からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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地獄

神からの特別なプレゼント

テーマは 『 神からの特別なプレゼント 』 です

【第1ヨハネ4章9-10節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


クリスマスになると子どもたちはプレゼントを期待します。

恋人たちもプレゼントを期待するから、何をプレゼントしたら良いか悩む人も多いですね。


いつからこのようになったでしょうか?


よく考えると “クリスマスそのものが神様からのプレゼント” です。

それも世界で一番尊いプレゼントを、神は人間に与えて下さいました。



神様はこのプレゼントを何千年も前から準備しました。

そしてこのプレゼントはすべての人類に与えた愛のプレゼントでした。


プレゼントの中身は物ではなく、神のひとり子イエス・キリストでした。


あらゆる栄光と誉れを受けながら、父なる神と共に御国におられたひとり子を 罪によって汚れたこの世界に送って下さいました。

どんな心でひとり子を見送ったでしょうか?


イエス様はそのようにして卑しい人間の体をとって、卑しいこの世に来て下さいました。




神が人間に与えて下さった愛のプレゼントを受け取った人は一番幸いなる人です。

そのプレゼントは受け取った人にとって一番価値あるプレゼントであるからです。


それによって運命が変わったからです。


神様は私たちの運命を変えるために、イエス・キリストを遣わして下さいました。



人間は自分がどこに向かって行くのかも知らずに生きていますが、神様は人間がどこに向かっていくのかを知っています。


神が創造した人間が自分たちの罪によって恐ろしい地獄に向かって行くことを知って、そこから救い出すために、愛する御子イエス様を私たちに与えて下さいました。


神からの愛のプレゼントを受け取る人に対しては、特別な恵みが与えられ、地獄に行かなくて済むように助けて下さいます。

犯罪人が保釈金を払って刑務所から出て来るように、イエス様が代わりに保釈金を払って下さいました。




神からの特別なプレゼントの中には他にも良い恵みがたくさんあります。


信仰の両手で神からのプレゼントを受け取る者に、プレゼントの効力が現れます。

イエス様が水をぶどう酒に変えた奇跡を最初の奇跡として行ったように、信じる者の人生を良いものに変えて下さいます。


私たち人間の痛み苦しみ 弱さを知るために、人間と同じ体を持って生まれたイエス様は、何よりも人間に共感して人を助けました。



父なる神がイエス様を遣わした目的はさらにあります。


罪を赦し、魂を救い、永遠の命だけでなく、貧しい人に良い知らせを伝えるために、心の傷ついた者を癒すために、捕らわれた人には釈放を、囚人には釈放を、嘆き悲しむ者を慰めるために、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套をつけさせるためです。



神の愛のプレゼントであるイエス・キリストの中には多くの恵みがこのように詰まってあります。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.12.25
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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なぜ悔い改めが必要なのか

