からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


八戸ノ里キリスト教会のYouTubeチャンネル

━━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━━━━


十字架

神をあがめられるように

テーマは 『 神をあがめられるように 』 です

【第1ペテロ4章10-11節】

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。


小さな働きでも神に喜ばれる人と、多くの働きをしても神に捨てられる人がいます。


神様を信じる人は いつもプレーヤーとして神に栄光をささげるように務めないといけないです。


神様から賜物を受けたならば、恵みの良い管理者として賜物を活かして働くことです。

働く目的は、それを通して神があがめられるためです。



賜物を用いて働く時に、私たちに必要な姿勢があります。

その姿勢がないと、神に栄光をささげることは出来ないです。





初めから終わりまで 謙遜に働くこと




働く者にある一番の誘惑は、主の働きをした後に 栄光と称賛を自分のものにすることです。


心が高慢になって、神のしもべである自分の立場を忘れると、神が受け取るべき栄光と称賛を自分のものにします。

この誘惑に倒れる者が多いです。


色々な働きが出来ても、すべては神の恵みと賜物によるもので、自分のものは何もなく、自分が受け取るべき栄光はないと謙遜意識を持たないと、いつ心の高慢に倒れるか分からないです。



誰よりも多く働いたパウロには、この謙遜意識が常にありました。


【第1コリント15章9-10節】

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。





信仰によって働くこと




神様から与えられた使命を果たすために最も必要なものは “信仰” です。


王の王、主の主、人間と人間世界をすべて支配する まことの神を信じる信仰なしには、真実に主に仕えることは不可能です。


信仰があるように見える人の中にも信仰がない人も多いです。


信仰無しで人間的な熱心さや何かの目的で働く人たちもいます。

その人たちの働きは自分のためであって、主のためではないです。



自分の使命を果たすことが 主をあがめることだと信じ、自分は神の国の一人だと思う信仰がないと最後まで忠実に働くことが出来ないです。


信仰がないと神に喜ばれることがないと言われました。






自分を否定して働くこと




神様が与えて下さった権威によって素晴らしい結果を残したとしても、自分を誇らず、自分は無益な者で、すべては主の恵みによる結果である と告白することが重要です。



恵み意識が強い人は、いつも自分を否定して、主の恵みを強調し、すべての栄光を主にささげます。


イエス様は『自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい』と言われました。

その通りにする人たちが神があがめられる働きが出来ます。



神様は私たちが、主の栄光の道具になることを願っておられます。


神の家の働き人として忠実な者に いつでも天からの恵みを与えて下さいます。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2023.5.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

主が受けた苦悩

テーマは 『 主が受けた苦悩 』 です


【マルコの福音書14章50節】

すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。


神が人となってこの世に来られた方がイエス・キリストです。

そして その方の最後は十字架の死でした。


キリストが受けた苦悩は計り知れないものでした。

どんな苦しみと苦悩があったでしょうか?





