からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


人とは異なる父なる神の思い

テーマは 『 人とは異なる父なる神の思い 』 です

【ルカの福音書15章31-32節】

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

放蕩息子の例えは、聖書の中でも とても有名な例えです。


自分の過ちによって自分の人生をつぶした者が 父のもとに帰って来た時に、父が彼を迎え入れ、赦したので、彼は人生の再出発が出来ました。

もしお父さんが彼を受け入れなかったならば、彼の人生は終わったと思います。


お父さんの愛と赦しがあったので、彼の新しい人生が始まりました。



主によって新しい人生を始めた人物は聖書にたくさん出てきます。




ヨハネの福音書4章




1人の女がいました。

人目を避けて生きている女でした。


乱れた生活によって、すでに5人の男性と結婚し、今一緒にいる男性は夫でもなかったです。

人との付き合いも出来ないような罪深い人生を生きていました。


彼女の過去を知っているイエス様は、わざわざ彼女に声をかけ、彼女が新しい人生を生きるように希望を与えて下さいました。

彼女の人生はそこから大きく変わりました。




ヨハネの福音書8章




姦淫の場で捕らえられた1人の女が、イエス様の所に連れて来られました。


連れて来られた人たちは律法通りに女を殺すことを決めていました。

しかし それだけではなく、イエス様を告白する理由を得ようと わざわざ連れて来て、イエス様を試みました。


女は死を覚悟した絶望の状態でした。

生きる希望はまったくありませんでした。


死刑に当たる罪を犯したからです。



しかし 死と絶望から女を救ったのは、イエス様の一言でした。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」


その言葉で女に石を投げる勇気ある者は1人もいませんでした。


みんなが去った後に、主は彼女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と伝えました。



彼女が罪から離れ、新しい人生を生きたことは言うまでもないと思います。




ルカの福音書19章




民からの評判も悪く、罪人のレッテルが張られたザアカイという人物が出てきます。


彼は不正を働いて富を得た取税人のかしらでした。

どんなに金持ちであっても人々から除け者にされ、神の前でも罪人でした。


しかし彼の人生を新しく変えたのもイエス様でした。


その人を救った主のことばは「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」



このように、主が救ったのは 失われた人々、絶望や罪、死の陰を歩いていた人々でした。


彼らの過去の罪や過ちに目を留めず、彼らの未来に関心を寄せました。

そして何度も何度もチャンスを与える方です。



「あなたの過ちや罪によって あなたの人生が終わったかのように見えても、絶望したり、挫折してはならない。わたしの手をつかんで立ち上がりなさい。」と、今日も主は言われます。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

アーメン (*´∇`*)


