からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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働き人

教会に必要なバルナバのような人物

テーマは 『 教会に必要なバルナバのような人物 』 です

【使徒の働き9章23-31節】

多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、

その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。

そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。

サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。

ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。

それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。

そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。

兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。


バルナバは使徒ではなく信徒でしたが、彼はエルサレム教会、アンテオケ教会、初代教会の宣教歴史になくてはならない重要な人物でした。

彼の名前が最初に出てくるのは使徒の働き4章です。



【使徒の働き4章36-37節】

キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ (訳すと、慰めの子) と呼ばれていたヨセフも、

畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。


自分の畑を売って、それをエルサレム教会にささげた後に献身した人物です。


彼の名前の意味は 『慰めの子』 でした。

そしてその名にふさわしい働きをしました。



バルナバは回心したサウロを使徒パウロの使徒たちの所に最初に連れて行った人物でした。

その時の様子です。



【使徒の働き9章26-27節】

サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。

ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。


バルナバの立派なところは偏見がないことです。

人の弱点よりも長所を見る人でした。


多くのクリスチャンは過去のサウロを知っていたので、当時のサウロを拒否しました。

過去にクリスチャンを苦しめたことだけを思い出して、回心した後のサウロのことは考えませんでした。


その時、誰よりもサウロを受け入れ、他のクリスチャンの前で彼を弁論したのがバルナバでした。




使徒として選んだのはイエス様でしたが、使徒の働きが出来るように助けたのがバルナバでした。

バルナバにはリーダーシップの賜物がありました。



リーダーシップには人を立てる働きがあります。


バルナバはサウロを見て、まだ訓練が足りないことを知っていましたが、立派な宣教師になる可能性をみたので、サウロを励まし、彼と共に働きながら手伝いました。




教会にはバルナバのような人が必要です。

初めて来られた人を受け入れるためにもバルナバのような人が必要です。


また人を育てるにもバルナバが必要です。


多ければ多いほど教会に働き人が増えます。

牧師にとってもバルナバのような働き人が必要です。




バルナバは人の弱点や失敗に注目しないで、その人が持つ長所を見て、受け入れ、育てます。


マルコもバルナバによって立派な働き人に成長し、パウロを助け、宣教する者になりました。

マルコの福音書もマルコがいなかったら書かれることはなかったです。


バルナバは信仰の人で、主の心をもっている人でした。


私たちも かしらになろうとせずに、バルナバのような人になることです。

そのような人が教会には必要です。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2023.8.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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恵みを理解した時以来

テーマは 『 恵みを理解した時以来 』 です

【コロサイ1章5-6節】

それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び 広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。

福音は良い知らせです。祝福の良い知らせなので、それが私たちにとって恵みであります。
聖書の中には「恵み」という言葉がたくさん出てきますし、礼拝メッセージでも「恵み」という言葉を何度も聞きます。
また、クリスチャンの交わりでも「恵み」という言葉をたくさん使います。

しかし「恵み」という言葉を聞いたり 使ったりするだけでは、私たちが恵みを理解しているとは限りません。

恵みを理解するならば、その結果 多くの実を結ぶことができますが、理解しないと実を結ぶことができません。

理解をすることと しないことでは、大きな差が出てきます。




①真理のことばの恵みを理解する


真理の言葉を聞いて悟ることは、神様からの大きな恵みです。
神様の恵みを理解することは、真理の言葉を理解することであります。


【ローマ10章17節】

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

みことばを聞かないと 信仰が始まらないです。
しかし私たちは聞くだけで信じることが出来るのかと言えば、そうではありません。

真理の言葉を聞いて ある人は理解して喜んでイエス様を信じました。しかし、ある人たちは毎日 神様が語っているにも関わらず何一つ理解することができませんでした。
まるでイエス様が語る言葉が外国語のように聞こえました。

私たちが御霊の実を結ぶためには、みことばを悟らないと実を結ぶことができません。

みことばの知識がたくさんあっても、その意味を理解しないとその人は絶対に変わらないです。
御霊の実は変わる人が結ぶ実であります。

真理の言葉は、私たちをキリストに導き、私たちを救うために与えられた神の言葉です。
この言葉を聞いて理解し、受け入れて信じ キリストから救いを受けることは、どんなに大きな恵みでしょうか。

