からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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使命

弟子の道

テーマは 『 弟子の道 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

イエス様が十二弟子を選んだ時に、彼らは素直に主に従いました。

『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間を取る漁師にしてあげよう。』と言われた時、彼らはすぐに従いました。


弟子たちがすぐに従ったのは、主と共に人間を取る仕事をすることだと単純に思っていたからです。

深刻な思いはありませんでした。


主は弟子たちを訓練しながら、本格的に弟子の道が何かを教え始めました。

弟子たちが思っていたこととは違っていました。



弟子の道は 弟子としての仕事というよりも、イエス様中心に生きる人生です。


イエス様はご自分のことを『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』と言われました。


イエス様中心に生きることは、道であり、真理であり、命である主を追い求めながら、イエス様に集中して生きることです。




イエス様中心に生きない人は 弟子とは言えないです。

他のものに集中して生きる人は弟子にふさわしくないです。


生涯をかけてイエス様を探求しながら生きる人が弟子の道を歩んでいる人です。

生活の中で、イエス・キリストのみこころを実践することが弟子の道です。



イエス様は父なる神のみこころを行うために人間となってこの世に来られました。

イエス様に従う弟子はイエス様のみこころを実践する人です。


弟子になる人には目的があります。

その目的とは『イエス様について行きたい、イエス様に似る者になりたい、イエス様を伝えたい』ということです。


何のためにイエス様についていくのか分からない人は弟子ではないです。



弟子にはハッキリした目的があります。


イエス様の弟子になる人は、自分を捨てないといけないです。

いつも主に従うために、自分を捨てる決断と実践が必要です。


貪欲、名声や権力、富を求めている生きる人は それを捨てることが出来ないので弟子になることが出来ないです。




しかし それらをちりあくた だと思う人が最後まで主に従うことが出来ます。

自分の十字架を負ってついて行く人が 弟子の道を歩んでいる人です。


自分の十字架とは、自分がしないといけない “主からの使命” です。



最善を尽くして、十字架を負って主に従う人が弟子です。

信じる者になり、弟子になり、御霊に導かれて十字架の道と復活の栄光にあずかるのが弟子の道です。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.12.18
聖日礼拝メッセージ

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忠実な管理者ヨセフ

テーマは 『 忠実な管理者ヨセフ 』 です

【創世記39章23節】

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。


ヨセフに関する内容は、創世記37章から50章まで とても長いです。

彼が悪い者であったならば、短い話で終わったと思います。


しかしヨセフの信仰と人柄、任された責任と使命に対する忠実な姿勢は 信じる人たちの模範です。


そして主がそのようなヨセフになさったことを今日はみたいと思います。

ますます世の中は不誠実な人と、人を騙す者が増えていますので、ヨセフのような人は本当に貴重です。



ヨセフの運命は兄たちの企みによって、突然奴隷に転落しました。

奴隷として外国であるエジプトに連れて行かれ、パロ王の侍従長ポティファルの家で奴隷の生活を始めました。


そこでヨセフは奴隷でありながらも誠実と忠実な態度で仕えました。

他の奴隷とはまったく違う態度を見せていました。



また主が彼と共にいて彼に恵みを与えました。


主は誠実で忠実な者を喜ぶ方で、ヨセフを見て祝福と恵みを与えました。

ヨセフの主人もすべてを見ていました。



【創世記39章2-5節】

主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。

彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。

主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。


ヨセフの人柄だけで、主人に愛されたわけではないです。

主がヨセフを祝福するのを見て、ヨセフを信頼し、ヨセフに全財産を任せました。


奴隷に売られた者でも、主が祝福したので、運命と環境が変わりました。








次にヨセフは、主人の妻から性的誘惑を受けましたが、拒んだことで嘘をつかれ、性犯罪人にされて監獄に入れられました。


しかし監獄の中でもヨセフは変わらない態度を見せたので、今度は監獄の長の目にとまり 監獄を管理する者になりました。

そこでも主は彼を祝福しました。



どこに行っても、誰と共にいても誠実さと忠実さが変わらないので、主から祝福を受けることが出来ました。


主の祝福は、追いかけて捕まえられるものではなく、自分がいるところで誠実に忠実に自分に任された使命と責任を果たす時に、主が人の心を動かし、環境を変えて下さいます。



【創世記39章21-23節】

しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。

それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。


ヨセフの運命はさらに主の恵みによって大きく変わりました。

今度は、当時の超大国であるエジプトの管理者になりました。


そこでも彼の誠実さと忠実さは変わりませんでした。


主は彼に恵みを与えて、ヨセフは主から受けた知恵と行動力によって素晴らしい管理者としての働きが出来ました。



信頼と祝福、地位を得ると変わる人が多いですが、ヨセフの場合は、信仰も人柄もまったく変わりませんでした。

もっと器の大きい人間に変わりました。


謙遜な人、愛と赦しの人、あわれみ深い者に変わりました。

主はそういう人を豊かに祝福して下さいます。


誠実さも忠実さもない人間、責任も使命も果たさない人間が受ける祝福はないです。




聖書では管理者に求められる第1のものが忠実であると教えています。

才能や能力ではないです。


また小さなことに忠実な人に、大きなことを任せると言われました。


奴隷や囚人として良い管理の仕事をしたヨセフは、奴隷の身分から自由になり、一国の総理になり、国を管理する者になりました。


ヨセフの誠実さと忠実さ、そしていつも共にいて助けて下さった主の恵みによって、ヨセフはみんなから尊敬され、主に愛され、また人々を助けた素晴らしい信仰の人でした。

見習うべき姿です。


変わらない誠実さと忠実な態度に祝福はやってきます。

環境や運命を呪う必要がないです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.10.16
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ノアの時代と今の時代

