からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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新しい人と古い人の戦い

テーマは 『 新しい人と古い人の戦い 』 です

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことばは神の約束であり、キリストを信じて受け入れた人は、その約束通り 新しい者になります。

それは素晴らしい約束であり、新しくなることは祝福です。
しかし実際の姿はどうでしょうか?


自分の中で、新しい人とは正反対の姿(つまり古い姿)を見て失望したことはありませんか?

神のことばによると、自分の中には新しく造られた人が存在するのに、日常の中で以前と変わらない古い姿を見ると『何も変わっていない』と みことばを疑う人や、自分に失望して古い姿のままで生きている人が多いです。


聖書が語る“新しい人”と、現在の自分の姿との“差”をどのように解決したら良いのか、
また、新しい人が勝つためにはどのようにしたら良いでしょうか。

まずは新しい人、すなわち新しく造られた人が何であるかを知らないといけないので、そのことを先に語ります。




イエス様とニコデモの会話





【ヨハネの福音書3章3-8節】

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

この内容で分かるのは、新しい人は御霊によって生まれるということです。

奇跡の中の“奇跡”というのは、病気が癒されることではなく 御霊によって新しく生まれることです。

まるで赤ちゃんが生まれるように、“霊の人”が生まれることです。神の驚くべき被造物である新しい人は、実際に生きている生命体です。


“霊の人”という新しい人は、神を知ることが出来、霊の目と耳が聞かれ、キリストの恵み、贖い、神のみこころに対して喜び、神様を賛美します。そして自分の罪を悟り、神の愛を感じます。

自分の思いのまま、自己中心的に生きていた者が神に頼り、その導きを受けて生きようとします。


しかし新しく生まれたからといって霊的なことが何もかも分かり、その通りに生きられるわけではありません。


なぜなら私たちが新しく生まれても自分の中にある“霊の人”はまだ赤ちゃんに過ぎないからです。

そして自分の内には 肉の人、古い人が死んではいません。
古い人は死の判決を受け、権利を奪われましたが、相変わらず抵抗をします。それは(肉が)死ぬまで抵抗を続けます。


肉の人は、霊の人が生まれたことを知り、それを憎み殺そうとします。


そのことによって私たちの中には戦いが始まります。
つまり霊の人と肉の人、新しい人と古い人との戦いが始まります。


パウロ自身もその戦いを経験していたので、その様子をこのように話しました。


【ローマ7章18-25節】

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、 それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

そして次の箇所でも、その戦いがあることが書かれています。


【ガラテヤ5章17節】

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

このことで分かることは、この霊的戦いが信徒の生活の中に起こるということです。

生まれ変わった瞬間からこの戦いは始まります。
そして いつも(肉か霊の)強い方が主導権を握ります。


自分がどちらを選ぶか、どちらが好きか、どちらの味方になるかによって戦いの結果が変わります。

私たちが戦いで勝つ方法は1つしかありません。


私たちが霊的に強くなり、霊的に成長することです。

霊的に成長すればするほど、肉の人、古い人は力を失っていきます。


それでは、どのように私たちがこの戦いで勝利を得られるのかを学びます。




1、自分自身との戦い




私たちの敵は 他人ではなく、自分の内にある古い人です。
それは肉に従って歩もうとする肉の人です。


【ローマ8章13節】

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このみことば通りだと思います。

私たちが霊の人として生きるためには、古い人を殺さないと自分自身が死んでしまいます。


古い人を殺す方法は、自分の中にある(古い人の)強い欲を殺すことです。



【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

たとえば、自分の欲で好むことだけをするならば、霊の人は成長することができません。

霊の人が成長するためには、みことばを読まないといけないですし、祈りも必要なのにテレビばかりを見たり、眠りをむさぼったり、人とばかり話したりすると霊の人はまったく成長しません。

