からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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災い

【水曜礼拝】祝福と呪いに対する神様の約束

テーマは 『 祝福と呪いに対する神様の約束 』 です

【第2歴代誌7章11-22節】

こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。

すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。『わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、

わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。


祝福と呪いに対する神様の約束に対して語ります。


旧約聖書の申命記28章には、祝福と呪いの言葉がたくさん書かれてあります。


『主の命令に聞き従うならば、これらの祝福があります』という言葉から始まっています。

その後に『聞き従わないなら、こういう呪いが来るんだ』という内容がたくさん書かれてあります。


この申命記28章が一番有名な箇所であります。



その他にも神様はいつも『呪い』と『祝福』を同時に語っていますね。

『あなたたちがこうするならば、わたしはこうするんだ』と。


ある意味で神様の私たちに対する契約(約束)でもあるのです。

主は語った通りのことを必ずなさいます。




神様は『わたしの命令に従わないならば、わたしの民であっても、わたしが以前に祝福の約束をしても、必ずわたしはあなたを呪うのだ』ということも語りました。


クリスチャン達が勘違いしてはならないことがあります。

『神様から救われた私達は絶対に捨てられることがないんだ』ということです。


私たちが主の御心に従って神様の子どもらしく生きるならば、絶対に捨てられることはないと思います。



しかし私たちが口先だけで神様を信じてあらゆる悪を行い、神様に逆らって生きるならば、話はまた別です。

神様はそういう人を神の子どもとは認めないです。


口先で『主よ、主よ。主の名によってこれもあれもしたではないですか?』


でもイエス様はそのような人にハッキリと言いました。

『不義をなす者たち。わたしはあなた達を全然知らない。』


イエス様は『わたしは、わたしの羊を知っている。わたしの羊はわたしの声に従ってきます。』と語りました。




ですから、口先で『信じます。私は救われました。』と、自分だけが勘違いをして、後は以前と何も変わらない生活をそのまま続けています。

神様が見たらとんでもない事ですね。


自分で勝手に『救われた』、『神様の子どもだ』と言うのですが、神様は『わたしはあなたを子どもと認めたことがない』と語ります。

『神様、どうしてですか?私は神様を信じて教会にも通ったし、奉仕もしました…』と。



でも神様は『わたしと心が一つではない。わたしの言葉を全部無視して自分が好きなように生きておいて、何でそんなこと言うんだ』となるんですね。








ですから神様は、私たちに前もって祝福と呪いに対して全て語りました。


祝福された後でも私たちが神様に反抗して罪を犯して偶像崇拝をしてやりたい放題悪いことするならば、神様は全てのものを呪いに変えます。

祝福が呪いに変わったり、呪いが祝福に変わったりするのです。


呪われた者であっても、その者が主に立ち返って神様を必死に求めるならば回復を与えます。


ソロモンが神の宮を完成させましたが、その夜、神様がソロモンに現れ、

『わたしはあなたの祈りを聞いた。』という言葉が出てきます。


ソロモンのどのような祈りを聞いたのでしょうか?



【第1列王記9章1-3節】

ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、

主は、かつてギブオンで彼に現れたときのように、ソロモンに再び現れた。

主は彼に仰せられた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。


【第1列王記8章27-39節】

それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。


ソロモンは宮を完成した後に、神様の前で必死にお祈りしていました。

ただ宮を捧げて終わったのではないです。


人々が神様を礼拝する為に宮に集まって来ます。



でもソロモンは、人々の心がいつも悪に傾く事を知っていました。

神様の前で罪を犯すことを知っていました。


もし人々が罪を犯した時には神様は黙っていないです。

立ち返らせるために色んな病気、飢饉、わざわいを神様は与えます。



しかし、その中で『民があなたのもとに立ち返って悔い改め、自分たちの罪を告白して立ち返るならば赦してください』と、ソロモンの長い祈りを神様が全部聞いてくださいました。


