からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


報い

仕えるべき動機

テーマは 『 仕えるべき動機 』 です

【第1ヨハネ3章16-18節】

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。


イエス様は最初から自分を無にして、仕える姿を見せて下さいました。

最後は 自分のためではなく、罪人のため、愛する者のために命まで捨てました。


命を捨てた主の十字架を見て、主の愛と犠牲、そして徹底的に仕えることが どのようなことかを少しは知ることが出来ました。

人に仕えた主は、それを通して主の愛を見せました。


そして『互いに愛し合いなさい』と新しい戒めを私たちに残して下さいました。

愛し合うことは互いに仕え合うことです。


なぜ私たちが仕えるべきなのかの動機を、主が教えて下さいました。





主が先に私たちに仕え、その恵みを私たちが受けた




私たちのために命を捨てた方が、主です。


主の愛と犠牲の恵みを一番たくさん受けた人は、“救われた人” です。


恵みをたくさん受けたならば、主と人に仕えることです。

食い逃げ犯のようになってはいけないです。




主は渡される夜、弟子たちの足を洗いました。

それは衝撃的で、あり得ないことでした。


しかし仕えるとは どのようなことかを主は見せて下さいました。


救われた者たちも主に足を洗っていただきました。

ですからその恵みを受けた者なら、人の足を洗って仕えることです。





主を愛するので仕える




主を愛すると言いながら、何一つせず、受けることしか考えないならば、それは愛のない人です。


母親は自分の子を愛するので、人から言われなくても寝ずに世話をします。

自分を犠牲にしながら子に仕えます。


もちろん父親も子を愛して、汗を流しながら働いて家族を養います。

「愛」が心と体を動かします。それが当然です。



愛すると言いながら、犠牲も仕える姿もないならば、それは偽善の愛です。


心から愛する時に、自ら主のためにも 人のためにも喜んで仕えます。


愛は決して重荷ではないです。

愛を苦しい十字架だと思う人はいないです。


主は義務で十字架を背負ったのではなく、私たちを愛しているので 自ら代わりになって十字架を負いました。





仕える者には報いがある




主のように人に仕えるならば、必ず報いを受けます。

報いがあると約束したのも主です。


マタイの福音書25章には、最後の審判が神によってなされますが、そこで裁かれる者と良い報いを受ける者が分かれます、羊と山羊が区別されました。


大きな働きをした者が良い報いを受けたのではないです。

良い報いを受けた人は愛をもって仕えた人です。


【マタイの福音書25章33-40節】

羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』


愛を持って仕えた人は自分がしたことを忘れていましたが、主はすべて覚えていて、その人に良い報いを与えました。


よく仕えた人たちが受ける最高の祝福は、 『御国を受け継ぐこと』 です。



これからも人に仕える機会はたくさんあると思います。


無関心で逃すのではなく、人に仕えて良い報いを受けるチャンスにすることです。

無駄な働きにはなりません。


アーメン (*・ω・)ノ


2023.2.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の足し算

テーマは 『 神の足し算 』 です

【マタイの福音書19章27-29節】

そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」

そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

先週は神の引き算について学びました。

私たちの中から肉のものを取り除く神の引き算は、私たちを祝福するためのものであることを学びました。


神は引き算の後に、足し算を始めます。

どのような足し算をなさるのかを今回は見たいと思います。



本文でペテロは「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」と質問しました。


弟子たちは未来の保証と何らかの報いが欲しかったです。

何も得るものがないならば、悲惨な人生になりますね。


主は彼らに明確に何が与えられるかを語って下さいました。



神が私たちに与えて下さるのが “神の足し算” です。

神が下さらないと得られないものが色々あります。


ですから、引き算をする神は 足し算もします。


質問を受けた主は、弟子たちに未来の保証になることばを明確に語りました。


どのようなものが与えられるのかを見たいと思います。

神の足し算の内容です。




人の子が栄光の座に着く時、彼らも十二の座に着いて、イスラエルの十二部族をさばく




弟子たちはこの時、これを霊的に考えたのではなく、世的に考えました。

すなわち主が イスラエルの王になった時に、自分たちも良い地位に就くと思っていたでしょう。


しかし主が与えるものは はるかに価値あるものでした。


主の最後のさばきの時に従って来た者たちも、裁判官としての権威と役割を与えると約束しました。

さばかれる立場ではなく、裁く立場です。


自分たちを苦しめ、迫害した者たちを立場が変わってさばくことは何と素晴らしいことでしょうか。


