からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


絶望

世の終わりにあるひどい災い

テーマは 『 世の終わりにあるひどい災い 』 です

【マタイの福音書24章21-22節】

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。


主が語ることばは 必ず実現することは、聖書や歴史が証明しました。

主は世の終わりがあり、世の終わりに起こることも詳しく教えて、準備するように警告しておられます。


世の「始まり」と「終わり」は まったく違います。


世の始まりは、神が「無」から「有」を創造して始まりました。

その時は喜びと楽しみ、希望と期待がありました。



しかし世の終わりには すべてのものが破壊され、絶望と苦しみ、災いと呪いが世界に満ち、やがて世界の終わりが来ます。


世の終わりにある苦難は、いまだかつてないような ひどい苦難になるというから、想像が出来ないです。


神様を真実に信じ、愛し、神と共に歩んだ者たちは携挙されますが、携挙されずに残された人たちには、“想像も出来ないひどい苦難” が始まります。



携挙があった次の瞬間から全世界はパニックに陥ります。

突然消えた人たちによって、残された人たちにパニックが起こります。


自分の目の前で愛する人が消えてしまったらどうなりますか?

ショック、悲しみ、戸惑い、苦しみ、痛みなどを受けない人は一人もいないと思います。




神様がエジプトに下した最後の災いは、長子のいのちを取ることでした。

夜中エジプト全土に泣き叫ぶ声が響き渡りました。


それとは比べられないことが起こります。

全世界に混乱が生じ、その混乱はすぐには収まらないと思います。



そこに多くの惑わす者たちが現れて人々を惑わします。

家庭が壊れ、家族が敵対するようになります。


愛ある人たちが世から消えたので、人々の愛は冷たくなります。

悲しみと怒りが満ちる世になります。





光の子たちが消えたので 闇の子たちの世界になります




光の子たちは世のために祈り、その人たちによって悪の勢力はそんなに力を発揮することが出来なかったです。


しかし(携挙によって)霊的戦いをする者が消えたので、社会が混乱状態になり、悪の勢力が世界を支配し、無政府状態になり、政府が正しい機能を果たすことが出来なくなります。


そして犯罪社会になります。

不安、暴行、脅迫、革命、内戦、戦争が次々と起こります。



世界単一政府の出現、反キリスト、獣の刻印を受けないと生きていけない世界になります。

愛ある人間世界ではなく、血も涙もない冷血人間、すなわち感情もない獣の世界になります。


精神世界が堕落していきます。

正しく人々を導く者がいない世界になります。





真理を伝えた人々が消えたので みことばの飢饉が始まります




いのちのことばを伝える者も、福音を伝える者もいない世界になります。


【アモス書8章11-12節】

見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。


真実な伝道者、説教者はいなくなり、偽りのことばを伝える者たちが残され、彼らは相変わらず偽りを伝えます。

にせもの天国になります。





あらゆる自然災害、疫病、貧困が起こり 世界も人間もどんどん死んでいきます




どれほどひどい災難が起こるかは、【ヨハネの黙示録】に預言されてあります。


災害の一部分だけを伝えますが、それだけでも酷いです。


  • 地の三分の一が焼かれた
  • 海の三分の一が血になった
  • 水が苦くなった
  • 昼の三分の一が暗くなった
  • サソリに刺されたような苦しみが人を襲う
  • 戦争によって人間の三分の一が死んだ
  • ひどい悪性の腫れ物が出来た

  • 海の中にいる生き物はみな死んだ
  • 川と水の源は血になった
  • 太陽は人々を火で焼くことが許され、人々は激しい炎熱で焼かれた
  • 闇によって人々は苦しみのあまり舌をかんだ
  • 雹の災害は非常に激しかった
  • 多くの富が、大きい都が一瞬にして荒廃に帰してしまった


これに比べると エジプトに下った十の災いは、とても軽いものでした。

それでも人々は災害に恐れおののきました。


世の終わりの苦難は、それよりも数十倍以上の苦痛になります。


耐えられますか?

―― 耐えられないです。



あらゆるところに危険がいっぱいで、まるで薄く張った川の氷の上を歩くようなもの、燃える火の中を通るようなものです。

ですから主も その日数を少なくしなかったら救われるものはいないと言われました。




携挙がいつ起こるのかを問題にするのではなく、携挙出来るように目を覚まして花婿であるキリストを迎えることが出来る花嫁になれるように励まないといけないです。


世の終わりは 楽しい世界ではなく、生き地獄を味わう世界です。



コロナが世界に広がって味わった様々なことは、世の終わりの予告編です。

神様はだれも経験したことのない とんでもないことが世の終わりの時は普通に起こることを警告しました。


【ヨハネの黙示録19章9節】

御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2022.6.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

【水曜礼拝】危機の時にどうすれば良いのか

テーマは 『 危機の時にどうすれば良いのか 』 です

【第2列王記6章14-19節 】

そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。

神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、『ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」と言った。

すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。

そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。『どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。

