からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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聖霊

聖霊を悲しませる行為

テーマは 『 聖霊を悲しませる行為 』 です

【エペソ4章30-31節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。


聖霊は信じる者の心の中に内住する方で、聖霊によって信じる者はどれほど多くの恵みを受けるかわからないです。

信じる者は誰よりもこの方を尊ばないといけないです。


しかしいつの間にか聖霊の存在を忘れて、聖霊を侮り、悲しませる行為を聖徒たちがすることが多いです。

どんな行為が聖霊を悲しませるのかを知り、その行為をやめないといけないです。



そうしないと聖霊を自分から追い出す形になり、それ以上 神の恵みを受け取ることが出来なくなります。


形だけの信仰にどんな祝福があるでしょうか。


聖霊を悲しませる行為は不信仰の行為だと自覚することです。





聖霊に逆らい、肉に従って歩む行為




無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、悪意などは聖霊が忌み嫌う肉の行為です。

それを捨てずに、その中で生きるならば、聖霊は悲しみます。


自分のそばに無慈悲でいつも怒り、悪を行う人がいるならば、平安でしょうか?

すぐにでも縁を切りたいと思います。





聖霊からのことばを聞かない行為




いつも語っているのに、そのことばを無視する行為は本当に良くない行為です。


心がかたくなになると 聖霊の声を無視し、言うことも聞かないです。


主からの警告のことばを聞いても、それを冗談だと思い無視します。

ソドムの町に住んでいたロトの婿たちがそうでした。



【創世記19章14節】

そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。


神のことばを冗談と思って無視した結果、婿たちはソドムの町が神のさばきで滅ぼされた時に滅ぼされました。

私たちへの警告です。





主の御心に関心がなく、世のものだけに関心がある行為




主は私たちが常に主の御心に関心をもって、みこころに従って歩むことを願っています。

みこころを知り、行うことで、神様は計画通りに働くことが出来ます。


しかし使命を受けて働くべきしもべが、主の心には関心がなく、自分がしたいことを主の名でするならば、聖霊はとても悲しみます。


その人を選んだことを後悔します。


主のしもべは主のみこころを優先にして、御心に従うことです。





時を分別せず、いつまでも眠っている行為は聖霊を悲しませる行為




自分の霊の状態が怠けていたり眠っていたり、生ぬるい状態であるならば、それは聖霊を悲しませていることです。

神の思いとは反対のことをしていながらも、それに気づいていない人も多いです。


早く悔い改めてその行為をやめないと、災いの日が突然襲い掛かります。


終末の時代は、悪魔が大いに活躍する時代ですので余計に目を覚ましていないといけないです。



聖霊はきっと毎日私たちの状態を心配そうに見ておられると思います。

『目を覚ましなさい』といつも警告していますが、その声を聞いて起きないと 聖霊はとても悲しみます。




いま自分の状態をみて下さい。


聖霊を喜ばせていますか?
それとも悲しませていますか?


聖霊を悲しませる行為があるならば、その行為を一日でも早くやめることが自分にとって救いになり、恵みになります。


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2023.7.16
聖日礼拝メッセージ

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聖霊によって私たちは変えられる

テーマは 『 聖霊によって私たちは変えられる 』 です

【イザヤ書32章15-17節】

しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。

公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。

義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。


今日はペンテコステの日です。


聖霊が下った日です。

聖霊が下った後に霊の世界に新しい変化が起こり始めました。


本文にもあるように、霊が注がれると荒野が果樹園に、果樹園が森になりました。


すなわち聖霊が注がれることによって肉的な人が霊的な人になり、肉の目しかなかった者には霊の目が開かれ、広い視野を持つ者になり、荒野で果樹園を、果樹園から森を見るビジョンの人に変わりました。




広い霊の世界があっても、霊の目が開かれないと見ることが出来ないです。

霊の目が開かれていない人には覆いがかけられてあります。


しかし聖霊を受けると 覆いが取り除かれ、霊の世界が見えるようになります。



【第2コリント3章12-16節】

このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。

そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。

しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。



律法の知識がたくさんあっても聖霊を受けていない人には覆いがかけられてあります。

しかし無学な者でも聖霊を受けると霊の目が開かれ、霊の世界を見ることが出来ます。



霊の目は超越的な目です。

霊の目が開かれると神の計画、みこころ、価値あるもの、あらゆる可能性が見えてきます。


『 出来ない 』 と否定的だった者が、『 私は私を強くして下さる方によってどんなことでも出来ます。』 と信仰ある者に変わります。



このように 聖霊を受けると、まずその人の中に変化が起こります。

変化が起こることは約束されていました。



【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」



聖霊の力が自分の中に注がれるので、まず その力によって古い人が新しい人に変化します。


聖霊によって力のない者が力ある者になり、弱い者が強い者になり、否定的な者が肯定的な者になり、自信がなかった者が大胆な者になります。


そのように変えられた者が主の証人になります。



実際、主の弟子たちがそれを証明しました。

聖霊を受ける前と 受けた後の変化は誰の目にも明らかでした。


臆病だった彼らが人々の前で大胆に福音を伝える者になり、人を恐れない者に変えられました。

そして多くの聖霊の良い実を結ぶ者になりました。



荒野を見て否定的で不信仰だった弟子たちが、荒野から果樹園を見る霊の目が開かれ、希望とビジョンを語りました。

そして神様が聖霊を注ぐと、どのような変化が起こるかを人々に話しました。



【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。



聖霊によって変えられると 主の証人になるだけでなく、良い実を結ぶ者になり、他の人にも良い影響を与える者になります。


ますます聖霊に満たされて実を結ぶ者になりましょう。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2023.5.28
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いつでも聖霊を歓迎する

