からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


聖書

恵みと信仰、そして救い

テーマは 『 恵みと信仰、そして救い 』 です

【エペソ2章8-10節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


『恵み』ということばは 聖書に頻繁に出てくるので、クリスチャンならば『恵み』と言うことばの意味を知っています。


しかし世間の人たちは『恵み』ということばが正しく理解出来ないです。

運が良かったから受けた何かの恩恵だと思っています。


神によって救われた人だけが、神の恵みの意味を正しく理解することが出来ます。



『恵み』とは、神から何かを受け取る資格がまったくない者が、神様から素晴らしいプレゼントをタダで受け取ることを意味します。


ですから実際受け取った人だけが、恵みが何かを知っています。

受けてない人たちは恵みがいまいち分からないです。


聖書は、まず『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。』と宣言しました。


神様が先に恵みを備え、それを信じた人たちが救われます。

恵みと信仰によって救われた人がクリスチャンです。




神様はすべての人が神の恵みを受けてほしいので、恵みを届ける手段として使っているのが福音です。

伝道は福音を届ける働きです。


神からの恵みを人々に届けるために いのちを懸けて働いた使徒パウロはこのように言いました。



【ローマ1章15-17節】

ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


福音の中身は、すべて神の恵みです。


自分の罪過と罪との中に死んでいた者を救うために、神がイエス・キリストをこの世に遣わし、イエス・キリストの十字架の死によって救いの御業を完成し、イエス・キリストを救い主として信じる者には救いを与えるという恵みです。







神はなぜ救いを「行い」ではなく、恵みとして与えるでしょうか?


それはだれも誇ることのないためです。

誰かと比較しながら、「自分は義人だから、自分は聖いから救われた」と誇らせないためです。


自分を誇らず、イエス・キリストを誇らせるために、救いは神の恵みとして受けるようにしました。


救いに関して比較意識や劣等感がないように解放と自由を与えました。




だれでも神様が用意した恵みを受けるために、イエス・キリストを自分の救い主として信じるならば、神は恵みを与えて下さいます。


そして神様が恵みを与える目的は、良い行いに歩むようにするためです。

人間は神の作品です。


最初から神様は良い行いをする者として人間を創造しましたが、人間はその目的とは違う道を選びました。



すなわち神のことばに逆らって罪を犯し堕落しました。

罪と罪過の中で死んでしまいました。


神が信じる者に与える恵みは再創造です。

新しい被造物に造って、良い行いをさせるためです。



【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


キリストを信じて救われた者は新しく造られた者です。

再創造によって新しい被造物になり、新しい命を得ました。



【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


新しく造られた者として良い行いに歩む者が恵みを受けて生きる人です。


「救われた」と言いながらも、イエス・キリストを誇ることもなく、古い人のまま生きる人は 「神の恵みが何かを知らない人」です。

もう一度、神の恵みが何かを正しく知る必要があります。


アーメン (´;ω;`)


2022.10.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

信じて従順すると奇跡が起こる

テーマは 『 信じて従順すると奇跡が起こる 』 です

【ヨハネの福音書4章46-54節】

イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。

そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」

その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」

イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。

彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。

そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。

それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。


聖書の中には奇跡がたくさんあります。

自然界に起こった奇跡もあれば、個人に起こった奇跡もたくさんあります。


奇跡を通して、神の存在をさらに信じることが出来ます。


奇跡がどのように起こったのかを調べると、神様のことばに従順した時に奇跡が起こりました。

どの時代も、神様は従順する人を通して、ご自分の力を現し、神の約束を成就していきます。



アダムの子孫である人間は生まれながら不従順の子らです。


アダムとエバの堕落の原因は、殺人でも姦淫でも盗みや麻薬の罪でもないです。

彼らの堕落は 神のことばへの不従順が原因です。


アダムとエバがエデンの園で、いつも神のことばに従順していたならば、美しくて完璧な園から追い出されることはなかったです。

悪魔が彼らに近づいて不従順の罪の種を蒔こうとして成功しました。


その種が蒔かれた後に、二人は神のことばに不従順しました。

その不従順の種は、それ以降すべての人間の中にも存在します。



不従順の人が従順の人に変わるためには、不従順の種を捨てて、神からの従順の種を蒔かないといけないです。


神様を信じることは、神のことばに従順することを意味します。

創世記5章に出てくるエノクの姿です。


【創世記5章24節】

エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。


神と共に歩んだことは、神のことばに従順する人生を歩んだことを意味します。

彼に起こった奇跡は 肉体の死を経験することなく、生きたまま天に移されたことです。


ノアの時代も、みんなは神のことばに従わず、自分の思いのままに生きて堕落しましたが、ノアは神のことばに従順しました。

ですから大洪水でみんなが滅ぼされた時に、ノアは救い出されました。








従順するためには 『私の思いでは―』 が変わらないといけないです。

“私の思い” を捨てて、神のことばを受け入れ、従う時に奇跡が起こります。


本文に出て来る役人も自分の思いがありました。


『どうか、私の子どもが死なないうちに下って来てください。』
しかし主は彼の思い通りに下って行ったのではなく、『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。』と言われました。