テーマは 『 なぜ悔い改めが必要なのか 』 です

【ルカの福音書3章3-9節】

そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。

すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。

こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」

それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」


イエス・キリストが公の活動を始める前に遣わされた人物が バプテスマのヨハネでした。


彼が来ることはイザヤ預言者によって、ヨハネが生まれる700年前に預言されました。



【イザヤ書40章3-5節】

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」


ヨハネが生まれるまでの400年間は 預言者もなく、主からのことばもありませんでした。

空白の時間の後に 神はヨハネを遣わして、メシアである主の道を用意させました。


悔い改めてメシアを信じる心の準備をさせていました。



ヨハネが口を開いて語った最初のメッセージは『悔い改めと天国』でした。

悔い改めのメッセージは、当時のイスラエルの人々に一番必要なメッセージでした。


なぜなら彼らの宗教生活は偽善的、形式的だったからです。

メッセージの中心は常に『悔い改めなさい。天の御国が近づいた。』でした。



悔い改めにとって一番優先されることは、自分の罪に気付くことです。


罪によって私たちの心は汚れた心、荒れ地、いばらの心になっていました。

谷や山、丘、曲がった所、でこぼこ道などはすべて人間の心の状態です。


高慢な心、とがった性格、罪によって邪悪になった心では救われることが出来ないので、まず悔い改めて罪から離れて主に立ち返らないといけないです。


長いキリスト教歴史の中で すべての霊的覚醒、リバイバルは悔い改めから始まりました。

悔い改めは罪赦されるための条件です。



【マルコの福音書1章4節】

バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。


【使徒の働き2章38節】

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。


【使徒の働き19章4節】

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。


ヨハネのメッセージは 悔い改めと天国に焦点を合わせていたので、とても強力で印象的でした。


ですから偽善的な宗教指導者たちの偽善を憎みました。

それでその人たちには『まむしのすえたち。』と言いました。



悔い改めることもなく、儀式的な宗教生活では天国に入ることは出来ないです。

天国どころか 神のさばきに会います。


悔い改めは、ただ口と心だけで済むものではなく、悔い改めにふさわしい実を結ばないと意味がないです。

行いがないと実が結ばれることはないです。



【マタイの福音書21章43節】

だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。


【使徒の働き26章20節】

ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。


自分の罪を自覚して神の前で罪を悔い改めるならば 罪赦され、御国の民になり、天国に入れますが、悔い改めることもなく、罪を持ったままでは神のさばきに会い、地獄へ行くしかないです。


これは神からのことばであって、人間のことばではないです。


アーメン (´;ω;`)


2021.10.24
聖日礼拝メッセージ

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名が天に記されている喜び

テーマは 『 名が天に記されている喜び 』 です

【ルカの福音書10章17-20節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」


イエス様は70人の弟子たちに力を授け、彼らに福音を伝える任務を与えて遣わしました。

そして弟子たちはその力によって素晴らしい働きをし、帰ってきて喜びながら主に報告しました。


悪霊どもさえ服従することを見て、彼らは相当喜んだと思います。

私たちが出て行ってその働きをしても、同じように興奮して誰かにそれを伝えたと思います。


しかし主は、その喜びよりも さらに喜ぶべきものがあると言われました。

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



主のことばのように私たちが一番喜ばないといけないことは、いのちの書に自分の名が書き記されていることです。


いのちの書に名が書き記される人は、小羊であるイエス・キリストを通して救われた神の民です。


悔い改めと信仰によって救われ、最後まで信仰を守った人がいのちの書に名が書き記されます。





いのちの書、行いの書、真理の書




天には数々の書物があると聖書に書かれていますが、代表的な書物は三つあります。

いのちの書、行いの書、そして真理の書です。


【ダニエル書10章21節】

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。


真理の書には歴史における神の計画が記されていると思われます。



【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


いのちの書に名の記されている人は、神のさばきに会うことがありません。

その者は神の国で永遠に生きることが許されますが、いのちの書に名の記されていない人は永遠の地獄に行きます。


【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


聖書には、いのちの書に関して難解な部分もあります。


いのちの書に記された名が消されることもあるのか? と。

ある人たちは「ある」と言いますし、ある人たちは「絶対ない」と言います。


聖書のある箇所を読むと、消されることがあるように思われますし、ある部分を読むとそんなことはないように思われるからです。



どの人間も聖書のことばを完璧に理解することは出来ないです。

理解出来る部分と、出来ない部分があります。


救いは “神の恵み” であり、私たちに救われる資格があったから救われたのではないです。


行いではなく信仰によって救いを受けます。


ですから罪を犯したから救いが消されることはないと思います。

罪を犯した後でも悔い改めるならば罪が赦されます。







しかし、私たちが信仰によって救われたのに、その信仰を自ら捨てるならば話は違うと思います。


信じた者が堕落して、神への信仰を捨て、他の神々を信じるならば、それでもその者は天国に行けるでしょうか?

