からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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救い

聖霊を悲しませる行為

テーマは 『 聖霊を悲しませる行為 』 です

【エペソ4章30-31節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。


聖霊は信じる者の心の中に内住する方で、聖霊によって信じる者はどれほど多くの恵みを受けるかわからないです。

信じる者は誰よりもこの方を尊ばないといけないです。


しかしいつの間にか聖霊の存在を忘れて、聖霊を侮り、悲しませる行為を聖徒たちがすることが多いです。

どんな行為が聖霊を悲しませるのかを知り、その行為をやめないといけないです。



そうしないと聖霊を自分から追い出す形になり、それ以上 神の恵みを受け取ることが出来なくなります。


形だけの信仰にどんな祝福があるでしょうか。


聖霊を悲しませる行為は不信仰の行為だと自覚することです。





聖霊に逆らい、肉に従って歩む行為




無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、悪意などは聖霊が忌み嫌う肉の行為です。

それを捨てずに、その中で生きるならば、聖霊は悲しみます。


自分のそばに無慈悲でいつも怒り、悪を行う人がいるならば、平安でしょうか?

すぐにでも縁を切りたいと思います。





聖霊からのことばを聞かない行為




いつも語っているのに、そのことばを無視する行為は本当に良くない行為です。


心がかたくなになると 聖霊の声を無視し、言うことも聞かないです。


主からの警告のことばを聞いても、それを冗談だと思い無視します。

ソドムの町に住んでいたロトの婿たちがそうでした。



【創世記19章14節】

そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。


神のことばを冗談と思って無視した結果、婿たちはソドムの町が神のさばきで滅ぼされた時に滅ぼされました。

私たちへの警告です。





主の御心に関心がなく、世のものだけに関心がある行為




主は私たちが常に主の御心に関心をもって、みこころに従って歩むことを願っています。

みこころを知り、行うことで、神様は計画通りに働くことが出来ます。


しかし使命を受けて働くべきしもべが、主の心には関心がなく、自分がしたいことを主の名でするならば、聖霊はとても悲しみます。


その人を選んだことを後悔します。


主のしもべは主のみこころを優先にして、御心に従うことです。





時を分別せず、いつまでも眠っている行為は聖霊を悲しませる行為




自分の霊の状態が怠けていたり眠っていたり、生ぬるい状態であるならば、それは聖霊を悲しませていることです。

神の思いとは反対のことをしていながらも、それに気づいていない人も多いです。


早く悔い改めてその行為をやめないと、災いの日が突然襲い掛かります。


終末の時代は、悪魔が大いに活躍する時代ですので余計に目を覚ましていないといけないです。



聖霊はきっと毎日私たちの状態を心配そうに見ておられると思います。

『目を覚ましなさい』といつも警告していますが、その声を聞いて起きないと 聖霊はとても悲しみます。




いま自分の状態をみて下さい。


聖霊を喜ばせていますか?
それとも悲しませていますか?


聖霊を悲しませる行為があるならば、その行為を一日でも早くやめることが自分にとって救いになり、恵みになります。


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2023.7.16
聖日礼拝メッセージ

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信仰の人として生きること

テーマは 『 信仰の人として生きること 』 です

【ヘブル11章6節-7節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。


信仰によって生きた人々の人生がヘブル書11章に多く出てきます。


『義人は信仰によって生きる。』と主から言われましたが、彼らの人生こそが信仰によって生きた人生でした。

時代も背景もすべて違いますが、信仰による姿勢はみんな似ていました。


彼らは神の前に自分たちの信仰を見せたので、神は彼らの信仰を認めて下さいました。

神に認められた信仰こそが本物の生きた信仰です。


自分の信仰を自慢しても 神が認めないならば、むなしい信仰、無価値な信仰になります。

自己満足に終わります。




信仰を持つならば、神が認める信仰を持つことが大切です。


信仰の土台は神のことばです。

この土台なしの信仰は砂の上に建てた家と同じで不安定ですし、この土台がある信仰は岩の上に建てた家と同じで安定しています。


神様が信仰の真価を問う時に 無価値な信仰と価値ある信仰がはっきりします。


価値ある信仰の土台はみことばですから、信仰の始まりもみことばを聞くことから始まります。



【ローマ10章17節】

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。


【ローマ10章8-10節】

では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。



この単純な福音を信じて受け入れるならば救われますし、また救われた人はこの福音を人々に伝えて、人々を救いに導かないといけないです。



【ローマ10章14-15節】

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」



すでに世の人々はあらゆる宗教を信じています。


神様はそれも知っておられます。

そこに行ってまことの神を伝えるように言われました。


多くの人は自分が神と思う存在を信じています。

その神が本物の神であるかどうかはあまり考えていないです。



ですからまことの神を教えることが重要です。

まことの神とは世界を造り、人間を創造した神です。


神が創造した「被造物が神」ではなく、それを「創造した神」こそが まことの神です。


何でも信じる信仰を神が喜ぶのではなく、まことの神を信じる信仰を神は喜びます。




福音伝道はすでに様々な神を信じる人々に伝えるので、様々な壁にぶつかります。


しかしそこでも神を信じる信仰によって大胆に伝えることです。

信仰を働かせないと挫折しますし、諦めてしまいます。


しかし魂を愛する主を信じ、神の力に頼って福音を伝える時に、神様は栄光を現して下さいます。




今イスラム世界でも福音を通して神様が力ある働きをしておられます。


5万人を導いた宣教師もいました。

神様がみわざを表わした結果でした。


他の宗教や異端でも熱心な人は多いですが、神様に その信仰が認められないと神の国に入ることは出来ないです。

その人にとってそれはどんなに辛く、後に騙されていたことで後悔をするでしょうか?



