しさ、時を待つしかない状況などが続いています。








毒麦の正体は何でしょうか?


世的なもの、自分の欲、サタンの誘惑、構造的な悪、あらゆる悪です。

それらが根を深く下ろしています。


ですから見えるすべての所に毒麦があります。



毒麦の悪が成長していく中で、麦として成長することは簡単なことではないです。


サタンは個人的、社会的、世界的にも堕落に導く力を持っています。

ですから多くの人がそれに惑わされ、誘惑されています。



偽りと真実、善と悪が共存する中で、自分が麦なのか毒麦なのかを知ることが大切です。

それを区別する方法です。


麦には命があります。

すなわち水と御霊によって生まれ変わった人には 命があります。


しかし毒麦には自分の罪と咎の中に死んでいるので 命がないです。



麦には謙遜がありますが、毒麦には高慢があります。

神の恵みによって自分が救われたことを知っている人が謙遜な人で、自分の義を誇る人は高慢な者です。


麦は神の愛と恵みをいつも求めますが、毒麦は世のものに一番の関心があります。


試練と患難の風が吹いて来た時に 飛ばされないならば麦、飛ばされるならば毒麦です。

すなわち中身のない殻なので飛ばされてしまいます。


教会に通う人でも形式的な信仰生活、偽りの教えに騙されている人ならば殻です。



収穫の時が来ると主が収穫を始めます。


麦と毒麦が区別され、それぞれ受けるものが違います。

このようなことが起こります。


【マタイの福音書3章12節】

手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


天国に入る人は麦です。

燃える火に投げ出されるのは毒麦であり、殻です。


これは変わらない真理です。

次の警告のことばも聞きます。


【マタイの福音書26章41節】

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」


主の収穫の時は本当に近いです。

天国に入る確信がありますか?


アーメン ヽ(TдT)ノ


2022.2.13
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今は戦いの時である

テーマは 『 今は戦いの時である 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


時を見分けることが知恵です。

知恵を得たならば行動すべきです。


今は平和の時ですか?休むべき時ですか?


今は戦いの時であると主から教えてもらいました。



世界を見まわしてみて下さい。

次から次へとよくないことがたくさん起こってあります。


それはなぜですか?

悪魔がほえたける獅子のように食い尽くすべきものを捜し求めているからです。


目に見える世界がすべてではなく、目に見えない所で動く存在を知らないと、戦いをすることは出来ないです。



戦いの前に、誰と戦うべきかを知らないといけないです。

悪魔の策略は誰を通して行われるのかを知ることです。


大きく二つの勢力があります。

まずは政治の世界です。


【エペソ6章11-14節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。


悪魔は政治の世界、力ある者の中で強く働きます。


あらゆる政策を立てる立場にいる人たちの中に働いて、自分たちに有利な政策を立て、あらゆる特権は自分たちのものにし、人々をその政策で縛り、自分たちの思いのままに国民を支配します。