不信仰になって あらゆる悪を行う者に対して、神はその名をいのちの書にそのまま記しているでしょうか?


公義を行う神にそれは出来ないと思います。



本当に救われた人なら、神への信仰を捨てることは出来ないです。


しかし、信仰よりも “宗教をやって形式的” になっている人は 救われてもいないのに、「自分は救われた」と勘違いしていると思います。


次の聖書の箇所を深く考えてみて下さい。

消されることは絶対ないと思うより、消されることがあるかも知れないから、そうならないように信仰によって生きる者になりましょう。



【出エジプト記32章32-33節】

今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。


【詩篇69章28節】

彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。


【イザヤ書4章3節】

シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。


【ダニエル書12章1-2節】

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


ヨハネの黙示録の中にはいのちの書に対して書かれた箇所が色々あります。


【ヨハネの黙示録13章8節】

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


【ヨハネの黙示録17章8節】

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。


【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


【ヨハネの黙示録20章15節】

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


【ヨハネの黙示録21章27節】

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

いのちの書に名の記されている者は必ず神の国に入るので、それが一番の喜びです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.7.11
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メシヤの受難と勝利

テーマは 『 メシヤの受難と勝利 』 です

【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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つまずいても、つまずきを与えてもいけない

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【イザヤ書8章11-16節】

まことに主は強い御手をもって私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。

「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。

そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。

多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕らえられる。

このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」


聖書は私たちに警告しています。

つまずいてもならないし、つまずきを与えてもならない と。


「それがそんなに重要なことですか?」と疑問を持つ人がいるかも知れませんが、とても重要であるので 主は何度も警告しました。


つまずくことは、自分で勝手に引っ掛かり倒れることもあれば、人を引っ掛けて倒す人もいます。



信仰につまずく結果は地獄です。

最後のさばきの時はつまずいた者も つまずきを与えた者も 主の前で言い訳をしても、それは通らないです。


永遠のいのちと天国とも関連があるので、とても重要です。


二つの大きなつまずきがあります。

イエス様に対するつまずきと、人間に対するつまずきがあります。




イエス様に対するつまずき




今日のことばはメシアに対する預言です。

預言の中で、イスラエルの人々がメシアにつまずくことが預言されました。


そしてメシアに対する正しい知識を持たなかった多くの者がつまずきました。

彼らの姿をみてイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書11章6節】

だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。


なぜ待ち望んだメシアなのに、メシアとして来られた主を受け入れず つまずいたでしょうか?

