からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


天国

いつでも聖霊を歓迎する

テーマは 『 いつでも聖霊を歓迎する 』 です

【使徒の働き1章1-14節】

テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、

お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。

彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。



新約聖書の四つの福音書は人間としてのイエス様の活動が詳しく書かれてあります。


その活動期間はとても短かったです。

イエス様は救いの道を完成したので、地上で活動する必要がなくなりました。


蘇った主は天に戻り、代わりに聖霊の時代が始まることを予告しました。




使徒の働きは 聖霊の時代が始まったことと聖霊の活動が記録されてあります。


聖霊を最初に受けた人たちは神の約束を信じて聖霊を待ち望んだ120名ほどの弟子たちでした。

彼らはいつ聖霊が下るかわからないまま熱心に祈っていました。


祈りながら待ち望んだ彼らはいつでも聖霊を歓迎して受け入れる準備が出来ていました。

そして五旬節の時に、突然聖霊が 集まっていた120名の上に下りました。



【使徒の働き2章1-4節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。



当時エルサレムには五旬節を祝うために世界中から多くの人々が集まっていましたが、聖霊を受けた人は聖霊を待ち望んで祈っていた人だけでした。


聖霊が下ったことによって聖霊の時代、教会の時代が始まりました。

聖霊の時代は世の終わりまで続きます。




聖霊を受けた人たちが受けた一番の祝福は何でしょうか?

異言や力とかではないです。


それは、直接と神と霊的関係を持ち、神と直接交わりが出来たことです。

人間が罪を犯す前のエデンの園では、アダムとエバは神と直接交わりが出来ました。


しかし罪を犯した後、人間の霊は死に、神は彼らをエデンの園からも追い出し、直接交わりが出来ないようにしました。

 

神の許しなしに神に近づくことも交わることも出来なくなりました。




聖霊が下って、聖霊を受けた人たちは 神様との霊的関係が回復しました。


聖霊が彼らの中で働くようになりました。

祈りながら交わりが出来ました。



イエス様の十字架の受難があるまでは、すべての人間が罪の支配下にあったので、霊的に神と断絶されていましたが、十字架の贖いの完成によって 信じる者に聖霊が働くようになりました。


信じる者に聖霊が下ることは、信仰によって霊的に義人になったので聖霊がその人のうちにとどまることが出来ます。


聖霊は 信じる者のうちに働いて、そのたましいが天国に無事に行けるように導いて下さる方です。



【ヨハネの福音書14章16-17節】

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。



聖霊が自分の中におられるならば、その人は世に属する者ではなく、キリストに属する者です。


ですから以前の生き方ではなく、御霊に従う生き方をしないといけないです。



【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。


【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。



聖霊と共に歩み、良い交わりを、聖霊の豊かな実を結ぶためにはいつも聖霊を歓迎して喜ぶことです。


聖霊に満たされた人は神との関係がよく、良い交わりをしています。

聖霊に満たされた人の中には神を恐れる心、尊敬、従順、愛、謙遜があります。



しかし信じると言いながらも 聖霊を無視したり、ないがしろにしたり、悲しませたり、侮辱したりするならば聖霊との関係は壊れます。


もしそういうものが自分にあるならば早く悔い改めることです。

そして聖霊を歓迎することです。


アーメン (・∀・)