【ルカの福音書22章28-30節】

けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

【第1コリント6章2節】

あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

【ヨハネの黙示録2章26-27節】

勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。

彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。



世のものも豊かに祝福して下さる




捨てた者はその幾倍をも受けると約束しました。

別の福音書のことばにもあります。


【マルコの福音書10章29-30節】

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、

その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

“幾倍” も “百倍” も満ち溢れることを意味します。

この祝福は迫害と共に受けます。


ものやお金があり余ることが満ち溢れることではないです。


必要なものが必要な時に与えられることが満ち足りる祝福です。


【ピリピ4章17-18節】

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。



永遠のいのち



永遠のいのちは神の御国で生きるために得るものですから、御国を相続する祝福もあります。


自分のいのちを捨てた時に、神はそこに永遠のいのちを注ぎます。


物質よりも はるかに価値ある永遠のいのち、神の足し算で最高のものです。


人間が罪を犯して失ってしまった永遠のいのちを 神を信じる者、主のためにいのちを捨てた者たちに与えて下さいます。


【ローマ2章7-8節】

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

【マタイの福音書18章9節】

また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

永遠のいのちは神の国に入る者に与えられます。



永遠のいのちがない人は永遠の死がある地獄に行きます。

地獄ほど悲惨な場所はないです。


そこに行った人たちが一番欲しがるものは何でしょうか?

永遠のいのちだと思います。



神はもっとも大切なものを迫害されても信じて従う者たちに与えて下さいます。


神の足し算の中にあるものはすべて私たちにとって最も価値あり大切なものです。


価値のない小さいものが与えられていないからと言ってつぶやく人は愚かな人です。

無知な人であり、神のみこころを知らない人です。


最も大切なものを先に受け取らないといけないです。


他のものは神が必要に応じて、必要な時に与えて下さるので忍耐して待つことです。
アーメン ( ・Д・)


2020.2.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

信仰の人、義人の道

テーマは 『 信仰の人、義人の道 』 です

【詩篇1編1-3節】

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に 着かなかった、その人。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

今の時代は信仰のない時代です。

信仰のない時代だからこそ、主は信仰ある人を求めておられます。


義人を捜しても義人を見つけることが難しいので、主は義人を求めています。


私たちは神の前に信仰ある人でしょうか?

義人の道を歩んでいる人でしょうか?



信仰ある人は神がおられることを認めます。

そして心に 神を主人として迎え入れ、真剣な心で主の御前に出て行きます。


真剣に神を求める人に神は報いを与えて下さいます。


信仰は、唯一の神だけを求め、その神を信じ、その神に従って生きます。


宗教心と信仰を間違ってはいけないです。

宗教心のある人は多いが、神が認める信仰の人はあまりいません。


信仰がないならば、どんなに熱心に生きたとしても、神に認められることも、神の国に入ることも出来ません。



信仰の人こそが義人です。

神が認める義人です。


そして信仰の人は義人の道を歩みます。


信仰の人は幸いな人であり、義人の道を歩む人は幸いな人です。



義人の道と悪者の道はまったく違います。


義人が立ち上がると社会は明るいですが、悪者が立ち上がると社会が暗いです。



社会はどんどん光を失って、さらに暗くなってきました。

罪によって染まった社会に必要なのは悪人ではなく、義人です。


義人の光が、真理の光が必要です。



義人は悪者のはかりごとに歩まず、主のみこころに従って歩みます。

罪人の道に立たず、みことばの上に堅く立って、その教えを喜びとして歩みます。


真理の光に導かれて歩みます。


義人は嘲る者と歩まず、神と共に歩みながら神中心、神に栄光をささげる人生を歩みます。



信仰のない この世で、信仰によって生き、信仰によって働き、光として輝く義人を 主は求めます。


そしてその人に良い報いを与えて下さいます。

豊かな実を結ぶ人生になるように、助けて下さいます。


信仰の人、義人の道を歩む人を目標にして歩みましょう。
アーメン (・∀・)


