からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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平安

主の御名をほめたたえよ

テーマは 『 主の御名をほめたたえよ 』 です

【詩篇103編1-5節】

主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。

主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。

主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。

しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。

私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。


2021年最後の礼拝です。


どんなメッセージが一番ふさわしいかを考えた時に、主の御名をほめたたえることが一番だと思いました。

賛美のいけにえと感謝のいけにえは主が喜びます。


今日の詩篇のことばは ダビデが書いたもので、ダビデは神に愛された人物でした。

彼が神を愛し、神が喜ぶことをいつもしたからです。


神に嫌われる人を見ると、いつも神が嫌がることだけをするので神に嫌われます。



詩篇は150編までありますが、最後にあることばが『息のある者はみな主をほめたたえよ。ハレルヤ。』です。


主をほめたたえることは、主の御名を崇めることです。

主に栄光をささげることです。


ですから今年最後の礼拝は、主をほめたたえたいと思いました。






心と思いを込めて主をほめたたえるならば、主が喜ぶに違いありません。


自分のたましいに言い聞かせましょう。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。』と。


私たちが偉大な主の御名をほめたたえることは当然なことです。

人間として当然すべきことです。


そして主は私たちに多くの恵みを下さったので、さらに私たちは感謝の心を込めて 主をほめたたえることです。



パノラマ写真のように一年間の自分の人生を振り返ってみて下さい。

何が見えますか?


私には最初からここまで主の恵みが見えます。

主がどれほど良くして下さったのか、その恵みを思い出します。


心に不安と恐れではなく、平安と喜びを主は一年中下さいました。



ある人たちは毎日が心配で、自分に何も降りかかっていないのに、コロナや病気、事故に遭うのではないかと常に不安を抱えながら生きています。

辛いと思います。


ですから主にある平安を持ちながら生きたことは、何よりも恵みでした。



そして今年も罪を犯しながら生きてきましたが、いつも主の前で悔い改めました。


主はその祈りを聞いて罪を赦して下さいました。

ここにも主の大きな恵みがありました。


どんな人が幸いな人ですか?

罪赦された人です。


【詩篇32編1節】

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。


罪赦されたので心も体も守られ、平安がありました。

いつも主は私の罪を赦し、癒して下さいました。


ですから主の前に出て いつも賛美することも、祈ることも出来ました。

いつも愛の告白も出来ました。


今年も一番仲良く出来たのも、誰よりも多く会話出来たのもイエス様でした。

それがとても幸せでした。






また主によって受けた救いの恵みはとても大きいです。


救われた時に感じた恵みよりも、今 感じている救いの恵みがもっと大きいです。


信仰が幼い時には恵みの大きさがあまり分からなかったです。

しかし年々救いの恵みの大きさをもっと感じるようになりました。


恵みの大きさに感謝して涙が流れるのは、最初の時よりも後からでした。


上を見ても、下を見ても主の恵みがあり、右にも左にも主の恵みがあります。



私の目にはそれが見えます。

一番良いもので満たして下さる主を体験しています。


いつも新しい力を与えて下さる主によって生かされました。


弱い者なのに、主によって強くされて主の働きが出来ました。

これ以上の感謝があるでしょうか。


ダビデの気持ちがよく分かる詩篇のことばがあります。


【詩篇40編5節】

わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。


今年も数えきれない主の恵みの中で生活出来たことが一番感謝です。

主の御名を心からほめたたえます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.12.26
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キリストを知る知識

テーマは 『 キリストを知る知識 』 です

【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、


使徒パウロはキリストが生きていた時に信じた者ではなく、キリストを誰よりも嫌っていた者で、教会や信徒たちを迫害した者でした。


しかし復活したキリストに出会ってから完全に変えられ、またキリストに任命され使徒になりました。

彼が後に告白したことばを聞きます。


【第1テモテ1章13節】

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。


なぜ自分が神を汚し、迫害し、暴力を振ったのか、その原因としてあげたのが「知らなかった」ことと「信じなかった」ことでした。


それで彼はキリストに出会ってから一番にしたことは、キリストを知ることでした。



自分が持っていた律法の豊富な知識も、キリストを知ることには役に立たなかったです。

とにかくキリスト自身を知ることが大切であると気付きました。



なぜキリストを知ることが一番大切でしょうか?