反対する者には厳しい刑罰を与えます。


その特権に対する誘惑が大きいから、多くの政治家や力ある者がそれに飛びつきます。


世界の支配者たちを見て感じることが沢山あると思います。

戦争を起こし教会や信徒を迫害する者も政治家たちです。


【第1コリント2章8節】

この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。


ですから私たちは神を恐れる者が支配者になるように、また悪い支配者たちがその座から降りるように、その背後で働く悪霊を追い出す戦いをしないといけないです。






次には宗教勢力です。


人々の魂をむしばむ働きをします。

悪魔をまるで神であるかのように思わせて信じさせます。


【第2コリント4章1-4節】

こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、

恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。

その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。


また悪魔は聖徒の信仰生活を邪魔する最大の敵です。


教会や家庭、神の共同体を打ち壊す主犯です。

目を覚まして警戒しないと誰でも惑わされてしまいます。


惑わしの霊は人を騙す悪霊につけた名前です。

ですから惑わしの霊は騙す霊です。



悪魔の能力は人々の想像をはるかに超えています。

人々の頭の上に座って、自分の考えを入れてその中で相手を操ります。


多くのクリスチャンや指導者たちも騙されているのに、なかなか気づいていないです。

あらゆるもので騙すので、騙されている本人も分からないことが多いです。



ですから神のことばを正しく知り、いつも警戒することです。


惑わしの霊との戦いをしないと騙されてしまいます。


どんな形で惑わしが現れ、どれほど多く現れるのかを主が語って下さいました。



【コロサイ2章8-9節】

あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


【第2テモテ4章1-2節】

神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。


【第1ヨハネ4章1-3節】

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。


【第2テサロニケ2章9-12節】

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。


【第2コリント11章12-15節】

しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。


惑わしの霊が騙すことに成功したならば、惑わしの霊の勝ちであり、騙すことに失敗したならばそれは負けたことになります。

追うか追われるかの戦い、騙すか、それを明らかにするかの戦いです。


聖徒が惑わされないためには、聖い品性を目指していかなければならないです。


そのためには悔い改めの実、聖霊の実を結ぶことに専念することです。



サタンに惑わされた人たちには聖さがないです。

サタンが汚れているからです。


高慢があり、自分のことばに従うことを命令するし、従わない者に対しては非難します。



たくさん祈るから、聖書の知識が豊富だから、賜物が多いから、有名な人だからなどで判断してはいけないです。


聖霊による正しい分別力で分別することです。

すでに聞いた主のことばに照らして判断することです。


時には周りの人からの助言にも耳を傾けることです。


今は眠っている時ではないです。

戦いが激しくなっているので、戦いをしないといけないです。


アーメン ヽ(#`Д´)ノ


2021.8.22
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善悪の知識の木といのちの木

テーマは 『 善悪の知識の木といのちの木 』 です

【創世記2章9節】

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。


エデンの園はパラダイスです。

最高に快適な環境です。


人間を愛した神は、人間に配慮して最高の環境を与えました。

最高に住みやすい場所がエデンの園でした。


しかし そこにずっと住みたいならば、1つの条件がありました。

それは、“園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはならない” ことでした。


【創世記2章16-17節】

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


神は、人間が自分の考えや思いで善悪を判断することを願いませんでした。

善悪の判断は神の領域だからです。


神が善悪の判断をするので、人間の善悪の判断はエデンの園には要らなかったです。


ある人たちは、人間が罪を犯したのは神のせいだと言います。

「善悪の知識の木がなかったならば 罪も死もなかったのに、そんなものをわざわざ作った神が悪い」と言います。


しかし、これはとんでもない言葉です。



罪は、善悪の知識の木によって始まったのではないです。

善悪の知識の木に対する神のことばに、人間が不従順したからです。


善悪の知識の木は、神が人間を試みるためではありませんでした。


人間に与えられた多くの自由の中で、たった1つの禁止命令に従うならば、永遠にパラダイスで神と共に祝福と平安の中で暮らすことが出来ました。



しかし人間は蛇の誘惑を受けて、欲を抑えることが出来ず、結局自分の決断で善悪の知識の木から取って食べました。


神がすでに「それを取って食べると必ず死ぬ」と強調したので、人間はそれを十分知っていながらも従いませんでした。


善悪の知識の木の実を食べたのは、人間の選択でした。

ですから不従順の罪の責任は、神ではなく、人間にあります。






罪を犯した人間を、神はエデンの園から追い出しました。

エデンの園に住む資格を彼らは罪によって失いました。


エデンの園を追い出された人間を待っていたのは、苦労と呪いと死でした。



また、それから人間は 神からではない人間の善悪の知識を土台にして すべてを考えるようになりました。


自分たちで倫理、道徳、宗教などを作りました。

善ならば祝福、悪ならば罰という救いの基準も作りました。


しかし、知らなければならないのは、どんなに善悪の基準を決めて行動しても、そこに無いのは “いのち” です。

何をしても結局 最後は死です。



神が与える命がないならば、どんなに良いことをしても滅びの対象にしかならないです。


良いことに対しても、それは神の基準ではなく、自分の基準だからです。


もしパラダイスに住みたいならば、善悪の知識の木から取って食べてはならないです。

それは今も同じです。


エデンの園には、いのちの木もありました。



命がほしい人は命の木から取って食べなければなりません。
そのいのちとは “イエス・キリストのいのち” です。


それを食べないと命はないです。


【ヨハネの福音書10章28節】

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。


イエス・キリストは、自分のいのちを与えるためにこの世に来ました。

信じる者たちに、いのちを与えると約束しました。


イエス様のいのちに、人間の善悪の知識が入る余地はないです。

いのちの木には命の実しかならないです。






神は、2つの道が私たちの前にあることを教えました。

死の道といのちの道です。


死の道は、善悪の知識の木の実を食べながら生きる道です。


いのちの道は、神の口から出るいのちのことばによって生きる道です。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


神のことばには関心もなく、自分の思いや考えで生きる人がほとんどです。


死に至らせる善悪の知識の木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするものに見えるので取って食べやすいです。

しかし、そこにいのちはありません。



神のみことばは、私たちを命の道に導くことばです。

それに従う時に死の道から離れることが出来ます。


【ヨハネの黙示録2章7節】

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』


【ヨハネの黙示録22章14節】

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.5.30
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私たちのアイデンティティ

テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です

突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。


仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。

忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。


毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。



そうなると、どうなるでしょうか。

神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。


そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。


どんどん苦しくなっていくのです。

一度立ち止まってみてください。


あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。

本当はどう生きていくべきなのでしょうか。


今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。






しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。


本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。

一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちは、神様の作品です。


一人一人、神様が造った作品です。

神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。


また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。


私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。


誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。






神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。


ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。


その人の名前を述べる前に、言うことがあります。

聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。


では、私たちはどうでしょうか。

私たちは誰の子なのでしょうか。


【ヨハネの福音書1章12-13節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

【第1ヨハネの手紙3章1-2節】

私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。


誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。


神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。

私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。


肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。






さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。

2つのポイントを今日は見ていきます。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。



キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。

私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。


私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。


イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。



私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。

イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。

私たちの見た目がきれいだからじゃない。

中身が、性格がきれいだからじゃない。


ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。


神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。


私たちはその神様に愛されている子どもなのです。






その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。


神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。

その前の部分が、大前提がとても大切なのです。


私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。


私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。

また、その愛は赦しの愛です。


【エペソ4章32節】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。

どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。


その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。

そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。


それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。


私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。



神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。

私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。


その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。


それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。

それを体験したからなのです。


神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。






人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。


人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。


私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。


それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。



その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。


私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。

その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。


神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。


【エペソ5章8節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。


私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。

それが私たちのアイデンティティです。


暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。

しつこく影のように追ってきます。



私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。


でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。


罪を断ち切ることは簡単なことではないです。


あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で


「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」

と言っているほどです。


しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。


自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。


【エペソ5章14節】

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」





光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。


キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。

罪から離れ、キリストに近づくことです。


私たちとキリストは月と太陽のようです。

月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。


勇気を持って、その罪を捨てましょう。


私たちにふさわしくないからです。

私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。



私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。


この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。



光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。


それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。


【エペソ4章30-32節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。

何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。


「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。


私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。


それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。


神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。

すべきことなのですか。


罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。

そのイエス様の愛を見てください。


あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。


こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。

捨てることができます。


罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。






私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。


光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。

捨て去りましょう。


あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。


罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。


それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。



最後にもう一度言います。


自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。


今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.9.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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反キリストの現れ

テーマは 『 反キリストの現れ 』 です

【ヨハネの黙示録13章7-10節】

彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

耳のある者は聞きなさい。

とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。

キリストの再臨の前に 必ず起こることの一つが、反キリストの出現です。


今までも反キリストの働きをした多くの偽キリストが出ましたが、キリストの再臨の前に現れる反キリストは その力や影響力がそれまでとは全く違うので、人々は惑わされ、またはそれに支配されるので大患難が到来します。


信仰を守るためには殉教を覚悟しないと守れないほどの患難が来ます。


これはサタンの最後の作戦で、聖徒たちを攻撃するために準備をし、準備が出来た時に現れて、自分の手下である反キリストを世に送り、世界を支配させ、聖徒たちを迫害します。



サタンは自分にある権威をその者に注ぐので、キリストの復活を真似し、人々を驚かせ、自分を拝ませ、思いのまま権力を振るい、神の聖徒たちを激しく迫害します。


反キリストの力は小さな力ではなく 全世界の政治、軍事、経済、宗教、社会の覇権をすべて握って人々を自分たちの支配下に置きます。

それが着々と進んでいます。



「陰の政府」と言われる超エリートたちによって新世界秩序のシステムが造られていきますが、多くの人はこれにあまり気付いていないです。

彼らが目指すのは世界単一政府で、世界を支配する計画です。


目を開けて見るならば、世界のあらゆるところで、彼らの動きを見ることが出来ます。


彼らの姿は黙示録17章、18章にある 大淫婦の姿です。

その特徴を見ると、その者たちが誰であるのかが見えてきます。




大水の上にすわっている大淫婦



【ヨハネの黙示録17章1節】

また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。

世界のすべての国家と人々の上に君臨する




緋色の獣に乗っているひとりの女



【ヨハネの黙示録17章3節】

それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。

反キリストの守りの中で力を発揮する




華麗に体を飾っている女



【ヨハネの黙示録17章4節】

この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。

物質主義と快楽主義で世を惑わす




手に金の杯



【ヨハネの黙示録17章4節】

この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。

憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになる




額にバビロンという名



【ヨハネの黙示録17章5節】

その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。

人々を誘惑し、自分のしもべにする




聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている



【ヨハネの黙示録17章6節】

聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。

神の民を迫害するのを楽しみにする姿として現れています。

調べると、このようなことを実際にやっていることが見つかっています。



反キリストが現れるために、政治と経済、メディアとエンターテイメント界の中で活躍する者が多いです。

その内幕を知らないと惑わされていきます。


【マタイの福音書24章24節】

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。


目を覚ましてキリストの再臨を待ちましょう。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.5.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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