からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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戦争

終わりの時代にいる私たちへ イエス様からのメッセージ

テーマは 『 終わりの時代にいる私たちへ イエス様からのメッセージ 』 です


クリスチャンとして聖書に基づいて生きることが少しずつ難しくなり、戦争や災害、地震などが増えてきている今は、神様の言う この世の終わりに差し掛かっているのです。


その時に私たちがどうすべきかをイエス様はここで3つ教えてくださっています。


【マタイの福音書24章3-35節】

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。




① だまされるな




まずはキリストを名乗る偽キリストや偽預言者に惑わされない、つまりは騙されないことです。


ノンクリスチャンよりも、クリスチャンが騙されます。

なぜなら、ノンクリスチャンは救いや キリストについて知らないし、興味すらないのです。



逆にクリスチャンは信仰生活を大切にし、キリストを求めて生きることに関心を持っています。

サタンがそれを利用するのです。


律法を捨てたくない人には律法ありきの信仰を、神様よりも人を頼ろうとする人にはカリスマ性のある偽キリストを、神様よりも知恵を求める人には真理ではない『奥義』という名の “偽り” を送ります。



本当に目を覚まして立っていないと、自分でも気づかない間に その間違った教えに耳を傾け、いつの間にかそれを「真理」として捉えてしまうのです。



【マタイの福音書24章24節】

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。


また、24節を見ると分かるように、この偽キリストや偽預言者は、言葉だけで人を惑わし、だますのではなく、大きなしるしや不思議なこと、つまりは奇跡をおこなって人々をだまします。


私たちがこういった人たちに出会った時は、真理に立ち、イエス様の言葉、聖書の御言葉を握りしめて惑わされないことです。


力ある人の教え、言葉よりも、はるかに力あるイエス様の言葉に耳を傾け、神様を求めることです。




たとえ周りの人が、『キリストのような人がいて、本当にその人がすごくて、奇跡もしていて、これは本物のキリストに違いない』と言っていたとしても、興味を持って、その人を知ろう、どんな人か見てみようと行く必要はないということです。


【マタイの福音書24章29-31節】

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。


29-31節にあるように、天のしるしが はっきりと皆に分かる形で表されない限り、他の人は全員本物のキリストではありません。


どんなに教えが良くても、奇跡をおこなっても、カリスマがあっても、100%違います。


聖書でこのように書かれているように、はっきり分かりやすい形で一つ一つ御言葉が成就しない限り、それまでに現れる預言者やキリストは全員 “偽者” なのです。





② あわてるな




終わりの時には戦争が起こります。

実際に戦争が起きたり、これからさらに大きい戦争が来る、民族同士が戦い、国々同士が敵対して戦うのだという噂を聞いたりします。


ここでも書かれてあるように、イエス様の言葉の通り『必ず起こること』なのです。

神様の計画の中ですべて起こることなのです。



そのように戦争、ききん、地震が起きる前から 私たちは起きることを覚悟し、実際に起きた時にはイエス様の言葉の通り、あわてないこと、心をざわつかせないこと、不安にかられないことです。



そのような戦争、ききん、地震の中でも神様の守りを祈り続け、神様の導きと備えを求め、神様の御心の通りになることを祈ることです。





③ 最後まで耐え忍べ




すでに私たちはクリスチャンが迫害される時代に突入しています。


今の日本では そこまで目に見えた迫害はないですが、世界的にはもう既にクリスチャンが真理を信じて、掲げて生きることが苦しい世の中になり始めています。


イエス様はここでクリスチャンはすべての国の人々に嫌われるとはっきり述べています。

自分を嫌う人だけではなく、仲の良い友達、家族、子ども、知り合い、もはや知らない人たちからも皆から嫌われ、憎まれるのです。


それはあなたが何か悪いことをしたからではなく、イエス様を信じ、真理に基づいて生きていこうとするから嫌われ、非難されるのです。




すでにイエス様はこの迫害の道を通り、苦しめられ、十字架にかけられ、ムチ打たれ、血を流し、痛み苦しみながらも耐え忍びました。


それは、私たちが神様の御前に戻るため、私たちが罪から救われ、聖められ、神様と永遠に共に生きられるように、その永遠の命を与えるためです。



人々に嫌われる時に、私たちが見るべきは、このイエス様の姿です。


どんなに苦しい時も、この世で自分一人のように感じられる時にも、私たちのそばにはイエス様がいるのです。

私たちを誰よりも愛し、決して裏切らないイエス様がいるのです。


永遠の命、救いがあるのです。

それは、この肉体の苦しみ、今生きる苦しみを耐えるほどの価値が十分にあるのです。




私たちが苦しみに会う過程の中で得られるものが一つあります。


それは、イエス様の私たちへの深い愛、その赦しの大きさを身に染みて感じるようになることです。


苦しみ、痛みを感じながらもイエス様は私たちのために最後まで戦い抜かれ、死ぬ瞬間まで私たちを愛し、私たちの罪を先におおい、赦したそのイエス様の愛、赦しを体感するのです。


そのイエス様が私たちに伝えてくださっているこの言葉を胸に刻みながら生きていきましょう!


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2022.6.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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【水曜礼拝】祝福と呪いに対する神様の約束

テーマは 『 祝福と呪いに対する神様の約束 』 です

【第2歴代誌7章11-22節】

こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。

すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。『わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。

あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、

わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。


祝福と呪いに対する神様の約束に対して語ります。


旧約聖書の申命記28章には、祝福と呪いの言葉がたくさん書かれてあります。


『主の命令に聞き従うならば、これらの祝福があります』という言葉から始まっています。

その後に『聞き従わないなら、こういう呪いが来るんだ』という内容がたくさん書かれてあります。


この申命記28章が一番有名な箇所であります。



その他にも神様はいつも『呪い』と『祝福』を同時に語っていますね。

『あなたたちがこうするならば、わたしはこうするんだ』と。


ある意味で神様の私たちに対する契約(約束)でもあるのです。

主は語った通りのことを必ずなさいます。




神様は『わたしの命令に従わないならば、わたしの民であっても、わたしが以前に祝福の約束をしても、必ずわたしはあなたを呪うのだ』ということも語りました。


クリスチャン達が勘違いしてはならないことがあります。

『神様から救われた私達は絶対に捨てられることがないんだ』ということです。


私たちが主の御心に従って神様の子どもらしく生きるならば、絶対に捨てられることはないと思います。



しかし私たちが口先だけで神様を信じてあらゆる悪を行い、神様に逆らって生きるならば、話はまた別です。

神様はそういう人を神の子どもとは認めないです。


口先で『主よ、主よ。主の名によってこれもあれもしたではないですか?』


でもイエス様はそのような人にハッキリと言いました。

『不義をなす者たち。わたしはあなた達を全然知らない。』


イエス様は『わたしは、わたしの羊を知っている。わたしの羊はわたしの声に従ってきます。』と語りました。




ですから、口先で『信じます。私は救われました。』と、自分だけが勘違いをして、後は以前と何も変わらない生活をそのまま続けています。

神様が見たらとんでもない事ですね。


自分で勝手に『救われた』、『神様の子どもだ』と言うのですが、神様は『わたしはあなたを子どもと認めたことがない』と語ります。

『神様、どうしてですか?私は神様を信じて教会にも通ったし、奉仕もしました…』と。



でも神様は『わたしと心が一つではない。わたしの言葉を全部無視して自分が好きなように生きておいて、何でそんなこと言うんだ』となるんですね。








ですから神様は、私たちに前もって祝福と呪いに対して全て語りました。


祝福された後でも私たちが神様に反抗して罪を犯して偶像崇拝をしてやりたい放題悪いことするならば、神様は全てのものを呪いに変えます。

祝福が呪いに変わったり、呪いが祝福に変わったりするのです。


呪われた者であっても、その者が主に立ち返って神様を必死に求めるならば回復を与えます。


ソロモンが神の宮を完成させましたが、その夜、神様がソロモンに現れ、

『わたしはあなたの祈りを聞いた。』という言葉が出てきます。


ソロモンのどのような祈りを聞いたのでしょうか?