2023.5.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

信仰の人として生きること

テーマは 『 信仰の人として生きること 』 です

【ヘブル11章6節-7節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。


信仰によって生きた人々の人生がヘブル書11章に多く出てきます。


『義人は信仰によって生きる。』と主から言われましたが、彼らの人生こそが信仰によって生きた人生でした。

時代も背景もすべて違いますが、信仰による姿勢はみんな似ていました。


彼らは神の前に自分たちの信仰を見せたので、神は彼らの信仰を認めて下さいました。

神に認められた信仰こそが本物の生きた信仰です。


自分の信仰を自慢しても 神が認めないならば、むなしい信仰、無価値な信仰になります。

自己満足に終わります。




信仰を持つならば、神が認める信仰を持つことが大切です。


信仰の土台は神のことばです。

この土台なしの信仰は砂の上に建てた家と同じで不安定ですし、この土台がある信仰は岩の上に建てた家と同じで安定しています。


神様が信仰の真価を問う時に 無価値な信仰と価値ある信仰がはっきりします。


価値ある信仰の土台はみことばですから、信仰の始まりもみことばを聞くことから始まります。



【ローマ10章17節】

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。


【ローマ10章8-10節】

では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。



この単純な福音を信じて受け入れるならば救われますし、また救われた人はこの福音を人々に伝えて、人々を救いに導かないといけないです。



【ローマ10章14-15節】

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」



すでに世の人々はあらゆる宗教を信じています。


神様はそれも知っておられます。

そこに行ってまことの神を伝えるように言われました。


多くの人は自分が神と思う存在を信じています。

その神が本物の神であるかどうかはあまり考えていないです。



ですからまことの神を教えることが重要です。

まことの神とは世界を造り、人間を創造した神です。


神が創造した「被造物が神」ではなく、それを「創造した神」こそが まことの神です。


何でも信じる信仰を神が喜ぶのではなく、まことの神を信じる信仰を神は喜びます。




福音伝道はすでに様々な神を信じる人々に伝えるので、様々な壁にぶつかります。


しかしそこでも神を信じる信仰によって大胆に伝えることです。

信仰を働かせないと挫折しますし、諦めてしまいます。


しかし魂を愛する主を信じ、神の力に頼って福音を伝える時に、神様は栄光を現して下さいます。




今イスラム世界でも福音を通して神様が力ある働きをしておられます。


5万人を導いた宣教師もいました。

神様がみわざを表わした結果でした。


他の宗教や異端でも熱心な人は多いですが、神様に その信仰が認められないと神の国に入ることは出来ないです。

その人にとってそれはどんなに辛く、後に騙されていたことで後悔をするでしょうか?