テーマは 『 いつでも聖霊を歓迎する 』 です

【使徒の働き1章1-14節】

テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、

お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。

彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。



新約聖書の四つの福音書は人間としてのイエス様の活動が詳しく書かれてあります。


その活動期間はとても短かったです。

イエス様は救いの道を完成したので、地上で活動する必要がなくなりました。


蘇った主は天に戻り、代わりに聖霊の時代が始まることを予告しました。




使徒の働きは 聖霊の時代が始まったことと聖霊の活動が記録されてあります。


聖霊を最初に受けた人たちは神の約束を信じて聖霊を待ち望んだ120名ほどの弟子たちでした。

彼らはいつ聖霊が下るかわからないまま熱心に祈っていました。


祈りながら待ち望んだ彼らはいつでも聖霊を歓迎して受け入れる準備が出来ていました。

そして五旬節の時に、突然聖霊が 集まっていた120名の上に下りました。



【使徒の働き2章1-4節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。



当時エルサレムには五旬節を祝うために世界中から多くの人々が集まっていましたが、聖霊を受けた人は聖霊を待ち望んで祈っていた人だけでした。


聖霊が下ったことによって聖霊の時代、教会の時代が始まりました。

聖霊の時代は世の終わりまで続きます。




聖霊を受けた人たちが受けた一番の祝福は何でしょうか?

異言や力とかではないです。


それは、直接と神と霊的関係を持ち、神と直接交わりが出来たことです。

人間が罪を犯す前のエデンの園では、アダムとエバは神と直接交わりが出来ました。


しかし罪を犯した後、人間の霊は死に、神は彼らをエデンの園からも追い出し、直接交わりが出来ないようにしました。

 

神の許しなしに神に近づくことも交わることも出来なくなりました。




聖霊が下って、聖霊を受けた人たちは 神様との霊的関係が回復しました。


聖霊が彼らの中で働くようになりました。

祈りながら交わりが出来ました。



イエス様の十字架の受難があるまでは、すべての人間が罪の支配下にあったので、霊的に神と断絶されていましたが、十字架の贖いの完成によって 信じる者に聖霊が働くようになりました。


信じる者に聖霊が下ることは、信仰によって霊的に義人になったので聖霊がその人のうちにとどまることが出来ます。


聖霊は 信じる者のうちに働いて、そのたましいが天国に無事に行けるように導いて下さる方です。



【ヨハネの福音書14章16-17節】

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。



聖霊が自分の中におられるならば、その人は世に属する者ではなく、キリストに属する者です。


ですから以前の生き方ではなく、御霊に従う生き方をしないといけないです。



【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。


【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。



聖霊と共に歩み、良い交わりを、聖霊の豊かな実を結ぶためにはいつも聖霊を歓迎して喜ぶことです。


聖霊に満たされた人は神との関係がよく、良い交わりをしています。

聖霊に満たされた人の中には神を恐れる心、尊敬、従順、愛、謙遜があります。



しかし信じると言いながらも 聖霊を無視したり、ないがしろにしたり、悲しませたり、侮辱したりするならば聖霊との関係は壊れます。


もしそういうものが自分にあるならば早く悔い改めることです。

そして聖霊を歓迎することです。


アーメン (・∀・)


2023.5.21
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答えられる祈りの条件

テーマは 『 答えられる祈りの条件 』 です

【ヨハネの福音書16章24節】

あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。


イエス様が『わたしの名によって求めなさい』と言われたことばによって、私たちが今までどれほど多くの恵みと助けを受けたか数えきれないです。


弟子たちが主と共にいた時は、目の前に主がいるので、すぐに頼めばいつも助けて下さいました。

弟子たちはその状態がいつまでも続くと思っていました。



しかし主は ご自分が去って行くことを知って、代わりに聖霊を送ると約束しました。


聖霊は、信じて歓迎する者の中に共におられます。

聖霊は、私たちを助けるために主が遣わして下さった神の霊です。


何かの願いや助けが必要な時は、イエス様の名を使って求めるならば その祈りを聞いて下さると言われました。


目に見える主がいなくても、信じる者が困ることがないように 『祈り』 という手段を通して主と会話が出来、そして助けを受けることも出来るようにして下さいました。




祈りそのものが主からの恵みです。

私たちが主の恵みを受けるためには、主の名によって祈れば主は聞いて下さいます。



信仰の人はみんな祈る人で、祈りによって主の助けと指示を受け、たくさんの恵みも受けました。


私たちもおりにかなった助けを受けるために、いつも祈りによって恵みの御座に近づくことです。


祈りもせず恵みが上から落ちてくることを待っても、恵みは落ちてこないです。

恵みは欲しいのに、祈りはしたくないという人も多いです。




主は、恵みは自動的に与えられるとは一度も語ったことがなく、反対に『絶えず祈りなさい』と言われました。


しかし祈りにもルールがあるので、それを知って祈ると効果的です。

答えられる祈りの条件には何があるでしょうか?





主を呼ぶこと




祈りを聞いて下さる主に祈ることです。


世の中の人たちを見ると あらゆるものに手を合わせて祈っています。

木や石、人間が作った物の前で祈りますが、それらが祈りを聞いてくれるでしょうか?