キリストを知り、信じる時に永遠のいのちを得るから




【ヨハネの福音書17章3節】

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


【第1ヨハネ2章24-25節】

あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。

それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。




イエス・キリストを知る時に恵みと平安が臨むから




聖書には恵みと平安ということばがよく出てきます。


『私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。』と、パウロも教会に手紙を送る時に そのようにあいさつのことばを送りました。


【第2ペテロ1章2-3節】

神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。

というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。


キリストの中に恵みと平安があります。

すべて良いものは神が持っており、神から来ます。


キリストを知れば知るほど恵みと平安を得ることが出来ます。





キリストを知ることで知恵と知識の宝を見つけることが出来るから




【コロサイ2章2-3節】

それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。


宝は値打ちがあり貴重なものです。

どこにでもあるようなものではないです。


毎年ノーベル賞を受ける人たちが発表されますが、その人たちの中でキリスト以上に知恵と知識がある人を見たことがありますか?

ソクラテスがキリストより知恵がありましたか?



キリストの弟子の中には無学な弟子も何人かいましたが、彼らが口を開いて語った時に 人々はびっくりしました。

自分たちよりも知恵あることばを語り、自分たちよりも悟りがあったからです。



弟子たちは知恵と知識の宝をキリストの中で見つけ、それを使ったので知恵ある者になり、悟る者になりました。


パウロもこのように言いました。


【エペソ3章4節】

それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。


パウロが知った最高の知恵と知識はキリストの十字架の奥義でした。

ですから このように断言しました。


【第1コリント2章1-2節】

さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。


世にあるすべての知恵や知識を持つ者は それを一番の誇りにすると思いますが、それが永遠のいのち、恵みと平安、知恵と知識の宝を与えることはないです。


キリストに無知な者は、救われることも、神に喜ばれることも、神の国に入ることもありません。



しかしキリストを知ることで得るものがどれほど優れたものなのかを今日は話しました。

キリストを知り、信じて祝福を受ける者になりますように。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.10.31
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試練の中でも平安を保つために

テーマは 『 試練の中でも平安を保つために 』 です

【ピリピ4章6-7節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。


人生の崖っぷちに立たされた時に心の平安はありますか?


ほとんどの人は平安と喜びよりも、恐れ、戸惑い、思い煩い、不安で心が潰されそうになります。


クリスチャンも例外ではないです。

イエス様もそのことをよく知っていたので「思い煩うな、恐れるな、心配するな」と語っておられます。


ことばを知っていても中々平安にならず、恐れている姿があります。

信仰あると思った人たちからも見られます。



アブラハムも美しい妻が王に取られることと自分が殺されるのではないかと心配して嘘をつきました。

預言者エリヤも、イザベルの脅迫で怖くなって逃げて行き、神に自分の死を願いました。




人生に突然、地震や嵐が襲うと恐れが出てきます。

恐れは平安が壊れる時に出てきます。


平安が壊れることは信仰を失ったことを意味します。


神を信じる人も、現実ばかり見て生きる傾向があります。

現実ばかり見るので不安、思いわずらいが当然出てきます。



神様は私たちの注意と関心を神に向けさせるために私たちを崖っぷちに追いやります。


その時、神を見上げないと崖に落ちてしまいます。

自分は大丈夫だと思っている人も危ないです。


試練に遭うと自分の実態が分かります。


【第1コリント10章12-13節】

ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。


試練は通過するもので、恵みの時でもあります。

激しい陣痛の後に新しい命が生まれるようなものです。


苦難を使って神は陶器師としての働きをなさいます。

苦難の中で私たちは履き物を脱ぐことです。



自分に頼らず、自分の権利を捨てて、神に頼ることです。


すべてを神に任せる時に自分の心を守ることが出来ます。




試練の中で平安を保つためにすべきこと




まずは あらゆる場合につぶやかず、自己憐憫に陥らず 神に感謝することです。


感謝が出来ない時でも、無理やりだとしても意思を持って感謝することです。

感情が自分の心を支配しないように、霊の部分(みことばに従う)で感謝することです。


今日が最後の日であるかのように大胆に感謝することです。



次は神にすべてをさらけ出すことです。


泣きたい時は泣きます。苦しいことも全部伝えます。

そして主に助けと救いを求めます。



主が与えて下さることばがあるならば、みことばの上に堅く立つことです。

すると主から平安が与えられます。


環境は何も変わらないのに、主から平安が与えられます。


【ヨハネの福音書14章27節】

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


神は平安と力と勇気を与えて下さいます。

「恐れるな。わたしはあなたの盾である」と語って下さる主です。


主は、世の嵐の中でも主に身を避ける者を守り、平安を与えて導いて下さいます。


【ヨブ記5章17-20節】

ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。

神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。

神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。

ききんのときには死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。


【詩篇119編71節】

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。


イエス様は私たちにとって道であり、いのちのパンであり、光です。

力であり、避け所であり、盾です。


人生の崖っぷちにいるあなたを崖に落とす方ではなく、助けて下さる方です。

平安の中に導いて下さる方です。


アーメン (・∀・)