それは彼らのことばで原因を知ることが出来ます。



まずはイエス様が育ったナザレの町の人々のつまずきの原因です。


【マタイの福音書13章53-58節】

これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。

それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。

この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」

こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」

そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。


田舎の貧しい家で生まれ、教育もまともに受けたことのない者がメシアのはずがない と思いました。

もしイエス様が王や貴族の息子であったならば人々はメシアとして認めたと思います。


神がメシアの姿を教えたにも関わらず、彼らは自分たちの判断や考えでみことばを退け、つまずきました。



また多くの弟子たちは、イエス様が「わたしは天から下って来たいのちのパンである」と教えただけで変人扱いし、悪口を言ってつまずき離れ去りました。


またある者たちは、十字架で苦しみながら死んだ主を 無能で力がなく、自分も救うことが出来ない者がメシアのはずがない と思ってつまずきました。


「メシアは十字架の苦しみを受ける」 と預言されたにもかかわらず、十字架につまずきました。


【第1コリント1章23-24節】

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。


神の御言葉の上に立たず、自分の考えや偏見、判断に頼る者は必ずつまずきます。


それが本人にとって信仰を邪魔し、罠になり、救いから遠ざけるので、結局は自分で呪いの道を選ぶようになります。


そのため、神のことばにあるメシアの姿とイエス様の姿をよく知る必要があります。




人に対してのつまずきと警告




人に対しては、つまずきを与えたり つまずいてもいけないです。


この警告を無視すると、後につまずくことになります。

なぜなら主がこのように警告したからです。


【マタイの福音書24章10節】

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。


【ルカの福音書17章1-2節】

イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。

この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。


イエス様は、「偉大な人をつまずかせてはならない」と語ったことは一度もありませんでした。

いつも “小さい者” ということばを使いました。


小さい者とは、子どもや見下された人、貧しい者、弱い者など 社会的に弱者のことです。

見下げられやすい人たちのことです。



イエス様が地上に来られた目的を見ると、主のこころが分かります。


【ルカの福音書4章18-19節】

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。」


ですから小さい者につまずきを与えることは、主の救いの働きを妨害する者になります。


【マタイの福音書18章6-7節】

しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。



自分がもつ権利と自由で 人につまずきを与えてもいけないです




【第1コリント8章9節】

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。


【第1コリント8章13節】

ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。



主の働きをしている中でも 人につまずきを与えないように気をつけることです




【第2コリント6章3-4節】

私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、

あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、



つまずきを与えないために、つまずかないために すべきこと




嫌なことされても、自分で仕返しをしない、誘惑されても罪を犯さない、他人が間違った信仰を持っていても 自分の信仰まで捨てる必要はないことを心に留めることです。


悪いものが心に入ると 苦い根を下ろすので、定期的に心を点検して苦い根を取り除くことです。

罪と死の影響を受けないためです。


また、聖霊に満たされることです。

満たされないと すぐに人を非難したり、傷を受けたり、誘惑を受けやすくなり、惑わされてしまいます。


油断してはいけないです。


【ヘブル12章15節】

そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、


つまずきの罪をいつも警戒して、神の恵みと救いにとどまりましょう。


アーメン ( -д-)ノ


2021.2.7
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あなたは準備していますか

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【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。


