からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


神の命令

毅然とした信仰と勇気ある態度

テーマは 『 毅然とした信仰と勇気ある態度 』 です

【ダニエル書3章13-18節】

そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。

ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。

もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」


死の前で人間は一番弱くなります。

避けて通ることが出来ないし、命は一つしかないからです。


ですから人間は自分のいのちのためには取引にも応じます。

もちろん例外の人たちもいますが、多くの人たちは自分のいのちのために何でもします。


ここでの命は私たちの肉体のいのちです。


本文に出て来る3人は、王によって決断を迫られました。

王が造った金の像を拝んで自分のいのちを守るか、拝まないで火の燃える炉の中に入るかの選択を その場でしなければなりませんでした。


目の前に燃える火が見えます。



彼らはすでに自分たちの意思を表しましたが、それを聞いて王は怒りに燃えて、わざわざ彼らを連れて来るように命じ、もう一度彼らに決断を迫りました。


3人にとっては生きるチャンスも与えられてありました。

金の像に拝めば何も問題はなかったのです。


しかし3人はそれを拒んで死ぬ道を選びました。



こういう状況の中で、あなたならば どちらの選択をしますか?


神の選民である多くのユダヤ人は 死にたくないので神の命令を無視して、王の命令に従いました。

3人だけが残りました。


王は彼らが自分の前ならば恐れて、命令に従うと思ったかも知れないです。


しかし王は彼らの心を変えることが出来ませんでした。



彼らはまったく恐れることなく 反対に王に対して、『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。』と、はっきりと言いました。


『これは私たちと神の間の問題であって、あなたが相手ではありません。』という意味もあると思います。








神の命令に従うか、人間の命令に従うかの信仰の問題です。


こういうことは私たちの普段の生活の中にもあります。

些細なことから大きなことまで色々あります。


3人はすでに生活の中でも、神の命令に従うことを第一にしていました。


【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。


この時、ダニエルと3人の友は同じ決心をして、自分の身が汚れないようにしました。


自分たちが戦争に負けて捕虜の身になりましたが、心まで相手の奴隷にはならなかったです。


どこにいても神の選民であることを忘れず、神の命令に従いました。

本物の信仰を彼らは持っていました。



ですから神への信仰を守るために、自分のいのちを惜しまずにささげることに戸惑いはありませんでした。


『どうしたらいいですか』と神に祈りもしませんでした。

神の命令に背くことはしないと決めていたからです。


彼らは永遠のいのちも、命の主人は神であることを知っていました。



状況によって変わる信仰は、信仰ではないです。


信仰は それを貫く時に価値があります。



三人は普段より七倍も強くした火の燃える炉の中に投げ込まれましたが、彼らの毅然とした信仰と勇気を見た神は、彼らを守って髪の毛一本も燃えることがないようにしました。

このことが王にショックを与え、王はイスラエルの神に栄光をささげました。


後にダニエルも祈りを禁じた法令が新しくできたことを知っても、いつものように日に三度祈ったことで獅子の穴に投げ込まれましたが、そこでも神は彼を守って下さいました。



信仰に戦いを挑むものはいつもあります。


自分でいのちも生活も守ろうとするならば、簡単に妥協の道を選びます。


一瞬悩むとは思いますが、都合の良い言い訳を見つけては神の命令に背きます。

妥協することは信仰を守る態度ではないです。



信仰には妥協がないので、3人はいのちを懸けました。


毅然とした信仰と勇気ある人たちが使うことばは いつも信仰のことば、肯定的なことば、大胆なことば、感謝のことばです。


普段からもある程度、使うことばによって信仰があるかないかの分別が出来ます。

信仰ある人の生活スタイルは次の聖句にある生活です。


【第1テサロニケ5章16-18節】

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。


さらに しっかりした基準も持っています。

神を喜ばせることと、神のことばに従うことを優先にします。


ですから 彼らの信仰には迷い、疑い、恐れ、不従順がありません。

神の目はいつもこのような人たちを見ています。


そして神の御手の中で守って下さり、天国は彼らのために用意されてあります。



妥協するようにと誘惑するものが今の時代たくさんあります。

目を覚まして正しく分別して信仰を守りましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.2.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

今日は何をもって主の前に出ますか

テーマは 『  今日は何をもって主の前に出ますか 』 です

ハレルヤ。

主の平安と守りがありますように。


【ミカ書6章6-7節】

私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

この言葉を聞いて、皆さんはどのような印象を受けましたか?

自分の姿と重なりますか。
それとも、まったく違う姿ですか?


神を神とも思わず、尊敬もせず、恐れることもしない人からは思い浮かぶことすらない言葉だと思います。

神を軽く考え、神を必要な時だけ利用する人からは、こういうことばは死んでも口から出ないと思います。


今日の聖書の言葉は、“神に受け入れられるためには、どうしたらよいか” を真剣に考えている言葉です。


皆さんは、このように真剣に考えたことがありますか?