2018.11.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

実を結ばない者にならないために

テーマは 『 実を結ばない者にならないために 』 です

【テトス3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。

神様が私たちの罪を赦して下さったのも たましいを救って下さったのも、私たちが良い実を結んで神に栄光をささげる者にするためです。


もちろん私たち自身も良い実を結ぶことで神にほめられ、神様から素晴らしい報いを受けます。


神様は私たちがどんなにきれいごとを言っても、へつらいのことばを使っても、それに惑わされる方ではなく、私たちが結んだ実を見て、私たちが何者なのかを評価します。


主から恵みを受けながらも、良い実を結んでいない人に対しては、厳しいさばきしかないので注意しなければなりません。


テトス3章では、実を結ばない者にならないためにはどうすべきかを教えています。




従順する者になる




救われていない時は 神が期待するような実はありませんでした。

その時の状態が悪かったからです。


【テトス3章3節】

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎しみ合う者でした。

良い実を結ぶことが到底出来ない状態でした。


ですから実を結ぶために、神のことばに従順する者になれば、自然と良い実、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


以前の生き方を変えないならば、良い実を結ぶことは不可能です。




すべての良いわざを進んでする




良いわざに励むことを心がけるようにすることです。


【テトス3章1節】

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

【テトス3章8節】

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

【テトス2章7節】

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり

主は信じる者たちに対して次のように語りました。


【マタイの福音書5章13節、14節】

地の塩です。世界の光です

と言われました。

また、このようにも語っています。


【マタイの福音書5章16節】

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

良いわざに励んだ模範的な人がいました。

その人はコルネリオという百人隊長です。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

【使徒の働き10章22節】 には “ユダヤ全国民に評判の良い人” と評価された人です。

神の目に留まった良いわざを行っていた人でした。


神はわざわざペテロを送って彼を祝福しました。

ユダヤ全国民に評判が良いとはすごいことです。




すべての人に優しい態度を示す者になる




【テトス3章2節】

また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

残念ながら、私たちは まだまだこういう態度が足りないです。


古い人が出てくる時が多いし、優しく出来ない時も多いです。

ですから、努力して自分自身の態度を変えていかなければなりません。


心の中にある苦い根と雑草を取り除いて 心の畑を良い地にしない限り、良い実を結ぶことは出来ないと思います。




無益でむだなものを避けること




口数が多ければ多いほど、高慢であればあるほど、無益でむだなことに時間を使います。


聖書では無益な例をあげています。

『 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争、空想話、悪口、噂話 』


これらのことを避けて、良いわざに励む時に 主が期待する実を結ぶことが出来ます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.8.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