テーマは 『 ノアの時代と今の時代 』 です

【創世記6章1-8節】

さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。

神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

しかし、ノアは、主の心にかなっていた。


ノアの時代の洪水はみんな知っています。

しかしその時代に何があったのかを知っている人は少ないですね。


その洪水は今の時代で言う環境や気候問題で起きたでしょうか。


昔はきれいな空気ときれいな空があり、環境も汚染されていなかったです。

産業革命が起きてから環境はどんどん汚染されていきました。


神が大洪水を起こした理由は、その時代の人間の堕落が一番の問題でした。

人間の汚染によってすべてが汚れてしまいました。



神を知らない人は当然自分の肉に従って歩みますが、一番神を悲しませたのが、神の子たちの堕落でした。


神の子たちが堕落するとこの世には希望の光が消えて行きます。


神が信じる者に期待するのは『世界の光、地の塩」として神のことを伝えることです。


しかし、その使命のある信じる者が堕落してしまうことは 光が消え、塩の味をなくしたことを意味します。


【マタイの福音書5章13-14節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。


神の恵みを受けた者、光の子どもとして生きるべき者が、この世を愛し、この世と妥協して生きる時に、この世界はさらに闇の世界になり、闇の力が強く働き、悪が増大していきます。



善を行うべき者が悪を行うならば、神が黙っていることは出来ないです。

神への恐れも関心もなくなるならば、神のことばよりも自分の欲望を優先し、この世の流れに従って歩みます。


神の御心とは反対の生き方を神の民がした時に、神はどのような思いになるでしょうか?


【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。


パン種は少しだけでも粉全体を膨らませます。

罪の妥協も、少しだけでも全体を汚染していきます。


悪が入ることで善悪の分別を失い、悪の原理に従って歩みます。






ノアの時代も今の時代も人間は変わらないままです。

むしろ増えました。


科学や技術などは飛躍的に成長したのに、人間は相変わらず暴虐を行い、それを楽しんでいます。

悪が増えれば増えるほど、神の裁きも厳しくなります。


神はすでに あらゆるしるしを通して人々に警告を与えていますが、神を忘れ、この世を愛します。


神から恵みを受け、神を知っている人が、堕落した時はもっと厳しい神の裁きがあります。



人々が光と塩気を失っている中で、神は光を輝かせていたノアを私たちに紹介しました。


ノアは希望と回復の光でした。

神は今の暗闇の時代でも、ノアのような人がいるかどうかを捜しています。



神は裁きの時にもノアのような人に、神の恵みと救いを与えます。

そのような人が悪人と共に滅びることはないです。


今の闇の時代に、神は信じる者に命じています。

そして教会に命じています。


【イザヤ書60章1-3節】

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.10.3
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みことばの栄養を食べ、食べさせる

テーマは 『 みことばの栄養を食べ、食べさせる 』 です

私たちが生きていくためには、食べ物が必要不可欠であり、栄養のあるものを食べて生きていく必要があるように、私たちの霊も 栄養のある神様のみことばを毎日食べて生きていかなくてはなりません。


特に今日は、そのみことばの栄養を食べていくこと、また自分だけではなく、私たちの周りの大切な人、特に家族にもこの栄養を食べさせないといけないことを見ていきます。



まずは聖書のみことばから「家族」、そして「信仰」について学んでいきましょう。


【第2テモテ1章5節】

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

テモテは、お母さんはユダヤ人で、お父さんはギリシャ人(異邦人で未信者)でした。


【使徒の働き16章1-3節】

それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、

ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。


ユダヤ人の父親は、子どもたちに律法を教える責任があったのですが、もし信仰がある父親が生きていない場合は、祖母から律法、つまりは神様のことばを学んでいました。


このテモテの信仰を育てたのは、お母さんとおばあちゃんだったのです。

テモテのお母さんと、おばあちゃんがテモテに聖書のことばを小さい時から教え、それからテモテが信仰を持つようになりました。


テモテは、この貴重な何よりも大切な信仰を、親から受け継がれ、迫害があっても、二心にならず、あきらめない、最後まで信仰を捨てないほどの、純粋な神様に喜ばれる信仰をしっかり持っておりました。


テモテが信仰を持つようになった背景には、一番身近にいた、母と祖母という家族の存在があったからです。



私たちは誰かに「信仰を持ってほしい」、「救われてほしい」、「もっと信仰が育ってほしい」と思う時、「とりあえず教会に連れて来たらいいか」と考えませんか?