この世で真の神に出会い、その神を信じ、その信仰が認められる人こそが神の国を相続する人になります。


伝えても受け入れない人たちを見ると悲しいですが、主はこのようなことばも下さいました。



【マタイの福音書10章14-15節】

もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

アーメン (・∀・)つ


2023.4.30
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罪人を招くために来た主

テーマは 『 罪人を招くために来た主 』 です

【マルコの福音書2章14-17節】

イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」


イエス様に対する評価は二つに分かれました。


歓迎する人と非難する人でした。

歓迎する人たちは罪人たち、非難する人は義人たちでした。


罪人が誰なのかを説明する必要はないですね。

人間はアダムからみんな罪を犯したので、聖書は全人類を罪人だと言います。



【ローマ3章9-10節】

では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。


『義人はひとりもいない』と言われているのに、自分は義人だと思っている人たちがいました。


律法に対して一番厳格な人々であるバリサイ人たち、律法学者や祭司たちは「自分は義人」だと思っていました。

律法を文字通りに守っていたので罪人の認識は全くなく、義人だという自負心が天に届くほどでした。




彼らは義人としての誇りが高く、罪人たちの罪を厳しく裁いていました。

ですから罪人と共にいるイエス様も罪人の仲間と思い、厳しく裁きました。


とんでもない人間が現れて律法を無視し、人々を惑わしていると思っていました。



それでもイエス様の目には彼らも罪人なので救いたいと思っていました。


主のみこころはすべての人が救われることです。

救いに差別はないです。



しかし主の願いとは反対に自分には罪がないと思っている義人たちは、イエス様を必要としなかったので主の所には来なかったです。


主のそばに来た人たちは、罪を認め、自分は罪人だと思っている人たちでした。


イエス様は自分が罪人であると感じている人、人から無視され、裁かれている人たちのために世に来て下さいました。







自分を罪人と思っていますか?それとも義人と思っていますか?


自分を罪人と思っている人たちは、自分がいかに腐敗した悪者であるかの認識があります。

うわべは良い人に見えても、自分の心と思い、行動が人には見せられない悪質なものであることを知っています。



いつから罪人の認識が芽生えるでしょうか?

真理のことば、罪に関することばを聞いた時からです。


なんとなく感じていた罪が明確にされます。

そして自分の罪に対して絶望的になります。


そこに主から、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。』 と言われると、絶望から希望に変わります。


自分の罪を悔い改めて、罪の赦しを受け、神の子どもになる特権までも受けます。



イエス様には罪人の罪を赦す権威と救いを与える権威がありますが、両方とも何もせずにことばだけで伝えたのではなく、十字架の犠牲を通して人に与えることが出来ました。



イエス様を信じて救われた人たちは、「主によって罪赦された義人」と主から言われますが、同時に罪人です。

自分には罪がなかったと言えない者たちです。


自分を義人だと誇っていたパウロが主に出会って最初に気づいたのは、自分がとんでもない罪人という事実でした。



それが彼にとって一番の恵みでした。

それによって主を信じ、救われたからです。


主からの救いの恵みを忘れないために、彼のように私たちも告白すべきことばがあります。


【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。


アーメン (´;ω;`)