善を行いなさい

八戸ノ里キリスト教会より ワンコイン英会話教室のお知らせ

english

テーマは 『 善を行いなさい 』 です

【詩篇37編3節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

善と悪が混在している世界の中で生きていますが、今の時代は 善と悪の区別も曖昧になり、良い価値観が低下しているのを肌で感じています。

“善を悪” と言い、“悪を善” と言う時代になりました。


しかしクリスチャンは、永遠に変わらない神のことばの基準によって 生きる価値観をしっかり持たないといけないです。


悪を行う人の価値観は、呪われる “快楽” を “価値あるもの” と思います。

一時的で、不完全で、むなしいものを、最高の価値と思って追求します。


しかし善を行う人は、永遠の真理といのち、まことの天の喜びを最高の価値と思って追求します。


人は自分が蒔いたものをいつか必ず刈り取ります。

それは神が決めた法則ですから、神はみことばで注意を与えておられます。


今回は「善を行いなさい」と言われたことばを学び、恵みを受けたいと思います。




主に信頼して善を行いなさい




信仰ある人が 主に信頼することは、基本中の基本です。

信頼というのは、主にぶら下がっている状態です。


ですから主を敬い、主に信頼する中での善を行わなければならないです。

主から離れた善は、主の目には決して善にはなりません。


主から離れても良いことをする人はいます。

良いことではあっても、それを善とは言えません。


いつも主にあって善を行うようにすることです。


このことは主が喜ぶことなのかを考えるならば、答えが出てきます。




忍耐をもって善を行いなさい




【ローマ2章7節】

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

イエス様は私たちに善を行った方でした。

どのような心で善を行ったでしょうか。


【イザヤ書42章3節】

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

このような あわれみ深い心で、人々に善を行いました。


形式的にする人は、忍耐しながら善を行うことが出来ません。


しかし憐れみと愛の心がある人だけが、忍耐しながら人々に善を行うことが出来ます。

善を行うことは、人が不足している杯を満たすようなものです。


ダビデは主からの恵みをこのように表現しました。


【詩篇23編5節】

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

主が私たちの杯を恵みで満たして下さるので、私たちも持っているもので 人の杯を満たしていくのが善です。


そして、いつも善を行うことが出来るように、「主よ。今日も私の杯を満たして下さい。」と祈ることも良いと思います。




善は主に喜ばれることであり、
勝利の道であり、報いもすばらしい




【第1ペテロ2章20節】

罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

何をしたら主に喜ばれるのかと考えている人がいるならば、善を行うことが主に喜ばれることです。


【ローマ12章21節】

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

善を行う者と悪を行う者への報いが どれほど違うか が書かれています。


【ローマ2章9-10節】

患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、

栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。



主からの勧めのことば




【ガラテヤ6章9-10節】

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。

人に対して関心をもって善を行いましょう。
アーメン (*´ -`)(´- `*)


2018.7.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

なぜなのか

テーマは 『 なぜなのか 』 です

【ヨハネの福音書1章29節】

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

昔よく聴いていた福音聖歌がありました。

「誰が知っているのか。主の心を~」 この歌詞から歌が始まりました。


何十年も主を信じていますが、未だに主の心がわかりません。


なぜ被造物である人間を これほどまでに愛して惜しんでいるのか、主の心が分かりません。


罪を犯した人間が、その報いとして死んで滅びることは当然なのに、なぜ罪を犯したことのない神の子イエス様に人間の罪を背負わせたのか ――


アダムとエバが罪を犯した時に、彼らを滅ぼして、新しい人間と世界を造れば良かったのに、なぜ彼らを生かして、その時から神の子を犠牲にする計画を立てたのか。


次の箇所でダビデもこのように語りました。


【詩篇8編4節】

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

全知全能なる力ある神が、取るに足りないちっぽけな人間のために、なぜ神の子イエス様をあのむごい十字架につけたのか、いまだに全ては理解出来ないです。


私たちが一体 何者だから、イエス様が来られて罪を取り除き、救いの道を与え、救われた者に「神の子になる特権」を与えたのかわかりません。

神の子を殺した犯罪者なのに。


また、自分に小さなあやまちを犯した1人の人間に対しても、敵意をむき出しにするほど とんでもない者に対して、なぜ神は我慢が出来るのか、理解が出来ないです。


誰よりも知恵がある方なのに、時には愚かな方法を わざわざ選ぶ神に、「なぜですか?」と理解が出来ないです。

神の心がわからないです。


人間は自分を知恵ある者と思い、その知恵を高らかに誇るのに。

なぜ神は愚かな者のようにふるまうでしょうか。


私のような人間になぜ恵みを注いでおられるのかわからないです。


「なぜですか?」だらけの主の恵みを、当たり前のように受けてはいけないですね。


私たちは、主に対して返すことが出来ないたくさんの負債があります。


ただ主に感謝をささげること、そして主の恵みを何一つ忘れないことです。

アーメン (*´ -`)(´- `*)


2018.4.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

忠実なしもべと悪いしもべ

テーマは 『 忠実なしもべと悪いしもべ 』 です

【マタイの福音書24章44-51節】

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。

主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。

ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、

その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、

そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。

そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

本文は、主の再臨と 世の終わりに起こることを語る中で 出てきた話です。

重要な内容です。


自分たちがどのように評価され、どのような報いを受けるかに耳を傾けないといけないです。


主の再臨まで しもべたちは評価されませんでした。

しかし再臨があると、各自の働きに対する 主の評価が下されます。



そこで忠実なしもべと 悪いしもべが分かれます。

そして それにふさわしい報いも与えられます。


主は 正確に敏速に評価を下します。

誰が忠実なしもべで、誰が悪いしもべであると語ったでしょうか?