礼拝に出る時に、「今日は何をもって主の前に出ようか」と考えていますか?


それとも、「何で礼拝がこんなに早く来るのか ( =1週間が経つのか ) 」 と
嫌な思いになりますか?

そして行かなくても良い理由はないかなと考えたりしますか?


人の思いは主が見ておられます。


【エレミヤ書17章9-10節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。

と、はっきりと主が語りましたので、私たちが主に対して持っている思いで、良い物か悪い物かを受けるようになります。


ヒゼキヤ王が、主から死ぬことを宣告された時に、彼は大声で泣きながら主に祈りました。

「ああ、主よ。どうか思い出してください。
私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたが良いとみられることを行ってきたことを」


普段から主が喜ぶ生き方をする人は、苦難の時に強いです。

神に祈ります。

そして主は、その人の祈りに耳を傾けます。


ヒゼキヤの祈りに、主は15年もいのちを延ばしました。


主を本当に恐れる人は、自分よりも神の命令、みこころを優先にします。


1人息子を全焼のいけにえとして主にささげなさいと神から命令を受けたアブラハムは、その通りささげました。

殺す寸前に神は、彼が神を恐れていることを確かめて中止させました。


神に受け入れられるために何をしたら良いかを考えている姿を見て、主が答えてくださいました。


【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

この言葉は、いま私たちに本当に必要なことばだと思います。


よく見えるところに書いて貼っておいて、日々それを実行するように努力してみてください。

神はその人を喜んで受け入れてくださいます。
(・∀・)


2016.10.27
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の人とはどのような人か

テーマは 『 神の人とはどのような人か 』 です

【ダニエル書3章16-18節】

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

“神の人”と聞いたら 皆さんはどのような人を想像しますか。

近寄りがたい雰囲気で、雲の上の存在のような人で、威厳がある人だと思いますか?
また、見た目で分かるような人だと思っていますか。

日本のキリスト教の思想家であった内村鑑三は「外なる人は平凡な人になりなさい。しかし内なる人は特別な人になりなさい。」と言いました。

どこにでもいそうな平凡な人になりなさい、と。
“平凡な先生、平凡な主婦、平凡な会社員、平凡な農夫”


私たちは“平凡”と聞くと、あまり良い印象がありません。

しかし、神が見ておられる内なる人は、“特別な人になりなさい”は聖書を読んでみても納得が出来ます。


イエス様の外なる人は平凡な大工でした。
公の場で活動を始める前の30年間はまったく人々に知られていなく、平凡な人生を送っていました。
しかしイエス様の内なる人は神の御子でした。

今の時代は見える部分(外見)にすごく力を入れて外見を飾ることで 自分を特別な者に見せたいようですが、それをしたからといって特別な人になることはありません。


その人の内側に特別なものがある時に特別な人になります。

神の人と呼ばれる人々もよく見ると外なる人は平凡な人たちでした。しかし内側には特別なものがありました。

神の人とは 神が認め、神に喜ばれる人のことです。


その人の内側には、何があるのかを今回学びたいと思います。




1.信仰によって神の御心だけを求める




本文の若者3人は、いのちの危険に直面しました。
王が造った金の像を拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる命令が王から下されました。

人々はその命令に従って金の像を拝みましたが、神を信じていた3人はその命令には従いませんでした。

一度だけ拝めば死ぬことはありませんが、神に対して信仰深い彼らは神の命令に反する偶像崇拝はしたくありませんでした。


しかし それは自分たちのいのちに関わることになりました。一度きりの人生、彼らはまだ若いです。

王の前に呼ばれた3人が王に対して話した言葉の中で、すべてを神のみこころに任せる信仰を見ることが出来ます。そこには何の迷いもありませんでした。


【イザヤ書55章8節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―― 主の御告げ ――

ここに書かれているように、初めから神のみこころは私たちの思いとは違うことを知り、私たちの思いを貫くのではなく、神のみこころがなるように祈る姿勢が神の人の中にはあります。


この3人の中にも、神の人の姿勢がありました。
神に従うことでいのちの危険にさらされています。

しかし、そのことで主に何も要求しませんでした。
“助けてもらっても、助けてもらわなくても、神に対する信頼は変わりません”という姿勢が彼らに見られました。


祈りをかなえて下さるからという理由で神様を信じるだけであるならば、それは他の神々を信じる人の信仰と変わりがありません。


多くのクリスチャンは神様が自分の祈りを聞いて下さるので願いをもって祈ります。
そして神様が自分の味方であると信じています。自分が祈り求めた通りに神様は答えて下さると信じています。