2023.3.19
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仕えるべき動機

テーマは 『 仕えるべき動機 』 です

【第1ヨハネ3章16-18節】

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。


イエス様は最初から自分を無にして、仕える姿を見せて下さいました。

最後は 自分のためではなく、罪人のため、愛する者のために命まで捨てました。


命を捨てた主の十字架を見て、主の愛と犠牲、そして徹底的に仕えることが どのようなことかを少しは知ることが出来ました。

人に仕えた主は、それを通して主の愛を見せました。


そして『互いに愛し合いなさい』と新しい戒めを私たちに残して下さいました。

愛し合うことは互いに仕え合うことです。


なぜ私たちが仕えるべきなのかの動機を、主が教えて下さいました。





主が先に私たちに仕え、その恵みを私たちが受けた




私たちのために命を捨てた方が、主です。


主の愛と犠牲の恵みを一番たくさん受けた人は、“救われた人” です。


恵みをたくさん受けたならば、主と人に仕えることです。

食い逃げ犯のようになってはいけないです。




主は渡される夜、弟子たちの足を洗いました。

それは衝撃的で、あり得ないことでした。


しかし仕えるとは どのようなことかを主は見せて下さいました。


救われた者たちも主に足を洗っていただきました。

ですからその恵みを受けた者なら、人の足を洗って仕えることです。





主を愛するので仕える




主を愛すると言いながら、何一つせず、受けることしか考えないならば、それは愛のない人です。


母親は自分の子を愛するので、人から言われなくても寝ずに世話をします。

自分を犠牲にしながら子に仕えます。


もちろん父親も子を愛して、汗を流しながら働いて家族を養います。

「愛」が心と体を動かします。それが当然です。



愛すると言いながら、犠牲も仕える姿もないならば、それは偽善の愛です。


心から愛する時に、自ら主のためにも 人のためにも喜んで仕えます。


愛は決して重荷ではないです。

愛を苦しい十字架だと思う人はいないです。


主は義務で十字架を背負ったのではなく、私たちを愛しているので 自ら代わりになって十字架を負いました。





仕える者には報いがある




主のように人に仕えるならば、必ず報いを受けます。

報いがあると約束したのも主です。


マタイの福音書25章には、最後の審判が神によってなされますが、そこで裁かれる者と良い報いを受ける者が分かれます、羊と山羊が区別されました。


大きな働きをした者が良い報いを受けたのではないです。

良い報いを受けた人は愛をもって仕えた人です。


【マタイの福音書25章33-40節】

羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』


愛を持って仕えた人は自分がしたことを忘れていましたが、主はすべて覚えていて、その人に良い報いを与えました。


よく仕えた人たちが受ける最高の祝福は、 『御国を受け継ぐこと』 です。



これからも人に仕える機会はたくさんあると思います。


無関心で逃すのではなく、人に仕えて良い報いを受けるチャンスにすることです。

無駄な働きにはなりません。


アーメン (*・ω・)ノ


2023.2.26
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終わりの前兆と信仰生活

テーマは 『 終わりの前兆と信仰生活 』 です

【第1ペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


万物の終わりとは、“終末” を意味します。


世の中を見ると、以前とは違うものがたくさん見られます。

終着駅がだんだん見えて来たような気がします。


終わりの前兆として言われたのは、イスラエルの回復、戦争、飢饉と地震、倫理道徳の堕落、知識の増加、全世界に福音が伝えられる、教会の堕落、反キリストの出現などです。



こういう時が来たら、目を覚ましていないといけないです。


目を覚まして心を整え、身を慎みなさいと言われました。

どのようにすればよいでしょうか。





日々の生活の中で主の愛と救いを実践しながら生きる




日々の生活で最善を尽くすことです。


【ヘブル3章12-13節】

兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。


不信仰にならないように、罪に惑わされないように自分がなすべきことをし、神のわざにも励むことです。


何もしない怠け者は神に忌み嫌われます。





霊的に純潔な生活をする




偶像のものがあったり、罪が入るならば霊は汚れてしまいます。


万物の終わりには主が再臨しますが、主は花嫁を迎えに来て下さいます。

花婿であるキリストを迎えるための花嫁の姿は、“清純” であることです。


【第2コリント11章2節】

というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。




目を覚まして祈る




終わりの時はサタンにとっても終わりであるので、今まで以上に活発に働きます。


聖徒を惑わして神から離れさせ、病気にさせ、救われることがないように邪魔をし、教会を迫害します。


祈るならば戦いに勝利しますが、祈らないならば力がなくてサタンに負けてしまいます。

祈るならば主の助けを受けられますが、祈らないならば、霊的に弱っているのでサタンは簡単にその人を倒すことが出来ます。



万物の終わり、主の再臨が近づいているので、さらに私たちに次のように警告しています。


【第1テサロニケ5章1-8節】

兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。

主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。


眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。


しかし、私たちは昼の者なので信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。


アーメン (*・ω・)ノ


2023.1.15
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感謝を知っている人たち

テーマは 『 感謝を知っている人たち 』 です

【マルコの福音書14章1-9節】

さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。

彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。

この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。

すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。

貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。

この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。

まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


今日は収穫感謝祭ですから、感謝について考えたいと思います。


ことばで『感謝します。ありがとうございます。』は誰でも言えます。

しかし同じ感謝でも口先だけの感謝があれば、真心からのあふれる感謝もあります。


口で言うよりも態度であふれる感謝を表した人たちが主を喜ばせ、主はその人たちのことをいつまでも覚えておられます。


今日は感謝を知っている人が、どのように感謝を表したかを見たいと思います。





非常に高価な香油が入った壺を割って、香油をイエス様の頭に注いだマリヤ




財産としてコツコツと集めた香油をイエス様になぜ注ぎましたか?


人々は彼女の行動を非難しました。

彼らが言っていることをマリヤが知らなくて、そのようなことをしたでしょうか?


主にしたことが他の人の目には無駄なことにしか見えなかったと思いますが、主は世界中に、福音が宣べ伝えられるところなら、彼女がしたことも伝えて、その人の記念となるようにしなさいとまで言われました。

