からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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行動

あなたの普段の生活の指針は何ですか

テーマは 『 あなたの普段の生活の指針は何ですか 』 です


普段の生活の中で、何を軸にどのようなことを考えて生きていますか。


ついつい 『自分にメリットがあるか』 『この行動や決断をして自分は損をしないか』 と自分を軸にして、自分が一番良い状況になる選択をするように考えていませんか?


実は、この姿は神様が私たちに求める姿ではなく、自分のために生きるということは、神様のためには生きていないということになってしまうのです。



今日は第1コリントから、パウロは普段の生活の中でどのように考え、どのような指針を持って生きていたのかを学び、その姿から私たち自身も普段の自分たちの姿を比べて見習っていきましょう。



【第1コリント10章23節-11章1節】

すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。

だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。

地とそれに満ちているものは、主のものだからです。

もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。

しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。

私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。

もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。

私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。

私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。


23節で出てくる 『すべてのことは、してもよいのです。』 という言葉は、実はパウロがここでみんなに言っているのではなく、コリントの人々が使った言葉、スローガンを引用して言っています。



確かに、パウロ自身、コリントの人たちに 『すべてのことは、してもよいのです。』 と言っていたのかも知れませんが、コリントの人たちはその考えを自分たちの都合の良い言い訳として使い、本当に自分勝手で、『自分が良い』 と思う行動をする根拠にしていたのです。


それは、パウロがコリントの人たちに言いたかったポイントではありません。







パウロがここで私たちが持つべき行動の指針として大きく3つのポイントをあげています。


  1. 自分の利益を求めないで他人の利益を求めること
  2. 何をするにもただ神の栄光を現わすためにすること
  3. 人々のつまずきにならないようにすること(ノンクリスチャンに対しても、クリスチャンに対しても、教会に対しても)

確かに私たちは普段の行動を自分の意志で自由に決めることはできますが、だからといって何でもやってもOK、自由という訳ではありません。



私たちの行動のベースになるべき大きな軸は、まず 『キリストの福音』 であり、その福音を伝え人々が救われるために、『自分の利益を求めずに他人の利益を求めること』 『小さな普段の行動でも神様の栄光を現すこと』 『人々のつまずきにならないようにすること』 が求められているのです。



ただ自分自身が良ければいい、という低い水準、自己中心的な生き方ではなく、『人のためになっているのか』 『周りの人々にとってつまずきになっていないか』 『クリスチャンの代表として行動できているのか』 『神様を喜ばせているのか』 という さらに高い水準、指針を持って生きることです。



それが周りの人の救いに繋がるかも知れないし、少なくとも神様が喜ぶ姿なのです。


アーメン (*´∇`*)


2022.11.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神様がいないように感じられる時に

テーマは 『 神様がいないように感じられる時に 』 です


神様の言葉が直接聞けない、神様の姿を目で見ることができない。

そのため、『神様が本当に一緒にいてくださるのか』、『こんな辛い時に神様は私を助けようとしてくださるのか』、『私のために本当にすべてを益として働かせてくださるのか』、そのように不安に感じる時はありませんか?


神様の声が直接聞こえたら良いのに。

神様、イエス様を直接目で見られたら良いのに。

神様はどこにいるのだろうか。



聖書はすべて神様、イエス様について書かれていますが、実は一つだけ神様が全く登場しない本があります。


神様の言葉が直接出ていなければ、神様を表す言葉自体出てこない。

それでも神様がそこにいらっしゃるということを感じられる本です。


それはエステル記です。






今日はエステル記の話を見ていきましょう。

エステル記全体をざっとまとめて見ていきましょう。


【エステル記1章1節】

アハシュエロスの時代のこと―このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた―


ペルシヤ帝国(今のイラン)のアハシュエロス王の時代(B.C.485-464年)でした。


それ以前、B.C.586年に エルサレムがバビロニアに滅ぼされ、バビロンで捕囚となり、その後、B.C.538年にユダヤ人がユダヤの地に戻るよう勅令が出ましたが、案外そのままバビロニア地方や、ペルシヤ地方に残ったユダヤ人が多かったのです。