2021.2.14
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聖霊を受けなさい

テーマは 『 聖霊を受けなさい 』 です

【ヨハネの福音書20章21-22節】

イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」


クリスチャンは神の恵みによって必ず聖霊を受け、聖霊のみわざを体験しなければなりません。

「聖霊を受けなさい」はイエス様の命令でした。



聖書さえあれば それで充分だ と言う人もいますが、それは主のことばに反することです。

聖霊も受けなければなりません。


  • 聖霊を受けないと聖書のことばに対する悟りが得られません。

  • 聖霊はみことばに対する信仰の悟りを与えます。

  • 聖霊は私たちに、神の完全性、神の無限の愛、神の聖さを教えます。


  • 聖霊を受けず、聖書を読んでもどれほど理解が出来ますか?

  • 聖霊の助けなしに聖書を読んでも勝手な理解しか出来ません。

  • 真理が悟れずいのちにはなりません。


【ヨハネの福音書16章13節】

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。


聖霊の教えによって真理を悟ることが出来ます。

聖霊によって真理を悟ると自分が罪人であることを告白出来ます。


聖霊を受けないと、自分が 罪人の “かしら” であることが分かりません。



【ヨハネの福音書16章8節】

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。


聖霊を受けると平安が臨みます。聖霊は平安の霊です。


ですから、平安の霊によって 心が平安になります。

この平安は、この世が与える平安とは違います。



聖霊を受けると患難や世の混乱の中でも平安があり、また神の摂理を信じて感謝することが出来ます。

聖霊を受けると分別、理解、感謝が信徒の生活の中に実際に現れます。


聖霊からの力、知恵、分別力が与えられ、サタンに惑わされず、キリストの証人としての様々な力ある働きが出来ます。




サタンとの霊的戦いにも聖霊がいないならば 勝利することが出来ないです。

霊的戦いの方法を、主はエペソ6章で教えてありますが、神のすべての武具だけでなく、聖霊が必要です。


聖霊の力と助けと導きによって勝利を収めることが出来ます。



【エペソ6章18節】

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。


御霊による祈りによって聖霊は働き、勝利をもたらします。


聖霊を受け、御霊によって歩む人が救いを受けた神の子どもであり、永遠の天国の市民であり、真のクリスチャンです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.1.31
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危機の中での平安

テーマは 『 危機の中での平安 』 です

【マルコの福音書4章40-41節】

イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

危機の中で感じる一番の感情は、死の恐怖だと思います。


「このまま死ぬのかな。」


弟子たちもそうでした。

イエス様と同じ舟に乗りましたが、激しい突風が起こり、舟は水でいっぱいになりました。


その中でイエス様は眠っていました。

弟子たちは恐怖に満ち、イエス様を起こして「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないですか。」



死の恐怖を口にしてイエス様を責めました。

それを聞いてイエス様は彼らに謝ったでしょうか。


謝ったのではなく、まずは風をしかりつけて 風が収まるようにしました。


その後に弟子たちを責めました。

「どうしてそんなに怖がるのです。信仰がないのはどうしたことです。」と。


これに対して彼らが見せた反応は違い、大きな恐怖でした。



イエス様の超自然的な能力に圧倒されて畏敬の念を抱いた感情でした。


ですからイエス様には何も言えず、互いに「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言いました。


病人が癒される奇跡はたくさん見た彼らでした。

しかし、ここまでの力があるとは思ってもみなかったことが分かります。


自分と同じ人間の姿をしているので、主の力を過小評価していたのでしょう。






信仰がない人や薄い人は、まず神の力を過小評価し、神にも不可能があると思っています。

これこそが神を侮る姿です。


神を侮る人たちは、危機の時にそれがすぐに現れます。

「今にでも死にそうです。何とも思わないですか。」


恐怖、不信仰、絶望、あきらめ、つぶやきは信仰がない時に出て来ます。



荒野でイスラエルの民も同じことをしました。


「なぜ神は私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子はさらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と大声で泣きわめきました。

それを聞いた主の中に怒りが燃え上がりました。


そしてこのように語りました。

「この民はいつまでわたしを侮るのか。
わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」



神のわざを見ても 信じないことは、神を侮る不信仰の態度です。


神を侮る人が危機の中で平安を感じることは不可能です。


もし私たちの中に彼らと同じ思いがあるなら、それは神を侮っていることです。


小さな危機の前でもすぐに怖がりますか?

泣いてわめいていますか?