彼女がやったことは、主をとても喜ばせました。



罪人である自分の罪を赦し 魂を救って下さった主を、自分のいのちの恩人と思って、感謝と主への愛と献身、信仰を表したものが惜しみなくささげたものの中にありました。


人の心を見る主ですから、彼女が無言でやったことでも、彼女の心を主は受け取って下さいました。





貧しいやもめ




貧しいやもめも感謝を知っている人でした。

彼女の話はマルコの福音書12章に出てきます。


【マルコの福音書12章38-44節】

イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、

また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。

また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。

そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。

すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。

みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」


受ける恵みは喜んでも、主にささげることを惜しむ人が多いです。

自分の欲しい物のためにはお金を使っても、主にささげることにケチな人も多いです。


お金があっても主にはささげたくないですね。

ある人はまるで主に対して気前よく、自分を誇りながらささげる人もいます。


しかしこの貧しいやもめは違っていました。


ささげた金額はとても小さな金額でした。

自分が持っているものを全部ささげました。


感謝と、主に対する信仰がないならば、主に自分の人生をゆだねていないならば、なかなか出来ないことです。

主に対するあふれる感謝がこのような行動に出てきます。





らい病が癒されたサマリヤ人




らい病が癒されたサマリヤ人も感謝を知っている人でした。


10人のらい病人が癒されました。

9人は選民であるユダヤ人、一人だけがサマリヤ人でした。


祭司の所に向かっていく間に癒されました。


それでサマリヤ人は祭司に自分の体を見せる前に、自分を癒して下さった主に報告と感謝をささげるために戻って来て、主にひれ伏して感謝をささげ、主を賛美しました。


選民である9人は感謝を知らない者でした。

求めた時には声を張り上げて必死に叫んでいましたが、癒された後は一言も感謝のことばがなかったです。


クリスチャンでありながら感謝がないと主が悲しみます。





あふれる感謝をしたパウロ




感謝のことばを一番たくさん使った人物がパウロです。


一番苦労が多く、あらゆる迫害を受けたパウロが一番感謝のことばを使ったというのは、感謝は環境とは関係がないことが分かります。


たくさん所有すれば、思い通りになれば感謝することが多いと思っているでしょうが、現実はそうではないです。

乏しかった時のほうが、感謝が多かったかも知れないです。




今の人たちは物には恵まれてありますが、感謝は乏しくなりました。


キリストにあって歩み、キリストに命を懸けた人はいつも感謝が溢れます。

キリストが共におられるからです。


【コロサイ2章6-7節】

あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。

キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.11.20
収穫感謝礼拝メッセージ

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恵みと信仰、そして救い

テーマは 『 恵みと信仰、そして救い 』 です

【エペソ2章8-10節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


『恵み』ということばは 聖書に頻繁に出てくるので、クリスチャンならば『恵み』と言うことばの意味を知っています。


しかし世間の人たちは『恵み』ということばが正しく理解出来ないです。

運が良かったから受けた何かの恩恵だと思っています。


神によって救われた人だけが、神の恵みの意味を正しく理解することが出来ます。



『恵み』とは、神から何かを受け取る資格がまったくない者が、神様から素晴らしいプレゼントをタダで受け取ることを意味します。


ですから実際受け取った人だけが、恵みが何かを知っています。

受けてない人たちは恵みがいまいち分からないです。


聖書は、まず『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。』と宣言しました。


神様が先に恵みを備え、それを信じた人たちが救われます。

恵みと信仰によって救われた人がクリスチャンです。




神様はすべての人が神の恵みを受けてほしいので、恵みを届ける手段として使っているのが福音です。

伝道は福音を届ける働きです。


神からの恵みを人々に届けるために いのちを懸けて働いた使徒パウロはこのように言いました。



【ローマ1章15-17節】

ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


福音の中身は、すべて神の恵みです。


自分の罪過と罪との中に死んでいた者を救うために、神がイエス・キリストをこの世に遣わし、イエス・キリストの十字架の死によって救いの御業を完成し、イエス・キリストを救い主として信じる者には救いを与えるという恵みです。







神はなぜ救いを「行い」ではなく、恵みとして与えるでしょうか?


それはだれも誇ることのないためです。

誰かと比較しながら、「自分は義人だから、自分は聖いから救われた」と誇らせないためです。


自分を誇らず、イエス・キリストを誇らせるために、救いは神の恵みとして受けるようにしました。


救いに関して比較意識や劣等感がないように解放と自由を与えました。




だれでも神様が用意した恵みを受けるために、イエス・キリストを自分の救い主として信じるならば、神は恵みを与えて下さいます。


そして神様が恵みを与える目的は、良い行いに歩むようにするためです。

人間は神の作品です。


最初から神様は良い行いをする者として人間を創造しましたが、人間はその目的とは違う道を選びました。



すなわち神のことばに逆らって罪を犯し堕落しました。

罪と罪過の中で死んでしまいました。


神が信じる者に与える恵みは再創造です。

新しい被造物に造って、良い行いをさせるためです。



【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。


キリストを信じて救われた者は新しく造られた者です。

再創造によって新しい被造物になり、新しい命を得ました。



【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


新しく造られた者として良い行いに歩む者が恵みを受けて生きる人です。


「救われた」と言いながらも、イエス・キリストを誇ることもなく、古い人のまま生きる人は 「神の恵みが何かを知らない人」です。

もう一度、神の恵みが何かを正しく知る必要があります。


アーメン (´;ω;`)


2022.10.9
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救いの真理

テーマは 『 救いの真理 』 です

【エペソ2章1-9節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。


『あなたは救われましたか?』 と聞かれたら、どのように答えますか?

自分をクリスチャンだと思っている人は、すぐに『救われました』と言わないといけないです。


『救いとは何ですか?』と聞かれたらどう答えますか?

救われたならば きちんと説明をしないといけないです。



救いとは、イエス・キリストを信じ、受け入れる時に神の賜物として受けるものです。


救いは、人にとっていのちと同じです。

救われることによって得るもの、変わるものがあります。


  • 罪過の中で死んでいた者がイエス・キリストによって永遠のいのちを得ます
  • 罪の赦しを受けます。そして義と認められます
  • 聖霊を受け、聖霊の証印が押されます
  • 生まれ変わり、神の子どもになります
  • 天国の民になります


このように救いの中には霊的祝福がたくさんあります。


このような素晴らしい救いを受けたい人は、聖書の真理を信じないといけないです。

次のことを信じていますか?



『神は創造主であり、今も存在している方、イエス・キリストは神の御子で、罪のない方であること。

十字架の上ですべての罪人のために代わりに死んだこと、そして三日後によみがえり、再び来られる方であること。


聖書は神のことばであること、キリストだけが唯一の救い主であること、また良い行いや人間の努力だけでは天国には入れない』 ことを信じないと、救われたとは言えないです。





なぜ救いは必要か




1.すべての人間が “罪人” であるからです


【ローマ3章10節】

「義人はいない。ひとりもいない。


【ローマ3章23節】

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、


自分に対してどのように思っていますか?


『罪人だ。罪を犯したことがない。良い人間だと思う。良心的に生きている。』






2.死んだ後にさばきがあるからです


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、


これは神が人間に対して定めたことです。


しかしあなたは死後に対して どのように思っていますか?


  • 神のさばきがある
  • すべてがすでに終わった
  • 死んでみないと分からない
  • 考えたことない





3.罪に対する厳しい報いがあるからです


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


ここで言う「死」とは、“第二の死” と言われるものです。


【ヨハネの黙示録21章8節】

しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」


地獄で永遠に燃える火の池の中で苦しみ続けるのが 「第二の死」 ですから、神様は誰ひとり第二の死を受けて苦しんで欲しくないので、『みんなが救われて欲しい』 と願っています。



愛の神様は、罪人たちにその愛を実際に見せました。

その愛を知ることが出来るならば、救いを受けるために主を信じるでしょう。


【ローマ5章6-9節】

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。





4.どのような人が永遠のいのちを受けますか?