エリシャは彼らに言った。『こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。


今回は本当に困っている時、危機の時にどうすれば良いのか、それを学んでいきます。


エリシャは旧約聖書の中に出てくる預言者です。


エリシャはエリヤの後継者です。

霊的力を神様からもらいました。


彼自身がそのことをすごく願っていました。『エリヤのように働きたい。しかし、自分には力がない。どうぞ私にその力を与えてください』と。

その願いが叶えられて多くの奇跡も行いました。


そしてエリシャは霊の目が開かれた者でもあります。


敵はいつもイスラエルに侵略してきて、イスラエル人達を苦しめていました。

その度にエリシャが祈りをすると、神様が色々と戦いの方法を教えてくださいました。

イスラエルを守るために神様がそのようにしました。

それによっていつも勝利してきました。



相手から見たら、『自分たちの中にスパイがいるのではないか?」と、自分たちが計画を立てても、敵のイスラエルにすべて知られていました。

でもそこにイスラエルのスパイがいたわけではないです。


祈りの中で、いつも神様がエリシャに教えてくださっていました。

ですから敵は、「あの預言者さえ殺せば、これからの戦いは自分たちの勝利になる」と思っていました。


それで一人の預言者を殺すために王様が、馬と戦車と大軍を送りました。

国と国の戦いではなく、一人の人を殺すためにこんなことしました。


そしてその者たちが近づいてきて、エリシャがいる街を包囲しました。



エリシャは勇士でも何でもないです。

しかし彼の姿を見ると何の恐れもないですね。


これは本当に大切なことです。


神の人、すなわち神様を信じる人は、何が起きても揺れ動くことがないです。


毅然とした信仰と勇気と態度があります。



風が吹いてきました。

「怖い、怖い、殺されるかもしれない。倒れるかもしれない」と言って、すぐに口から不信仰、否定的な言葉が出てくる人は、神様が見た時に『信仰のない者だ』となります。


信仰のない者は、もうその時点で相手に負けているのです。

戦う前に崩れてあります。


しかし信仰ある人はビクともしないです。


なぜでしょうか?
それは、“神様が共におられる” ということを信じているからです。


『自分はひとりではないんだ』、『神様が共におられるから何で恐れる必要があるのか?』ということです。








イエス様はインマヌエルです。

「神が私達と共におられる」という名のイエス様が来てくださいました。


わざわざ「聖霊様、来てください」と祈る必要はないです。

もうすでに聖霊様は来ていて、自分たちの中に共におられるからです。


そのことを自分たちが認識するか、認識しないかによって全然違うのです。


信じている者たちの中には聖霊様が私たちの心に住んでくださっています。


ですから、ひとりではないです。

私たちは目には見えないですが、神様が共におられるのです。



エリシャはそのような信仰がありました。

エリシャと共にいる召使いは、いつも神の人のそばにいた者でしたが、信仰の差がこのように違います。


その召使いは信仰の目が開かれていませんでした。

ですから環境を見て、『ご主人様、どうしたらよいのでしょう?』と、人間的な言葉がすぐ出てきます。


このような言葉は 信仰のない人たちが語る言葉です。

すぐに環境を見て恐れます。



信仰ある人はどんなに厳しい環境になっても神が共におられることを知っています。


環境が厳しいからと逃げることがあるんですか?神様は逃げないです。

反対に神様は私たちが困った時には、助けるためにもっと近くに来てくださる方だと、私たちが信じないといけないです。


ですから、その神様が「わたしを呼びなさい」と言っています。








エリシャはどんな時も恐れたことがないです。


エリシャの先生であったエリヤよりも、エリシャの方が大胆な者でした。


エリヤはすごく大胆な預言者でもありますが、イザベルが命を狙った時には恐くなって、彼は逃げていました。

『神様、もう十分です。私を殺してください』と、神様の前で彼は弱くなってそのように弱音を吐いていました。


しかし、エリシャにはそのようなことがなかったです。



聖書の中には『恐れるな』という言葉がたくさん出てきます。


私たちがすぐに恐れてしまうから、小さなものを見ても自分が予期しなかったことが突然で起きたりすると、もちろん人間ですから不安になったり恐れがあったりします。


その時に私たちは信仰を働かせなければならないです。

『恐れる必要がないんだ』と。



悪魔は私たちを恐れさせます。

目の前にチラつかせながら、『これでも恐くないのか?お前の命はもう終わりだ』と言います。


その時、私たちはそれを見て怖がってはいけないです。

『お前なんか恐くも何とも思わない!』と。





御言葉を心に蓄える





なぜ神様の言葉を私たちが心に蓄える必要があるのでしょうか?

それは、すぐに御言葉で反応しなければならないからです。


イエス様がサタンと戦った時に、サタンが神の言葉を持ってきました。


そしてイエス様を誘惑しました。

世の言葉ではなく、全部神の言葉を持ってきて、そしてその言葉を少し変えて誘惑しました。


それに対してイエス様も全部神の言葉で返しました。

そしてイエス様が全て勝ちました。



私たちも御言葉を蓄えておいて、そしてその瞬間に御言葉をすぐに思い出さなければならないです。



【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


他にも恐れに関する言葉はありますが、この言葉だけでも私たちがすぐ思い出すならば、恐れが消えていくのです。

御言葉が “力” であるのです。


サタンと戦う時の霊の武具・剣が御言葉です。

攻撃武器である御言葉がないと勝てないです。


サタンは人間的な言葉を恐れないです。

私たちが『出ていけ!』と言ってもビクともしないです 。


サタンは私達よりも ある意味で強いです。

しかし私達が持っている武器が サタンが恐れるものであるならば、サタンはそれにビビって逃げるのです。



イエス様の名を遣って神の言葉を 相手に剣として刺していくならば、サタンは神の言葉の前では何もできないです。


それでも、私たちが疑いながらやるならば、サタンは全く恐れないです。

しかし信仰によって御言葉を正しく使うならば、サタンは逃げていきます。



苦しみの中で私たちは、自分はひとりぼっちだと思うのは、これはサタンの惑わしです。


一人ぼっちではないです。

神様がいつも共におられることを私たちは信じなければならないです。


そして共におられる神様は悪魔よりも はるかに力がある神様であるんだ、ということを信じなければならないです。



【第2列王記6章16節】

「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」


召使いから見ると、何も見えないです。

しかしエリシャの目には見えるのです。


霊の目が開かれた人、信仰の目が開かれた人は、それが見えてきます。

信仰のない人、信仰の薄い人には環境しか見えないです。



そして神様がはるかに力がある方であること、その力をも信じました。


今、目に見えている敵の大軍よりも、エリシャと共にいる目に見えない神様の力の方が圧倒的に強いです。


アラムがエリシャを殺すために軍隊を送った時に、神様はそれと同時に何をしたでしょうか?

『行ってエリシャを守りなさい』と、天の軍勢を全部送りました。



御使いたちは聖徒に仕える者です。

神に仕え、聖徒たちに仕えます。


ですからいつも神の命令に従って御使いたちは動きます。

私たちが困った時に、私たちが信仰をもって神様に頼ると、神様はすぐに御使いに命令を出します。


神の軍勢の方が力があるということを、いつも確信を持って信じることです。





信仰の弱い者のために祈る





エリシャは自分と共にいる召使いが信仰もなく、目の前に見える大軍を見て恐れている姿を見て、信仰の弱い者のために祈る姿がありました。


『何で信仰がないのか!?』と説教したわけでもなく、怒りもしませんでした。

神様に祈りました。


17節に『そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください」』という言葉があります。



このように信仰の弱い者たちのためには、信仰ある人たちが祈らなければならないです。

神様は、信仰の無いことを裁くのではなくて、信仰ある人が弱い人を助けなさいと、これは神様の御心であります。


ですからエリシャは祈りました。

神様はその祈りを聞いて下さいました。


そして若い者の目が開かれたので、彼が見るとなんと火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていました。

私たちの霊の目が開かれて、それが見えるならば どんなに素晴らしいことでしょうか?




私たちは宗教生活を長くしていても、霊の目が開かれていないと見えないものです。

聞いても悟らない、見ても分からない、そしていつも考えていることは人間的な思いです。


霊的な思いではなく、人間的な思いですべてのものを見て判断します。


同じものを見ていても、霊の目が開かれた人は違うものを見ます。



肉の目しかない人は、目の前に見えるものしか見えてこないです。

そういった人たちは祈らなければならないです。


「私の霊の目を開いてください。神様が見えるように、神の世界が見えるように開いてください」と祈ることです。


それを体験してる人たちがいるので、そういう世界があるのです。

嘘を言っているわけでないですね。


ですからエリシャはその若者のためにお祈りをしました。

すると、さっきまでは何も見えなかった霊の世界のものが現実の中にあり、火の馬と戦車がたくさん見えました。



恐れも一瞬にして消えていきました。

見えていない時は恐れがいっぱいありました。


しかし霊の目によって、自分たちを助けるために来ている御使いたちを見た瞬間に、自分が恐れたことが馬鹿馬鹿しくなったと思います。





サタンの策略





私たちは危機がある時に、ますます神様の力に頼らなければならないです。


人々は危機があると、危機の中に飛び込んでいきます。

自ら飛び込んで行ってそこから出ることができないです。


『もうだめだ。もう私は終わりだ。もう私は死ぬんだ』という否定的な思いしか持たなくなります。



悪魔はすごく巧みであります。

悪魔は言葉と思いを通して私たちを攻撃してきます。


私たちの感情をすごく悲しくさせたり、辛くさせたり、そういう言葉を掛けてきます。

悪い言葉、否定的な言葉、攻撃的な言葉で私たちを傷つけていきます。


その後に、悪魔は私たちの思いの中でも働き、自ら沈んでいくように、「もう私は終わりだ、もうだめだ」と、戦う力を失くしていきます。


私たちはその時にどうしますか?