主はそれを見て、弟子たちに語った同じことばを語るでしょう。

弟子たちは暴風ばかり見てイエス様は見ませんでした。


信仰のない人はいつも環境ばかり見て、口ではイエス様を呼びますが、目はイエス様を見ず、環境を見ています。


環境を見たら死の恐怖、不安と心配しか出ないです。

平安はどこにもないです。






舟の中にいる人の中で平安であったのはイエス様だけでした。


天地を創造した主が解決出来ないことがありますか?


冷静に考えることです。

もちろん神は私たちが願う通りには働かない方です。



しかし神にはどんなことでも出来る力があります。


もし主を信じる人ならば、危機の中でも平安を保つ秘訣は イエス様から目を離さないことです。


自分を殺そうとする人々が歯ぎしりしながら殺到した時のステパノは、彼らを見ずに天を見つめていました。


【使徒の働き7章55-56節】

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」


しかし誰も天を見上げることもなく、ステパノだけを見て彼を殺してしまいました。


殺される人が一番死の恐怖に陥るはずですが、一番平安でした。

主を見ていたからです。


ここが違います。


危機があっても無くても いつも主を見上げて生きる人には平安があります。


主の守りと助けがそこにあるからです。

そして主のことばが力になるので平安になります。


【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

アーメン (・∀・)


2021.1.17
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私たちのアイデンティティ

テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です

突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。


仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。

忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。


毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。



そうなると、どうなるでしょうか。

神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。


そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。


どんどん苦しくなっていくのです。

一度立ち止まってみてください。


あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。

本当はどう生きていくべきなのでしょうか。


今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。






しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。


本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。

一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちは、神様の作品です。


一人一人、神様が造った作品です。

神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。


また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。


私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。


誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。






神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。


ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。


その人の名前を述べる前に、言うことがあります。

聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。


では、私たちはどうでしょうか。

私たちは誰の子なのでしょうか。


【ヨハネの福音書1章12-13節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

【第1ヨハネの手紙3章1-2節】

私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。


誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。


神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。

私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。


肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。






さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。

2つのポイントを今日は見ていきます。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。



キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。

私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。


私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。


イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。



私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。

イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。

私たちの見た目がきれいだからじゃない。

中身が、性格がきれいだからじゃない。


ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。


神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。


私たちはその神様に愛されている子どもなのです。






その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。


神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。

その前の部分が、大前提がとても大切なのです。


私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。


私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。

また、その愛は赦しの愛です。


【エペソ4章32節】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。

どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。


その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。

そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。


それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。


私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。



神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。

私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。


その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。


それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。

それを体験したからなのです。


神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。






人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。


人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。


私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。


それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。



その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。


私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。

その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。


神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。


【エペソ5章8節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。


私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。

それが私たちのアイデンティティです。


暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。

しつこく影のように追ってきます。



私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。


でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。


罪を断ち切ることは簡単なことではないです。


あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で


「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」

と言っているほどです。


しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。


自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。


【エペソ5章14節】

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」





光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。


キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。

罪から離れ、キリストに近づくことです。


私たちとキリストは月と太陽のようです。

月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。


勇気を持って、その罪を捨てましょう。


私たちにふさわしくないからです。

私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。



私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。


この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。



光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。


それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。


【エペソ4章30-32節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。

何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。


「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。


私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。


それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。


神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。

すべきことなのですか。


罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。

そのイエス様の愛を見てください。


あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。


こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。

捨てることができます。


罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。






私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。


光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。

捨て去りましょう。


あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。


罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。


それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。



最後にもう一度言います。


自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。


今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.9.6
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霊的に目を覚ますならば

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【第1テサロニケ5章5-7節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

聖書は生きている者、死んだ者、肉に属する者、霊に属する者、目を覚ましている者、眠っている者、昼の者、夜の者を対照的に見せながら、私たちがどのような姿であるのかを教えています。


どこに属するかによって 神を見る視覚、世を見る視覚、人生を見る視覚が変わってきます。


今の時代は眠っていて良い時代でしょうか?

それとも、目を覚ますべき時代でしょうか?


主からのことばは、「いつまで眠っているのか。目を覚ましなさい」です。


霊的に目を覚ますと何が変わるでしょうか?