皆から捨てられたので、孤独の苦悩がありました




弟子であるユダは、イエスの敵に銀貨30枚を受けて イエスを勝手に売りました。

愛する弟子に裏切られました。


ユダはイエスを捕らえるために武器を持った者たちを連れて来ました。


その様子を見て 他の弟子たちも自分たちに被害が来ることを恐れて、みなイエスを見捨てて、逃げて行きました。

弟子たち全員に見捨てられました。


預言通りのことであっても、逃げて行く弟子たちを見た主の心は相当苦しかったと思います。



愛する者から裏切られた経験がある人は、心に深い傷が出来て長い間苦しみます。


主は一人だけでなく、みんなに裏切られました。

その苦しみと苦悩は計り知れないです。


一人取り残されたイエス様の苦しい心の内は誰も想像することが出来ないです。




イエス様は私たちが苦しむ時にも裏切らず、私たちのために働いて下さる方ですが、私たちは困った時にイエス様を見捨てて逃げたことがどれほどあったでしょうか。


父なる神にも捨てられた時に、主はどんなに辛く孤独だったでしょうか。

これが一番辛い苦悩だったと思います。


父なる神はその苦悩を知っていても、その苦悩もキリストが受けるべき苦悩と考えていたので、顔を背けていました。

主の苦悩はこの叫び声で分かります。


『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』





人々から受けたひどい侮辱と恥による苦悩がありました




主は人々からあらゆる差別、嘲り、誹謗中傷、侮辱を受けました。


【マタイの福音書27章29-30節】

それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」

また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。


【マタイの福音書27章39-44節】

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。

「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。

彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」

イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。


十字架の上で 『渇く』 と言われた時も 人々は主を嘲笑いました。

主に恥をかかせることが、この時はみんなの楽しみでした。


その時、主にある苦悩は相当なものだと思います。


人から聞いた嫌なことば一つでも苦しいと叫ぶ者たちは、主が人々から受けたものと比べてみることです。





肉体の苦悩




イエス様が十字架の上で受けたのは極限の肉体的苦痛でした。


ローマの兵士たちは、イエスを鞭打ってから地面に置いた十字架にイエスを寝かせた後、両手、両足に大きな釘を打って体を固定してから十字架を立たせました。


恐ろしいほどの肉体的苦痛が全身に走り、死ぬまで続きました。


むち打たれた時に出来た体の傷と、釘打たれたところからは絶えず血が流れました。

6時間も十字架の上で苦しみ続けました。


耐えられない苦しみを受けながら、主は自分のなすべきことをしました。




罪人のために、救いの道を完成することは あらゆる苦痛と苦悩を伴うことでした。


それでも主は そこから逃げることなく、すべての苦しみをその身に受けました。



自分が受ける苦しみが まるで世界一重い苦しみだと思って、主に文句を言う私たちは、もっと主が受けた苦しみを考えることです。



主は文句ひとつ言わずに私たちのために耐えていました。

私たちが受けているすべての祝福は、主の苦悩と苦しみの結果です。


私たちに対する主の愛ほど強いものはありません。


主の苦悩を思いながら、たとえ苦しいことがあっても、主から離れず、耐え忍ぶ者になりたいです。


アーメン (TДT)


2023.3.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

イエス・キリストの一生

テーマは 『 イエス・キリストの一生 』 です

【コロサイ1章15-17節】

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。


自分が信じるイエス・キリストがどんな方なのかを知らないならば、それは恥ずかしいことです。


信じるなら、その方に対してよく知らないといけないです。


本文にも書いてあるようにイエス・キリストは見えない神のかたちであり、神そのものであり、万物を創造した方です。

万物よりも先に存在した方です。


目に見えない神を見たと言えば 嘘のように聞こえますが、神を見たというのは 神の臨在を体験し、神の声を聞いたことを意味します。





イエス・キリストは人間の罪を贖うために処女マリヤの体を借りて この世に来て下さいました




【イザヤ書7章14節】

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。


イエス・キリストは聖霊によって生まれた方です。





イエス・キリストは生まれて八日目に割礼を受けました




【ルカの福音書2章21節】

八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。


律法によれば、男の子は生まれて八日目に割礼を受けました。


割礼は神が選んだ民になったという契約のしるしです。

世の人と区別され、神の民になったことを意味します。


イエス様も律法に従って割礼を受けました。





十二歳になった時にエルサレムにある神の宮を訪ねました




【ルカの福音書2章40-43節】

幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。

さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。

イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、

祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。




三十年間ナザレで大工として父を助けながら生活しました




【マルコの福音書6章3節】

この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。




三十歳の頃に公の活動を始めました




そしてその活動は三年間続きました。


【ルカの福音書3章23節】

教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。


主な活動の場所はユダヤ、ガリラヤ周辺、カペナウムなどでした。

最初に行った奇跡は、カナの婚礼式で水をぶどう酒に変えたことでした。

<



十字架の死、そして三日後には復活しました




イエス・キリストは地上での最後の一週間はエルサレムに入り、弟子たちとの最後の晩餐、十字架の死、そして三日後には復活しました。





復活した後も四十日間 人々に姿を見せた後に昇天しました




【使徒の働き1章9節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。


今年は4月9日がイースターです。


その時まで、イエス・キリストの生涯、活動、苦難、そしてイエス様と自分との関係に焦点を合わせたメッセージをしたいと思います。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2023.3.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