生きておられる主に祈ることです。


【エレミヤ書33章3節】

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。





信仰の祈りが答えられる祈りの条件




信仰の祈りは疑いのない祈りです。


【マルコの福音書11章24節】

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。


【ヤコブ5章15節】

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。




ばらばらの思いではなく、心を一つにして祈る




【マタイの福音書18章19節】

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。




失望せず、忍耐しながら答えられるまで祈り続ける




中途半端な祈り、失望して祈りをやめるならば、それまでの祈りも無駄になります。


【ルカの福音書18章1節】

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。


【ルカの福音書18章7節】

まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。




神の御心に適う祈りならば聞かれる




神の御心は聖書にありますので、調べると分かります。


無所有や無欲のことを 何も持たないことだと思う人が多いですが、そうではなく、不必要なものを持たないことです。



不必要なものを一生懸命求めることが貪欲です。

貪欲な祈りは みこころに適わない祈りです。


とんでもない祈りをしているならば、答えを待つこと自体が間違えています。


【第1ヨハネ5章14節】

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。


いつも祈りなさいと主から言われたのに、祈りが生ぬるい私たちは悔い改めないといけないです。


終わりの時代を生きている私たちに 主はこのように警告しました。



【ルカの福音書21章34-36節】

あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。

その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」


祈りは聖徒にとって霊的呼吸です。

呼吸を止めたら霊は死にます。



神様は祈りとみことばによって私たちが生きることを願っています。

そして神様は私たちと会話をしたいと ずっと待っておられます。


一日のうち、どれぐらい神様と交わりをしていますか?


アーメン (・∀・)つ


2022.7.10
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神の人とはどんな人なのか

テーマは 『 神の人とはどんな人なのか 』 です

【第1テモテ6章11-14節】

しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。


信じる者には神の子どもになる特権が与えられる と聖書に書かれてあります。

しかし信じる者みんなが神の人と呼ばれることはないです。


神の人と呼ばれると、そこには特別な意味があります。

まずは神の人の特徴を見たいと思います。



神の人の特徴は、抑えることが出来ないほどの神への熱い愛と思いと献身があります。


その人たちは生きるのも死ぬのも すべて主のためです。

すべての情熱を神にむけて生きています。



ほとんどの人がスポーツや芸能人、趣味、自分の好きなことに情熱を燃やすのとは違います。


神の人は 神様への熱い思いがあるので、いつも神を切に追い求めています。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神様を慕い求めています。


他のことにはそんなに興味がないです。




また神の人は良い礼拝者です。


十字架の血に頼り、神の前にへりくだり、御霊に導かれて生活し、御霊の実を結んでいます。


ですから神様は彼らを喜び、愛し、彼らを用いて下さいます。


パウロは神に敵対した者でしたが、イエス様に出会ってから、神の人に変わりました。

そして弟子であるテモテも神の人に変わりました。



神様は、信じる者みんなが神の人になることを願っています。

今日のことばは、神の人が避けるべきこと、追い求めるべきこと、そして戦うべきことが何かを教えています。





避けるべきこと




まずは避けるべきことです。

神の真理のことば以外のものは避けることです。


魂を腐らせる間違った教え、果てしない作り話、議論、哲学などを避けることです。


そういうものに深入りすると真理から迷い出るからです。

そして高慢になるからです。



また金銭を愛することは避けることです。

金銭を愛することがあらゆる悪の根で、金銭に誘惑され信仰から離れるからです。





追い求めるべきこと




次は追い求めるべきことです。

それは、正しさと敬虔と信仰です。


正しさと敬虔と信仰に満ちた生活こそ聖霊充満な生活です。


聖霊を受けて、聖霊の導きを受けて生きる人は、自然に御霊の実を結ぶために神様が喜ぶものを求めて生きるようになります。


御霊の実を結びたい人が肉に従って歩むことはありえないです。


毎日御霊の実が結ばれるように良い種を蒔き続けます。





戦うべきこと




次は戦うべきことです。

信仰の戦いを勇敢に戦うことです。


信仰を守るために戦いが必要です。


キリスト者の生活は ゆったりとしたソファーに座って何もせずに天国に入るのではないです。


いのちの道は狭く険しいです。

天国に入るまでには多くの戦いがあります。



一度は救われた者だったのに、戦わずに信仰の破船にあった者も多いです。

パウロは信仰の破船に会った人のことも教えてくれました。


【第1テモテ1章18-20節】

私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。

その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。


避けるべきことを避けず、追い求めるべきことを求めず、戦いもしなかったので 再びサタンの手に落ちた哀れな人の姿です。

こういう人が多いことを知らないといけないです。


『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、神のみこころを行う者が入ります。



信仰を守り通した者だけが神様が備えた永遠の住まいに入ります。


信仰をもった瞬間から信仰の戦いは始まることを覚えましょう。


2022.5.29
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【水曜礼拝】危機の時にどうすれば良いのか

テーマは 『 危機の時にどうすれば良いのか 』 です

【第2列王記6章14-19節 】

そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。

神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、『ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」と言った。

すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。

そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。『どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。