忠実なしもべ とは




食事の時には、食事をきちんと与えるしもべです。


本文の しもべ は、聖徒たちを 神のみことばで養う 教会の指導者です。

次の箇所では、しもべを “管理人” とも言われました。


【ルカの福音書12章42節】

主は言われた。「では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれでしょう。

主はまず、指導者から調べます。


忠実なしもべとは、食事時には聖徒たちに食事をきちんと与えるしもべです。


すなわち聖徒たちに 霊の糧である “神のことば” を食事時にいつも与えるしもべです。



そのために指導者が備えないといけない 2つの大切なことは、“忠実と知恵” です。


【第1コリント4章2節】

この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

【コロサイ3章16節】

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

テモテの手紙は “牧会書簡” と言われますが、パウロは教会の指導者であるテモテに色々とアドバイスしました。

そこでも霊の糧を与えることの重要さを教えました。


【第2テモテ2章2節】

多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい

【第2テモテ2章15節】

あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。

神のことばで聖徒たちを正しく教え、指導するしもべが忠実なしもべで、神はそのしもべを喜びます。



主人の立場から見ると、任された働きを忠実に行うことほど 嬉しいことはないです。


神のことばは 魂を生き返らせ、信仰を育て、神を知るために なくてはならないものですから、忠実なしもべはそれをし続けます。


また忠実で知恵ある聖徒は その教えを喜び、日々その教えを守りながら成長します。




悪いしもべ とは




悪いしもべの心には、ある思いがありました。

それは「主人はまだまだ帰るまい」という思いです。


それは、間違えた思いですが、本人はそれに対して確信を持っています。

そして自分が管理人である使命も忘れていました。


ですから 自分に任されたことに不忠実だけでなく、任されたことに忠実なしもべたちを妬み、攻撃したり、妨害しました。


主人の財産を勝手に使ったり、自分の欲のために使いました。

食事時にきちんと食事を与えることがありません。


悪いしもべが聖徒に与えるものは 神のことばよりは世間話、人間の教え、曲がった教えが多いです。



(パウロは)テモテに対しても、そういう者にならないように注意を与えました。


【第2テモテ2章16-18節】

俗悪なむだ話を避けなさい。人々はそれによってますます不敬虔に深入りし、

彼らの話は癌のように広がるのです。ヒメナオとピレトはその仲間です。

彼らは真理からはずれてしまい、復活がすでに起こったと言って、ある人々の信仰をくつがえしているのです。

神のことばを正しく語らない悪いしもべが大勢います。

しかし彼らは、いつまでも働きをしていますし、大きな教会をやっている人もいます。


それを見て、“神のしもべ” だと評価する人も多いですが、神は彼らを “悪いなまけたしもべ” と呼びます。

そして彼らに対して、とても厳しい裁きを下します。


人が集まるので指導者は自分を “悪いしもべ” だと思わないかも知れません。


しかし、なぜ悪いしもべの所に人が集まって来るでしょうか?

その人たちの教えを喜んで聞く人たちが存在するからです。


霊的なことに無知な人たちが惑わされて その教えを聞きます。


【第2テモテ4章3-4節】

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

この人たちの将来はどうなるでしょうか?

霊のききんに遭います。


みことばがないので、その信仰生活に聖霊の働きはありません。


まるで摂取障害にかかった人のように、指導者も聖徒たちも みことばを食べないので栄養失調になります。

その信仰は生きた信仰ではないです。


みことばを正しく教えず、聖徒たちを飢え死にさせるような しもべは、主人から厳しい処分を受けます。



聖徒たちも真理から耳をそむけて、脇道にそれるならば、惑わしの霊の奴隷にされ 悲惨な目に遭います。


主は忠実なしもべを探しています。
決して悪いしもべではありません。


目を覚まして、自分たちは 忠実な管理人としての働きをしているかを調べてみて下さい。


間違った確信や錯覚で 恵みから落ちることがないようにしましょう。
アーメン ヽ(TдT)ノ


2017.12.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人への施し

ハレルヤ。

今日もすべてが守られる一日になりますように祈ります。


使徒の働き10章にはイタリヤ隊という部隊の百人隊長コルネリオという人物が出てきます。


ある時、彼が祈っている時に、幻の中ではっきりと神の御使いをみました。

御使いは彼に言いました。


「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って覚えられています。」

これは何を意味するでしょうか?


