からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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祝福

いつでも聖霊を歓迎する

テーマは 『 いつでも聖霊を歓迎する 』 です

【使徒の働き1章1-14節】

テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、

お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。

彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。



新約聖書の四つの福音書は人間としてのイエス様の活動が詳しく書かれてあります。


その活動期間はとても短かったです。

イエス様は救いの道を完成したので、地上で活動する必要がなくなりました。


蘇った主は天に戻り、代わりに聖霊の時代が始まることを予告しました。




使徒の働きは 聖霊の時代が始まったことと聖霊の活動が記録されてあります。


聖霊を最初に受けた人たちは神の約束を信じて聖霊を待ち望んだ120名ほどの弟子たちでした。

彼らはいつ聖霊が下るかわからないまま熱心に祈っていました。


祈りながら待ち望んだ彼らはいつでも聖霊を歓迎して受け入れる準備が出来ていました。

そして五旬節の時に、突然聖霊が 集まっていた120名の上に下りました。



【使徒の働き2章1-4節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。



当時エルサレムには五旬節を祝うために世界中から多くの人々が集まっていましたが、聖霊を受けた人は聖霊を待ち望んで祈っていた人だけでした。


聖霊が下ったことによって聖霊の時代、教会の時代が始まりました。

聖霊の時代は世の終わりまで続きます。




聖霊を受けた人たちが受けた一番の祝福は何でしょうか?

異言や力とかではないです。


それは、直接と神と霊的関係を持ち、神と直接交わりが出来たことです。

人間が罪を犯す前のエデンの園では、アダムとエバは神と直接交わりが出来ました。


しかし罪を犯した後、人間の霊は死に、神は彼らをエデンの園からも追い出し、直接交わりが出来ないようにしました。

 

神の許しなしに神に近づくことも交わることも出来なくなりました。




聖霊が下って、聖霊を受けた人たちは 神様との霊的関係が回復しました。


聖霊が彼らの中で働くようになりました。

祈りながら交わりが出来ました。



イエス様の十字架の受難があるまでは、すべての人間が罪の支配下にあったので、霊的に神と断絶されていましたが、十字架の贖いの完成によって 信じる者に聖霊が働くようになりました。


信じる者に聖霊が下ることは、信仰によって霊的に義人になったので聖霊がその人のうちにとどまることが出来ます。


聖霊は 信じる者のうちに働いて、そのたましいが天国に無事に行けるように導いて下さる方です。



【ヨハネの福音書14章16-17節】

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。



聖霊が自分の中におられるならば、その人は世に属する者ではなく、キリストに属する者です。


ですから以前の生き方ではなく、御霊に従う生き方をしないといけないです。



【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。


【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。



聖霊と共に歩み、良い交わりを、聖霊の豊かな実を結ぶためにはいつも聖霊を歓迎して喜ぶことです。


聖霊に満たされた人は神との関係がよく、良い交わりをしています。

聖霊に満たされた人の中には神を恐れる心、尊敬、従順、愛、謙遜があります。



しかし信じると言いながらも 聖霊を無視したり、ないがしろにしたり、悲しませたり、侮辱したりするならば聖霊との関係は壊れます。


もしそういうものが自分にあるならば早く悔い改めることです。

そして聖霊を歓迎することです。


アーメン (・∀・)


2023.5.21
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従順と献身

テーマは 『 従順と献身 』 です

【第1列王記18章31-35節】

エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。

その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。

ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、

「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ」と命じた。ついで「それを二度せよ」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ」と言ったので、彼らは三度そうした。

水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。


カルメル山でのエリヤとバアル預言者たちとの対決は聖書の中でも有名な話です。


神様は神に仕え、神に従順したエリヤを使って 神がまことの神であることを証明しました。

そして神は何でも出来る全能なる神であることを見せました。




エリヤの従順と献身は有名ですが、エリヤ以外にもエリヤの命令に従った人たちの存在がいたことに注目したいです。


名前は出ていないですが、エリヤの命令に従って水を汲んで来た人たちがいました。


山の上には水がなかったです。

3年6か月も雨が降らなかったので、水を得ることはとても困難な時に、4つのかめに3度も水を満たすことは無理に思えました。



海抜546メートルの山で、水を注ぎなさいと言われるのは、常識外れの命令でした。


しかしエリヤの命令に従った人たちがいました。

エリヤに協力した人たちがいたので勝利することが出来ました。




イエス様がカナの婚礼式で 水をぶどう酒に変えた最初の奇跡も、大きな6つの石がめに水を満たすようにイエス様が命じた時、給仕の人たちが従ったので奇跡が起こりました。

名も知られてない人たちの従順と献身に 主は祝福を与え、奇跡を行います。


真の礼拝者は計算高く、神と取引をする人ではないです。

自分が何かをしたから、神様も当然自分に何かをしないといけないと思うことが取引です。



しかし真の礼拝者は、信仰をもって素直に主のことばに従い、自分を喜んでささげます。



従順と献身は切り離すことが出来ないです。

従順しない献身はないです。


また献身する人は、主の命令に従います。





レビ人たちの従順と献身




【出エジプト記32章25-29節】

モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうっておいたので、敵の物笑いとなっているのを見た。

そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、主につく者は、私のところに」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。

そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」

レビ族は、モーセのことばどおりに行った。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。

そこで、モーセは言った。「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、主に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。」




