からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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罪人を招くために来た主

テーマは 『 罪人を招くために来た主 』 です

【マルコの福音書2章14-17節】

イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」


イエス様に対する評価は二つに分かれました。


歓迎する人と非難する人でした。

歓迎する人たちは罪人たち、非難する人は義人たちでした。


罪人が誰なのかを説明する必要はないですね。

人間はアダムからみんな罪を犯したので、聖書は全人類を罪人だと言います。



【ローマ3章9-10節】

では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。


『義人はひとりもいない』と言われているのに、自分は義人だと思っている人たちがいました。


律法に対して一番厳格な人々であるバリサイ人たち、律法学者や祭司たちは「自分は義人」だと思っていました。

律法を文字通りに守っていたので罪人の認識は全くなく、義人だという自負心が天に届くほどでした。




彼らは義人としての誇りが高く、罪人たちの罪を厳しく裁いていました。

ですから罪人と共にいるイエス様も罪人の仲間と思い、厳しく裁きました。


とんでもない人間が現れて律法を無視し、人々を惑わしていると思っていました。



それでもイエス様の目には彼らも罪人なので救いたいと思っていました。


主のみこころはすべての人が救われることです。

救いに差別はないです。



しかし主の願いとは反対に自分には罪がないと思っている義人たちは、イエス様を必要としなかったので主の所には来なかったです。


主のそばに来た人たちは、罪を認め、自分は罪人だと思っている人たちでした。


イエス様は自分が罪人であると感じている人、人から無視され、裁かれている人たちのために世に来て下さいました。







自分を罪人と思っていますか?それとも義人と思っていますか?


自分を罪人と思っている人たちは、自分がいかに腐敗した悪者であるかの認識があります。

うわべは良い人に見えても、自分の心と思い、行動が人には見せられない悪質なものであることを知っています。



いつから罪人の認識が芽生えるでしょうか?

真理のことば、罪に関することばを聞いた時からです。


なんとなく感じていた罪が明確にされます。

そして自分の罪に対して絶望的になります。


そこに主から、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。』 と言われると、絶望から希望に変わります。


自分の罪を悔い改めて、罪の赦しを受け、神の子どもになる特権までも受けます。



イエス様には罪人の罪を赦す権威と救いを与える権威がありますが、両方とも何もせずにことばだけで伝えたのではなく、十字架の犠牲を通して人に与えることが出来ました。



イエス様を信じて救われた人たちは、「主によって罪赦された義人」と主から言われますが、同時に罪人です。

自分には罪がなかったと言えない者たちです。


自分を義人だと誇っていたパウロが主に出会って最初に気づいたのは、自分がとんでもない罪人という事実でした。



それが彼にとって一番の恵みでした。

それによって主を信じ、救われたからです。


主からの救いの恵みを忘れないために、彼のように私たちも告白すべきことばがあります。


【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。


アーメン (´;ω;`)


2023.3.19
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重荷と十字架

テーマは 『 重荷と十字架 』 です

【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」


本文でイエス様が招く人たちがいました。


疲れた人、重荷を負っている人たちです。

他の所ではなく、私の所に来なさいと言われました。


疲れた人たちはストレスをいっぱい抱えている人たちです。


疲れても休むことが出来ない人たちを憐れんで招きました。

重荷を負っている人たちは来て、重荷を下ろすように言われました。



イエス様は甘いことばで人を騙す方ではないです。

イエス様はやさしい方であり、真実な方ですから、主のことば通りに 主の所に来て、重荷を下ろすならば、問題を解決し 助けて下さいます。




私たちは主のことばに耳を傾けないといけないです。


イエス様は私たちに下ろすべきものと負うべきものを教えて下さったのに、いつも人間は反対のことをするので使命を果たすことも出来ず、疲れ果てた人生になります。


イエス様が負うように言われたものがあります。



【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


主が負わせる自分の十字架は負わないといけないです。


しかし人間は言うことを聞かないです。

下ろすべき重荷は必死に抱えているし、負うべき自分の十字架は下ろして負わないです。


両方のことばに対して不従順です。

不従順しながら「助けて下さい」と祈ってばかりです。



主が答えることが出来ないようにしておきながら、答えを待っています。

矛盾していると思います。




主のことばと反対のことをやっているのに、そのことになかなか気付かないです。


重荷とストレスをずっと下ろさず抱えていると、霊、心、肉体すべてに悪い影響が生じます。

重荷につぶされてしまいます。






負うべき十字架とは?




負うべき十字架はどうですか?


苦しいことは何でも十字架だと思ってはいけないです。

自分の間違いや罪で受ける苦しみは当然受けるべきものです。


それは十字架とは関係がないです。



十字架とは 自分の過ちではなく、他人の過ちの代償を代わりに受ける “義なる犠牲” です。


何でもかんでも主の十字架を負って苦しんでいると言うのは、自分の罪を逃れるための言い訳に過ぎません。




イエス様が義なる犠牲の十字架を負ったので、聖徒たちも義なる十字架を負ってイエス様に従うことです。


主の後について行くのが、御心なのに、十字架を負いたくないので、それは簡単に下ろします。

重荷を下ろしなさいと言われているのに、頑なに拒否して、いつまでも重荷を手放さないで抱え込んで悩んでいる人が大勢います。



なぜ従わないでしょうか?