エリシャは彼らに言った。『こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。


今回は本当に困っている時、危機の時にどうすれば良いのか、それを学んでいきます。


エリシャは旧約聖書の中に出てくる預言者です。


エリシャはエリヤの後継者です。

霊的力を神様からもらいました。


彼自身がそのことをすごく願っていました。『エリヤのように働きたい。しかし、自分には力がない。どうぞ私にその力を与えてください』と。

その願いが叶えられて多くの奇跡も行いました。


そしてエリシャは霊の目が開かれた者でもあります。


敵はいつもイスラエルに侵略してきて、イスラエル人達を苦しめていました。

その度にエリシャが祈りをすると、神様が色々と戦いの方法を教えてくださいました。

イスラエルを守るために神様がそのようにしました。

それによっていつも勝利してきました。



相手から見たら、『自分たちの中にスパイがいるのではないか?」と、自分たちが計画を立てても、敵のイスラエルにすべて知られていました。

でもそこにイスラエルのスパイがいたわけではないです。


祈りの中で、いつも神様がエリシャに教えてくださっていました。

ですから敵は、「あの預言者さえ殺せば、これからの戦いは自分たちの勝利になる」と思っていました。


それで一人の預言者を殺すために王様が、馬と戦車と大軍を送りました。

国と国の戦いではなく、一人の人を殺すためにこんなことしました。


そしてその者たちが近づいてきて、エリシャがいる街を包囲しました。



エリシャは勇士でも何でもないです。

しかし彼の姿を見ると何の恐れもないですね。


これは本当に大切なことです。


神の人、すなわち神様を信じる人は、何が起きても揺れ動くことがないです。


毅然とした信仰と勇気と態度があります。



風が吹いてきました。

「怖い、怖い、殺されるかもしれない。倒れるかもしれない」と言って、すぐに口から不信仰、否定的な言葉が出てくる人は、神様が見た時に『信仰のない者だ』となります。


信仰のない者は、もうその時点で相手に負けているのです。

戦う前に崩れてあります。


しかし信仰ある人はビクともしないです。


なぜでしょうか?
それは、“神様が共におられる” ということを信じているからです。


『自分はひとりではないんだ』、『神様が共におられるから何で恐れる必要があるのか?』ということです。








イエス様はインマヌエルです。

「神が私達と共におられる」という名のイエス様が来てくださいました。


わざわざ「聖霊様、来てください」と祈る必要はないです。

もうすでに聖霊様は来ていて、自分たちの中に共におられるからです。


そのことを自分たちが認識するか、認識しないかによって全然違うのです。


信じている者たちの中には聖霊様が私たちの心に住んでくださっています。


ですから、ひとりではないです。

私たちは目には見えないですが、神様が共におられるのです。



エリシャはそのような信仰がありました。

エリシャと共にいる召使いは、いつも神の人のそばにいた者でしたが、信仰の差がこのように違います。


その召使いは信仰の目が開かれていませんでした。

ですから環境を見て、『ご主人様、どうしたらよいのでしょう?』と、人間的な言葉がすぐ出てきます。


このような言葉は 信仰のない人たちが語る言葉です。

すぐに環境を見て恐れます。



信仰ある人はどんなに厳しい環境になっても神が共におられることを知っています。


環境が厳しいからと逃げることがあるんですか?神様は逃げないです。

反対に神様は私たちが困った時には、助けるためにもっと近くに来てくださる方だと、私たちが信じないといけないです。


ですから、その神様が「わたしを呼びなさい」と言っています。








エリシャはどんな時も恐れたことがないです。


エリシャの先生であったエリヤよりも、エリシャの方が大胆な者でした。


エリヤはすごく大胆な預言者でもありますが、イザベルが命を狙った時には恐くなって、彼は逃げていました。

『神様、もう十分です。私を殺してください』と、神様の前で彼は弱くなってそのように弱音を吐いていました。


しかし、エリシャにはそのようなことがなかったです。



聖書の中には『恐れるな』という言葉がたくさん出てきます。


私たちがすぐに恐れてしまうから、小さなものを見ても自分が予期しなかったことが突然で起きたりすると、もちろん人間ですから不安になったり恐れがあったりします。


その時に私たちは信仰を働かせなければならないです。

『恐れる必要がないんだ』と。



悪魔は私たちを恐れさせます。

目の前にチラつかせながら、『これでも恐くないのか?お前の命はもう終わりだ』と言います。


その時、私たちはそれを見て怖がってはいけないです。

『お前なんか恐くも何とも思わない!』と。





御言葉を心に蓄える





なぜ神様の言葉を私たちが心に蓄える必要があるのでしょうか?

それは、すぐに御言葉で反応しなければならないからです。


イエス様がサタンと戦った時に、サタンが神の言葉を持ってきました。


そしてイエス様を誘惑しました。

世の言葉ではなく、全部神の言葉を持ってきて、そしてその言葉を少し変えて誘惑しました。


それに対してイエス様も全部神の言葉で返しました。

そしてイエス様が全て勝ちました。



私たちも御言葉を蓄えておいて、そしてその瞬間に御言葉をすぐに思い出さなければならないです。



【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


他にも恐れに関する言葉はありますが、この言葉だけでも私たちがすぐ思い出すならば、恐れが消えていくのです。

御言葉が “力” であるのです。


サタンと戦う時の霊の武具・剣が御言葉です。

攻撃武器である御言葉がないと勝てないです。


サタンは人間的な言葉を恐れないです。

私たちが『出ていけ!』と言ってもビクともしないです 。


サタンは私達よりも ある意味で強いです。

しかし私達が持っている武器が サタンが恐れるものであるならば、サタンはそれにビビって逃げるのです。



イエス様の名を遣って神の言葉を 相手に剣として刺していくならば、サタンは神の言葉の前では何もできないです。


それでも、私たちが疑いながらやるならば、サタンは全く恐れないです。

しかし信仰によって御言葉を正しく使うならば、サタンは逃げていきます。



苦しみの中で私たちは、自分はひとりぼっちだと思うのは、これはサタンの惑わしです。


一人ぼっちではないです。

神様がいつも共におられることを私たちは信じなければならないです。


そして共におられる神様は悪魔よりも はるかに力がある神様であるんだ、ということを信じなければならないです。



【第2列王記6章16節】

「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」


召使いから見ると、何も見えないです。

しかしエリシャの目には見えるのです。


霊の目が開かれた人、信仰の目が開かれた人は、それが見えてきます。

信仰のない人、信仰の薄い人には環境しか見えないです。



そして神様がはるかに力がある方であること、その力をも信じました。


今、目に見えている敵の大軍よりも、エリシャと共にいる目に見えない神様の力の方が圧倒的に強いです。


アラムがエリシャを殺すために軍隊を送った時に、神様はそれと同時に何をしたでしょうか?