ユダヤ人はその異国の地に住んでいました。



歴史から見ると、アハシュエロス王は独裁的で、金銭を愛し、暴君でした。


決して、良い王様という訳ではなく、自分が気に入らなければ、何でも思った通りにしてしまうような人でした。

もともと彼には奥さんとして王妃ワシュティがいましたが、自分の思い通りにしてくれなかったのに腹を立て、退けました。


その代わりに、多くの王妃候補の中から王妃として迎えられたのがエステルでした。

エステルは両親が亡くなっており、モルデカイが叔父でしたが、エステルを自分の子どもとして育てました。


このモルデカイはエステルに、エステルの身分、つまりユダヤ人であることは隠すように教え育てました。


モルデカイ自身もシュシャンの城にいて、エステルが王妃になった後も エステルの様子をいつもそばで見守っていました。


ここで、アガグ人であり、ユダヤ人の敵であるハマンが出てきます。

アガグは、元々アマレク人の王であり、つまりはユダヤ人の敵でありました。


第1サムエル記15章で、サウル王がアマレク人を討ちましたが、彼はすべてを聖絶せよ、という神様の命令に背き、アガグを生け捕りにし、結局はそれをきっかけに神様はサウルを王から退け、ダビデを選びました。






ハマンの話に戻りますが、このハマンは王に気に入られて、王はハマンをすべての首長たちの上に置きました。


【エステル記3章1-2節】

この出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた。

それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。


ユダヤ人であり、神様を信じるモルデカイは、ハマンにひざをかがめず、ひれ伏すこともありませんでした。


それに怒ったハマンは、モルデカイだけではなく、モルデカイの民族、つまりユダヤ人を全員殺す計画を企て、王を説得し、その命令を実際に出しました。


【エステル記3章13-15節】

書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。

各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。


つまりは、これから約1年後に、すべてのユダヤ人が虐殺されるという命令でした。

モルデカイはもちろん、それを聞いたユダヤ人はみな激しく悲しみ、荒布をまとって灰をかぶり、嘆きました。


モルデカイはエステルにこのことを伝言で送り、また、「彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように」頼みました。


それに対して、エステルは王に死刑に処せられるかも知れないという返事をしました。


【エステル記4章13-14節】

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」


モルデカイは、エステルに何とかするように頼みつつも、たとえエステルが行動を起こさなかったとしても、別のところから救いがあると信じていたのです。


自分が思っている方法と違ったとしても、きっと他の形で必ず救いがあると、神様が救ってくださることを信じていたのです。


【エステル記4章15-16節】

エステルはモルデカイに返事を送って言った。

「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」


ここで、エステルは自分の民のために、行動を取ることにしました。


でも、エステル記での本当のヒーローはエステルではありません。

それは、聖書自体が教えてくれています。


実は、旧約聖書はよく読むと非常に精巧に作られていて、韻を踏んでいたり、多くはサンドイッチのような作りをしていたりします。


つまりは、同じような出来事、同じような言葉が繰り返され、サンドイッチのよう形で組まれ、その真ん中に一番伝えたいことや、話の核心が詰まってあります。


【例】

A

  B

    C

       D ←こちらがその話の中で中心となる部分

    C’

  B’

A’


実は、エステル記も同じような作りになっていて、これに当てはめていくと、中心に来る箇所は “6章” なのです。


これは、エステルが実際に動きを取り始めた後に起きた話の部分です。


5章で、エステルは王とハマンを呼び、宴会を設けました。

その時は、特にユダヤ人のことや、王の命令については、何も言わず、代わりに次の日にもう一度同じ宴会をするから、二人とも来てほしいと告げました。


そこで、本当のヒーローが現れる6章が始まるのです。

6章を実際に読んでみてください。


【エステル記6章1-14節】

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。

その中に、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。

そこで王は尋ねた。「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」

王は言った。「庭にいるのはだれか。」ちょうど、ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。

王に仕える若い者たちは彼に言った。「今、庭に立っているのはハマンです。」王は言った。「ここに通せ。」

ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」

そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、

王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。

その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください。」

すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」

それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。

それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った。

そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」

彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせ、エステルの設けた宴会に連れて行った。


ここで働かれたのが神様でした。

神様はその本番の祝宴の前日、王に眠りを与えず、モルデカイが行ったことを王の耳に聞かせ、彼の心を動かしました。


もし宴会を1日遅らせていなかったら、もし神様が王を眠らせずに、モルデカイの記録を読まずに そのことを思い出していなかったら、エステルがユダヤ人やモルデカイが殺されるという命令を聞いても、きっと良い反応はしなかったでしょう。