私たちは問題が大きければ大きいほど、絶望が大きければ大きいほど、私たちは神様の力に頼らなければならないです。


神様は助け主で、全能なる力があります。

私たちを どんな環境の中でも助けることができる神様です。




ですから神様は『いつも呼び求めなさい。わたしを呼べ』と、それは力があるから、あなたが呼んだら すぐに御使いを送るから心配するなと、神様が語ってくださる言葉であるんですね。








ダビデはあらゆる戦いをしましたが、彼はその戦いの中でも絶望的にならなかった理由があります。

その時のダビデの状況が22章1節にあります。


【第2サムエル記22章1節】

主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った。


【第2サムエル記22章19節】

彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。


彼自身がいつも神を呼んで神様の助けを求めたので、神様は彼を支えて下さいました。

敵に渡さず、いつも助け出して下さいました。


災いの日、私たちを倒すために 私たちの信仰を奪うために災いがきます。


人々は良い時に信仰を失うよりも、災いの日に信仰を失う人が多いです。


絶望的になるのです。

『あぁ、神様が私を捨ててしまった。あぁ、神様は私を助けてくださらないんだ』と、勝手に思ってしまいます。


かといって、神様に必死に頼ってもいないのです。

神様に祈り求める前に、ただただ絶望して何もしないことが多いです。



でも神様はいつも私たちに語ります。

『災いの日には主に頼りなさい』


その時は断食してまでも神の前に来て神に求めてください。


そういうことをして助け出されない人はいません。

神様はいつも助け出してくださる方です。








恐れがあると私たちは祈りもできなくなります。

信仰がないと祈りはできないです。


「祈ってもどうにもならない」というのは不信仰ですね。


こういう時に祈らなければ、私は助かることがない と考えることです。


患難の時、災いの時は人に頼るのではない、絶望するのではない、恐れるのではない、祈ることだ、神様に頼ることなんだ、そのように自分の心を奮い立たせなければならないですね。



私たちが恐れたり失望する必要がない理由、それは何でしょうか?

「毎日が死の連続です」と語ったパウロは どういう思いを持っていたのかを人々に教えています。


こういう言葉を私たちは心に蓄える必要がありますね。


【第2コリント4章7-9節】

私たちは、この宝(イエス様)を、土の器(自分たち)の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。


この世にあっては患難があります。

この世は荒野です。


しかし私たちは荒野を通る時も患難を通る時も、「圧倒的な勝利者になるんだ」、これが神様が私たちに語る言葉なんです。


なぜなら私たちの中におられる主は、力ある神様であるからです。

私たちを敵の手には渡さないです。



イエス様に対する預言もそうですね。

かかとを噛むサタン、イエス様はそのサタンの頭を砕きました。


どちらが勝ちましたか?イエス様が勝ちました。

イエス様が勝利者です。


その勝利者が私たちの中に共におられます。



色んな環境を通して苦しみが来ます。

災いも来るんです。


しかし、それによって私たちは倒れることはないんだ、すなわち負けることがないと宣言してあります。

ですから恐れる必要がないのです。


私たちは必ず勝利するんだと思ったら恐れないですね。



恐れる人は勝利できないです。

恐れに飲まれてしまうのです。


しかし恐れのない人は、環境、問題、災いは、私が主に頼るならば力ある神様が来て、私をそこから救い出し、そして敵に対しても神様が必ず敵を滅ぼすんだと思えば、私たちは答えを持っているのです。


「最後に勝利するのは私である。患難でもなくて 悪魔でもない。私が勝利するんだ」と思えば、その間に様々なことがあっても恐れる必要がないです。



最後が問題です。

最後に必ず勝つんだと思ったら忍耐もできるし、その中で私達は平安の心を保つこともできます。








そして患難の中でも、私たちはますます目が開かれるように祈ることです。


目が開かれると、私たちは肉の目で見えるものを見なくなります。

霊の世界を見るようになります。


この同じ時間に、見えないところで神様がこのように(天の軍勢を送ること)働いてくださるんだと思うならば、私たちは神様を見るようになるんですね。

人や環境を見なくなります。



私たちはエリシャがどんなに厳しい環境の中でも心配したり恐れたりする姿を一度も見たことがないです。

否定的な言葉、不信仰の言葉を語ったことがないです。


いつも「できるんだ。信じる者にはどんなことでもできるんだ」という思いです。

信仰の人は皆そうでした。


ですから信仰によって生きるということは、どれほど素晴らしいことか分からないです。



自分を助ける人が一人もいなくても、全世界の主権者である神様が自分の味方になるならば何を恐れる必要がありますか?

肉体の命はどうでも良いことなのです。


私たちはこの地上で、この肉体の中で永遠に生きることはないです。

(肉体を)脱ぎ捨てる時が来ます。


そしてその後に私たちは命の衣を着るのです。


永遠の世界がいつもそこにあるんだと、それを考えるならば、別に この地上に執着する必要もないですし、ここで起きているあらゆることで そこまで恐れたり心配する必要がないです。



全てのものは過ぎ去っていくんだと思えば良いです。

全てが一時的なものであるからです。


そして、「私はどんなことの中でも 私は勝利者として残るんだ。最後に勝利するのは私である」と、このようにいつも自分の中にそういう言葉を持って生きることです。


そうするならば私たちは信仰によって何でもできる者になります。

強い者になります。



神様は私たちの口から 恐れの言葉、不安な言葉、心配の言葉、否定的な言葉が出てくると、すぐに主が語ることは、『信仰のない者だ、信仰の薄い者だ』
そのような言葉を語るのです。


『環境が悪い』そのような言葉を語るのではないです。



信仰があれば乗り越えるのに、信仰があれば勝利するのに、信仰があればあなたの問題は解決されるのに、信仰を求めなさい。霊の目が開かれることを求めなさい。御霊に満たされることを求めなさい。


そうしたら心が強くなると神様が語ってくださいますので、『私たちは信仰によって生きる』のです。


義人は御言葉によって生きます。

神の口から出てくる言葉によって生きるのです。


そのことを私たちは知らないといけないです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.2.16
水曜礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