それで、神様が第2歴代誌7章に出てくるように『わたしはあなたの祈りを聞いた』と神様が語りました。


そしてあなた達が本当にへりくだって立ち返り、わたしの名を呼び求めるならば、わたしはその罪を赦し、彼らの血を癒そうと語りました。


ソロモンが祈った内容を見ると人間が犯すあらゆる罪があります。

そして実際、人間社会の中で起こる様々な問題があります。








今、私たちはそれら全ての問題を見ています。


敵の国が攻めてきて、ひどい目に遭う戦争が起きました。飢饉がありました。そして疫病が起こりました。

色々なことが起こると人々はその中でパニックになります。


そこで多くの人たちは『神様、何で助けてくださらないんですか?何で守ってくださらないんですか?』という言葉が出てきます。

その中で多くの人々は助けを求める祈りをします。


『神様、助けて下さい。私たちの命を守って下さい。神様、敵を追い出して下さい』と色々祈ります。




神様は、私達がただ『助けてください』と求めるから助けるのではないです。


神様の助けの方法はいつも決まっています。

あなたたちがこうするならば助けるんだ。という方法があります。


ただ困っているから神様に助けを求める、それでわたしが動くのではないと神様が語りました。



神様は敵の悪さを知っています。でも神の子どもたちの悪さも知っているのです。


『あなたには罪がないのか?』なのです。

あなた自身の事を、まずわたしに悔い改めて立ち返らない限り、これらのことが消え去らないんだ。


その災いがなぜ来たのか?ということです。

“自分は何も悪いことはしていなくて、敵だけが悪い”、そうではないです。




神様は、特に神様を信じる者に対しては厳しいですね。

裁きは神の教会から始まると語りました。


神様は、神の子どもたちが罪を犯すと、悪者を必ず用います。

悪者を用いて迫害させたり問題を起こして私たちが目覚めるようにするのです。


何故このことが起きたんだ?と原因を探るのではなく、『罪を悔い改めなさい』です。



ヨナが神様の言葉に不従順して逃げました。

そのヨナのせいで嵐が起きました。


一緒に船に乗っている人達も罪がない人ではないです。

彼らは神様を信じない者たちです。


ですから本来ならば、彼らの方が滅ぼされるところです。


でも神様は彼らのために嵐を起こしたのではなくて、神の言葉に不従順して逃げて行ったヨナを立ち返らせるために嵐を起こしました。


ですからヨナのせいで他の人たちも酷い目に遭ったのです。








神の目はいつも誰に向いているでしょうか?それは、神様の御心を知っている者たちです。

神の言葉を聞きながらも神様に背いて罪を犯して平気な顔をして生きている姿を見て、神様は黙ってはおられないです。


神様の関心は『わたしの名を呼び求めているわたしの民』 という言葉を使っています。

たとえご自分の民であっても不従順なら呪うと語りました。


イスラエルの民は選民でした。


小さな国を神様が選んで神様の民にしました。

でも、このイスラエルはその後滅ぼされました。



エルサレムが滅亡したのは不従順に対する神様からの呪いでした。

それを見て人々はびっくりします。


『彼らは神様の選民ではないのか?神様があらゆる奇跡を行ってエジプトから救い出したあの民は、カナンの地で神様の導きを受けて生活していたけど、今度は敵に全て捕らえられて捕虜になってしまった。宮も滅ぼされて酷い目に遭っているんだ。』

神様は恥をかく事を覚悟で神の言葉通りのことを行います。



何故エルサレムが滅亡したのか?神様はご自分の民がエジプトで奴隷生活をした時と同じようにバビロンに捕虜として連れて行かせ70年間苦労をさせました。

なぜそうなってしまったのかは次の箇所にあります。



【第2歴代誌36章11-21節】

ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。

彼はその神、主の目の前に悪を行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。

これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。


ソロモンが一生懸命祈りました。

それに対して神様は答えました。


『もし呪いが来た時にあなた達がへりくだり立ち返ってわたしの顔を求めるならば癒す』という言葉を語りました。


でも彼らは祈らないですね。

神様が忌み嫌うことをずっとやりながら、そして神様の言葉を全部無視しました。


預言者を通して語った言葉も全部無視しました。


虚しい預言、偽預言者が語る言葉は、『そんなことは起こりません。平和が来ます。平和になりますから、そんなエレミヤが語ることは聞かなくて良いです。』みたいなことを言いました。