カレブとヨシュアの完全な献身




【民数記32章12節】

ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』




パウロの完全な献身




【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また


真の礼拝者と献身者はこのような者であると次の箇所で教えています。



【ローマ12章1節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。


形式的に信じる者ではなく、神に喜ばれる礼拝者、従順と献身する者になりましょう。


アーメン (*^・ェ・)ノ


2023.1.29
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祝福と呪いを選ぶのは自分である

テーマは 『 祝福と呪いを選ぶのは自分である 』 です

【申命記11章13-17節】

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、

「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。

また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」

気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。


【申命記11章26-29節】

見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、

もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。

あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。


神のことばには いつも両面性があります。

ですから両面全体を理解して受け取らないといけないです。


信じる人の中でも、神様は祝福だけを与える神様だと勘違いする人がいます。


自分が見たいもの、聞きたいものだけを取るので そのような誤解が生まれます。



本文の中で、みことばを守る者には 『祝福』 、守らない者には 『のろい』 があると はっきりさせました。

申命記28章には もっと具体的にそのことが書かれてあります。


エデンの園にあった 『善悪の知識の木』 も、みことばの両面性を見せてありました。

『取って食べると必ず死ぬ』 と言われました。


食べなければ死ぬことはないです。

しかし人間が取って食べたので、死が世界に入りました。


人間が神のことばを守るか どうかが試されました。

人間の間違った選択で、祝福が呪いに変わりました。




それと同じ原理が、ゲルジム山とエバル山にありました。

ゲルジム山は木が多い山で、エバル山は木がほとんどなく岩だらけの山でした。


ゲルジム山には祝福を、エバル山には呪いを置くと言われました。

神の言葉を守る者にはゲルジム山の祝福を、神のことばを守らない者にはエバル山の呪いを与えると言われました。


そのことばの中に 「祝福の原理」 、「呪いと失敗の原理」 が入ってあります。




神様は人間に 『選択の自由』 を与えました。

選択の自由が与えられてあるならば愚かな選択ではなく、知恵ある選択をしなければ身を滅ぼします。


日々の生活は選択と決断の連続です。


何を食べるかという些細なことから、一生に影響を与える大きなことに至るまで、何を選択するかによって方向が変わります。


祝福かのろいかが決まります。

一度の選択で一生が変わるならば、どれほど慎重に考えて選択しないといけないでしょうか?




選択するためには “選択の基準” が必要です。

選択の基準が間違っているならば、どんなに慎重に選択しても間違った選択になります。


目の欲や生活の安泰、成功が選択基準ならば、その人は霊的なことには関心がないと思います。


人間は肉体だけでなく、霊的な部分があるので、それを考慮しないと 後に後悔することになります。


肉の目にどんなに良いものでも、神が喜ばないものならば間違った選択になり それは祝福ではなく、結果は呪いです。



この世で失敗した人々は、選択を誤った場合が多いです。

肉のものをまず選択した人は 呪いのエバル山を選んだ人で、神の国と義、すなわち霊のものをまず選択した人は ゲルジム山の祝福を選んだ人です。


選択しただけで祝福が勝手に来ることはないです。


選んだ後は、喜びを持って 神のことばを守りながら、その道に進まないといけないです。

様々な誘惑と疑い、怠慢と戦いながら、まっすぐに歩まないといけないです。


脇道にそれると、祝福の道から離れることになります。



目標に向かって努力、忍耐、信仰と祈りをしながら諦めないことです。

最後まで忍耐しながら進む人が勝利を手に入れ、祝福されます。


【ルカの福音書9章62節】

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

アーメン ( -д-)ノ


2022.10.23
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主の恵みを忘れず、主に仕える

テーマは 『 主の恵みを忘れず、主に仕える 』 です

【申命記11章13-17節】

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、

「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。

また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」

気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。


申命記は神の民にもう一度語ることばです。

モーセはカナンの地に入る民のことが心配でした。


若い世代が入りますが、彼らは自分たちの親世代が神に逆らい、約束の地に入れず、荒野で息絶えたことを見ていました。

見たから同じ失敗をしてはいけないですが、人間はそれを忘れて 同じ失敗を繰り返します。


ですからモーセは心配して、また彼らに必要なことばを繰り返して聞かせました。



私たちも聞かないといけないことばです。

なぜなら私たちも過去に受けた主の恵みと助けをすぐに忘れる者だからです。


神様が祝福の地に導いても、そこで神を忘れ、神のことばに逆らって生きるならば、祝福は呪いに変わります。


すべての環境も主の御手にあり、神様は主権者として自由自在にすべてを変えることが出来ます。

祝福の地に入っても、呪われることがあるし、呪いの地に入っても祝福されることがあります。



いつでも人が問題です。


私たちがいつまでも神の祝福を受けるためには、神様のみこころを知り、みこころのままに行うことです。

主のみこころが本文にあります。





主の命令に聞き従うこと




主権者の命令に従う時に祝福があります。

主の命令は苦いものでも、私たちにとっては良い薬と同じです。


私たちは、体に良いものならば どんなに苦い物でも口に入れます。


主の命令は魂によく効く薬です。

魂を癒していく薬です。


主の民は神の口から出ることばによって生きる者ですから、主のことばに従って生きることです。





主を愛すること




主を愛することは自分の優先順位で一番にすることです。


神の被造物や自分が好むことを神より愛し 神よりも上にあるならば、それが偶像です。

聖書では貪欲も偶像崇拝だと言われました。


残念ながらモーセが散々注意したにもかかわらず、イスラエルの民はカナンの地で偶像崇拝をしました。

ですから祝福が呪いに変わりました。





心を尽くし、精神を尽くして主に仕えること




40年間荒野を通りながらも生きたのは誰のおかげだったしょうか?