もちろん、教会に連れて来ることはとても良いことですし、メッセージも聞けるし、他のクリスチャンの方とも交わりができるのでとても良いと思います。


ただ、もしそれが家族であるのならば、私たちがすべきことは、「教会に連れてくること、お祈り、以上。」

なのではなく、実際に御言葉、聖書を伝えていくことがとても大切です。


あなたの家族は、あなた自身の家族であり、他の人ではなく、一番近く、一番影響を与える関係です。

私たちは、その家族とともに、それぞれ信仰を持ち、育てていく「使命」が1人1人にあるはずです。



信仰を育てるためには、神様のみことば、聖書に親しむことがとても大切です。

パウロは テモテに次のように言っています。


【第2テモテ3章14-15節】

けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

テモテは、幼いころから聖書に親しんできました。

よく読んでいて、よく知っていました。

そしてそれによって、信仰を持つようになったのです。


あなたの大切な家族、あるいは一番近い人と、一緒に聖書を読んでいくこと、みことばを伝えることがとても大切なのです。




栄養失調




信仰生活は、子育てと同じです。


子どもが生まれると、親は一生懸命、ミルクをあげます。

子どもが生きていくため、成長していくためです。


母乳やミルクから始まり、離乳食に移り、そこから徐々に普通の固形の食べ物を食べるようになります。


普通の食べ物が食べられるようになり、美味しい物が分かるようになり、自分で自分に必要な食べ物は何か、栄養良く食べるようになるのです。

信仰と御言葉、私たちの霊も同じです。



信仰が小さな時は、食べやすく消化しやすいように、分かりやすい御言葉から少しずつ食べ始め、毎日食べることです。

それから徐々に聖書が何を言っているのかが分かるようになっていくと、聖書の深い真理を知り、味わっていくことです。


始めは何が何なのか分からないながらも、少しずつ栄養として食べていくことで、後に徐々に御言葉を悟るようになります。

徐々に悟ることで、少しずつ固い食べ物を食べられるようになるように、御言葉の深い真理を知っていくのです。



そして、自分に今 どんな食べ物が必要なのか、どの栄養が足りていないかが分かり、美味しいもの、体に良い物を選んで食べるように、私たちもその時々に必要なみことばを食べていくことが とても大切なのです。


子どもが食べ物を食べるのは生きていくために必ず必要なことであり、足りないと栄養失調になり、何も食べないと死んでしまうのです。

同じように、毎日御言葉を食べないと、私たちも栄養失調になり、いずれは死にます。






ジャンクフードは、食べている間はとても美味しく感じ、また食べたいと思いますが、それを食べ続けると気付けば栄養失調になり、私たちの健康を害していきます。


私たちも栄養のあるみことばではなく、この世のことばや違う教えを食べると、その一瞬は美味しく感じ、また食べたいと思うかも知れません。


ただ、それを食べ続けると、気付かない間に栄養失調になり、私たちの霊を害し、いずれは死んでしまうのです。


私たちは自分自身が健康に生きるためにも栄養のある このみことばをしっかり毎日食べる必要があるのです。


食べないと死んでいくからです。



また、私たちは自分自身だけではなく、自分の周りの人、特に家族を食べさせていくことも大切です。

あなただけが、健康に生きて、周りの大切な人がどんどん栄養失調になり、やせ細ってしまっていても、それで良いのでしょうか?


あなただけが美味しいもの、体に良いものをパクパクと食べ、横にやせ細り、栄養が必要な人を放っておいても良いのでしょうか。



私たちには、自分たちだけではなく、周りの人にこの栄養あるものを食べさせ、生かす使命があるのです。


それは親が子どものことを愛し、毎日栄養のあるご飯を食べさせるように、私たちも みことばという食べ物を周りの人に食べさせていくことが必要なのです。

ミルクから始め、離乳食を与え、徐々に固形のものを食べてさせていくことです。



今まであまり家族と一緒に聖書を読んだことがなく、どこを読んで良いのか分からない方は、その家族が好きなところからスタートしたら良いです。


ストーリーやドラマが好きな方はぜひ、新約聖書の最初の4つの福音書や、その中のヨハネの福音書からでも良いです。


ことわざや、格言、自分を高めることに興味のある方なら、箴言。

物事をじっくり考えたり、哲学的なことが好きなら、伝道者の書から。

一つずつ順番にするのが好きなら、創世記から。

心にホッとする言葉や、詩が好きな方は、詩編から。


どこからスタートするか、何を読むかはそれぞれその人に合わせて始めたら良いと思います。



聖書を出して、読むことが難しいならば、聖書からの話をまとめて伝えるのも もちろんOKです。

少しずつ、私たちの方から、神様からの愛のメッセージであるこの聖書のみことばを伝えましょう!



信仰を持ち、先にクリスチャンになった私たちには、この救い、みことば、聖書をまずは家族に伝えていく必要があるのですが、それによって、その家族の救いに繋がることもできるのです。


【第2テモテ3章15節】

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

人々はいろんな形で救われます。

それは神様のご計画であり、みわざであります。


その救われ方はそれぞれ違いますが、私たちが今持っているこの聖書が、「救い」に導いてくれますし、「信仰」を育ててくれます。


これを読むようになることが大切です。

聖書を読むことは、神様を知ることです。


神様がどんな方であり、何を私たちに伝えたいのか、私たちは神様にとって どのような存在であるのかを知っていくことです。






例えば、自分の夫や妻、仲の良い友達を思い浮かべてください。

その人がどんな人であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、よく知っていますよね。


逆に、あまり相手のことを知らずに、仲良くなったり、好きになることはありますか?
―― ほとんどないはずです。


私たちも神様、イエス様が一体どんな方であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、それを詳しく知らないと、心から信じたり、愛したり、礼拝することはできないと思います。


まずはいきなり信じようとする前に、イエス様がどんな方であるのかを知っていくことです。

それを知っていくために一番良い方法が「聖書」なのです。

また、聖書は「救いに導く」ことに加えて、次のことでも大切です。


【第2テモテ3章16-17節】

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


この16節は日本語がとても難しいですよね。

もっと分かりやすく言うと このようになります。


聖書は、真実を教え(①教え)、何が間違っているか(罪)に気付かせ(②戒め)、間違えている時に直させ(③矯正)、正しいことをするようにさせる(④義の訓練)ために有益なのです。