そして反対に多くの者がエレミヤを迫害しました。


ですからエレミヤは涙の預言者だったのです。

滅びが目の前に迫っているのに、民が言うことを聞かないです。


ですから、ある時は神様の子ども達の方が心がすごく悪いです。




ニネベの町は違法の国でしたが、ヨナが『40日後には滅びるんだ』と伝えましたが、その言葉で彼らは全員断食しながら神様の前にお祈りをしたので、神様が思い直しました。


でもイスラエルの民たち、神の民たちは預言者の言葉を無視し迫害しました。

時には命まで狙いました。


王であるゼデキヤは言うことを全く聞かなかったです。

預言者の言うことも聞かず、強い敵の王が言うことにも聞かず守らないです。


それは自分の身、自分の国に滅びを招いたことになります。








これは、私たち個人にも自分の国にも世界にも、全部当てはめることができるんです。


今戦争があるところも同じです。


誰かのせいにして神様にただ『助けてください。滅ぼしてください』とか、そういう祈りをする前に、神様が私たちにどんな祈りをして欲しいのかを考えないといけないです。


悔い改めることなんです。みんなが悔い改めることです。



自分たちが招いた部分も色々あります。

敵も悪いし、自分たちも悪い。


神様は『わたしの前に来て、へりくだりなさい』と語ります。


なぜならば問題を解決してくださるのは神様だからです。



人間が解決できることではないです。

人間の手で平和をつくることではないですね。


最初は平和のように見えます。

しかし、その中でもそれぞれが持っている苦い根がいっぱいあります。


苦い根をいつまでも持ち続けて互いに悔い改めないですね。

互いに責め合うことはしていきます。


その姿を見て、神様が平和をくださることはないです。




神様は『みんなが罪人であるんだ。悔い改めなさい。わたしの前で本当に悪かったです、私たちも神様の言うこと聞かないで自分勝手に歩みました。罪を犯しました。神様の御言葉に反することをしました。』


イスラエルの民たちが悔い改めたことはなく、神様につぶやきました。

『私たちは選民でしょう?神様、どう見てもあちらの方がもっと悪いんです。それなのに何で私たちがこんなに酷い目に遭うんですか?』


神様は相手が悪いことも知っています。



『でも、あなたはわたしの言葉を知ってる者であり、約束も知ってる者である。わたしがこうしなさいと語ったのに全部無視したのではないか。』


ですから神様は、『あなたの罪によってあなたがこんな目に遭うんだ。だからわたしに解決してほしいと願うならば、あなたが先にわたしの前に来てへりくだりなさい。悔い改めなさい。わたしに助けを求めなさい。癒しを求めなさい。』と言います。


神様が敵に向かって『悔い改めなさい』と言っても、敵が悔い改めるはずがないです。

敵は人間の力で戦います。




でも神様は神の子どもたちを見て、『あなたが先に悔い改めなさい。あなたが悔い改めるならば、わたしは立ち上がり、わたしがその時からあなた達の味方になって、あなた達を助ける。しかし、あなたが悔い改めないならば、わたしはあなたを助けることができない。』と、神様の心もすごく苦しいです。