苦難を受容するまでの段階

テーマは 『 苦難を受容するまでの段階 』 です

【ヨブ記2章7-10節】

『サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。

ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。

すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」

しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。


突然のがんの宣告、死、大きな問題や事故などに直面すると、だれもがそれを簡単に受け入れることが出来ないです。

あらゆる感情が湧き出て、どうしたらよいのか戸惑うことがたくさんあると思います。


一般的に最初はほとんどの人がそれを否定します。

「そんなはずがない。間違いでしょう。うそでしょう。」という思いになります。

受け入れることが出来ないので否定します。



ヨブという人は 神を恐れ、悪から遠ざかっていた成熟した信仰を持っていたので、彼はとんでもない不幸が自分を襲ったその日も、否定したのではなく不幸を受容しました。


普通の人は 受容するまで何段階も通らないといけないのに、彼は成熟した信仰を持っていたので、すぐに受容しました。

普通の人ならば事実をまず否定します。


次はそれが事実であることを確認した後に、怒りの段階になります。

「どうして神様は私にこんな試練を与えるんですか?」と神に怒りの感情をぶつけます。

神様を信じない人までも悪いことが起こると 神のせいにします。



しかし、怒るからといって状況が変わるのではないです。


状況を変えたい人間は次に妥協点を捜します。

「神様が解決して下さるならば、これをします」 と誓願を立てて神の助けを求めます。



不妊のために苦しんでいたハンナは激しく泣きながら神に祈りました。

「万軍の主よ。もしあなたがはしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けて下さるなら、私はその子の一生を主にささげます。そしてその子の頭に、かみそりを当てません。」


神はその祈りを聞いて、ハンナに男の子を与えました。

そして彼女は神に誓願した通りにその子を主に捧げました。


自分の願いが叶えられた後に、主への誓願を果たさない嘘つきも多いですが、彼女は誓願を守りました。

神はハンナをさらに覚えて彼女に3人の息子と2人の娘を与えました。



次は妥協も通らないと諦めてうつ状態になります。

「私の人生はこれでおしまいだ」と絶望する段階です。



ここで終わる人も多いですが、次の段階に行く人たちもいます。





受容段階・世の塩のような役割




それは、ありのままを認め、受け入れる受容段階です。

信仰ある人たちは ありのままを受容します。


自分に起こるすべてのことは、神の計画の中にあることだ と受け止めます。

ヨブもヨセフもダニエルもひどい苦難がありましたが、それをそのまま受容して忍耐しました。


神は、忍耐して神につぶやかなかった人たちを必ず祝福して下さいます。



そして、さらに次の段階もあります。

それは自分が経験した辛いことを生かして、同じ経験をしている人たちを慰め、助け、人の益のために働く段階です。


この人たちが世の光、世の塩のような役割をします。

社会を明るくする人たちです。



神は私たちがこの段階まで行くことを願います。

こういう人たちが本当に人を愛して善を行うことが出来ます。


神様は理由なく苦難を通らせるのではないです。


私たちの益のために、成熟した信仰に育てるために、キリストに似た者にするために、愛と謙遜がある人にするため、苦難を通して私たちを変えていきます。


また、試練を通ることによって ますます天の御国に望みを置く者になることも主は知っておられます。


アーメン (*゚∀゚)っ


2021.7.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

危機の中での平安

テーマは 『 危機の中での平安 』 です

【マルコの福音書4章40-41節】

イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

危機の中で感じる一番の感情は、死の恐怖だと思います。


「このまま死ぬのかな。」


弟子たちもそうでした。

イエス様と同じ舟に乗りましたが、激しい突風が起こり、舟は水でいっぱいになりました。


その中でイエス様は眠っていました。

弟子たちは恐怖に満ち、イエス様を起こして「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないですか。」



死の恐怖を口にしてイエス様を責めました。

それを聞いてイエス様は彼らに謝ったでしょうか。


謝ったのではなく、まずは風をしかりつけて 風が収まるようにしました。


その後に弟子たちを責めました。

「どうしてそんなに怖がるのです。信仰がないのはどうしたことです。」と。


これに対して彼らが見せた反応は違い、大きな恐怖でした。



イエス様の超自然的な能力に圧倒されて畏敬の念を抱いた感情でした。


ですからイエス様には何も言えず、互いに「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言いました。


病人が癒される奇跡はたくさん見た彼らでした。

しかし、ここまでの力があるとは思ってもみなかったことが分かります。


自分と同じ人間の姿をしているので、主の力を過小評価していたのでしょう。






信仰がない人や薄い人は、まず神の力を過小評価し、神にも不可能があると思っています。

これこそが神を侮る姿です。


神を侮る人たちは、危機の時にそれがすぐに現れます。

「今にでも死にそうです。何とも思わないですか。」


恐怖、不信仰、絶望、あきらめ、つぶやきは信仰がない時に出て来ます。



荒野でイスラエルの民も同じことをしました。


「なぜ神は私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子はさらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と大声で泣きわめきました。

それを聞いた主の中に怒りが燃え上がりました。


そしてこのように語りました。

「この民はいつまでわたしを侮るのか。
わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」



神のわざを見ても 信じないことは、神を侮る不信仰の態度です。


神を侮る人が危機の中で平安を感じることは不可能です。


もし私たちの中に彼らと同じ思いがあるなら、それは神を侮っていることです。


小さな危機の前でもすぐに怖がりますか?

泣いてわめいていますか?



主はそれを見て、弟子たちに語った同じことばを語るでしょう。

弟子たちは暴風ばかり見てイエス様は見ませんでした。


信仰のない人はいつも環境ばかり見て、口ではイエス様を呼びますが、目はイエス様を見ず、環境を見ています。


環境を見たら死の恐怖、不安と心配しか出ないです。

平安はどこにもないです。






舟の中にいる人の中で平安であったのはイエス様だけでした。


天地を創造した主が解決出来ないことがありますか?


冷静に考えることです。

もちろん神は私たちが願う通りには働かない方です。



しかし神にはどんなことでも出来る力があります。


もし主を信じる人ならば、危機の中でも平安を保つ秘訣は イエス様から目を離さないことです。


自分を殺そうとする人々が歯ぎしりしながら殺到した時のステパノは、彼らを見ずに天を見つめていました。


【使徒の働き7章55-56節】

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」


しかし誰も天を見上げることもなく、ステパノだけを見て彼を殺してしまいました。


殺される人が一番死の恐怖に陥るはずですが、一番平安でした。

主を見ていたからです。


ここが違います。


危機があっても無くても いつも主を見上げて生きる人には平安があります。


主の守りと助けがそこにあるからです。

そして主のことばが力になるので平安になります。


【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

アーメン (・∀・)