このテモテへの手紙が書かれた当時は異端が多かったのです。

間違った教えが多かったので、「聖書(旧約)こそ真実を教えてくれている」と伝えています。




今の時代




今の時代は、ますます何が真理であり、何が正しく、何が間違えているのか、どんどん分からなくなっています。


今まで常識だったことが非常識になったり、「個人の選択、趣向、考え方だ、だから全部受け入れなさい。受け入れないならば、差別です」と言われる世の中になっています。


何が間違っているのか気付かず、むしろ それが合っていると勘違いをする。

あるいは、間違っていると気付いていても、直さない人、逆にそれが正しいと訴える人が溢れている社会です。


その中で私たちは生きていて、特に子どもたちや若い人はすでに曲げられてしまった偽りの真理を、学校や、社会、世の中でまるで それが本当の真理であり、正しいものであるかのように学んでいるのです。

気付かないままに、真理を真理と気付かず、間違ったことを正しいと学ぶ社会になっています。



これはノンクリスチャンの中だけでの話ではなく、クリスチャンの中でも真理を曲げて伝えている牧師、クリスチャン、教会がとても多いです。


その中で、何が本当に正しく、また、間違えているのか、一体何を選択すべきなのかを教えてくれるのは、聖書です。


いつまでも変わらない真理、人間が人間らしくどのように生きていくべきかを、はっきり噓偽りなく書いてくれているのが聖書なのです。

聖書は、私たちの間違いに気付かせ、直し、正しい方に導いてくれます。


盲目な者として、無知の者として生きるのではなく、知恵ある者として、目を覚ましている者として生きることができるのは、聖書なしでは無理です。



聖書のみことばがあなたの中に入っていないと、間違えたことに気付くことも、ストップさせることも、正しい道に戻ることもできません。

それは、私たちだけではなく、私たちの周りの人もそうです。


特に、子どもがいる方は、親として、その子どもを正しい道、命の道へと導く責任があります。



「誰かが教えてくれるから良いや」ではなく、あなたが見本となり、教えていくことがとても大切なのです。


そのためにも もちろん、また、あなた自身が生きるためにも、まずはあなた自身が、聖書に親しみ、それに基づいて生きること、聖書の教えにとどまることが大切なのです。

逆にワクワクしませんか?


聖書は私たちにたくさんのことを教えてくれ、私たちに益をもたらしてくれると思うと、もっと知りたい、読みたいとなりませんか?


一緒に、あなたと、あなたの愛する方たちとこの栄養満点の御言葉を食べていきましょう!
アーメン (。・ω・)ノ゙

2020.6.14
聖日礼拝メッセージ

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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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目を覚まして生きることは

テーマは 『 目を覚まして生きることは 』 です

【コロサイ4章2節】

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

聖書を読むと 魂が死んでいる者、眠っている者、またパリサイ人のように ただ宗教活動だけをする者たちがいます。


クリスチャンであっても例外ではなく、その部類の人たちがいるので、主は “目を覚ましなさい” と何度も警告しておられます。

自分がどんな状態であるかを知って、新年から目を覚まして生きる者になりたいと思います。


目を覚まして生きることは どのようなことでしょうか?