神様がそれをした理由は、ご自分の民が立ち返って欲しいからなんですね。

神様の御心に適う者になってほしいです。


神様は赦したいです。回復させたいです。


しかし、彼らがそれを全て無視して相変わらず神様につぶやきます。

ずっとそれが続くならば神様は『まだ悟っていないのか。悔い改める気がないのか。祈らないのか』となるのです。




神様につぶやくことは『祈り』ではないです。


祈るということは、神様の御顔を求めることです。

御心を求めることです。悔い改めることです。


だから、『こんなに助けてくださいと祈ったのに』と言っても、神様は私たちの口の言葉を聞くのではなくて、祈りの“中心”を見ます。


どんな心で祈るのか?その祈りが真実な祈りであるならば、神様は私たちの祈りや願いを聞いてくださいます。


そして問題を神様が解決してくださいます。








神様はソロモンに対して『あなたの父ダビデが歩んだように』と語りました。


ダビデも完璧な人間ではなく、失敗や弱さもありました。

しかしダビデは神様に本当に忠実な者でした。


神の言葉を本当に恐れていた者ですね。そして努力しました。


罪を犯して、そのことを示された時には徹底的に彼は涙を流しながら断食して神様に祈りました。


『主よ。私が悪かったです。本当に私は神の前で罪深い者です。』

そのように徹底的に悔い改めてから神と共に歩みました。


その姿を神様が見て、どんな王に対しても必ずダビデと比べました。




私たちは『祈っても祈っても答えられない』と、よく言いますが、神様から見たらゴミのような祈りが多いです。


悔い改める気がなく、立ち返る気がないのです。

謙遜になる気がなく、ただ助けを求めるだけなのです。


そして神様や誰かのせいにします。



私たちが立ち返った時に、私たちの心がへりくだった時に、神の国がその心に臨みます。

その者と共に神様が歩みます。


私たちが神様から離れて自分勝手に歩む時には呪いが消えることはないです。


でも『私は呪われているみたい。何で問題がたくさん起こるのだろう。何でわざわいが来たのだろう?』と感じるなら、その時はあれこれ言う必要がないです。


『神様。きっと私の中に神様が喜ばない罪があると思います。それを示してください。へりくだりますように。』

へりくだるならば見えてくると思います。




高慢になった時は『私が、私が、私が…』『私が何を悪いことしたんですか?』この言い方はすごく高慢です。


自分ではどんな悪いことしたかを思い出せなくても、『神様。神様は正しい方です。公平に公正に扱う方です。ですからきっと私の中で問題があると思います。それが分からないんです。教えてください。私が徹底的に主の前で悔い改めることができるように、へりくだることができるように示してください。』


それを願う事なんですね。

そうしたら神様は喜んで教えると思います。


神様はその人が立ち返るならば、全ての呪いを祝福に変えてくださいます。


しかし私たちが祝福を受けている中でも、自分勝手に歩み、このままだと滅びると思った時に、神様はその祝福を呪いに変えます。


イスラエルの民たちを見て、私は学ぶことができます。




これから自分たちの所に災いが来るかも知れないです。

飢饉や戦争が起こるかもしれないです。


そこで『私たちのところでそんなことは起こりません』と誰が確信を持って言えるでしょうか?

突然色んなことが起こるんです。


日本もいつどこで何が飛んでくるか分からないです。

いつ戦争が起こるかも分からないです。大きな地震が起きて滅びるかもしれないんです。



その時に私たちクリスチャンは1つの道しかないです。


神様の前で悔い改めることです。



へりくだって神様に『祈れなかったです。私が祈りを怠けたから、私が目を覚ましていなかったから、私は罪の中に留まっていたから、悔い改めなかったからこんな酷い事が起こりました。助けて下さい。私の罪を赦してください。』