2021.1.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人とは異なる父なる神の思い

テーマは 『 人とは異なる父なる神の思い 』 です

【ルカの福音書15章31-32節】

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

放蕩息子の例えは、聖書の中でも とても有名な例えです。


自分の過ちによって自分の人生をつぶした者が 父のもとに帰って来た時に、父が彼を迎え入れ、赦したので、彼は人生の再出発が出来ました。

もしお父さんが彼を受け入れなかったならば、彼の人生は終わったと思います。


お父さんの愛と赦しがあったので、彼の新しい人生が始まりました。



主によって新しい人生を始めた人物は聖書にたくさん出てきます。




ヨハネの福音書4章




1人の女がいました。

人目を避けて生きている女でした。


乱れた生活によって、すでに5人の男性と結婚し、今一緒にいる男性は夫でもなかったです。

人との付き合いも出来ないような罪深い人生を生きていました。


彼女の過去を知っているイエス様は、わざわざ彼女に声をかけ、彼女が新しい人生を生きるように希望を与えて下さいました。

彼女の人生はそこから大きく変わりました。




ヨハネの福音書8章




姦淫の場で捕らえられた1人の女が、イエス様の所に連れて来られました。


連れて来られた人たちは律法通りに女を殺すことを決めていました。

しかし それだけではなく、イエス様を告白する理由を得ようと わざわざ連れて来て、イエス様を試みました。


女は死を覚悟した絶望の状態でした。

生きる希望はまったくありませんでした。


死刑に当たる罪を犯したからです。



しかし 死と絶望から女を救ったのは、イエス様の一言でした。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」


その言葉で女に石を投げる勇気ある者は1人もいませんでした。


みんなが去った後に、主は彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と伝えました。



彼女が罪から離れ、新しい人生を生きたことは言うまでもないと思います。




ルカの福音書19章




民からの評判も悪く、罪人のレッテルが張られたザアカイという人物が出てきます。


彼は不正を働いて富を得た取税人のかしらでした。

どんなに金持ちであっても人々から除け者にされ、神の前でも罪人でした。


しかし彼の人生を新しく変えたのもイエス様でした。


その人を救った主のことばは「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」



このように、主が救ったのは 失われた人々、絶望や罪、死の陰を歩いていた人々でした。


彼らの過去の罪や過ちに目を留めず、彼らの未来に関心を寄せました。

そして何度も何度もチャンスを与える方です。



「あなたの過ちや罪によって あなたの人生が終わったかのように見えても、絶望したり、挫折してはならない。わたしの手をつかんで立ち上がりなさい。」と、今日も主は言われます。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

アーメン (*´∇`*)


2020.10.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

災難を新しい挑戦のチャンスに

テーマは 『 災難を新しい挑戦のチャンスに 』 です

ハレルヤ。

主の恵みと守りが、今日もありますように祈ります。


災難を新しい挑戦のチャンスだと考えたことがありますか?


地震や火災、また戦争などによって建物が破壊され、がれきの山になり、灰になっている姿を見ると、ため息が出ますし、悲しくなり辛くなり、絶望的になります。


しかし、ある人たちは災難を新しい挑戦のチャンスだと思って立ち上がります。



1941年、発明家であるトーマス・エジソンの実験室で火災が発生しました。

それによって数知れないほどの多くの道具と彼が長い間力を注いで研究した資料などが すべて燃えてしまいました。


彼の息子チャールズが走っていくと、
父エジソンは、恐ろしい勢いで燃えている実験室を見ていました。


びっくりしたチャールズに、エジソンは こう聞きました。

「ママはどこにいるのか?早く探して、こっちに連れてきなさい。

こういう光景は2度と見ることが出来ないから。」


その翌日、彼が夢と希望が灰に変わってしまった姿を見て、こう語りました。


「破壊は何と有益なものであるのか。私たちが間違ったものを灰にしてしまったから、神様に感謝します。私たちは再び挑戦をします。」


開かれた意識の所有者が 災難を受けた時、こういう態度を取るのを通して、本当の信仰がどういうものであるのかも見せてあります。






ヨブも すべてのものを失った時、彼の本当の信仰を神様に見せました。


子ども10人を亡くしました。

財産もすべて失くしました。


しかし、彼はその中でも一言も不平不満を言わずに、そういうものに対して執着心を見せませんでした。

その中でも神様に感謝を捧げ、神を礼拝し、神様を求めました。


その災難の中で、彼が絶望だけしていたならば、どういうことになったでしょうか?

ヨブの妻は、彼にひどいことを言いました。


「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか?神をのろって死になさい。」


ヨブがこの災難を新しい挑戦の機会だと思わないで、
絶望的な目で見たならば、その言葉を聞いて、自殺したかも知れないです。


しかし、ヨブはそういう思いを持たず、新しく挑戦しました。

信仰によって再びはじめました。


そうすると神様は、彼に以前よりも2倍の祝福を与えてくださいました。



私たちにも様々なことが起こると思います。


しかし、私たちはどんな時でも、それを新しい挑戦のチャンスだと思って 立ち上がるならば、神様が道を開いてくださいますし、力を与えてくださいますし、祝福も与えてくださいます。
アーメン (*´∇`*)


2017.10.1
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

患難の時に取るべき態度

テーマは 『 患難の時に取るべき態度 』 です

【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

昨年の9月15日に息子と車で熊本県へ行きました。
阿蘇山の近くを通りましたし、黒川温泉にも行きました。

その少し前に阿蘇山の噴火もありましたが、大きなことにはならず収まっていました。


良かったと思いながら阿蘇山を見ました。

それが今回とんでもない地震が起こってしまいました。


日本中で誰一人この時に、このような大きな地震が熊本で起こるとは予想もしていなかったです。

地震の専門家たちも皆 驚いています。


綺麗な景色を楽しんだ昨年のことを思い出しながら、地震のニュースを聞くと 心苦しくなります。

今はその地域全体が 不安と苦しみに満ちた場所になりました。


ずっと余震が続き、雨も降っているので最悪な環境ですね。

ライフラインが寸断されたので生活が出来ないことが一番辛いと思います。


以前、この教会で1年間奉仕をしてくれた南さんが熊本の教会で働きをしています。

昨日“ライン”で安否を聞きましたが、今朝になって無事に避難をしていることと、教会や信徒たちも無事である連絡がありました。

断水で大変であること、祈りの要請などがありました。
皆で祈りましょう。


突然の患難に見舞われた人々を見て、それが他人事ではなく、自分たちも いつこのような患難に遭うか分からないなと改めて思いました。


イエス様が弟子たちに語った今回のことばは、患難の時に私たちが取るべき態度を教えています。


イエス様も激しい患難を通った方でした。

誕生した時から、患難の連続でしたので、患難の中にいる人たちの心境を誰よりも知っています。


患難の時に取るべき態度を主のことばから学びます。




・患難は誰にでもあることを認識する




聖書は繰り返して信じる者にも 熱心に主に仕える者にも 患難があることを話しています。


“患難がない” と言われたことがありません。

ですから患難が来た時に「どうして私に患難を与えるのですか」と戸惑うことも、つぶやく必要もないです。


信仰があっても、バラ色の人生で 患難がない人生を約束されたということはありません。


主のことばのように、この世で生きている人には誰にでも患難があります。


今回の地震でも、地震が “人を選び、場所を選ぶ” のではないです。

日本は、どこで地震が起きても不思議ではないですし、火山噴火も起こりやすい国ですから、起きたらそこにいる人たちは皆がその被害を受けます。

それは、ひどい被害か、軽い被害か が違うだけです。


クリスチャンだから守られて、いっさいの被害を受けることがないということはありえないです。


守られる時もあれば、そうでない時もあることは、信じない人にも当てはまります。


クリスチャンでも病気にかかりますし、死にます。
家庭に問題もありますし、貧困にもなります。


旅路である地上が私たちの定着地ではありません。

ですから地上では様々な患難にあうようになってあります。


患難が来ても、それが不思議ではないことを まず認識しましょう。


患難が特別なのろいでもなく、誰の所に来ても、それが不思議ではないことです。




・勇敢でありなさい




患難の中で “勇敢でありなさい” と言われました。


患難に遭うと人間はとても弱くなります。

気落ちし、不安と恐れで心が潰されそうになります。


心のバランスを失って フラフラ状態になります。

どうしたらよいか分からず悩みます。


その時、主が私たちに語ることばは「勇敢でありなさい」です。

なぜ勇敢な態度を取る必要がありますか。


主ご自身が “患難に、この世にすでに勝ったからだ” と理由を語って下さいました。


それが私たちの患難と何の関係があるでしょうか?