【第1列王記9章1-3節】

ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、

主は、かつてギブオンで彼に現れたときのように、ソロモンに再び現れた。

主は彼に仰せられた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。


【第1列王記8章27-39節】

それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。


ソロモンは宮を完成した後に、神様の前で必死にお祈りしていました。

ただ宮を捧げて終わったのではないです。


人々が神様を礼拝する為に宮に集まって来ます。



でもソロモンは、人々の心がいつも悪に傾く事を知っていました。

神様の前で罪を犯すことを知っていました。


もし人々が罪を犯した時には神様は黙っていないです。

立ち返らせるために色んな病気、飢饉、わざわいを神様は与えます。



しかし、その中で『民があなたのもとに立ち返って悔い改め、自分たちの罪を告白して立ち返るならば赦してください』と、ソロモンの長い祈りを神様が全部聞いてくださいました。


それで、神様が第2歴代誌7章に出てくるように『わたしはあなたの祈りを聞いた』と神様が語りました。


そしてあなた達が本当にへりくだって立ち返り、わたしの名を呼び求めるならば、わたしはその罪を赦し、彼らの血を癒そうと語りました。


ソロモンが祈った内容を見ると人間が犯すあらゆる罪があります。

そして実際、人間社会の中で起こる様々な問題があります。








今、私たちはそれら全ての問題を見ています。


敵の国が攻めてきて、ひどい目に遭う戦争が起きました。飢饉がありました。そして疫病が起こりました。

色々なことが起こると人々はその中でパニックになります。


そこで多くの人たちは『神様、何で助けてくださらないんですか?何で守ってくださらないんですか?』という言葉が出てきます。

その中で多くの人々は助けを求める祈りをします。


『神様、助けて下さい。私たちの命を守って下さい。神様、敵を追い出して下さい』と色々祈ります。




神様は、私達がただ『助けてください』と求めるから助けるのではないです。


神様の助けの方法はいつも決まっています。

あなたたちがこうするならば助けるんだ。という方法があります。


ただ困っているから神様に助けを求める、それでわたしが動くのではないと神様が語りました。



神様は敵の悪さを知っています。でも神の子どもたちの悪さも知っているのです。


『あなたには罪がないのか?』なのです。

あなた自身の事を、まずわたしに悔い改めて立ち返らない限り、これらのことが消え去らないんだ。


その災いがなぜ来たのか?ということです。

“自分は何も悪いことはしていなくて、敵だけが悪い”、そうではないです。




神様は、特に神様を信じる者に対しては厳しいですね。

裁きは神の教会から始まると語りました。


神様は、神の子どもたちが罪を犯すと、悪者を必ず用います。

悪者を用いて迫害させたり問題を起こして私たちが目覚めるようにするのです。


何故このことが起きたんだ?と原因を探るのではなく、『罪を悔い改めなさい』です。



ヨナが神様の言葉に不従順して逃げました。

そのヨナのせいで嵐が起きました。


一緒に船に乗っている人達も罪がない人ではないです。

彼らは神様を信じない者たちです。


ですから本来ならば、彼らの方が滅ぼされるところです。


でも神様は彼らのために嵐を起こしたのではなくて、神の言葉に不従順して逃げて行ったヨナを立ち返らせるために嵐を起こしました。


ですからヨナのせいで他の人たちも酷い目に遭ったのです。








神の目はいつも誰に向いているでしょうか?それは、神様の御心を知っている者たちです。

神の言葉を聞きながらも神様に背いて罪を犯して平気な顔をして生きている姿を見て、神様は黙ってはおられないです。


神様の関心は『わたしの名を呼び求めているわたしの民』 という言葉を使っています。

たとえご自分の民であっても不従順なら呪うと語りました。


イスラエルの民は選民でした。


小さな国を神様が選んで神様の民にしました。

でも、このイスラエルはその後滅ぼされました。



エルサレムが滅亡したのは不従順に対する神様からの呪いでした。

それを見て人々はびっくりします。


『彼らは神様の選民ではないのか?神様があらゆる奇跡を行ってエジプトから救い出したあの民は、カナンの地で神様の導きを受けて生活していたけど、今度は敵に全て捕らえられて捕虜になってしまった。宮も滅ぼされて酷い目に遭っているんだ。』

神様は恥をかく事を覚悟で神の言葉通りのことを行います。



何故エルサレムが滅亡したのか?神様はご自分の民がエジプトで奴隷生活をした時と同じようにバビロンに捕虜として連れて行かせ70年間苦労をさせました。

なぜそうなってしまったのかは次の箇所にあります。



【第2歴代誌36章11-21節】

ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。

彼はその神、主の目の前に悪を行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。

彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。

彼は、神の宮のすべての大小の器具、主の宮の財宝と、王とそのつかさたちの財宝、これらすべてをバビロンへ持ち去った。

彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。

彼は、剣をのがれた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして、彼らは、ペルシヤ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。

これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。


ソロモンが一生懸命祈りました。

それに対して神様は答えました。


『もし呪いが来た時にあなた達がへりくだり立ち返ってわたしの顔を求めるならば癒す』という言葉を語りました。


でも彼らは祈らないですね。

神様が忌み嫌うことをずっとやりながら、そして神様の言葉を全部無視しました。


預言者を通して語った言葉も全部無視しました。


虚しい預言、偽預言者が語る言葉は、『そんなことは起こりません。平和が来ます。平和になりますから、そんなエレミヤが語ることは聞かなくて良いです。』みたいなことを言いました。

そして反対に多くの者がエレミヤを迫害しました。


ですからエレミヤは涙の預言者だったのです。

滅びが目の前に迫っているのに、民が言うことを聞かないです。


ですから、ある時は神様の子ども達の方が心がすごく悪いです。




ニネベの町は違法の国でしたが、ヨナが『40日後には滅びるんだ』と伝えましたが、その言葉で彼らは全員断食しながら神様の前にお祈りをしたので、神様が思い直しました。


でもイスラエルの民たち、神の民たちは預言者の言葉を無視し迫害しました。

時には命まで狙いました。


王であるゼデキヤは言うことを全く聞かなかったです。

預言者の言うことも聞かず、強い敵の王が言うことにも聞かず守らないです。


それは自分の身、自分の国に滅びを招いたことになります。








これは、私たち個人にも自分の国にも世界にも、全部当てはめることができるんです。


今戦争があるところも同じです。


誰かのせいにして神様にただ『助けてください。滅ぼしてください』とか、そういう祈りをする前に、神様が私たちにどんな祈りをして欲しいのかを考えないといけないです。


悔い改めることなんです。みんなが悔い改めることです。



自分たちが招いた部分も色々あります。

敵も悪いし、自分たちも悪い。


神様は『わたしの前に来て、へりくだりなさい』と語ります。


なぜならば問題を解決してくださるのは神様だからです。



人間が解決できることではないです。

人間の手で平和をつくることではないですね。


最初は平和のように見えます。

しかし、その中でもそれぞれが持っている苦い根がいっぱいあります。


苦い根をいつまでも持ち続けて互いに悔い改めないですね。

互いに責め合うことはしていきます。


その姿を見て、神様が平和をくださることはないです。




神様は『みんなが罪人であるんだ。悔い改めなさい。わたしの前で本当に悪かったです、私たちも神様の言うこと聞かないで自分勝手に歩みました。罪を犯しました。神様の御言葉に反することをしました。』