神様は全世界を見て、そして悔い改める者に目を留めます。



わざわいがある中でも、そこでひざまずいて一生懸命悔い改める者を神様が見つけた時には、神様はその人を助けますね。その人に手を差し伸べます。


周りで多くの者が倒れていても神様は悔い改める者に対しては目を留めて助けてくださる方です。

それが回復するための一番の近道です。




悔い改めて、神の御顔を求め、へりくだって神を求めているのに、神様は『あなたを受け入れない』と、そういう事は一度もないです。








これから何が起こるか分からないですが、私たちは神の言葉の前でへりくだることです。


しかし私は何も悪いことをしていません。と高慢になるなら回復はないですね。

平和がなく祝福もないです。


ですから祝福を本当に受けたいならば、いつも神様の前にへりくだることです。



神様が私たちに求めること喜ぶことをするならば、私たちの人生は本当に神様によって守られ導かれ、祝福されていきます。ものすごく単純です。




いつも私たちの前には『呪いの道』と『祝福の道』があります。


私たちは祝福されたいならば、祝福の道を選んで歩むことです。

すると、そこには祝福だけあります。


でも自分が呪いの道を選ぶならば、呪いがきても誰かのせいにすることはできないです。

自分で選んだ道です。



これからも色んなことが起こると思います。

もっともっと厳しい事が起こると思います。


でもその中にあっても主の守りの中で祝福を受けて生活したいと思います。

この世のものが祝福ではないです。


心の平安、そして神様が私たちの避け所になってくださるならば、それは私たちにとって一番の祝福です。


人々が不安と恐れの中で震え上がる時に、私たちはその中でも主が共におられるから私は平安である。神様が今日も守ってくださる。

そういう風に安心していられるならば、それが一番の祝福なんです。


そしてミサイルが飛んだり爆発が起きたとしても、主の中に自分がいるんだと思うそれだけでも、その人たちは不安で心がパニックになることはないと思います。



神様は私たちの避け所ですが、自分がその避け所に飛び込まないと命は無いですね。

私たちはそのまま呪われてしまいます。



聖書の創世記からヨハネの黙示録まで見ると、祝福と呪いが2つあります。


ある者たちは呪いの道だけを選ぶ者がいて本当に呪われています。

ある者は知恵と信仰があって祝福の道だけを選びます。


ですからその人の人生が豊かに祝福されて主にあって恵まれた人生を生きるようになります。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.3.23
水曜礼拝メッセージ