真理の言葉を理解しないと、信仰生活は始まらないです。

そして、理解しないならば、その人の生活は変わることがないです。
私たちが御霊の実を結ぶためには、みことばを悟り、その中で私たちが変わらないと何も始まりません。


【マタイの福音書7章24節】

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

理解できていない者を賢い人とは言わないです。いくら言っても分からない者は愚か者であります。
しかし、聞いた言葉が理解できた者は賢い人です。
理解をしてみことばが落ちて種が蒔かれたので、そこから芽が出て実を結ぶようになります。

実際に行った人は、みことばの恵みを理解した人なので行うことができました。行ったことは実を結んだことであります。




②永遠の慰めと、素晴らしい恵みを理解する


【Ⅱテサロニケ2章16-17節】

どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを 与えてくださった方ご自身が、

あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。

これを私たちが理解するならば、私たちはあらゆる部分で変わることができます。

神様の本質は慰め主であり、望みの主であります。

それは、主ご自身のためではなく、堕落した人間はその時から呪われてしまいました。
そしてあらゆる災いが入るようになり、重荷を負って苦労しながら地上で生きている私たちのために、神様は慰め主として 望みの主として近づき、 私たちに慰めを与え、望みを与えておられます。


【マタイの福音書4章23-24節】

イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。

イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、 中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。

人間は誰でもこのようなものを持っていますが、その人たちは何が欲しいのでしょうか――?
慰めであります。そして希望・望みであります。

そのようなものはどこにあるのかと人間は探します。
そしてイエス様に出会い、この恵みを受けた人たちが主を信じ、弟子になり、また彼らも出て行きイエス様がなさったように働きをして多くの実を結んでいました。
それによって神の国も広がって行きました。

主の働きをする人たちの姿を見ると、以前 神様によって苦しみから救い出された人が主のために働きをするのです。

永遠の慰めと素晴らしい恵みを理解する人は、絶望することがなく恐れません。
主が今も自分のためにその働きをしてくださると堅く信じることができます。




③自分に与えられた神の恵みが、どれほど素晴らしいかを理解する


【Ⅰコリント15章9-10節】

私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも 多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

パウロは恵みを理解したことによって、彼の人生は大きく変わりました。

パウロは、イエス様に出会うまでは自分は立派な働きをする役立つ者だと思って活動をしていました。
しかし、その活動とはキリストを信じる者や教会を迫害することでした。

そのようなパウロに、一方的な神の恵みによって、自分がやっていることがとんでもないことだということを知りました。
それによってパウロは理解する者になり、さらに神様はパウロを働き人として召されたことに 彼は死ぬまで感謝を捧げました。


私たちも同じような者であり、罪人であり、神を知らない者であり、たくさんの偶像崇拝をした者であります。
もし、神様が私たちを救い出してくださらなかったら 今もその中で何も知らずに歩んでいると思います。その先にあるのは永遠の滅びなのに――。

私たちはこのことを本当に理解しなければならないです。自分が受けた恵みを悟らなければならないです。

その恵みを悟ると、自分のすべてを捧げて主に従い 働き人になるのです。
働き人は嫌々 働き人になるのではないです。
自分が受けた恵みを本当に理解すると「命を捧げなさい」と神様がおっしゃると捧げるようになるのです。
イエス様は初めから命を捧げるようには言わないのですが、この人たちはイエス様が自分のために命を捧げたことを理解していますので
すべてを捧げる思いになっていきます。そして喜んで仕える者になります。

主のために自分のすべてを惜しまないで使って仕える人は、自分に注がれた神の恵みを知っている人です。
言われなくても、その恵みを理解しているので感謝に溢れて働くことができます。

恵みが理解できないと、いつまでも「これも あれも私のもの。恵みをください。他の人はたくさんもらっているので私は足りません。もっと恵みを!」と
動かないでいつも口だけを開けて、自分が神様に対して仕えるということに気付かないのです。


喜んで仕える人は恵みを理解したので、それが出来ます。
自分中心に生きるのではなく神様中心に変わり、多くの働きを通して神様に栄光を捧げるようになるのです。

私たちは神様から「命」という大切なものを受けているのです。

それ以外のものは、いざという時に何の価値もないです。
死が来たときに財産が何になるでしょうか。何も価値がないです。
それを持って天国へ行くことは出来ませんし、それが足かせになっていることが多くあります。

