テーマは『 ダビデの感謝の心 』です
【Ⅰ歴代誌29章9-19節】
こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。
ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。
主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。
富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。
今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。
すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。
私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。
私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。
わが子ソロモンに、全き心を与えて、あなたの命令とさとしと定めを守らせ、すべてを行わせて、私が用意した城を建てさせてください。」
私たちは日々 祈りを捧げていますが、このようなダビデが捧げたような内容の祈りをしたことがあるでしょうか?
これは感動的であり、美しい祈りであります。
ダビデは人生の旅路の終わりの時になって、彼は自分の人生を振り返ってみながら神様が自分に対して
どのようにしてくださったのか、神様がどういうお方であったのか、神様に栄光・賛美・感謝を捧げる祈りです。
この箇所には真実のことが書かれています。
ここに書かれているのは神様が私たちに常に求めるものです。
- 神様に栄光を捧げること
- 所有物に対して、どのような価値観を持つのか
- 喜びとはどのようなものなのか
- 本当の感謝とはどのようなものなのか
ダビデは神様を熱心に愛する者でした。
【Ⅰ歴代誌29章3節】
そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。
それまで集めた財産はたくさんありましたが、神様に惜しまずに全部捧げました。
【Ⅰ歴代誌29章5節(後半部分)】
そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。
すると、地位の高い者たちから身分の低い者たち皆がみずから喜んで神様に捧げました。
それをダビデが見てとても喜びました。そしてその後にダビデは神様の前に出て感謝の祈りをしているのです。
「神様、見てください。すごいでしょう。」ではないです。
彼が語っている言葉1つ1つを見ると、彼がどんな想いで神様に対する成長した信仰の姿がどのような姿なのか、
献身している姿がどのようなものであるのかが分かります。
私たちがこのような言葉を聞いた時に、普段 自分が神様に信仰告白する姿と何が違うでしょうか?
私たちが考えている神様と、ダビデが語っている神様の姿は何が違うのか―――。
自分はこのように喜んで神様に捧げたことがあるのだろうか?
みことばを読む時には、いつもそれを見ることです。
正しく神様を知っている人たち、正しく信仰を持って神様の前で生きた人たちの姿を見て、「私とは関係がない」と
言うならば、その人の信仰は虚しいものです。成長することが まず考えられないです。
成長をするということは、自分よりも先に進んで行く人たちの姿を見て学ぶことなのです。
そして、自分でも真似していく時に少しずつ分かってくるのです。
すると自分自身で体験をするようになっていきます。
【Ⅰ歴代誌29章11節】
主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。
神様が絶対主権を持っておられます。
全世界は神様が創造したものであり、偶然に造られたものではないです。誰かの物でもないです。
すべては主のものであります。
【Ⅰ歴代誌29章12-13節】
富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。
今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
このダビデの告白を聞いて分かるのは、自分自身に頼って生きるのではなくて、
私たちはこの神様に頼らなければならないのです。
自分の思い、計画、人生すべてのものを神様に焦点を合わせていかなければならないです。
【Ⅰ歴代誌29章14節】
まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。
すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。
神様の恵みを知っている者が語る告白であります。
神様の恵みを知らない者は、「すべて私の力」と言って捧げません。
信仰がある人と、信仰がない人は ここが違います。
世の中を見ても、貧しい者は豊かな者たちよりも圧倒的に多いです。80%が食べ物に困っています。
しかし、神様が与えていないから貧しいわけではないです。
20%の人たちが、80%の人たちの分まで握って贅沢三昧をしているのです。
ですから貧しい人たちに関心がないのです。
服をたくさん持っている者が1枚ずつ 持っていない人たちに渡すと、世界に裸のままでいる人はいなくなります。
神様の世界は乏しいことがないです。でも欲張りの人たちが手を差し伸べないので、神様はクリスチャンに
「良い業を行いなさい。」と語ります。
もともと神様が与えた物なので、神様に捧げなさいということは、
小さい者にしたことは わたし(神様)にしたことであります。
【Ⅰ歴代誌29章15節】
私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
人間はこの地上で永遠に生きる存在ではないです。人間は1度生まれたものは、1度は死ぬのです。
その後に裁きがあります。これが神様が決めたものです。
「異国人」というのは、私たちの国籍がここにあるのではなく、私たちの国籍は天にあります。
自分の為に地上に蓄えるのはやめなさい ということです。地上で蓄える人はたくさんいます。
そして使うこともせずに残して死にます。死んだ後は無一文です。
自分で買った土地が付いて墓の中に入るわけでもないです。
これは真理を語ってあります。
それを知っていながらも不安だからと蓄えていくのは自分に頼って生きる姿です。
【Ⅰ歴代誌29章16節】
私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
神様のものは神様に返して当然なのです。神様に自慢できるものは何もないです。
【Ⅰ歴代誌29章17節】
私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。
ダビデが自分自身も神様に捧げる時には、見せる為でもなく、仕方がなく捧げたのでもないです。
どこにも人間的な思いが入っていないです。
真っ直ぐな心で、神様が見ても恥ずかしくない心で捧げました。
自ら進んで捧げることは神様が喜ぶことです。
【Ⅰ歴代誌29章18節】
私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。
ダビデがなぜ この祈りをしたと思いますか?
今の民たちの状況は皆が喜んで捧げました。しかし、人間の思いほど変わりやすいものがないです。
いつその心が腐敗するのか。世の中で一番信じられないのは人間の心なのです。
自分でも自分の心が信じられなく、昨日思っていたことも今日は違う心になっています。
民たちの心が変わらないで欲しいという思いがダビデの中で出たので、神様にそのことを祈りました。
心が守られないと私たちの人生は崩れていくのです。
心を守るならば、どのような状態の中でも しっかり守ることが出来るのです。
【Ⅰ歴代誌29章28節】
彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。
ダビデの人生の結末です。波乱万丈でしたが、どれほど素晴らしい人生の結末でしょうか。
私たち人間の価値はいつ出ると思いますか――?
その人の業績で、その人の価値が決まるのではないです。
その人の人生そのものが、その人の価値を決めるのです。
最期になって決算した時に、はじめてその人がどのような価値があるのかが決まります。
満ち満ちた人生ということは勝利者であります。神様が認めた人生だということです。
たくさん捧げても捧げても、神様は満ちるようにしてくださるのです。
これを私たちはダビデから学びます。
ダビデは罪も犯しましたが、神様は彼がその中でも 神様がどのようなお方であるかを正しく知っており、
正しく神様との関係を結び、その人生を歩みましたので勝利で終わったということを見なければならないです。
ダビデの素晴らしい信仰を学びましょう。
私たちの信仰は問題がたくさんあると思います。本文を読んで1人1人が鏡のように照らしてみると良いです。
修正していくのが学びであります。 ( ̄‥ ̄)=3
2013.7.14
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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