【第1ヨハネ5章11-12節】

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。


救いを受けるのは、死んだ後では間に合わないです。

救いは生きている時だけに限られてあります。


もしこの内容を読んで、救いを受けたいならば、イエス・キリストを自分の救い主として信じて、口で告白して下さい。


【ローマ10章9-10節】

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.7.24
聖日礼拝メッセージ

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【水曜礼拝】祝福と呪いに対する神様の約束

テーマは 『 祝福と呪いに対する神様の約束 』 です

【第2歴代誌7章11-22節】

こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。

すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。『わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、

わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。


祝福と呪いに対する神様の約束に対して語ります。


旧約聖書の申命記28章には、祝福と呪いの言葉がたくさん書かれてあります。


『主の命令に聞き従うならば、これらの祝福があります』という言葉から始まっています。

その後に『聞き従わないなら、こういう呪いが来るんだ』という内容がたくさん書かれてあります。


この申命記28章が一番有名な箇所であります。



その他にも神様はいつも『呪い』と『祝福』を同時に語っていますね。

『あなたたちがこうするならば、わたしはこうするんだ』と。


ある意味で神様の私たちに対する契約(約束)でもあるのです。

主は語った通りのことを必ずなさいます。




神様は『わたしの命令に従わないならば、わたしの民であっても、わたしが以前に祝福の約束をしても、必ずわたしはあなたを呪うのだ』ということも語りました。


クリスチャン達が勘違いしてはならないことがあります。

『神様から救われた私達は絶対に捨てられることがないんだ』ということです。


私たちが主の御心に従って神様の子どもらしく生きるならば、絶対に捨てられることはないと思います。



しかし私たちが口先だけで神様を信じてあらゆる悪を行い、神様に逆らって生きるならば、話はまた別です。

神様はそういう人を神の子どもとは認めないです。


口先で『主よ、主よ。主の名によってこれもあれもしたではないですか?』


でもイエス様はそのような人にハッキリと言いました。

『不義をなす者たち。わたしはあなた達を全然知らない。』


イエス様は『わたしは、わたしの羊を知っている。わたしの羊はわたしの声に従ってきます。』と語りました。




ですから、口先で『信じます。私は救われました。』と、自分だけが勘違いをして、後は以前と何も変わらない生活をそのまま続けています。

神様が見たらとんでもない事ですね。


自分で勝手に『救われた』、『神様の子どもだ』と言うのですが、神様は『わたしはあなたを子どもと認めたことがない』と語ります。

『神様、どうしてですか?私は神様を信じて教会にも通ったし、奉仕もしました…』と。



でも神様は『わたしと心が一つではない。わたしの言葉を全部無視して自分が好きなように生きておいて、何でそんなこと言うんだ』となるんですね。








ですから神様は、私たちに前もって祝福と呪いに対して全て語りました。


祝福された後でも私たちが神様に反抗して罪を犯して偶像崇拝をしてやりたい放題悪いことするならば、神様は全てのものを呪いに変えます。

祝福が呪いに変わったり、呪いが祝福に変わったりするのです。


呪われた者であっても、その者が主に立ち返って神様を必死に求めるならば回復を与えます。


ソロモンが神の宮を完成させましたが、その夜、神様がソロモンに現れ、

『わたしはあなたの祈りを聞いた。』という言葉が出てきます。


ソロモンのどのような祈りを聞いたのでしょうか?



【第1列王記9章1-3節】

ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、

主は、かつてギブオンで彼に現れたときのように、ソロモンに再び現れた。

主は彼に仰せられた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。


【第1列王記8章27-39節】

それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。


ソロモンは宮を完成した後に、神様の前で必死にお祈りしていました。

ただ宮を捧げて終わったのではないです。


人々が神様を礼拝する為に宮に集まって来ます。



でもソロモンは、人々の心がいつも悪に傾く事を知っていました。

神様の前で罪を犯すことを知っていました。


もし人々が罪を犯した時には神様は黙っていないです。

立ち返らせるために色んな病気、飢饉、わざわいを神様は与えます。



しかし、その中で『民があなたのもとに立ち返って悔い改め、自分たちの罪を告白して立ち返るならば赦してください』と、ソロモンの長い祈りを神様が全部聞いてくださいました。