イスラエルの民たちが悔い改めたことはなく、神様につぶやきました。

『私たちは選民でしょう?神様、どう見てもあちらの方がもっと悪いんです。それなのに何で私たちがこんなに酷い目に遭うんですか?』


神様は相手が悪いことも知っています。



『でも、あなたはわたしの言葉を知ってる者であり、約束も知ってる者である。わたしがこうしなさいと語ったのに全部無視したのではないか。』


ですから神様は、『あなたの罪によってあなたがこんな目に遭うんだ。だからわたしに解決してほしいと願うならば、あなたが先にわたしの前に来てへりくだりなさい。悔い改めなさい。わたしに助けを求めなさい。癒しを求めなさい。』と言います。


神様が敵に向かって『悔い改めなさい』と言っても、敵が悔い改めるはずがないです。

敵は人間の力で戦います。




でも神様は神の子どもたちを見て、『あなたが先に悔い改めなさい。あなたが悔い改めるならば、わたしは立ち上がり、わたしがその時からあなた達の味方になって、あなた達を助ける。しかし、あなたが悔い改めないならば、わたしはあなたを助けることができない。』と、神様の心もすごく苦しいです。


神様がそれをした理由は、ご自分の民が立ち返って欲しいからなんですね。

神様の御心に適う者になってほしいです。


神様は赦したいです。回復させたいです。


しかし、彼らがそれを全て無視して相変わらず神様につぶやきます。

ずっとそれが続くならば神様は『まだ悟っていないのか。悔い改める気がないのか。祈らないのか』となるのです。




神様につぶやくことは『祈り』ではないです。


祈るということは、神様の御顔を求めることです。

御心を求めることです。悔い改めることです。


だから、『こんなに助けてくださいと祈ったのに』と言っても、神様は私たちの口の言葉を聞くのではなくて、祈りの“中心”を見ます。


どんな心で祈るのか?その祈りが真実な祈りであるならば、神様は私たちの祈りや願いを聞いてくださいます。


そして問題を神様が解決してくださいます。








神様はソロモンに対して『あなたの父ダビデが歩んだように』と語りました。


ダビデも完璧な人間ではなく、失敗や弱さもありました。

しかしダビデは神様に本当に忠実な者でした。


神の言葉を本当に恐れていた者ですね。そして努力しました。


罪を犯して、そのことを示された時には徹底的に彼は涙を流しながら断食して神様に祈りました。


『主よ。私が悪かったです。本当に私は神の前で罪深い者です。』

そのように徹底的に悔い改めてから神と共に歩みました。


その姿を神様が見て、どんな王に対しても必ずダビデと比べました。




私たちは『祈っても祈っても答えられない』と、よく言いますが、神様から見たらゴミのような祈りが多いです。


悔い改める気がなく、立ち返る気がないのです。

謙遜になる気がなく、ただ助けを求めるだけなのです。


そして神様や誰かのせいにします。



私たちが立ち返った時に、私たちの心がへりくだった時に、神の国がその心に臨みます。

その者と共に神様が歩みます。


私たちが神様から離れて自分勝手に歩む時には呪いが消えることはないです。


でも『私は呪われているみたい。何で問題がたくさん起こるのだろう。何でわざわいが来たのだろう?』と感じるなら、その時はあれこれ言う必要がないです。


『神様。きっと私の中に神様が喜ばない罪があると思います。それを示してください。へりくだりますように。』

へりくだるならば見えてくると思います。




高慢になった時は『私が、私が、私が…』『私が何を悪いことしたんですか?』この言い方はすごく高慢です。


自分ではどんな悪いことしたかを思い出せなくても、『神様。神様は正しい方です。公平に公正に扱う方です。ですからきっと私の中で問題があると思います。それが分からないんです。教えてください。私が徹底的に主の前で悔い改めることができるように、へりくだることができるように示してください。』


それを願う事なんですね。

そうしたら神様は喜んで教えると思います。


神様はその人が立ち返るならば、全ての呪いを祝福に変えてくださいます。


しかし私たちが祝福を受けている中でも、自分勝手に歩み、このままだと滅びると思った時に、神様はその祝福を呪いに変えます。


イスラエルの民たちを見て、私は学ぶことができます。




これから自分たちの所に災いが来るかも知れないです。

飢饉や戦争が起こるかもしれないです。


そこで『私たちのところでそんなことは起こりません』と誰が確信を持って言えるでしょうか?

突然色んなことが起こるんです。


日本もいつどこで何が飛んでくるか分からないです。

いつ戦争が起こるかも分からないです。大きな地震が起きて滅びるかもしれないんです。



その時に私たちクリスチャンは1つの道しかないです。


神様の前で悔い改めることです。



へりくだって神様に『祈れなかったです。私が祈りを怠けたから、私が目を覚ましていなかったから、私は罪の中に留まっていたから、悔い改めなかったからこんな酷い事が起こりました。助けて下さい。私の罪を赦してください。』

神様は全世界を見て、そして悔い改める者に目を留めます。



わざわいがある中でも、そこでひざまずいて一生懸命悔い改める者を神様が見つけた時には、神様はその人を助けますね。その人に手を差し伸べます。


周りで多くの者が倒れていても神様は悔い改める者に対しては目を留めて助けてくださる方です。

それが回復するための一番の近道です。




悔い改めて、神の御顔を求め、へりくだって神を求めているのに、神様は『あなたを受け入れない』と、そういう事は一度もないです。








これから何が起こるか分からないですが、私たちは神の言葉の前でへりくだることです。


しかし私は何も悪いことをしていません。と高慢になるなら回復はないですね。

平和がなく祝福もないです。


ですから祝福を本当に受けたいならば、いつも神様の前にへりくだることです。



神様が私たちに求めること喜ぶことをするならば、私たちの人生は本当に神様によって守られ導かれ、祝福されていきます。ものすごく単純です。




いつも私たちの前には『呪いの道』と『祝福の道』があります。


私たちは祝福されたいならば、祝福の道を選んで歩むことです。

すると、そこには祝福だけあります。


でも自分が呪いの道を選ぶならば、呪いがきても誰かのせいにすることはできないです。

自分で選んだ道です。



これからも色んなことが起こると思います。

もっともっと厳しい事が起こると思います。


でもその中にあっても主の守りの中で祝福を受けて生活したいと思います。

この世のものが祝福ではないです。


心の平安、そして神様が私たちの避け所になってくださるならば、それは私たちにとって一番の祝福です。


人々が不安と恐れの中で震え上がる時に、私たちはその中でも主が共におられるから私は平安である。神様が今日も守ってくださる。

そういう風に安心していられるならば、それが一番の祝福なんです。


そしてミサイルが飛んだり爆発が起きたとしても、主の中に自分がいるんだと思うそれだけでも、その人たちは不安で心がパニックになることはないと思います。



神様は私たちの避け所ですが、自分がその避け所に飛び込まないと命は無いですね。

私たちはそのまま呪われてしまいます。



聖書の創世記からヨハネの黙示録まで見ると、祝福と呪いが2つあります。


ある者たちは呪いの道だけを選ぶ者がいて本当に呪われています。

ある者は知恵と信仰があって祝福の道だけを選びます。


ですからその人の人生が豊かに祝福されて主にあって恵まれた人生を生きるようになります。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.3.23
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義を求める生き方