重荷に下ろすために次のことばも助けになります。



【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


数十年先まで心配して重荷を抱えている人がいっぱいいます。

それは愚かな生き方です。


明日何が起こるか分からないです。

トルコで起きた地震を見ても明日は分からないです。



日々重荷を主の前に下ろして、主からの十字架を負うことです。

主が与える十字架は負いやすく、軽いと言われました。


正しく主のことばを理解して、重荷をおろして、主の十字架を負う時にたましいにやすらぎが来ます。

主のことば通りにやってみて下さい。


アーメン (・∀・)つ


2023.2.12
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さばかれないために

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【マタイの福音書7章1-5節】

さばいてはいけません。さばかれないためです。

あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。


さばかれないためには、さばいてはいけないと主から言われました。


私たちはあまりにも簡単に判断して人をさばきます。

そしてそれを悪いとも思わないので、それが問題です。



神様は裁き主ですから、いつか私たちは 自分がさばいたことに対して自分もさばかれます。


ですから、さばくよりも “正しく分別する” ことが要求されます。


神のみこころを知る者として生きるためには知恵をもって分別することが大切です。




否定的な目を持っている人は いつも人をさばきます。

厳しくさばく人を見ると、他人に対して思いやりがなく、自分が悪いとは思わず、自分を合理化する人が多いです。


そしていつも人を裁いて心に傷を与え、また問題を起こします。

自分の問題や過ちに対しては認めず、図々しく人のことはさばきます。




主はさばくことに対して多くのことばを語りました。

警告を与えるためです。


それによって私たちが後に裁かれることがないようにするためです。

裁くことに関連することばです。



【ルカの福音書6章37節】

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。


【ルカの福音書6章41-42節】

あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。

自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。


【ローマ2章1-3節】

ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。

私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。

そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。


【ローマ14章10節】

それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。


今はSNS時代ですので、人々は気軽に自分の主張や意見をたくさん発信しています。


その中には悪質な発言もとても多いです。

その罠にはまってはいけないです。



自分がだれかを裁いたならば、後にそれによって自分がさばかれます。

自分が忘れても神様は覚えています。



ですから他人をさばくのではなく、理解と共感、赦しと愛の心で仕えることです。


人のためにそうしますが、自分のためにもそれが恵みになります。


アーメン (・∀・)


2023.2.5
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イエス様はありのままのあなたを待っている

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今日はサマリヤの女の人とイエス様の会話を通して、イエス様がどんな方であるかを見ていきましょう。


【ヨハネの福音書4章1-8節】

イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、

──イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが──

主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。

それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。

そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。

ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。

弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。


ガリラヤに向かうためには2つの行き方があり、少し遠回りにはなりますが、サマリヤを避ける道か、そのまま直接サマリヤを通る道のいずれかがあります。


イエス様は後者のサマリヤを通る道の方を選びました。

これは、ただ単に近道だからということではなく、イエス様にはある大切な目的があったからです。



ヤコブの井戸で一人腰をおろして、誰かを待っていました。


それは、サマリヤの女の人でした。

この女性は第六時、つまり、昼の12時頃に一人で水を汲みに来ました。


その当時、水を汲みに行く時は、こんな暑い時間帯ではなく、朝の時間帯か、日が暮れ始めて涼しくなった夕方頃に、女性たち何人かで行くのが普通でした。


しかし、この女性は誰も水を汲みにいかないような時間帯に一人で井戸に行ったのでした。

そのサマリヤの女性にイエス様が話しかけたのです。



【ヨハネの福音書4章9節】

そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──


その当時、ユダヤ人は サマリヤ人を汚れていると思い、サマリヤ人とは関わらないようにしていました。

また、サマリヤ人が売る食べ物は、基本 乾物以外は汚れていると思っていたので、サマリヤ人から食べ物を買うこともほとんどありませんでした。



そんな中で、イエス様は自らサマリヤ人の女性に声をかけ、それだけではなく、『水を飲ませてください』と言ったのです。


普段 周りの人、特にユダヤ人たちは 自分のことを汚れた人と思っているのに、イエス様はそんなユダヤ人とは違って汚れているはずの自分に話しかけてきたので、女性はびっくりして、その理由を聞きました。



【ヨハネの福音書4章10-15節】

イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。

あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」


イエス様は女性の質問に対し、なぜ飲み水を求めるのかについては答えず、イエス様自身がどういう方であるかを この水を通して語り始めました。



イエス様が話しているのは、物理的に体、のどを潤す飲み水のことではなく、イエス様ご自身のこと、生ける水、つまり “心と魂の渇きを満たす水” のことを この女性に紹介し始めました。


しかし、この女性はその意味がわからず、それでも喉を潤す水がもらえると思い、イエス様にそれを求めました。



【ヨハネの福音書4章16-18節】

イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」

女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。

あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」


この女性がイエス様の言っている言葉の意味を取れなかったので、イエス様はこの女性が触れたくない、知られたくないと思っている自分の恥ずかしい部分について敢えて話し始めました。



それは、この女性が本当に必要なのは、喉を潤すような水などではなく、心の飢え乾き、恥ずかしい、隠したいと思っている罪の姿を敢えてさらけ出し、それを知っている上で受けとめてくれ、声をかけてくれ、その心を潤せるイエス様自身であることを悟らせるためです。



【ヨハネの福音書4章19-26節】

女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」

イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」


イエス様はさらにこの女性との質問に答えることで、自分自身が誰であるのか、また、この女性がサマリヤ人であることは関係なく、一人の人として、神様、御父を霊とまことによって礼拝することができること、そのような礼拝者を神様は求めていることをこの女性に伝えました。



イエス様自身がメシヤであり、救い主であり、唯一 心とその魂を満たすことができる方です。


たとえ周りの人や自分自身が自分のことを汚れていると思っていたとしても、イエス様は逆にそのような人に自ら近づき、声をかけ、きよめて癒そうとしてくださいます。



その人、一人一人の恥ずかしい部分、罪の部分もすべて知っている上で、その人のことを待ち、その人を赦し、きよめて、その心の渇きを満たそうとしてくださっているのです。

それが、イエス・キリストなのです。


【ヨハネの福音書4章27-29節】

このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。

女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。

「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」


ここで、女性が取った行動は、自分がそれまで必要と思っていた水、肉的に満たしてくださるもの、水がめを置き、自分を嫌っていた人、自分のことを避けていた人々に向かって言って、イエス様がキリストであることを証しに行ったのです。



それまでは、人々になるべく会わないように、みんなが水を汲みに行く時間帯はあえて避け、一人でひっそりと行動していたのに、この時はイエス様に会えた感動、イエス様がどんな方であるのか、またすべてを知っている上でそれを受け止め、自分と話をしてくれ、自分のありのままの姿を受け止めてくれたこのイエス様について、どうしても他の人に伝えたくて 水がめを置いて人々にイエス様の証をしたのです。



【ヨハネの福音書4章39-42節】

さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。

そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。

そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」


この女性の証が周りの人、多くの人の心を動かし、イエス様の救いに導き、それだけではなく、この人々自身もただ聞いた話だけではなく、自分自身もイエス様のことを体験することで、心からイエス様を救い主だとして信じ、受け入れたのです。


