テーマは 『 主の力によって強められなさい 』 です
【エペソ6章10節】
私たちはこの言葉に注目しなければならないです。
神様の力は大能の力であります。人間では考えられないような力を持っておられます。
しかし、そのことを“知っているだけ”では、そこで終わってしまいます。
神様が私たちに願うのは何でしょうか?
それは「わたしの力をあなたが受けて、あなたが強い者になりなさい」であります。
教会に来ている人の姿には2つのタイプがあります。
・神様の力を信じてその力を自分のものにする人がいます。
・そしてもう1つは、神様に力があることは知っていますが、自分の力にしない人です。
さらに後者(自分の力にしない人)は、さらに2つのタイプに分かれます。
・1つは自分の力で頑張る人です。神様に頼らず自分が精一杯頑張って何とかしようという人です。
・もう1つは、「私は力がないし、何も出来ない」と言って何もしない人です。
奉仕も自分の力で一生懸命する人がいます。そして最後は力が無くなりギブアップして逃げます。
また、何もしない人の場合は 逃げることもしないし、進むこともしないし、求めることもしません。
そして「あぁ、恵みがないなぁ。神様は私のために何もしてくれないなぁ」と死んだ信仰生活になり
神様から離れていきます。
神様は、私たち人間はもともと弱い存在であり、力がない者であることをご存知なのです。
ですから、神様が語る言葉は「主にあって強められなさい」であります。
イエス様が例えで話されたのは「ブドウの木と枝」の関係です。
【ヨハネ15章5節】
何もしないのに実を結ぶことはないです。実を結ぶにも力が必要です。
身体よりも心が弱い人がとても多いです。身体は食べ物によって生かされていくものでありますから、
健康によい食べ物を食べると身体が健康になります。(もちろん完璧ではないのですが)
しかし、心は食べ物で健康にはならないです。心を健康にするためにビタミンCやタンパク質を摂っても、
心は元気にならないです。
自分でどんなに頑張って守ろうとしてもそれが出来ないものは「心」であります。
ですから神様の大能の力によって心を強くすることが大切です。
それには神様の中に留まっていないとそれが流れてこないです。
霊的戦いは自分の力だけでは勝つことができないです。
次の箇所は神様の力、悪魔の力、人間の力が同時に出てくる場面です。
【使徒の働き8章5-24章】
ピリポや使徒たちはもともと弱い者たちでした。しかし、以前は普通だった彼らが聖霊によって
奇跡を行いました。これは神の大能の力によって強められた姿であります。
また、魔術を行っていたシモンも、色んな働きをしていました。彼は悪魔から力を受けていました。
シモンは悪霊には力があることを信じていました。だから悪霊が働いて彼を通して色んな働きをしました。
そして自分の力だけで生きている人々は、悪霊とは知らずシモンが行うそれらが神様の力であると信じ
シモンのことを神様のように思っていました。
実際に神様の力で満たされたピリポたちが来るまでは信じていました。
しかし、ピリポが来てシモンよりもすごい働きをする姿を見て、ピリポの方が本物の力だと思って
今度はそちらの方へ人々が向かっていきました。
シモンまでもが神のしもべたちが語る言葉を信じてバプテスマを受けました。
神様の力は悪魔よりも強いです。
多くの教会で聖霊に対して嫌がるところが多いです。しかしそれでは何で信仰生活をするのでしょうか?
ただ坦々とみことばだけを握って、そこだけの信仰生活であります。
すると自分の力だけで信仰生活を守ろうとします。するとある程度は守られますが、しんどいです。
「これも守らないと、あれも守らないと」となると楽しくないです。そして教会へ行きたくなくなります。
ですから、神様のみことば通りに力を求めなければいけないです。
【ヨシュア記1章5節、1章9節】
【エペソ6章19-20節】
パウロは力がある者ですが、神様から力を受けた方であります。
それなのに何故「祈ってください」と言ったのでしょうか。
それは継続する為であり、絶えずその力が流れるようにということであります。
自分でも祈りますが、他の人にも祈りの要請をしているのです。これは神様に頼っている姿であります。
私たちは力がないのに神様に求めることもしなく、神様にくっついてもいない枝だけでは何も出来ません。
聖書には強くなりなさいというみことばが色々と出てきます。
【エペソ3章16節】
パウロの祈りですが、これは自分の祈りにしたら良いです。
【Ⅰテモテ1章12節】
【Ⅱテモテ2章1節】
力が与えられるのは恵みであります。その恵みを受けて主に頼れば良いです。
【詩篇31編24節】
失望しなくて良いのだということです。あなたがわたしの中に留まり、わたしに力を求めるならば、
必ず神様がその人の願い通りに力を与えてくださるので失望しないで心を強くしていなさいということであります。
忍耐して待ち望むと主の恵みによってどんどんその人たちが強くなっていきます。
肉体が丈夫な人が強い者ではなく、心が強い人が一番強い者であります。
どんな環境に置かれてでも、その中で生き延びる人たち、心が死なない人たち、そういう人が一番強いです。
すごく身体が大きくて力が溢れているのに、ガラスのような心で すぐにくじける心、失望して
「もう駄目だ、死ぬしかない」という心を持つ人は世の中にたくさんいます。
弱い心は何もならないです。
しかし、弱いように見えても神様によって心が強くされた人たちは、どこにおいてでも平安で、
自分の心をしっかりと守ることができます。
ですので、自分の力に頼らず自分の限界を知り 「これは私の力では負えないもの」 と
神様にお願いをし 「来てください。私を強くしてください。あらゆるものを乗り越える力はもう無いです。
誘惑に勝てるように、主の働きが出来るように私に力を与えてください」 と求めたら良いです。
そうしたら神様が喜んで力を与えてくださいます。 (*´ω`*)
2013.3.3
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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