テーマは 『 義を求める生き方 』 です

【第2サムエル記22章21-25節】

主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた。

私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった。

主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。

私は主の前に全く、私の罪から身を守る。

主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。


神様は私たちの義に従って報いを与える方です。


しかし神の前で義人はひとりもいないと聖書に書いてあります。

それならダビデが 自分の義に従って神が報いてくださったと言うことばは間違いでしょうか。


神の基準で義人はいませんが、神様が人間のある姿を見て「義」と認めてくださる部分があります。



それは どこにいても主を認め、主の御心に従って歩もうとする “努力” を 「義」 と認めてくださいます。


自分が置かれた状況の中で いつも神のことをまず考え、その方のみことばを基準にし、それに従って歩む時に 神様はその人を見て祝福してくださいます。


神の御心を知って、神が喜ぶことに熱心な者、その者が義を求めて生きる人です。



神の御心に従って歩むことを わかりやすく説明するならば、車のカーナビに例えることが出来ます。


行き先を決めて目的地を設定するとカーナビは目的地まで案内してくれます。

運転する人は何も疑わずに安心して案内通りに運転します。



神のみこころとみことばは、私たちの人生を導く案内です。

疑わずそれに従って歩むならば義を行う者になります。


私たちがみことばの導きを受けるならば、多くの誘惑と落とし穴や罠を避けて通り、安全な道を歩むことが出来ます。



ダビデはそのような生き方をしました。

もちろん彼がみことばから離れた瞬間、彼は誘惑され、罠に引っかかり敵の笑いものになったことはありました。


神様もその時は彼を祝福することが出来ませんでした。

不義を行った代償は大きかったです。


その後に徹底的に悔い改めたので神様は彼を回復させました。








今、ロシアが戦争を起こしてウクライナと戦っています。

毎日悲惨なニュースを聞いています。


戦争を起こしたことは不義です。

それは神の御心に反することだからです。



【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。


平和は自然に生まれるものではないです。


平和を作るためには各自の違い、個性、そして自由と独立性、生存権を互いに尊重し 保証しないといけないです。

個人、社会、国家も同じです。



それを破壊するのが不義であり、侵略であり、独裁です。

同時に正義の神に敵対することです。



ダビデは戦いの勇士であり、国力があっても弱い国を侵略して戦争を起こしたことはありませんでした。


神様の計画がある戦争に対しては、命令に従って戦いましたが、神のみこころを無視して自分の欲望や目的があって戦いを始めたことはありませんでした。



神様は、世界が神の国になることを願っています。

国というのは領土ではなく、神様を自分たちの主人にし、その方の主権による統治を受けることを意味します。


その方の保護と導きを受けながら、その方から受けた召命通りに生きることです。

そのように生きるのが義を求めて生きることです。



【マタイの福音書6章33節】

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


この内容を理解するためには、前後の内容を読めばわかります。


異邦人は富を主人にして、富ばかり求める生き方をしますが、神を信じる者は その生き方を捨てて、義を求めて生きる生き方をしなさいと言われました。



今、ロシアのプーチン大統領に対して腹を立てる者が多いです。

ウクライナに対しては同情が集められています。


しかしそれで問題が解決されるのではないです。



自分たち人間みんなが いかに不義な者なのかを知ることです。

平和を作るための努力をどの国もしていないし、国民もみんな同じです。


義を求める生き方をバカにし、自分たちの利益だけを求めて生きてきたので、さらに利益が欲しい者が戦争を起こします。


みんなが平和を作る努力をしないと、戦争はいつでも起こります。



【イザヤ書56章1節】

主はこう仰せられる。「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現れるのも近いからだ。」


【詩篇9編8節】

主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。


【ヨハネの黙示録19章11節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。


今、世界に対して神のさばきはまだ行われていないです。

もちろん個人に対してもそうです。


ですからみんな自分の判断でさばきを行っていますが、神のさばきが行われるまでは すべてが不完全です。



神様は正義をもって正しいさばきを行います。


その時に、自分が義なる者として認められるかどうかを真剣に考えないといけないです。


その日は近いと主は言われます。

ダビデのように自分の義を言える者になりたいです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.3.6
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今は戦いの時である

テーマは 『 今は戦いの時である 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。


時を見分けることが知恵です。

知恵を得たならば行動すべきです。


今は平和の時ですか?休むべき時ですか?


今は戦いの時であると主から教えてもらいました。



世界を見まわしてみて下さい。

次から次へとよくないことがたくさん起こってあります。


それはなぜですか?

悪魔がほえたける獅子のように食い尽くすべきものを捜し求めているからです。


目に見える世界がすべてではなく、目に見えない所で動く存在を知らないと、戦いをすることは出来ないです。



戦いの前に、誰と戦うべきかを知らないといけないです。

悪魔の策略は誰を通して行われるのかを知ることです。


大きく二つの勢力があります。

まずは政治の世界です。


【エペソ6章11-14節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。


悪魔は政治の世界、力ある者の中で強く働きます。


あらゆる政策を立てる立場にいる人たちの中に働いて、自分たちに有利な政策を立て、あらゆる特権は自分たちのものにし、人々をその政策で縛り、自分たちの思いのままに国民を支配します。