2020.10.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

私たちのアイデンティティ

テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です

突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。


仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。

忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。


毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。



そうなると、どうなるでしょうか。

神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。


そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。


どんどん苦しくなっていくのです。

一度立ち止まってみてください。


あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。

本当はどう生きていくべきなのでしょうか。


今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。






しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。


本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。

一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちは、神様の作品です。


一人一人、神様が造った作品です。

神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。


また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。


私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。


誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。






神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。


ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。


その人の名前を述べる前に、言うことがあります。

聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。


では、私たちはどうでしょうか。

私たちは誰の子なのでしょうか。


【ヨハネの福音書1章12-13節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

【第1ヨハネの手紙3章1-2節】

私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。


誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。


神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。

私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。


肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。






さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。

2つのポイントを今日は見ていきます。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。



キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。

私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。


私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。


イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。



私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。

イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。

私たちの見た目がきれいだからじゃない。

中身が、性格がきれいだからじゃない。


ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。


神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。


私たちはその神様に愛されている子どもなのです。






その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。


神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。

その前の部分が、大前提がとても大切なのです。


私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。


私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。

また、その愛は赦しの愛です。


【エペソ4章32節】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。

どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。


その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。

そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。


それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。


私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。



神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。

私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。


その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。


それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。

それを体験したからなのです。


神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。






人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。


人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。


私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。


それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。



その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。


私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。

その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。


神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。


【エペソ5章8節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。


私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。

それが私たちのアイデンティティです。


暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。

しつこく影のように追ってきます。



私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。


でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。


罪を断ち切ることは簡単なことではないです。


あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で


「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」

と言っているほどです。


しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。


自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。


【エペソ5章14節】

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」





光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。


キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。

罪から離れ、キリストに近づくことです。


私たちとキリストは月と太陽のようです。

月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。


勇気を持って、その罪を捨てましょう。


私たちにふさわしくないからです。

私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。



私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。


この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。



光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。


それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。


【エペソ4章30-32節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。

何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。


「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。


私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。


それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。


神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。

すべきことなのですか。


罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。

そのイエス様の愛を見てください。


あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。


こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。

捨てることができます。


罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。






私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。


光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。

捨て去りましょう。


あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。


罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。


それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。



最後にもう一度言います。


自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。


今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.9.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

地の塩と世界の光

テーマは 『 地の塩と世界の光 』 です

【マタイの福音書5章13-16節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。

また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

主によって救われた者に 主が期待するものは、「地の塩と世界の光」として生きることです。


塩と光のように なくてはならない存在になることを願っています。


存在するだけで、悪をもたらす人間がいっぱいいます。

世界を汚染させている人間も多いです。


教会や主のしもべの中にも 悪影響を与える者がいます。


福音の道を邪魔し、神の名を汚す人間は塩けをなくした者であり、光ではなく闇です。

聖霊をとても悲しませる姿です。



私たちが塩と光として生きるならば、人々はそれを見て、天におられる父なる神をあがめるようになります。

主に栄光をささげる姿です。


どのように生きることが塩として光として生きる姿かを学びます。




塩と光としての生き方




 罪から離れて敬虔に生きる


【第1テモテ6章11節】

しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

【第2テモテ3章12節】

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。


 聖く正しく生きる


人に見せるための偽善や形式、偽りから離れ、聖なる神にふさわしく聖くなり、正しく生きることです。


【マタイの福音書5章8節】

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。


 正直に生きる


サタンに心を奪われると、聖霊を欺く生き方をします。


しかし聖霊に導かれて生きる人は正直に生きることが出来ます。

共におられる聖霊を騙すことが出来ないからです。


【エペソ5章8-9節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――


 人々に益をもたらし、分け与え、良い影響を与えながら生きる


人を敵とみなさず、お客さんのように開かれた心で仕える生き方は 良い香りを放つ人生です。


【ルカの福音書6章35-36節】

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。


 愛と赦しと和解の生き方をする


こじれた人間関係のまま生きていては塩と光の役割は出来ないです。

神が喜ばない悪を抱いたままでは塩けをなくし、光も消えていきます。


主から愛を受け、赦しを受け、和解を受けた者として神への感謝の心で自分たちも人を愛し、赦し、和解しなければなりません。

それによって神が栄光を受けます。


「さすがわたしの子どもだ」と主が喜んで下さいます。



神を知らない人は私たちを通して神を見ます。

ですから主はこのように仰せられました。


【イザヤ書60章1-3節】

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2020.8.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

愛とは何か

テーマは 『 愛とは何か 』 です

【第1コリント13章1-8節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

聖書で語る愛はいつ変質するか分からないような ドロドロした愛ではなく、純真な愛です。


その純真な愛が何かを教えた個所が4節から7節です。

自分たちが思う愛とは違う愛であることがよく分かります。




愛とは何か




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。


このような愛が私たちにあるでしょうか。

―― ないと思います。


いくつか当てはまるものはあるかも知れませんが、すべてを持っている人はいないと思います。



この愛は成熟した信徒の特徴です。

そして聖霊充満な状態に現れるものです。


この愛があって初めて聖なる者になれます。

それまでは未熟な状態です。


【第1ヨハネ3章11節】

互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。


このように教えられていますが、教会の兄弟たちの間でも妬み、高慢、争い、陰口、怒り、敵対心があるのではないでしょうか?


愛がないので、そのようなことが起こります。

神はそのような私たちを見て「偽り者」と言います。


【第1ヨハネ4章20-21節】

神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。

神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。


この命令を守らないので、教会の中でも人間関係に問題が起こります。


例えどんなに仲の良い者たちであっても一緒にいる時間が長くなると葛藤や争いが起こったりします。

どのように解決しますか?