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どの道を選ぶのか、その結果は

テーマは 『 どの道を選ぶのか、その結果は 』 です

【申命記11章26-28節】

見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、

もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。

まことの神は 人間に祝福だけを、または呪いだけを与える神ではありません。


私たちの前に祝福の道と呪いの道、両方の道を置きました。

どの道を選ぶかは個人の自由です。


ですから、たとえ呪いを受けたとしても選んだ人の責任です。



祝福の道を選んだのに、神が呪うことは有り得ないです。


どの道を選び、何を蒔いて来たかによって返ってくるものが違います。


神は公正で正義の神です。

神は創造主であり、世界の統治者です。


またこのように宣言しておられます。

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。


この神が、人間に対しては自由意志を与え、自ら道を選ぶようにしました。


個人が選ぶ道もあれば、国が選ぶ道もあります。

個人が選ぶ道によっては個人や家族にも影響がありますが、国が選ぶ道は国民全体が影響を受けます。



今年は中国が選んだ悪い選択によって世界が苦しんでいます。


コロナが出た時にすぐさま対策を立て、世界にも知らせていたら、ここまでひどい事にはなりませんでした。

しかし隠してごまかす道を選んだので、まずは自国民が、次は世界中に被害者が出てきました。


神は公正に、選んだ道に対して刈り取らせる方です。


いま国々で起こっていることを人間的な目で見ると、神様の姿は見えません。


しかし公正な神が働いておられることを信じて見るならば、すべてが起こるべき事が起こったと認めざるを得ないです。




横柄な権力者たちに対して、主はこのように見ておられます




【詩篇2編4-5節】

天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。

ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。

彼らがどのような結末を迎えるのかを見守ることです。

彼らによって民が苦しめられていることも主は見ておられます。


主の怒りは横柄な権力者たちに向けられます。

彼らが受けるのが祝福か呪いかを注意深く見たいものです。




傲慢な国や国民は祝福を受けるでしょうか、呪いを受けるでしょうか




【イザヤ書14章22-27節】

「わたしは彼らに向かって立ち上がる。──万軍の主の御告げ──わたしはバビロンからその名と、残りの者、および、後に生まれる子孫とを断ち滅ぼす。──主の御告げ──

わたしはこれを針ねずみの領地、水のある沢とし、滅びのほうきで一掃する。──万軍の主の御告げ──」

万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。

わたしはアッシリヤをわたしの国で打ち破り、わたしの山で踏みつける。アッシリヤのくびきは彼らの上から除かれ、その重荷は彼らの肩から除かれる。

これが、全地に対して立てられたはかりごと、これが、万国に対して伸ばされた御手。

万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。」

国々で起こる戦争、飢饉、疫病、自然災害は偶然に起こることではなく、主の前に今まで積み上げられた罪に対する主の呪いであることを知らないといけないです。




神の民でも祝福を受ける者と呪いを受ける者がいます




【箴言1章22-33節】

「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。

わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。

わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。

あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。

それで、わたしも、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。

恐怖があらしのようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、

そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。

なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、

わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。

それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。

わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。

しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」

祝福を受ける人生のためには、主を恐れ、主を信じ、主のことばに聞き従うことです。


主はその人たちを災いの時にも守り、平安を与えて下さいます。

祝福の道を選んで、その道を歩むならば、結果は祝福です。


しかし主に背いてわざわざ呪いの道を選ぶならば、結果は呪いです。

間違いないです。


どの道をこれから選び、歩みますか?

アーメン ヾ(´ω`=´ω`)ノ


2020.6.19
聖日礼拝メッセージ

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私たちが何をしたら、主の災いが止まるのか

テーマは 『 主が災いを思い直されるためにすべきこと、時はいつなのか 』 です

【エレミヤ書26章3節】

彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。

【エレミヤ書26章13節】

さあ、今、あなたがたの行いとわざを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されるでしょう。

【エレミヤ書26章19節】

そのとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人は彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが主を恐れ、主に願ったので、主も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。」


主は愛の神であり、憐れみ深い神であり、怒りを遅くする神です。


それに甘えて人々がいつまでも自分勝手に歩む時は、神は愛のむちをもって重い腰を上げます。


そして いきなり むちで打つ方ではなく、もう一度人々にチャンスを与えます。

主は「もしあなたがたが悪の道から立ち返るならばあなたがたに下そうと考えていた災いを思い直す」と ことばを与えました。


災いに会わないために、何をしたら主は思い直して下さるでしょうか?




悪の道から立ち返る




3節にもあるように、悪を悔い改めて主に立ち返る時に 主は思い直して下さいます。


【エレミヤ書18章8節】

もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。

私たちをあわれむ主の心が感じられます。




主の御声に聞き従い、みことばに従順する




神の声を聞かず、自分勝手に歩むことは罪であり、悪です。


神は私たちが主の声に聞き従う時に恵みを注ぎますが、悪を行うならば、神の怒りが下ります。


ですから、主の御声に聞き従うならば 主は怒りではなく赦して下さいます。


【申命記30章2-3節】

あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、

あなたの神、主は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。



主を恐れ、高ぶりを捨ててへりくだり、心から主を求める




ヒゼキヤ王の例をあげて 主を恐れ、心から切に祈り求める時に、主は祈りを聞いて下さり、災いを思い直して下さいます。


【第2歴代誌32章26節】

しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。



とりなしの祈り




神の災いの計画を知って、とりなしの祈りをする人たちの祈りを聞いて神が災いの計画を思い直したことも色々あります。


モーセの祈りでイスラエルの民がどれほど助かったか分かりません。


【詩篇106編23節】

それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。

このように主が示した方法に従うならば、主は災いを思い直して下さいます。

アーメン  。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン。


2020.3.1
聖日礼拝メッセージ

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主の警告と危機意識

テーマは 『 主の警告と危機意識 』 です

【ヨエル書2章11-14節】

主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行う者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。