反対する者には厳しい刑罰を与えます。


その特権に対する誘惑が大きいから、多くの政治家や力ある者がそれに飛びつきます。


世界の支配者たちを見て感じることが沢山あると思います。

戦争を起こし教会や信徒を迫害する者も政治家たちです。


【第1コリント2章8節】

この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。


ですから私たちは神を恐れる者が支配者になるように、また悪い支配者たちがその座から降りるように、その背後で働く悪霊を追い出す戦いをしないといけないです。






次には宗教勢力です。


人々の魂をむしばむ働きをします。

悪魔をまるで神であるかのように思わせて信じさせます。


【第2コリント4章1-4節】

こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、

恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。

その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。


また悪魔は聖徒の信仰生活を邪魔する最大の敵です。


教会や家庭、神の共同体を打ち壊す主犯です。

目を覚まして警戒しないと誰でも惑わされてしまいます。


惑わしの霊は人を騙す悪霊につけた名前です。

ですから惑わしの霊は騙す霊です。



悪魔の能力は人々の想像をはるかに超えています。

人々の頭の上に座って、自分の考えを入れてその中で相手を操ります。


多くのクリスチャンや指導者たちも騙されているのに、なかなか気づいていないです。

あらゆるもので騙すので、騙されている本人も分からないことが多いです。



ですから神のことばを正しく知り、いつも警戒することです。


惑わしの霊との戦いをしないと騙されてしまいます。


どんな形で惑わしが現れ、どれほど多く現れるのかを主が語って下さいました。



【コロサイ2章8-9節】

あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。


【第2テモテ4章1-2節】

神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。


【第1ヨハネ4章1-3節】

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。


【第2テサロニケ2章9-12節】

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。


【第2コリント11章12-15節】

しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。


惑わしの霊が騙すことに成功したならば、惑わしの霊の勝ちであり、騙すことに失敗したならばそれは負けたことになります。

追うか追われるかの戦い、騙すか、それを明らかにするかの戦いです。


聖徒が惑わされないためには、聖い品性を目指していかなければならないです。


そのためには悔い改めの実、聖霊の実を結ぶことに専念することです。



サタンに惑わされた人たちには聖さがないです。

サタンが汚れているからです。


高慢があり、自分のことばに従うことを命令するし、従わない者に対しては非難します。



たくさん祈るから、聖書の知識が豊富だから、賜物が多いから、有名な人だからなどで判断してはいけないです。


聖霊による正しい分別力で分別することです。

すでに聞いた主のことばに照らして判断することです。


時には周りの人からの助言にも耳を傾けることです。


今は眠っている時ではないです。

戦いが激しくなっているので、戦いをしないといけないです。


アーメン ヽ(#`Д´)ノ


2021.8.22
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主の警告と危機意識

テーマは 『 主の警告と危機意識 』 です

【ヨエル書2章11-14節】

主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行う者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。

「しかし、今、──主の御告げ──心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」

あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。

世界で起こっている戦争、自然災害、わざわい、ききんなどが なぜ起こっているのか、原因を知ることはとても大切です。


原因を知らないまま放置したり、人間的な方法で解決しようとするならば、解決にはならないです。


旧約聖書は、私たちに原因を知るための多くのヒントを与えてくれます。

なぜ戦争が起き、自然災害が起こり、疫病、災いが起こるのかを教えます。



主権者である神が介入してあります。


そのことも主はみことばで前もって警告しています。

例えば申命記28章には祝福とのろいのことばがあります。


20節のことばだけをみます。


【申命記28章20節】

主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行ったからである。

これ以外にもたくさん警告のことばがあります。



ですから起きている現状を人間的な目で見るのと、神のことばで見るのとは全然違います。


神のことばで見て 初めて事の本質が見えます。

神はあらゆる観点で見るようにと教えて下さいました。




時代を分別する知恵をもって見ること




時代をわきまえないと分からないことが多いです。


今は主の日が近づいています。

それは主のさばきの日です。


神は悪に対してさばきます。


霊的戦いの時代です。

闇と光が戦います。




神のみこころを知ること




なぜそのことが起きたのか。

神の目的は何であるかを熱心に探ることです。


それを知れば自分が何をすべきかが分かります。




神の霊と惑わす霊を見分け、聖霊の声を聞くこと




主からのことばを受けることが出来ます。


惑わす者が大勢出て来て 間違った解釈をして選民をも惑わします。

それに気をつけることです。




悔い改めて主に立ち返ること




様々な患難は、人間の罪と悪のせいであることが多いです。


ですから罪を悔い改め、主に立ち返るならば、現状が変わります。

主の計画が変わります。


その例は聖書にたくさんあります。


起きている一つ一つの出来事には すべて主のみこころがあるので、神のみこころを知って問題を打開していきたいと思います。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.1.11
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主導権は誰が握っているのか

テーマは 『 主導権は誰が握っているのか 』 です

【第1サムエル記17章1-11節】

ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。

サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。

ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。

ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。

頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。

足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。

槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。

ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。

おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」

そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」

サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。

【第1サムエル記17章16節】

例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て姿を現した。

聖書の中には 数多くの戦いがあり、すべての戦いは 実際にあった戦いでした。


本文は その中の一つの戦いですが、今の時代の私たちにも教える教訓があります。

この戦いはペリシテとイスラエルの戦いでした。


ペリシテには、ゴリヤテという強い戦士がいて、彼の身長は286㎝でした。


ギネスブックに記載された人の中で一番背の高い人はロバート・ワドローという人で272㎝でした。


ゴリヤテはさらに高い身長でした。

身長だけではなく、力も強かったです。


彼のよろいは、57キロほどの重さがありました。

槍の穂先の重さは、6.8キロありました。


このように正確に書かれているのは、実際に起きた戦いだからです。


恐ろしい姿です。

四十日間、朝晩出て来て威嚇するから、サウル王も イスラエルのすべての人々も意気消沈し、非常に恐れていました。


この時、主導権を握っていたのは誰でしょうか?

ゴリヤテです。


ゴリヤテはその力を見せつけながらイスラエルを脅していました。

イスラエル人は恐れて声を出すことも出来ずに絶望していました。

彼らには希望がありませんでした。


この時のイスラエル人の問題は何でしょうか?


力がない事ですか。ゴリヤテのような戦士がいないことですか。

それとも、強力な武器がないことですか。


この中の、どれでもないです。


神と彼らの関係が一番問題でした。


彼らは過去に たくさんの戦いで神が助けて下さったのに、その神をすっかり忘れていました。


ですから神が見えず、力のある1人の人間に みんなおびえていました。


どの戦いも見た目は 人間と人間、国と国の戦いに見えますが、実際は “霊的戦い” です。







戦いを仕掛けて来たペリシテは、悪い力から出ていました。

北朝鮮の場合も悪い力から出ています。

国民を餓死させても戦争の準備しかしないです。


悪の力を活発に働かせていて、それで自分たちの目的を達成しようとする時には悪いものが主導権を握っているように見えます。

相手を恐れていることは、相手が主導権を握っていると思うからです。


連日テレビで、北朝鮮のミサイル発射や これからのことを軍事専門家や評論家などが話していますが、内容を聞くと、北朝鮮が主導権を握っていると彼らも語っていました。


経済制裁を受けても、構わずミサイル発射を続ける北朝鮮の姿には異常さがあります。

手に負えない一匹オオカミのように見えます。


周りの国々を悩ましています。


アメリカも色々なシナリオを持っていますが、戦争のリスクが高すぎるので、すぐに実行出来ないことを北朝鮮も知っているので、やりたい放題の状態です。

金正恩は このゴリヤテのように、世界を相手に威嚇し続けています。


ミサイルを飛ばしても今は誰も止めないですし、核ミサイルもあるので、主導権が北朝鮮の金正恩の手にあるように見えますが、果たしてそうでしょうか?



ゴリヤテの運命を見るならば、先に何があるのかが楽しみでもあります。

四十日間、状況はまったく変わらず、緊張状態が続きました。


そしてイスラエルには敗北感が強くなっていきました。

しかし、1人の人物の登場によって、状況が大きく変わりました。


その人物は、若い青年で 羊飼いであるダビデです。


彼は戦いに参加している兄たちに お父さんの指示で食べ物を届けるために来ました。

そして、その時に初めてゴリヤテを見ました。


彼のせいでイスラエル人の戦士たちが勇気もなく、みんな意気消沈している姿を見ました。

ダビデがゴリヤテを見て最初に発したことばがあります。


【第1サムエル記17章26節】

「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

“割礼を受けていない” と彼が話したのは、神の契約の民でない異邦人が、生ける神に戦いを挑んでいるのかと思ったからです。


そしてダビデは決断し、そこにいたサウル王に言いました。


【第1サムエル記17章32節】

「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」

恐れがみじんもない大胆さです。

すると、サウル王は このように言いました。


【第1サムエル記17章33節

「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

このことばは、サウル王の経験と知識から出たことばでした。


神に頼らない人は、すぐこのように環境や自分の経験、知識に頼ります。

それが正しい判断だと思ってしまいます。


神に頼る人とは考え方が違います。

彼は絶望的な状況の中でも まだ自分の問題に気づいていなかったです。


神から離れた人間は 強い人を恐れ、環境を恐れます。


恐れによって妥協して選ぶ和平と平和は、必ず奴隷的で屈辱的な結末を招きます。


妥協して偽りの平和を得ても、いつかは恐れている者の餌食にされます。


北朝鮮が狙っているのもそれと似ています。

韓国を飲み込むために、アメリカ軍を韓国から撤退させようと色々策略を立てて行動しています。

そのために偽りの平和条約をアメリカと結びたいですね。






本文に戻ると、ダビデは若いし、見た目は ゴリヤテの相手になるような者ではないのに、どこから そのような勇気が出たでしょうか?