神を敬い、恐れる心が出る




何よりも神を敬い、恐れる心が出て来るので、神の前に無礼な行動や神を悲しませたり、失望させたりすることはしないです。


反対に何をしたら神が喜ぶのかを常に考え、正しいことや喜ぶことをします。

自分のためではなく主のために生きます。




良い実を結ぶことができる




目を覚ますと、主のことばが生きたことばとして たましいと霊を支配するので、みことばに導かれる生活、みことばに従う生活が出来、良い実を結びます。


またみことばを通して神に集中する生活が出来ます。


【へブル4章12節】

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。



恐れない




世の環境と闇の力の前でも恐れません。


私たちが目を覚まして聖霊に満たされてあるならば、心に神の臨在があるので、それを見ると闇の力も逃げ去ります。


【申命記28章7節】

主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。

【第2コリント12章10節】

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。



信仰の競争を最後まで走りぬくことが出来る




この世に勝ち、聖別された生活をして、神が喜ぶ信仰の競争を最後まで走りぬくことが出来ます。


【第2テモテ4章7節】

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。



神が与える平安を保てる




神がその魂と心を支配するので、この世の心配と思い煩いから解放され、神が与える平安を保つことが出来ます。


そして心配や誘惑で攻撃する者に対しても大胆になります。


【ピリピ4章6-7節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。


このように霊的に目を覚ましているならば、私たちの霊と心は命と聖霊に満たされ、人生が守られますが、眠っているならば すべて反対のことが起こり、私たちの霊は渇き、衰え、病み、それから死んでいきます。


主からのアラートに耳を傾け、目を覚ましましょう。
アーメン (☆゚∀゚)


2020.6.28
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恐れないで信仰を持ちなさい

テーマは 『 恐れないで信仰を持ちなさい 』 です

【第2テモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

今、世界を恐れの霊が覆ってあることは知っていますね。


目に見えないウイルスに感染することを非常に恐れている人がたくさんいます。

外に出るのも、人に会うのも、物に触れることも恐れる人が多いです。


そしてコロナだけではなく、違う事でも人々は恐れています。

何に対して恐れを持っているでしょうか?


貧困の恐れ、失敗の恐れ、愛する人を失う恐れ、死の恐れ、病気の恐れ、自由を失う恐れ、人からの非難に対する恐れ、年を取ることへの恐れなど様々な恐れがあります。



恐れはまったく役立たないもので、反対に私たちの成功や幸せ、健康などを邪魔するものです。

恐れは神から来たものではありません。






神が私たちに与えたものは臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

神は人間が恐れに弱いことを知って、恐れに負けないようにみことばを与えて下さいました。


【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

主は世にあって多くの患難があることもご存知です。


人々は患難を恐れるので、患難が来ると心に大きな負担を感じます。

精神的に、肉体的に苦しみます。



しかし神を知っているならば、思い出すべきことがあります。


“この世で起こるすべてのことは神がなさること” です。


すなわち神の許可なしには起こらないことです。

それを信じることが信仰です。



恐れは、私たちが神のことばを信じず、神と一致せず、神と共にいないからです。


恐れは自分の霊的状態、神との関係をもろに表します。

「神を信じる」と言いながら、恐れおののいているならば、あなたが信じる神はどこにいますか?