自分の欲に従う人は、霊の人を殺してしまいます。そして自分の心の中に怒り、憎しみ、悪い感情などを入れたままにすると霊の人はだんだんと死んでいきます。


新しい人を成長させたいと願う人は、「体の行いを殺すんだ」と決心しなければなりません。

自分の中に存在する様々な情欲に対して「NO」と はっきりと言うことが大切です。


イエス様に集中したいと願う人は、自分の時間と関心を奪うものを退けなければなりません。

これは聖書の教えに私たちが従うことです。


古い人を助けてしまうものを十字架に釘つけることが大切であり、絶えずこの戦いをしていかなければなりません。

一度戦ったからといって肉の欲が消え去るわけがないです。そして自分の力で常に勝利するわけでもありません。


パウロのように「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と主の助けを求めることです。

彼は戦い続け、主の助けを求めました。


あまりにも信徒たちがこのことに対して無関心、無抵抗なので次の箇所でこのように語っています。


【ヘブル12章4節】

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。




2、イエス様を見上げること




イスラエルの民たちが罪を犯し、神が送った火の蛇によって多くの者がかまれて死にました。
その時に神はモーセに青銅の蛇を作りなさいと命じ、それを見た者は死ぬことがありませんでした。


主はそのことを自分の十字架と重ねてこのように語りました。


【ヨハネの福音書3章14-15節】

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

十字架にかかったイエス・キリストを信仰で見上げていくならば、神のいのちが私たちの中に流れてきます。

それが聖書の真理です。


十字架の上で自分の罪のために血を流しているイエス様を見上げながら、私たちは自分の欲に従ってキリストを苦しめながら生きることができるでしょうか。


私たちがキリストから目を離して世を見るならば、誘惑するものがたくさんあります。

目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢などに心が奪われます。
「欲しい、欲しい」と、そういうものをむさぼるようになります。

主は「それらのものは御父から出たものではなく、この世から出たものです。世と世の欲は滅び去ります。」と語りました。


私たちの中には生まれながら強い欲があります。

そしてこの世は私たちがさらに貪欲になるように教えます。そうしないと金儲けが出来ないからです。

肉の欲に縛られて生きているクリスチャンもたくさんいます。


いつもこの世ばかりを見ながら、イエス様を信仰で見ないので いつまでも霊の人が成長することなく、霊の人なのか、肉の人なのか自分でも分からない状態です。


自分の欲望だけに関心があり、キリストを見上げることをしないなら、自分が本当に救われた人なのかどうかをもう一度考えなければなりません。

生まれ変わった者は自分の主を見て生きるのです。


【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

これが私たちへの主からの命令です。




3、訓練だと思って耐え忍ぶ




イエス様の贖いを信じて、信仰の戦いを続けても、また からだの行いを殺しても勝利できない時があります。

その時は戦いをやめますか。絶対に戦いをやめてはいけません。


神様は私たちを戦いの中で訓練するからです。

肉の人から霊の人として変わるには、時間がかかるだけではなく、訓練も必要です。


例えば、ある人が神様よりもっと愛するもの、関心を寄せているものがあるならば、神様はそれを知って、その人がそのことに失望するように、嫌気がさすようにしていきます。

その人がそのことが出来ないように、色々な試練を送ります。


例えば、イスラエルの民が40年間、なぜ荒野にいましたか?
神様はすぐにでも彼らをカナンの地に導き入れる力のある方です。


でもそうしなかったことに神様の理由と計画があります。


【申命記8章2-6節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、 あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、 飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出る すべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、 はれなかった。

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

そして新約聖書でも主が語りました。


【ヘブル12章5-7節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

自分の中にまだまだ古い人が強いならば、人を通して、環境を通して訓練が続くと思ってください。

「なぜ私にこんな試練が。神様、なぜ助けてくださらないのですか。」と叫ぶ前に、自分の中にまだ残っている肉の欲が何か、古い人の姿は何であるかを見つけ出してそれを殺す戦いをしてください。


そして霊の人を強くするために、栄養を与え、神の霊の武器を用いて戦ってください。

私たちは新しく生まれ変わった人を愛し、古い人を憎まなければなりません。
自分の中にある様々な欲を十字架につけるならば、自分の中に主の平安と感謝、神の力が臨みます。


私たちのたましいの敵は、私たちを破滅させるために、絶えず欲に火をつけ、罪で誘惑します。


ですから、私たちは絶対的に罪と戦い、自分自身と戦っていかなければなりません。


戦わないなら古い人・肉の人が霊の人を殺し、それによって自分も死んでいきます。

私たちが戦う時は、絶えず小羊イエス・キリストの血と主の御名を使って戦いましょう。

そして勝利したイエス様にいつも頼りましょう。
( ̄‥ ̄)=3


2015.1.18
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主は万物の主権者

テーマは 『 主は万物の主権者 』 です

【イザヤ書40章10-17節】

見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。

だれが主の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。

主はだれと相談して悟りを得られたのか。だれが公正の道筋を主に教えて、知識を授け、英知の道を知らせたのか。

見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。

レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

創世記から黙示録までを読んでみると、はっきりと見えてくる神の姿があります。

神はすべての万物を創造した方ということだけではなく、すべての被造物の中で、いつでもご自分が願うように全てのことを行う主権を持っておられます。
時間、出来事、自然万物、人間、サタンを含め、全ての霊的存在などに対して、主権を持っておられます。


神様がみこころを立て、計画を練り、実行に移していく時に、その決定を誰も止めることも、変えることも、遅らせることも出来ません。

神が世界を創造した時に、そこに相談相手や顧問がいたでしょうか?