重荷と十字架

テーマは 『 重荷と十字架 』 です

【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」


本文でイエス様が招く人たちがいました。


疲れた人、重荷を負っている人たちです。

他の所ではなく、私の所に来なさいと言われました。


疲れた人たちはストレスをいっぱい抱えている人たちです。


疲れても休むことが出来ない人たちを憐れんで招きました。

重荷を負っている人たちは来て、重荷を下ろすように言われました。



イエス様は甘いことばで人を騙す方ではないです。

イエス様はやさしい方であり、真実な方ですから、主のことば通りに 主の所に来て、重荷を下ろすならば、問題を解決し 助けて下さいます。




私たちは主のことばに耳を傾けないといけないです。


イエス様は私たちに下ろすべきものと負うべきものを教えて下さったのに、いつも人間は反対のことをするので使命を果たすことも出来ず、疲れ果てた人生になります。


イエス様が負うように言われたものがあります。



【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


主が負わせる自分の十字架は負わないといけないです。


しかし人間は言うことを聞かないです。

下ろすべき重荷は必死に抱えているし、負うべき自分の十字架は下ろして負わないです。


両方のことばに対して不従順です。

不従順しながら「助けて下さい」と祈ってばかりです。



主が答えることが出来ないようにしておきながら、答えを待っています。

矛盾していると思います。




主のことばと反対のことをやっているのに、そのことになかなか気付かないです。


重荷とストレスをずっと下ろさず抱えていると、霊、心、肉体すべてに悪い影響が生じます。

重荷につぶされてしまいます。






負うべき十字架とは?




負うべき十字架はどうですか?


苦しいことは何でも十字架だと思ってはいけないです。

自分の間違いや罪で受ける苦しみは当然受けるべきものです。


それは十字架とは関係がないです。



十字架とは 自分の過ちではなく、他人の過ちの代償を代わりに受ける “義なる犠牲” です。


何でもかんでも主の十字架を負って苦しんでいると言うのは、自分の罪を逃れるための言い訳に過ぎません。




イエス様が義なる犠牲の十字架を負ったので、聖徒たちも義なる十字架を負ってイエス様に従うことです。


主の後について行くのが、御心なのに、十字架を負いたくないので、それは簡単に下ろします。

重荷を下ろしなさいと言われているのに、頑なに拒否して、いつまでも重荷を手放さないで抱え込んで悩んでいる人が大勢います。



なぜ従わないでしょうか?

重荷に下ろすために次のことばも助けになります。



【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


数十年先まで心配して重荷を抱えている人がいっぱいいます。

それは愚かな生き方です。


明日何が起こるか分からないです。

トルコで起きた地震を見ても明日は分からないです。



日々重荷を主の前に下ろして、主からの十字架を負うことです。

主が与える十字架は負いやすく、軽いと言われました。


正しく主のことばを理解して、重荷をおろして、主の十字架を負う時にたましいにやすらぎが来ます。

主のことば通りにやってみて下さい。


アーメン (・∀・)つ


2023.2.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

弟子の道

テーマは 『 弟子の道 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

イエス様が十二弟子を選んだ時に、彼らは素直に主に従いました。

『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間を取る漁師にしてあげよう。』と言われた時、彼らはすぐに従いました。