自分の力だけでは荒野で一日生きることも大変です。


過酷な荒野を昼は雲の柱、夜は火の柱で彼らを守り、毎日天からマナを与え、水と肉を与えながら助けて養った方が主でした。

祝福のカナンの地に入るのも神の助けと守りなしでは無理でした。



ですから受けた恵みを絶対に忘れてはならないです。


そして守って下さった神に熱心に仕えることは当然なことです。

苦しい時だけ頼り、祝福を受けた後に、関わりを絶つことが裏切りであり、恩知らずの悪い者がすることです。


欲と誘惑に目がくらんで、神の存在を忘れるならば、あっという間にその祝福は取り除かれます。





他の神々を信じ拝んではならない




自分たちの主人を捨てて、主人ではない者を主人として信じることは、主人を侮辱することであり 無視する行為です。


神はねたむ神です。

妬みの火が燃えると、どうなるでしょうか?





主が下さった恵みをいつも忘れず感謝する




恵みを忘れる瞬間から心は頑なになります。

恵みを忘れるとこのような態度を見せます。


『いつ恵みを下さいましたか?』と図々しい顔で神に不満を言います。

腹立つことばだと思いませんか?



私たちは主の恵みを忘れず感謝しているでしょうか?

神様はすべての人間に対して同じ扱いはしないです。


主に対する態度が正しい人には時に適った恵みを与えますが、主に対する態度が悪い人には主の怒りが燃えて、すべてが呪いに変わります。


神様の言う通りにして恵みを受けるか、逆らって怒りを受けるかは自分の選択にかかっています。


主のみこころに従う良い選択をする者になりますように。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.8.28
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労苦の涙と汗を流す