愛が一番の解決策になります。


相手に対して今日の愛のことばを適用していくならば、だんだんと相手に対してすまない気持ちと赦す気持ちが出てきます。




愛がないならば




どんなに優れたものを持っていても、力があっても、人のためにいのちをささげても、愛がないならば評価されないです。


主は愛がないならばやかましいどら、うるさいシンバルと語りました。

迷惑だということです。



さらに愛がないならば何の値打ちもなく、何の役にも立たないと言われました。

何をしても主からは評価されないです。


すなわち愛から出ていないことは、人のためではなく自分のためにしたことになります。


きっと主は心の動機を見ておられると思います。

愛は動機と行動が一致しないといけないです。




愛の偉大さ




預言も異言も知識もすたれます。


【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

アーメン (=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2020.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

後悔しない人生

テーマは 『 後悔しない人生 』 です

【ヤコブ4章13-17節】

聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。

あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。

むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」

ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。

こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。

2020年は歴史に残る年になりますね。

今まで経験しなかったことを いま世界の人々が同時に経験しているからです。


そしてコロナウイルスによって、人々の考えが色々と変わってきたと思います。

今日の聖書のことばにあることを実際に体験しています。


人間はあす何が起こるか分からないこと、そして人のいのちも消えていく霧に過ぎないことを実感しています。


コロナウイルスによって多くの人々が突然亡くなりました。

体の苦しみだけではなく、不完全燃焼の人生のことで苦しんだ人や後悔しながら亡くなった人もたくさんいると思います。


ですから生きている人間は、今まで通りの生き方ではなく、自分の人生を真剣に考えないといけないです。


何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを真剣に考えるのではなく、自分の存在そのものを考えることです。


後悔しない賢い人生のために どのように生きるべきかを考えることです。


みことばは その道を私たちに教えています。




信仰によって生きる




信仰によって生きることは、神のみこころを知り、御心に従って生きることです。


自分が立てた計画に従って生きるのではなく、自分の人生に対する神の計画を知り、それに従うことです。


自分の思い、計画を優先する人は、神のみこころに関心がありません。


そのような人たちが一番後悔する人生を送ります。

一生懸命努力して生きても、神のみこころとは反対の道を歩むので、神の前に評価されることはないです。


砂の上に家を建てた人のようになります。

風を追うような人生です。



神が自分の主人であるならば、自分が主人のようにふるまってはいけないです。

しもべとして主人のみこころを行うことです。




神が与えて下さった使命に忠実に生きる




このような生き方は、聖書に出て来る信仰の人々から学ぶことが出来ます。


【ピリピ2章13-17節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。


試練があっても最後まで主を裏切らず、主に従って生きる姿が忠実な姿です。




互いに愛し合いながら生きる




自分も他人も愛さない人、自分は愛しても他人は愛せない人は不幸な人です。


愛のない心は潤いのない砂漠や荒野のような心です。

いばらとあざみ、とげがあります。



しかし、愛のある心はオアシスのような心です。

そこには喜び、潤い、安らぎがあります。


愛の神である主が共におられます。

その愛は神から来るものです。


【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


人生は短いので、愛し合うことに時間を使うことです。

それを憎しみ合いながら生きたならば、後悔のない良い人生だと言えるでしょうか?


神は、愛を知らない人を神の国には入れません。


なぜなら神の国に一番ふさわしくないからです。

その人は神を知らない人だからです。






今までの自分の生き方を変えることは簡単ではないです。

しかし裁きの時に主の前に立つことを考えてみて下さい。


そしてこの世での時間は短いですが、死んでからは永遠の時間が始まります。


暗闇の世界か、光の世界かどちらかに行きます。


【第2コリント5章7-10節】

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2020.3.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