弟子たちがすぐに従ったのは、主と共に人間を取る仕事をすることだと単純に思っていたからです。

深刻な思いはありませんでした。


主は弟子たちを訓練しながら、本格的に弟子の道が何かを教え始めました。

弟子たちが思っていたこととは違っていました。



弟子の道は 弟子としての仕事というよりも、イエス様中心に生きる人生です。


イエス様はご自分のことを『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』と言われました。


イエス様中心に生きることは、道であり、真理であり、命である主を追い求めながら、イエス様に集中して生きることです。




イエス様中心に生きない人は 弟子とは言えないです。

他のものに集中して生きる人は弟子にふさわしくないです。


生涯をかけてイエス様を探求しながら生きる人が弟子の道を歩んでいる人です。

生活の中で、イエス・キリストのみこころを実践することが弟子の道です。



イエス様は父なる神のみこころを行うために人間となってこの世に来られました。

イエス様に従う弟子はイエス様のみこころを実践する人です。


弟子になる人には目的があります。

その目的とは『イエス様について行きたい、イエス様に似る者になりたい、イエス様を伝えたい』ということです。


何のためにイエス様についていくのか分からない人は弟子ではないです。



弟子にはハッキリした目的があります。


イエス様の弟子になる人は、自分を捨てないといけないです。

いつも主に従うために、自分を捨てる決断と実践が必要です。


貪欲、名声や権力、富を求めている生きる人は それを捨てることが出来ないので弟子になることが出来ないです。




しかし それらをちりあくた だと思う人が最後まで主に従うことが出来ます。

自分の十字架を負ってついて行く人が 弟子の道を歩んでいる人です。


自分の十字架とは、自分がしないといけない “主からの使命” です。



最善を尽くして、十字架を負って主に従う人が弟子です。

信じる者になり、弟子になり、御霊に導かれて十字架の道と復活の栄光にあずかるのが弟子の道です。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.12.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

小羊キリストの二つの姿

テーマは 『 小羊キリストの二つの姿 』 です

【ヨハネの黙示録5章1-14節】

また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。

また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と言っているのを見た。

しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。

巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。

すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」

さらに私は、御座──そこには、四つの生き物がいる──と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。

小羊は近づいて、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取った。

彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。

彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、

私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」

また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」

また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。


小羊であるイエス・キリストには二つの姿があります。


一つは愛のキリストの姿です。


弱々しく見えた姿、弱い者と罪人たちと一緒にいた姿、そして人々からあらゆる侮辱を受けて、十字架の上で死んだ姿が 愛の姿です。


罪人たちを贖うために、完全に自分を犠牲のいけにえとしてささげた姿です。

苦難の小羊でした。



【第1ペテロ1章18-19節】

ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、

傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。


【ローマ8章3節】

肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。


【第1コリント5章7節】

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。


【ヨハネの福音書1章29節】

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。






そして裁き主としてのキリストの姿です。


ヨハネの黙示録5章に出てくる小羊の姿は、裁き主の姿です。


小羊が巻物を開いた後から裁きが始まりました。


裁き主としてのキリストには弱々しい姿はまったくありませんでした。

天にいるすべての者が小羊であるキリストの元にひれ伏しました。




四つの生き物、二十四人の長老たち、すべての造られたもの、白い衣を着た全世界から救い出された人、悪魔の勢力に勝った人たちが、小羊である主の前にひれ伏しました。


裁き主の小羊キリストは再臨なさる主で、まったく違う姿でした。


七つの角と七つの目を持っていました。

その目は全地に遣わされた神の七つの御霊でありました。



七つは完全を意味する数字で、イエス・キリストの力が完全であることを示しています。角は相手を攻撃する時に使います。



キリストは完全な力をもってサタンとそれに従った者たちを滅ぼします。

そしてキリストに従った聖徒たちには救いと守りのためにその全能なる力を使います。


主が再臨なさる時には、大きな勝利がキリストによってもたらされます。



【ヨハネの黙示録17章12-14節】

あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。

この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。

この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」


主の再臨も確実、勝利も確実ですから、私たちは恐れず、主の再臨があるまで 信仰と義の生活に励みましょう。

主の真理だけに従いましょう。


アーメン (・∀・)