テーマは 『 労苦の涙と汗を流す 』 です

【詩篇126編5-6節】

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。

種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


今は真夏なので毎日が本当に暑いです。


建物の中で働く人は、エアコンの冷房によって暑くもなく、快適に過ごすことが出来ます。

しかし仕事柄、外の炎天下で働く人はすごく汗をかくと思います。


暑いからと言って仕事をしないならお金を稼ぐことは出来ないです。


怠けて働かない人は貧乏になるしかないですが、汗をかきながらも働く人は、その分、稼いで生活することが出来ます。



農夫はどんなに暑くても休むことが出来ないです。

日々の水やりと雑草取りは欠かせないです。


汗をかいて働くから、後に喜びながら収穫することが出来ます。







神様は怠ける人を喜ばないです。


祝福の神様ではありますが、怠けて何もしない人には祝福しないです。

神のみこころに従って、与えられた働きをする者を祝福します。


収穫や報い、良い祝福を求める人は、天から祝福が落ちてくるのをただ待つだけでなく、労苦の涙と汗を流しながら忍耐して待ち望みます。



人にほめられたくて、人前で労苦するなら、褒められて終わりですが、人が見ていない所で労苦の涙と汗を流すならば、天国での報いはますます増えます。


黙々と労苦するならば、主はすべてを覚えて下さり、人の想像を超えた物を刈り取らせて下さいます。



聖徒たちは主のしもべ、すなわち主の働き手です。


しかし多くの聖徒たちは主のしもべとしての働きを喜ばないです。

涙も汗も流したくないから働きもせず、祝福だけを求めます。


【ルカの福音書10章2-3節】

そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。


涙と汗を流す働き手が少ないと言われました。


私たちは主のために労苦の涙と汗を流す覚悟をして『主よ。私がここにおります。私を遣わして下さい。』と祈ることです。


みこころにふさわしい働き手となるために、自己中心的な自分を十字架につけることです。

そうしないと 損得勘定と怠け心が働いて、労苦から逃げます。


主のために、労苦の涙と汗をたくさん流したパウロのことばです。


【第1コリント15章10節】

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。


パウロは福音のために、どれほど労苦したか分からないです。

福音を伝えることは簡単ではなかったです。


パウロがどれほど労苦したかを見ます。


【第2コリント11章23-27節】

彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。

ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、

むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、

労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。


自分の労苦が無駄になるなら、このような労苦をする必要はなかったです。

無駄にはならないことを誰よりも知っていました。


神様から多くの報いを受けることを知っていました。

労苦したしもべが主から祝福を受ける場面があります。


【マタイの福音書25章20-21節】

すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』


神様は 神の約束を信じて涙と汗を流して働く者に、必ず良いもので報いて下さいます。


2022.8.21
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試練と祝福

テーマは 『 試練と祝福 』 です

【ヤコブ1章2-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。


この世は荒波の海に例えることが出来ます。


大きな波がなくても小さな波は絶えずあります。


それは世に生きている人は みんな波を経験しながら生きていることです。

すなわち試練にあったことがない人は一人もいないことです。



ですから試練を避けることは出来ないですが、試練をどう受け留めるかによって態度も変わります。


適当な波と風は船が進む時に有利に働きます。


試練を、祝福と人生を良い方向に進める機会と思う人は試練をむしろ喜んで受け入れます。

そして試練は、その人には得となります。



ある人は試練の中に生き返り、ある人は試練の中で死にます。


聖書の中には試練を祝福と思った人たちの証しが多くあります。

ですから試練を見る目が人とは違っていました。


【詩篇66編10-12節】

神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。

あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。

あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。


神様を信じても試練は必ずあります。


むしろ信じる者に もっと試練があります。

理由は色々あります。


神様は信じる者を愛し 関心があるので、さらに彼らに多くの祝福を注ぎたいと願っています。


しかしそれを邪魔するものが信じる者にあるので、それを取り除くために試練を与えます。


この場合、試練は精錬所の役割をします。



神様は火の試練を通して、私たちの中にある罪の性質、悪い習慣、不信仰や怠惰さ、弱さを取り除いて、聖なる者、敬虔な者、忠実で謙遜で柔和な者になるようにします。


その試練によく耐え、純金のような信仰になった時に試練は終わりますが、そうでないならば続けて試練と苦難は続きます。


神様から来た試練は霊的成長のためのものですから、試練の時に神様を信頼し、試練と向き合うならば、その試練によって私たちは金よりも尊い信仰を持つようになります。







誰よりも厳しい試練にあった敬虔な人・ヨブは試練の中で悟りました。


【ヨブ記23章10節】

しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。


大変な迫害を通って 最期は殉教した使徒ペテロは試練に直面した信徒たちをこのように励ましました。

試練の中で、試練ではなく “受け取る祝福” を考えるように励ましました。



【第1ペテロ1章6-7節】

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、

あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。


【第1ペテロ4章12-13節】

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、

むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。


【第2テモテ3章12節】

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。


イスラエルの民が40年間荒野を通った理由を神様はこのように語りました。


【申命記8章2節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。


もし今も自分の人生が荒野のようであるならば、神様は自分の中のある部分を試していることです。


パウロには体の病気があって神様に癒しを祈り求めましたが、神様は癒しませんでした。

その理由は、彼が高ぶらないようにわざと神様はその病気を残しました。


ですからパウロはそれを神の恵みとして喜んで受け止めました。

病気よりも高慢になってたましいが滅びることの方がよほど恐ろしいからです。




人々は何の試練もなく祝福だけを願いますが、祝福の中で信仰を守ることは、試練の中で信仰を守ることより、はるかに難しいです。


祝福だけが続くと 人々は生ぬるくなって、神様からみんな離れていきます。

ですから試練がすべて悪いのではないです。


『苦難は祝福をもたらす近道』とマルティン.ルターが言われたように、試練は私たちに大きな益をもたらすことがあります。


試練の中で自分の悪いところを直すならば、危機が “成熟と祝福” のチャンスになります。



頭で理解出来ない試練にあった時でも、一生懸命それを理解しようとするのではなく、台風の中で雨と風に打たれながらも耐えている木のように忍耐しているならば、その試練も過ぎて行きます。

そして理解できる時が来ます。


信仰の世界は 理解して受け入れるのではなく、理解出来なくても神の主権と統治にすべて従順することです。




試練がある時、試練をどう受けとめるかによって 人生の質が変わります。

自分が通らなければならない道ならば、文句を言わず、逃げず、むしろ喜んで受け入れ、その道を歩むことです。


信仰ある人はどんな試練や絶望の時にも信仰によって立ち上がって生きるので、神様は彼らを義人と言います。



イエス・キリストを信じる人は 試練の時に不信仰になるのではなく、神様に力を求めて、試練に耐えて信仰を守ることです。


そして神のみこころに適う者になろうと自分自身を打ち砕くならば、神様はその人を助け出して下さいます。

そして永遠に神と共に歩む祝福を与えます。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.6.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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【水曜礼拝】祝福と呪いに対する神様の約束

テーマは 『 祝福と呪いに対する神様の約束 』 です

【第2歴代誌7章11-22節】

こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。

すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。『わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、

わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。


祝福と呪いに対する神様の約束に対して語ります。


旧約聖書の申命記28章には、祝福と呪いの言葉がたくさん書かれてあります。


『主の命令に聞き従うならば、これらの祝福があります』という言葉から始まっています。

その後に『聞き従わないなら、こういう呪いが来るんだ』という内容がたくさん書かれてあります。


この申命記28章が一番有名な箇所であります。



その他にも神様はいつも『呪い』と『祝福』を同時に語っていますね。

『あなたたちがこうするならば、わたしはこうするんだ』と。


ある意味で神様の私たちに対する契約(約束)でもあるのです。

主は語った通りのことを必ずなさいます。




神様は『わたしの命令に従わないならば、わたしの民であっても、わたしが以前に祝福の約束をしても、必ずわたしはあなたを呪うのだ』ということも語りました。


クリスチャン達が勘違いしてはならないことがあります。

『神様から救われた私達は絶対に捨てられることがないんだ』ということです。


私たちが主の御心に従って神様の子どもらしく生きるならば、絶対に捨てられることはないと思います。



しかし私たちが口先だけで神様を信じてあらゆる悪を行い、神様に逆らって生きるならば、話はまた別です。

神様はそういう人を神の子どもとは認めないです。


口先で『主よ、主よ。主の名によってこれもあれもしたではないですか?』


でもイエス様はそのような人にハッキリと言いました。

『不義をなす者たち。わたしはあなた達を全然知らない。』


イエス様は『わたしは、わたしの羊を知っている。わたしの羊はわたしの声に従ってきます。』と語りました。




ですから、口先で『信じます。私は救われました。』と、自分だけが勘違いをして、後は以前と何も変わらない生活をそのまま続けています。

神様が見たらとんでもない事ですね。


自分で勝手に『救われた』、『神様の子どもだ』と言うのですが、神様は『わたしはあなたを子どもと認めたことがない』と語ります。

『神様、どうしてですか?私は神様を信じて教会にも通ったし、奉仕もしました…』と。



でも神様は『わたしと心が一つではない。わたしの言葉を全部無視して自分が好きなように生きておいて、何でそんなこと言うんだ』となるんですね。








ですから神様は、私たちに前もって祝福と呪いに対して全て語りました。


祝福された後でも私たちが神様に反抗して罪を犯して偶像崇拝をしてやりたい放題悪いことするならば、神様は全てのものを呪いに変えます。

祝福が呪いに変わったり、呪いが祝福に変わったりするのです。


呪われた者であっても、その者が主に立ち返って神様を必死に求めるならば回復を与えます。


ソロモンが神の宮を完成させましたが、その夜、神様がソロモンに現れ、

『わたしはあなたの祈りを聞いた。』という言葉が出てきます。


ソロモンのどのような祈りを聞いたのでしょうか?