この世で真の神に出会い、その神を信じ、その信仰が認められる人こそが神の国を相続する人になります。


伝えても受け入れない人たちを見ると悲しいですが、主はこのようなことばも下さいました。



【マタイの福音書10章14-15節】

もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

アーメン (・∀・)つ


2023.4.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

仕えるべき動機

テーマは 『 仕えるべき動機 』 です

【第1ヨハネ3章16-18節】

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。


イエス様は最初から自分を無にして、仕える姿を見せて下さいました。

最後は 自分のためではなく、罪人のため、愛する者のために命まで捨てました。


命を捨てた主の十字架を見て、主の愛と犠牲、そして徹底的に仕えることが どのようなことかを少しは知ることが出来ました。

人に仕えた主は、それを通して主の愛を見せました。


そして『互いに愛し合いなさい』と新しい戒めを私たちに残して下さいました。

愛し合うことは互いに仕え合うことです。


なぜ私たちが仕えるべきなのかの動機を、主が教えて下さいました。





主が先に私たちに仕え、その恵みを私たちが受けた




私たちのために命を捨てた方が、主です。


主の愛と犠牲の恵みを一番たくさん受けた人は、“救われた人” です。


恵みをたくさん受けたならば、主と人に仕えることです。

食い逃げ犯のようになってはいけないです。




主は渡される夜、弟子たちの足を洗いました。

それは衝撃的で、あり得ないことでした。


しかし仕えるとは どのようなことかを主は見せて下さいました。


救われた者たちも主に足を洗っていただきました。

ですからその恵みを受けた者なら、人の足を洗って仕えることです。





主を愛するので仕える




主を愛すると言いながら、何一つせず、受けることしか考えないならば、それは愛のない人です。


母親は自分の子を愛するので、人から言われなくても寝ずに世話をします。

自分を犠牲にしながら子に仕えます。


もちろん父親も子を愛して、汗を流しながら働いて家族を養います。

「愛」が心と体を動かします。それが当然です。



愛すると言いながら、犠牲も仕える姿もないならば、それは偽善の愛です。


心から愛する時に、自ら主のためにも 人のためにも喜んで仕えます。


愛は決して重荷ではないです。

愛を苦しい十字架だと思う人はいないです。


主は義務で十字架を背負ったのではなく、私たちを愛しているので 自ら代わりになって十字架を負いました。





仕える者には報いがある




主のように人に仕えるならば、必ず報いを受けます。

報いがあると約束したのも主です。


マタイの福音書25章には、最後の審判が神によってなされますが、そこで裁かれる者と良い報いを受ける者が分かれます、羊と山羊が区別されました。


大きな働きをした者が良い報いを受けたのではないです。

良い報いを受けた人は愛をもって仕えた人です。


【マタイの福音書25章33-40節】

羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』


愛を持って仕えた人は自分がしたことを忘れていましたが、主はすべて覚えていて、その人に良い報いを与えました。


よく仕えた人たちが受ける最高の祝福は、 『御国を受け継ぐこと』 です。



これからも人に仕える機会はたくさんあると思います。


無関心で逃すのではなく、人に仕えて良い報いを受けるチャンスにすることです。

無駄な働きにはなりません。


アーメン (*・ω・)ノ


2023.2.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

もし大患難に残されるならば

テーマは 『 もし大患難に残されるならば 』 です

【マタイの福音書24章9-22節】

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。


『世が終わる時のしるしは、どのようなものですか』と弟子たちがイエス様に聞いた時に、主は多くのことを教えて下さいました。


戦争や飢饉や地震のことを語って下さいましたが、それらは産みの苦しみの始まりだと言われました。

これらの苦しみも相当な苦しみですが、主は本当の苦しみはここから始まると言われました。


いのちに関わる大患難があることを預言しました。

特に信じる者たちには違う迫害が始まります。