恵みを理解してください。そうすると、そこから私たちの新しい人生が始まるのです。
実を結ぶ人生に変わっていきます。 (´∀`*)

2014.1.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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使徒パウロの同労者

テーマは『 使徒パウロの同労者 』です

【ローマ16章1-7節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

どうぞ、聖徒にふさわしいかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

パウロは たくさんの働きをした人であることは、誰もが知っています。
彼は十二使徒たち以上の働きをし、偉大な人物でした。

しかし、どんなに偉大な人であっても、聖霊の力を受けた人であっても、1人ですべてをこなすことは出来ないです。

パウロの仕事の陰では、多くの人々の協力がありました。
すべて平信徒でした。この人たちはイエス様が働いたように働いた人々であります。

パウロの同労者には テモテ、バルナバ、ルカなどは聖書に度々出てきます。

今回は私たちがあまり聞き慣れていない名前ですが、その人たちのことを考えてみたいと思います。
パウロにとって とても大切な仲間たちであります。




【ローマ16章1節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

≪フィベ≫… 女性の執事です。教会での執事は、信徒たちの中で一番働きが多い者であります。
神学校へ行くのが献身ではなく、執事と任命されるのは「教会であなたは主に一生懸命献身しなさい」ということです。
あらゆる仕事をして教会をたてていく者です。
パウロが「この人を推薦する」と言ったのは、それは「認められた人」ということです。
私たちは信用できない人を人々に推薦することはできないです。
また、パウロにとってフィベは、パウロが伝道で出て行くことが多かったですが、そのための経済的援助をしました。
惜しまずに神様の働きのためにパウロに捧げて助けました。他にも、困った人たちに対しても彼女は助けました。
とても親切で心の優しい者でした。

人を助ける人たちは、優しい人でないと助けることができないです。
自分のことしか関心がない人は、他人を助けることはしないです。
心優しい人は、他人に関心があり、愛があります。彼女はそのような者でした。
奉仕をする時も、お金だけを捧げて偉そうにしたのではなくて、一生懸命に仕事をし献身しました。
また、フィベは従順で みことば通りに動く人でした。
私たちはこのような姿を学ばなければならないです。




【ローマ16章3-4節】

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

≪プリスカ とアクラ≫… 夫婦であります。「使徒の働き」の中にはこの人たちの姿が何度も出てきます。


【使徒の働き18章1-4節】

その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。

ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、

自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。

【使徒の働き18章24-28節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

プリスカとアクラは、パウロを招いて一緒に生活をしていました。
聖書の中で、一番理想的な夫婦の形は、この2人です。
夫婦が同じ神様を信じ、一緒に協力して素晴らしい働きをしました。

1年6ヵ月間パウロと生活をしました。その中でパウロは、夫婦に聖書のことをよく教えました。

そして、この家を解放して教会にしていました。この夫婦はパウロによって、みことば充満、聖霊充満になり
聖書の知識が多いアポロよりも この夫婦の方が霊の目が開かれていて彼より上でした。
アポロは知識だけでみことばを伝えましたが、彼に欠けているものを明確に知り、招き入れて聖霊によって働きをすることを教えました。

どれほどこの夫婦が、神様やパウロに献身的であったかは、パウロがコリントからエペソへ移動した時に、
この夫婦も引っ越し パウロについて行き、そこでもパウロを支えたことで分かります。


【ローマ16章4節】

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけではなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

命を懸けてパウロと共に働きをしました。これはすごいことです。たとえ命に関わることであっても、
逃げることをしませんでした。

神様の働き、すなわち霊的なことと肉のことを、私たちはハッキリと区別をしなければならないです。
私たちは生活をしていますので、色々なことがあります。
しかし問題に引っかかる度に「神様の働きを辞めたい。今はそんなことをしている場合ではない」となると、
その魂は死んでいきます。その(肉の)問題は自分で精一杯努力をして解決していくものであります。

神様の働きは変わらないです。
自分たちが生活をしていることを 全て神様の働きに引っかけて神様の働きを辞めていくならば、
サタンはいつでもその人に問題を与えるのです。完全に働きが出来ないようにし、信仰が離れていきます。

神様の働きがあるので、今まで守られてきたのです。
「神様の働きは絶対に辞めることができません。ですので、色々な邪魔をする問題を早く解決してください。」と神様に助けを求めるのが良いです。
神様の働きを辞めたら楽になるということは絶対にありません。辞めると神様の助けがなくなります。