イエス様の姿、イエス様がどんな方であるかを知ることによって、自分の魂の救いを得、心の渇きは満たされ、それだけではなく、この生ける水を周りの人々にも流して救いに導いていったのです。




イエス様はこのように、私たちが自分でも気づいていない、逆に気づいてはいるけど触れられたくない心の傷、渇き、寂しさ、痛み、むなしさを私たちよりも関心を持っておられ、その飢え乾きを満たしたいと私たちを待っておられる方なのです。


私たちの汚い姿、罪の姿、弱い姿、隠したいところさえもすべて知っている上で、それを受け止め、赦し、愛し、救い、満たしてくださる方なのです。



イエス様はあなたと話すために待っておられます。


あなたの心の必要、本当の必要を満たしたいと思い、待っておられるのです。


アーメン (*´ -`)(´- `*)


2022.12.11
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恵みと信仰、そして救い

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【エペソ2章8-10節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


『恵み』ということばは 聖書に頻繁に出てくるので、クリスチャンならば『恵み』と言うことばの意味を知っています。


しかし世間の人たちは『恵み』ということばが正しく理解出来ないです。

運が良かったから受けた何かの恩恵だと思っています。


神によって救われた人だけが、神の恵みの意味を正しく理解することが出来ます。



『恵み』とは、神から何かを受け取る資格がまったくない者が、神様から素晴らしいプレゼントをタダで受け取ることを意味します。


ですから実際受け取った人だけが、恵みが何かを知っています。

受けてない人たちは恵みがいまいち分からないです。


聖書は、まず『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。』と宣言しました。


神様が先に恵みを備え、それを信じた人たちが救われます。

恵みと信仰によって救われた人がクリスチャンです。




神様はすべての人が神の恵みを受けてほしいので、恵みを届ける手段として使っているのが福音です。

伝道は福音を届ける働きです。


神からの恵みを人々に届けるために いのちを懸けて働いた使徒パウロはこのように言いました。



【ローマ1章15-17節】

ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


福音の中身は、すべて神の恵みです。


自分の罪過と罪との中に死んでいた者を救うために、神がイエス・キリストをこの世に遣わし、イエス・キリストの十字架の死によって救いの御業を完成し、イエス・キリストを救い主として信じる者には救いを与えるという恵みです。







神はなぜ救いを「行い」ではなく、恵みとして与えるでしょうか?


それはだれも誇ることのないためです。

誰かと比較しながら、「自分は義人だから、自分は聖いから救われた」と誇らせないためです。


自分を誇らず、イエス・キリストを誇らせるために、救いは神の恵みとして受けるようにしました。


救いに関して比較意識や劣等感がないように解放と自由を与えました。




だれでも神様が用意した恵みを受けるために、イエス・キリストを自分の救い主として信じるならば、神は恵みを与えて下さいます。


そして神様が恵みを与える目的は、良い行いに歩むようにするためです。

人間は神の作品です。


最初から神様は良い行いをする者として人間を創造しましたが、人間はその目的とは違う道を選びました。



すなわち神のことばに逆らって罪を犯し堕落しました。

罪と罪過の中で死んでしまいました。


神が信じる者に与える恵みは再創造です。

新しい被造物に造って、良い行いをさせるためです。



【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


キリストを信じて救われた者は新しく造られた者です。

再創造によって新しい被造物になり、新しい命を得ました。



【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


新しく造られた者として良い行いに歩む者が恵みを受けて生きる人です。


「救われた」と言いながらも、イエス・キリストを誇ることもなく、古い人のまま生きる人は 「神の恵みが何かを知らない人」です。

もう一度、神の恵みが何かを正しく知る必要があります。


アーメン (´;ω;`)


2022.10.9
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信じて従順すると奇跡が起こる

テーマは 『 信じて従順すると奇跡が起こる 』 です

【ヨハネの福音書4章46-54節】

イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。

そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」

その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」

イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。

彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。

そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。

それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。


聖書の中には奇跡がたくさんあります。

自然界に起こった奇跡もあれば、個人に起こった奇跡もたくさんあります。


奇跡を通して、神の存在をさらに信じることが出来ます。


奇跡がどのように起こったのかを調べると、神様のことばに従順した時に奇跡が起こりました。

どの時代も、神様は従順する人を通して、ご自分の力を現し、神の約束を成就していきます。



アダムの子孫である人間は生まれながら不従順の子らです。


アダムとエバの堕落の原因は、殺人でも姦淫でも盗みや麻薬の罪でもないです。

彼らの堕落は 神のことばへの不従順が原因です。


アダムとエバがエデンの園で、いつも神のことばに従順していたならば、美しくて完璧な園から追い出されることはなかったです。

悪魔が彼らに近づいて不従順の罪の種を蒔こうとして成功しました。


その種が蒔かれた後に、二人は神のことばに不従順しました。

その不従順の種は、それ以降すべての人間の中にも存在します。



不従順の人が従順の人に変わるためには、不従順の種を捨てて、神からの従順の種を蒔かないといけないです。


神様を信じることは、神のことばに従順することを意味します。

創世記5章に出てくるエノクの姿です。


【創世記5章24節】

エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。


神と共に歩んだことは、神のことばに従順する人生を歩んだことを意味します。

彼に起こった奇跡は 肉体の死を経験することなく、生きたまま天に移されたことです。


ノアの時代も、みんなは神のことばに従わず、自分の思いのままに生きて堕落しましたが、ノアは神のことばに従順しました。

ですから大洪水でみんなが滅ぼされた時に、ノアは救い出されました。








従順するためには 『私の思いでは―』 が変わらないといけないです。

“私の思い” を捨てて、神のことばを受け入れ、従う時に奇跡が起こります。


本文に出て来る役人も自分の思いがありました。


『どうか、私の子どもが死なないうちに下って来てください。』
しかし主は彼の思い通りに下って行ったのではなく、『帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。』と言われました。