『行ってエリシャを守りなさい』と、天の軍勢を全部送りました。



御使いたちは聖徒に仕える者です。

神に仕え、聖徒たちに仕えます。


ですからいつも神の命令に従って御使いたちは動きます。

私たちが困った時に、私たちが信仰をもって神様に頼ると、神様はすぐに御使いに命令を出します。


神の軍勢の方が力があるということを、いつも確信を持って信じることです。





信仰の弱い者のために祈る





エリシャは自分と共にいる召使いが信仰もなく、目の前に見える大軍を見て恐れている姿を見て、信仰の弱い者のために祈る姿がありました。


『何で信仰がないのか!?』と説教したわけでもなく、怒りもしませんでした。

神様に祈りました。


17節に『そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください」』という言葉があります。



このように信仰の弱い者たちのためには、信仰ある人たちが祈らなければならないです。

神様は、信仰の無いことを裁くのではなくて、信仰ある人が弱い人を助けなさいと、これは神様の御心であります。


ですからエリシャは祈りました。

神様はその祈りを聞いて下さいました。


そして若い者の目が開かれたので、彼が見るとなんと火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていました。

私たちの霊の目が開かれて、それが見えるならば どんなに素晴らしいことでしょうか?




私たちは宗教生活を長くしていても、霊の目が開かれていないと見えないものです。

聞いても悟らない、見ても分からない、そしていつも考えていることは人間的な思いです。


霊的な思いではなく、人間的な思いですべてのものを見て判断します。


同じものを見ていても、霊の目が開かれた人は違うものを見ます。



肉の目しかない人は、目の前に見えるものしか見えてこないです。

そういった人たちは祈らなければならないです。


「私の霊の目を開いてください。神様が見えるように、神の世界が見えるように開いてください」と祈ることです。


それを体験してる人たちがいるので、そういう世界があるのです。

嘘を言っているわけでないですね。


ですからエリシャはその若者のためにお祈りをしました。

すると、さっきまでは何も見えなかった霊の世界のものが現実の中にあり、火の馬と戦車がたくさん見えました。



恐れも一瞬にして消えていきました。

見えていない時は恐れがいっぱいありました。


しかし霊の目によって、自分たちを助けるために来ている御使いたちを見た瞬間に、自分が恐れたことが馬鹿馬鹿しくなったと思います。





サタンの策略





私たちは危機がある時に、ますます神様の力に頼らなければならないです。


人々は危機があると、危機の中に飛び込んでいきます。

自ら飛び込んで行ってそこから出ることができないです。


『もうだめだ。もう私は終わりだ。もう私は死ぬんだ』という否定的な思いしか持たなくなります。



悪魔はすごく巧みであります。

悪魔は言葉と思いを通して私たちを攻撃してきます。


私たちの感情をすごく悲しくさせたり、辛くさせたり、そういう言葉を掛けてきます。

悪い言葉、否定的な言葉、攻撃的な言葉で私たちを傷つけていきます。


その後に、悪魔は私たちの思いの中でも働き、自ら沈んでいくように、「もう私は終わりだ、もうだめだ」と、戦う力を失くしていきます。


私たちはその時にどうしますか?



私たちは問題が大きければ大きいほど、絶望が大きければ大きいほど、私たちは神様の力に頼らなければならないです。


神様は助け主で、全能なる力があります。

私たちを どんな環境の中でも助けることができる神様です。




ですから神様は『いつも呼び求めなさい。わたしを呼べ』と、それは力があるから、あなたが呼んだら すぐに御使いを送るから心配するなと、神様が語ってくださる言葉であるんですね。








ダビデはあらゆる戦いをしましたが、彼はその戦いの中でも絶望的にならなかった理由があります。

その時のダビデの状況が22章1節にあります。


【第2サムエル記22章1節】

主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った。


【第2サムエル記22章19節】

彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。


彼自身がいつも神を呼んで神様の助けを求めたので、神様は彼を支えて下さいました。

敵に渡さず、いつも助け出して下さいました。


災いの日、私たちを倒すために 私たちの信仰を奪うために災いがきます。


人々は良い時に信仰を失うよりも、災いの日に信仰を失う人が多いです。


絶望的になるのです。

『あぁ、神様が私を捨ててしまった。あぁ、神様は私を助けてくださらないんだ』と、勝手に思ってしまいます。


かといって、神様に必死に頼ってもいないのです。

神様に祈り求める前に、ただただ絶望して何もしないことが多いです。



でも神様はいつも私たちに語ります。

『災いの日には主に頼りなさい』


その時は断食してまでも神の前に来て神に求めてください。


そういうことをして助け出されない人はいません。

神様はいつも助け出してくださる方です。








恐れがあると私たちは祈りもできなくなります。

信仰がないと祈りはできないです。


「祈ってもどうにもならない」というのは不信仰ですね。


こういう時に祈らなければ、私は助かることがない と考えることです。


患難の時、災いの時は人に頼るのではない、絶望するのではない、恐れるのではない、祈ることだ、神様に頼ることなんだ、そのように自分の心を奮い立たせなければならないですね。



私たちが恐れたり失望する必要がない理由、それは何でしょうか?