それで、神様が第2歴代誌7章に出てくるように『わたしはあなたの祈りを聞いた』と神様が語りました。


そしてあなた達が本当にへりくだって立ち返り、わたしの名を呼び求めるならば、わたしはその罪を赦し、彼らの血を癒そうと語りました。


ソロモンが祈った内容を見ると人間が犯すあらゆる罪があります。

そして実際、人間社会の中で起こる様々な問題があります。








今、私たちはそれら全ての問題を見ています。


敵の国が攻めてきて、ひどい目に遭う戦争が起きました。飢饉がありました。そして疫病が起こりました。

色々なことが起こると人々はその中でパニックになります。


そこで多くの人たちは『神様、何で助けてくださらないんですか?何で守ってくださらないんですか?』という言葉が出てきます。

その中で多くの人々は助けを求める祈りをします。


『神様、助けて下さい。私たちの命を守って下さい。神様、敵を追い出して下さい』と色々祈ります。




神様は、私達がただ『助けてください』と求めるから助けるのではないです。


神様の助けの方法はいつも決まっています。

あなたたちがこうするならば助けるんだ。という方法があります。


ただ困っているから神様に助けを求める、それでわたしが動くのではないと神様が語りました。



神様は敵の悪さを知っています。でも神の子どもたちの悪さも知っているのです。


『あなたには罪がないのか?』なのです。

あなた自身の事を、まずわたしに悔い改めて立ち返らない限り、これらのことが消え去らないんだ。


その災いがなぜ来たのか?ということです。

“自分は何も悪いことはしていなくて、敵だけが悪い”、そうではないです。




神様は、特に神様を信じる者に対しては厳しいですね。

裁きは神の教会から始まると語りました。


神様は、神の子どもたちが罪を犯すと、悪者を必ず用います。

悪者を用いて迫害させたり問題を起こして私たちが目覚めるようにするのです。


何故このことが起きたんだ?と原因を探るのではなく、『罪を悔い改めなさい』です。



ヨナが神様の言葉に不従順して逃げました。

そのヨナのせいで嵐が起きました。


一緒に船に乗っている人達も罪がない人ではないです。

彼らは神様を信じない者たちです。


ですから本来ならば、彼らの方が滅ぼされるところです。


でも神様は彼らのために嵐を起こしたのではなくて、神の言葉に不従順して逃げて行ったヨナを立ち返らせるために嵐を起こしました。


ですからヨナのせいで他の人たちも酷い目に遭ったのです。








神の目はいつも誰に向いているでしょうか?それは、神様の御心を知っている者たちです。

神の言葉を聞きながらも神様に背いて罪を犯して平気な顔をして生きている姿を見て、神様は黙ってはおられないです。


神様の関心は『わたしの名を呼び求めているわたしの民』 という言葉を使っています。

たとえご自分の民であっても不従順なら呪うと語りました。


イスラエルの民は選民でした。


小さな国を神様が選んで神様の民にしました。

でも、このイスラエルはその後滅ぼされました。



エルサレムが滅亡したのは不従順に対する神様からの呪いでした。

それを見て人々はびっくりします。


『彼らは神様の選民ではないのか?神様があらゆる奇跡を行ってエジプトから救い出したあの民は、カナンの地で神様の導きを受けて生活していたけど、今度は敵に全て捕らえられて捕虜になってしまった。宮も滅ぼされて酷い目に遭っているんだ。』

神様は恥をかく事を覚悟で神の言葉通りのことを行います。



何故エルサレムが滅亡したのか?神様はご自分の民がエジプトで奴隷生活をした時と同じようにバビロンに捕虜として連れて行かせ70年間苦労をさせました。

なぜそうなってしまったのかは次の箇所にあります。



【第2歴代誌36章11-21節】

ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。

彼はその神、主の目の前に悪を行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。

これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。


ソロモンが一生懸命祈りました。

それに対して神様は答えました。


『もし呪いが来た時にあなた達がへりくだり立ち返ってわたしの顔を求めるならば癒す』という言葉を語りました。


でも彼らは祈らないですね。

神様が忌み嫌うことをずっとやりながら、そして神様の言葉を全部無視しました。


預言者を通して語った言葉も全部無視しました。


虚しい預言、偽預言者が語る言葉は、『そんなことは起こりません。平和が来ます。平和になりますから、そんなエレミヤが語ることは聞かなくて良いです。』みたいなことを言いました。

そして反対に多くの者がエレミヤを迫害しました。


ですからエレミヤは涙の預言者だったのです。

滅びが目の前に迫っているのに、民が言うことを聞かないです。


ですから、ある時は神様の子ども達の方が心がすごく悪いです。




ニネベの町は違法の国でしたが、ヨナが『40日後には滅びるんだ』と伝えましたが、その言葉で彼らは全員断食しながら神様の前にお祈りをしたので、神様が思い直しました。


でもイスラエルの民たち、神の民たちは預言者の言葉を無視し迫害しました。

時には命まで狙いました。


王であるゼデキヤは言うことを全く聞かなかったです。

預言者の言うことも聞かず、強い敵の王が言うことにも聞かず守らないです。


それは自分の身、自分の国に滅びを招いたことになります。








これは、私たち個人にも自分の国にも世界にも、全部当てはめることができるんです。


今戦争があるところも同じです。


誰かのせいにして神様にただ『助けてください。滅ぼしてください』とか、そういう祈りをする前に、神様が私たちにどんな祈りをして欲しいのかを考えないといけないです。


悔い改めることなんです。みんなが悔い改めることです。



自分たちが招いた部分も色々あります。

敵も悪いし、自分たちも悪い。


神様は『わたしの前に来て、へりくだりなさい』と語ります。


なぜならば問題を解決してくださるのは神様だからです。



人間が解決できることではないです。

人間の手で平和をつくることではないですね。


最初は平和のように見えます。

しかし、その中でもそれぞれが持っている苦い根がいっぱいあります。


苦い根をいつまでも持ち続けて互いに悔い改めないですね。

互いに責め合うことはしていきます。


その姿を見て、神様が平和をくださることはないです。




神様は『みんなが罪人であるんだ。悔い改めなさい。わたしの前で本当に悪かったです、私たちも神様の言うこと聞かないで自分勝手に歩みました。罪を犯しました。神様の御言葉に反することをしました。』


イスラエルの民たちが悔い改めたことはなく、神様につぶやきました。

『私たちは選民でしょう?神様、どう見てもあちらの方がもっと悪いんです。それなのに何で私たちがこんなに酷い目に遭うんですか?』


神様は相手が悪いことも知っています。



『でも、あなたはわたしの言葉を知ってる者であり、約束も知ってる者である。わたしがこうしなさいと語ったのに全部無視したのではないか。』


ですから神様は、『あなたの罪によってあなたがこんな目に遭うんだ。だからわたしに解決してほしいと願うならば、あなたが先にわたしの前に来てへりくだりなさい。悔い改めなさい。わたしに助けを求めなさい。癒しを求めなさい。』と言います。