彼はそのことばを信じて帰りました。

すると主のことばがあった同じ時間に、自分の息子の病気は直りました。



奇跡は主がなさることです。

主は信仰ある人に奇跡を起こします。


信仰は神のことばに従うことです。

神を信頼する信仰ある人が、神のことばに従順します。



次のことばをそのまま読んでみて下さい。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


次は「信仰」の所に「従順」を入れて読んでみて下さい。


信仰は従順、不信仰は不従順です。

従順する信仰は、神の権威に従順します。


信じて従順するならば奇跡が起こります。

信じて従順すると祝福があります。


「しるしと不思議を見てから信じる信仰」から、「神のことばを聞いて信じ従う信仰」に変えないといけないです。


神の約束のことばを聞いて、それに自分のすべてを懸けるので奇跡が起こります。


アーメン (*´∇`*)


2022.8.14
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十戒は何か

テーマは 『 十戒は何か 』 です

【出エジプト記20章1-17節】

それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──

それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


どの国にも法律があります。


憲法や民法など決められた法律があり、国民はそれを守る義務があります。

法律がないならば、あらゆるものに混乱が生じます。


神様も神の民になった者たちに守るべき法律を与えました。

それが十戒です。



神様は十戒を与える前に、まずこのように言われました。


『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。』

神の民がどのように始まったかが主のことばで分かります。


エジプトで奴隷であった者たちを神は憐れんで、恵みによって彼らをエジプトから連れ出しました。

そして彼らの神になって彼らを導きました。


ですから彼らがエジプトから連れ出され自由の身になったこと、神の民になったことすべてが神の恵みでした。



神が与えた十戒は 神の民になった者が、神の民らしく生きるために守らないといけない「神の国の法律」です。


十戒は神の愛によって生まれたものでした。


そして十戒には神のみこころが含まれてあります。

十戒によって私たちが知るようになるものは何でしょうか?



  • 何が罪なのかを具体的に知るようになり、自分が如何に哀れな者であるかを知るようになる

  • 罪を悟っても、自分を罪から救うことが不可能であることを知り、救いの神を求めるようになる

  • 罪から離れるため、イエス・キリストに頼るしかないことを知る

  • 神の前にどう生きるべきかを知るようになる


十戒は負担になる義務ではなく、恵みのことばです。

私たちを罪から守るために与えて下さったものなので、神の恵みに感謝して守るのが十戒です。





十戒を要約すると どのような内容でしょうか?




十戒は神の私たちへの愛によって与えられたものです。

私たちを罪から守りたい神が与えたものです。


どのように生きるべきかを教えて下さいましたが、その内容は大きく二つに分けるならば、

『 神に対する愛 』 と 『 隣人に対する愛 』 です。


イエス様もはっきりと そのように言われました。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」


私たちに対する神の強い愛を知るならば、私たちも神を愛することが出来ます。


神の愛が分かる人は神の愛を他の人にも伝えます。

神の愛を伝え、その人のために祈る人が隣人を愛する人です。



神様は私たちを暗闇から救い出して下さいました。

そして救われた人は神の民になりました。


神はその子どもたちに、十戒を与えて下さいました。


恵みと愛を知っている者は感謝の心で、主が与えて下さった十戒に従順します。


アーメン (・∀・)つ


2022.8.7
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悔い改めと謙遜

テーマは 『 悔い改めと謙遜 』 です

【ルカの福音書15章1-10節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」


この世に罪人が存在しなかったならば、イエス様が人となってこの世に来られ、人の罪のために十字架にかかる必要はなかったと思います。


『義人はいない。ひとりもいない。』 これが全人類の姿です。


すべての人が罪の下にあるので、神のひとり子イエス様が罪人を救うために来て下さいました。

それが一番の目的でした。



しかし律法を誰よりも知っている者たちと、律法を守ろうと一番努力している者たちが、罪人と一緒にいるイエス様を見て非難しました。


彼らは自分たちの信仰と行動だけが正しいと思っていた人たちで、自ら満足していました。


自分たち以外の者たちは「罪人」で、自分たちは「義人」と思っていました。

ですから人に対しても愛がなく高慢でした。


イエス様も弟子たちも福音を伝えた時、まず語ったことばが『悔い改めなさい』でした。




そのことばに誰が一番反応したでしょうか?

自分を罪人だと思っている人たちでした。


パリサイ人や律法学者は、その話を聞いても 自分たちは悔い改める必要がないと思っていました。

罪のない義人と思っていたからです。


水のバプテスマを授けていたヨハネの所に大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けるために来ました。

しかし歓迎されず、反対に非難されました。


なぜでしょうか。

その理由も彼らが悔い改めなかったからです。



【マタイの福音書3章5-8節】

さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


主は高慢で自分を義人だと思っている人と交わることを喜びません。


主が喜んで交わりをする人は、自分を罪人と思い、罪の赦しを求め、悔い改めて主の所に来る人です。



失われた羊のたとえで、悔い改める必要がないと思っている人たちはパリサイ人でしたが、実際は誰よりも悔い改める必要があるのは彼らでした。

高慢であるから自分たちは正しく、間違いもなく、聖書もよく読み、祈りもよくするので、自分に対して満足していました。


主はそういう者よりも、悔い改める一人の罪人を喜びます。


悔い改める必要のない者は、この世に一人もいません。



悔い改める必要がなかった方はイエス様一人だけでした。

罪がなかったからです。


『私は罪人です。私は汚れた者で、取るに足りない者です。』と神の前に罪を認め、悔い改める者に、主は赦しと恵みを注ぎます。


すべての人間は罪人ですが、イエス様の前に立つ時には二種類の罪人が立ちます。

悔い改める罪人と悔い改めを拒否する罪人が立ちます。


悔い改めを拒否する人は、自分には悔い改めるものがないと思っている人、すなわち高慢な者です。








一度悔い改めたから、悔い改める必要がないですか?