「毎日が死の連続です」と語ったパウロは どういう思いを持っていたのかを人々に教えています。


こういう言葉を私たちは心に蓄える必要がありますね。


【第2コリント4章7-9節】

私たちは、この宝(イエス様)を、土の器(自分たち)の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。


この世にあっては患難があります。

この世は荒野です。


しかし私たちは荒野を通る時も患難を通る時も、「圧倒的な勝利者になるんだ」、これが神様が私たちに語る言葉なんです。


なぜなら私たちの中におられる主は、力ある神様であるからです。

私たちを敵の手には渡さないです。



イエス様に対する預言もそうですね。

かかとを噛むサタン、イエス様はそのサタンの頭を砕きました。


どちらが勝ちましたか?イエス様が勝ちました。

イエス様が勝利者です。


その勝利者が私たちの中に共におられます。



色んな環境を通して苦しみが来ます。

災いも来るんです。


しかし、それによって私たちは倒れることはないんだ、すなわち負けることがないと宣言してあります。

ですから恐れる必要がないのです。


私たちは必ず勝利するんだと思ったら恐れないですね。



恐れる人は勝利できないです。

恐れに飲まれてしまうのです。


しかし恐れのない人は、環境、問題、災いは、私が主に頼るならば力ある神様が来て、私をそこから救い出し、そして敵に対しても神様が必ず敵を滅ぼすんだと思えば、私たちは答えを持っているのです。


「最後に勝利するのは私である。患難でもなくて 悪魔でもない。私が勝利するんだ」と思えば、その間に様々なことがあっても恐れる必要がないです。



最後が問題です。

最後に必ず勝つんだと思ったら忍耐もできるし、その中で私達は平安の心を保つこともできます。








そして患難の中でも、私たちはますます目が開かれるように祈ることです。


目が開かれると、私たちは肉の目で見えるものを見なくなります。

霊の世界を見るようになります。


この同じ時間に、見えないところで神様がこのように(天の軍勢を送ること)働いてくださるんだと思うならば、私たちは神様を見るようになるんですね。

人や環境を見なくなります。



私たちはエリシャがどんなに厳しい環境の中でも心配したり恐れたりする姿を一度も見たことがないです。

否定的な言葉、不信仰の言葉を語ったことがないです。


いつも「できるんだ。信じる者にはどんなことでもできるんだ」という思いです。

信仰の人は皆そうでした。


ですから信仰によって生きるということは、どれほど素晴らしいことか分からないです。



自分を助ける人が一人もいなくても、全世界の主権者である神様が自分の味方になるならば何を恐れる必要がありますか?

肉体の命はどうでも良いことなのです。


私たちはこの地上で、この肉体の中で永遠に生きることはないです。

(肉体を)脱ぎ捨てる時が来ます。


そしてその後に私たちは命の衣を着るのです。


永遠の世界がいつもそこにあるんだと、それを考えるならば、別に この地上に執着する必要もないですし、ここで起きているあらゆることで そこまで恐れたり心配する必要がないです。



全てのものは過ぎ去っていくんだと思えば良いです。

全てが一時的なものであるからです。


そして、「私はどんなことの中でも 私は勝利者として残るんだ。最後に勝利するのは私である」と、このようにいつも自分の中にそういう言葉を持って生きることです。


そうするならば私たちは信仰によって何でもできる者になります。

強い者になります。



神様は私たちの口から 恐れの言葉、不安な言葉、心配の言葉、否定的な言葉が出てくると、すぐに主が語ることは、『信仰のない者だ、信仰の薄い者だ』
そのような言葉を語るのです。


『環境が悪い』そのような言葉を語るのではないです。



信仰があれば乗り越えるのに、信仰があれば勝利するのに、信仰があればあなたの問題は解決されるのに、信仰を求めなさい。霊の目が開かれることを求めなさい。御霊に満たされることを求めなさい。


そうしたら心が強くなると神様が語ってくださいますので、『私たちは信仰によって生きる』のです。


義人は御言葉によって生きます。

神の口から出てくる言葉によって生きるのです。


そのことを私たちは知らないといけないです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.2.16
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聖霊によるザカリヤの預言

テーマは 『 聖霊によるザカリヤの預言 』 です

【ルカの福音書1章67-79節】

さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。

「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、

救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。

この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、

われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」


長い時を経て、神の救いの計画が現実のものになったことを 神は様々な形で伝え始めました。

知らせないと誰も気付かないからです。


人間は現実のことには関心があっても 霊的なこと、特に神の計画などには関心がないので、神はそれを知らせる必要がありました。

神はマリヤやヨセフに神の子が生まれることを、ガブリエル天使を遣わして知らせました。


バプテスマのヨハネの母エリザベスにも知らせ、ヨハネの父である祭司ザカリヤには聖霊がメシアである主イエス・キリストと主の道を備えるヨハネに対しても具体的に預言しました。

その後にシメオンという人が聖霊に満たされて預言しました。


これらのことを見ても イエス・キリストが、神に遣わされた神の子メシアであることがはっきりしました。



誰かに対してこれほどまで長い間 誕生が預言された人物がいたでしょうか?