2022.10.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

悔い改めと謙遜

テーマは 『 悔い改めと謙遜 』 です

【ルカの福音書15章1-10節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」


この世に罪人が存在しなかったならば、イエス様が人となってこの世に来られ、人の罪のために十字架にかかる必要はなかったと思います。


『義人はいない。ひとりもいない。』 これが全人類の姿です。


すべての人が罪の下にあるので、神のひとり子イエス様が罪人を救うために来て下さいました。

それが一番の目的でした。



しかし律法を誰よりも知っている者たちと、律法を守ろうと一番努力している者たちが、罪人と一緒にいるイエス様を見て非難しました。


彼らは自分たちの信仰と行動だけが正しいと思っていた人たちで、自ら満足していました。


自分たち以外の者たちは「罪人」で、自分たちは「義人」と思っていました。

ですから人に対しても愛がなく高慢でした。


イエス様も弟子たちも福音を伝えた時、まず語ったことばが『悔い改めなさい』でした。




そのことばに誰が一番反応したでしょうか?

自分を罪人だと思っている人たちでした。


パリサイ人や律法学者は、その話を聞いても 自分たちは悔い改める必要がないと思っていました。

罪のない義人と思っていたからです。


水のバプテスマを授けていたヨハネの所に大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けるために来ました。

しかし歓迎されず、反対に非難されました。


なぜでしょうか。

その理由も彼らが悔い改めなかったからです。



【マタイの福音書3章5-8節】

さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、

自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


主は高慢で自分を義人だと思っている人と交わることを喜びません。


主が喜んで交わりをする人は、自分を罪人と思い、罪の赦しを求め、悔い改めて主の所に来る人です。



失われた羊のたとえで、悔い改める必要がないと思っている人たちはパリサイ人でしたが、実際は誰よりも悔い改める必要があるのは彼らでした。

高慢であるから自分たちは正しく、間違いもなく、聖書もよく読み、祈りもよくするので、自分に対して満足していました。


主はそういう者よりも、悔い改める一人の罪人を喜びます。


悔い改める必要のない者は、この世に一人もいません。



悔い改める必要がなかった方はイエス様一人だけでした。

罪がなかったからです。


『私は罪人です。私は汚れた者で、取るに足りない者です。』と神の前に罪を認め、悔い改める者に、主は赦しと恵みを注ぎます。


すべての人間は罪人ですが、イエス様の前に立つ時には二種類の罪人が立ちます。

悔い改める罪人と悔い改めを拒否する罪人が立ちます。


悔い改めを拒否する人は、自分には悔い改めるものがないと思っている人、すなわち高慢な者です。








一度悔い改めたから、悔い改める必要がないですか?

そうではないです。


基本的な罪の赦しは受けましたが、毎日犯す罪は悔い改めないといけないです。


悔い改めたから安心だと油断してはならないです。

その間に罪は成長していきます。


『私の罪がイエス様によって赦されたけど、日々の罪は悔い改めよう』と思う心が謙遜な心です。



【第1ペテロ5章5-11節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。


謙遜な人は神の恵みなしには生きていけないから神に頼って生きています。


自分の罪、弱さ、足りなさを知って、しもべになって神の御手の下にへりくだります。


高慢な人は獅子の口にはおいしいものなので、悪魔が飲み込もうとします。

高慢は悪魔の好物です。



目を覚まして油断せずにいることは、いつも罪を警戒し、罪を見つけたならば、悔い改めて神の赦しを求めることであり、いつも謙遜の衣を身に着けていることです。


お互いを判断するのではなく、いつも自分自身を点検することです。


幸いな人の姿です。

ヘリくだる者に神の恵みがあります。



【ローマ4章8節】

主が罪を認めない人は幸いである。」


悔い改めと謙遜は信仰生活にとても重要です。


アーメン (・∀・)