「しかし、今、──主の御告げ──心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」

あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。

世界で起こっている戦争、自然災害、わざわい、ききんなどが なぜ起こっているのか、原因を知ることはとても大切です。


原因を知らないまま放置したり、人間的な方法で解決しようとするならば、解決にはならないです。


旧約聖書は、私たちに原因を知るための多くのヒントを与えてくれます。

なぜ戦争が起き、自然災害が起こり、疫病、災いが起こるのかを教えます。



主権者である神が介入してあります。


そのことも主はみことばで前もって警告しています。

例えば申命記28章には祝福とのろいのことばがあります。


20節のことばだけをみます。


【申命記28章20節】

主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行ったからである。

これ以外にもたくさん警告のことばがあります。



ですから起きている現状を人間的な目で見るのと、神のことばで見るのとは全然違います。


神のことばで見て 初めて事の本質が見えます。

神はあらゆる観点で見るようにと教えて下さいました。




時代を分別する知恵をもって見ること




時代をわきまえないと分からないことが多いです。


今は主の日が近づいています。

それは主のさばきの日です。


神は悪に対してさばきます。


霊的戦いの時代です。

闇と光が戦います。




神のみこころを知ること




なぜそのことが起きたのか。

神の目的は何であるかを熱心に探ることです。


それを知れば自分が何をすべきかが分かります。




神の霊と惑わす霊を見分け、聖霊の声を聞くこと




主からのことばを受けることが出来ます。


惑わす者が大勢出て来て 間違った解釈をして選民をも惑わします。

それに気をつけることです。




悔い改めて主に立ち返ること




様々な患難は、人間の罪と悪のせいであることが多いです。


ですから罪を悔い改め、主に立ち返るならば、現状が変わります。

主の計画が変わります。


その例は聖書にたくさんあります。


起きている一つ一つの出来事には すべて主のみこころがあるので、神のみこころを知って問題を打開していきたいと思います。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.1.11
聖日礼拝メッセージ

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主の怒りの日にかくまわれるために

テーマは 『 主の怒りの日にかくまわれるために 』 です

【ゼパニヤ書2章1-3節】

恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。

昼間、吹き散らされるもみがらのように、 あなたがたがならないうちに。主の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。

主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、主の怒りの日にかくまわれるかもしれない。

聖書の中には、主の怒りの日に対して多くのことを語っておられます。
その日は“主のさばきの日”です。

その日には、神のみこころに逆らって悪を行うすべての者にとって滅びの日であり、神は厳しい さばき主となって悪に対して正しいさばきを行います。


神様を信じる人は、「私とは関係ありません。私はすでに救われているし、神は愛の神なので私がさばかれることはありません。」と言います。

しかし自分たちの生活が神様の目がどのように映っているかを聖徒たちは考えなければなりません。


「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」と書かれているように、父のみこころを行ないながら生きているのかを真剣に考えないといけないです。

今、私たちはこの時代が目まぐるしく変わって行くことを日々 実感しています。
しかも、それが良い方向ではなく、不安定な方向に向かっている事を見ています。


とんでもないことをする集団が世界のあちらこちらから出て、世界中に不安をもたらしています。

しかし、これらはすべて聖書の預言通りです。


終わりの時代は困難な時代になるので、たくさんの災いがあり、滅ぼされていくことを、罪を罪とも思わずに生きているすべての人類に対して、主の怒りが注がれる日にどのようにしたら怒りを受けずにかくまわれることが出来るかを主が教えて下さいます。




1.世の罪を離れて、主の前に出る信仰生活をしなければなりません




1節の「恥知らずの国民よ。」とは、悔い改めることを知らない国民のことを指しており、高ぶっていて 横柄でかたくなな国民という意味です。


彼らの心はこの世にあり、この世の流れに従って生きながら、神を恐れることもなく、罪を犯しても恥を知らないかたくなな心になっています。

ゼパニヤ預言者は、その人たちに向け、神のさばきの日が近づいたから早く罪から離れて、主に立ち返りなさいと叫びました。


「こぞって集まれ。集まれ。」ということばは、悔い改めない国民に向かって叫ぶ「悔い改めへの招待」の意味がありますし、自分の思いと世のすべての欲を神のことばに従わせ、神に立ち返りなさいという意味もあります。