イエス・キリスト以外にはいないです。


ザカリヤは聖霊によって預言したので、内容は神からのものです。

新約最初の預言でした。


神はご自身が立てた契約を覚えておられ、それを真実に成し遂げる方です。

ですからメシアの到来があることを預言しました。



また 過去イスラエルを敵から救い出して下さった神のことを知るユダヤ人は、メシアが来ることを長い間待ち望んでいました。


しかし 神はユダヤ人だけのためにメシアを遣わされるのではなく、サタンと罪の力から人類を解放するという救いの計画を持っていました。


そして時至ってメシアが世に来られました。


また神はアブラハムに誓ったことを覚えていて、それを実行しました。


【創世記22章15-18節】

それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、

仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


メシアによって人々が受ける祝福も語って下さいました。


その祝福とは、『私たちを憎むすべての者の手からの救い、私たちの敵の手からの救い、罪の赦しによる救い、そして主の前で敬虔に、正しく生きる祝福、主の憐れみを受ける祝福』 などです。


暗闇と死の陰にいる者たちは光であるキリストによって光の道、平和の道を歩むことが出来ます。

キリストを受け入れ、キリストの中にとどまり、キリストと共に歩む人がこの祝福を受けます。


頭だけでの信仰、口先だけでの信仰では受けることが出来ないです。



長い間、主の救いを待ち望んでいたシメオンも 聖霊によって幼子イエスを見た時に預言しました。


【ルカの福音書2章29-32節】

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

私の目があなたの御救いを見たからです。

御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」


人を愛し、人のために御子キリストを遣わして下さった神の深い愛を拒む人は どんな理由があるでしょうか。


神の愛を受け入れる人になりましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.12.19
クリスマス礼拝メッセージ

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終わりの時代に働く二つの悪の勢力

テーマは 『 終わりの時代に働く二つの悪の勢力 』 です

【ヨハネの黙示録13章1-18節】

また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。

私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。

その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、

そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう」と言った。

この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

耳のある者は聞きなさい。

とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。

また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。

また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行った。

また、あの獣の前で行うことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。


ヨハネの黙示録13章では、海と地から上がって来る二頭の獣の幻があります。

二頭の獣は、世の終わりに神に敵対する 最大の反逆の勢力で、サタンの手下です。


その者たちは、終わりの時代に登場して世界を支配し、教会に大迫害を加える反キリストの勢力です。


サタンはその者たちに自分の力を与えて政治、経済、軍事、宗教、メディアなどすべてを支配し、人々の上で恐ろしい力をもって君臨するようになります。



今も世界をよく見てみると、“ディープステート” の存在があります。

“闇の政府” と言われ、世界を陰から支配する勢力です。


国際金融資本を支配する者たちが政治システムの中に入り、彼らと結託して、自分たちの目的のために戦争も起こし、悪の勢力を陰で支援したりします。


中国のような共産主義の国は 世界の覇権国家になろうとするし、イスラム過激派は世界をイスラム化しようとあらゆる活動をしています。


その者たちは神を恐れない勢力で、むしろ神に敵対することを平気にやっています。

世界平和のために働くのではなく、自分たちの思い通りの世界を造ろうとするだけです。



その勢力全体を 反キリストと言えます。

神は反キリストの勢力を 『不法の者』 と言いました。


【第2テサロニケ2章3-4節】

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。

彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。


【第2テサロニケ2章8節-10節】

その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。


この不法の人が、“海から上がって来た獣” です。

神のような力をもって全世界を支配し、神に汚しごとを言い、自分のことを神とし、礼拝させます。


それに一番協力する者が、“地から上がって来た獣” で、にせ預言者、堕落した宗教勢力があります。


竜サタンが語るように語り、人々を惑わします。

奇跡やしるしを行って地に住む人たちを惑わします。


最初の獣の像を作らせ、崇拝させます。

そして政治や経済を支配している者たちと一緒に自分たちの言うことに従わない聖徒たちに対して激しい迫害を加えます。

一時的には彼らが勝利します。



この時、聖徒たちには信仰と忍耐が必要です。


多くの信じる者が耐えられず、彼らの言うことに従うと言われています。



また 終わりの時代には、すべての者に獣の刻印を受けることが義務になります。

受けない人は生活が出来なくなります。


もし獣の刻印を受けるならば、その時点でサタンの支配下に入ることになります。


聖徒たちは、神のような力をもって世界を支配し、あらゆる奇跡やしるしを行う二頭の獣が神ではなく、不法の者・反キリスト勢力であることを知って、それらに惑わされないように目を覚ましていないといけないです。


神を選ぶか、サタンを選ぶか、二つで一つです。

中間はないです。



恐ろしい患難が 信じる者たちにあることが預言されてあります。

しかし主は忍耐し、自分の信仰を守るように命じました。


肉体は殺してもたましいを殺せない人間を恐れてはいけないです。


そのためにはいつも聖霊に満たされ、神のことばの上に堅く立って、主と共に歩まないといけないです。

用心していないと誰も耐えることが出来ないです。



サタンの力は必ず再臨するキリストによって打ち破られます。


【ヨハネの黙示録17章14節】

この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」


ですからキリストの勝利が約束されてありますので、恐れず、どんな時にも信仰を守り通しましょう。


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2021.8.29
聖日礼拝メッセージ

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今は戦いの時である

テーマは 『 今は戦いの時である 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


時を見分けることが知恵です。

知恵を得たならば行動すべきです。


今は平和の時ですか?休むべき時ですか?