主が共にいるならば、なぜ恐れる必要があるのか と自分に聞いてみて下さい。


恐れは信仰の敵です。

恐れは聖霊の敵です。


恐れは信仰を奪い、聖霊を心から追い出します。






荒野でイスラエルの民に悪影響をもたらした恐れの正体を見ます。


カナンの地を偵察した12人が同じものを見て、10人対2人に意見が分かれました。


10人はカナンの地の城壁や強い人たちを見て恐れをもって帰りました。

恐れの目で見ると 彼らは巨人に見え、自分たちはいなごのように見えました。


それで民に対してこのように報告しました。

「あの民の所には攻め上れない。あの民は私たちより強いから」


全会衆はそれを聞いて、恐れに覆われて夜通し泣きわめきました。

そして不信仰のことば、つぶやき、否定的なことばをたくさん言いました。



しかし、信仰の人ヨシュアとカレブの2人はそれを見てびっくりして、

主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

と、はっきりと言いました。

2人にはまったく恐れがありませんでした。



しかし恐れに覆われた民は、2人の言うことを信じないで、2人を石で打ち殺そうとしました。

それを見た主が、突然モーセに言われました。


【民数記14章11-12節】

主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。

わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」

恐れの原因が不信仰であると言われました。

恐れは自分が誰を信じているのか、誰と共にいるのか、誰を見ているのかをあらわします。



神への信仰が強いと、恐れは消えて行きます。

心に恐れの居場所がないからです。


見えるものに頼って生きる者は絶えず恐れをもって生きますが、信仰によって生きる人は平安をもって生きます。


自分に対する神の約束を信じ、恐れを追い出しながら勇敢に生きるならば、その人はその信仰によって勝利することが出来ます。


神がその人を守り、助けて下さるからです。






1929年に始まった世界的大恐慌は20世紀の中で最も深く、最も深刻な世界的な経済不況でした。

アメリカの株価の暴落から始まりました。


回復まで2年はかかりました。


国際貿易は50%減少し アメリカの失業率は23%、他の国では33%まで上昇しました。


その時のアメリカの大統領がルーズベルト大統領で、彼によって最悪の大恐慌は克服出来ました。


就任演説で語ったことばの中に「我々が恐れなければならないものは、ただひとつ。恐れそのものだ」があります。

恐れがあると人々は自制力と判断力を失います。



何かの問題で恐れが生じた場合、多くの人は「とにかくこの問題を取り除いて下さい。」と慌てながら祈ります。

それは信仰の祈りではありません。


このように祈るべきです。


「神様。私はこれに対してどのような信仰の行動をしたら良いか教えて下さい。」


危機や試練の中では 恐れではなく、信仰で判断し、行動出来る知恵を神に求めて下さい。

信仰は 可能なことのためにあるのではなく、不可能のためにあります。


不可能の前で 信仰は力を発揮します。

不可能の前で自分の信仰が試されます。



「あなたの信仰はどこにあるのか。なぜ恐れるのか」と主が聞きます。



私たちに力と愛と慎みの霊を与えて下さった神に感謝しながら、信仰の目を開くと恐れは静まります。

「主の御名によって命じる。恐れよ、静まれ。」


信仰によって歩む生き方こそが患難を乗り越える力になります。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.4.26
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マタイの人生

テーマは 『 マタイの人生 』 です

【マタイの福音書9章9-13節】

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

マタイは、イエス様の十二弟子の1人です。

十二弟子の名前が10章に出てきますが、マタイの名前の前には “取税人” と書かれてあります。


イエス様が彼を見つけた場所が 収税所だったので、彼の職業が何かは分かったと思います。


今回は、イエス様に出会って彼の人生がどのように変わっていったのかを学びたいと思います。

主に出会った人は誰もが変わります。




収税所で働いていたマタイ




収税所は、今でいう税務署のことです。

今なら税務署で働くのは公務員で 別に何の問題もないですが、マタイが生きていた時代は全然違っていました。


ローマの支配下にいて、税金を民から取りたてる仕事ですが、民から多めに取って横領していた者が多かったので、民から憎まれ、“罪人のかしら” と さげすまれました。


民の血を吸いとる悪人だと、人々から非難されており、
とにかく取税人に対しては、色々と悪く言うことばがたくさんありました。


そのことを聞いていても取税人はお金を集めることに熱心であったので、金持ちが多かったです。




イエスに従ったマタイ




いつものようにマタイが仕事している時に、目の前にイエスという方が来られ、
マタイに向かって突然「わたしについて来なさい。」と言われました。


イエス様のこのことばは、彼を招待することばでした。

イエス様に招待されたことは、メシヤに招待されたことを意味します。



なぜマタイを招待したでしょうか?

もちろん彼を救い、弟子にするためでした。


人間の基準からは一番不適格な人かもしれません。

しかし、あえて主は彼を選びました。


マタイという人物がどんな人であれ、イエス様にはまったく問題にならないです。


主は ありのままの彼を使うのではなく、訓練して福音と救いのために、人に仕える偉大な働きをさせるために選びました。


マタイはイエス様の招待にすぐ立ち上がってついて行きました。

ついて行ったところには取税人や罪人たちが大勢招待されて集まっていました。



彼がイエス様の招待に応じたことは、イエス様を受け入れたことを意味します。

イエス様は次のように語ったことがありました。


【マタイの福音書8章20節】

狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。

ですから イエス様に従っても、この世で成功したり、贅沢に暮らしたり、権力を得るわけでもないです。



彼がついて行ったのは、イエス様がメシヤ(救い主)であったからです。

マタイは次のように従ったことを記録してあります。


【ルカの福音書5章28節】

何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。

大きな決断をしてついて行きました。

家に帰って家族と相談したならば、主の弟子になることはなかったと思います。



イエス様は 今も「来なさい」と言われます。


【ヨハネの福音書6章37節】

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。




医者に出会ったマタイ




食事に招待されてない自分のことを信仰深くて敬虔と思っているパリサイ人たちは、イエス様が罪人と取税人と一緒に食事している様子を見て、弟子たちに質問しました。


「なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか」

それを聞いて主はこのように言いました。


「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」と言われました。


マタイは体が病気ということではないです。

しかし、心は病んでいました。



マタイの生涯には、イエス様のような方が必要でした。


イエス様は自分を必要とする人の所を訪ねます。


絶望がある所、嵐が起こる所、嘆きが聞こえて来る所、そこで声を掛けます。


【マタイの福音書11章28-29節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。


罪人たちは、だれもが深刻な病気にかかっています。


罪人たちを招いて癒し、救うためにイエス様は来て下さいました。


イエス様に出会うと、なぜ心に平安がありますか?