【第1列王記9章1-3節】

ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、

主は、かつてギブオンで彼に現れたときのように、ソロモンに再び現れた。

主は彼に仰せられた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。


【第1列王記8章27-39節】

それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。


ソロモンは宮を完成した後に、神様の前で必死にお祈りしていました。

ただ宮を捧げて終わったのではないです。


人々が神様を礼拝する為に宮に集まって来ます。



でもソロモンは、人々の心がいつも悪に傾く事を知っていました。

神様の前で罪を犯すことを知っていました。


もし人々が罪を犯した時には神様は黙っていないです。

立ち返らせるために色んな病気、飢饉、わざわいを神様は与えます。



しかし、その中で『民があなたのもとに立ち返って悔い改め、自分たちの罪を告白して立ち返るならば赦してください』と、ソロモンの長い祈りを神様が全部聞いてくださいました。


それで、神様が第2歴代誌7章に出てくるように『わたしはあなたの祈りを聞いた』と神様が語りました。


そしてあなた達が本当にへりくだって立ち返り、わたしの名を呼び求めるならば、わたしはその罪を赦し、彼らの血を癒そうと語りました。


ソロモンが祈った内容を見ると人間が犯すあらゆる罪があります。

そして実際、人間社会の中で起こる様々な問題があります。








今、私たちはそれら全ての問題を見ています。


敵の国が攻めてきて、ひどい目に遭う戦争が起きました。飢饉がありました。そして疫病が起こりました。

色々なことが起こると人々はその中でパニックになります。


そこで多くの人たちは『神様、何で助けてくださらないんですか?何で守ってくださらないんですか?』という言葉が出てきます。

その中で多くの人々は助けを求める祈りをします。


『神様、助けて下さい。私たちの命を守って下さい。神様、敵を追い出して下さい』と色々祈ります。




神様は、私達がただ『助けてください』と求めるから助けるのではないです。


神様の助けの方法はいつも決まっています。

あなたたちがこうするならば助けるんだ。という方法があります。


ただ困っているから神様に助けを求める、それでわたしが動くのではないと神様が語りました。



神様は敵の悪さを知っています。でも神の子どもたちの悪さも知っているのです。


『あなたには罪がないのか?』なのです。

あなた自身の事を、まずわたしに悔い改めて立ち返らない限り、これらのことが消え去らないんだ。


その災いがなぜ来たのか?ということです。

“自分は何も悪いことはしていなくて、敵だけが悪い”、そうではないです。




神様は、特に神様を信じる者に対しては厳しいですね。

裁きは神の教会から始まると語りました。


神様は、神の子どもたちが罪を犯すと、悪者を必ず用います。

悪者を用いて迫害させたり問題を起こして私たちが目覚めるようにするのです。


何故このことが起きたんだ?と原因を探るのではなく、『罪を悔い改めなさい』です。



ヨナが神様の言葉に不従順して逃げました。

そのヨナのせいで嵐が起きました。


一緒に船に乗っている人達も罪がない人ではないです。

彼らは神様を信じない者たちです。


ですから本来ならば、彼らの方が滅ぼされるところです。


でも神様は彼らのために嵐を起こしたのではなくて、神の言葉に不従順して逃げて行ったヨナを立ち返らせるために嵐を起こしました。


ですからヨナのせいで他の人たちも酷い目に遭ったのです。








神の目はいつも誰に向いているでしょうか?それは、神様の御心を知っている者たちです。

神の言葉を聞きながらも神様に背いて罪を犯して平気な顔をして生きている姿を見て、神様は黙ってはおられないです。


神様の関心は『わたしの名を呼び求めているわたしの民』 という言葉を使っています。

たとえご自分の民であっても不従順なら呪うと語りました。


イスラエルの民は選民でした。


小さな国を神様が選んで神様の民にしました。

でも、このイスラエルはその後滅ぼされました。



エルサレムが滅亡したのは不従順に対する神様からの呪いでした。

それを見て人々はびっくりします。


『彼らは神様の選民ではないのか?神様があらゆる奇跡を行ってエジプトから救い出したあの民は、カナンの地で神様の導きを受けて生活していたけど、今度は敵に全て捕らえられて捕虜になってしまった。宮も滅ぼされて酷い目に遭っているんだ。』

神様は恥をかく事を覚悟で神の言葉通りのことを行います。



何故エルサレムが滅亡したのか?神様はご自分の民がエジプトで奴隷生活をした時と同じようにバビロンに捕虜として連れて行かせ70年間苦労をさせました。

なぜそうなってしまったのかは次の箇所にあります。



【第2歴代誌36章11-21節】

ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。

彼はその神、主の目の前に悪を行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。

これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。


ソロモンが一生懸命祈りました。

それに対して神様は答えました。


『もし呪いが来た時にあなた達がへりくだり立ち返ってわたしの顔を求めるならば癒す』という言葉を語りました。


でも彼らは祈らないですね。

神様が忌み嫌うことをずっとやりながら、そして神様の言葉を全部無視しました。


預言者を通して語った言葉も全部無視しました。


虚しい預言、偽預言者が語る言葉は、『そんなことは起こりません。平和が来ます。平和になりますから、そんなエレミヤが語ることは聞かなくて良いです。』みたいなことを言いました。