彼はそのことばを信じて帰りました。

すると主のことばがあった同じ時間に、自分の息子の病気は直りました。



奇跡は主がなさることです。

主は信仰ある人に奇跡を起こします。


信仰は神のことばに従うことです。

神を信頼する信仰ある人が、神のことばに従順します。



次のことばをそのまま読んでみて下さい。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


次は「信仰」の所に「従順」を入れて読んでみて下さい。


信仰は従順、不信仰は不従順です。

従順する信仰は、神の権威に従順します。


信じて従順するならば奇跡が起こります。

信じて従順すると祝福があります。


「しるしと不思議を見てから信じる信仰」から、「神のことばを聞いて信じ従う信仰」に変えないといけないです。


神の約束のことばを聞いて、それに自分のすべてを懸けるので奇跡が起こります。


アーメン (*´∇`*)


2022.8.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

救いの真理

テーマは 『 救いの真理 』 です

【エペソ2章1-9節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。


『あなたは救われましたか?』 と聞かれたら、どのように答えますか?

自分をクリスチャンだと思っている人は、すぐに『救われました』と言わないといけないです。


『救いとは何ですか?』と聞かれたらどう答えますか?

救われたならば きちんと説明をしないといけないです。



救いとは、イエス・キリストを信じ、受け入れる時に神の賜物として受けるものです。


救いは、人にとっていのちと同じです。

救われることによって得るもの、変わるものがあります。


  • 罪過の中で死んでいた者がイエス・キリストによって永遠のいのちを得ます
  • 罪の赦しを受けます。そして義と認められます
  • 聖霊を受け、聖霊の証印が押されます
  • 生まれ変わり、神の子どもになります
  • 天国の民になります


このように救いの中には霊的祝福がたくさんあります。


このような素晴らしい救いを受けたい人は、聖書の真理を信じないといけないです。

次のことを信じていますか?



『神は創造主であり、今も存在している方、イエス・キリストは神の御子で、罪のない方であること。

十字架の上ですべての罪人のために代わりに死んだこと、そして三日後によみがえり、再び来られる方であること。


聖書は神のことばであること、キリストだけが唯一の救い主であること、また良い行いや人間の努力だけでは天国には入れない』 ことを信じないと、救われたとは言えないです。





なぜ救いは必要か




1.すべての人間が “罪人” であるからです


【ローマ3章10節】

「義人はいない。ひとりもいない。


【ローマ3章23節】

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、


自分に対してどのように思っていますか?


『罪人だ。罪を犯したことがない。良い人間だと思う。良心的に生きている。』






2.死んだ後にさばきがあるからです


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、


これは神が人間に対して定めたことです。


しかしあなたは死後に対して どのように思っていますか?


  • 神のさばきがある
  • すべてがすでに終わった
  • 死んでみないと分からない
  • 考えたことない





3.罪に対する厳しい報いがあるからです


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


ここで言う「死」とは、“第二の死” と言われるものです。


【ヨハネの黙示録21章8節】

しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」


地獄で永遠に燃える火の池の中で苦しみ続けるのが 「第二の死」 ですから、神様は誰ひとり第二の死を受けて苦しんで欲しくないので、『みんなが救われて欲しい』 と願っています。



愛の神様は、罪人たちにその愛を実際に見せました。

その愛を知ることが出来るならば、救いを受けるために主を信じるでしょう。


【ローマ5章6-9節】

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。





4.どのような人が永遠のいのちを受けますか?