すべての人に対する迫害ではなく、クリスチャンから信仰を奪うための迫害が始まります。

あらゆる手段を使っての迫害です。


その中で、一番強力な迫害は 獣崇拝、反キリスト崇拝と獣の刻印666による迫害です。



【ヨハネの黙示録13章15-18節】

それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。


この時の迫害はとても厳しいので、耐えられない多くのクリスチャンは自分のいのちや生活のために、主への信仰を捨てて、反キリストに従うようになります。


そして主から離れさせるために人々を惑わす偽預言者が大勢現れ、それによって多くの人が惑わされます。


また多くの人の愛が冷えるので、平気に裏切り、互いに信じることが出来なくなります。

敵か味方かの区別も難しくなります。




反キリストはカリスマあふれる強力な世界の指導者として現れますので、人々はその人に魅了されます。

そして世界の問題も解決するので、世界の人々からはとても歓迎されます。


しかし、“ある時” が来ると、本性が表れ、自分を神のように崇拝するように態度を変えます。

それによって大混乱と大患難が始まります。



獣反キリスト崇拝と獣の刻印による本格的な迫害が始まります。


この大きな苦難はかつてない苦難だと主から言われました。

その日数を少なくされないと、一人も救われないと言われるほどです。




大きな苦難の中で次々とつまずいて信仰を捨てる人が多いですが、信仰を守って救われたいならば、妥協せずにいのちを捨てることです。


いのちを捨てても、信仰を守る者には永遠のいのちが与えられ、天国に入る恵みも与えられます。



【マタイの福音書18章6-9節】

しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。

もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。





悔い改めて主に立ち返り、主のことばを信じて最後まで耐え忍ぶならば救われます




【ヨハネの黙示録2章10-11節】

あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』





最後まで主を愛する者が、大きな苦難の中で救われます




主の弟子ペテロは一度主を裏切った者でした。

しかし主は彼を赦しました。


そして主はペテロに対する計画を持ってペテロを試しました。


個人的に質問をしました。

『あなたはわたしを愛していますか』と三回も聞きました。


ペテロは主を愛すると告白しました。

その告白を聞いて、主は彼の運命がどうなるかを語りました。



【ヨハネの福音書21章18-19節】

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」


主を愛したペテロは迫害を受けて殉教しました。


自分よりも主を愛する人が、主を裏切らず主に従います。


たとえ殉教しても、主は彼らに永遠の命を与え、天の御国に入らせます。




携挙されず地上に残された者でも、それですべてが終わったわけではないです。

大きな苦難がありますが、その中でも最後まで耐え忍び、信仰を守るならば、主はそのたましいを救い出して下さいます。



しかし主を捨てるならば、永遠のいのちも天国に入る恵みも与えられません。

反対に永遠の刑罰を受けるようになります。


アーメン ヽ(TдT)ノ


2023.1.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の人とはどんな人なのか

テーマは 『 神の人とはどんな人なのか 』 です

【第1テモテ6章11-14節】

しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。


信じる者には神の子どもになる特権が与えられる と聖書に書かれてあります。

しかし信じる者みんなが神の人と呼ばれることはないです。


神の人と呼ばれると、そこには特別な意味があります。

まずは神の人の特徴を見たいと思います。



神の人の特徴は、抑えることが出来ないほどの神への熱い愛と思いと献身があります。


その人たちは生きるのも死ぬのも すべて主のためです。

すべての情熱を神にむけて生きています。



ほとんどの人がスポーツや芸能人、趣味、自分の好きなことに情熱を燃やすのとは違います。


神の人は 神様への熱い思いがあるので、いつも神を切に追い求めています。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神様を慕い求めています。