コルネリオの祈りと施しが 神の喜ぶ行為であったことを神が認め、それを受け入れたことを意味します。


祈りは 神を愛し、信頼するところから始めないといけないです。

コルネリオの祈りには、神への愛と信頼がありました。


自分の欲を満たすための祈りではなく、神を愛するので神とともにいる時間が大切でした。

いつも神に祈りをしていました。


神はそのような祈りに耳を傾けます。


しかし神にとって何の意味もない祈りもあります。

祈る人が神に向けて祈らない祈りです。


【マタイの福音書6章5-6節】

また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父があなたに報いてくださいます。

祈りが 人に見せるため、自分の欲を満たすためであるならば、その祈りは神に届かない祈りです。


祈ったのに何も答えがないと言う前に、自分の祈りが 神に覚えられる祈りであったかを真剣に考えてみることです。


また施しは、人を愛する心がないと出来ないです。

よく施しをする人は人間関係も良いです。


神様が私たちに “与えなさい” と言われるのは、人を愛する心を私たちが持って欲しいことと、施しは神が喜ぶ良いことだからです。

愛すると言いながらも、何も与えないなら愛していないことです。


何の犠牲もないリップサービスだけで済ませることは神と人を騙す行為です。


また施しをしても、神に受け入れられない施しもあります。


【マタイの福音書6章1-4節】

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。


あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父があなたに報いてくださいます。


コルネリオの施しは、人に見せるため、またほめられたくてした施しではなく、人を愛してした施しだったので 神が喜んで受け入れて下さいました。


そして彼に良い報いを与えて下さいました。

使徒ペテロを彼に送り、聖霊を注ぎ、罪を赦し、水のバプテスマも授けました。


それは、彼を神の民として受け入れて下さったことです。

その時代の異邦人に対しては破格的な出来事でした。
(=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2016.1.15
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

報いを期待する

テーマは『 報いを期待する 』です

【Ⅱテモテ2章3-7節】

最近はオリンピックの特集がありますが、そこで選手たちの姿が出てきます。(※2012.7.22現在)
参加する全員がメダルを取るのが目的です。朝から晩まで極限の状態になるまで訓練を受けています。
緊張感もある中、4年毎の大会のためにそれを狙って彼らが練習をします。
自分が一生懸命練習した報いを受け、良いものをたくさん受けることができます。

クリスチャンも同じ姿だと言っています。

――  兵 士  ――

韓国の若い男の人たちは軍隊に入隊します。それは逃げることができないです。
学生であっても、お金を稼いでいた人でも2年間は、家族、友達、知り合いから離れなければならないです。
親が亡くなったとしても、行くことができません。体調が悪くても言い訳が通らないです。
1秒でも遅れると全体に責任が負わされます。入隊が1日違うだけで、年齢関係なく早い方が上になります。
完全に命令に従順であります。軍隊とはそういうものです。

私たち、クリスチャンは誰に召されたでしょうか? イエス・キリストです。
イエス様がある意味でトップの司令官であります。その命令に従わないことは命取りになります。
軍隊ならば、命令に従わなければ殺しても良いことになってあります。

軍隊に入るまでは、自分のために生きていた者が、入った後は、優先順位が「国」に変わります。
「国のためには命を棄てます」となり、「恐くて行けない」とは言えません。
そこで死ぬのがわかっていても「行きなさい」と言われたら行くのが「兵士」であります。

私たちも、自分を呼んでくださった方を喜ばせなければならないです。
神様の命令に不従順して、自分がやりたいことをするならば(神様から)追い出されていきます。

追い出されると、自分が餌食になります。
ですから「キリストの兵士である認識を持ちなさい」とおっしゃられます。
自分達が今まで持っていた、いらない物を捨てる訓練が必要になります。

私たちが厳しい訓練を通ると、神様が認めてくださいます。そしてその者たちを喜んで祝福します。
神様には祝福が必ずあります。

――  選 手  ――

選手は皆、勝利を願います。選手になるものは遊びではないです。趣味ではなく、
選手ということは、必ず結果を出さなければならないです。
訓練を受ける理由は「勝ちたい」ということで、勝ってその勝利を得て喜びたい。
しかし、訓練を受けずに選手生活はできないです。

クリスチャンは実際にそこで走る選手であります。勝利を願って走らなければならないです。
しかし、ただ熱心に走れば良いかというと、そうではありません。
運動の選手であれば、そのルールがあります。それに反すればメダルを取った後でも取り上げられます。
時々ルールが変わることがありますので、それをしっかり理解しなければならないです。
ですので、(クリスチャンも)正しく戦わなければならないです。