しかし、ここで神様が働かれて、モルデカイに栄誉を上げたから、その後の二日目の宴会でエステルが王に、ハマンの企みによって、ユダヤ人であるモルデカイ、エステルも含めたすべてのユダヤ人が殺される予定であることを伝え、それを取り消してもらうことができたのです。


自分がもらおうとした栄誉は、かえって自分が恨んでいたモルデカイが受け、ハマンは むしろそのモルデカイの栄誉を受ける際に、まるでモルデカイのしもべのように、モルデカイの馬を引き、町の広場でモルデカイの栄誉を大声で伝えました。

また、モルデカイを殺そうとしたハマンの家に立てた柱に、むしろハマンがかけられて殺されることになりました。



その後、ユダヤ人の虐殺の命令を取り消し、むしろユダヤ人の敵を殺すことができる命令を発しました。

ユダヤ人の敵、また、ユダヤ人を迫害する者、ハマンの10人の子が代わりに虐殺されました。


神様は、神の民を祝福する者を祝福し、のろう者をのろいます。


それは、アブラハムに与えた約束をずっと守られている神様の姿であり、神様は神様の民のために働かれ、すべてを益にしてくださいます。


一言も神様の存在や言葉について ここでは述べられていませんが、私たちには見えていないそのところで神様は働かれています。



エステルが王に助けを求める前に、神様が王の心を変え、神様の民であるユダヤ人をのろい、殺そうとしたハマンに、神様が代わりに復讐をしてくださったのです。


私たちの目には神様が働かれていないように思える時でも、神様は裏ですべて働かれているのです。


本当のヒーローは、神様なのです。


私たちは神様がこのように、見えないところでも、直接私たちに言葉で語りかけない時であったとしても、私たちのために、働かれていること、すべてを益としてくださることを知るべきなのです。


今もし あなたが辛い環境にあったとしても、苦しみがあったとしても、このように何もしていないのに殺されそうになったユダヤ人を助けてくださる神様が、あなたのことも今見ておられ、あなたが見ていないところでも あなたのために、あなたを救い、助けるために働かれておられるのです。






また、私たちはただそれを知って、「神様が働かれるのだな」と思うだけではなく、私自身もどうすべきなのか、モルデカイとエステルの姿からも学びましょう。


まずは、モルデカイのように「助けと救いが起こること」を信じることです。


4章14節であるように、エステルが行動を起こさなかったとしても、きっと別のところから救いが起こるという、人を信じて期待するのではなく、神様への絶対的信頼と信仰を持つことです。


また、エステルのように実際に行動を起こし、神様がすべてを益にしてくださることを信じて、ゆだねることです。


エステルは、モルデカイの言葉のように、何も行動を起こさないこともできました。

しかし、エステルは死ぬかも知れないということを承知の上で、信じて、実際に行動を起こしました。


なぜ自分がその時に、そこで王国にいたのか、王妃になったのか、それを考え、自分がすべきことをしたのです。



私たちはいずれ神様の前で、「自分がしたこと」の責任を取ることになります。

ここで併せて覚えておくべきことは、「私たちがその時に取るべき行動をしなかったこと」に対しても、その責任は問われるのです。


神様はその時、その場所に、必要があり計画があって、私たちを置いている時があります。

その時に、私たちがすべきことを実際にするかどうかは私たち次第です。



たとえ、私たちが行動を取らなかったとしても、神様は、他の人や他の手段を使って救いや、その計画を成し遂げられます。


ただし、私たちが行動を起こさなければ、その行動を起こさなかった私たちに責任が降りかかります。

行動をしたことに対して、責任を取るのはあたりまえですが、逆に行動をしなかったことに対しても責任を取ることになるのです。



例えば、あなたの周りに救われるべき人がいて、あなたに救いを伝えるチャンスがあるとして、そこであなたが救いを伝えなかったとしても、もし神様の救いの計画があればその人はどこかで誰かによって救われるかも知れません。


ただし、御言葉を伝えなかったことに対して、沈黙を守ったことに対して、私たちはその代価を払わないといけなくなるでしょう。



目の前で困っている人がいて、その人を助けるかどうかもあなた次第です。


あなたが助けなかったとしても、神様のあわれみがその人にある時は、神様があなた以外を使って助けを送ってくださいますが、その場で助けなかったあなたは、行動を起こさなかったことに対して責任を取る必要があるのです。