【第1ヨハネ5章11-12節】

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。


救いを受けるのは、死んだ後では間に合わないです。

救いは生きている時だけに限られてあります。


もしこの内容を読んで、救いを受けたいならば、イエス・キリストを自分の救い主として信じて、口で告白して下さい。


【ローマ10章9-10節】

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.7.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

悔い改めと謙遜

テーマは 『 悔い改めと謙遜 』 です

【ルカの福音書15章1-10節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」


この世に罪人が存在しなかったならば、イエス様が人となってこの世に来られ、人の罪のために十字架にかかる必要はなかったと思います。


『義人はいない。ひとりもいない。』 これが全人類の姿です。


すべての人が罪の下にあるので、神のひとり子イエス様が罪人を救うために来て下さいました。

それが一番の目的でした。



しかし律法を誰よりも知っている者たちと、律法を守ろうと一番努力している者たちが、罪人と一緒にいるイエス様を見て非難しました。


彼らは自分たちの信仰と行動だけが正しいと思っていた人たちで、自ら満足していました。


自分たち以外の者たちは「罪人」で、自分たちは「義人」と思っていました。

ですから人に対しても愛がなく高慢でした。


イエス様も弟子たちも福音を伝えた時、まず語ったことばが『悔い改めなさい』でした。




そのことばに誰が一番反応したでしょうか?

自分を罪人だと思っている人たちでした。


パリサイ人や律法学者は、その話を聞いても 自分たちは悔い改める必要がないと思っていました。

罪のない義人と思っていたからです。


水のバプテスマを授けていたヨハネの所に大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けるために来ました。

しかし歓迎されず、反対に非難されました。


なぜでしょうか。

その理由も彼らが悔い改めなかったからです。



【マタイの福音書3章5-8節】

さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


主は高慢で自分を義人だと思っている人と交わることを喜びません。


主が喜んで交わりをする人は、自分を罪人と思い、罪の赦しを求め、悔い改めて主の所に来る人です。



失われた羊のたとえで、悔い改める必要がないと思っている人たちはパリサイ人でしたが、実際は誰よりも悔い改める必要があるのは彼らでした。

高慢であるから自分たちは正しく、間違いもなく、聖書もよく読み、祈りもよくするので、自分に対して満足していました。


主はそういう者よりも、悔い改める一人の罪人を喜びます。


悔い改める必要のない者は、この世に一人もいません。



悔い改める必要がなかった方はイエス様一人だけでした。

罪がなかったからです。


『私は罪人です。私は汚れた者で、取るに足りない者です。』と神の前に罪を認め、悔い改める者に、主は赦しと恵みを注ぎます。


すべての人間は罪人ですが、イエス様の前に立つ時には二種類の罪人が立ちます。

悔い改める罪人と悔い改めを拒否する罪人が立ちます。


悔い改めを拒否する人は、自分には悔い改めるものがないと思っている人、すなわち高慢な者です。








一度悔い改めたから、悔い改める必要がないですか?

そうではないです。


基本的な罪の赦しは受けましたが、毎日犯す罪は悔い改めないといけないです。


悔い改めたから安心だと油断してはならないです。

その間に罪は成長していきます。


『私の罪がイエス様によって赦されたけど、日々の罪は悔い改めよう』と思う心が謙遜な心です。



【第1ペテロ5章5-11節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


謙遜な人は神の恵みなしには生きていけないから神に頼って生きています。


自分の罪、弱さ、足りなさを知って、しもべになって神の御手の下にへりくだります。


高慢な人は獅子の口にはおいしいものなので、悪魔が飲み込もうとします。

高慢は悪魔の好物です。



目を覚まして油断せずにいることは、いつも罪を警戒し、罪を見つけたならば、悔い改めて神の赦しを求めることであり、いつも謙遜の衣を身に着けていることです。


お互いを判断するのではなく、いつも自分自身を点検することです。


幸いな人の姿です。

ヘリくだる者に神の恵みがあります。



【ローマ4章8節】

主が罪を認めない人は幸いである。」


悔い改めと謙遜は信仰生活にとても重要です。


アーメン (・∀・)