聖徒の生活は世に向かって歩む生活ではなく、必ず神に向かって歩む生活でなければなりません。


神に背を向けるのではなく、世に背を向け、罪から離れ、真理である主に立ち返り、いのちの主と歩む生活へと変えなければなりません。


そうしないと、世に神の怒りがくだされる時に、世と共にその怒りを自分自身が受けなければなりません。


イエス様も人々に最初に語ったことばが「悔い改めなさい」でした。
神の前に出て、自分たちが犯した罪を悔い改めて日々自分を聖くしていくのが信仰生活です。


【詩篇32篇3-5節】

私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。

それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、 私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ

私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。 「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。

このように、悔い改めは人の前ではなく、主の前に出て隠さず自分の罪を言い表すことです。

心をきよくして主に従って歩むのが信仰生活です。




2.神の義を慕い求めながら、みことばに従う生活をしなければなりません




人間は生まれながらに罪の性質がありますし、弱い存在です。
堅く決心しても長続きしないですし、また一生懸命努力をしても神様の義に達することができません。


そして人間が考えることも根本的に純粋ではありません。


【エレミヤ書17章9節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

このみことばは まったくその通りだといつも実感しています。

ですから人間は、私たちを義なる者にしてくださる神様を求めるしかないですし、神の義によって はじめて神様が願う聖徒の生活を生きることができます。


人間が造り出す義、それ自体は人間をある程度 良い人間に、そして敬虔な生活へと 少しは益をもたらしますが、そのことが人間を罪から救い出し、いのちを与えることは有り得ないです。

神の義は、私たちをいのちの道に導く救いです。


【イザヤ書61章10節】

わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、 花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。


【ローマ4章6-8節】

ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。

「不法を赦され、 罪をおおわれた人たちは、幸いである。

主が罪を認めない人は幸いである。」

聖徒の生活は、神の義を求めながら、その義を守るために従順する姿が伴わなければなりません。




3.神を見上げ、神にたよる謙遜な生活をしなければなりません




聖徒の生活の基準は、神のことばです。
それを守り行うのが聖徒の生活です。それが謙遜な態度です。


人間の中には常に高ぶりの心があります。
偉くもない自分を偉い者と思い、知恵もないのに、自分の知恵を誇ります。

他人の話も神のことばも耳に入れず、自分の思いのままにしたいという高慢さがあります。

このような心のままでは、私たちは神に頼ることをしませんし、みことばに従うこともできません。


ですから、日々 自分を頼らず、神の恵みを求めながら、神に頼らなければなりません。

私たちが救われたのも、すべて主の恵みであり、いま生かされているのも主の恵みであるので、私たちは何も誇るものがありません。


【エペソ2章8-9節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

聖徒たちは救ってくださった神の恵みを忘れず、いつも感謝しながら神のことばを守りながら、神の心を喜ばせることが優先です。

聖徒たちの生活は、ますます聖くなっていかなければなりません。


罪人であった私たちにあわれみをかけ、罪を赦してくださいました。

それだけではなく、神の子どもになる特権も与えて下さいました。

その大きな恵みを受けた者たちが、平気に罪を犯しながら、神に逆らい続けるならば、神の怒りが下る時に誰がその人を守ることができますか。


その怒りから逃れることは出来ません。
次のことばも読みましょう。


【Ⅰペテロ4章17-19節】

なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。

義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。

神の前にへりくだり、神の義を追い求める者に対しては、神ご自身が主の怒りの日に彼らをかくまってくださいます。

その日は、彼らには滅びの日ではなく、救いの日になります。


罪と悪がますます世にあふれるようになってきました。


目をさまして神のことばに聞き従いながら、みこころを守る聖徒になりましょう。
(´∀`*)

2015.1.25
聖日礼拝メッセージ

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