他のことにはそんなに興味がないです。




また神の人は良い礼拝者です。


十字架の血に頼り、神の前にへりくだり、御霊に導かれて生活し、御霊の実を結んでいます。


ですから神様は彼らを喜び、愛し、彼らを用いて下さいます。


パウロは神に敵対した者でしたが、イエス様に出会ってから、神の人に変わりました。

そして弟子であるテモテも神の人に変わりました。



神様は、信じる者みんなが神の人になることを願っています。

今日のことばは、神の人が避けるべきこと、追い求めるべきこと、そして戦うべきことが何かを教えています。





避けるべきこと




まずは避けるべきことです。

神の真理のことば以外のものは避けることです。


魂を腐らせる間違った教え、果てしない作り話、議論、哲学などを避けることです。


そういうものに深入りすると真理から迷い出るからです。

そして高慢になるからです。



また金銭を愛することは避けることです。

金銭を愛することがあらゆる悪の根で、金銭に誘惑され信仰から離れるからです。





追い求めるべきこと




次は追い求めるべきことです。

それは、正しさと敬虔と信仰です。


正しさと敬虔と信仰に満ちた生活こそ聖霊充満な生活です。


聖霊を受けて、聖霊の導きを受けて生きる人は、自然に御霊の実を結ぶために神様が喜ぶものを求めて生きるようになります。


御霊の実を結びたい人が肉に従って歩むことはありえないです。


毎日御霊の実が結ばれるように良い種を蒔き続けます。





戦うべきこと




次は戦うべきことです。

信仰の戦いを勇敢に戦うことです。


信仰を守るために戦いが必要です。


キリスト者の生活は ゆったりとしたソファーに座って何もせずに天国に入るのではないです。


いのちの道は狭く険しいです。

天国に入るまでには多くの戦いがあります。



一度は救われた者だったのに、戦わずに信仰の破船にあった者も多いです。

パウロは信仰の破船に会った人のことも教えてくれました。


【第1テモテ1章18-20節】

私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。

その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。


避けるべきことを避けず、追い求めるべきことを求めず、戦いもしなかったので 再びサタンの手に落ちた哀れな人の姿です。

こういう人が多いことを知らないといけないです。


『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、神のみこころを行う者が入ります。



信仰を守り通した者だけが神様が備えた永遠の住まいに入ります。


信仰をもった瞬間から信仰の戦いは始まることを覚えましょう。


2022.5.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

新しいぶどう酒は新しい革袋に

テーマは 『 新しいぶどう酒は新しい革袋に 』 です

【マタイの福音書9章14-17節】

するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」

イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。

だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。

また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」


先週は『新しいことをする神様』に対して話しました。


救い主イエス様が地上に来られてなさったことはすべて新しいことでした。

それに対して、当時の人々もびっくりしました。


新しいことが好きな人には魅力的に見え、古いものに固執する人には目障りで、疑い深い人は戸惑いと疑いの気持ちが出ました。

ある者たちは受け入れずに惑わす者、悪魔だと非難しました。


救い主が来たのに、自分たちの古い考えで受け入れることが出来ず、救いのチャンスを逃しました。




しかし心を開いた人たちは 主から新しい恵みを受け、救いを受けました。


本文は特に神の選民であり、神様から律法を受けたユダヤ人に主が聞かせたいことばでした。

今も主にはその思いがあると思います。


相変わらずユダヤ人は古い革袋から抜け出ずにいます。


本文の前には色々なことがありました。

中風の人の癒し、罪の赦し、レビが選ばれた場面、罪人たちとの食事、断食のことなど、それを問題にしたパリサイ人たちが反論しました。




彼らの目にイエス様は律法破りの不敬虔なとんでもない人に見えました。

理解出来ない人に見えました。



自分たちは律法を落ち度なく必死に守っているのに、イエス様や弟子たちはそれらを平気に破っているので許せなかったと思います。


当時、宗教熱心な人たちは みんな律法主義者でした。

文字通りに律法を守り、そして聖書にも書いていない制度や形式まで作ってそれを守り、また人々にも要求しました。


守っている自分たちは義人で、守らない者は罪人だという基準も決めていました。



ですから自分たちの基準とまったく合わないイエス様を受け入れることは出来ませんでした。

イエス様の行動を見るたびに『なぜ』という思いをいつも持っていました。


パウロも元は誰よりも律法に熱心な者でしたので、イエス様に敵対しました。

消すべき人物だと認識していました。


彼らはみな古い契約に縛られ、古い革袋から抜け出ずにいました。








古い革袋は旧約です。

古いぶどう酒は動物の血です。


新しい革袋は新約です。

そして新しいぶどう酒は、新しい契約の血であるイエス様の血です。


古い契約はモーセの律法で、新しい契約はキリストと御霊の原理です。


旧約ではみんな律法の下にいましたが、キリストが来られてからは 律法の下でなく、いのちの御霊の恵みの下にいるようになりました。



【ローマ7章6節】

しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。


古い文字は律法のことです。

律法に縛られて、救い主を知ることも出来ず、迫害したパウロがそのまま生きていたならば、彼は神の国に入ることは出来なかったと思います。


本人は天国に間違いなく入ると思っていたでしょう。



ですから救われた後に、自分が固執していた古い革袋を思い切り捨てました。

そして新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生き方に変えました。


イエス様が十字架にかかって血を流したのは新しい契約のためでした。



【ルカの福音書22章20節】

食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。


ぶどう酒の意味が『わたしの血による新しい契約』の意味で使われています。

またその時にこのようにも言われました。



【マタイの福音書26章28-29節】

これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」


この地上では新しい契約のために主は血を流しました。

そして主が聖徒たちと共に新しいぶどう酒を飲む日が来ることも話して下さいました。


聖霊がすべての人に注がれることを意味するでしょう。


新しい契約によれば罪の赦しは行いでも動物の血でもなく、『 キリストの血 』 によります。








また新しい革袋は、教会の姿です。

決められた場所でしか礼拝をしなかった人たちが、霊とまことによって礼拝するようになったのもイエス様によるものでした。


古いものに執着するのではなく、福音の信仰、新しい教理、新しい思想、新しい生活様式に変えることです。


形式的に行われることを主は忌み嫌います。

律法の中にある神のみこころを悟ってみことばを行わず、形式的にみことばを守ることが間違いです。



人に見せるためではなく、神に見せるためにするのが福音の信仰です。


新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生活は、イエス様のように自分の十字架を負い、イエス様のあとに従う生活です。