2022.7.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

十字架のキリストを誇る

テーマは 『 十字架のキリストを誇る 』 です

【第1コリント1章18-31節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。


この世は十字架のメシアを愚かな者、とんでもない者と思っています。

無価値なものだと思って 十字架のことばを聞いても拒否し受け入れません。


ですから「十字架のことばは滅びる者たちには愚かである」と言われました。

知識、知恵、力、富など誇れるものが多ければ多いほど、十字架のことばは愚かに聞こえます。



ユダヤ人は木にかけられたものは呪われた者と思っているので、呪われて死んだ若者が救い主のはずがないと思って拒否しました。


ギリシャ人は論争好きな人たちで、自分たちの論議に合わないものは受け入れませんでした。

自分たちを納得させないことばは無価値だと思っていました。



しかし神様は、人間を満足させる方法で救いの道を備えたのではなく、人間が到底理解出来ない方法で救いの道を示しました。


それが十字架のイエス様です。

人間の知恵と理解では知ることが出来ないです。




神様はなぜ そのような救いの方法を取ったでしょうか?


神の御前で誰をも誇らせないためでした。

人間は、自分が骨の中まで愚かな者だと理解する時に 十字架のメッセージを聞きます。


自分には誇れるものが何もないと悟る時に、この十字架が愚かな者から自分を救うための神の計画であると理解出来ます。



神様は人間が理解出来ないものを一方的に宣言しました。

理解出来ないものを 信仰によって受け入れる人を救うと決めました。


これが神の知恵であり、神の方法です。


神はイエスと言う知恵を私たちに与えました。

知恵を受け入れるならば、義ときよめと救いを受けます。




世のものをすべて持っている人でも、十字架のことばを受け入れない人は愚かに生きます。

救われるまでは それを知ることは出来ないですが、救われた後は 救いほど価値あるものはないことがよく分かります。



信じる者たちも、いつの間にか十字架の福音を忘れて、それ以外のものに関心が集まり、十字架の福音から離れた生活をしています。


十字架の福音より、人間の願いを叶えるようなメッセージが増えました。


十字架の福音が力を失っています。

これはあってはいけないことです。



信じる者の誇りは、イエス・キリストの十字架です。


十字架の福音によって愚かであった者が救われました。

十字架の福音によって永遠に滅ぼされるべき私たちが救いを受けました。



十字架の道だけが救いを受ける道であり、神様が求める神の民として生きる道です。


また自分を捨て、自分の十字架を負うのが主の弟子の道です。



神の恵みによって神の民になった人たちは、イエス様だけを誇りながら生きることです。


アーメン (*・ω・)ノ


2022.5.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

新しいぶどう酒は新しい革袋に

テーマは 『 新しいぶどう酒は新しい革袋に 』 です

【マタイの福音書9章14-17節】

するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」

イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。

だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。

また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」


先週は『新しいことをする神様』に対して話しました。


救い主イエス様が地上に来られてなさったことはすべて新しいことでした。

それに対して、当時の人々もびっくりしました。


新しいことが好きな人には魅力的に見え、古いものに固執する人には目障りで、疑い深い人は戸惑いと疑いの気持ちが出ました。

ある者たちは受け入れずに惑わす者、悪魔だと非難しました。