そして反対に多くの者がエレミヤを迫害しました。


ですからエレミヤは涙の預言者だったのです。

滅びが目の前に迫っているのに、民が言うことを聞かないです。


ですから、ある時は神様の子ども達の方が心がすごく悪いです。




ニネベの町は違法の国でしたが、ヨナが『40日後には滅びるんだ』と伝えましたが、その言葉で彼らは全員断食しながら神様の前にお祈りをしたので、神様が思い直しました。


でもイスラエルの民たち、神の民たちは預言者の言葉を無視し迫害しました。

時には命まで狙いました。


王であるゼデキヤは言うことを全く聞かなかったです。

預言者の言うことも聞かず、強い敵の王が言うことにも聞かず守らないです。


それは自分の身、自分の国に滅びを招いたことになります。








これは、私たち個人にも自分の国にも世界にも、全部当てはめることができるんです。


今戦争があるところも同じです。


誰かのせいにして神様にただ『助けてください。滅ぼしてください』とか、そういう祈りをする前に、神様が私たちにどんな祈りをして欲しいのかを考えないといけないです。


悔い改めることなんです。みんなが悔い改めることです。



自分たちが招いた部分も色々あります。

敵も悪いし、自分たちも悪い。


神様は『わたしの前に来て、へりくだりなさい』と語ります。


なぜならば問題を解決してくださるのは神様だからです。



人間が解決できることではないです。

人間の手で平和をつくることではないですね。


最初は平和のように見えます。

しかし、その中でもそれぞれが持っている苦い根がいっぱいあります。


苦い根をいつまでも持ち続けて互いに悔い改めないですね。

互いに責め合うことはしていきます。


その姿を見て、神様が平和をくださることはないです。




神様は『みんなが罪人であるんだ。悔い改めなさい。わたしの前で本当に悪かったです、私たちも神様の言うこと聞かないで自分勝手に歩みました。罪を犯しました。神様の御言葉に反することをしました。』


イスラエルの民たちが悔い改めたことはなく、神様につぶやきました。

『私たちは選民でしょう?神様、どう見てもあちらの方がもっと悪いんです。それなのに何で私たちがこんなに酷い目に遭うんですか?』


神様は相手が悪いことも知っています。



『でも、あなたはわたしの言葉を知ってる者であり、約束も知ってる者である。わたしがこうしなさいと語ったのに全部無視したのではないか。』


ですから神様は、『あなたの罪によってあなたがこんな目に遭うんだ。だからわたしに解決してほしいと願うならば、あなたが先にわたしの前に来てへりくだりなさい。悔い改めなさい。わたしに助けを求めなさい。癒しを求めなさい。』と言います。


神様が敵に向かって『悔い改めなさい』と言っても、敵が悔い改めるはずがないです。

敵は人間の力で戦います。




でも神様は神の子どもたちを見て、『あなたが先に悔い改めなさい。あなたが悔い改めるならば、わたしは立ち上がり、わたしがその時からあなた達の味方になって、あなた達を助ける。しかし、あなたが悔い改めないならば、わたしはあなたを助けることができない。』と、神様の心もすごく苦しいです。


神様がそれをした理由は、ご自分の民が立ち返って欲しいからなんですね。

神様の御心に適う者になってほしいです。


神様は赦したいです。回復させたいです。


しかし、彼らがそれを全て無視して相変わらず神様につぶやきます。

ずっとそれが続くならば神様は『まだ悟っていないのか。悔い改める気がないのか。祈らないのか』となるのです。




神様につぶやくことは『祈り』ではないです。


祈るということは、神様の御顔を求めることです。

御心を求めることです。悔い改めることです。


だから、『こんなに助けてくださいと祈ったのに』と言っても、神様は私たちの口の言葉を聞くのではなくて、祈りの“中心”を見ます。


どんな心で祈るのか?その祈りが真実な祈りであるならば、神様は私たちの祈りや願いを聞いてくださいます。


そして問題を神様が解決してくださいます。








神様はソロモンに対して『あなたの父ダビデが歩んだように』と語りました。


ダビデも完璧な人間ではなく、失敗や弱さもありました。

しかしダビデは神様に本当に忠実な者でした。


神の言葉を本当に恐れていた者ですね。そして努力しました。


罪を犯して、そのことを示された時には徹底的に彼は涙を流しながら断食して神様に祈りました。


『主よ。私が悪かったです。本当に私は神の前で罪深い者です。』

そのように徹底的に悔い改めてから神と共に歩みました。


その姿を神様が見て、どんな王に対しても必ずダビデと比べました。




私たちは『祈っても祈っても答えられない』と、よく言いますが、神様から見たらゴミのような祈りが多いです。


悔い改める気がなく、立ち返る気がないのです。

謙遜になる気がなく、ただ助けを求めるだけなのです。


そして神様や誰かのせいにします。



私たちが立ち返った時に、私たちの心がへりくだった時に、神の国がその心に臨みます。

その者と共に神様が歩みます。


私たちが神様から離れて自分勝手に歩む時には呪いが消えることはないです。


でも『私は呪われているみたい。何で問題がたくさん起こるのだろう。何でわざわいが来たのだろう?』と感じるなら、その時はあれこれ言う必要がないです。


『神様。きっと私の中に神様が喜ばない罪があると思います。それを示してください。へりくだりますように。』

へりくだるならば見えてくると思います。




高慢になった時は『私が、私が、私が…』『私が何を悪いことしたんですか?』この言い方はすごく高慢です。


自分ではどんな悪いことしたかを思い出せなくても、『神様。神様は正しい方です。公平に公正に扱う方です。ですからきっと私の中で問題があると思います。それが分からないんです。教えてください。私が徹底的に主の前で悔い改めることができるように、へりくだることができるように示してください。』


それを願う事なんですね。

そうしたら神様は喜んで教えると思います。


神様はその人が立ち返るならば、全ての呪いを祝福に変えてくださいます。


しかし私たちが祝福を受けている中でも、自分勝手に歩み、このままだと滅びると思った時に、神様はその祝福を呪いに変えます。


イスラエルの民たちを見て、私は学ぶことができます。




これから自分たちの所に災いが来るかも知れないです。

飢饉や戦争が起こるかもしれないです。


そこで『私たちのところでそんなことは起こりません』と誰が確信を持って言えるでしょうか?