神はご自分の主権で全てを造りました。


そして、最初の人間であるアダムをちりで造り、アダムから取った骨でエバを造る主権を持っていました。


私たちは創世記1章から神が創造主であることだけに目を留めるのではなく、それが全て出来たのは神だけであり、絶対的な主権者であることを知らなければなりません。

神が主権者であることを知るのと知らないのとでは、どれほど大きな影響を私たちの人生にもたらすのか、測り知れないです。


【イザヤ書40章10節】

見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。

神は主権者ですので 人々に命令を下し、犯した罪に対しては罰を下し、従う者に対しては報いを与え、世が始まった時から今に至るまで人類を統べ治め、契約を結び、また祝福を約束する主権を持っておられます。


神の主権がどのように働いたのかを聖書でみると、まずアダムに対して次のように命じました。


【創世記2章16-17節】

神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

エデンの園にある全てのものは、神が造ったものであります。
彼は当然のように主権者に従わなくてはいけませんが、アダムはその命令にそむいて木の実を採って食べたので、主権者である神は 死を下しました。


多くの人は、神が最初から善悪の知識の木を造らなかったらアダムが罪を犯すこともないし、人間に死がくることもなかったのに…と、造った神が悪いと言います。

これは、人間側が自分たちの立場で言うことばであり、神が主権者であることを、認めない発言です。


主権者に対して言うことを聞くのが義務であって、神に対してあれこれ言う資格が、私たちにはありません。

自分たちの不従順を、神のせいにしてはいけないです。


また神は、人間が完全に堕落し暴虐で満ちていた姿を見て、全ての人間を滅ぼす決心をし、大洪水を送りました。
これも神の主権です。

また地上で再び人を増やす計画を持って、ノアとその家族を選ぶ主権を持っていました。

神は人を殺し、人を生かす全ての主権を持っておられます。




ハンナ




サムエルの母ハンナは霊的に素晴しい洞察力を持っていました。

神が主権者であることを、このように語りました。


【Ⅰサムエル記2章6-10節】

主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。

主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。

主は弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。

主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。

主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高くあげられます。」

ハンナは不妊の女で、子供を産むことが出来ず、子供をたくさん産んだペニンナから、すごくいじめられていました。

その中でハンナは子供を産めない体であることで、神に文句を言ったのではなく、神の主権は何でも出来ると信じたので、大胆に神に 子供が授かることを願いました。


神は彼女の願いどおりに子・サムエルを与え、その後も何人もの子供を与えて下さいました。胎を閉じるのも開くのも神の主権です。

また、神には不可能はありません。



神はまたアブラハムという人を選んで、祝福を与える主権を持っておられます。

なぜアブラハムが選ばれたのでしょうか?
そんなに素晴らしい祝福を私にくれたら良いのにと、多くの人が思ったでしょう。

しかし、人を選ぶのも、すてるのも、神の主権です。


私たちには、人に対するねたみと高慢があるので、神の選びに対して、不満を持っている人が教会の中でも多いです。

「あの人より、私が偉いのに」、「あの人より私が先なのに」、「あの人より私の方がもっと知識があって、奉仕もしているのに」など、 神の人選びや、賜物、祝福などに対して、納得できないと怒る人も少なくないです。

そしてつまずき、神から離れる人もいます。


それは、神が全てを思いのままになさる主権者であることを認めていない態度であります。

本当に認めるならば、神の主権を尊重し、みこころのままにしてくださいと、受け入れなければなりません。


人間の思いが、神の主権の上に立つことはいけないことです。




イエス様




イエス様でさえ、十字架の死を目の前にして次のように祈りました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。」