彼には信頼する方がいました。


そしてその方がいつも自分とともにいることを知っていました。

彼が信じる神でした。


その神は、戦いに強い “勝利の主” です。


体験した者はわかります。


強い信仰を持っていたダビデは、すでにゴリヤテから主導権を奪っていました。

ダビデはサウル王のことばも気にせず、ゴリヤテに向かって行きました。


ゴリヤテはダビデを見た時、彼をさげすみました。

ダビデが若くて、戦士には見えなかったからです。


子どもに見えたので、ダビデに向かって次のように言いました。


【第1サムエル記17章44節】

「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」

ダビデは、それに対して このように言いました。


【第1サムエル記17章45、47節】

「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される。」

結果は 皆さんも知っているように、ダビデが ゴリヤテを殺しました。


ダビデに力があったからではなく、神が彼を助けて下さいました。


神は全地の主で、歴史を動かしておられる方です。

すべての戦いにいつも神の力が働きました。


国々が堕落し、神に逆らう時には 悪い者や悪い国を用いて侵略させ 懲らしめを与えました。


その後、悪い者や悪い国も 自分たちの罪でさばきを受けました。


悪い者は悪いことに用いるために生かしています。

良い人は良いことのために用いるのが神のやり方です。


神はゴリヤテを使って、神から離れたイスラエルの民を懲らしめました。

しかし神に頼っている信仰の人・ダビデを通して、神の力をペリシテ人にもイスラエル人にも見せつけました。


戦争の主導権を握っているのは人間ではなく、主です。


アメリカも 日本も 北朝鮮も 韓国も、神の目には堕落しています。

貪欲、高慢、性的堕落、不道徳、汚れ、腐敗、偶像崇拝、偽り、人権侵害など ひどい状態です。


ノアの洪水が起こる前よりも さらに悪い状態です。


神は人々の目を覚ましたいと願っておられます。


私たちはミサイルばかり見るのではなく、目を開いて目の前の現実をよく見なければなりません。


目があっても見ず、耳があっても聞かないまま生きてきたので、サタンの誘惑や惑わしを受けて堕落した生活をしています。


平和ぼけしているので、その間に悪者たちは戦争の準備に専念し、ミサイルや核を開発して いま世界の平和を壊しています。

しかし決して北朝鮮が主導権を握っているわけではないです。


全地の主が握っています。


周りの国々も、しっかり国を守るための努力と共に、悪から離れ、神が期待することをするならば、神はその国々を助けますが、そうしないならば いつか戦争は起こり、すべてが破壊されてしまいます。


私たちが本当に恐れなければならないのは、核でもミサイルでもなく、“主” です。


【第2歴代誌7章13-14節】


もし、わたしが天を閉ざしたため、雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

このようにするならば状況は変わります。


【第2歴代誌7章19-20節】

しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、

わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。

そむいたままならば、さらに悪いことが起こりますので 自分たちの生き方を見直し、主に立ち返り、助けと守りを祈りましょう。
ヽ(TдT)ノ


2017.9.17
聖日礼拝メッセージ

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携挙は必ず起こる

テーマは 『 携挙は必ず起こる 』 です

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。



携挙とは何か




携挙とは、イエス・キリストが空中再臨する時に、主にあって死んだ人たちが まず よみがえり、次に主を信じ、主を迎える準備が出来ている人々が たちまち朽ちない姿に変えられて 雲の中に一挙に引き上げられ 空中で主と会うことです。


携挙は、理性的には理解が出来ない、超自然的な現象で、神の主権による奇跡とも言えます。


携挙は、これから起こるもっとも重要な預言の一つです。


信じない人は、こういうことが起こることすら分からないと思います。

主の他の預言がすべて成就したように、この預言も成就します。




旧約で見る 携挙のように
死を見なかった二人




≪ エノク ≫

【創世記5章23-24節】

エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

≪ エリヤ ≫

【第2列王記2章11-12節】

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。



携挙が起こる時期




携挙の前に起こると預言されたことは、ほとんど起こってありますので、いつ携挙があっても不思議ではない時代に いま私たちは生きています。


主は携挙の日に対しては はっきりとは言われませんでしたが、次のように語って下さいました。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入れられはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。



携挙が起こる時期の三つの見解




携挙の時期に対しては 三つの見解がありますが、それは世の終末にある7年患難の時に焦点を合わせて、患難前、患難の前期、患難の後期と分かれてありますが、いまもっとも携挙の時期と有力であるのは患難前です。

7年患難の預言は ダニエル書 に書かれています。


【ダニエル書9章27節】

彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半周の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。」

1週とは7年間を意味します。

7年患難の間に起こることは 反キリストの出現、反キリストとイスラエルが特別な平和契約を結びます。


そしてイスラエルは史上最大の繁栄と平和の時代を迎えます。

その間に第三神殿が再建します。

この時期に 黙示録11章にある二人の証人が活動します。


しかし前半の3年半が過ぎた時に、反キリストはイスラエルとの特別契約を破棄します。


そして世界の宗教を統一し、自分以外のものを崇拝することを禁じ、それに従わない者への大迫害と殺害が始まります。


そして世界の最終戦争も起こります。

この時の患難に対して主のことばがあります。


【マタイの福音書24章21-22節】

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。



携挙のための準備




主のことばのように目を覚まして、その日のためにキリストの花嫁として準備することです。


マタイの福音書25章には 花嫁として準備出来た人と、準備出来なかった人がいました。

準備出来なかった人は、キリストを迎えることが出来ませんでした。


【第2ペテロ3章10-11節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

【第2ペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

主は信じる者たちを迎えに来ると約束しました。

それを信じる人は その日を待ち望んでいます。


耐えられないほどの患難の中で主を信じることは とても難しいです。


携挙される者になるように努力する方が ずっと簡単です。


主のことばのように、目を覚まして 花嫁の支度をしていきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2017.4.23
聖日礼拝メッセージ

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キリストの再臨

テーマは 『 キリストの再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは 天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を 見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストが十字架の死から復活し、天に昇られてから どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
2000年は過ぎました。

イエス様は天国へ行ったきりで帰って来ないと言ったのではなく、再び来ると語りました。
それが主の再臨です。


イエス様は人々が見ている前で天に上げられていき、その時に御使いたちは 主がまたおいでになるとはっきりと語りました。

このように主の再臨が預言されていたので、初代教会の信徒たちの 信仰の中心が“イエス様の再臨”でした。

激しい迫害の中でも主の再臨を待ち望みながら、自分たちの信仰を守っていました。


それから2000年が経った今はどうでしょうか?

再臨のことをメッセージする教会はどのくらいあるでしょう。
そして、イエス様の再臨を本気で待ち望んでいる信徒はどれくらいいるでしょうか?