しかし祈った後の現実が自分の願い通りにならないと「神様が私の祈りを聞き、私の味方なのにどうして祈った通りにならないですか。」と不平を言ってつまずきます。


例えば病気にかかったとします。

医者にもかかりますが、私たちはクリスチャンなので当然のように癒しを求めて神様に祈ります。でもなかなか癒されず、ますます悪くなったとします。

そこで「主が癒し主であり こんなに祈っているのに、なぜ治してくださらないのですか?」と訴えます。

本人や とりなしをする人々も同じ思いになりますが、癒しを求めたからといって すべての人が癒されるとは限りません。


1人1人に対する神のみこころは全て違います。
癒しを求めて、癒されることもあれば、死んで神様の所に帰るのがみこころの場合もあります。

本人が死ぬのが神のみこころであるならば、それを喜んで受け入れるのが神の人たちにはありますが、神のみこころに関心がなく、みこころを求めない人は神に文句を言ったり、信仰を捨てたりします。


本文の若者3人は神を信じる者として、みことばを守るためにいのちがかかっても金の像を拝みませんでした。

彼らは死にたくはなかったと思います。その時、神様は沈黙していました。
しかし彼らはみことばに立ちました。信仰を守ったことは神様が喜ぶことでした。


彼らは神様には力があり、自分たちの信仰を見て助けてくださるという信頼もありました。
しかしそれがすべてではありませんでした。

神様がたとえ自分たちを死なせても、そのみこころに従うと決心し金の像に拝むことを拒否しました。


そして その後、彼らは火の中に投げ込まれました。

自分たちの願いや思いを捨てて完全に神のみこころに従いました。

これが神の人たちの中にある特別な信仰です。これは完全に神様に信頼する姿です。


沈黙していた神様は火の中に入った彼らの真ん中に現れました。それは信仰が勝利した瞬間でした。

そして彼らの神は偉大な神であることを証明し、彼らももちろん助かりました。


神の人には勝利があるのみです。神が彼らに勝利を与えて下さいます。

この世の基準では愚かに見えるかもしれませんが、神の目には彼らが勝利者です。




2.神様と通じるものがあり、自分を通して神様を表現する




まずはイエス様の姿を思い出しましょう。
人間の姿で来られましたが、人々が見たのは神の姿でした。


なぜならイエス様のことばを聞いて、人々は神の権威を感じたからです。

病人を癒す姿を見ても神の姿、人を愛する姿を見ても神様を見ました。

主のことばによれば「わたしは父の中に、父はわたしの中に」がポイントです。
父の中にいつもおられるので、自分を通して父なる神を表現することが出来ました。


神様は目には見えませんが、力や不思議なわざや奇跡などあらゆる方法を通してご自身を表現して下さいました。

それをそのまま神の人たちは表現しています。
ですから人々は、その人たちの姿を見て「この人の中には神の霊がある」と言います。

力あるわざや奇跡、知恵を見て みんなはそのように感じました。


神様は私たちに「神になれ」とは言いません。
しかし あなたを通して神が表現されるようにしなさい、と言われました。

神様の栄光が現れるようにしなさい というのがその意味です。


イエス様の中にいる人たちは、その人の中から光が出てきます。そこにキリストの人格が出てきます。

自分の行動が悪魔的な人も多いです。
憎しみ、恨み、妬み、悪い思いなどが心にいっぱいある人は自分自身を通して悪魔を表現しています。


どう見ても、そこに神様がいるようには見えません。

そういう人たちには悪魔がいるんだとはっきりと分かります。

神の人は死に至るまで自分を通して神が表現され、神が栄光を受けるような生き方をします。


ですから悪から離れ、いつまでも自分の肉の思いや欲をみことばに従わせます。
神の栄光を表すことは自分を通して神を表現することです。




3.神の人は 神様、神の国、霊的なことに一番関心がある




その人たちにとって上にあるものを求め、そして神を慕い求めることは いのちにもまさります。


【ローマ書8章5節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

すなわち神の人は御霊に属することをひたすら考えながら生きています。


天に属するものをひたすら求めながら生きる人は、目を天に向けて生きているので、御国に属する者になりますが、地上のことだけに関心がある人は、結局は地に属しているので自滅していきます。

上にある天を目指して生きる人は上に上がっていきますが、地に関心があり、地に属する人は地の下にある地獄に進んでいます。


神様はこのように生きる人を神の人と認め、特別な思いと愛をもって愛し、その人には多くの素晴らしい報いを用意しておられます。

立派な神の人として生きたパウロは地上を離れる時が近づいたことを知って次のように語りました。


【Ⅱテモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時がすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

時の流れがとても速いです。
あっという間に地上での生活は終わります。もれなくこの世を去って行かなければなりません。

私たちはどこに帰りますか。どこで永遠の時間を過ごす予定でしょうか。

今日の歩みがその行き先を決めます。


神の人のように生きるならば、その人は天に向けてまっすぐ歩く人です。

しかし世を愛し、そこにしか関心がない人は下り道を歩んでいます。


今どこを歩いているのか確かめて下さい。
滅びの道ではなく、神の人たちのようにいのちの道を歩む者が幸いな人です。
(・∀・)

2015.4.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