自分の古い考え、自分のやり方、自分の経験ではなく、神のみこころを知り、みこころに従って歩むならば古くなることがないです。

日々新しい生活が出来ます。


新しいものをいつも入れると いつも新しくなりますが、古いものを手放さず、新しいものを拒むならば、その状態は古臭いものになります。




新しいことをする神様を経験するためには、新しい革袋ではないと無理です。


古い革袋のままの人は イエス様を知ることも救いを受けることも出来ないです。


新しい契約を信じないと永遠の命も天国も失います。

残念なことです。


アーメン (・∀・)つ


2022.4.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

天国のたとえで分別する

テーマは 『 天国のたとえで分別する 』 です

【マタイの福音書13章24-30節】

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。

それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」


【マタイの福音書13章36-40節】

それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。

畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。

毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。

ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。


このたとえの中には天国に関する重要な真実があります。

まず私たちは天国が存在する事実を知らないといけないです。


クリスチャンならば ほとんどの人は天国があることを知っています。


しかし問題は、天国があることと 天国に入ることは別問題です。

知っている者が入るのではなく、ふさわしい者が入ります。



この世は善と悪が共存しています。


神によって悪がすべて取り除かれたら一番良いですが、悪人が取り除かれたノアの時代の後も、人間は相変わらず同じ道をたどっています。


いまでも悪が取り除かれて欲しいですが、そんなことは起こっていないです。



私たちは なぜ神があらゆることを見ても、いま裁きを行わないのかを知る必要があります。


神は悪魔が今も活発に働き、社会はもちろん 神の教会の中にも悪魔が働いていることをすべてご存じです。


しかしそれを黙認しています。

そして共に住まわせています。








たとえに出てくる麦と毒麦は見た目で区別がとても難しいですが、違うものです。

麦の種は神が蒔き、毒麦の種は悪魔が蒔きました。


悪魔は何でも神の真似をして人々を惑わします。

あまりにもよく似ているので、人々が簡単に惑わされてしまいます。



神は真理を蒔きますが、悪魔は真理のように見せた 偽りの種を蒔きます。


悪魔も神のことばを使うので、真理をよく知らないと見抜くことが難しいです。



完全に実が成るまでは区別が難しいです。

早く良いものと悪いものを区別して片づけたいですが、神はそれを止めました。


理由は毒麦を抜き集めるうちに、麦も一緒に抜き取るかもしれないからです。

悪者を取り除く時に、良い人も取り除く場合があるからです。



すべてがきれいに片付くのは、世の終わりの収穫の時です。

その時までは、悪い人も良い人も共存するようにしてあります。


残念なことは毒麦の方は成長が早く、麦が育たないようにすごく邪魔をしています。

今の世の中もそうです。


毒麦の方が畑をほとんど覆うような状態になってあります。

息苦しい世の中になりました。



このような時代の中で、私たちは正しく分別しないといけないです。


行動を起こすのも難しい状況、立ち向かって戦うことも難しい状況、毒麦がやっていることを見るしかない苦しさ、時を待つしかない状況などが続いています。








毒麦の正体は何でしょうか?


世的なもの、自分の欲、サタンの誘惑、構造的な悪、あらゆる悪です。

それらが根を深く下ろしています。


ですから見えるすべての所に毒麦があります。



毒麦の悪が成長していく中で、麦として成長することは簡単なことではないです。


サタンは個人的、社会的、世界的にも堕落に導く力を持っています。

ですから多くの人がそれに惑わされ、誘惑されています。



偽りと真実、善と悪が共存する中で、自分が麦なのか毒麦なのかを知ることが大切です。

それを区別する方法です。


麦には命があります。

すなわち水と御霊によって生まれ変わった人には 命があります。


しかし毒麦には自分の罪と咎の中に死んでいるので 命がないです。



麦には謙遜がありますが、毒麦には高慢があります。

神の恵みによって自分が救われたことを知っている人が謙遜な人で、自分の義を誇る人は高慢な者です。


麦は神の愛と恵みをいつも求めますが、毒麦は世のものに一番の関心があります。


試練と患難の風が吹いて来た時に 飛ばされないならば麦、飛ばされるならば毒麦です。

すなわち中身のない殻なので飛ばされてしまいます。


教会に通う人でも形式的な信仰生活、偽りの教えに騙されている人ならば殻です。



収穫の時が来ると主が収穫を始めます。


麦と毒麦が区別され、それぞれ受けるものが違います。

このようなことが起こります。


【マタイの福音書3章12節】

手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


天国に入る人は麦です。

燃える火に投げ出されるのは毒麦であり、殻です。


これは変わらない真理です。

次の警告のことばも聞きます。


【マタイの福音書26章41節】

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」


主の収穫の時は本当に近いです。

天国に入る確信がありますか?


アーメン ヽ(TдT)ノ


2022.2.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

毅然とした信仰と勇気ある態度

テーマは 『 毅然とした信仰と勇気ある態度 』 です

【ダニエル書3章13-18節】

そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。

ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。

もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」


死の前で人間は一番弱くなります。

避けて通ることが出来ないし、命は一つしかないからです。


ですから人間は自分のいのちのためには取引にも応じます。

もちろん例外の人たちもいますが、多くの人たちは自分のいのちのために何でもします。


ここでの命は私たちの肉体のいのちです。


本文に出て来る3人は、王によって決断を迫られました。

王が造った金の像を拝んで自分のいのちを守るか、拝まないで火の燃える炉の中に入るかの選択を その場でしなければなりませんでした。


目の前に燃える火が見えます。



彼らはすでに自分たちの意思を表しましたが、それを聞いて王は怒りに燃えて、わざわざ彼らを連れて来るように命じ、もう一度彼らに決断を迫りました。


3人にとっては生きるチャンスも与えられてありました。

金の像に拝めば何も問題はなかったのです。


しかし3人はそれを拒んで死ぬ道を選びました。



こういう状況の中で、あなたならば どちらの選択をしますか?