聖徒の愛の姿

テーマは 『 聖徒の愛の姿 』 です

【ルカの福音書6章27-37節】

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。

あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

神が私たちに見せた愛はアガペーの愛です。


私たちが罪から贖われたことも神の愛があったからです。

その愛を受けた聖徒に神が要求するのも アガペーの愛です。


神が要求する聖徒の愛の姿はどのような愛でしょうか。




敵を愛し、憎む者に善を行う愛




【ルカの福音書6章27節】

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。



のろう者を祝福し、侮辱する者のために祈る愛




【ルカの福音書6章28節】

あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。



自分を愛さない者、自分に良くないことをする者までも愛する愛




【ルカの福音書6章32-33節】

自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。



返してもらうことを考えず貸す愛




【ルカの福音書6章34節】

返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。



敵を愛し、返してもらうことを考えずに貸す愛




【ルカの福音書6章35節】

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。



人に対してあわれみ深い愛




【ルカの福音書6章36節】

あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。



裁かないで他人を赦す愛




【ルカの福音書6章37節】

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2019.10.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

主に従うこととは

テーマは 『 主に従うこととは 』 です

【第2テモテ4章16-18節】

私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。

しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

口先だけで「主に従います」と言うのは簡単です。

言うだけで何もしなくて良いですから。


しかし、実際に主に従って歩むことは簡単ではなく、とても難しいです。

なぜなら主が歩んだように歩まないといけないからです。



主の使徒・パウロは、「主に従って歩む」ことが、どういう事かを身をもって現した人でした。

イエス様のように生きてイエス様のように死にました。


イエス様からビジョンと使命を受け、イエス様と親密な関係を結び、共に歩みました。


そして主が 弟子や従って来たすべての者に捨てられたように、パウロも捨てられました。


そしてイエス様のように彼らを赦しました。

主を愛し、人を愛する愛をそのまま見せました。



イエス様は、人のために この世に来られ、人に仕えましたが、人の手によって十字架にかけられ死にました。


十字架の上で父なる神に祈りました。

「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」


パウロも自分を見捨てた人たちに対して「彼らがさばかれることがありませんように。」と願いました。

イエス様に似た姿がありました。


イエス様に出会った後のパウロの生き方、心、働き、愛、すべてはイエス様の中に見られるものでした。

違うところはありませんでした。



主に従うことは、主と同じ生き方をすることです。

違う生き方ならば、別々の道を歩んでいることを意味します。


主と同じ生き方は、みことばの知識だけでは100%無理です。


知識だけでは主の心を知ることが出来ません。

理解も出来ません。


十字架の知識を持っていても 十字架にかかった主の心や痛み、苦しみを知ることは出来ないです。


自分が同じ経験をして初めて共感し、知ることが出来ます。



主に従った人々は、主と同じことを実行しました。

無条件の愛、犠牲的な奉仕、心からの服従、完全な自己否定、しもべとしての謙遜がありました。


信仰と愛、希望をもって、神に栄光をささげながら自分の十字架を負ってビジョンと使命を全うしました。

天の御国にふさわしい者になりました。


アーメン ヽ(^o^)丿

2019.9.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

キリストに似ていく

テーマは 『 キリストに似ていく 』 です

【ピリピ2章5節】

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

キリスト者としてのアイデンティティが はっきりしている人は、生き方、性格、考え、行動すべてが変わります。

しかし変わらない人は、キリスト者が何なのかも よく分かっていません。


キリスト者は、“キリストにあって 新しく生まれ変わった者” です。


闇から光に移され、光の中を歩む者です。

キリストに属し、キリストを「主」と呼びます。



何よりもキリスト者になった者は、キリストに似ています。

姿ではなく、心が似ています。


すなわちキリストの心が、その人の中でも見られる ということです。


キリスト者になるためには、キリストに似ていかなければなりません。

キリストにある どのような心に似ていかなければならないでしょうか?