2022.7.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神のことばの力と機能

テーマは 『 神のことばの力と機能 』 です

【第2テモテ3章15-17節】

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


聖書のことばをいつでも読める環境の中にいることは とても恵みだと思います。

読みたくてもある国では手に入れることすら出来ないし、持っているだけで逮捕される国もあります。


ですから読める環境の中にいるならば、それを恵みと思って感謝しながら読むことです。



特にクリスチャンであるならば 神のことばの力を知って、日々みことばに触れないといけないです。


神の霊感によって書かれた聖書は 真理であり、みことばには私たちの理解をはるかに超えた知恵と力と機能があるので、私たちに多くの益をもたらします。



どのような力と機能があるのかを学びます。

この世には偽りの教えや人間から出た教えは たくさんありますが、神の教えが書かれているのが聖書です。





神のことばは文字ではなく、生きて働くいのちのことばなので 実際に力を発揮します




言葉一つで世界を創造したほどの力あることばです。


【創世記1章3節】

神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。

神の口から出たことばは、次のように機能します。



【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。


私も不信仰や疑い、雑念が入って来た時に、このことばを告白して悪い思いをいつも追い出し、神のことばに信頼して危機を乗り越えました。




信仰は神のことばを聞いて信じた時から始まり、信仰の成長も神のことばを日々の霊の糧にする時から成長します




奇跡やしるしを見て、信仰が始まると思う人も多いですが、それは違います。


【ローマ10章17節】

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。


教え、戒め、矯正、義の訓練など すべては神のことばによって行われます。




神のことばを愛する者に豊かな平安があり、守りと助けがあります




【詩篇119編165節】

あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。



神のことばは、朽ちない唯一のいのちある種です




いのちのことばをしっかり蓄えた人は、霊的飢饉に遭うことがないです。


【第1ペテロ1章23-25節】

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。

しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。


力と多くの機能がある神のことばを 自分のものにするための方法を学ぶならば、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者になります。




五つの方法




自分のものにするための五つの方法です。


■ 聞くこと ■

心と耳を開いて、神のことばとして聞く姿勢が重要です。


聞くことで失敗する人も多いです。

頑なな心も問題です。


【第1テサロニケ2章13節】

こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。


■ 読むこと ■

朗読することで、さらに集中することが出来ますし、心に入りやすくなります。


【ヨハネの黙示録1章3節】

この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。


■ 学び研究すること ■

もっと理解するためには研究する必要があります。

熱心に研究した教会が聖書に出て来ます。


【使徒の働き17章11節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。


■ 暗記をすること ■

まずは自分が好きな聖句から暗記すれば良いと思います。

聖書の多くの部分を丸暗記している人もいます。


【申命記6章6-9節】

私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。

これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。

これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。


■ 黙想すること ■

黙想とは神のことばをよく思い巡らしてそれを理解し、神のみこころに従って自分の生活を計画し、実践することです。


【ヨシュア記1章8節】

この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。


神のいのちのことばに親しみながら生きる人は 惑わされることもなく、しっかりみことばの上に立つので、つまずくこともありません。


神のことばを愛する人に、神の恵みと知恵と力が豊かに注がれ、栄えます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.7.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の子キリスト

テーマは 『 神の子キリスト 』 です

【イザヤ書9章6節】

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。


ひとりのみどりご とは、神が神の民に遣わすと約束した神の子としてのメシヤであるイエス様です。


イエス様が神の子として、人間の体をもってこの世に生まれることは、何人かの預言者も預言し、イザヤも預言しました。

またイエス様がこの世に生まれた後も、神様が直接 “神の子” であると宣言しました。



ヨハネから水のバプテスマを受けて 水の中からあがると、すぐに御霊が下って来て、『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』という声が聞こえました。


三人の弟子と高い山に登った時も、輝く姿に変わった時に雲の中から声がしました。

『これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。』


悪霊までもイエス様を見て、『いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないで下さい。』とイエス様が神の子であることを告白しました。



神の子、メシヤとして来られた方に、神はいくつかの名を付けて下さいました。

『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君、インマヌエル』という名が与えられました。


神の子キリストは、『王としての主権者、不思議な方法で救いを完成する方、完全な知恵がある統治者、全能なる力がある方、宇宙を創造した永遠の存在、人間と神との間を和解する方、共におられる方』です。


この方こそがメシヤです。


神はイエス・キリストに、天と地のすべての権威を与え、万物をすべて与えました。



ですからイエス・キリストを神の子として、メシヤとして信じることはすごく重要なことです。

なぜならば神の子を信じる者と信じない者が受けるものは全然違うからです。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。