そうではないです。


基本的な罪の赦しは受けましたが、毎日犯す罪は悔い改めないといけないです。


悔い改めたから安心だと油断してはならないです。

その間に罪は成長していきます。


『私の罪がイエス様によって赦されたけど、日々の罪は悔い改めよう』と思う心が謙遜な心です。



【第1ペテロ5章5-11節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


謙遜な人は神の恵みなしには生きていけないから神に頼って生きています。


自分の罪、弱さ、足りなさを知って、しもべになって神の御手の下にへりくだります。


高慢な人は獅子の口にはおいしいものなので、悪魔が飲み込もうとします。

高慢は悪魔の好物です。



目を覚まして油断せずにいることは、いつも罪を警戒し、罪を見つけたならば、悔い改めて神の赦しを求めることであり、いつも謙遜の衣を身に着けていることです。


お互いを判断するのではなく、いつも自分自身を点検することです。


幸いな人の姿です。

ヘリくだる者に神の恵みがあります。



【ローマ4章8節】

主が罪を認めない人は幸いである。」


悔い改めと謙遜は信仰生活にとても重要です。


アーメン (・∀・)


2022.7.17
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【水曜礼拝】祝福と呪いに対する神様の約束

テーマは 『 祝福と呪いに対する神様の約束 』 です

【第2歴代誌7章11-22節】

こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。

すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。『わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、

わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。


祝福と呪いに対する神様の約束に対して語ります。


旧約聖書の申命記28章には、祝福と呪いの言葉がたくさん書かれてあります。


『主の命令に聞き従うならば、これらの祝福があります』という言葉から始まっています。

その後に『聞き従わないなら、こういう呪いが来るんだ』という内容がたくさん書かれてあります。


この申命記28章が一番有名な箇所であります。



その他にも神様はいつも『呪い』と『祝福』を同時に語っていますね。

『あなたたちがこうするならば、わたしはこうするんだ』と。


ある意味で神様の私たちに対する契約(約束)でもあるのです。

主は語った通りのことを必ずなさいます。




神様は『わたしの命令に従わないならば、わたしの民であっても、わたしが以前に祝福の約束をしても、必ずわたしはあなたを呪うのだ』ということも語りました。


クリスチャン達が勘違いしてはならないことがあります。

『神様から救われた私達は絶対に捨てられることがないんだ』ということです。


私たちが主の御心に従って神様の子どもらしく生きるならば、絶対に捨てられることはないと思います。



しかし私たちが口先だけで神様を信じてあらゆる悪を行い、神様に逆らって生きるならば、話はまた別です。

神様はそういう人を神の子どもとは認めないです。


口先で『主よ、主よ。主の名によってこれもあれもしたではないですか?』


でもイエス様はそのような人にハッキリと言いました。

『不義をなす者たち。わたしはあなた達を全然知らない。』


イエス様は『わたしは、わたしの羊を知っている。わたしの羊はわたしの声に従ってきます。』と語りました。




ですから、口先で『信じます。私は救われました。』と、自分だけが勘違いをして、後は以前と何も変わらない生活をそのまま続けています。

神様が見たらとんでもない事ですね。


自分で勝手に『救われた』、『神様の子どもだ』と言うのですが、神様は『わたしはあなたを子どもと認めたことがない』と語ります。

『神様、どうしてですか?私は神様を信じて教会にも通ったし、奉仕もしました…』と。



でも神様は『わたしと心が一つではない。わたしの言葉を全部無視して自分が好きなように生きておいて、何でそんなこと言うんだ』となるんですね。








ですから神様は、私たちに前もって祝福と呪いに対して全て語りました。


祝福された後でも私たちが神様に反抗して罪を犯して偶像崇拝をしてやりたい放題悪いことするならば、神様は全てのものを呪いに変えます。

祝福が呪いに変わったり、呪いが祝福に変わったりするのです。


呪われた者であっても、その者が主に立ち返って神様を必死に求めるならば回復を与えます。


ソロモンが神の宮を完成させましたが、その夜、神様がソロモンに現れ、

『わたしはあなたの祈りを聞いた。』という言葉が出てきます。


ソロモンのどのような祈りを聞いたのでしょうか?



【第1列王記9章1-3節】

ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、

主は、かつてギブオンで彼に現れたときのように、ソロモンに再び現れた。

主は彼に仰せられた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。


【第1列王記8章27-39節】

それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。


ソロモンは宮を完成した後に、神様の前で必死にお祈りしていました。

ただ宮を捧げて終わったのではないです。


人々が神様を礼拝する為に宮に集まって来ます。



でもソロモンは、人々の心がいつも悪に傾く事を知っていました。

神様の前で罪を犯すことを知っていました。


もし人々が罪を犯した時には神様は黙っていないです。

立ち返らせるために色んな病気、飢饉、わざわいを神様は与えます。



しかし、その中で『民があなたのもとに立ち返って悔い改め、自分たちの罪を告白して立ち返るならば赦してください』と、ソロモンの長い祈りを神様が全部聞いてくださいました。