再臨の教えは、サタンを怒らせます。サタンは主の栄光の再臨に対して嫌っています。


そして世俗的な教会と肉に属するクリスチャンも この再臨に関する教えを嫌います。


キリストの再臨に関しては、新約聖書の中で318回も言及されている大切な教えです。

私たちは再臨に関しては“目を覚まして祈っていなさい。”と主から聞いています。

なぜなら 目を覚まして祈っていないと、主が再臨しても私たちは主とともにいることが出来ず、地上に残されて激しい患難を受けなければならないからです。


主の再臨は 準備した人にとっては喜びの日になりますが、準備が出来ていない人にとっては恐怖の日になります。


弟子たちが「いつ再臨するのですか?」と聞いた時にイエス様は「人の子は思いがけない時にくる」と。
そして次のように語りました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

しかし主は、主の再臨の“前兆”に対しては教えてくださいました。


今の世の中の様子を見ると、まさに今 主が語った前兆が起きていることに気付くと思います。
次の箇所に前兆のことが書かれています。


【マタイの福音書24章5-7節】

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを 聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。


【マタイの福音書24章12-38節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって 語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は 山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい患難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが 現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あたながたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、 この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、 とついだりしていました。

  1. 多くの にせキリストが現れる
  2. 戦争と戦争のうわさを聞く
  3. ききんと地震
  4. 不法がはびこる
  5. 多くの人たちの愛は冷たくなる
  6. 食べたり、飲んだり、とついだり、めとったりする

さらに、次の箇所にも再臨の前兆が書かれています。


【Ⅱテモテ3章1-7節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、 大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、 そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者

裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

こういう人々の中には、 家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。


今、皆さんは世界を見て これらの事とは無縁だと思っていますか?
そうではないですね。毎日見ていますし、聞いていると思います。


どれほど この世の中が堕落しているかと言えば、同性愛反対説教をした牧師がスウェーデンで捕まり、刑務所に入るほど堕落してきました。

アメリカでも毎年30万人のゲイがニューヨーク5番街に集まり「神はゲイを愛している」「神はゲイだ」という立札を持って行進をしています。


これは神をあざける姿です。


そして彼らに福音を伝えようとするクリスチャンたちに暴力を振るいました。


今は世界の国々が同性愛を受け入れ、結婚を認める法律を作っています。
キリスト教の教団も受け入れるところがたくさん増えました。

これは神様が喜ぶでしょうか。そうではなく、反対に神様を悲しませることです。
神が認めたのは、男と女の結婚だけです。


彼らは同性愛の遺伝子を持って生まれたと言いますが、そのような遺伝子が存在するのではなく、情欲が彼らの中にあるだけです。

彼らは皆、神様が決めた一線を越えて、神のことばを無視し 踏みつけています。


このような姿は再臨の前に見られる姿の1つでもあります。






映画やテレビも神をあざける内容がたくさん増えました。

これらすべては神を怒らせる行為です。


そして再臨が近いと感じるほかの前兆もあります。

それは人々の邪悪な行動が恐ろしいほど増えたことです。

なぜここまで世の中が邪悪になってしまったでしょうか。


サタンが自分に残された時間が少ない事を知っているので、以前よりも活発に働いて人々の中に入り、邪悪なことを平気に行っているからです。


今は世界中インターネットが広がっていますが、その中には有害なサイトがたくさんあります。


ポルノサイトだけでも50万はあると言われています。

子どもまでも中毒されて、先月は韓国で小学生の男の子3人が20代の女性をレイプする事件まで起こりました。

日本でも小さい女の子を狙う事件が後を断ちませんし、アメリカでも10代の女の子の多くが、お父さんや親族にレイプされています。


今、イスラム国が行っている残虐なことは 口では言えないほど酷いものです。悪魔そのものです。

不法が人間社会の隅々まで はびこっている様子を見せています。


そして教会の中にも多くの惑わしが入ってきています。

それは多くの嘘です。この嘘が惑わしです。


イエス様ははっきりと言いました。

惑わしの霊が教会にも入り、多くの者がそれに惑わされると人々は嘘を真理と信じてしまいます。


イエス様はこれらのことが起こると人の子が戸口に立っていることだから目を覚まして祈りなさいと言っているのに、 「大丈夫だ、まだまだ主は再臨しない。私たちの時代には主は来ない。」と言って、主の再臨が近いと語ることばに疑いを持たせ、 信徒たちの目をイエス様ではなく、世に向けさせ、また物質主義者にさせていきます。


緊迫感がないので、だんだん祈りも少なくなります。

その人たちは「主よ、来ないで下さい。今来たら困ります。私はまだまだこの世で楽しみたいことがいっぱいあります」と言います。

しかし、イエス様の再臨に対して準備ができている人は、「主よ。早く来てください。」と言います。


今は世界のどの国も次から次へと起こる災難や事件、事故に対して対策も出来ないと言われています。
それほど予想外のことが増えたからです。

クリスチャンは今の人生と永遠は紙一重です。


もし私たちがイエス様の再臨前に死ぬならば、それまで私たちはイエス様と一緒にいなけれはなりません。

この世にどっぷり浸かって 受ける恵みだけを喜んでいるならば、私たちの人生は世のものに満たされて、イエス様の再臨に対しては関心すらありません。


お金を稼ぐことに心が集中します。

そういうものに頼っているならば、私たちは目を覚ますことも出来ないし、主のために時間を作ることもできません。


他のことのためにはいくらでも時間を使うのに、主のための時間を惜しむのは、その人が今、信仰においても変質されていることに気付かなければなりません。


死んだ教会、死んだ信徒はいくらでもいます。

再臨が近付いている今日、私たちがどのようにすべきかを聖書から調べたいと思います。


【Ⅱペテロ3章9-11節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅ぼすことを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて 消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


【Ⅱペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、 励みなさい。


【Ⅱペテロ3章17節】

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて 自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。


【Ⅰペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


主は、主を待ち望む者たちのために来られます。

その人たちを主の花嫁として迎えるために来られます。

準備できた人は天に引き上げられますが、地上に残された人たちはかつてない患難に見舞われます。


そうならないように耳を傾け、備えをする者になりましょう。
ε=ε=(;´Д`)

2014.11.2
聖日礼拝メッセージ

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危険な状態とは?

テーマは 『 危険な状態 』 です

【エペソ5章3-7節】

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です、――こういう人はだれも、キリストと神との 御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

韓国で換気口崩落事故で16人が死亡し、11人が怪我をしました。

もちろん安全対策がきちんと出来ていないことが1番の問題ですが、やはり1人1人が常に自分の身を守るための安全対策が本当に必要だと思います。


八戸ノ里教会近くの駅前交差点で信号待ちをしている時も、歩行者信号は赤で 多くの車が走っているにも関わらず、平気で道路を渡っている人をよく見かけますが、それを見ていつも「死んでも良いのか?」と思います。

安全というものに対して全くの不感症です。


この安全に対する不感症は多くのクリスチャンにも見られるものです。

自分の命が今 危険な状態であるのに、何の対策も考えず、自分は安全だと思って以前と変わらない生活を送っています。


1度生まれた人間は必ず死にますので、“死”そのものが問題ではなく、どのように死ぬのかが問題であります。

準備が出来ているならば心配はないです。
常に悔い改めて、主の御前に立つ準備がしっかりと出来ているならば良いですが、主に会う準備が出来ていなく、悔い改めもきちんと出来ていないならば、それは大きな問題です。


今回は、クリスチャンにとって何が「危険な状態」であるのかを伝えます。

メッセージを聞いて自分の霊的状態をしっかりと見てください。


まず、あなたに1つの質問をします。


天国へ行くことは難しいでしょうか?それとも簡単でしょうか?