神様が敵に向かって『悔い改めなさい』と言っても、敵が悔い改めるはずがないです。

敵は人間の力で戦います。




でも神様は神の子どもたちを見て、『あなたが先に悔い改めなさい。あなたが悔い改めるならば、わたしは立ち上がり、わたしがその時からあなた達の味方になって、あなた達を助ける。しかし、あなたが悔い改めないならば、わたしはあなたを助けることができない。』と、神様の心もすごく苦しいです。


神様がそれをした理由は、ご自分の民が立ち返って欲しいからなんですね。

神様の御心に適う者になってほしいです。


神様は赦したいです。回復させたいです。


しかし、彼らがそれを全て無視して相変わらず神様につぶやきます。

ずっとそれが続くならば神様は『まだ悟っていないのか。悔い改める気がないのか。祈らないのか』となるのです。




神様につぶやくことは『祈り』ではないです。


祈るということは、神様の御顔を求めることです。

御心を求めることです。悔い改めることです。


だから、『こんなに助けてくださいと祈ったのに』と言っても、神様は私たちの口の言葉を聞くのではなくて、祈りの“中心”を見ます。


どんな心で祈るのか?その祈りが真実な祈りであるならば、神様は私たちの祈りや願いを聞いてくださいます。


そして問題を神様が解決してくださいます。








神様はソロモンに対して『あなたの父ダビデが歩んだように』と語りました。


ダビデも完璧な人間ではなく、失敗や弱さもありました。

しかしダビデは神様に本当に忠実な者でした。


神の言葉を本当に恐れていた者ですね。そして努力しました。


罪を犯して、そのことを示された時には徹底的に彼は涙を流しながら断食して神様に祈りました。


『主よ。私が悪かったです。本当に私は神の前で罪深い者です。』

そのように徹底的に悔い改めてから神と共に歩みました。


その姿を神様が見て、どんな王に対しても必ずダビデと比べました。




私たちは『祈っても祈っても答えられない』と、よく言いますが、神様から見たらゴミのような祈りが多いです。


悔い改める気がなく、立ち返る気がないのです。

謙遜になる気がなく、ただ助けを求めるだけなのです。


そして神様や誰かのせいにします。



私たちが立ち返った時に、私たちの心がへりくだった時に、神の国がその心に臨みます。

その者と共に神様が歩みます。


私たちが神様から離れて自分勝手に歩む時には呪いが消えることはないです。


でも『私は呪われているみたい。何で問題がたくさん起こるのだろう。何でわざわいが来たのだろう?』と感じるなら、その時はあれこれ言う必要がないです。


『神様。きっと私の中に神様が喜ばない罪があると思います。それを示してください。へりくだりますように。』

へりくだるならば見えてくると思います。




高慢になった時は『私が、私が、私が…』『私が何を悪いことしたんですか?』この言い方はすごく高慢です。


自分ではどんな悪いことしたかを思い出せなくても、『神様。神様は正しい方です。公平に公正に扱う方です。ですからきっと私の中で問題があると思います。それが分からないんです。教えてください。私が徹底的に主の前で悔い改めることができるように、へりくだることができるように示してください。』


それを願う事なんですね。

そうしたら神様は喜んで教えると思います。


神様はその人が立ち返るならば、全ての呪いを祝福に変えてくださいます。


しかし私たちが祝福を受けている中でも、自分勝手に歩み、このままだと滅びると思った時に、神様はその祝福を呪いに変えます。


イスラエルの民たちを見て、私は学ぶことができます。




これから自分たちの所に災いが来るかも知れないです。

飢饉や戦争が起こるかもしれないです。


そこで『私たちのところでそんなことは起こりません』と誰が確信を持って言えるでしょうか?

突然色んなことが起こるんです。


日本もいつどこで何が飛んでくるか分からないです。

いつ戦争が起こるかも分からないです。大きな地震が起きて滅びるかもしれないんです。



その時に私たちクリスチャンは1つの道しかないです。


神様の前で悔い改めることです。



へりくだって神様に『祈れなかったです。私が祈りを怠けたから、私が目を覚ましていなかったから、私は罪の中に留まっていたから、悔い改めなかったからこんな酷い事が起こりました。助けて下さい。私の罪を赦してください。』

神様は全世界を見て、そして悔い改める者に目を留めます。



わざわいがある中でも、そこでひざまずいて一生懸命悔い改める者を神様が見つけた時には、神様はその人を助けますね。その人に手を差し伸べます。


周りで多くの者が倒れていても神様は悔い改める者に対しては目を留めて助けてくださる方です。

それが回復するための一番の近道です。




悔い改めて、神の御顔を求め、へりくだって神を求めているのに、神様は『あなたを受け入れない』と、そういう事は一度もないです。








これから何が起こるか分からないですが、私たちは神の言葉の前でへりくだることです。


しかし私は何も悪いことをしていません。と高慢になるなら回復はないですね。

平和がなく祝福もないです。


ですから祝福を本当に受けたいならば、いつも神様の前にへりくだることです。



神様が私たちに求めること喜ぶことをするならば、私たちの人生は本当に神様によって守られ導かれ、祝福されていきます。ものすごく単純です。




いつも私たちの前には『呪いの道』と『祝福の道』があります。


私たちは祝福されたいならば、祝福の道を選んで歩むことです。

すると、そこには祝福だけあります。


でも自分が呪いの道を選ぶならば、呪いがきても誰かのせいにすることはできないです。

自分で選んだ道です。



これからも色んなことが起こると思います。

もっともっと厳しい事が起こると思います。


でもその中にあっても主の守りの中で祝福を受けて生活したいと思います。

この世のものが祝福ではないです。


心の平安、そして神様が私たちの避け所になってくださるならば、それは私たちにとって一番の祝福です。


人々が不安と恐れの中で震え上がる時に、私たちはその中でも主が共におられるから私は平安である。神様が今日も守ってくださる。

そういう風に安心していられるならば、それが一番の祝福なんです。


そしてミサイルが飛んだり爆発が起きたとしても、主の中に自分がいるんだと思うそれだけでも、その人たちは不安で心がパニックになることはないと思います。



神様は私たちの避け所ですが、自分がその避け所に飛び込まないと命は無いですね。

私たちはそのまま呪われてしまいます。



聖書の創世記からヨハネの黙示録まで見ると、祝福と呪いが2つあります。


ある者たちは呪いの道だけを選ぶ者がいて本当に呪われています。

ある者は知恵と信仰があって祝福の道だけを選びます。


ですからその人の人生が豊かに祝福されて主にあって恵まれた人生を生きるようになります。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.3.23
水曜礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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神の時間