突然色んなことが起こるんです。


日本もいつどこで何が飛んでくるか分からないです。

いつ戦争が起こるかも分からないです。大きな地震が起きて滅びるかもしれないんです。



その時に私たちクリスチャンは1つの道しかないです。


神様の前で悔い改めることです。



へりくだって神様に『祈れなかったです。私が祈りを怠けたから、私が目を覚ましていなかったから、私は罪の中に留まっていたから、悔い改めなかったからこんな酷い事が起こりました。助けて下さい。私の罪を赦してください。』

神様は全世界を見て、そして悔い改める者に目を留めます。



わざわいがある中でも、そこでひざまずいて一生懸命悔い改める者を神様が見つけた時には、神様はその人を助けますね。その人に手を差し伸べます。


周りで多くの者が倒れていても神様は悔い改める者に対しては目を留めて助けてくださる方です。

それが回復するための一番の近道です。




悔い改めて、神の御顔を求め、へりくだって神を求めているのに、神様は『あなたを受け入れない』と、そういう事は一度もないです。








これから何が起こるか分からないですが、私たちは神の言葉の前でへりくだることです。


しかし私は何も悪いことをしていません。と高慢になるなら回復はないですね。

平和がなく祝福もないです。


ですから祝福を本当に受けたいならば、いつも神様の前にへりくだることです。



神様が私たちに求めること喜ぶことをするならば、私たちの人生は本当に神様によって守られ導かれ、祝福されていきます。ものすごく単純です。




いつも私たちの前には『呪いの道』と『祝福の道』があります。


私たちは祝福されたいならば、祝福の道を選んで歩むことです。

すると、そこには祝福だけあります。


でも自分が呪いの道を選ぶならば、呪いがきても誰かのせいにすることはできないです。

自分で選んだ道です。



これからも色んなことが起こると思います。

もっともっと厳しい事が起こると思います。


でもその中にあっても主の守りの中で祝福を受けて生活したいと思います。

この世のものが祝福ではないです。


心の平安、そして神様が私たちの避け所になってくださるならば、それは私たちにとって一番の祝福です。


人々が不安と恐れの中で震え上がる時に、私たちはその中でも主が共におられるから私は平安である。神様が今日も守ってくださる。

そういう風に安心していられるならば、それが一番の祝福なんです。


そしてミサイルが飛んだり爆発が起きたとしても、主の中に自分がいるんだと思うそれだけでも、その人たちは不安で心がパニックになることはないと思います。



神様は私たちの避け所ですが、自分がその避け所に飛び込まないと命は無いですね。

私たちはそのまま呪われてしまいます。



聖書の創世記からヨハネの黙示録まで見ると、祝福と呪いが2つあります。


ある者たちは呪いの道だけを選ぶ者がいて本当に呪われています。

ある者は知恵と信仰があって祝福の道だけを選びます。


ですからその人の人生が豊かに祝福されて主にあって恵まれた人生を生きるようになります。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.3.23
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小さい者一人でも諦めない主

テーマは 『 小さい者一人でも諦めない主 』 です

【マタイの福音書18章10-14節】

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕

あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。

そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。


先週は『傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない神様」に対して話しました。

それを聞いて、神様の愛と赦しと恵みがどれほど大きいものであるかを知りました。


今日はどんなに小さい者、すなわち値打ちのない者と思われる人に対しても 諦めない主を見たいと思います。


すなわち『私のことを諦めない主』と考えるのが良いと思います。



偉大な伝道者パウロは 自分が救われた後に、自分を使徒として任命して下さった神に対して、いつもこのように思っていました。


【第1コリント15章8-9節】

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。


もし主が教会を迫害するパウロを見て、救うことを諦めたならば 偉大な使徒パウロは誕生しなかったと思います。


彼を諦めず、彼に現れ、その魂を救ったので、一番偉大な使徒が生まれました。

パウロはさらに告白しました。


【第1コリント15章10節】

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。


教会を荒らすオオカミのようなパウロは、当然滅ぼされるべき存在でしたが、主の深い愛と赦しとあわれみによって救い出されたので、パウロはその恵みに感謝して誰よりも主に仕える者になりました。


イエス様が『人の子は失われている者を救うために来たのです。』と言われた通りに、主はどうしようもない人たちも諦めずに救いに導く方です。



人は迷わなかった99匹の羊に目を配ります。

そして迷っている一匹の羊は諦めます。


勝手に迷い出たもの、価値のない者、小さな者は捜す必要もない者と思い 諦めます。



しかし主は、誰に対しても諦めない主です。


北朝鮮の指導者に対しても、その者が滅びることを願わなかったと アメリカの預言者が以前に話したことばを聞きました。

主から、その者が悔い改めて救われるように祈るように言われたと聞きました。






なぜ神は諦めることをしないでしょうか?


それは神が愛の神、憐れみ深い神様だからです。

その愛がどれほど強い愛かは次のことばでも知ることが出来ます。


【イザヤ書49章14-16節】

しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。

見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。


試練と苦しみがあると、信じる者でもすぐに神の愛を疑います。

神に捨てられたと思います。


たとえ信じる者でもこの世では患難があります。

しかし愛の神、約束に真実な神は、すべてのことを働かせて益にして下さる神です。



それを信じながら、神が私たちに対して長く忍耐しておられるように、私たちも自分のことを諦めず、忍耐して神を待ち望み、夢とビジョンを諦めないならば、私のことを諦めない神によって 報われる時、祝福される時が必ず来ます。