それで、神様が第2歴代誌7章に出てくるように『わたしはあなたの祈りを聞いた』と神様が語りました。


そしてあなた達が本当にへりくだって立ち返り、わたしの名を呼び求めるならば、わたしはその罪を赦し、彼らの血を癒そうと語りました。


ソロモンが祈った内容を見ると人間が犯すあらゆる罪があります。

そして実際、人間社会の中で起こる様々な問題があります。








今、私たちはそれら全ての問題を見ています。


敵の国が攻めてきて、ひどい目に遭う戦争が起きました。飢饉がありました。そして疫病が起こりました。

色々なことが起こると人々はその中でパニックになります。


そこで多くの人たちは『神様、何で助けてくださらないんですか?何で守ってくださらないんですか?』という言葉が出てきます。

その中で多くの人々は助けを求める祈りをします。


『神様、助けて下さい。私たちの命を守って下さい。神様、敵を追い出して下さい』と色々祈ります。




神様は、私達がただ『助けてください』と求めるから助けるのではないです。


神様の助けの方法はいつも決まっています。

あなたたちがこうするならば助けるんだ。という方法があります。


ただ困っているから神様に助けを求める、それでわたしが動くのではないと神様が語りました。



神様は敵の悪さを知っています。でも神の子どもたちの悪さも知っているのです。


『あなたには罪がないのか?』なのです。

あなた自身の事を、まずわたしに悔い改めて立ち返らない限り、これらのことが消え去らないんだ。


その災いがなぜ来たのか?ということです。

“自分は何も悪いことはしていなくて、敵だけが悪い”、そうではないです。




神様は、特に神様を信じる者に対しては厳しいですね。

裁きは神の教会から始まると語りました。


神様は、神の子どもたちが罪を犯すと、悪者を必ず用います。

悪者を用いて迫害させたり問題を起こして私たちが目覚めるようにするのです。


何故このことが起きたんだ?と原因を探るのではなく、『罪を悔い改めなさい』です。



ヨナが神様の言葉に不従順して逃げました。

そのヨナのせいで嵐が起きました。


一緒に船に乗っている人達も罪がない人ではないです。

彼らは神様を信じない者たちです。


ですから本来ならば、彼らの方が滅ぼされるところです。


でも神様は彼らのために嵐を起こしたのではなくて、神の言葉に不従順して逃げて行ったヨナを立ち返らせるために嵐を起こしました。


ですからヨナのせいで他の人たちも酷い目に遭ったのです。








神の目はいつも誰に向いているでしょうか?それは、神様の御心を知っている者たちです。

神の言葉を聞きながらも神様に背いて罪を犯して平気な顔をして生きている姿を見て、神様は黙ってはおられないです。


神様の関心は『わたしの名を呼び求めているわたしの民』 という言葉を使っています。

たとえご自分の民であっても不従順なら呪うと語りました。


イスラエルの民は選民でした。


小さな国を神様が選んで神様の民にしました。

でも、このイスラエルはその後滅ぼされました。



エルサレムが滅亡したのは不従順に対する神様からの呪いでした。

それを見て人々はびっくりします。


『彼らは神様の選民ではないのか?神様があらゆる奇跡を行ってエジプトから救い出したあの民は、カナンの地で神様の導きを受けて生活していたけど、今度は敵に全て捕らえられて捕虜になってしまった。宮も滅ぼされて酷い目に遭っているんだ。』

神様は恥をかく事を覚悟で神の言葉通りのことを行います。



何故エルサレムが滅亡したのか?神様はご自分の民がエジプトで奴隷生活をした時と同じようにバビロンに捕虜として連れて行かせ70年間苦労をさせました。

なぜそうなってしまったのかは次の箇所にあります。



【第2歴代誌36章11-21節】

ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。

彼はその神、主の目の前に悪を行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。

これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。


ソロモンが一生懸命祈りました。

それに対して神様は答えました。


『もし呪いが来た時にあなた達がへりくだり立ち返ってわたしの顔を求めるならば癒す』という言葉を語りました。


でも彼らは祈らないですね。

神様が忌み嫌うことをずっとやりながら、そして神様の言葉を全部無視しました。


預言者を通して語った言葉も全部無視しました。


虚しい預言、偽預言者が語る言葉は、『そんなことは起こりません。平和が来ます。平和になりますから、そんなエレミヤが語ることは聞かなくて良いです。』みたいなことを言いました。

そして反対に多くの者がエレミヤを迫害しました。


ですからエレミヤは涙の預言者だったのです。

滅びが目の前に迫っているのに、民が言うことを聞かないです。


ですから、ある時は神様の子ども達の方が心がすごく悪いです。




ニネベの町は違法の国でしたが、ヨナが『40日後には滅びるんだ』と伝えましたが、その言葉で彼らは全員断食しながら神様の前にお祈りをしたので、神様が思い直しました。


でもイスラエルの民たち、神の民たちは預言者の言葉を無視し迫害しました。

時には命まで狙いました。


王であるゼデキヤは言うことを全く聞かなかったです。

預言者の言うことも聞かず、強い敵の王が言うことにも聞かず守らないです。


それは自分の身、自分の国に滅びを招いたことになります。








これは、私たち個人にも自分の国にも世界にも、全部当てはめることができるんです。


今戦争があるところも同じです。


誰かのせいにして神様にただ『助けてください。滅ぼしてください』とか、そういう祈りをする前に、神様が私たちにどんな祈りをして欲しいのかを考えないといけないです。


悔い改めることなんです。みんなが悔い改めることです。



自分たちが招いた部分も色々あります。

敵も悪いし、自分たちも悪い。


神様は『わたしの前に来て、へりくだりなさい』と語ります。


なぜならば問題を解決してくださるのは神様だからです。



人間が解決できることではないです。

人間の手で平和をつくることではないですね。


最初は平和のように見えます。

しかし、その中でもそれぞれが持っている苦い根がいっぱいあります。


苦い根をいつまでも持ち続けて互いに悔い改めないですね。

互いに責め合うことはしていきます。


その姿を見て、神様が平和をくださることはないです。




神様は『みんなが罪人であるんだ。悔い改めなさい。わたしの前で本当に悪かったです、私たちも神様の言うこと聞かないで自分勝手に歩みました。罪を犯しました。神様の御言葉に反することをしました。』


イスラエルの民たちが悔い改めたことはなく、神様につぶやきました。

『私たちは選民でしょう?神様、どう見てもあちらの方がもっと悪いんです。それなのに何で私たちがこんなに酷い目に遭うんですか?』


神様は相手が悪いことも知っています。



『でも、あなたはわたしの言葉を知ってる者であり、約束も知ってる者である。わたしがこうしなさいと語ったのに全部無視したのではないか。』


ですから神様は、『あなたの罪によってあなたがこんな目に遭うんだ。だからわたしに解決してほしいと願うならば、あなたが先にわたしの前に来てへりくだりなさい。悔い改めなさい。わたしに助けを求めなさい。癒しを求めなさい。』と言います。


神様が敵に向かって『悔い改めなさい』と言っても、敵が悔い改めるはずがないです。

敵は人間の力で戦います。




でも神様は神の子どもたちを見て、『あなたが先に悔い改めなさい。あなたが悔い改めるならば、わたしは立ち上がり、わたしがその時からあなた達の味方になって、あなた達を助ける。しかし、あなたが悔い改めないならば、わたしはあなたを助けることができない。』と、神様の心もすごく苦しいです。