御子を信じる者には永遠のいのちですが、信じない者には神の怒りが下ります。

何もなく済むことがないです。


また御子によって私たちは罪の赦しを受けます。


【コロサイ1章14節】

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。


イエス様を神の御子として信じる者は罪の赦しを受けますが、信じない者は罪が赦されることがなく、罪人のままです。


またイエス様は神の子として悪魔のしわざを打ち壊すために来ました。


【第1ヨハネ3章8節】

罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。


ですから神の子を信じる者に、神は悪霊を追い出す権威を与えて下さいました。

イエス様は悪魔に完全な勝利を収めた方です。


そして神の子・キリストを信じる者に与えられた特権があります。

それは信じる者が神の子になれるという特権です。


【ガラテヤ3章26節】

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。


天の永遠の住まいに入れる人は、信仰によって神の子になった人たちだけです。


そして神の子になった者たちは、神に対してイエス様のように 親しく『アバ、父よ。』と呼ぶことが出来ます。

神の子になっていない人は、このように呼ぶことは絶対ないです。



イエス様は預言通りに地上に生まれ、メシヤとしての活動をし、救いを完了し、またその名にふさわしい働きをしました。


言われた通りの働きをしましたが、自分勝手な先入観や 誤った解釈で真理を悟っていない人は、メシヤとして認めず受け入れを拒否し、迫害しました。

真理を悟らないと、霊の目が見えないとメシヤが目の前で明らかにされても受け入れることが出来ないです。



受け入れないと不信仰の罪を犯し、救われることなく、神の裁きを受けると聖書には書いてあります。


神の子イエス・キリストにつまずかない人こそが幸いな人です。


アーメン (・∀・)


2021.12.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

約束に真実な神様

テーマは 『 約束に真実な神様 』 です

【第2コリント1章18-20節】

しかし、神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「しかり」と言って、同時に「否」と言うようなものではありません。

私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」と同時に「否」であるような方ではありません。この方には「しかり」だけがあるのです。

神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。


人間は約束に対して忘れたり、平気に破ったりしますが、神はどうでしょうか?

神は自分の名に懸けて真実に守る方です。


ですから聖書に約束ということばが出た時には、通り過ぎるのではなく、それがどんな約束なのかを詳しく知って、その約束を信じて求めることです。

神の真実さはその約束を守ることで証明されてあります。


約束は私たちに対する神からの祝福ですから、どんな約束があるのかを知って 真実な神に期待したいと思います。



祈る時には自分のことばだけを並べるのではなく、神の約束の上に立って祈ることです。


真実な主を もう一度確認して約束を見たいと思います。


【第2テモテ2章13節】

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」



すべての約束において真実な神様




神の約束は言われた通りになるので、私たちはそれに対して『アーメン』と言い、神に栄光を帰すのです。




信じる者に永遠のいのちを与える




【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


【ヘブル10章22-23節】

そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。


聖徒たちが苦難の中でも希望と信仰をもって生きることが出来るのは、永遠のいのちを与えて下さった真実な神の約束があるからです。




悪い者から守って下さる




【第2テサロニケ3章2-3節】

また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。

しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。



魂を守って下さる




【第1ペテロ4章19節】

ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。


キリストも十字架の上で最後にこのように自分の霊を神にゆだねました。


『父よ。わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。』




悔い改める者をきよめる




【第1ヨハネ1章9節】

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


約束を真実に守る神を信頼する時に、私たちはどんなことがあっても動揺することなく信仰と希望をもって生きることが出来ます。

アーメン (*^・ェ・)ノ


2021.9.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

名が天に記されている喜び

テーマは 『 名が天に記されている喜び 』 です

【ルカの福音書10章17-20節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」


イエス様は70人の弟子たちに力を授け、彼らに福音を伝える任務を与えて遣わしました。

そして弟子たちはその力によって素晴らしい働きをし、帰ってきて喜びながら主に報告しました。


悪霊どもさえ服従することを見て、彼らは相当喜んだと思います。

私たちが出て行ってその働きをしても、同じように興奮して誰かにそれを伝えたと思います。


しかし主は、その喜びよりも さらに喜ぶべきものがあると言われました。

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



主のことばのように私たちが一番喜ばないといけないことは、いのちの書に自分の名が書き記されていることです。


いのちの書に名が書き記される人は、小羊であるイエス・キリストを通して救われた神の民です。


悔い改めと信仰によって救われ、最後まで信仰を守った人がいのちの書に名が書き記されます。





いのちの書、行いの書、真理の書




天には数々の書物があると聖書に書かれていますが、代表的な書物は三つあります。

いのちの書、行いの書、そして真理の書です。


【ダニエル書10章21節】

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。


真理の書には歴史における神の計画が記されていると思われます。



【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


いのちの書に名の記されている人は、神のさばきに会うことがありません。

その者は神の国で永遠に生きることが許されますが、いのちの書に名の記されていない人は永遠の地獄に行きます。


【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


聖書には、いのちの書に関して難解な部分もあります。


いのちの書に記された名が消されることもあるのか? と。

ある人たちは「ある」と言いますし、ある人たちは「絶対ない」と言います。


聖書のある箇所を読むと、消されることがあるように思われますし、ある部分を読むとそんなことはないように思われるからです。



どの人間も聖書のことばを完璧に理解することは出来ないです。

理解出来る部分と、出来ない部分があります。


救いは “神の恵み” であり、私たちに救われる資格があったから救われたのではないです。


行いではなく信仰によって救いを受けます。


ですから罪を犯したから救いが消されることはないと思います。

罪を犯した後でも悔い改めるならば罪が赦されます。







しかし、私たちが信仰によって救われたのに、その信仰を自ら捨てるならば話は違うと思います。


信じた者が堕落して、神への信仰を捨て、他の神々を信じるならば、それでもその者は天国に行けるでしょうか?