最近、世界の多くの人々が主の再臨や携挙に関する夢や幻を見ることが増えました。


YouTubeで 『Rapture dream』 や 『携挙』 で調べると、たくさん出て来るので それを参考にしたら良いと思います。

もちろんその中には嘘の内容を載せている人もいるので、惑わされないように気を付けて下さい。



主の再臨の前に携挙(一挙に空中に引き上げられること)があることは聖書に書いてあります。


その時がいつになるかは教えられていないですが、その前に起こることは色々と書いてあります。

詳しい携挙の場面はマタイの福音書24章にあります。


【マタイの福音書24章40-42節】

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。


信じる者全員ではなく、半分でもなく、携挙される人はとても少ないのが事実です。



携挙のことは世の中の人たちはほとんど知らないです。

クリスチャンの中でも まだ知らない人たちが多いです。


しかし携挙の時が近づいているのは、世の動きを見るとはっきり分かります。



今年のコロナ、それによって生まれた様々な現象を見ると、今までとは違うことが分かります。

そして私自身が特に感じたのは次の箇所です。


【マタイの福音書24章12節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。


アメリカで見る不法、コロナに関連して人々の愛が熱くなったのではなく、距離が出来、徐々に自分のことが優先になり愛が冷たくなってきました。


確実に携挙される人は、いのちの書に名前が消されずに書かれている人です。


それは、このような人です。


【ヨハネの黙示録3章4-5節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


携挙された人たちは主によって神の国に移されて行きます。


【ヨハネの黙示録21章25-27節】

都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。


主は携挙される人、すなわち命の書に名が書かれてある人たちは知っているので、彼らに携挙のラッパの音を聞かせ、彼らの名を呼びます。

「○○○、ここに上がって来なさい。」と。


その者たちは主の花嫁として空中に引き上げられ、空中で主に会います。


その感激はことばでは言えないと思います。



しかし残された人たちには生き地獄の日々が残されてあります。

ヨハネの黙示録に書いているすべての災いが待っています。


いま目を覚ましている者たちを惑わそうとするサタンの働きはとても強いです。

霊的に眠らせようと必死に攻撃しています。


それに倒されないように、主に目を向け、信仰を失わないように、しっかりと準備出来るようにすることです。


アーメン (・∀・)つ


2020.12.6
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絶対に諦めないように

テーマは 『 絶対に諦めないように 』 です

【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

レジェンドということばは よく使われています。


伝説あるいは伝説的な人物という意味で用いられています。

スポーツ選手の中でも偉大な功績を残した人に対してもよく使われてあります。



へブル12章は11章の延長で考えるのが良いと思います。


11章には 優れた信仰を持った人物たちが出てきますが、彼らこそ信仰においてのレジェンドたちです。

その人たちの信仰の姿が11章で紹介された後に、12章で彼らを多くの証人ということばでさらに紹介しています。


信仰の先駆者たち、熟練した信仰のレジェンドたちは いま主の所にいて、地上で信仰の競争をしている人々を応援しています。



1月2日、3日には箱根駅伝が行われます。

多くの人がテレビで応援していますが、わざわざ現場に行って応援する人たちも多いです。

特に箱根駅伝に参加したことのある先輩たちは熱心に応援しています。


そして走る選手たちも先輩たちが残した記録に負けないように最善を尽くします。

休みながらゆっくり走る人は誰もいないです。

倒れそうになっても必死に走るので さらに応援したくなります。






信仰の競争も同じです。


出発があり、ゴールがあります。

どこに向かって行くのか分からないような走りではないです。


ゴールに向かって最後まで走らないといけない過酷な走りなので、証人たちが応援しています。

その道を先に通った先駆者たちが道を開いたので、後から走る者たちもゴールに辿り着くまで必死に走ります。


今は走っていますか?

立ち止まったり、諦めたりするならば、それまで走って来たことはすべて無駄になります。


天国に辿り着かないと、残った道は地獄しかないです。


地獄に行って良いでしょうか。



天国に辿り着く走りをするために すべきことがあります。


私たちの霊に寄生虫のように くっついている2つのものを取り除くことです。

選手たちが少しでも早く走るために ぜい肉を必死に落としていくように、信仰の競争を邪魔する2つのものを取り除くことです。




様々な欲望




様々な “欲望” という ぜい肉を取り除くことです。


【第1ヨハネ2章15-17節】

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。

欲望は必要なものが与えられても満足を知らないものです。

欲望の中にあるのは世を愛する心がいっぱいです。


ですから世に心が奪われて、神の事や信仰、天国にもあまり関心がなく、あるのは世に対する関心だけです。

天国では世のものはゴミ扱いなので、ゴミを持ち込むことは出来ないです。




まとわりつく罪




そしてもう1つは “まとわりつく罪” です。

罪は汚れであり、霊肉をむしばむ寄生虫と同じです。


悔い改めて罪を洗い、罪の誘惑と戦って罪から離れないと 霊が汚されてしまいます。


走れないようにする “足かせ” のようになります。



いつもこの2つのものを取り除きながら、救い主であるイエス・キリストから目を離さず、前に向かって走ります。

私たちの信仰のスタートはキリストでしたので、完成者もキリストになります。


キリストも人間として地上にいた時に、この道を走りました。

ゴールに用意された栄光を見て喜びながら、十字架の苦しみに耐えて勝利しました。



信仰が衰えて来た時、弱くなった時、私たちはさらに主のこと、そして信仰のレジェンドたちのことを思い出しながら、弱った手と衰えたひざとをまっすぐにして走ることです。


すると たましいに新しい力が湧き出ます。

それによって最後まで走り抜くことが出来ます。



信仰は諦めたらおしまいです。

永遠のいのちも神の国も自分のものにはならないです。


その尊いものがあるからこそ走り抜くことです。


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.9.26
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地獄は悲惨な場所

テーマは 『 地獄は悲惨な場所 』 です

【マルコの福音書9章43-48節】

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

世の中には地獄を信じない人が多いです。

地獄も恐れず、罪も恐れない人が多いです。


クリスチャンの中にも地獄を信じない人がいます。



今日のことばはイエス様が語った地獄のメッセージです。


「イエス様もみことばも信じるけど、地獄は信じない」 という人は矛盾しています。

なぜなら今日のことばは主が語った地獄のメッセージであるからです。


地獄が存在しないのに地獄の話をしますか?