今は戦いの時であると主から教えてもらいました。



世界を見まわしてみて下さい。

次から次へとよくないことがたくさん起こってあります。


それはなぜですか?

悪魔がほえたける獅子のように食い尽くすべきものを捜し求めているからです。


目に見える世界がすべてではなく、目に見えない所で動く存在を知らないと、戦いをすることは出来ないです。



戦いの前に、誰と戦うべきかを知らないといけないです。

悪魔の策略は誰を通して行われるのかを知ることです。


大きく二つの勢力があります。

まずは政治の世界です。


【エペソ6章11-14節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。


悪魔は政治の世界、力ある者の中で強く働きます。


あらゆる政策を立てる立場にいる人たちの中に働いて、自分たちに有利な政策を立て、あらゆる特権は自分たちのものにし、人々をその政策で縛り、自分たちの思いのままに国民を支配します。

反対する者には厳しい刑罰を与えます。


その特権に対する誘惑が大きいから、多くの政治家や力ある者がそれに飛びつきます。


世界の支配者たちを見て感じることが沢山あると思います。

戦争を起こし教会や信徒を迫害する者も政治家たちです。


【第1コリント2章8節】

この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。


ですから私たちは神を恐れる者が支配者になるように、また悪い支配者たちがその座から降りるように、その背後で働く悪霊を追い出す戦いをしないといけないです。






次には宗教勢力です。


人々の魂をむしばむ働きをします。

悪魔をまるで神であるかのように思わせて信じさせます。


【第2コリント4章1-4節】

こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、

恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。

その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。


また悪魔は聖徒の信仰生活を邪魔する最大の敵です。


教会や家庭、神の共同体を打ち壊す主犯です。

目を覚まして警戒しないと誰でも惑わされてしまいます。


惑わしの霊は人を騙す悪霊につけた名前です。

ですから惑わしの霊は騙す霊です。



悪魔の能力は人々の想像をはるかに超えています。

人々の頭の上に座って、自分の考えを入れてその中で相手を操ります。


多くのクリスチャンや指導者たちも騙されているのに、なかなか気づいていないです。

あらゆるもので騙すので、騙されている本人も分からないことが多いです。



ですから神のことばを正しく知り、いつも警戒することです。


惑わしの霊との戦いをしないと騙されてしまいます。


どんな形で惑わしが現れ、どれほど多く現れるのかを主が語って下さいました。



【コロサイ2章8-9節】

あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


【第2テモテ4章1-2節】

神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。


【第1ヨハネ4章1-3節】

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。


【第2テサロニケ2章9-12節】

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。


【第2コリント11章12-15節】

しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。


惑わしの霊が騙すことに成功したならば、惑わしの霊の勝ちであり、騙すことに失敗したならばそれは負けたことになります。

追うか追われるかの戦い、騙すか、それを明らかにするかの戦いです。


聖徒が惑わされないためには、聖い品性を目指していかなければならないです。


そのためには悔い改めの実、聖霊の実を結ぶことに専念することです。



サタンに惑わされた人たちには聖さがないです。

サタンが汚れているからです。


高慢があり、自分のことばに従うことを命令するし、従わない者に対しては非難します。



たくさん祈るから、聖書の知識が豊富だから、賜物が多いから、有名な人だからなどで判断してはいけないです。


聖霊による正しい分別力で分別することです。

すでに聞いた主のことばに照らして判断することです。


時には周りの人からの助言にも耳を傾けることです。


今は眠っている時ではないです。

戦いが激しくなっているので、戦いをしないといけないです。


アーメン ヽ(#`Д´)ノ


2021.8.22
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二種類の人間

テーマは 『 二種類の人間 』 です

【ガラテヤ3章10-14節】

というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。

しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。


私たちの目にはあらゆる種類の人間が見えますが、神の目には二種類の人間しか見えません。

それは、神の呪いの下にいる人間と、呪いから解放された人間です。


すなわち律法の下にいる人間は 呪いの下にいることになります。

また良い行いによって救われると思っている人もこれに含まれています。



どの人間も律法全体を守ることは出来ないし、罪一つない人間も世には存在しないです。


どんなに聖く正しく生きようとしても、罪と縁がない人はいないです。

聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」と宣言しています。


肉に属する者は、肉の悪い行いによって生きるようになっています。

そして肉に属する者は 神の国を相続することが出来ないです。



また呪いから解放された人がいます。


この人たちも呪いの下にいましたが、自分の身に呪いを受けて死んで下さったキリストを信じたことによって神の恵みを受け、呪いから解放されました。


呪いから解放されたことが「救い」です。


救いは神の恵みであり、受ける価値のない人が、努力なしに、信仰だけで得るものです。





信仰




なぜ信仰だけで得られるでしょうか?


キリストが私たちために呪いを受けたので、律法の呪いから私たちを贖うことが出来ました。


【ガラテヤ3章13節】

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。


ですから信じる人は キリストによって呪いから解放されます。

解放された人は聖霊を受け、聖霊から永遠のいのちを受けます。


【ガラテヤ6章8節】

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。


信仰だけで救われることがないと言いながら、他のことも強調する人たちはキリストの恵みを受けることもなく、呪いの下にとどまることになります。



他のものによって人間をのろいから解放することは不可能なので 神は御子を世に遣わし、十字架にかかるようにしました。


そして、それを信じる者だけが救われるようにしました。

ですから神の目には、キリストによって呪いが取り除かれた人と 呪いがそのまま残っている人しか見えないです。


自分はどこにいますか?


アーメン Σ(・ω・ノ)ノ


2021.7.4
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