神は諦めることをしない方です。


ですから私たちも 自分のことを簡単に諦めないことです。

忍耐して待ち望むことは、諦めないことです。


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2022.1.30
聖日礼拝メッセージ

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聖霊によるザカリヤの預言

テーマは 『 聖霊によるザカリヤの預言 』 です

【ルカの福音書1章67-79節】

さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。

「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、

救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。

この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。

主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、

われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、

われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。

幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、

神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。

これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、

暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」


長い時を経て、神の救いの計画が現実のものになったことを 神は様々な形で伝え始めました。

知らせないと誰も気付かないからです。


人間は現実のことには関心があっても 霊的なこと、特に神の計画などには関心がないので、神はそれを知らせる必要がありました。

神はマリヤやヨセフに神の子が生まれることを、ガブリエル天使を遣わして知らせました。


バプテスマのヨハネの母エリザベスにも知らせ、ヨハネの父である祭司ザカリヤには聖霊がメシアである主イエス・キリストと主の道を備えるヨハネに対しても具体的に預言しました。

その後にシメオンという人が聖霊に満たされて預言しました。


これらのことを見ても イエス・キリストが、神に遣わされた神の子メシアであることがはっきりしました。



誰かに対してこれほどまで長い間 誕生が預言された人物がいたでしょうか?

イエス・キリスト以外にはいないです。


ザカリヤは聖霊によって預言したので、内容は神からのものです。

新約最初の預言でした。


神はご自身が立てた契約を覚えておられ、それを真実に成し遂げる方です。

ですからメシアの到来があることを預言しました。



また 過去イスラエルを敵から救い出して下さった神のことを知るユダヤ人は、メシアが来ることを長い間待ち望んでいました。


しかし 神はユダヤ人だけのためにメシアを遣わされるのではなく、サタンと罪の力から人類を解放するという救いの計画を持っていました。


そして時至ってメシアが世に来られました。


また神はアブラハムに誓ったことを覚えていて、それを実行しました。


【創世記22章15-18節】

それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、

仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


メシアによって人々が受ける祝福も語って下さいました。


その祝福とは、『私たちを憎むすべての者の手からの救い、私たちの敵の手からの救い、罪の赦しによる救い、そして主の前で敬虔に、正しく生きる祝福、主の憐れみを受ける祝福』 などです。


暗闇と死の陰にいる者たちは光であるキリストによって光の道、平和の道を歩むことが出来ます。

キリストを受け入れ、キリストの中にとどまり、キリストと共に歩む人がこの祝福を受けます。


頭だけでの信仰、口先だけでの信仰では受けることが出来ないです。



長い間、主の救いを待ち望んでいたシメオンも 聖霊によって幼子イエスを見た時に預言しました。


【ルカの福音書2章29-32節】

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

私の目があなたの御救いを見たからです。

御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」


人を愛し、人のために御子キリストを遣わして下さった神の深い愛を拒む人は どんな理由があるでしょうか。


神の愛を受け入れる人になりましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.12.19
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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キリストを知る知識

テーマは 『 キリストを知る知識 』 です

【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、


使徒パウロはキリストが生きていた時に信じた者ではなく、キリストを誰よりも嫌っていた者で、教会や信徒たちを迫害した者でした。


しかし復活したキリストに出会ってから完全に変えられ、またキリストに任命され使徒になりました。

彼が後に告白したことばを聞きます。


【第1テモテ1章13節】

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。


なぜ自分が神を汚し、迫害し、暴力を振ったのか、その原因としてあげたのが「知らなかった」ことと「信じなかった」ことでした。


それで彼はキリストに出会ってから一番にしたことは、キリストを知ることでした。



自分が持っていた律法の豊富な知識も、キリストを知ることには役に立たなかったです。

とにかくキリスト自身を知ることが大切であると気付きました。



なぜキリストを知ることが一番大切でしょうか?





キリストを知り、信じる時に永遠のいのちを得るから




【ヨハネの福音書17章3節】

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


【第1ヨハネ2章24-25節】

あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。

それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。




イエス・キリストを知る時に恵みと平安が臨むから




聖書には恵みと平安ということばがよく出てきます。


『私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。』と、パウロも教会に手紙を送る時に そのようにあいさつのことばを送りました。


【第2ペテロ1章2-3節】

神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。

というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。


キリストの中に恵みと平安があります。

すべて良いものは神が持っており、神から来ます。


キリストを知れば知るほど恵みと平安を得ることが出来ます。





キリストを知ることで知恵と知識の宝を見つけることが出来るから




【コロサイ2章2-3節】

それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。


宝は値打ちがあり貴重なものです。

どこにでもあるようなものではないです。


毎年ノーベル賞を受ける人たちが発表されますが、その人たちの中でキリスト以上に知恵と知識がある人を見たことがありますか?

ソクラテスがキリストより知恵がありましたか?



キリストの弟子の中には無学な弟子も何人かいましたが、彼らが口を開いて語った時に 人々はびっくりしました。

自分たちよりも知恵あることばを語り、自分たちよりも悟りがあったからです。



弟子たちは知恵と知識の宝をキリストの中で見つけ、それを使ったので知恵ある者になり、悟る者になりました。


パウロもこのように言いました。


【エペソ3章4節】

それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。


パウロが知った最高の知恵と知識はキリストの十字架の奥義でした。

ですから このように断言しました。


【第1コリント2章1-2節】

さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。


世にあるすべての知恵や知識を持つ者は それを一番の誇りにすると思いますが、それが永遠のいのち、恵みと平安、知恵と知識の宝を与えることはないです。


キリストに無知な者は、救われることも、神に喜ばれることも、神の国に入ることもありません。



しかしキリストを知ることで得るものがどれほど優れたものなのかを今日は話しました。

キリストを知り、信じて祝福を受ける者になりますように。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.10.31
聖日礼拝メッセージ

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