からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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優先順位

主の恵みを忘れず、主に仕える

テーマは 『 主の恵みを忘れず、主に仕える 』 です

【申命記11章13-17節】

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、

「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。

また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」

気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。

主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざされないように。そうなると、雨は降らず、地はその産物を出さず、あなたがたは、主が与えようとしておられるその良い地から、すぐに滅び去ってしまおう。


申命記は神の民にもう一度語ることばです。

モーセはカナンの地に入る民のことが心配でした。


若い世代が入りますが、彼らは自分たちの親世代が神に逆らい、約束の地に入れず、荒野で息絶えたことを見ていました。

見たから同じ失敗をしてはいけないですが、人間はそれを忘れて 同じ失敗を繰り返します。


ですからモーセは心配して、また彼らに必要なことばを繰り返して聞かせました。



私たちも聞かないといけないことばです。

なぜなら私たちも過去に受けた主の恵みと助けをすぐに忘れる者だからです。


神様が祝福の地に導いても、そこで神を忘れ、神のことばに逆らって生きるならば、祝福は呪いに変わります。


すべての環境も主の御手にあり、神様は主権者として自由自在にすべてを変えることが出来ます。

祝福の地に入っても、呪われることがあるし、呪いの地に入っても祝福されることがあります。



いつでも人が問題です。


私たちがいつまでも神の祝福を受けるためには、神様のみこころを知り、みこころのままに行うことです。

主のみこころが本文にあります。





主の命令に聞き従うこと




主権者の命令に従う時に祝福があります。

主の命令は苦いものでも、私たちにとっては良い薬と同じです。


私たちは、体に良いものならば どんなに苦い物でも口に入れます。


主の命令は魂によく効く薬です。

魂を癒していく薬です。


主の民は神の口から出ることばによって生きる者ですから、主のことばに従って生きることです。





主を愛すること




主を愛することは自分の優先順位で一番にすることです。


神の被造物や自分が好むことを神より愛し 神よりも上にあるならば、それが偶像です。

聖書では貪欲も偶像崇拝だと言われました。


残念ながらモーセが散々注意したにもかかわらず、イスラエルの民はカナンの地で偶像崇拝をしました。

ですから祝福が呪いに変わりました。





心を尽くし、精神を尽くして主に仕えること




40年間荒野を通りながらも生きたのは誰のおかげだったしょうか?


自分の力だけでは荒野で一日生きることも大変です。


過酷な荒野を昼は雲の柱、夜は火の柱で彼らを守り、毎日天からマナを与え、水と肉を与えながら助けて養った方が主でした。

祝福のカナンの地に入るのも神の助けと守りなしでは無理でした。



ですから受けた恵みを絶対に忘れてはならないです。


そして守って下さった神に熱心に仕えることは当然なことです。

苦しい時だけ頼り、祝福を受けた後に、関わりを絶つことが裏切りであり、恩知らずの悪い者がすることです。


欲と誘惑に目がくらんで、神の存在を忘れるならば、あっという間にその祝福は取り除かれます。





他の神々を信じ拝んではならない




自分たちの主人を捨てて、主人ではない者を主人として信じることは、主人を侮辱することであり 無視する行為です。


神はねたむ神です。

妬みの火が燃えると、どうなるでしょうか?





主が下さった恵みをいつも忘れず感謝する




恵みを忘れる瞬間から心は頑なになります。

恵みを忘れるとこのような態度を見せます。


『いつ恵みを下さいましたか?』と図々しい顔で神に不満を言います。

腹立つことばだと思いませんか?



私たちは主の恵みを忘れず感謝しているでしょうか?

神様はすべての人間に対して同じ扱いはしないです。


主に対する態度が正しい人には時に適った恵みを与えますが、主に対する態度が悪い人には主の怒りが燃えて、すべてが呪いに変わります。


神様の言う通りにして恵みを受けるか、逆らって怒りを受けるかは自分の選択にかかっています。


主のみこころに従う良い選択をする者になりますように。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2022.8.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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報いを期待する

テーマは『 報いを期待する 』です

【Ⅱテモテ2章3-7節】

最近はオリンピックの特集がありますが、そこで選手たちの姿が出てきます。(※2012.7.22現在)
参加する全員がメダルを取るのが目的です。朝から晩まで極限の状態になるまで訓練を受けています。
緊張感もある中、4年毎の大会のためにそれを狙って彼らが練習をします。
自分が一生懸命練習した報いを受け、良いものをたくさん受けることができます。

クリスチャンも同じ姿だと言っています。

――  兵 士  ――

韓国の若い男の人たちは軍隊に入隊します。それは逃げることができないです。
学生であっても、お金を稼いでいた人でも2年間は、家族、友達、知り合いから離れなければならないです。
親が亡くなったとしても、行くことができません。体調が悪くても言い訳が通らないです。
1秒でも遅れると全体に責任が負わされます。入隊が1日違うだけで、年齢関係なく早い方が上になります。
完全に命令に従順であります。軍隊とはそういうものです。

私たち、クリスチャンは誰に召されたでしょうか? イエス・キリストです。
イエス様がある意味でトップの司令官であります。その命令に従わないことは命取りになります。
軍隊ならば、命令に従わなければ殺しても良いことになってあります。

軍隊に入るまでは、自分のために生きていた者が、入った後は、優先順位が「国」に変わります。
「国のためには命を棄てます」となり、「恐くて行けない」とは言えません。
そこで死ぬのがわかっていても「行きなさい」と言われたら行くのが「兵士」であります。