私たちが気落ちしたり、絶望したりするのは、自分たちには患難に勝つ力がないからです。

しかし私たちの力では何も出来ないですが、勝利の主が共におられるならば問題がないです。


どんな患難が来たとしても私たちに力を与えて下さる神によって、私たちは患難を乗り越えることが出来ます。


力ある主の手が支えて下さいます。
この信仰を持っている人が 本当に世に勝ことが出来ます。


神を信じる人は、自分の力ではどうにもならない時に簡単に諦めてはいけないです。


そこで諦める人は、神も神の力も信じていない人です。

意外とこのようなクリスチャンが多いです。


患難が来た時に、世の人々とまったく同じ言葉や態度を取る人が多いです。


それならば神は自分にとってどのような存在ですか?

(神は)頼れる力もない存在ですか?

助けて下さらない方だと信じていますか?


私には出来ないけれど、神が助けて下さるならば何でも出来るという “確信” が信仰であり、そのように信じるならば その通りになります。

不可能が可能になります。


神に愛された信仰の人々は、すべて患難の中から出て来た人たちでした。

患難の中で神の力に頼り、勝利した人たちでした。


英雄が激しい戦いの中で生まれるのと同じです。

人が出来ないことをやり遂げた人が、勇士になり英雄になります。

彼らには勇敢さがあります。


使徒パウロほど 多くの患難に遭った人はいないです。

しかし彼は患難の中でも勇敢な人でした。


患難に対する正しい態度が彼を勇敢にさせました。

彼は常に神に頼っていました。


【第2コリント1章4-10節】

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。

私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

さらに ここにも彼の勇敢な態度があります。

勇敢とは、環境に支配されず、反対に “環境を支配する態度” です。


【ピリピ4章11-13節】

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

患難の中で絶望したり、恐れたり、気落ちしたりする姿は パウロにはありませんでした。


それが出来たのは 彼が神に頼り、主のことば通りに勇敢な態度を取ったからです。

患難の時にこそ、さらに御言葉を守り、主に頼ることです。


すると世に勝った主の力が働いて患難を乗り越えることが出来ます。

主は私たちに平安を与えると約束して下さいました。


主に信頼し、患難に向かって勇敢に戦う時に平安が与えられます。

平安は、勝利者にあって 敗北者や絶望している人にはありません。


患難の時には環境ばかり見るのではなく、御言葉に従って行動するように励むと、主の力と助けが与えられて乗り越えることが出来ます。
( ̄‥ ̄)=3

2016.4.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

自分の道と神様の道

テーマは 『 自分の道と神様の道 』 です

【イザヤ書55章8-9節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。― 主の御告げ ―

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

このみことばを覚えているクリスチャンは多いと思います。

読みながら“なるほど”と思っていますか?
納得していますか?


このことばは、私たちが神のみこころを確認するためにも必要ですし、(自分)勝手に絶望して落ち込まないためにも必要です。


自分の思いと、神の思いが異なることが前提であるならば、自分の中に出てくる思いに対して、そのままその思いで進むのではなく、(神から)異なると 言われているので、違う観点でもう一度自分の思いを調べることが必要です。


「私の思いはこうだけど、神様ならば どのような思いだろうか?」と立ち止まって静かに考えるならば、今までは見えなかったものや 考えた事もなかった思いが出てきます。


人は自分の思いをみな正しいと思う傾向があります。

そして、自分の思いを通したいので他人の意見もあまり聞かないです。

そこに落とし穴があり、失敗の原因があります。


ですから、神のことばは 私たちの思いに対してブレーキをかけて、もう一度それが神の思いと一致するのかを確かめなさいというサインをみことばで発信しています。

そして、“自分の思いでは不可能に見えることに対しても、神ならば可能ではないのか”と希望が見えてきます。


不可能を可能にしてくださるのが神です。


主の弟子たちが、自分たちの思いを捨てた時に奇跡が起こりました。

夜通し漁をしても魚一匹釣れなく諦めていました。


しかしイエス様が彼らに「深みに出て網をおろしてみなさい」と言われた時に、彼らにはその言葉が無駄な働きを強いられる思いがありましたが、主のことばに 従うことにしました。

再び、船を海に向けて出発させ、深みに出て網をおろしました。


そして自分たちの思いの予想とはまったく違う結果が出てきました。
網が破れるほど大量の魚が捕れました。

この1つのことを見ても、私たちの思いと神の思いの違いがハッキリしました。


自分たちが ダメだと言ったら、すべてがダメでしょうか?
無理と言ったら、すべてが無理でしょうか?

そんなことは絶対にないです。


神は今も健在です。
そして力があり 何でも出来る方です。


また、道が閉ざされると 人間は自信をなくし、絶望と不安に駆られますが、その時に“これは自分が選んだ道だから閉ざされたのだ。神様は別の道を備えて いるに違いない”と思いを変えるならば、希望が出てきて、神が備えた道が見えてきます。


神は、はるかに良い道と計画を備えておられます。

ですから、自分の思いのままに出来なかったからと言って失望をしないで、今度は主の思いと道を求めてください。

すると、神は示してくださいます。
v( ̄∇ ̄)v

2015.11.29
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

勝利の人生

テーマは 『 勝利の人生 』 です

【エレミヤ書29章11-13節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

2014年・WHO(世界保健機関)報告では、世界の自殺者は年間80万人超でした。


それは 40秒毎に1人が自殺していたことになります。恐ろしい数字です。


最大の数はインドの25万人、中国、韓国、日本も自殺者の多い国に入りました。

国々によって理由も様々で、ストレスや うつ病、貧困、いじめ、経済面なども理由に入りました。

孤独のために自殺した人も多かったです。


昔と比べ 社会も人間関係もストレスが多く、不安や絶望感が大きくなったので、人生に絶望し、将来を悲観して いのちを断つ人が多くなったと思います。

その人たちは人生に負けたと思いながら亡くなったでしょう。


将来に対して全く不安がないと言うならば、それは嘘だと思います。

周りで起こる様々なことを見ると不安が出てきますし、絶望することも出て来ます。


その時に 私たちは世の流れに自分を任せて行きますか?