神様がそれをした理由は、ご自分の民が立ち返って欲しいからなんですね。

神様の御心に適う者になってほしいです。


神様は赦したいです。回復させたいです。


しかし、彼らがそれを全て無視して相変わらず神様につぶやきます。

ずっとそれが続くならば神様は『まだ悟っていないのか。悔い改める気がないのか。祈らないのか』となるのです。




神様につぶやくことは『祈り』ではないです。


祈るということは、神様の御顔を求めることです。

御心を求めることです。悔い改めることです。


だから、『こんなに助けてくださいと祈ったのに』と言っても、神様は私たちの口の言葉を聞くのではなくて、祈りの“中心”を見ます。


どんな心で祈るのか?その祈りが真実な祈りであるならば、神様は私たちの祈りや願いを聞いてくださいます。


そして問題を神様が解決してくださいます。








神様はソロモンに対して『あなたの父ダビデが歩んだように』と語りました。


ダビデも完璧な人間ではなく、失敗や弱さもありました。

しかしダビデは神様に本当に忠実な者でした。


神の言葉を本当に恐れていた者ですね。そして努力しました。


罪を犯して、そのことを示された時には徹底的に彼は涙を流しながら断食して神様に祈りました。


『主よ。私が悪かったです。本当に私は神の前で罪深い者です。』

そのように徹底的に悔い改めてから神と共に歩みました。


その姿を神様が見て、どんな王に対しても必ずダビデと比べました。




私たちは『祈っても祈っても答えられない』と、よく言いますが、神様から見たらゴミのような祈りが多いです。


悔い改める気がなく、立ち返る気がないのです。

謙遜になる気がなく、ただ助けを求めるだけなのです。


そして神様や誰かのせいにします。



私たちが立ち返った時に、私たちの心がへりくだった時に、神の国がその心に臨みます。

その者と共に神様が歩みます。


私たちが神様から離れて自分勝手に歩む時には呪いが消えることはないです。


でも『私は呪われているみたい。何で問題がたくさん起こるのだろう。何でわざわいが来たのだろう?』と感じるなら、その時はあれこれ言う必要がないです。


『神様。きっと私の中に神様が喜ばない罪があると思います。それを示してください。へりくだりますように。』

へりくだるならば見えてくると思います。




高慢になった時は『私が、私が、私が…』『私が何を悪いことしたんですか?』この言い方はすごく高慢です。


自分ではどんな悪いことしたかを思い出せなくても、『神様。神様は正しい方です。公平に公正に扱う方です。ですからきっと私の中で問題があると思います。それが分からないんです。教えてください。私が徹底的に主の前で悔い改めることができるように、へりくだることができるように示してください。』


それを願う事なんですね。

そうしたら神様は喜んで教えると思います。


神様はその人が立ち返るならば、全ての呪いを祝福に変えてくださいます。


しかし私たちが祝福を受けている中でも、自分勝手に歩み、このままだと滅びると思った時に、神様はその祝福を呪いに変えます。


イスラエルの民たちを見て、私は学ぶことができます。




これから自分たちの所に災いが来るかも知れないです。

飢饉や戦争が起こるかもしれないです。


そこで『私たちのところでそんなことは起こりません』と誰が確信を持って言えるでしょうか?

突然色んなことが起こるんです。


日本もいつどこで何が飛んでくるか分からないです。

いつ戦争が起こるかも分からないです。大きな地震が起きて滅びるかもしれないんです。



その時に私たちクリスチャンは1つの道しかないです。


神様の前で悔い改めることです。



へりくだって神様に『祈れなかったです。私が祈りを怠けたから、私が目を覚ましていなかったから、私は罪の中に留まっていたから、悔い改めなかったからこんな酷い事が起こりました。助けて下さい。私の罪を赦してください。』

神様は全世界を見て、そして悔い改める者に目を留めます。



わざわいがある中でも、そこでひざまずいて一生懸命悔い改める者を神様が見つけた時には、神様はその人を助けますね。その人に手を差し伸べます。


周りで多くの者が倒れていても神様は悔い改める者に対しては目を留めて助けてくださる方です。

それが回復するための一番の近道です。




悔い改めて、神の御顔を求め、へりくだって神を求めているのに、神様は『あなたを受け入れない』と、そういう事は一度もないです。








これから何が起こるか分からないですが、私たちは神の言葉の前でへりくだることです。


しかし私は何も悪いことをしていません。と高慢になるなら回復はないですね。

平和がなく祝福もないです。


ですから祝福を本当に受けたいならば、いつも神様の前にへりくだることです。



神様が私たちに求めること喜ぶことをするならば、私たちの人生は本当に神様によって守られ導かれ、祝福されていきます。ものすごく単純です。




いつも私たちの前には『呪いの道』と『祝福の道』があります。


私たちは祝福されたいならば、祝福の道を選んで歩むことです。

すると、そこには祝福だけあります。


でも自分が呪いの道を選ぶならば、呪いがきても誰かのせいにすることはできないです。

自分で選んだ道です。



これからも色んなことが起こると思います。

もっともっと厳しい事が起こると思います。


でもその中にあっても主の守りの中で祝福を受けて生活したいと思います。

この世のものが祝福ではないです。


心の平安、そして神様が私たちの避け所になってくださるならば、それは私たちにとって一番の祝福です。


人々が不安と恐れの中で震え上がる時に、私たちはその中でも主が共におられるから私は平安である。神様が今日も守ってくださる。

そういう風に安心していられるならば、それが一番の祝福なんです。


そしてミサイルが飛んだり爆発が起きたとしても、主の中に自分がいるんだと思うそれだけでも、その人たちは不安で心がパニックになることはないと思います。



神様は私たちの避け所ですが、自分がその避け所に飛び込まないと命は無いですね。

私たちはそのまま呪われてしまいます。



聖書の創世記からヨハネの黙示録まで見ると、祝福と呪いが2つあります。


ある者たちは呪いの道だけを選ぶ者がいて本当に呪われています。

ある者は知恵と信仰があって祝福の道だけを選びます。


ですからその人の人生が豊かに祝福されて主にあって恵まれた人生を生きるようになります。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.3.23
水曜礼拝メッセージ

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ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと

テーマは 『 ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと 』 です

今日はソロモンの人生を通して、神様と生き続けることは どういうことであるかを学んでいきましょう。


[ ソロモンのバックグラウンド ]

・ダビデ王の息子であり、イスラエルの王であった

・生まれた人の中で誰よりも知恵があり、箴言など聖書も書いた


【第1列王記4章29-34節】

神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。

それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。

彼は、すべての人、すなわち、エズラフ人エタンや、ヘマンや、カルコルや、マホルの子ダルダよりも知恵があった。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がった。

彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。

彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。

ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。


・初めは父ダビデのように神様のおきてに従って歩み、神様のために神殿も建てた


【第1列王記6章11-14節】

そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。

「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。

わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」

こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。


・ソロモンが神様の目にかなった願い(富よりも何よりも人を治めるための知恵を求めた)をしたので、神様が金銭的に祝福し、かなり裕福であった


どんなに知恵があり、信仰があり、神様からの祝福があり、裕福であり、満ち足りていても、信仰の道を踏み外し、神様から離れてしまうことがあるのです。

このソロモンさえもそうでした。


【第1列王記11章1-10節】

ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。

この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。

彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。

こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。

当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。

彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、

このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。




ソロモンの人生から学ぶべき3つのこと




① 今何を一番愛しているかを知る


ソロモンは初め主を愛し、主の目にかなった生き方をしていました。

いつも主を礼拝し、主だけが神であることを認めていました。


【第1列王記3章3節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。


しかし、ソロモンは知恵の通りに神様を礼拝し、神様を愛しながら生きていた後に、神様よりもより愛するものに出会ってしまったのです。

それは女性でした。


【第1列王記11章1節】

ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。


女性の誘惑に負け、たくさんの異国の女性との結婚により、偶像崇拝をするようになってしまいました。


ソロモンは神様だけが唯一の神であるということを知りつつ、その知恵を持っていたのにも関わらず、そこから落ちてしまい、神様以外のこの世の神々のためにも祭壇を築いたのです。


知恵を持っていても、その知恵を実行しない者になりました。


それは、自分の心が神様から離れ、たくさんの女性の方に奪われてしまったのです。

女性を神様よりも何よりも愛する者になってしまったのです。



家族、配偶者、子ども、孫、仕事、キャリア、勉強、お金、趣味、ギャンブル、お酒、異性、自分自身への愛など、あなたが一番大切にしているもの、愛しているものは何ですか?


もしそれが神様ではないなら、このソロモンのように初めの愛から離れてしまっているのではないでしょうか。



私たちの心が今それぞれどこに向かっているのかを考え、もしそれが神様以外であるのならば、軌道修正をしないといけません。


そうしないと気づかぬうちに罪を犯し、そこから逃れられなくなり、むしろ好き好んでそれをするようになってしまうのです。






② 誘惑に陥らないように自分の弱さを知り、神様に立ち返る


そもそも神様以外のものや人を愛する前に、私たちは自分たちが何に弱いのか、どういうことに誘惑されやすいのかに気づく必要があります。


ソロモンは元々女性に引っかかってはいけないことを知っていました。

箴言でも何回も女性のことについて、注意しています。


いけないことと知っているのにも関わらず、ソロモンはたくさんの女性を愛し、外国人の女性を愛し、偶像崇拝をするようになったのです。


【箴言5章1-14節】

わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。

これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。

他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。

しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。

その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。

その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。

子どもらよ。今、私に聞け。私の言うことばから離れるな。

あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。

そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。

そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。

そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。

そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。

私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。

私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった」と。


ソロモンにとっての誘惑、弱さは女性でした。


その誘惑に負け、たくさんの女性と関係を持ち、神様の御言葉には耳を傾けずに彼女たちの言葉に耳を傾けるようになり、神様ではないものを拝むようになりました。

あなたは誰の言葉に一番耳を傾けていますか。



私たちは人それぞれ誘惑に陥りやすいもの、弱さは違います。


神様から私たちを遠ざけるもの、心を離そうとするものはすべて誘惑なのです。


私たち自身がそれに気づき、注意して私たちの心が奪われてしまっていないか、気づかぬうちに誘惑に陥っていないかを常に点検する必要があります。






③ 自分の生き方は後世に影響を与える


私たちの人生は私たち自身だけのものではなく、周りの人、特に家族や子どもたちに大きな影響を与えます。


父ダビデがずっと『主のために宮を建てたい』という願いを持ち、思い続け、それに対して神様は父ダビデではなく息子(ソロモン)がそれを建てるという言葉を父ダビデに与えたことをずっとソロモンは知っており、実際に主のために宮を建てました。


【第1列王記8章17-21節】

それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。

ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。

しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』

主は、お告げになった約束を果たされたので、私は父ダビデに代わって立ち、主の約束どおりイスラエルの王座に着いた。そして、イスラエルの神、主の名のために、この宮を建て、

主の契約が納められている箱のために、そこに一つの場所を設けた。その契約は、主が、私たちの先祖をエジプトの地から連れ出されたときに、彼らと結ばれたものである。」


父の生き方を見ていたからこそ、主の言葉に従い、生きていました。

しかし、父ダビデと同じように女性関係で罪を犯しました。


ダビデの場合は罪を犯した後、預言者ナタンを通して自分の罪に気づき、悔い改めました。


一方、ソロモンは多くの妻や、そばめを取り続け、偶像崇拝もし始めましたが、すぐに悔い改めず、神様に立ち返らなかったのです。



ソロモンは父ダビデの信仰によって守られましたが、逆にソロモンの罪によって、ソロモンの子どもには 王国が引き裂かれ、分断し、繁栄がないという滅びの宣告がありました。


【第1列王記11章11-13節】

それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。

しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。

ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」


【第1列王記15章1-5節】

ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、

エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。

彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。

それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。


ダビデの信仰は息子ソロモンを滅びから守り、ソロモンの信仰は息子レハブアムを滅びに導きました。


私たちの信仰の歩み、人生は、私たち自身だけではなく、私たちの周りの人、家族、特に子どもたちや孫たちにも大きな影響を及ぼします。



誘惑にあった時は自分のことだけではなく、周りの人のことも考えてください。



小さな誘惑に負け、罪を犯していくことがどのような影響を及ぼすのか、自分だけではなく周りの人にまで影響があることを忘れないでください。


私たちは弱い人間であり、罪を犯してしまう人間です。

それでも、ダビデのように罪を悔い改めながら、心を神様から移り変わらずに生きていくこと、天の御国に行くその日まで神様と一緒に歩み続ける人生を歩むことが大切です。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.3.13
聖日礼拝メッセージ

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