神の選民である多くのユダヤ人は 死にたくないので神の命令を無視して、王の命令に従いました。

3人だけが残りました。


王は彼らが自分の前ならば恐れて、命令に従うと思ったかも知れないです。


しかし王は彼らの心を変えることが出来ませんでした。



彼らはまったく恐れることなく 反対に王に対して、『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。』と、はっきりと言いました。


『これは私たちと神の間の問題であって、あなたが相手ではありません。』という意味もあると思います。








神の命令に従うか、人間の命令に従うかの信仰の問題です。


こういうことは私たちの普段の生活の中にもあります。

些細なことから大きなことまで色々あります。


3人はすでに生活の中でも、神の命令に従うことを第一にしていました。


【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。


この時、ダニエルと3人の友は同じ決心をして、自分の身が汚れないようにしました。


自分たちが戦争に負けて捕虜の身になりましたが、心まで相手の奴隷にはならなかったです。


どこにいても神の選民であることを忘れず、神の命令に従いました。

本物の信仰を彼らは持っていました。



ですから神への信仰を守るために、自分のいのちを惜しまずにささげることに戸惑いはありませんでした。


『どうしたらいいですか』と神に祈りもしませんでした。

神の命令に背くことはしないと決めていたからです。


彼らは永遠のいのちも、命の主人は神であることを知っていました。



状況によって変わる信仰は、信仰ではないです。


信仰は それを貫く時に価値があります。



三人は普段より七倍も強くした火の燃える炉の中に投げ込まれましたが、彼らの毅然とした信仰と勇気を見た神は、彼らを守って髪の毛一本も燃えることがないようにしました。

このことが王にショックを与え、王はイスラエルの神に栄光をささげました。


後にダニエルも祈りを禁じた法令が新しくできたことを知っても、いつものように日に三度祈ったことで獅子の穴に投げ込まれましたが、そこでも神は彼を守って下さいました。



信仰に戦いを挑むものはいつもあります。


自分でいのちも生活も守ろうとするならば、簡単に妥協の道を選びます。


一瞬悩むとは思いますが、都合の良い言い訳を見つけては神の命令に背きます。

妥協することは信仰を守る態度ではないです。



信仰には妥協がないので、3人はいのちを懸けました。


毅然とした信仰と勇気ある人たちが使うことばは いつも信仰のことば、肯定的なことば、大胆なことば、感謝のことばです。


普段からもある程度、使うことばによって信仰があるかないかの分別が出来ます。

信仰ある人の生活スタイルは次の聖句にある生活です。


【第1テサロニケ5章16-18節】

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。


さらに しっかりした基準も持っています。

神を喜ばせることと、神のことばに従うことを優先にします。


ですから 彼らの信仰には迷い、疑い、恐れ、不従順がありません。

神の目はいつもこのような人たちを見ています。


そして神の御手の中で守って下さり、天国は彼らのために用意されてあります。



妥協するようにと誘惑するものが今の時代たくさんあります。

目を覚まして正しく分別して信仰を守りましょう。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.2.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