不信仰になって あらゆる悪を行う者に対して、神はその名をいのちの書にそのまま記しているでしょうか?


公義を行う神にそれは出来ないと思います。



本当に救われた人なら、神への信仰を捨てることは出来ないです。


しかし、信仰よりも “宗教をやって形式的” になっている人は 救われてもいないのに、「自分は救われた」と勘違いしていると思います。


次の聖書の箇所を深く考えてみて下さい。

消されることは絶対ないと思うより、消されることがあるかも知れないから、そうならないように信仰によって生きる者になりましょう。



【出エジプト記32章32-33節】

今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。


【詩篇69章28節】

彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。


【イザヤ書4章3節】

シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。


【ダニエル書12章1-2節】

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


ヨハネの黙示録の中にはいのちの書に対して書かれた箇所が色々あります。


【ヨハネの黙示録13章8節】

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


【ヨハネの黙示録17章8節】

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。


【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


【ヨハネの黙示録20章15節】

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


【ヨハネの黙示録21章27節】

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

いのちの書に名の記されている者は必ず神の国に入るので、それが一番の喜びです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.7.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

二種類の人間

テーマは 『 二種類の人間 』 です

【ガラテヤ3章10-14節】

というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。

しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。


私たちの目にはあらゆる種類の人間が見えますが、神の目には二種類の人間しか見えません。

それは、神の呪いの下にいる人間と、呪いから解放された人間です。


すなわち律法の下にいる人間は 呪いの下にいることになります。

また良い行いによって救われると思っている人もこれに含まれています。



どの人間も律法全体を守ることは出来ないし、罪一つない人間も世には存在しないです。


どんなに聖く正しく生きようとしても、罪と縁がない人はいないです。

聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」と宣言しています。


肉に属する者は、肉の悪い行いによって生きるようになっています。

そして肉に属する者は 神の国を相続することが出来ないです。



また呪いから解放された人がいます。


この人たちも呪いの下にいましたが、自分の身に呪いを受けて死んで下さったキリストを信じたことによって神の恵みを受け、呪いから解放されました。


呪いから解放されたことが「救い」です。


救いは神の恵みであり、受ける価値のない人が、努力なしに、信仰だけで得るものです。





信仰




なぜ信仰だけで得られるでしょうか?


キリストが私たちために呪いを受けたので、律法の呪いから私たちを贖うことが出来ました。


【ガラテヤ3章13節】

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。


ですから信じる人は キリストによって呪いから解放されます。

解放された人は聖霊を受け、聖霊から永遠のいのちを受けます。


【ガラテヤ6章8節】

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。


信仰だけで救われることがないと言いながら、他のことも強調する人たちはキリストの恵みを受けることもなく、呪いの下にとどまることになります。



他のものによって人間をのろいから解放することは不可能なので 神は御子を世に遣わし、十字架にかかるようにしました。


そして、それを信じる者だけが救われるようにしました。

ですから神の目には、キリストによって呪いが取り除かれた人と 呪いがそのまま残っている人しか見えないです。


自分はどこにいますか?


アーメン Σ(・ω・ノ)ノ


2021.7.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

イエス様が教える祈り方

テーマは 『 イエス様が教える祈り方 』 です


今日はお祈りについて考えていきましょう。

みなさんは普段お祈りをされているかと思いますが、そもそもお祈りとは何でしょうか?


普段のお祈りを一度振り返ってみてください。


「神様、この問題があります。解決してください。」「神様、病気を癒してください。」「祝福してください。」など色々な願いを持ってお祈りをした方が多いのではないでしょうか。



確かに私たちが必要なものがある時に必要なことを求めて祈ることや、神様に助けを求めることは悪いことではありません。

聖書でも、「求めなさい、そうすれば与えられます」という御言葉もありますし、お願いすること自体は悪くないのです。



しかし、もし そればかりになってしまっている場合は少し注意が必要です。


『お祈り=神様にお願いごとをする』、要求の時間になっているからです。

これは本来のお祈りの意味とは少し異なってきます。


聖書には、イエス様が直接私たちに「こう祈ったらいいよ」と教えてくださっている箇所があります。



主の祈りですが、これは主が教えてくれた祈りであり、本当は弟子たち、私たちがどのように祈るべきかの模範の祈りです。

弟子たちの祈り、私たちの祈りです。


そのイエス様直伝の祈り方について詳しく見ていきながら、自分の普段のお祈りと比べつつ、どのように違うのか、足りない部分がどこか、また、実際にどのようにお祈りすればいいのかを学んでいきましょう。