心の病気が癒されるからです。



収税所に座っていた時のマタイには 心の平安はありませんでした。

自分のことを見る人々の視線は まるで悪人を見るような目でしたから。


聞こえてくることばも悪口や非難しかありませんでした。


彼自身も悪いことをしている自覚はありました。

でもお金を簡単に手放すことは出来ませんでした。



しかし イエス様に出会い、主の招きを受けた時に彼は自分の人生が変わると感じました。


それがなかったならば、何もかも捨てて従うことは出来ません。

マタイは魂が救われ、心が癒されました。


そして十二弟子の1人として任命された彼は、新しく生まれ変わった人生を歩み始めました。

主の弟子として主と共に歩む人生になりました。


主に出会ったことが 彼の人生の中で、一番良かったことだと思います。

マタイの福音書は もちろんマタイが書きました。


マタイは使徒として立派に働き、選んで下さった主を喜ばせました。
ハレルヤ .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.10.7
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初めの愛を回復するために

テーマは 『 初めの愛を回復するために 』 です

【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその所から取りはずしてしまおう。

信仰生活にも定期的に点検が必要です。


なぜなら、問題があるならば早くそれを直していかないと知らぬ間に重い病気にかかって大変なことになるからです。

放置していいものと放置してはいけないものがあります。


信仰生活が無気力、無感覚になり、喜びも平安もなく、新しく実が結ばれることもなく、信仰生活そのものがしんどく、神との関係も遠くなったような気がするならば、何よりも自分とイエス様との間に問題が生じたことに気付くことです。