なぜ悔い改めが必要なのか

テーマは 『 なぜ悔い改めが必要なのか 』 です

【ルカの福音書3章3-9節】

そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。

すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。

こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」

それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」


イエス・キリストが公の活動を始める前に遣わされた人物が バプテスマのヨハネでした。


彼が来ることはイザヤ預言者によって、ヨハネが生まれる700年前に預言されました。



【イザヤ書40章3-5節】

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」


ヨハネが生まれるまでの400年間は 預言者もなく、主からのことばもありませんでした。

空白の時間の後に 神はヨハネを遣わして、メシアである主の道を用意させました。


悔い改めてメシアを信じる心の準備をさせていました。



ヨハネが口を開いて語った最初のメッセージは『悔い改めと天国』でした。

悔い改めのメッセージは、当時のイスラエルの人々に一番必要なメッセージでした。


なぜなら彼らの宗教生活は偽善的、形式的だったからです。

メッセージの中心は常に『悔い改めなさい。天の御国が近づいた。』でした。



悔い改めにとって一番優先されることは、自分の罪に気付くことです。


罪によって私たちの心は汚れた心、荒れ地、いばらの心になっていました。

谷や山、丘、曲がった所、でこぼこ道などはすべて人間の心の状態です。


高慢な心、とがった性格、罪によって邪悪になった心では救われることが出来ないので、まず悔い改めて罪から離れて主に立ち返らないといけないです。


長いキリスト教歴史の中で すべての霊的覚醒、リバイバルは悔い改めから始まりました。

悔い改めは罪赦されるための条件です。



【マルコの福音書1章4節】

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。


【使徒の働き2章38節】

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。


【使徒の働き19章4節】

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。


ヨハネのメッセージは 悔い改めと天国に焦点を合わせていたので、とても強力で印象的でした。


ですから偽善的な宗教指導者たちの偽善を憎みました。

それでその人たちには『まむしのすえたち。』と言いました。



悔い改めることもなく、儀式的な宗教生活では天国に入ることは出来ないです。

天国どころか 神のさばきに会います。


悔い改めは、ただ口と心だけで済むものではなく、悔い改めにふさわしい実を結ばないと意味がないです。

行いがないと実が結ばれることはないです。



【マタイの福音書21章43節】

だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。


【使徒の働き26章20節】

ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。


自分の罪を自覚して神の前で罪を悔い改めるならば 罪赦され、御国の民になり、天国に入れますが、悔い改めることもなく、罪を持ったままでは神のさばきに会い、地獄へ行くしかないです。


これは神からのことばであって、人間のことばではないです。


アーメン (´;ω;`)


2021.10.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

名が天に記されている喜び

テーマは 『 名が天に記されている喜び 』 です

【ルカの福音書10章17-20節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」


イエス様は70人の弟子たちに力を授け、彼らに福音を伝える任務を与えて遣わしました。

そして弟子たちはその力によって素晴らしい働きをし、帰ってきて喜びながら主に報告しました。


悪霊どもさえ服従することを見て、彼らは相当喜んだと思います。

私たちが出て行ってその働きをしても、同じように興奮して誰かにそれを伝えたと思います。


しかし主は、その喜びよりも さらに喜ぶべきものがあると言われました。

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



主のことばのように私たちが一番喜ばないといけないことは、いのちの書に自分の名が書き記されていることです。


いのちの書に名が書き記される人は、小羊であるイエス・キリストを通して救われた神の民です。


悔い改めと信仰によって救われ、最後まで信仰を守った人がいのちの書に名が書き記されます。





いのちの書、行いの書、真理の書




天には数々の書物があると聖書に書かれていますが、代表的な書物は三つあります。

いのちの書、行いの書、そして真理の書です。


【ダニエル書10章21節】

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。


真理の書には歴史における神の計画が記されていると思われます。



【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


いのちの書に名の記されている人は、神のさばきに会うことがありません。

その者は神の国で永遠に生きることが許されますが、いのちの書に名の記されていない人は永遠の地獄に行きます。


【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


聖書には、いのちの書に関して難解な部分もあります。


いのちの書に記された名が消されることもあるのか? と。

ある人たちは「ある」と言いますし、ある人たちは「絶対ない」と言います。


聖書のある箇所を読むと、消されることがあるように思われますし、ある部分を読むとそんなことはないように思われるからです。



どの人間も聖書のことばを完璧に理解することは出来ないです。

理解出来る部分と、出来ない部分があります。


救いは “神の恵み” であり、私たちに救われる資格があったから救われたのではないです。


行いではなく信仰によって救いを受けます。


ですから罪を犯したから救いが消されることはないと思います。

罪を犯した後でも悔い改めるならば罪が赦されます。







しかし、私たちが信仰によって救われたのに、その信仰を自ら捨てるならば話は違うと思います。


信じた者が堕落して、神への信仰を捨て、他の神々を信じるならば、それでもその者は天国に行けるでしょうか?

不信仰になって あらゆる悪を行う者に対して、神はその名をいのちの書にそのまま記しているでしょうか?


公義を行う神にそれは出来ないと思います。



本当に救われた人なら、神への信仰を捨てることは出来ないです。


しかし、信仰よりも “宗教をやって形式的” になっている人は 救われてもいないのに、「自分は救われた」と勘違いしていると思います。


次の聖書の箇所を深く考えてみて下さい。

消されることは絶対ないと思うより、消されることがあるかも知れないから、そうならないように信仰によって生きる者になりましょう。



【出エジプト記32章32-33節】

今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。


【詩篇69章28節】

彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。


【イザヤ書4章3節】

シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。


【ダニエル書12章1-2節】

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


ヨハネの黙示録の中にはいのちの書に対して書かれた箇所が色々あります。


【ヨハネの黙示録13章8節】

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


【ヨハネの黙示録17章8節】

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。


【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


【ヨハネの黙示録20章15節】

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


【ヨハネの黙示録21章27節】

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

いのちの書に名の記されている者は必ず神の国に入るので、それが一番の喜びです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.7.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