プリスカとアクラはパウロを守る為に自分たちが前に立っているのです。
このような人たちが 神様が祝福する人であります。

自分たちの家で礼拝をすることは、神様の恵みなのです。
私たちクリスチャンは何が一番大切かと言うと、霊的祝福ほど大切なものはないです。
それはいつまでも残るものです。
私たちはいつまでも残るものを手にしていなければ、ラオデキヤ教会のような霊的姿になります。




【ローマ16章5節】

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

≪エパネト≫… 性別は分かりませんが、パウロがアジヤで伝道をして最初に信じた人です。
パウロの心にすごく残っている人物です。

しかし、それだけではないです。なぜここで、この人を語るのでしょうか―?

この人は救われただけではなくて、その後 立派な働き人になったからです。これはとても大切であります。
救いを受けても その後はどのようになっているのか分からない人が、世の中には大勢います。

しかし、救われたその時から信仰が成長して 神様の働き人になることは一番理想的であります。
救われた人が熱心に働くほど、主のしもべたちを喜ばせる姿はないです。




【ローマ16章6節】

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

≪マリヤ≫… 名前通り女性であります。信徒たちのために非常に労苦をしました。
熱心に自分の身体をもって奉仕をしました。旅人をもてなし、人々に食事の用意をし、苦しんでいる者を慰め、
お祈りをし、常に生活そのものが教会と信徒たちに関心があって生活をしてきました。

自分を犠牲にした立派な姿であります。このような人達がパウロを支えていました。




【ローマ16章7節】

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

≪アンドロニコ とユニアス≫… ユダヤ人です。祈りと霊的戦いにおいてパウロのパートナーであります。
異邦人は全て偶像崇拝をしていますので、そこで福音を伝えると当然のように迫害を受けるのです。
ですから先頭に立って、パウロと一緒に捕らえられた者たちであります。
教会の奉仕には色々な戦いがありますが、このように霊的戦いを共にする人もすごく必要です。
とりなしの祈り、戦いの祈り、一緒に出て行って闘う働きをシラス、バルナバ、ルカ、マルコもこのような働きをしました。

ですから一緒に捕らえられて牢の中に入れられたこともたくさんありました。
自分たちの生活があるにも関わらず先頭に立っていました。

天国へ行った時にパウロだけ祝福をたくさん与えて、この人たちには祝福を少しだけ与えるということはないです。
神様の目から見たら同じなのです。名前の問題ではないです。
「使徒だから」、「平信徒だから」ではなく、命を懸けて働く姿は同じ姿であります。
パウロはそれを知っている者でした。




牧師であるのに仕事をしない。
牧師であるのに何もしない、遊んでばかり、寝てばかり、聖書も読まない、祈りもしない。
そのようは人たちもいるのです。

また、信徒だからといって「別に私たちはしなくて良い」と言って寝ている人、何もせず逃げてばかりいる、
このような人は神様はどのように見ているでしょうか―。
怠け者、使命を果たさない者、自分のタラントを土に埋めた者、自分の教会が苦しんでいるのに関心もない者です。


パウロは次のように語ります。

ローマ16章19-20節

あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。

平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。

これからも良い働きに励みなさいということであります。
今している働きは素晴らしい働きだからと高慢になってはいけないです。
過去のことを人前で誇って、働きをしなくなるのはいけない と、これからも良いことをし続けなさいと言っています。
悪に無関心になることが良いとパウロが語っています。

私たちがサタンに「出て行け」と言うから、サタンが私たちの言葉を恐れて出て行くのではなく、
私たちが従順して主が喜ぶ働きをずっとしていくと、神様がそれらのものを踏みつけてくださるのです。
サタンは私たちの力で踏まれるのではなくて、主が私たちを通して働きをしてくださるので踏みつけられるのです。

踏みつけられるということは、サタンが私たちを倒すことができないということであります。

立派に献身して働く人たちに サタンはどうすることもできないです。その人と神様の関係が平和です。

神様がその人を尊く用いてくださるのです。

今、使徒パウロは ここにはいませんが、聖霊様が働いておられます。
私たちは聖霊様の同労者にならなければならないです。
そして牧師や信徒たちが一緒に働きます。一緒に働くことで、一緒に良いものを神様から受けるようになります。