神の御子であるイエス様でさえも、父なる神の主権を認めました。


私たちが、神の主権を認めながら、生きることはとても大切です。

これから世界に起こる全てのことも、神の主権がその上にあります。


悪者の働きも、主の主権がゆるした範囲で、ゆるされた時に行われます。

神が見た世界は、今日の本文にあるように、

国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。レバノンも、たきぎにするには、足りない。

すべての国々も主に前では無いに等しいものです。


【Ⅱペテロ3章8節】

主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

また、このように、たとえ人が千年生きても、主の目に一日のようであるなら、100年生きたとしても、神の前にある私たちの人生は1時間のようなもので、それくらい短い人生を私たちは生きています。

主が造った世界の中で主に与えられた命を持って、主がゆるした時間の中で生きる私たちは、主の主権を認め、主の主権に服従する人生を生きていきましょう。


この主権者を絶対に軽く見てはいけません。
そして、その前で高ぶってもいけないことを、心にしっかりと刻みましょう。
(・◇・)ゞ

2014.9.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

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聖徒が警戒すべきもの

テーマは 『 聖徒が警戒すべきもの 』 です

【ルカの福音書12章1-3節】

そうこうしている間に、おびただしい数の群衆が集まって来て、互いに足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。

おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。

ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。

【ルカの福音書12章13-21節】

群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。

すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。 さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

9月5日(金)に、スマホを使用していた最中に、突然大きな音とともに表示画面が変わったので、びっくりしました。
きっと、大阪に住んでいる皆さんも同じ体験をしたと思います。

それは、大阪府民880万人に一斉送信された緊急地震速報の避難訓練のお知らせメールで、2度もありました。

自宅はマンションの9階なので、たとえ津波が来ても安全な場所ですが、1階に住む人たちはどうしているのかと思い、外の訓練の様子が気になり 窓から見下ろしましたが、何一つ変わっておらず避難訓練に参加している人は、1人もいませんでした。


南海トラフ巨大地震は、近い将来 必ず起こると言われていますが、いつも情報を聞きながらも、「まだまだ大丈夫だろう。」と思ったり、どうしたら良いのか分からないからと、考えないようにしている人が意外と多いかも知れません。

私は必要なものは備えましたが、何の対策も警戒もしていない人は地震が起きた時、本当に大変だと思います。
私たちはこれらのことも気にしながら、知恵を用いて対策をしなければなりません。


本文のことばは、イエス様が弟子たちに教えられた大切な戒めですが、これは私たちの信仰生活に対する警告であり、私たちを倒そうとするものからの避難訓練でもあります。

この訓練は、日々していかなければならないもので、何かが起きてからでは遅いのです。


これは、いつか起きる巨大地震のようなものではなく、日々私たちを襲ってくる、あらゆる誘惑から自分自身を守るために必要な訓練のことです。


今回は、何をどのように警戒して訓練をしていくのかを学びます。




(1)外側と内側とが違う信仰生活を警戒する




外側と内側とが違う信仰生活のことを一言で言うならば、偽善的な信仰生活のことです。

ルカの福音書12章1-3節で主が語りました。

パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。

おおいかぶさっているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。

ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。

この人たちは宗教的に敬虔に見えますし、祈りも奉仕も熱心にしますので、すごく信仰があるように見えますが、心の中には貪欲、嫉妬、高慢、憎しみや汚れた思いがそのまま残っています。 

肉の思いを捨てることをせず、見える部分だけを、きよく見せようとしても、それは偽善に過ぎません。

イエス様は、いつもそのように生きているパリサイ人たちに「目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」と語っていました。


パリサイ人は当時、宗教に一番熱心な保守的な人たちでした。
人々は彼らを尊敬していましたが、イエス様は彼らの偽善を知って暴露し、人々が騙されないようにしました。

偽善は本心を隠しての行動ですが、いつか主の前に立った時には裸にされるように、すべてのおおいが取り除かれて全てが明るみに出されます。

そして偽善的な行動には、神からの報いもありません。反対に さばきが待っています。


【マタイの福音書6章1節】

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

ですから、自分の信仰生活の中に偽善的な要素があるかどうかを、よく調べるのが重要です。


主の前に真実な姿で生きるように心掛けなければなりません。




(2)所有物に対する貪欲にも警戒する




所有物に対する貪欲にもよく警戒をしなければなりません。(13-21節)