自分で考えること




今は情報が溢れています。

それらの情報だけに流されている人がとても多いです。


自分で考えることが いつの間にか無くなりました。

自分で考えることがない人が一番惑わされやすく、扇動されやすいです。



人の意見を聞いても それが正しいか正しくないか、正義か不義かを考えずにむやみに同意することは愚かです。


「なぜあなたはそう思うのか」と聞かれた時に 答えられない人は、自分で考えたことがないので答えられないです。


次のことばは私たちが考える時に判断基準、分別力を与えます。


【ピリピ4章8節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。



自分で行動すること




口では他人の行動を非難したり、裁判官のように裁いたりしながらも、自分では何も行動しない人がとても多いです。


自分の意見が正しいならば 他人を非難する前に、自分で行動して見せることです。


目を覚ましていることは、起きて行動していることです。

特に主が喜ぶ良い行動をすることです。


行動しない人は報いもなく、反対に怠け者としての叱責だけがあります。




たゆみなく祈ること




祈ることの一番の理由は 神に近づき、神を求め、神のみこころを知るためです。


安逸な生活、豊かさを求めるために祈りがあるのではないです。


【マタイの福音書6章31-33節】

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


神のみこころを知り、神のみこころがなるように祈ることが大切です。




自分の使命を果たすために日々励むこと




生まれ変わったクリスチャンには主が与えた使命があります。

その使命は生きている時にしないといけないです。


天国は働く場所ではなく安息の場所です。

地上では任されたことを熱心にすべきです。


【ピリピ2章22節】

しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。


またエパフロデトに対しても 次のようなことばがあります。


【ピリピ2章30節】

なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。


何もせず、いま眠っているならば、今は楽かも知れないです。

しかし主の再臨の時には地上に残されます。



【マタイの福音書24章37-42節】

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

アーメン (*・ω・)ノ


2020.1.5
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主に従うこととは

テーマは 『 主に従うこととは 』 です

【第2テモテ4章16-18節】

私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。

しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

口先だけで「主に従います」と言うのは簡単です。

言うだけで何もしなくて良いですから。


しかし、実際に主に従って歩むことは簡単ではなく、とても難しいです。

なぜなら主が歩んだように歩まないといけないからです。



主の使徒・パウロは、「主に従って歩む」ことが、どういう事かを身をもって現した人でした。

イエス様のように生きてイエス様のように死にました。


イエス様からビジョンと使命を受け、イエス様と親密な関係を結び、共に歩みました。


そして主が 弟子や従って来たすべての者に捨てられたように、パウロも捨てられました。


そしてイエス様のように彼らを赦しました。

主を愛し、人を愛する愛をそのまま見せました。



イエス様は、人のために この世に来られ、人に仕えましたが、人の手によって十字架にかけられ死にました。


十字架の上で父なる神に祈りました。

「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」


パウロも自分を見捨てた人たちに対して「彼らがさばかれることがありませんように。」と願いました。

イエス様に似た姿がありました。


イエス様に出会った後のパウロの生き方、心、働き、愛、すべてはイエス様の中に見られるものでした。

違うところはありませんでした。



主に従うことは、主と同じ生き方をすることです。

違う生き方ならば、別々の道を歩んでいることを意味します。


主と同じ生き方は、みことばの知識だけでは100%無理です。


知識だけでは主の心を知ることが出来ません。

理解も出来ません。


十字架の知識を持っていても 十字架にかかった主の心や痛み、苦しみを知ることは出来ないです。


自分が同じ経験をして初めて共感し、知ることが出来ます。



主に従った人々は、主と同じことを実行しました。

無条件の愛、犠牲的な奉仕、心からの服従、完全な自己否定、しもべとしての謙遜がありました。


信仰と愛、希望をもって、神に栄光をささげながら自分の十字架を負ってビジョンと使命を全うしました。

天の御国にふさわしい者になりました。


アーメン ヽ(^o^)丿

2019.9.1
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最後まで走りぬく

テーマは 『 最後まで走りぬく 』 です

【伝道者の書 3章1-14節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

私たちが今 生きている人生は平坦ではありません。


「救われていたら、いつも良いことばかり」、「問題なんか起こらない」、「ずっと平安であり、幸せである」わけではないのです。



実際に聖書にはこのように死ぬ、失う、殺す、崩す、投げ捨てる、引き裂く、戦う時があると書かれていて、現に私たちの人生でも これは起こっているのです。

その時々は、苦しいものであり、楽なものではありません。


私達が生まれる時があり、癒やされる時があり、喜ぶときがあり、収穫する時があり、それぞれがその時にかなっているように、これらの困難も時にかなっているのです。






私たちは生きていると、いずれ死にます。

その死ぬタイミングは誰にもわからないのです。


急に事故で亡くなる場合もあれば、病気で徐々に亡くなる場合もあります。


命は神様が握っているものであり、その “時” は神様にしか分かりません。



生きていれば苦しみもありますし、そしていずれは死ぬのです。

その中で私たちがすべきことは何でしょうか?


それは神様が与えてくださった使命に対して 忠実に働き、喜び楽しむことなのです。


また、真理を知り、神様のみことばを かみしめて生きることです。



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

神様がなさることは時に私たちは全く理解できない時もあります。

ただ、神様のなさることはすべて時にかなって美しいのです。






例えば、イエス様をこの世に送り、罪人のために身代わりになって死ぬことは普通に考えてありえないことなのです。


ご自分の息子を、罪のない息子を、否定し拒絶し侮辱し痛めつけ 裏切り苦しめる者たちのために わざわざ十字架につけさせるのです。


ペテロもそれが理解できなかったのです。

なぜイエス様が捕まえられて苦しみを受けないといけないのか。


十字架にかけられるその瞬間だけを見ると むごく、ひどい、あり得ないことなのです。



ですが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。


神様がそのようにイエス様をわざわざ罪人のためにこの世に送り、十字架にかけさせたのは、罪人を救うためであり、解放するためであり、死に打ち勝って勝利をおさめ、栄光を受けるためでありました。


私たちが永遠に神様とともに生きるために、自らを犠牲にして来てくださったのです。



私たちの目には見えないことがたくさんあります。

生きていて理解できないこと、辛くてしんどいことがあるのです。


「何でこんなことが?」「なぜ私ばかりこんなに苦しむの?」
そう思うことがたくさんあります。


それでも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と信じる信仰が必要です。


神様にゆだねながら、私たちは今 神様に与えられた使命をしっかり果たすことです。

その中で喜びを得ることなのです。






もう一つ、人生を生きていくための秘訣があるので、みことばを見ていきます。


【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

忍耐を持って最後まで走りぬくことが大切です。


天の御国に行くその最後まで、信仰のレースを走り抜かないとだめなのです。

途中で信仰のレースをやめることは、神様と一緒に生きないことであり、御国に行かないことであります。


どんなに辛かろうが、私たちは走り抜かないといけないのです。



陸上のレースでも走り切らないと記録は残らないのです。

どんなに有名な選手であったとしても、レースの途中で終わってしまうと、それは意味がないのです。


むしろタイムが遅かったとしても最後まで走り抜いた者に栄冠がいくのです。



最後まで走り抜く方法を神様は ここで語ってくださっています。


―いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けること―信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないこと です。



陸上のレースで大きなかばんを担いでる人、重荷を背負ったまま本番に臨む人を見たことがありますか?