愛の心




イエス様のように人を愛する心が必要です。


自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。(マタイの福音書5章43、46節)

と言われた主のことばのように、愛の心を持つならば、主に似る者になります。




赦しの心




イエス様は とてつもなく深い赦しの心で 罪人たちの罪を赦して下さいました。

その赦しの心がなかったならば、救いはありません。


罪赦されキリスト者になった者は、赦しの心を持たないといけないです。


【コロサイ3章13節】

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。


キリスト者は、自分が赦された者であることを忘れてはいけないです。


それがないと人を赦すことが出来ないです。




謙遜で寛容な心




罪人、病人、困った人、子どもたちに至るまで、イエス様は嫌がらず みんなを受け入れて下さいました。


イエス様は ご自分を無にしました。

ですからそれが可能でした。


私たちは色んなもので自分を守っているので、人を受け入れないです。


自分を無にしていけば、謙遜と寛容の心を持つことが出来ます。


【マタイの福音書11章29節】

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。



従順の心




イエス様は父なる神の言葉通りに従って、神の栄光を現しました。


神の栄光はみことばに従う時に現れます。


【ヨハネの福音書17章4節】

あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。


主を恐れ、主を敬う人たちは、主のことばに対しても同じ心を持って、主のことばに従って主に栄光をささげます。


主のことばに自分のいのちを、自分の人生を懸けた人を 主は求めます。

それが主の子どもの姿であるからです。


神のことばを無視して自分の欲、野望、自分の力だけで生きる人は、キリスト者ではありません。



イエス様は十字架の死に至るまでみことばに従い、神の栄光を現しました。


宗教の霊に取りつかれた人たちは、うわべは敬虔に見え、熱心な姿で信仰ある人に見えるかも知れません。

しかし、その人たちの中には 主の心がありません。


そのことを見抜いた主のことばがあります。


【マタイの福音書23章26-28節】

目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。


主は私たちの心を見ておられます。

イエス様の心と同じ心を持っている人を 『キリスト者』 と認めます。


そして愛し、栄光を受けます。


主の心が自分の中でも見られるように、日々自分を変えていきたいと思います。
アーメン (・∀・)


2019.7.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

主を喜ばせる人はどんな人なのか

テーマは 『 主を喜ばせる人はどんな人なのか 』 です

【ルカの福音書17章12-19節】

ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、

声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。

イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」


本文の内容は、ただ読んで終わるのではなく、自分はどちらに属する人なのかをよく考える必要があります。


極端に言うならば 9人は神を信じている者たち、そしてもう1人のサマリヤ人はまだ信じていない異邦人とも言えます。


イエス様を失望させたのは信じる者たちでした。

そして主に喜ばれた者はサマリヤ人でした。


イエス様は公の働きをしていた時に多くの人々に接しました。

その中には主を苦しめた者、主を裏切った者、悲しませた者、そして喜ばせた者がいました。


今回は “主を喜ばせる人はどんな人か” を学びます。




恵みに対して心から感謝をささげる人




10人のらい病人は同じ病で苦しんでいました。

難病で、死ぬまで苦しまなければならない重い病気を抱えていました。


らい病は隔離させるので、社会生活も出来ないですし、家族と一緒にいることも出来ません。

辛くて孤独で希望のない生活を送っていました。


「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と叫んだ時、すべての希望をイエス様に託しました。

そして癒されました。

ありえないような奇跡が起こりました。


しかし癒しが行った後に問題が生じました。


癒される前は10人同じく大声で主を呼んでいました。

しかし癒された後に、9人が主を呼ぶことはありませんでした。


1人だけ大声で神を称えながら戻り、イエス様の足元にひれ伏して感謝をささげました。


恵みは決して当たり前のことではないです。

奇跡も当たり前ではありません。


大きな恵みを受けながらも、感謝をしないことは恩知らずの者です。

多くの恩知らずの者がいることは主の悲しみです。


しかし、心からの感謝をささげる人は主に喜ばれます。


【詩篇50編23節】

感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」



心から主を愛する人




ルカの福音書7章36-38節には、1人の罪深い女の人が出てきます。


イエス様があるパリサイ人の家で食事をしている時に来て、香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながらイエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗りました。


周りの人たちは彼女のことを非難しました。

しかしイエス様だけは その行為を、愛の行為として高く評価し喜んで下さいました。


口先だけの愛に何の価値があるでしょうか?