簡単だと思っているクリスチャンが圧倒的に多いです。
その人たちが簡単だと思うのは次のみことばがあるからです。


【ローマ10章10節】

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

1度信仰告白をした者は、その後 何をしても、いのちの書に名前が書かれているので天国へ行くと思っています。

イエス様を裏切っても、人殺しや盗みをしても、悔い改めなくても問題なく天国に入ると思う信徒たちや、そのように教える牧師たちもいます。

昔、そのように教えた神学者がいたので そのように信じている人が多いです。


このことをあなたはどう思いますか?

この1つのことばで誰でも口で「信じます。」と言うならば、天国への切符を完全に手に入れたと思っています。


確かに救いは そのことば通りにして受けることができます。
しかし信仰生活すべてを遂げるのではありません。






また一方で、天国へ行くのは難しいと考える人もいます。それは次のみことばがあるからです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

このように書かれているので天国へ行くのが難しいと考えます。行く人が少ないと書かれています。



イエス様は次のように語りました。


【ヨハネの福音書3章5節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

神に出会って生まれ変わったならば、その人自身も生活も変わったはずです。


また、神に出会った人は神の子どもになりましたので、次の箇所にあるように実行をしなければなりません。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

信仰告白だけをして、後は今まで通りの生活を送っている人に「あなたは生まれ変わりました。」と本気で言えるでしょうか?――それは言えないです。


【ヤコブ2章26節】

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。

このように はっきりと語っています。

祝福のことばは、永遠に変わらないことばとして受け入れるのに、叱責や警告、呪いのことばは勝手に意味を変えたり、加減をして「神は愛だから、そんなことはなさらないでしょう。」と軽く流してしまいます。これが問題なのです。


こうなると自分の霊的状態が危険であるにも関わらず、安全だと思って悔い改めることもせず、ただ形式的な信仰を送ります。

そして自分が死に直面した時に、準備ができていないたましいとして悲惨な目に遭います。


エペソ5章の本文のことばは、信じる者たちに与えたことばです。
神のことばは曖昧ではありません。はっきりと語りました。

聖徒なら、聖徒に相応しい生き方をするのが当然のことです。それは神の命令です。


3節には“不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。”と語りました。

しかしクリスチャンたちがどれほど堕落したか分かりません。
不品行、汚れ、むさぼりを平気に行ってます。それを罪とも思わず、悔い改めることもせずに行い続けます。




アフリカ人女性の幻




あるアフリカ人女性が祈りの中で幻を見ました。

天からまばゆい白い衣を着た天使たちとイエス様が降りてくるのが見えました。
そしてイエス様と天使たちが大きな教会の方へ向かいました。


教会の中にはたくさんの人がいて、「主よ、入ってください!」と叫びました。
しかし、イエス様は「No!No! 私の教会が汚れている」と、とても怒り悲しんだ顔をして教会の中には入りませんでした。

次の瞬間、見ると御使いたちが1人1人に何かを当てました。
まるで空港で金属探知機を当てるような感じでした。


すると、1人だけ音が鳴りました。
その音が鳴った人だけが神の心に相応しい人で、多くの他の人たちは裸の姿でありました。恥ずかしい姿です。

これは信徒のどのような姿を現しているでしょうか?
それは黙示録に出てくるラオデキヤ教会の姿でした。次の箇所です。


【ヨハネの黙示録3章15-17節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、 乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

なまぬるい信仰生活によって、自分が危険状態であるのに、それを知らずに安全だと思い、なまぬるいままの信仰生活をして いつかは天国に入るから大丈夫だと思っています。

イエス様によって地獄へ行って来た人全員が口を揃えて言うことばは、地獄の中でも1番厳しい裁きを受けるところに数えきれないほど多くのクリスチャンがいたと証言しています。

イエス様はそのことをクリスチャンに知らせなさいということでクリスチャンたちに見せてくださいました。
クリスチャンは地獄にはいなかったと言う人は1人もいませんでした。


神様はラオデキヤ教会にいる信徒たちに次のように語りました。


【ヨハネの黙示録3章19節】

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

罪のままの姿では天国には入れないので、苦難や問題などを与えて、私たちがその中で悟って悔い改め立ち返ることを願っています。


愛の神様だからと何もしなくても天国に受け入れられるとは聖書のどこにも書かれていないです。






全世界とそこに住む人々、また教会や信徒たちに一番足りないのは“悔い改め”です。

既に神様の懲らしめは始まりました。
洪水、地震、戦争、噴火…すべてが既に始まったことを見せています。


神様はアメリカに対しても神に対する信仰から堕落している姿を見て、「この国の神は快楽だ。わたしはあなたがたの快楽地帯を打つ」と宣言をしていますし、
韓国に対しても多くの方たちに みことばを与えて「戦争」が近いうちに起こると宣言しました。


これはクリスチャンの堕落が問題です。


ハイチで伝道集会を開いた預言者が「ハイチ地震」を預言し、皆に悔い改めるように言いました。

それを聞いたクリスチャンたちが笑っていました。
しかし地震は2日後に起きて30万人くらいが亡くなりました。

韓国でも全面戦争が起こり、たくさんの人が死ぬと多くの預言者が言っています。
既に起きている色々な事故などは目を覚まして悔い改めるように主が叱っているのに、それに関心がありません。


クリスチャンも神よりは世を愛し、教会も悔い改めのメッセージよりは世の成功に関心をもってメッセージをします。

そしてあらゆる不義と快楽が教会の中にも浸透しています。主が忌みきらう汚れです。


「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」ということばがどれほど教会でメッセージされているでしょうか。

そして聖霊を妨害する教会や信徒がたくさんいて、神様はそれに対して必ず裁くと語りました。


私たちは異端の中にいてもいけないですが、聖霊のことは言葉では伝えても、実際に聖霊の働きを妨害する教会からは出なければなりません。


幸い、この教会では聖霊を認め、歓迎し頼っています。
ですから、聖霊の賜物も御業も見ることができます。




危険な状態に陥らないためには?




< 私たちが危険な状態に陥らないために >

常にイエス様を見上げ、キリストと共に歩みながらキリストに見ならう者にならなければなりません。

・信仰において勝利するためには、みことばをしっかりと学び、正しく分別をしなければなりません。


終わりの時には惑わしの霊がたくさん働きます。
その様子を「ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5章8節)と語りました。

みことばで分別をしないとサタンの餌食になってしまいます。間違えた教えに騙されてしまいます。


・罪はどのような罪でも徹底的に悔い改めて主に立ち返るようにしなければなりません。


悔い改めを後回しにすると ますます危険な状態になります。

最近起きた事故で亡くなった人たちを見てください。
楽しみの最中に突然亡くなりました。
山やトレッキング、コンサート会場でも、それは1%も死ぬとは考えられない時でした。


ですから私たちは罪から離れ、ますます自分をきよく保ち、主の前に立つことが出来るように目を覚まして悔い改めて、神の子どもに相応しく日々を送らなければなりません。
( ̄‥ ̄)=3

2014.10.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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