神様が私たちに訓練をさせるのも、みことばを色々与えるのも、これは規則であります。
「この規則通りにしなさい」ということです。

選手は知識だけでは戦えないです。実際に身体を動かしてみないと訓練にならないことであります。
競技をしている間は、100%そこに全ての想いと力と精神を注がないと、力が出て来ないです。
もし力を出し切れなければ、負けた時に後悔が残ります。

クリスチャンはとても不思議なもので、
自分が神様から祝福されたい、変わりたい、勝利したいと願いながらも、願いは強いですが、努力をしないです。

このようにしたら祝福され、変わり、勝利されると神様が語る言葉がありますが、
「しんどい、難しい」。このような言葉を聞きます。言い訳をして何もしないです。
訓練というものをとても嫌います。だから何も得られません。

兵士、選手、農夫の姿を見なさい、と。彼らは願いが強いだけではなく、努力をしているのです。
そして戦っています。
だけど、あなたたちは願いが強いだけで、肉体が弱いと言ってすぐに逃げ込みます。
口を開いて、(恵みが)落ちてくることを待ちますが、何も落ちてこないです。

神様だったら誰に恵みを与えると思いますか?
願いが強く、それの為に一生懸命努力する人に、神様は当たり前のように与えます。
その人が本気だからです。
本気とは、集中することであります。そこに全てを注ぎます。

目、時間、能力を注ぎ、それだけをします。そうすると報いがあります。

ですが、努力をしない、忍耐をしない、願いだけが一人前。
「あの人は良いな。何であの人ばかり受けているのか。私は無いな」と、
でもその人はそれだけ努力をして訓練を受け、そして神様のルールを守るから栄光を受けます。

神様は私たちに栄光を与えたいと願っています。神様はただ、奴隷のように働かせるのではないです。
私たちは子どもです。良くなって欲しいと思っていますが、しかし、甘やかすことはしないです。
一人前になって欲しいと願っておられます。 

――  農 夫  ――

ただの農夫ではなく、労苦をした農夫です。
神様は、クリスチャンは農夫である、と語りました。
キリストを信じる農夫が収穫の喜びを味わって欲しいと願っておられます。
この農夫の姿で感じることは「勤勉」であります。毎日、毎日 早い時間に畑に出ていきます。
そこで暑くても種を蒔き、雑草を抜きます。
多くの労苦が必要であります。ですが、そこで実を収穫する喜びがあるので、それが出来ます。
豊かな収穫を得るために、毎日汗を流しながら農夫は働きます。

神様はタダで報いを与えることはしません。「あなたの畑はどうなっているのか?」
「あなたは選手としてどういう働きをしたのか?」、「あなたは兵士としてどういう戦いをしたのか?」
「農夫として勤勉に何を蒔いたのか?」

【Ⅱテモテ2章9-10節】

自分をそこに投資をした「献身」であります。献身は、言葉での献身ではないです。
自分自身の人生をそこに完全に捧げた姿です。
神学校に行くのが献身ではないです。学びをするために行くことであって、
自分を捧げたことにはならないです。

神学校へ行かなくても、自分自身を神様の兵士として、選手として、農夫として全部捧げるなら、
それが献身になります。

もう1つ必要なものがあります。「忍耐」であります。
兵士も選手も農夫も 忍耐がないとできません。楽な道は1つもないです。ある意味休みがないです。
その人達は必ず栄光・収穫を受けます。そして自分の人生が成功していきます。
神様が認めてくださり、喜んでくださいます。ですから、報いがあるからこそ、忍耐ができるのです。
得るものがあるから投資することができます。

神様が、報いを期待しながら自分自身をそこに献身し、そして収穫の時まで忍耐しなさい。と語ります。

1回しかない人生を後悔しない。キリストに選ばれた者がキリストを喜ばせないと報いがないです。
「立派な兵士にしてください。」 「立派な選手にしてください。」 「たくさんの収穫を得る農夫にしてください。」
その思いで立つことであります。 (⌒-⌒)

<今週の目標>

【私はキリストの兵士としてどうやって生きてきたのか?
私は選手としてどうだったのか?私は農夫としてどうたったのか?1つ1つの項目に
 自分を当てはめて振り返ってみる時間にする。そしてどういう風に自分を変えていくのか?
(考えて決めたならば、あとは行動だけです。)】

2012.7.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