【マタイの福音書6章7-15節】

また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。


主の祈りを具体的に見ていく前にまず7-8節を見ていきましょう。


【マタイの福音書6章7-8節】

また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。


異邦人、特にその当時のギリシャ人は、ギリシャの神々に祈る時に その神々の名前をたくさん挙げながら、どれかには聞かれるだろうと思い、祈っていました。


だからこそ、同じ祈りを何回もただ繰り返していました。

でもこれは神様が私たちに求める祈りの姿ではありません。


長い祈りをすると聞かれるという考えではなく、どのような気持ちで祈るのか、祈りをどのように捉えているのかが大事なのです。


何も深く考えずにとりあえず長く祈ろう、繰り返して祈ればいつか聞いてくれると思って、呪文のように何度も唱える必要はないのです。



神様は唯一無二の私たちの神様であり、私たちが必要なものはすべてすでにご存じであり、私たちの祈りにも耳を傾けられています。


大切なのは、お祈りの長さではなくて、お祈りに対する私たちの姿勢なのです。


一つ気をつけたいのは、長い祈りが悪いという訳ではないです。


意味もなくただ繰り返す祈りが不要なだけであって、神様としっかり交わりをしながら祈りが長くなるのはもちろん大丈夫なのです。

イエス様も一晩中祈ることもありました。



ポイントは、意味のない言葉を長く並べるのではなく、お父さんに話すように意味のある言葉を会話として、話していくことです。


長く話さなくても、何回も繰り返さなくても、天におられる父、神様に伝わる祈りがこのイエス様が教えてくれた祈りなのです。



この主の祈りで大切なポイントの一つが、ここで出てくる主語は「私」ではなく、「私たち」になっていることです。

お祈りは、自分のためだけではなく、周りにいる人、兄弟姉妹も含めて、みんなのためでもあるのです。


イエス様もよくお祈りの中で、人のため、また、私たちのために祈っておられました。


私たちも自分のためではなく、周りの人のために祈るべきです。






それでは、一節ずつ見ていきましょう。


だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。


私たちの神様は天におられますが、私たちの父なのです。

私たちと親しい関係であり、家族としての深いつながりがあります。


この天におられる私たちのお父さんは誰よりも私たちのことを気にかけ、関心を持ち、いつも私たちとの交わりを大切に、会話を大切に考えられています。


イエス様もこの地におられた時、いつも天におられる父、神様に対して呼びかけ、お祈りをしていました。

いつもコミュニケーションを取りながら、父の意思が、御心がなされるようにいつもお祈りしていました。



私たちもイエス様がされたように、天におられる私たちのお父さんにお祈りを通して話をするのです。

お祈りはお父さんとの親子の会話です。


そのお父さんに、初めに祈るのが神様の御名をあがめることです。

神様の御名を聖なるものとしてあがめること、つまり、神様の聖なる御名を尊敬し礼拝することです。


お祈りはまず天におられるお父さんに話しかけ、お父さんを尊敬し、礼拝することから始まります。






御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。


この御国は、これから終わりの時代を経て、来る新しい天の御国のことです。


神様が元々造られた完璧で平和な、愛があり、神様との交わりがいつもあったエデンの園をもう一度造り変えられます。

その新しい神様の御国が来るように、神様にその御国を送ってくださるように祈るべきです。


その御国では、私たちが今経験している苦しみや、痛み、罪、あらゆる悪いものはなく、すべて神様が造られた美しいものと神様との直接交わりができる場所なのです。

その御国が来るように祈るべきです。



また、御心の天になるごとく地にでも行われますように、は もちろん神様の意思が、御心が今のこの地でもなるようにということでもありますが、ただ神様だけがそのようにするのではなく、私たち自身もその神様の御心の通りに歩み、神様の御心を実行する者になることが大切です。


それは、神様だけではなく、私たちの日頃の行いのことも指します。

天ではすべて神様の御心がそのまま完全に行われています。



しかし、地ではその御心を行わないように邪魔をするものがいます。

その邪魔する者が働くことのできないよう、どんなことがあったとしても、神様の御心の方がなされるようにお祈りすることです。






私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。


日ごとの糧=日用の糧=その日(来る日)に必要なもの。
英語では“daily bread”で、マナと同じです。


エジプトを出る時に、天からマナが降ってきて神様がその日一日一日に必要な食糧を与えて、それで人々は毎日を生きていました。

自分が食べる分以上に蓄えようとしても、腐ってしまって食べることができませんでした。


なぜでしょうか?