それも厳しいことを語りながらメッセージしました。

聖書のほかの箇所でも地獄の話は多いです。



【マタイの福音書23章33節】

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【第2ペテロ2章4節】

神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。




地獄はどんなところでしょうか




  • 真っ暗闇で光が全くなく、耐えることが出来ない苦しみが永遠に続く場所。
  • 残酷な拷問があり、うじや虫、蛇などがあふれる場所。

  • 水一滴得られない所、永遠に消えない火の池がある。
  • 一秒の休みも得られない場所。

  • 死にたくても死ぬことができなく、希望が全くなく絶望だけがある場所。
  • 泣いて歯ぎしりするところ、自分が行った通りに報いを受ける場所。

  • 一度入ると永遠に出られない所。
  • 火の池の中で永遠に苦しむ場所。

  • 叫んでも誰も助けてくれる者がいない場所。
  • 永遠に飢え渇きがある場所です。


こんなところが実際にあります。


悪魔、サタンはいま活発に働いています。


【第1ペテロ5章8節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。


悪魔はどんな目的をもって歩き回っていますか?


人々を地獄に落とすためです。


自分(悪魔)がいる地獄に一人でも多くの人を連れ込むために、惑わしながら歩き回り、時には光の天使、時には義のしもべ、または様々な誘惑をもって人々をつまずかせ、地獄に落としていきます。