信仰生活のほとんどの問題は、自分と主との関係に異変が起きたからです。


それを解決して信仰を立て直していかなければなりません。



今日のことばも 本人が気付いたのではなく、主からの診断でした。


初めの愛から離れただけで 主との関係に大きな問題が生じました。

主が非難したことはそれが罪だからです。


罪じゃないと(神様が)非難することも、悔い改めなさいと言うこともありません。


信仰が回復してほしいので “悔い改めなさい” と言われました。


どのように初めの愛を回復出来るかを今日は学びます。




◎失われた初めの愛を悔い改める




初めの愛がある状態は、すべてにおいて心も思いも尽くして主と共に歩みます。

それが一番の関心で重要なことだからです。


その時は主と共にいることがとても楽しいです。

教会に行くのもとても楽しいですし、聞く耳も開かれています。


しかし、ある時から主を忘れて生活する時間が増え始め、他のことで忙しくなります。


サタンは私たちを誘惑する者ですが、あらゆる方法を使って私たちをイエス様のいない忙しい生活に導きます。


そのことに気付かせず、主との時間を減らしていきます。


心ではイエス様との時間を持つことの大切さを知っていますが、だんだんと他のことで忙しくなり、主のために時間を使わなくなります。
ここから問題が生じます。


【ヨハネの福音書15章6節】

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

イエス様にずっと とどまることが大切なのに、とどまる時間が少なくなっていきます。

他のことに心が取られたり、他のことで忙しくするようにサタンは働きます。


イエス様と分離されていると 不幸になることもよく知っているのに、仕事に縛られたり、時には自分の快楽を求めて主との交わりをおろそかにします。


生活も守っていかないといけないからと人を喜ばせたり、自分を守るためにだんだん主に対して関心が無くなっていきます。

すると主と共に過ごす時間が減るために主を失ってしまいます。


主との間に様々なものが入り込んできます。

すると信仰生活がだんだん義務的になり、つまらなくなり、喜びも無くなってきます。


それを立て直すためには悔い改めが必要です。


どこから落ちたのかを思い出して、要らないものを捨てて時間を作って神の前に出て、その方と会話をしなければなりません。


主と再び愛し合うには ずっと主から目を離さず、会話を増やさないといけないです。


すると私たちの心に主の平安、愛、いのち、力が臨むようになります。

主に対して、教会に対して、とりなしに対して、奉仕に対して無関心になったことは愛で反応していないことです。


初めの愛を回復するためには、必ず “無関心” が罪であることを悟って、無関心を捨て、主を見上げなければなりません。

面と向かってイエス様に敵対するより、主の心を痛めつけるのは主に対する無関心です。


必ず私たちはこの罪を悔い改めないといけないです。

悔い改めないと、たとえ生きているとされても死んだ状態です。

すなわち霊的死です。




◎避けたくなる十字架を負う




イエス様に従いたいならば、弟子になりたいならば、成長したいならば、自分の十字架を負わなければなりません。


イエス様は私たちを愛する心で十字架を負ってカルバリの丘に上って行きました。

その主が私たちに自分の十字架を負ってついて来なさいと言われました。


私たちが十字架を負うならば 主が共に負って下さいます。

イエス様自身が先に十字架を負いましたので、十字架の痛みを知っておられます。


主が共に負って下さらないと、私たちが倒れるので 主が共に負って下さいます。


しかし私たちは十字架を負いたくないので十字架を避けようとします。
これが主への愛が冷めるきっかけになります。


十字架を避けて楽な道を歩みたい欲望が 私たちの中にあります。

この欲望は、主から来たものではなく、サタンから来たものに気付かないといけないです。


イエス様が十字架の死を話した時に、ペテロはすぐさまイエス様を止めました。

「そんなことがあってはいけない」と。

そして十字架を負わないように勧めました。


すると主は「下がれ。サタン。」と厳しく言いました。


今も私たちに十字架を負ってはいけないと誘惑をするのはサタンです。


「楽な道を歩んだら良い。苦難はイヤだろう。重い十字架は負わなくていい。避けたらいい。」と、まるで 私たちの味方のように親切に言います。


これは甘い誘惑です。

主はそれとは違って「自分の十字架を負って私に従いなさい。」と言われました。


十字架を負うことは私たちにとって良いことです。

私たちが地上で主のために十字架を負うと、その十字架は天国への喜びに変わります。


十字架を負うことは永遠の命にかかわる重要なことです。


サタンはそれを知っています。

サタンは、十字架を負いたくないすべての人を、自分の所(地獄)に連れて行きます。


そこには十字架の苦しみと比べられない苦しみが待っています。


サタンは私たちが十字架の道を歩まないように、あらゆる手段を使います。

私たちが永遠の命も永遠の喜びも受けてほしくないからです。


主が私たちの十字架を共に負ってくださるので、私たちはその中で以前は味わったことのない霊の喜びを感じることが出来ます。


主が与えてくださる十字架には、必ず慰めと助けがあります。


その方の愛と助けを信じないと 十字架を負う気がなくなり、十字架が耐えられない苦しみに感じられます。

そうなると本当にみじめな状態になります。


十字架が来た時は「主よ。感謝します。受け入れられるように恵みを下さい。十字架を負って喜んで耐えられるように恵みを与えて下さい。」と祈り求めることです。


苦難は、主と深い交わりが出来るチャンスでもあります。

苦難の時に、私たちは主しか頼れる所がないからです。


十字架の中には豊かな実があり、栄光があります。

十字架の中に勝利と復活があります。


産みの苦しみなしに新しい命の誕生がないのと同じです。


十字架は、私のたましいを この地上から解放して天国に導く有益をもたらします。




◎勝利を与える主の力に頼ること




私たちは自分の怠けさと罪との霊的戦いをしなければなりません。

勝利に戦いはつきものです。


「面倒くさいから今のままでいいんじゃないか?」と思う人に勝利はないです。


このままではいけないと思いながらも 悩むだけで何もせず、後回しにする人は どんどん信仰が弱くなり、無気力になっていきます。
そしてサタンに支配されます。


イエス様もサタンとの激しい戦いをして勝利しました。


ですから、私たちにも勝利出来る力を与えて下さいます。

力を与えたいと願っておられます。


私たちが毎日主の名を呼び、主に頼るならば、その力を得ることが出来ます。


主は私たちを贖う方、助ける方、力を与える方です。

それに対する信頼が必要です。


私たちが主の中にとどまり、主の弟子になるならば、私たちの人生の中に命と豊かな実を結ぶように働いて下さいます。


勝利は主の中にとどまる時だけです。

イエス様は何よりも私たちが主と共にいることを願っています。

そして私たちの愛を願っています。


弟子たちは自分だけの力では勝利することは出来ませんでした。


しかし一日中イエス様のことを考え、主を愛し、主の愛から離れなかったので、自分たちの心を守ることが出来ましたし、信仰を守ることも出来、主を裏切ることもありませんでした。


自分が毎日、主の中にとどまっているのか、主を愛しているのか、主のために犠牲を払う準備が出来ているのか、負うべき十字架を負っているのか、主に対して関心があるのかなど点検してみて下さい。


そして一つ一つ悔い改めながら立て直して下さい。

私たちが自分の中にある問題点に気付いて、主との静かな時間の中で主の前に出て行くならば解決されていきます。

主の前に出ない限り、ますます状態は悪くなっていきます。


主のことばのようにやってみて下さい。
(・◇・)ゞ

2016.8.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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