テーマは 『 神の時間 』 です

【伝道者の書3章11節】

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。


聖書には『時』の話がたくさん出てきます。

伝道者の書3章には『時』の話がたくさん出てきます。


【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。


と書いてあります。


三つの『時』があることが分かります。

時計やカレンダーの時間があります。


次に生物的な時間です。

すべての生き物に与えられる時間です。


そして、時間を超越した神の時間があります。



カレンダーの『時間』と生物的な『時間』は、古代ギリシャ語で『クロノス』と言います。

物理的に流れる時間です。


毎日時計が知らせる時間、私たちが普通に言う時間です。

人間が止めることも捕まえることも出来ない時間です。


流れた時間は取り戻すことが出来ないです。



神の時間は『カイロス』と言います。

私たちが図ることが出来ない時間です。特別な意味が与えられた時間です。


ある出来事が起こる時間です。

人間が機会を狙って掴むことが出来る時間です。


そして永遠の時間です。

カイロスは過去、現在、未来にとらわれない神様の次元の時です。



聖書には両方の 『時』 が出てきますが、神様は私たちが時を正しく理解し、時を賢く用いることを願っています。


神様が一番願うのは 『クロノス』の世界で、『カイロス』を生きることです。


神様は人間に永遠への思いを与えて下さいました。



私たちがこの世界で生きている時には時間の支配を受けています。

時間に追われ、忙しく生きています。


毎年 自分の歳を考えます。

何かをしようとしても時間がないと言って時間を気にします。

この歳だから出来ないとも言います。








イエス様の人生は33年で終わりました。

その中でも神の働きは3年ほどで、とても短かったです。


しかし十字架の上で死ぬ前に語ったことばは、『完了した。』でした。

私たちの時間で計算すると とても短い時間ですが、イエス様はその時間の中で、すべてのことをなさいました。



そこでイエス様がなさったことは救いのわざだけではないです。


十字架を通して 人間の時間と神の時間をつなげました。
クリスチャンは、新しい時間の概念をもって生きる人たちです。


肉体のいのちがある時には 相変わらず人間の時間の中を歩んでいますが、それと同時に永遠の時間、神の時間の中で生きています。



イエス様ご自身、二つの時間の中で生きた方でした。


そして主の中にいる者も二つの時間の中で生きています。

二つの時間が理解できるならば、次のことばが理解できると思います。



【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』


永遠のいのちはカイロスの時間です。

救いの中にカイロスがあります。


神様はいつもカイロスの中で働く方です。


すなわち私たちの時間に合わせて働くことはないです。

神の時間表の中で働きます。



アブラハムに子供を与えると約束しましたが、アブラハムは待ちきれず サラではなく、ハガルを通してイシュマエルという息子を設けましたが、神様はそれを認めませんでした。


100歳になった時にイサクが生まれました。

神が決めた『時』は、アブラハムが100歳になった時でした。


私たちが願う時間クロノスと 神が願うカイロスが一致する時にわざが起こります。

奇跡が起こり、祈りが答えられます。



私たちは自分が願う時間に 祈りの答えが来ることを待っています。


しかし答えられないことが多いので失望し不満を言って自分勝手にします。

すると悪い結果を見る時が多いです。


神様と時が一致しないときはどうしたら良いでしょうか?


『神様が願うカイロスに、まだ私が満ちていないな。

カイロスの時間は私の願いが叶えられない時間ではなく、かえって神様が私のために耐え忍びながら待っておられる時間であり、私を励ましている時間だと思わないといけないな。』と悟ることです。


自分の歳、自分の時間、自分のクロノスに敏感な人が多いです。



モーセやヨセフ、アブラハムなどを見て下さい。


神の時間と自分の時間の間で葛藤があり、苦しみもありましたが、神の時間が来るまで忍耐しました。

その間に砕かれて自分の肉の思いや欲が死んで、神の人に成長しました。


『時が満ちて』 ということばが聖書にありますが、その時が一番適切な時、完璧な時という意味です。








人間にとって一番の祝福は何でしょうか?

神様の招きにすぐに応えて、神様からの恵みである救いを受け 永遠の時間の中に入ることです。


十字架の死を通った聖徒は クロノスの時間ではなく、カイロスの時間を生きる人になります。



【第2コリント6章2節】

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。


すべての時間は神様の手の中にあります。

時間を造ったのも神様です。


ルカの福音書12章には金持ちの人が出てきます。

その人は自分の時間がたくさん残っていると思いました。


しかし神様はその人に宣言しました。

『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。』 と。


あなたの時間は終わったと言われました。



時間は売るところもなければ、貯蓄も出来ないです。

失った時間は戻ってきません。


神の時間の中で生きるためには、自分の時間を忘れることから始めないといけないです。


神の時計を見て、その時計に私の人生を合わせ、時間の優先順位を決めることです。



【エペソ5章15-17節】

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

アーメン (*゚∀゚)っ


2022.3.20
聖日礼拝メッセージ

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