救い主が来たのに、自分たちの古い考えで受け入れることが出来ず、救いのチャンスを逃しました。




しかし心を開いた人たちは 主から新しい恵みを受け、救いを受けました。


本文は特に神の選民であり、神様から律法を受けたユダヤ人に主が聞かせたいことばでした。

今も主にはその思いがあると思います。


相変わらずユダヤ人は古い革袋から抜け出ずにいます。


本文の前には色々なことがありました。

中風の人の癒し、罪の赦し、レビが選ばれた場面、罪人たちとの食事、断食のことなど、それを問題にしたパリサイ人たちが反論しました。




彼らの目にイエス様は律法破りの不敬虔なとんでもない人に見えました。

理解出来ない人に見えました。



自分たちは律法を落ち度なく必死に守っているのに、イエス様や弟子たちはそれらを平気に破っているので許せなかったと思います。


当時、宗教熱心な人たちは みんな律法主義者でした。

文字通りに律法を守り、そして聖書にも書いていない制度や形式まで作ってそれを守り、また人々にも要求しました。


守っている自分たちは義人で、守らない者は罪人だという基準も決めていました。



ですから自分たちの基準とまったく合わないイエス様を受け入れることは出来ませんでした。

イエス様の行動を見るたびに『なぜ』という思いをいつも持っていました。


パウロも元は誰よりも律法に熱心な者でしたので、イエス様に敵対しました。

消すべき人物だと認識していました。


彼らはみな古い契約に縛られ、古い革袋から抜け出ずにいました。








古い革袋は旧約です。

古いぶどう酒は動物の血です。


新しい革袋は新約です。

そして新しいぶどう酒は、新しい契約の血であるイエス様の血です。


古い契約はモーセの律法で、新しい契約はキリストと御霊の原理です。


旧約ではみんな律法の下にいましたが、キリストが来られてからは 律法の下でなく、いのちの御霊の恵みの下にいるようになりました。



【ローマ7章6節】

しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。


古い文字は律法のことです。

律法に縛られて、救い主を知ることも出来ず、迫害したパウロがそのまま生きていたならば、彼は神の国に入ることは出来なかったと思います。


本人は天国に間違いなく入ると思っていたでしょう。



ですから救われた後に、自分が固執していた古い革袋を思い切り捨てました。

そして新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生き方に変えました。


イエス様が十字架にかかって血を流したのは新しい契約のためでした。



【ルカの福音書22章20節】

食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。


ぶどう酒の意味が『わたしの血による新しい契約』の意味で使われています。

またその時にこのようにも言われました。



【マタイの福音書26章28-29節】

これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」


この地上では新しい契約のために主は血を流しました。

そして主が聖徒たちと共に新しいぶどう酒を飲む日が来ることも話して下さいました。


聖霊がすべての人に注がれることを意味するでしょう。


新しい契約によれば罪の赦しは行いでも動物の血でもなく、『 キリストの血 』 によります。








また新しい革袋は、教会の姿です。

決められた場所でしか礼拝をしなかった人たちが、霊とまことによって礼拝するようになったのもイエス様によるものでした。


古いものに執着するのではなく、福音の信仰、新しい教理、新しい思想、新しい生活様式に変えることです。


形式的に行われることを主は忌み嫌います。

律法の中にある神のみこころを悟ってみことばを行わず、形式的にみことばを守ることが間違いです。



人に見せるためではなく、神に見せるためにするのが福音の信仰です。


新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生活は、イエス様のように自分の十字架を負い、イエス様のあとに従う生活です。