地獄のメッセージを聞いても信じない理由、罪から離れない理由は、聖書も地獄も信じないし、地獄のことよりも罪の誘惑が強いからです。

死んだら何もかも終わりで、天国も地獄もない と思うのは、自分だけの考えで事実ではありません。



イエス様は誰一人地獄に行くことを願わないです。


信じて、悔い改めて、救われてほしいと願っておられます。

信じて主に従う者は、いのちの書にその名が書かれ、地獄には行かないです。


しかし信じない者、いのちの書に名のない者、不法を行う者、罪を犯した後も悔い改めない者、生まれ変わっていない者は天国には行けず、残念ながら地獄に行きます。


何があっても地獄には行かない者になりましょう。

とても悲惨な場所ですから。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

アーメン ( -д-)ノ


2020.9.20
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神の足し算

テーマは 『 神の足し算 』 です

【マタイの福音書19章27-29節】

そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」

そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

先週は神の引き算について学びました。

私たちの中から肉のものを取り除く神の引き算は、私たちを祝福するためのものであることを学びました。


神は引き算の後に、足し算を始めます。

どのような足し算をなさるのかを今回は見たいと思います。



本文でペテロは「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」と質問しました。


弟子たちは未来の保証と何らかの報いが欲しかったです。

何も得るものがないならば、悲惨な人生になりますね。


主は彼らに明確に何が与えられるかを語って下さいました。



神が私たちに与えて下さるのが “神の足し算” です。

神が下さらないと得られないものが色々あります。


ですから、引き算をする神は 足し算もします。


質問を受けた主は、弟子たちに未来の保証になることばを明確に語りました。


どのようなものが与えられるのかを見たいと思います。

神の足し算の内容です。




人の子が栄光の座に着く時、彼らも十二の座に着いて、イスラエルの十二部族をさばく




弟子たちはこの時、これを霊的に考えたのではなく、世的に考えました。

すなわち主が イスラエルの王になった時に、自分たちも良い地位に就くと思っていたでしょう。


しかし主が与えるものは はるかに価値あるものでした。


主の最後のさばきの時に従って来た者たちも、裁判官としての権威と役割を与えると約束しました。

さばかれる立場ではなく、裁く立場です。


自分たちを苦しめ、迫害した者たちを立場が変わってさばくことは何と素晴らしいことでしょうか。


【ルカの福音書22章28-30節】

けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

【第1コリント6章2節】

あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

【ヨハネの黙示録2章26-27節】

勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。

彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。



世のものも豊かに祝福して下さる




捨てた者はその幾倍をも受けると約束しました。

別の福音書のことばにもあります。


【マルコの福音書10章29-30節】

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、

その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

“幾倍” も “百倍” も満ち溢れることを意味します。

この祝福は迫害と共に受けます。


ものやお金があり余ることが満ち溢れることではないです。


必要なものが必要な時に与えられることが満ち足りる祝福です。


【ピリピ4章17-18節】

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。



永遠のいのち



永遠のいのちは神の御国で生きるために得るものですから、御国を相続する祝福もあります。


自分のいのちを捨てた時に、神はそこに永遠のいのちを注ぎます。


物質よりも はるかに価値ある永遠のいのち、神の足し算で最高のものです。


人間が罪を犯して失ってしまった永遠のいのちを 神を信じる者、主のためにいのちを捨てた者たちに与えて下さいます。


【ローマ2章7-8節】

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

【マタイの福音書18章9節】

また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

永遠のいのちは神の国に入る者に与えられます。



永遠のいのちがない人は永遠の死がある地獄に行きます。

地獄ほど悲惨な場所はないです。


そこに行った人たちが一番欲しがるものは何でしょうか?

永遠のいのちだと思います。



神はもっとも大切なものを迫害されても信じて従う者たちに与えて下さいます。


神の足し算の中にあるものはすべて私たちにとって最も価値あり大切なものです。


価値のない小さいものが与えられていないからと言ってつぶやく人は愚かな人です。

無知な人であり、神のみこころを知らない人です。


最も大切なものを先に受け取らないといけないです。


他のものは神が必要に応じて、必要な時に与えて下さるので忍耐して待つことです。
アーメン ( ・Д・)


2020.2.2
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神の栄光を横取りしてはならない

テーマは 『 神の栄光を横取りしてはならない 』 です

【使徒の働き14章11-18節】

パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。

そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。

すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。

これを聞いた使徒たち。バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。

過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。

とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

神が人間を造った一番の目的は“神の栄光のため” でした。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