彼女は行動で主への愛を示しました。

口では愛を告白しますが、心が冷えた人ほど主を悲しませる者はいません。


しかし、行動で愛を示す人は主に喜ばれます。




自分の罪を認め、悔い改め、赦しの恵みを忘れない人




【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

使徒パウロは偉大な使徒になり、不思議なわざもたくさん行いましたが、自分をきれいに飾ったことは一度もありませんでした。


主に出会うまでは自分を義人だと思って生きていた人でした。

自分には罪がないと思っていました。



しかしキリストに出会って、自分がとんでもない罪人であることを悟り、罪を告白しました。

罪人であった自分の姿をさらけ出しました。


「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした」と、

「罪人のかしらである」と言いました。


そのような者に注がれた神の憐れみ、赦し、恵みを一生忘れることがありませんでした。



主の十字架をいつも見上げる人は、自分の以前の罪の姿を決して忘れることがありません。


自分には罪がないと言う人は、神を偽り者としています。



しかし自分には罪があると認める人は、主の十字架に近づき、主の憐れみを求めます。

赦しを求めます。


ですから主は自分の罪を認め、悔い改める人を喜びます。

その罪を赦して下さいます。


自分は主の目にどのように見えていると思いますか?


喜ばれている姿なのかどうかを1人1人考えてみましょう。

アーメン (; ̄Д ̄)

2019.6.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

愛の方法

テーマは 『 愛の方法 』 です

【第1コリント12章31節】

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【第1コリント14章1節】

愛を追い求めなさい。


愛することは自然に身につくことではありません。

愛することは簡単なことではありません。


愛にも色々ありますが、真の愛は 神から愛する方法を学ばないといけないです。

しかし、愛は 学ぶだけで出来ることでもありません。


聖書では私たちが愛ある者になるためには、どのようにしたら良いかを教えています。

今回はその教えを学びます。




愛の定義




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛のことを1番正しく教えて下さったのは、神様です。

なぜなら、神は “愛” そのものだからです。


詩人がどんなに美しいことばで愛を語っても、それが愛の定義にはなりません。



愛の神様が教えて下さった愛の定義が1番正しいです。


人々が語る愛と、神が語る愛が どれほど違うかを今のことばでも分かると思います。


甘いことばや美しいことばで表現するのが愛ではなく、私たちが望まないような姿が 神様の語る “愛” です。



人は “愛したい” という思いよりは、“愛されたい” 思いが強いので、神が語る愛に対して、積極的に愛そうという思いは起こらないと思います。


しかし本当に愛ある者になるためには、神が語る愛の形にしていかなければ、愛のない者になります。


ですから、主のことばが語る “愛” を学ばなければなりません。




愛ある人の行動




「互いに愛し合いなさい」と言われたことば通りに 愛し合っているならば、愛ある人です。


愛ある人は、光の中を歩み、つまずくことがありません。

愛ある人は、人々の多くの罪を覆います。


人の罪をバラし、裁いてつまずかせることはしません。

裁く代わりに勧め、とりなしをします。

愛には “犠牲” が伴います。



しかし愛ある人は 義務ではなく、愛があるからこそ自ら犠牲を払います。

代表的な愛の姿が、キリストの十字架の姿です。


口先だけの愛は詐欺師と同じです。

愛のことばで人を騙しているからです。


愛ある人の行動は人を感動させます。

人を生かしますし、人を変えます。




愛がないならば




【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

人々は、働きの実や業績が 神様の栄光になると思って熱心に働きます。


しかし、どんなに働いて素晴らしい業績があっても、愛がないならば すべてがむなしいと主が語っておられます。


神が求める1番大切なものがないならば、神はそれを喜びませんし、認めません。


心の動機が愛でないならば、その働きは神のみこころに適う働きにはなりません。




愛ある者になるために




神が教えて下さったみことばから愛を学び、実行していくことです。


また 愛は、聖霊充満によって私たちが聖い生活を送るようになると、人を愛することが出来ます。


愛は成熟した信者の特徴です。


幼子にとって、愛はいつも受けるものだと思います。



しかし成熟した人は、愛は受けるものではなく、与えるものであることを知っています。


愛の神様から愛されている私たちも、その愛に感激して、主のことばのように愛ある者になることです。


2019.1.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