私たちが行動を起こさないといけない時、その時は、神様を信頼して大胆に行動を起こすことです。



神様はいつも私たちを見えないところでも支えてくださり、働いてくださっていて、すべてを益に変えてくださるのです。


神様が必ず助けと救いを与えてくださることを信じて、今日も大胆に行動に移していきましょう。


アーメン (・∀・)つ


2021.3.7
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愛とは何か

テーマは 『 愛とは何か 』 です

【第1コリント13章1-8節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

聖書で語る愛はいつ変質するか分からないような ドロドロした愛ではなく、純真な愛です。


その純真な愛が何かを教えた個所が4節から7節です。

自分たちが思う愛とは違う愛であることがよく分かります。




愛とは何か




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。


このような愛が私たちにあるでしょうか。

―― ないと思います。


いくつか当てはまるものはあるかも知れませんが、すべてを持っている人はいないと思います。



この愛は成熟した信徒の特徴です。

そして聖霊充満な状態に現れるものです。


この愛があって初めて聖なる者になれます。

それまでは未熟な状態です。


【第1ヨハネ3章11節】

互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。


このように教えられていますが、教会の兄弟たちの間でも妬み、高慢、争い、陰口、怒り、敵対心があるのではないでしょうか?


愛がないので、そのようなことが起こります。

神はそのような私たちを見て「偽り者」と言います。


【第1ヨハネ4章20-21節】

神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。

神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。


この命令を守らないので、教会の中でも人間関係に問題が起こります。


例えどんなに仲の良い者たちであっても一緒にいる時間が長くなると葛藤や争いが起こったりします。

どのように解決しますか?


愛が一番の解決策になります。


相手に対して今日の愛のことばを適用していくならば、だんだんと相手に対してすまない気持ちと赦す気持ちが出てきます。




愛がないならば




どんなに優れたものを持っていても、力があっても、人のためにいのちをささげても、愛がないならば評価されないです。


主は愛がないならばやかましいどら、うるさいシンバルと語りました。

迷惑だということです。



さらに愛がないならば何の値打ちもなく、何の役にも立たないと言われました。

何をしても主からは評価されないです。


すなわち愛から出ていないことは、人のためではなく自分のためにしたことになります。


きっと主は心の動機を見ておられると思います。

愛は動機と行動が一致しないといけないです。




愛の偉大さ




預言も異言も知識もすたれます。


【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

アーメン (=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2020.7.26
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みことばをさげすんではならない

テーマは 『 みことばをさげすんではならない 』 です

【箴言13章13-14節】

みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。

知恵のある者のおしえはいのちの泉。 これによって、死のわなをのがれることができる。

みことばとは、聖書に書いているすべての言葉ではないです。
その中には、人々の言葉やサタンの言葉や歴史の事も書かれていますので、神様が語る言葉のことを「みことば」と言います。

また、みことばのことを一番正確に書かれている箇所は、次のとおりです。


【ヨハネの福音書1章1節】

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

「言葉=神様」です。目に見えない神様は言葉で表します。それは神様ご自身なのです。

私たちは、みことばをさげすむということは、神ご自身を無視し、さげすむことになります。その結果、自分の身を滅ぼすことになります。

みことばをさげすんではいけない理由がいくつかあります。




①みことばをさげすむ者は身を滅ぼす

みことばをさげすむ人の姿がホセア書に書かれています。


【ホセア書4章6節】

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。 あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。

知識とは、頭に入れる知識とは違います。それは神様を知ろうとする思いがないです。

みことばを知るには、耳が開かれていないと知ることができないです。耳が閉ざしていると、どんなに語っても1つも言葉が入らないです。

イスラエルの民たちに 神様はたくさんの言葉を与えてくださいましたし、律法を与えてくださいました。
そこで祭司が律法を朗読して教えていました。しかし、神様は祭司に厳しい言葉を語りました。
「あなた自身の中には、知識がない。」と、また人々にもまともに教えていませんでした。ですから言葉を聞いているのに何一つ変わりませんでした。