ですから、もし人間がその目的通りに生きていないならば、その人は神に逆らう人生を生きています。

造られた目的を知らないと、神のみこころに従って歩むことは不可能です。


人間を造った神は 聖書を通して、その目的を私たちに教えて下さいました。


しかしその目的を知ったとしても神の栄光を横取りするならば、それは神を冒涜することになります。




神に栄光をささげる姿




パウロとバルナバは 神に選ばれ、宣教師としての働きをしていました。


神は、パウロに奇跡や癒しを行う力を注いで下さいました。

パウロはイエス様に出会うまでは病人を癒したことも、奇跡を起こしたこともありませんでした。


しかしイエス様に出会ってから、多くの癒しや奇跡を行い、人々に知られるようになりました。


ある時、パウロは生まれつき足のなえた人を癒しました。

すると群衆は、彼らが人間ではない神であると声を張り上げました。


そして二人は突然、ギリシャ神話に出て来る神になってしまいました。

パウロがヘルメス、バルナバがゼウスになりました。


そしてゼウス神殿の祭司や群衆も、二人にいけにえをささげようとしました。


もし二人がそれを受け入れたならば、彼らは 人々の上に神として君臨することも可能でした。


しかし、このことで一番危機感を感じたのは二人でした。

どれほど二人がびっくりしかと言えば、衣を裂いて叫びながら人間宣言しました。


自分たちは神ではなく、神のしもべであることを伝えました。

二人はとんでもない騒ぎが起こったことでびっくりしたと思います。


これらのことは、サタンの策略だったと思います。


サタンは、自分が神になりたくて堕落した存在です。

アダムとエバは、このサタンの策略に負けたので堕落しました。


神の栄光を横取りしようとしたことで、彼らは神から刑罰を受けました。


神が受けるべき栄光を 自分が受けることは、神のものを盗むことです。


主の弟子ペテロにも似たような経験がありました。


主の導きで、百人隊長コルネリオに会いに行きました。

当時の力関係で言うならば、ペテロがコルネリオよりも下です。


しかし同じく神からの導きを受けたコルネリオは、ペテロが自分の家を訪ねた時に、すぐさま出向いて、ペテロの足元にひれ伏して拝みました。

プライドの高い人ならば 天狗になる瞬間です。


しかしペテロは驚いて彼を起こして「お立ちなさい。私も一人の人間です」と 神の栄光を盗みませんでした。


主の働きの中でも、このような誘惑が多いです。

自分を高く評価する瞬間、サタンはその思いにつけ込みます。


ある牧師が天国へ行った時に、すでに召された有名な牧師に会ってみたいとイエス様にお願いをしました。

すると主の表情が雲ってきて、しばらく沈黙が流れました。


その後、静かに「彼は ここにはいない」と言われました。

一瞬、意味が分からなかったそうです。


召された牧師は有名な方で、とても素晴らしい働きをしたからです。


その後、地獄の牢獄の中に閉じ込められた その牧師を、主が見せて下さいました。


「なぜ あの牧師はあそこにいますか?」
あり得ない状況に戸惑いながら主に聞くと、


主からの答えは「彼は私の栄光を横取りしたからだよ。」

牢獄にいる牧師が叫びました。


「主の栄光を横取りしてはならない!」




主の栄光を横取りした聖書の人物は




【使徒の働き12章21-23節】

定められた日に、ヘロデ王は王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

虫にかまれたことが直接的な死因ですが、それより先にあった出来事が死因に結び付き、神の栄光を横取りしたことでした。


神が死因を教えて下さらなかったならば、死因は虫にかまれて死んだかわいそうな人として記録されたと思います。

この罪は誰でも犯しやすい罪です。


私たちの自我の中には、アダムの罪の性質があります。


神になりたい欲望があります。


ですから、主の働きをする人でも 自我を捨てないと、いつでも 口では “神に栄光” と言いながら、自分が栄光を受けることを喜びます。


素晴らしい業績を残し、人々に尊敬されている主のしもべたちは、常にこの誘惑にさらされています。

高慢になると主の栄光を自分のものにします。


謙遜になることが必要ですが、自分を砕かないと謙遜にならないので、偉くなるにつれて誘惑に負けていく人が多いです。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。



神が偶像崇拝を忌み嫌う理由




偶像は人間の手の作品であり、人間が造った神です。


まことの神にこそ栄光をささげなければならない人間が、自分たちで造った(偶像の)神を神として拝みながら、それに栄光をささげる姿に、(まことの)神は我慢が出来ないです。


生きた人間や死んだ先祖たちを拝む行為も、神の栄光をむなしいものにささげる行為であるので、神はそれに対して必ず刑罰を与えると警告してあります。


【出エジプト記20章4節】

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

偶像崇拝は 神の栄光を台無しにする姿であります。


【ローマ1章23節】

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

偶像崇拝によって栄光を受け 喜ぶのは、神になりたくて神に逆らった“サタン” です。


サタンは神の栄光を横取りするために人々を惑わし、次々と偶像の神を造らせ、サタンが栄光を受けています。


栄光を受けるべき方は、主お一人です。


【詩篇24編8節】

栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。

【詩篇24編10節】

その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。

私たちは自分は取るに足りない者であることを自覚し、すべての栄光を主にささげましょう。


アーメン (・∀・)


2018.4.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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