みんな薄く軽いユニフォームを着ているだけで、荷物は何一つ持たずに全力で走っています。


私たちが走り抜くこのレースでは、すべての重荷と罪を捨てて走らないといけません。


重荷を担いだまま、罪を背負ったまま走るのは とても大変であり、走り抜くことは不可能なのです。






何のために自分でその重荷を抱えようとするのですか。

何のために罪を持ったまま生きようとするのですか。


それが私たちを助けてくれるでしょうか。


―― いいえ、そんなことはありません。


私たちは信仰のレースを走り抜くためには、一切の重荷、罪を捨て去らないといけないのです。



そして、それにはもう一つ大切なこと、「イエスから目を離さないこと」です。


イエス様から目を離すこととは、“イエス様以外のものを見ていること” です。

つまりは、イエス様を見上げないといけないのに、人を求める、問題を見る、罪を見る、環境を見ることです。


人を見ている間、問題や自分の罪、環境を見ているということは、つまりはイエス様から目をそらしているということなのです。



一生懸命 人を見て求めると、罠にかかります。

神様よりも人のことを大切に思い始めるのです。


人に愛されること・認められることを先に求めるのです。

問題や環境ばかりを見ても、問題は解決されません。


罪ばかりを見ても、それから免れることはないのです。






私たちが必要なのは、イエス様を見ることです。


イエス様を見、イエス様の生き方・人生を見ることで知恵が与えられ、慰めが与えられ、元気が与えられ、勇気が与えられ、愛が与えられるのです。


イエス様は私たちが通った以上、(今まで)経験した、またこれから経験する試練以上の試練と困難、苦しみ、死をすべて受けた方なのです。

それでも走り抜いたのは、その先にある “栄光・命・復活・喜び” をずっと見ていたからです。



私たちもイエス様を見上げ、イエス様のように “その先にあること” を見るのです。


【へブル12章10-11節】

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

試練は失望に終わることはありません。


人間の目や価値観では すぐに分からなくても、もはや生きている間に分からなかったとしても、耐え忍び、最後まで走り抜くことで、平安の義の実を結ぶのです。



神様の中で強くありましょう。

ますますイエス様を見上げましょう。


注意散漫にならず、イエス様を見上げましょう。

そして、信じ、ゆだねることです。


神様のなさることはすべて時にかなって美しい、ということばをかみしめ、味わっていきましょう。


アーメン (・∀・)

2019.8.25
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勝利した人たちが使うことば

テーマは 『 勝利した人たちが使うことば 』 です

【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

環境が 人に勝利をもたらすのではなく、
“健全な信仰と思考を持って勝利のことばを使う人” が勝利を勝ち取ります。


今日のことばは、使徒パウロが語ったことばでした。


パウロの置かれた環境は、常に “最悪な環境” でした。

福音を伝えるのが彼の使命ですが、常に反対、妨害、迫害の環境での働きでした。


肉体的にも死の連続の状況でしたが、なぜ そのような中でも、彼は福音によって世界を変える勝利の働きが出来たでしょうか?

もちろんパウロだけではなく、聖書にはパウロと同じく勝利を得た人々が多く出てきます。


彼らに共通するものは、健全な信仰と思考、そして常に勝利のことばを使ったことでした。


私たちは、主のことばに関心があります。


主のことばで力を受けたり、慰めを受けたり、励ましを受けたりします。

そして主のことばに頼ります。


主はどうでしょうか?


主は、私たちのことばに関心があります。

ことばを聞いて、私たちの信仰や考え方を知ります。


勝利を得た人たちのことばには とても力があり、自信があり、希望があり、神への信頼がありました。

パウロは困難に直面しても、弱音を吐きませんでした。


なぜなら、共におられる主に 完全に信頼していたからです。


自分が受けた使命は、主からの使命なので、そこに失敗があるとは考えていませんでした。

どんなに環境が悪くても、自分は必ず勝利すると宣言して働きました。


ローマでは、次のように勝利について語りました。


【ローマ8章35-37節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、剣があるから と、主から離れる人は勝利者ではなく、“敗北者” です。


【第2ペテロ2章19-20節】

人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。

環境に左右される人は 信仰があったとしても、結局は環境に倒されて勝利することが出来ません。


勝利する人たちは 環境ではなく、主に信頼し、みことばに信仰を築き上げ、健全な思考をもって、環境に向かって勝利のことばを使います。


「私は必ず勝利者となる。圧倒的な勝利者となる。私は私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来る。

決してサタンが喜ぶようなことばは使いません。


他に勝利した人たちのことばも聖書にありますので紹介します。




ヨセフ




ヨセフが語ったことばです。


【創世記45章5節】

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

もし このようなことばではなく、恨みのことばで彼らを恨んだり、復讐したならば、ヨセフは勝利者にはなりませんでした。




カレブ




【民数記13章30節】

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

多数が否定的な思いで、絶望的なことばを使っても、
カレブは最後まで勝利のことばを言いました。


神は カレブのことばを心に留め、彼には勝利を与えました。


しかし絶望的なことば、つぶやきに対しては このように語りました。


【民数記14章28-29節】

あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

私たちは自由にことばを使うことが出来ます。

しかし、自分が使ったことばの実を刈り取るのは、自分自身であることを忘れてはいけないです。




ダビデ




戦う前に、すでに勝利宣言のことば使ったダビデのことばです。


【第1サムエル記17章47節】

この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

全イスラエルが恐れていたゴリヤテに対して、恐れなかったのは ダビデだけでした。

神は彼に勝利を与えました。


ゴリヤテを恐れていたサウル王のことばと比較してみましょう。

使うことばが違いました。





サウル




【第1サムエル記17章33節】

サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

普段どのようなことばを神様に、自分自身に、他人に使っていますか?