信徒と一緒に心を痛める事、教会に問題がある時に一緒に祈ること、問題がある信徒と一緒に祈ることなど
協力して初めて良い働きが出来るのであって、1人で全部しなさいと言ったら絶対に無理であります。

それを私たちは みことばを通して、いつか神様の御前に立った時に報いを受ける人になってほしいです。
今、振り返ってみると、あの時に神様から離れないで献身して一生懸命働いたことを良かったと思う日が必ず来ると思います。 (^∀^)

2013.9.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主の働きのヒント

テーマは『 主の働きのためのヒント  』です

【ヨハネの福音書5章17-20節】

イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」

このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。

イエス様からヒントを得ることができます。

主に召された者たちは、当然のように働き人としての働きもあります。
救いだけ受けて「私は何もしません。世の仕事で忙しいです。自分の人生計画が優先です。」というのは、
相応しくない姿であります。

イエス様はこの地上に遊びに来たのではなく、天国から地上に仕事をしに来られたのです。
その仕事は、父なる神が計画した救いの働きをするために、神の代理人として地上に来られました。
父なる神様が「計画」し、イエス様が「実行」します。
これが三位一体の神様のそれぞれの分担であります。

イエス様は父から命令を聞きます。「父のみこころを行うために わたしは来た」とおっしゃっています。
イエス様に従っていく者たちは、イエス様からそのノウハウを学ばなければいけないです。

「自分で考えた方法があるので、私はその方法でやります。」と言うのは、その時点でピントが外れています。




①父が働くので わたしも働く

基本的にイエス様は、「父が働く時に わたしも働き、父が休む時に わたしも休む」 と、
常に父なる神様から目を離しませんでした。

イエス様が働くので私たちも働くというのが基本であります。

【ヨハネの福音書4章34節】

イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

また、どのように働けば良いのでしょうか ――?


②神のみこころのままに働く

イエス様の働きの土台となっているのは、「みこころを行う」ということでした。
自分勝手に計画を立てて、勝手なことをするのではなく必ず父のみこころを行うために
私たちは祈りが必要であります。

祈りということは、神様に聞くことなのです。
「どうか神様のみこころを教えてください。私はどうしたら良いでしょうか?何をしたら良いでしょうか?」

働きをする時に、「神様、もしかしたら自分の中に勝手な思いがあるかも知れないです。
そして今、私の中には このような思いが出てきましたが 果たしてこれは主のみこころでしょうか?」
それを求めることなのです。

私たちは教会の働きや 神様と関連している様々な働きがありますが、
その時には必ずみこころを求めなければならないです。人々の命と救いに関することも同じです。

祈ることによって神様と一緒に働くことになるのです。

聖書でも 神様のみこころを求めなかった時は必ず失敗しました。
勝手に人口調査をした時はひどい災いが来ました。
ヨシュアも神様の導きを受けている時は勝利をしましたが、アイの町を攻める時には みこころを祈らなかったです。
勝手な思いで行動をしたので失敗をし 人の命までも失いました。

主の働きは、必ずみこころを聞いて みこころ通りにするのです。イエス様の働きがそうでした。

教会で 神様がそれをしなさいと言われたことならば、私たちは一致して働くと祝福があります。


③聖霊様の力を受けて働く

人間の力だけでは癒しや奇跡を起こすことは出来ないです。
では、どのようにしてイエス様は奇跡を起こしたり 悪霊を追い出したり 病人を癒したでしょうか?
それはイエス様ご自身も聖霊様の力を受けたのです。

【ヨハネの福音書3章34節】

神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。

「神が御霊を無限に与えられる」 ということは、力なのです。
力を受けないと、私たちは知識があっても何も実を結ばないです。実とは「御霊の実」であります。
人間の力では御霊の実を結ぶことができないです。
主の証人として選ばれた私たちは当然のように聖霊の力を受けなければならないです。

聖霊を拒んだり、聖霊のことを語らない教会では、信仰に力がないです。そこで奇跡が起こることはないです。
その力を求めないので出来ないのです。

みことばが、力のある言葉になるには 油注ぎが必要です。それが聖霊の力であります。

私たちが主の働きをする時には、まず神様に 「この働きに必要な聖霊の力を私にください。」 と
祈ることであります。


④神の権威を受けて働く

【ヨハネの福音書10章18節】

だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」

イエス様はハッキリとおっしゃいました。
「わたしに力がないから命が取られたのではなく、自分から命を捨てるのです。」
これを裏付ける言葉があります。十字架に架かる前に何が起きたでしょうか―?