本文は、財産分配の問題解決のために来た人を通して、イエス様は人間がどこに価値を置くべきかを教えています。

イエス様は、財産分配の問題の解決よりは、その後に続く金持ちのたとえ話を通して、すべての人の心にある貪欲を指摘して根本的な問題の解決を提示しました。

私たちが根本的な問題を解決しないならば、1つの問題が解決されたとしても、また新たに似たような問題が起こります。

「何で次から次へと同じ問題が起きるのか?」と困惑しますが、自分の中に常に問題の根本的な原因があるからです。


クリスチャンの中でも、この根本的な問題が解決されず、貪欲な心のままで生きている人が多いです。
それがあるので神様を第一に出来ませんし、誘惑に弱いですし、神様が恵みを与えても、その恵みの価値を知らないでこぼしてしまいます。

お金のほうがもっと大切だと思うようになります。

イエス様の教えから、発見される教訓は何でしょうか?






①人生の真の価値は財産にあるのではなく、永遠のいのちを所有することにあります。

皆さんのいのちは何でしょうか?お金ですか?

すべての人に共通するものが1つあります。
私たちの人生は、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。どんなに長生きをしても、100年ちょっとです。

先日、交通事故で死亡した韓国ガールズグループのウンビさんは21歳で、まだ若いです。
死は何の前ぶれもなく、突然起きました。


私たちも、明日のことは分かりません。生きているか、死んでいるか――

金持ちでも貧しい者でも、死の前では無気力な存在です。

財産が私たちの命を守るために、死を止めることができるでしょうか?

それにもかかわらず、財産を人生の目的として貪欲になっているのは愚かなことですが、それに気づかない人も多いです。


②すべての富も命も、主の手の中にあり、私たちの人生は、神の管理人としての使命があります。

豊かさは神の恵みと祝福によるものであり、いのちも神の主権的な手にかかっているのです。


③自分に与えられた富を貧しい者のために使う人は、天に宝を積む人で、神さまはその人のことを豊かな人だと語りました。

愚かな金持ちのように、自分のためだけに使うならば、必ず神さまのさばきにあいます。
なぜなら、神の目的に逆らって生きたからです。

“貪欲”とは、愚かな金持ちを通しても分かったように「自分の所有や感情の満足を追求するために、絶えず生まれる欲」です。


貪欲におちた人は霊的に見えない者になり、霊の世界も分からず、自分の肉の欲のままに歩むようになり、信仰生活もつまらないです。

物質世界の中で、もっとも私たちが警戒しなければならないものは この貪欲です。






ですから、貪欲に対して聖書の多くの所で教えています。


【詩篇39編6節】

まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。


【ハバクク書2章9節】

わざわいだ。自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者。

将来の不安対策として蓄えるので、「これでも足りない」と、いつも不満足な状態です。


【Ⅰテモテ6章9-11節】

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

貪欲はあらゆる悪の根であると教えます。


【コロサイ3章5節】

ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。

貪欲はそのまま偶像礼拝になります。

偽善的な信仰生活をしている人の中にあるものは、この貪欲が原因です。

神様を第一に求める人のように見せかけながら、心の中では別のものを熱心に求めています。

イエス様のところに来て財産分配の問題を解決して下さいと頼んだ人も、イエス様をメシアとして崇めたのでもなく、イエス様を利用して自分が財産をもっと貰いたいという貪欲の思いの方が強かったのです。


また貪欲は、使うべき所にも使わず、ひたすら集める人だけが持っているものだと思ってはいけないです。

自分の欲望や物欲のために自分の収入以上に使う人の中にも貪欲があります。借金までして手に入れます。
この貪欲は、そのまま偶像崇拝になりますので、本当に私たちが警戒をしなければなりません。


偽善的な信仰生活と貪欲には深い関係があります。この世と神を求める二股状態です。

うまく続けられると自分で思っていても、結果は「愚かな者」と主から言われるようになります。


他にも聖書には警戒すべきものがありますが、今回は最も警戒が必要な偽善と貪欲について話しました。
貪欲は私たちの中で持っていない人はいないほど、根が深いものです。

(自分の中には)存在しないと思っていても自分の心を掘っていけば、どんどん出てきます。


探し出して捨てていくのが、警戒して訓練をしている姿です。

私たちがみことばに従って、神を喜ばせるならば、神様は私たちに必要なものを備えてくださる方です。
欲しい物よりも、生きる為に必要なものを与えて下さいます。それを信じて、必要なものは神様に求めましょう。

そして、偽善と貪欲は捨てましょう。
(*・ω・)ノ

2014.9.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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