それは、神様がその日その日に必要なものを備えてくださるからです。


一日一日その日に必要なものを祈り、与えられていくことで、神様が私たちに日々必要なものを与えてくださっているということを覚え、神様に頼って生きているということを実感しながら生きることができるのです。



もし神様が必要なものをすべて私たちに与えて、一生困らないとなってしまったら、きっと神様から与えられたことも忘れ、感謝も忘れ、自分勝手に生きる者になると思います。

日々神様によって生かされている経験ができなくなります。


本当はすべて神様が私たちに必要なものを備えて与えてくださっているのです。



神様は私たちが必要なものはすべてご存知です。

また、それもすべて備えてくださる方なのです。


だからこそ、続きの箇所でもあるように、明日のことは明日が心配するから、その日に必要なものを求めて生きることです。


その時々に必要なものは神様が与えてくださる。

神様にその時々に必要なものを求めてお祈りすることです。


祈りは私たちの欲のため、欲を満たすためにあるのではありません。

私たちの欲のためではなく、必要のために祈っていきましょう。






私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」


負い目=借り、借金

ユダヤ人は、罪=debt(借金)として捉えていました。


罪は代価を支払って返さなければならないものです。

私たちが神様に逆らい、神様の御心ではないことを行って罪を犯す時、私たちは神様に借金を作っているのです。


その借金である罪、負いめのために、罪の赦しを神様に求めないといけません。

しかし、その前に、まず私たちは 私たちに悪いことをした人を赦さなければなりません。



人を赦さずに『自分だけ赦してもらおう』は神様が望まれることではないのです。


人のことをどうしても許せないと思う人は、神様からの赦しを経験していない可能性があります。


つまり、イエス様を信じて、罪を赦されて救われたと思ってはいますが、実はまだ救われておらず、神様の赦しを経験していない人です。



私たちが犯してきた罪、その代価の大きさを悟った人、そして それをイエス様が十字架の上で代わりに支払ってくださったこと、その赦し、恵みの大きさに悟った人。

その人は、他の人が何か悪いことをしたとしても、その人のことを赦すことができます。


なぜならば、神様がそれよりも私たちの大きな罪、神様に対して歯向かい、犯した罪さえも赦してくださったその恵みの大きさを知っているからです。



「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」と祈る時、私たちは まず周りの人々のことを赦しているのか、赦していない人はいないかを探り、もしいれば まずその人のことを赦し、そして神様に私たちの罪も赦してもらうように祈っていきましょう。






私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕


試みに会わない=罪を犯さないようにする

罪を犯す時は、私たちが試みに会っている時です。


誘惑を受ける時や、自分の弱い部分に対してのサタンからの攻撃を受ける時、それに打ち勝つか、負けて罪を犯すかのどちらかの結果になります。



しかし、この試みにそもそも会わないように祈ること、たとえ試みに会ってしまったとしても その試みの中で負けたり、誘惑に陥ってしまったりしないように祈ることが大切です。


また、悪、つまりサタンやサタンからの攻撃、災害も含めて私たちを苦しめるものから救い出されるように、お祈りすべきです。


神様は苦しみの中で必ず脱出の道を与えてくださる神様です。

聖書でも患難があるとはっきり書かれていますが、その患難や迫害から救い出されるように、神様の助けを呼び求めるべきです。


神様は助けを求める時に答えてくれる神様だからです。



ちなみに、最後の “〔  〕” 部分は、聖書が複写されていた初期の頃にはなかった部分だと言われています。


しかし、その当時、お祈りを捧げる時はいつも最後にこのような主へ栄光を返す頌栄、つまり締めのお祈りがありました。

習慣として当たり前にしていたことなので、元々は書かれていなかったようですが、後世のために付け足したようです。


ここはそのまま、あるものだと思って取り扱っていきましょう。



お祈りの最後は、いつも神様にすべての栄光を返すことです。

神様が主権を持っておられることを認めることです。


この主の祈りをまとめると、「上から下に」つまり「天から地」の順番で、神様への礼拝から始まり、次に私たちの身の回りのこと、罪の赦しを祈って、最後は神様に栄光を返すことです。


お祈りはこのように天におられるお父さんである神様と、地にいる私たちの大切なコミュニケーションなのです。

今日も神様と交わりをしていきましょう!

アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.6.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