そうすると人生に疲れて自ら命を絶ちたくなると思います。


エレミヤと言う預言者がイスラエルの民に神のことばを伝えていましたが、その当時イスラエルは国も無くなり、彼らはバビロンで捕虜の身となっていました。


彼らの罪の結果でそのようになり、そして捕虜生活は長く続きました。

その中で人々は絶望していました。


絶望的になっている彼らを見て、神様は預言者エレミヤを通して語りました。

その内容は素晴らしいものでした。


絶望の中にいる人たちにとって希望と勇気を与えるメッセージで、勝利の人生を生きるヒントがそこにありました。


今回は、そこから勝利の人生のヒントを学びたいと思います。





・自分が置かれた環境の中で最善を尽くす




にせ預言者たちは 耳に良いことばを人々に語り、「捕虜期間が早く終わって国に帰られる」と民たちを惑わしました。


しかし主がエレミヤに啓示したのは、捕虜期間は70年間続くということでした。

それで神様は、彼らが地に足がつかない生活ではなく、しっかりと地に足をつけて生きることを示しました。


【エレミヤ書29章5-7節】

家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。

わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」

これらのことばは、今も主の再臨を待ち望みながら歩んでいる私たちに必要なことばです。

たとえ明日 世の終わりが来ても、今日しっかりと地に足をつけて生きることを主は勧めています。


聖徒は決して現実逃避しながら生きる存在ではありません。


現実を認め、自分が置かれた環境に適応しながら、その中で自分に出来ることが何かを思いながら、小さなことに忠実な人にならないといけないです。


神が与えた環境の中で神の栄光を現すために、信仰を持って最善を尽くすことが主に喜ばれる人生です。

神様はその人に恵みと力を与えて下さいます。





・自分の人生を主に委ねる




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

愛とあわれみ深い神様が私たちに与えるのは、災いの計画ではなく良い計画です。

しかし、私たちが神様のみこころを知らず 信頼しないならば、私たちは試みに会い、試練にも会います。


幼子が親に自分を完全にゆだねて生きるように、私たちも霊の父である真実な神様に自分の人生を完全に委ねて生きることを主は要求しています。


いつも私たちはこの部分が一番足りないと思います。
神様は私たちの保護者です。


私たちは主の前では幼子と同じなのに、主に委ねることも頼ることもせず、自分の力で生きようとします。
それが問題です。


謙遜になって委ねるならば、もっと自由に幸せに生きることが出来ます。



ですから人生を主に委ねることを学ばないといけないです。


【詩篇37篇5節】

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

【箴言16章3節】

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

神様が私たちのために計画を立ててあり、安心してそれに従うなら 神様は一歩ずつ私たちを導いて下さいますし、困難の中でも私たちを守って下さいます。



頭では分かっていても主に委ねることがなかなか難しいのは、信仰の弱さが原因です。

神様への信頼が足りなく、“心配と疑い”が委ねることを邪魔します。


信仰の勝利者は自分の人生を完全に主に委ねて歩みました。

アブラハムの姿を見てもそうでした。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

自分に対する神様の計画を知った時に、完全に自分の人生を神様に委ねて従いました。

それによって彼は幸せで満足ある人生を送りました。


自分の人生設計だけがすべてと思う人が多いですが、すべて自分の計画通りになりますか?

それは神様が喜ぶ人生でしょうか。


神様の計画に自分の人生を委ねることが良い人生であり 幸せな人生です。





・いつも主を求めながら生きること




【エレミヤ書29章13節】

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

神様は私たちの祈りを喜んで聞いてくださる方です。


幼子が持つママたちがよく言う言葉があります。
私も子どもを産んで経験しました。


実際は赤ちゃんが泣いてもいないのに、耳に赤ちゃんの泣き声がずっと聞こえてきます。

泣いていると思って赤ちゃんの傍へ行くと寝ています。
そのようなことがよくありました。


赤ちゃんは泣くことで色々なことを伝えるので、ママは赤ちゃんの泣き声にいつも耳を傾けます。

それが赤ちゃんから離れると、泣いてもないのに 時々泣いていると錯覚してすぐに赤ちゃんの所へ行きます。


神様はこれ以上に私たちの声に反応して下さる方です。

私たちは神様に祈ることが出来ますし、祈りは神様の力と恵みを自分のところに下らせます。


「祈ったのに何も答えて下さらなかった」と よく聞きますが、果たしてその祈りが主の心に適う祈りでしょうか。


もしみこころに適う祈りならば、主は答えて下さいます。


【エレミヤ書33章3節】

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

このように約束して下さいました。


問題や試練の中で自分1人で解決しようとする人たちが多いです。

神様に頼らず、人にも頼らない人も多いですが、それは不信仰の姿であり、高慢な姿でもあります。


聖徒たちは問題が生じた時は 何よりも先に神様を呼ばないといけないです。


熱心に神様を求めながら、神様の導きと指示を受けることです。


1人で頑張る人は力尽きて絶望することが多いですが、神様に祈り 信頼する人は必ず神様に助け出されます。


詩篇42篇に出てくる祈りは良い祈りです。


【詩篇42篇1-2節】

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。


【詩篇42篇5節】

わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

【詩篇42篇8節】

昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。

主のことばは魂を生き返らせます。


私たちの人生を食い物にしようとするサタンの勢力がますます強く働いているので、いつも主を求めながら、自分の人生を主に委ね、現実の中で最善を尽くす時に 私たちは神様の助けと計画の中で必ず勝利の人生を歩むことが出来ます。
(・◇・)ゞ


2015.10.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

苦難の時に何をするのか

テーマは 『 苦難の時に何をするのか 』 です

【ヨナ書2章1-10節】

ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、

言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。 私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。

あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。

私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです」と。

水は、私ののどを締めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。

私は山々の根元まで下り、地のかんぬきがいつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。

しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」

主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。

本文には、ヨナという人物が出てきます。
ヨナは預言者です。

この時、彼はどこにいるでしょうか。
魚の腹の中という有り得ない場所にいます。

なぜ彼はそのような場所にいて、ありえない苦しみを受けているのでしょうか。


実際彼が受けている苦しみは、死よりも辛い苦しみかも知れません。

私たちがもし同じ状況の中にいるならば、「なぜあの時に死ななかったのか。死んだ方がましだ。」という思いになります。


なぜなら、息が出来ないことによる肉体の苦しみがひどいからです。
水に溺れている状況なので、まともに息が出来ないです。

肉体の苦しみの中で 痛みがあることも辛いですが、息が出来ない苦しみも相当辛いです。


また、体の身動きがとれない苦しみもとても辛いです。

そして精神的にもかなり辛い状況でした。それは自分が人間世界から隔離されてしまったからです。


地球上での海と陸の割合は7:3です。

昨年失踪したマレーシア航空機が海に消えたと言われて、今も捜索していますが、まったく見付かっていない状況です。

(陸ではなく海の中だと)分かって探しても 見付からないほど広くて深い海という環境が、さらに絶望を大きくします。そこは救助される期待すら出来ない場所です。


霊的には自分が神様から受けた使命を拒んだことで自分の身に降りかかった試練なので、霊的にも追い込まれた状況でした。

『あの時、主の命令通りにニネベに行って神のメッセージを伝えればこんなことにはならなかったのに』 という後悔と神との関係が断絶され霊的にも絶望的でした。

神の命令に不従順した罪の刑罰として海に投げ出されたヨナはすべてに追い込まれていました。


生きているのか死んでいるのかが分からないような状況です。
生きるのも死ぬのも両方しんどい状態でした。

叫んでも自分の声が誰にも届かないですし、自分がそこにいることを誰も知らないことも最大の苦しみでした。

あらゆる面からも、ヨナの状況は最悪であることは間違いないです。


多くの人は状況をみて怯え、諦め、完全に絶望し、死を選ぶことが多いです。

また ある人は、死ぬ選択すら出来ずに生き地獄の中で生きています。

しかし苦難はその時に何をするかによって解決されるか、苦難が続くかに分かれます。



ヨナの神への不従順は私たちが学んではいけないことですが、生き地獄の苦難の中で 彼が選んだ方法は私たちが学ばなければなりません。

それは祈りでした。
祈り以外に彼に出来ることは残されていませんでした。


身動きが取れなくても、息が出来なくても、闇の中にいても、誰も助ける人が周りにいなくても、そこで唯一出来ることは “祈り” であることをヨナが見せてくれました。




救いの神を思い出した




罪に対して厳しくさばく神であることを ヨナは身をもって体験している最中ですが、その苦しみの中で、救いの神を求めました。


自分に必要な助けだけを求めたのではなく、神自身を求めました。

深い海の中、魚の腹の中から生き返ることは、ヨナの力では不可能でしたので、あらゆる苦難から救い出して下さる主を見上げました。

苦難の時は、何よりも主を求めることです。
神は私たちがどこで叫んでもその声を聞くことが出来るお方です。


さらに主が 自分を救い出してくださると信じて感謝と希望の祈りを捧げました。

私たちは、いつ感謝の祈りをしますか。
解決された後でしょうか?それは信仰による感謝ではないです。

それは当たり前の感謝です。

信仰による感謝は、苦難の中で祈り始めた時から捧げます。



ヨナは9節で感謝の祈りをしました。


【ヨナ書2章9節】

しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」

感謝と希望の祈りは神への礼拝です。

偶像へのむなしい礼拝ではなく、生きておられる神への礼拝です。神は礼拝を受け入れて下さるお方です。


【ヨナ書2章7節】

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

どんなに絶望的な状況の中でも 最後まで信仰を捨てず、神の臨在を求め、神が救い出して下さることを信じて感謝を捧げることは、主を礼拝する姿です。


【詩篇107篇10-16節】

やみと死の陰に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、

彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったのである。

それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれた。

聖書は苦難の時に主を求め、神が彼らに救いの手を差し伸べた事実がたくさんありますので、それを信じて神を求めることを勧めます。




悔い改めの祈りをした




人間は罪を知らないから罪を犯すのではなく、知っていながらも 罪の誘惑に弱い者であるので、次から次へと罪を犯します。

悔い改めが必要のない日はあるでしょうか。
「今日私は何一つ罪を犯していない」と言える人がいますか?


主のことばから はみ出た行動はいくらでも自分たちにはあります。

“罪から来る報酬は死” であることに変わりはないです。


しかし神様は罪人が罪の中に留まって死ぬことを願わないので、悔い改める者に恵みと救いを用意しておられます。


神の命令に不従順して神から刑罰を受けているヨナに対しても神はすぐに彼を死なせず、魚の腹の中に入れたのは悔い改めるチャンスを与えたことでした。

悔い改めのチャンスは主のあわれみです。主の恵みです。悔い改めのチャンスは助かるチャンスでもあります。


ヨナにとっても助かる道は、悔い改める道しか残されていませんでした。

きっと涙を流しながら三日間 心の中で泣き叫んで祈ったでしょう。

息苦しくて声を出すことが出来ないので、声なき声で叫んだことでしょう。


「私が悪かったです。もう2度と主に逆らいません。私の罪を赦して下さい。ここから助けて下さるならば言う事を聞いてニネベに行って主のことばを伝えます。」と誓いを立てながら悔い改めの祈りをしたでしょう。


悔い改めの祈りほど神に早く届く祈りはないと思います。

それは、なぜだと思いますか。


多くの願いの祈りは、神様を変えてでも自分の願いを押し付けて、欲しいものを手に入れたい思いがあります。

しかし、悔い改めは 祈る人自身が変わらないと出来ないことなので、その祈りをする人自身が変わったので神様が喜び、その祈りに早く答えて下さいます。


ヨナも苦難の中で変わりました。
罪の恐ろしさが分かり、自分の愚かさにも気付きました。

そして罪を捨てて、神に立ち返りました。

救いの神が救うことが出来るように 神を呼ぶ者になりました。


悔い改めていない者を助けたとしても、その人たちは神様を侮ります。

「誰が助けてくれと頼んだのか。ほっといてくれ。」と言います。


しかし悔い改めた人は、主の助けと救いに心からの感謝が出てきます。

神様は悔い改めるヨナを見て、救いの手を差し伸べました。魚の中から彼が生還出来るように恵みを与えました。

悔い改めたことによってヨナは再び太陽の光を見ることができ、自由に息をすること、そして体を動かすことが出来るようになりました。

絶望から希望に移されました。そして再び主の働きが出来るようになりました。

もしヨナに祈りがなかったならば、聖書に「ヨナ書」は存在しなかったですし、ヨナが誰なのかも私たちは分かりません。


イエス様も悔い改めの祈りがもたらす祝福について次のように教えて下さいました。


【ルカの福音書18章13-14節】

「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

聖徒たちにとって、祈りは必須です。それは祈りによって神との会話が成立するからです。

祈りを通して神様と交わりをし、霊的呼吸をします。

しかしすべての祈りが神様と通じるものでもないです。


悔い改めの祈り、神を求める祈り、神を信じて感謝と希望を持って祈る時、苦難の時に救いの神を切に求める祈りをする時に、主は救いの手を、救いの道を開いて下さいます。

それならば何でも聞いて下さいますかと質問する人がいますが、それを確認して祈るのではなく、 神をただ信頼して祈ることが大切です。


目に見えなくても、しるしがなくても、何も確認が出来なくても 今も働いておられる神がおられることを信じて、本人が必死に祈り求めることです。すべてを懸けて助けを求めます。


祈りを他人任せにする人がいますが、そうするとその人自身の苦難は根本的に解決出来ないです。

それはその本人の問題なので、神様はその人を待っておられます。

長い間、絶望と落胆の中にいる人がいるならば、それは未だに悔い改めていない自分の罪の為ではないのかを考えてみて下さい。

そしてヨナのようにやってみて下さい。
ヽ(TдT)ノ

2015.5.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

曜日別の祈りです(リニューアルしました)
今日の祈り

神様からの警告のことばです(新コーナー)
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