神様が絶えず預言者を遣わしてみことばを送るのに、「聞かない。悟らない。行わない。」のです。
そして違うことを行うのです。それは神様のみことばをさげすむ姿であります。

私たちが本気で耳を開いて、神様の言葉を聞くならば悟りがきて みことばが開かれるのです。


【マタイの福音書13章14-16節】

こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。 確かに見てはいるが、決してわからない。

この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。 それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。

預言とは神様が預言者に与えた言葉です。
神様が言葉を聞こえないように邪魔をしているのではなく、神様がいくら語っても彼らが聞かないので 神様がこのような言葉を使いました。
集まった群衆の中には熱心に聞いて立ち返った人もいましたが、宗教指導者たちはいつも非難していました。
彼らは立派な服を着て、前に座って聞いていますが あら探しをするために来ていました。
彼らはみことばを悟らず、自分たちの思いだけでいっぱいでした。

これが神様の言葉をさげすむ者の姿であります。
聞く耳がなく、自分たちが一番(霊が)開かれた者であると思っています。
もし、私たちの中に「私には同じような思いがある。」「私はこういうことを決めているから、神様の言葉は聞き入れられません。」と言うならば、
それは パリサイ人と変わりがありません。

神様の言葉は常に上なのです。主が語ってくださる時は、私たちはストップしなければならないのです。
「アーメン」という言葉は「その通りです」という意味です。
「アーメン」と言って 神様が語る言葉を聞き入れて行う人が信じる人であります。

みことばを知らない人、悟らない人のことを聖書では次のように書かれています。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

悟りがなければ実際に滅びます。人間として悟らないといけないです。人間と動物の違いは「悟り」があるかどうかです。

なぜ人間が造られたのでしょうか――?
神様に仕えて栄光を捧げるために造られた者であるので、その役割をきちんと果たして初めて人間と言われるのです。
役割を果たしていないのなら、ノーベル賞をもらったとしても 神様は滅びうせる獣に等しいと語ります。




②みことばをさげすむと祈りの答えがない

私たちが祈っても聞かれないならば、とても虚しいでしょう。私たちは祈りを叶えて欲しいので神様に祈るのです。
しかし、断食をして祈っても祈りが聞かれないならば、その原因は次の箇所に書かれています。


【ヨハネの福音書15章7節】

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを 求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

みことばの中に留まっている人だけに神様が祈りを聞いてくださるということです。

祈りを長くするから 神様に祈りが聞かれ、祈りが短いから聞かれない ということではなく、イエス様は私たちが必要としているものをすべてご存知であります。
すぐに祈りが聞かれる人というのは、主の言葉の中に留まっているので与えられているのです。

ですから、みことばに留まっていないということは、祈りが聞かれないことになります。

神様の言葉をきちんと聞いて、その中に留まって悟るならば その時から祈りが答えられます。




③みことばをさげすむ者は神様に属しません


【ヨハネの福音書8章47節】

神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から 出た者でないからです。

とても厳しい言葉です。神の子どもと認められていないので滅びるしかないです。
神の子どもだけが天の御国に入れるのです。神様ご自身がその人のことを忘れてしまいます。




私たちはそうはなりたくないですね。そうならないためには私たちはどうすべきでしょうか?

知恵ある者とは、悟っている人のことです。そして命令を守る者です。


【詩篇119編103-104節】

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。

私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。

みことばが命の水であります。
自分の中にあるいらないものや教えを捨てます。甘い水を飲んだ者が苦い水を飲む必要がないからです。


【詩篇119編129-131節】

あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。

みことばの戸が開くと、 光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。

私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを 愛したからです。

神様の言葉の恵みがどのようなものなのかが すごく分かるのです。
みことばの味を知っている者は、みことばを親しみ学ぼうとします。その人はどんどん悟りが与えられ霊的な者になります。

また、悟ったということは行動が伴っていることを意味します。
みことばの種を蒔いたので、その人たちはたくさんの実を結びます。
そのような者に神様は喜んで認めて受け入れてくださり、さらにそこに恵みの雨を降らせて、ますます時に適った恵みを受けて豊かになるように祝福するのです。

祝福を受けたいならば、命に満たされたいならば、知恵ある者になりたいならば、滅びたくないならば、天国に入りたいならば、
神様の言葉をさげすむのではなく、聞く耳をもって悟り 行い、そしてみことばの中に留まることであります。
そうしたら間違いなく祝福を受ける者になります。

神様の言葉を軽く考えてはいけないです。大事にしてください。

私たちにとって神様は権威あるお方です。ですから一番恐れなければならない存在であります。

人間が完璧にすべてを守ることは出来ないのですが、逆らったときは すぐに悔い改めることであります。
「もう過ぎ去ったことだ」ではなく、今からでも立ち返るならば神様は喜んでくださいます。

みことばに従順した者、こういう者は大胆に祈りができる者になります。 (`・ω・´)

2014.1.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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危機の中で大胆な行動をするには?