私たちも、自分を呼んでくださった方を喜ばせなければならないです。
神様の命令に不従順して、自分がやりたいことをするならば(神様から)追い出されていきます。

追い出されると、自分が餌食になります。
ですから「キリストの兵士である認識を持ちなさい」とおっしゃられます。
自分達が今まで持っていた、いらない物を捨てる訓練が必要になります。

私たちが厳しい訓練を通ると、神様が認めてくださいます。そしてその者たちを喜んで祝福します。
神様には祝福が必ずあります。

――  選 手  ――

選手は皆、勝利を願います。選手になるものは遊びではないです。趣味ではなく、
選手ということは、必ず結果を出さなければならないです。
訓練を受ける理由は「勝ちたい」ということで、勝ってその勝利を得て喜びたい。
しかし、訓練を受けずに選手生活はできないです。

クリスチャンは実際にそこで走る選手であります。勝利を願って走らなければならないです。
しかし、ただ熱心に走れば良いかというと、そうではありません。
運動の選手であれば、そのルールがあります。それに反すればメダルを取った後でも取り上げられます。
時々ルールが変わることがありますので、それをしっかり理解しなければならないです。
ですので、(クリスチャンも)正しく戦わなければならないです。

神様が私たちに訓練をさせるのも、みことばを色々与えるのも、これは規則であります。
「この規則通りにしなさい」ということです。

選手は知識だけでは戦えないです。実際に身体を動かしてみないと訓練にならないことであります。
競技をしている間は、100%そこに全ての想いと力と精神を注がないと、力が出て来ないです。
もし力を出し切れなければ、負けた時に後悔が残ります。

クリスチャンはとても不思議なもので、
自分が神様から祝福されたい、変わりたい、勝利したいと願いながらも、願いは強いですが、努力をしないです。

このようにしたら祝福され、変わり、勝利されると神様が語る言葉がありますが、
「しんどい、難しい」。このような言葉を聞きます。言い訳をして何もしないです。
訓練というものをとても嫌います。だから何も得られません。

兵士、選手、農夫の姿を見なさい、と。彼らは願いが強いだけではなく、努力をしているのです。
そして戦っています。
だけど、あなたたちは願いが強いだけで、肉体が弱いと言ってすぐに逃げ込みます。
口を開いて、(恵みが)落ちてくることを待ちますが、何も落ちてこないです。

神様だったら誰に恵みを与えると思いますか?
願いが強く、それの為に一生懸命努力する人に、神様は当たり前のように与えます。
その人が本気だからです。
本気とは、集中することであります。そこに全てを注ぎます。

目、時間、能力を注ぎ、それだけをします。そうすると報いがあります。

ですが、努力をしない、忍耐をしない、願いだけが一人前。
「あの人は良いな。何であの人ばかり受けているのか。私は無いな」と、
でもその人はそれだけ努力をして訓練を受け、そして神様のルールを守るから栄光を受けます。

神様は私たちに栄光を与えたいと願っています。神様はただ、奴隷のように働かせるのではないです。
私たちは子どもです。良くなって欲しいと思っていますが、しかし、甘やかすことはしないです。
一人前になって欲しいと願っておられます。 

――  農 夫  ――

ただの農夫ではなく、労苦をした農夫です。
神様は、クリスチャンは農夫である、と語りました。
キリストを信じる農夫が収穫の喜びを味わって欲しいと願っておられます。
この農夫の姿で感じることは「勤勉」であります。毎日、毎日 早い時間に畑に出ていきます。
そこで暑くても種を蒔き、雑草を抜きます。
多くの労苦が必要であります。ですが、そこで実を収穫する喜びがあるので、それが出来ます。
豊かな収穫を得るために、毎日汗を流しながら農夫は働きます。

神様はタダで報いを与えることはしません。「あなたの畑はどうなっているのか?」
「あなたは選手としてどういう働きをしたのか?」、「あなたは兵士としてどういう戦いをしたのか?」
「農夫として勤勉に何を蒔いたのか?」

【Ⅱテモテ2章9-10節】

自分をそこに投資をした「献身」であります。献身は、言葉での献身ではないです。
自分自身の人生をそこに完全に捧げた姿です。
神学校に行くのが献身ではないです。学びをするために行くことであって、
自分を捧げたことにはならないです。

神学校へ行かなくても、自分自身を神様の兵士として、選手として、農夫として全部捧げるなら、
それが献身になります。

もう1つ必要なものがあります。「忍耐」であります。
兵士も選手も農夫も 忍耐がないとできません。楽な道は1つもないです。ある意味休みがないです。
その人達は必ず栄光・収穫を受けます。そして自分の人生が成功していきます。
神様が認めてくださり、喜んでくださいます。ですから、報いがあるからこそ、忍耐ができるのです。
得るものがあるから投資することができます。

神様が、報いを期待しながら自分自身をそこに献身し、そして収穫の時まで忍耐しなさい。と語ります。

1回しかない人生を後悔しない。キリストに選ばれた者がキリストを喜ばせないと報いがないです。
「立派な兵士にしてください。」 「立派な選手にしてください。」 「たくさんの収穫を得る農夫にしてください。」
その思いで立つことであります。 (⌒-⌒)

<今週の目標>

【私はキリストの兵士としてどうやって生きてきたのか?
私は選手としてどうだったのか?私は農夫としてどうたったのか?1つ1つの項目に
 自分を当てはめて振り返ってみる時間にする。そしてどういう風に自分を変えていくのか?
(考えて決めたならば、あとは行動だけです。)】

2012.7.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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