【マタイの福音書26章51-54節】

すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。

それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。

だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」

ペテロがすぐに剣を出して相手にそのようにしましたが、イエス様がそれを止めました。
しかし次の場面を見ると、イエス様が自ら命を捨てる場面が出てきます。

イエス様はみこころを行うために地上に来られたので、十字架に架かることを初めから分かっていました。
それは権威なのでイエス様が決めることが出来るのです。
力がないので世の権威にひざまずいたのではなく、父のみこころ通りに歩みました。

私たちも働きをする際に、神様から権威をもらわなければならないです。勝手なことをしてはいけないです。
牧師になる者たちも、権威を神様から もらわなければならないです。
自らが出来るものではないです。しかし世の中では自ら牧師になる人もいるのです。

主の働きは、神様がその人に権威を捧げないと (権威というものが)実際に発揮されません。
聖書に偽預言者、偽働き人など たくさん出てくるのは、神様が認めていないことなのです。

私たちは神様から使命をいただかなければならないです。
神様が「あなたはこれをしなさい。」と言うならば、他の人が「あの人は資格がないのに・・・」と言ったとしても
関係がないです。私たちは主の権威の元でしっかりと仕事をすることです。


⑤主の栄光のために働く

【ヨハネの福音書17章4節】

あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。

イエス様が働いた目的は、「神の栄光」でした。すべてのことは神の栄光のため 目的は1つでした。

働く人も素晴らしい働きですが、もともとそれを初めに設計する方は もっと立派なのです。
私たちは設計された通りに動く者でありますので、それが完成された時にはその方が栄光を受け取ることなのです。

神様の栄光とは、神様が喜ぶことなのです。私たちがどんなに汗を流して働いたとしても、
神様が喜んでいない働きならば、神様がそれを見て褒めることがないです。

勝手なことをすると、口では神様の栄光のためと言っても 自分がしたいことをしているので
栄光は自分のものになります。

人々に褒めてほしい、人々が認めてほしいという下心があるのです。
自分から出たものは全部 虚栄心・高慢があります。

神様のみこころがあるのに、それには従わないで 何故勝手なことを一生懸命するのでしょうか―?
自分の栄光がかかっているからです。
それは天国には報いが一つもないので神様の栄光にはなりません。

ですから、私たちは下心を捨てるべきです。みこころ通りにすることが神様が一番喜ぶことなのです。

イエス様が十字架の上で「完了した」と言うことは、それこそが神様の栄光なのです。
最期の瞬間まで主の栄光のために、父なる神様が自分を通して栄光を受けてほしいという目的で働きをしました。

教会での働きも「したくない」ではなく、主がしなさいと言うならば どんなことであっても忠実に働くならば
それを通して神様は同じ栄光を受けるのです。

「目立つ、目立たない」 は自分の目線であります。神様は隅々まで見ているのです。
神様から言われた所ではなく、違う所で何かをしているのなら、神様はその時からその人を見なくなります。
自分勝手に自分のために働く者。そうではなく、まったく目立たない所でも神様がそれを見て喜ぶならば、
神様はその人を通して栄光を受けます。


⑥父の御名によって働く

【ヨハネの福音書17章11節】

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

父の御名によって働きをするということは、その父から私は委任された代理人という意味です。

命令に従順するということです。少しでも違うことをしていたら、主の名がはずかしめを受けて汚れます。

「私はしもべとして働きます。主の名が汚れないようにします。」ということです。
ですから、私たちが仕事をする時も 「クリスチャン」 ということはキリストに属する者ですので、
クリスチャン1人が何か変な事をすると、キリスト教全体が傷むのです。

クリスチャンという名に相応しく生きましょう。

私たちが主の働きをする時には、その名が汚されないように、その名に相応しく働きをすることなのです。

今回学んだところが、主の働きのためのヒントを得る方法です。
聖書に全て出てきますので、私たちがその通りに働くならば、イエス様が語ったように私たちも完了し、
「主よ、どうぞ私の魂を受け取ってください。」と この世で勝利し、神様に栄光を捧げ、
安らかに主のもとへ行けると思います。
アーメン (*´∇`*)

2013.9.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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