あなたが使ったことば通りの将来が あなたを待っています。

そして蒔かれたことば通りのことを刈り取ります。


勝利したいならば、環境が変わるのを待つのではなく、あなたの信仰、思考、ことばを変えて下さい。


そうするならば勝利の人生を送ることが出来ます。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.4.8
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迫害の中でつまずかないためには

テーマは 『 迫害の中でつまずかないためには 』 です

【ヨハネの福音書15章18-25節】

もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。

もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。

しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。

もしわたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。

わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。

もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。

これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。

イエス・キリストの十字架の死は 初めから予定されたものでした。


イエス・キリストは 自分がどのような死を迎えるかを知っていたので、弟子たちに事前に話しました。


【マタイの福音書16章21節】

その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

そして、そのことば通りのことが実際に起こりました。

宗教指導者たちの迫害によって殺されました。


この迫害は、イエス・キリストだけに限定されたものではなく、長い歴史の中で いつの時代にもキリスト者にありました。


イエス様は天に上る前に、弟子たちに使命を与えました。


【マルコの福音書16章15-16節】

全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

そして主は聖霊を遣わして下さいました。


宣教は聖霊が主導し、聖霊が力を与えたので、弟子たちは勇気をもって大胆に出て行って福音を伝えました。


聖霊の奇跡も たくさん起こったので、救われる魂が多く起こされました。

イエス・キリストを殺した人間から見たら “想定外” のことで、福音は勢いよく広がっていきました。


それでイエス・キリストを迫害した同じ人間たちによって、再び迫害が 使徒たちや信じる者たちに始まり、そこで殉教者も出て来ました。

その様子を次の箇所で見ます。


【使徒の働き5章17-18節】

そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、

使徒たちを捕らえ、留置場に入れた。

【使徒の働き5章33節】

彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。

【使徒の働き5章40節】

使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。

これ以外にも激しい迫害がありました。



しかし、その中でも弟子たちは福音を宣べ伝え、ローマやアジヤでも多くの信じる者が生まれました。


ローマでは最初は迫害がなかったですが、信じる者が増えるにつれて迫害が始まりました。


イエス・キリストを信じる者が握っている “確信” (福音のメッセージ、唯一の神、救い主はキリストだけである) という排他性が 多くの人々を惹きつけましたが、それを認めない人たちは、そこにつまずき、敵対者になり、キリスト者を非難しました。

そして福音を妨げる力も強く働きました。


本格的なローマでの迫害は、ネロ皇帝の時に始まりました。

先月ローマへ行き、その現場を自分の目で見ることが出来ました。


ネロの放火によってローマ市の大半が焼かれた時に、ネロはその罪を、キリストを信じる者たちに転嫁しました。

そして “キリスト者” として知られている者たちに 罪を着せ、処刑しました。


クリスチャンたちは、動物のぬけがらを着せられて 犬に食い散らされたり、十字架につけられたり、夜になれば たいまつの代わりに燃やされました。


ネロは これらの見世物のために、自分の庭を解放して見せました。

ライオンや熊の餌食になる者も多かったです。



コロセウムの中にも入りましたが、5万人近く入る闘技場で、クリスチャンたちは 猛獣の餌食になっていきました。

このような迫害は長く続きました。


ドミティアヌス帝は、「キリスト教を告白することは死刑に値する罪」としました。

そして、ある人がキリスト者であることを知ると、その人に信仰を捨てる機会を与えます。

もしそれを拒否すれば処刑されました。


皇帝トラヤヌスは「だれでも自分がキリスト者であることを否定し、それを行いで証明するために、われわれの神々を拝むなら、その過去がいかに危険なものであろうとも その悔い改めによって赦されなければならない」と言いました。


激しい迫害を避けて、人々は地下に潜って行きました。



ローマには、カタコンベがあります。

現在知られているカタコンベは35です。


“地下埋葬所” とも言いますが、そこはクリスチャンたちが迫害を逃れるために身を隠した場所でもあります。


彼ら自身が地下に潜ってすべて掘りました。

今回はプリスキラカタコンベに行きました。


複雑に入り組んだカタコンベの廊下の総延長は、800キロとも言われます。

その規模には本当にびっくりしました。


真っ暗闇の中、息苦しい場所、湿気があり、そして死んだ人たちをそこに埋葬してあるので、においも相当あったと思いますが、それらと一緒に暮らすことは想像するだけで苦しくなりました。


しかし激しい迫害の中でも 彼らはその中で信仰を守っていました。



どのようにして彼らは激しい迫害の中で、つまずかずに信仰を守り通したのでしょうか?


ペテロもパウロも、ネロの迫害の時代に殉教しました。

私たちは同じ時代、迫害の中にいる信徒たちに対して イエス様が使徒ヨハネを通して語ったことばで、彼らの中にあるものを知ることが出来ます。


迫害の中で彼らを支えたものが何かを主が教えて下さいました。

その部分だけを聖書の箇所で伝えます。




主の名のために耐え忍んだ




【ヨハネの黙示録2章3節】

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。



主の励ましと報い




【ヨハネの黙示録2章10節】

あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。



主に対する信仰




【ヨハネの黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。



愛と信仰、奉仕と忍耐




【ヨハネの黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。



罪から離れ主とともに歩む




【ヨハネの黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。



忍耐のことばを守った人に対する主の守り




【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。





外から来る激しい迫害に耐えるための信仰と愛、忍耐と奉仕、主のことばに対する信頼があったので、彼らはイエス様を捨てることもなく、つまずくこともありませんでした。


そして、彼らには強力な復活信仰がありました。


よみがえった主を実際に目撃し、見ていなくても信じたので、彼らは試練の中で耐えることが出来ました。



今も世界の様々な所で、迫害を受けている信徒たちがいます。

そして後には、全世界に迫害が必ず起こると預言されています。


“目を覚まして準備していなさい” と主から言われてあります。


準備せずに信仰を守ることは不可能です。

忍耐も出来ないです。


簡単につまずくと思います。


主のことばは必ず実現しますので、他人事のように思ってはいけないです。
(; ̄Д ̄)


2018.2.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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キリスト者の生活

テーマは 『 キリスト者の生活 』 です

【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

キリスト者の生活に対して、皆さんはどのように考えているでしょうか。

日曜日には教会に行き、聖書を読んだり、祈ったりすることだと思いますか。


ある人たちは “イエス様を信じている” と言いながらも、これらのことすらしない人もいます。


果たしてイエス様が その人を“(イエス様を)信じる人”として認めて下さるでしょうか?