テーマは『危機の中でさらに大胆な行動を見せる人物について』です。

【ダニエル3章16-18節】

奉仕をよくする人や素晴らしい信仰の人でも、
危機の時に、あっという間に信仰が倒れる人がいます。(すぐに呟いて、簡単に倒れます)
危機の時にこそ立派な信仰だった人から学ぶべきです。

危機管理は、危機が来る前から準備をすることです。
日本でも4年以内に大きな地震が起こると言われています。(2012年1月現在)
自分自身は危機管理をしているでしょうか。

環境に染まらず、普段から信仰を守るので、危機の時に倒れませんでした。
どんな時でも偶像崇拝をしません。神に命を捧げているので慌てる様子がないので、
私たちはこのような姿を学ぶべきであります。
神に対する信仰が大切です。その価値がわかっているので手放しません。
信仰から得たものを知りなさい。一番大切な物を投げ出すことをしてはいけません。

【黙示録2章10節】

永遠の命を忘れてはいけません。f
「今さえ良ければいい」ということはないです。

―― どのような信仰で乗り越えたのでしょうか? ――

【創世記39章8-9節】

ヨセフは、主人の妻から毎日誘惑を受けました。
奴隷なので従わなければならない立場なのを知っていましたが、負けないで強い信仰に立ちました。
1つの信仰を神様は見ておられます。

人々は誘惑に負けやすいものです。主人の妻から「2人の秘密」だと言われますが、
神様には秘密がなく、隠すことはできません。サタンはヨセフを倒したかったのですが、できませんでした。

神様が喜ばないことをするのが罪であります。そして、罪を犯すとそこから出ることができなくなります。
それは神様ではなく、自らが招いたものでありますので、それを追い出さなければいけません。
ヨセフは不利な立場になることを知っていましたが、信仰で負けませんでした。

目的を持ってくるもの(サタン)は、しつこいです。
何度も来て、毎日の生活でも起こります。(囁く声があります。) (゚д゚)

勝利は信仰を守った時に来ます。自分の命を神様に捧げるなら命を得ます。
そして必ず祝福があります。苦難は一時的なもので、耐え忍びます。

【エステル4章15-16節】

エステルは王妃(外国人)
どんな危機があったでしょうか?(エステル3章13節)
この計画を立てたのは「ハマン」です。悪魔に遣わされた者です。

危機の必要な時に信仰を使います。
ヒトラーが多くのユダヤ人を殺しました。
そして、今もアフリカでは民族同士の戦いがあり、殺し合いがあります。永遠に終わりません。
危機を昔の話のことだと思わないでください。

信仰で勇気を持って行動をし、行動をした者に答えて下さる神様です。

『パウロに対して』

【使徒の働き27章19-25節】

パウロの大胆な信仰告白は、27章25節です。
見捨てることをしない神様なので、このような状況でも動揺しなかったのはパウロだけでした。

27章21節の言葉は、私たちも聞かなければなりません。
危機の時に必要なことばです。 「神様のことば=命の綱」
これを握らなければ、波にのまれていきます。悔い改めて、神様に従いましょう。
そうすると神様は命を救いだしてくださいます。

私たちも神様のことばに背いて、さらに神様に呟くなら、出てこられません。
「神様の言葉に従います。」と大胆に立ち上がることです。生きて働く神様に仕えていきましょう。

お金、名誉、地位にしがみついているから、信仰に堅く立つことができません。
自然、環境、人からの攻撃があります。
自然の問題では、ますます災害が多くなります。黙示録の言葉通りになります。

社会、会社、学校では教えてくれません。これらは神様が教えてくださいます。
危機の中でも私たちが堅く信仰に立つと、神様が家族、周りの人達を助けてくださいます。

2012.1.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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