自分の古い考え、自分のやり方、自分の経験ではなく、神のみこころを知り、みこころに従って歩むならば古くなることがないです。

日々新しい生活が出来ます。


新しいものをいつも入れると いつも新しくなりますが、古いものを手放さず、新しいものを拒むならば、その状態は古臭いものになります。




新しいことをする神様を経験するためには、新しい革袋ではないと無理です。


古い革袋のままの人は イエス様を知ることも救いを受けることも出来ないです。


新しい契約を信じないと永遠の命も天国も失います。

残念なことです。


アーメン (・∀・)つ


2022.4.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の時間

テーマは 『 神の時間 』 です

【伝道者の書3章11節】

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。


聖書には『時』の話がたくさん出てきます。

伝道者の書3章には『時』の話がたくさん出てきます。


【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。


と書いてあります。


三つの『時』があることが分かります。

時計やカレンダーの時間があります。


次に生物的な時間です。

すべての生き物に与えられる時間です。


そして、時間を超越した神の時間があります。



カレンダーの『時間』と生物的な『時間』は、古代ギリシャ語で『クロノス』と言います。

物理的に流れる時間です。


毎日時計が知らせる時間、私たちが普通に言う時間です。

人間が止めることも捕まえることも出来ない時間です。


流れた時間は取り戻すことが出来ないです。



神の時間は『カイロス』と言います。

私たちが図ることが出来ない時間です。特別な意味が与えられた時間です。


ある出来事が起こる時間です。

人間が機会を狙って掴むことが出来る時間です。


そして永遠の時間です。

カイロスは過去、現在、未来にとらわれない神様の次元の時です。



聖書には両方の 『時』 が出てきますが、神様は私たちが時を正しく理解し、時を賢く用いることを願っています。


神様が一番願うのは 『クロノス』の世界で、『カイロス』を生きることです。


神様は人間に永遠への思いを与えて下さいました。



私たちがこの世界で生きている時には時間の支配を受けています。

時間に追われ、忙しく生きています。


毎年 自分の歳を考えます。

何かをしようとしても時間がないと言って時間を気にします。

この歳だから出来ないとも言います。








イエス様の人生は33年で終わりました。

その中でも神の働きは3年ほどで、とても短かったです。


しかし十字架の上で死ぬ前に語ったことばは、『完了した。』でした。

私たちの時間で計算すると とても短い時間ですが、イエス様はその時間の中で、すべてのことをなさいました。



そこでイエス様がなさったことは救いのわざだけではないです。


十字架を通して 人間の時間と神の時間をつなげました。
クリスチャンは、新しい時間の概念をもって生きる人たちです。


肉体のいのちがある時には 相変わらず人間の時間の中を歩んでいますが、それと同時に永遠の時間、神の時間の中で生きています。



イエス様ご自身、二つの時間の中で生きた方でした。


そして主の中にいる者も二つの時間の中で生きています。

二つの時間が理解できるならば、次のことばが理解できると思います。



【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』


永遠のいのちはカイロスの時間です。

救いの中にカイロスがあります。


神様はいつもカイロスの中で働く方です。


すなわち私たちの時間に合わせて働くことはないです。

神の時間表の中で働きます。



アブラハムに子供を与えると約束しましたが、アブラハムは待ちきれず サラではなく、ハガルを通してイシュマエルという息子を設けましたが、神様はそれを認めませんでした。


100歳になった時にイサクが生まれました。

神が決めた『時』は、アブラハムが100歳になった時でした。


私たちが願う時間クロノスと 神が願うカイロスが一致する時にわざが起こります。

奇跡が起こり、祈りが答えられます。



私たちは自分が願う時間に 祈りの答えが来ることを待っています。


しかし答えられないことが多いので失望し不満を言って自分勝手にします。

すると悪い結果を見る時が多いです。


神様と時が一致しないときはどうしたら良いでしょうか?


『神様が願うカイロスに、まだ私が満ちていないな。

カイロスの時間は私の願いが叶えられない時間ではなく、かえって神様が私のために耐え忍びながら待っておられる時間であり、私を励ましている時間だと思わないといけないな。』と悟ることです。


自分の歳、自分の時間、自分のクロノスに敏感な人が多いです。



モーセやヨセフ、アブラハムなどを見て下さい。


神の時間と自分の時間の間で葛藤があり、苦しみもありましたが、神の時間が来るまで忍耐しました。

その間に砕かれて自分の肉の思いや欲が死んで、神の人に成長しました。


『時が満ちて』 ということばが聖書にありますが、その時が一番適切な時、完璧な時という意味です。








人間にとって一番の祝福は何でしょうか?

神様の招きにすぐに応えて、神様からの恵みである救いを受け 永遠の時間の中に入ることです。


十字架の死を通った聖徒は クロノスの時間ではなく、カイロスの時間を生きる人になります。



【第2コリント6章2節】

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。


すべての時間は神様の手の中にあります。

時間を造ったのも神様です。


ルカの福音書12章には金持ちの人が出てきます。

その人は自分の時間がたくさん残っていると思いました。


しかし神様はその人に宣言しました。

『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。』 と。


あなたの時間は終わったと言われました。



時間は売るところもなければ、貯蓄も出来ないです。

失った時間は戻ってきません。


神の時間の中で生きるためには、自分の時間を忘れることから始めないといけないです。


神の時計を見て、その時計に私の人生を合わせ、時間の優先順位を決めることです。



【エペソ5章15-17節】

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

アーメン (*゚∀゚)っ


2022.3.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい言葉に訳しています!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

アーカイブ
プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