そのことをよく考えることです。


ある先生から聞いた話ですが、ある教会の執事に会って話を聞いたら、その人ははっきりと「私はキリストを信じてないです」と言われました。

その話を聞いてびっくりはしましたが、正直に言ってくれたので まだ望みがあると思ったことを話してくれました。


その人はまだ信じていないので、いつかは信じる望みがありますが、信じていると言いながらも 死んだクリスチャンは、自分自身に騙されているので これが問題です。


本当に信じている人は どのような生活をする時に、主が認めて下さるでしょうか。




神に自分自身をささげる




今日のことばにあるように、“自分の体を神に受け入れられる聖い供えものとしてささげなさい” と言われました。


パウロはこの状態を別のことばでも表現しました。


【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

すなわち救われた人は 自分のからだに対する権利がなく、権利を持っているのはイエス様です。


ですから、自分の体を 自分の快楽や好きなように使うのではなく、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために使うことです。


いつも “私のからだは私のものではない、神の栄光のために存在するんだ。“ と思うことです。


神の栄光を現す時に、私たちは神に 自分自身を聖い供えものとして自分をささげることが出来ます。




心の一新によって自分を変える




人は変わってからキリストを信じるのではないです。


伝道してみると、ある人は「自分は罪が多いから今は無理です。」と言います。

そして「まともな人間になってから信じます」と言われます。


それは順番が違いますね。

健康な者が医者は要らないように、正しい者には救い主も要らないです。


主は罪人を救うために来ましたので、罪人を招いておられます。


罪人はそれに応じれば良いです。
その人を主は救います。


しかし、それからは私たちが変わる番です。

キリストから恵みを受け、キリストに属する者になった人は、新しい生き方を始めないといけないです。


私たちは立場が変わると、それに合わせていきます。

学生から社会人になると服装、時間の使い方、人間関係、生活パターンなど すべてが変わり、それに適応していきますね。

結婚したらまた独身生活とは違う生き方をしないといけないです。

それに人は合わせていきます。


神を信じたらどうなりますか?


それからは 私たちが神に合わせていかなければなりません。

ですから日曜日でも教会に来て、神を礼拝しないといけないです。
これが信じる者の生活ですから。


主のことばを聞いて神の御心を分別して、それに従って行く時に 私たちはキリスト者の生き方が出来ます。




神の恵みによって異なった賜物を受けるのでそれを使う




【ローマ12章6-8節】

私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。

神は私たちが神の栄光を現す体にするために、私たちが持っているものを使うのではなく、(神が)必要な賜物を与えてそれをもって 私たちが神のために働くようにしておられます。


ですから “自分は何の才能もないから主のために働くことが出来ない” というのは間違えています。


神が その人を何かに使いたいと思う時には、その人にふさわしい賜物を与えます。

そして、それを道具として使うことを願っておられます。


自分がその賜物をもらったかどうかは目で確認できるものではなく、実際働きを始めると現れます。


モーセを神が選んだ時に何度も自分は口下手と言いながら使命を断ろうとしました。


しかし後の彼の姿を見ると、どこに口下手の姿が見えるでしょうか?

神が彼の口にことばを与えて下さったので、何の問題もなく民の指導者として働くことが出来ました。




上にある権威に服従する




【ローマ13章1節】

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたのです。

キリスト者の国家への服従を教えています。

地上で神から権威が与えられた政治家の中に、神に敵対する人もたくさんいます。


神の教会も信徒も迫害する者も多いですが、神は 悪い者にも目的があって使うために立ててあります。

歴史を見ると分かります。


神は、キリスト者が神が立てた権威と秩序に従うことを命じました。

イエス様さえも地上の権威に従いました。


もしその権威が神に敵対するように命じるならば、私たちは彼らよりもさらに高い権威を持っておられる神の権威に従わないといけないです。




人を愛する者になる




【ローマ13章8節】

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

神を信じる者は律法を守らなくても良いということではないです。

反対に律法を完成させないといけないです。

信じる者が神の言葉を大切にすることは当たり前です。


神の口から出る言葉で生きることが救われた人の生活です。


たくさんある みことばを、どうやって守ることが出来るでしょうか?

簡単な方法を主が教えて下さいました。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。

愛一つで律法を完成することが出来ます。


愛は相手の益になることを先に求めるからです。

愛は相手に害を与えません。むしろ相手が喜ぶことをします。

愛は相手に惜しまず与えます。




平和に役立つことをする




【ローマ14章19節】

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

この二つのことは、人にも社会にも教会でも 徳を高めることです。


主が地上に来られたのは 自分のためではなく、人間のためでした。

世の光、世の塩の働きは、このように徳を高める時に真価が現れます。


自分のことしか考えないのはサタンの子であることを覚えましょう。

助け合うことが平和を作ることです。




互いに同じ思いを持つものになる




【ローマ15章5節】

どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

キリストにあって同じ思いを持つ必要があるのは、共に神に栄光をささげるためです。


主の働きをする中で分裂、分派、妬み、高慢などがあると神の栄光が現れません。


それはサタンが喜ぶ姿です。

ですからパウロは一致のためにこう考えました。


【第1コリント3章4-9節】

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

キリスト者としての生活がどういうものであるのか、自覚が出来たでしょうか?


毎日認識して生活に適用して下さい。
v( ̄∇ ̄)v

2016.9.18
聖日礼拝メッセージ

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