からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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不信仰

クリスチャンの生活とは?

テーマは 『 クリスチャンの生活 』 です

【ピリピ2章12-18節】

そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。

神は、みここころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだではなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。

根本的にクリスチャン生活とはどのようなものなのか、今回のみことばの中で知ることができます。

キリストに繋がれている者は、当然 頭であるキリストについていくために、似ていく者にならなければいけないです。
世の人から「あなたは本当にクリスチャンだ」と認められないならば、何によって私たちはキリストを現すことができるでしょうか。

模範であったイエス様を見て、謙遜を実践していく姿がクリスチャン生活の1つであります。




①自分の救いを達成していく生活


神様の言葉にクリスチャンが従う1つの目的は、自分の救いの達成であります。
この言葉で誤解をするかも知れません。

「そうしたら、私たちはまだ救われていないのでしょうか?これから自分の努力で救いを得なければならないでしょうか。」と思いそうですが、決してそういうことではないです。

救いの御業は人間ではなく、神によって始まっています。また、私たちが先に神様を愛したのではなく、神様が私たちを愛しました。そして、私たちが神様を選んだのではなく、神様が私たちを選んでくださったのです。

例えば、人を通して その人を導いたとしても、それは神様から出たものです。
人間は本来、神様を求めない者であります。すべては神様の方から招待が来ました。
私たちがそれを受け入れて救われた時から、聖書を通して多くの言葉が語られました。


救いの計画も、人生の計画も神様が全て持っていますが、私たちは恐れおののいて それに従わなければならないということです。

何に対して恐れおののくのでしょうか?―― 救いを与えてくださった神様に対する敬う心であります。

神様は 私たちをロボットや軍隊のように従わせるのではなく、優しくみことばを語りながら教えてくださるので、私たちが従順しながら歩むのは救いの達成に向かっているのです。


救いの達成に向かって進むということは、荒野でのイスラエルの民たちの姿を思い出したらよく分かります。
神様は奴隷生活した彼らを、一方的な神様の御業を通して救い出しました。彼らの努力は1つもありませんでした。
神様は救い出したいと思い、モーセを用いて全員をそこから出しました。これは救いであります。

神様が先頭に立って、イスラエルの民たちは喜びながらついていくと、荒野が見えて来ました。
それは私たちが救いを達成していくために、進まなければならない道なのです。

彼らにマナを食べさせたり 神様からの恵みをたくさん与えました。
そして神様はカナンの地につれていく計画を立てて その中で神様がずっと律法を語っていました。
「(カナンの地へ行くために)わたしの言葉に聞き従いなさい。」と 恐れおののきなさいと語りました。


しかし、恐れおののいた者はわずかでした。モーセ・カレブ・ヨシュアでありました。それ以外は誰もいませんでした。
彼らは神様の約束の言葉や命令を聞きましたが、人間として責任ある行動が出来なかったのです。
救われてエジプトから出ましたが、神様がずっと見ていて(彼らは)天国に入る者として相応しくなかったのです。

彼らは天国を自分のものにしたいという思いがありましたが、神様を恐れおののかず、ずっと不信仰でした。

神様は(彼らに)たくさんの良い恵みを与えて、奴隷から救い出しましたので(神様の)言葉に従ってくれると思っていました。
しかし、神様の言葉に従わなかったので、人格を持っておられる神様は刑罰を与えました。すると彼らは神様に助けを求めましたが、困った時だけ助けを求めました。そして、それが解決されると また不従順の連続でした。

結局2人しか辿りつけず、他の人たちは荒野で倒れました。これは救いの達成が出来なかったということです。


これは今のクリスチャンも同じであり、私たちは不信仰・不従順になると倒れてしまいます。
神様を恐れおののかないと、そこで倒れるしかないのです。

選ばれた人間は、神様に対する責任ある行動と応答をしていかなければならないです。
従順していくと、神様との距離が近くなり一緒に歩めるようになります。神様はその者を一番喜んでくださるのです。

イエス様が謙遜な姿ということは、自分を捨てたことであります。父の御心にいつも自分を合わせていきました。
それによってイエス様も勝利をしていったのです。

クリスチャンは神様を恐れおののいて従順して、自分の救いを達成していかなければならないです。




②つぶやかず・疑わない生活


救いを達成させるための中身は、つぶやかず、疑わない生活であります。
これは謙遜にならなければ無理です。

高慢な人はつぶやきが多いです。高慢な人は欲望が多過ぎるので満たされることがないです。
自己中心なので自分の思い通りにならないと神様に対してもつぶやきが多いです。

イスラエルの民たちの一番の大きな罪は「つぶやき」でした。不平不満が心に満たされていました。感謝をせず、恵みを覚えていないのです。

謙遜は自分を「無」にすることです。
「無」になると、与えられるどんな小さなものでも恵みなのです。「私は無価値な者なのです。」と本気で思う中で、神様が水を一杯でもくださるなら感謝の気持ちでいっぱいになります。

しかし、自分を高く評価する者は「こんなもの食えるか!私を誰だと思っているのか?」と感謝をしないのです。
イスラエルの民たちはマナに対しても「こんな惨めなものは食べたくない。」と文句を言いました。


私たちも、クリスチャンと言いながらも神様に対してつぶやき、周りの人に対してもつぶやくのは感謝をしないことであります。また、家族に対してもつぶやきます。

これは よく考えたら良いと思います。家族が自分にとって、どのような存在でしょうか?

家族がいなくなったら――?旦那さんが一生懸命働いて家族を養うことは、とても責任あることなのです。
これは立派な働きです。また、休みたくても休まず何十年間も働いています。自分の人生が拘束されて1年間にわずかな休みしかないのです。
会社では辛い事もありますが、我慢をして家族のために働いているのです。

主婦はその点では時間に自由がありますし、楽なのです。
旦那さんから給料を全部取り、わずかな小遣いしか与えないのならとても辛いことだと思います。
もしも、自分が逆の立場だったらどのようにするでしょうか?
常に私たちは逆の立場になって考えたら良いと思います。


神様は、すべてのことに つぶやかず、疑わずに行いなさいと私たちに語りました。
私たちは本気でそのようにすると自分を「無」にして謙遜な姿をもって生きるならば、これは難しいことではないです。

自分の存在価値が高いものだと 勝手に思うので全てが不満になるのです。

霊的に成長すればするほど純真な者になっていきます。私たちの中から肉の不純物がどんどん消えていきます。
肉のものを神様の言葉に服従させて(肉を)消していくならば純粋な者になります。
花嫁の姿の基本は「純真な者」です。日々、自分を綺麗に保っていかなければならないです。

私たちが汚い者になるならば、神様がまとめて火の中に投げ込むのです。

神様の子どもは「光の子ども」であります。悪魔の子どもは「闇の子ども」です。これは水と油のような関係です。
暗闇の中にいても、光るものが1つあれば とても目立ちます。

神様が願うのは、(私たちが)暗闇の中で世の光として目立つ者になってほしいのです。周りの人たちにそれを見せていかなければならないです。

聖書の言葉を握るということは 自分の欲のままではなくて、みことば通りに生きるということなのです。




③喜びの生活


【ピリピ2章17節】

たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

パウロは殉教することを知っていましたが、この時は既に捕えられていました。
「わたしは主の働きをして最後に死ぬのだ」ということを知っていましたが、これはキリストの栄光が現れることなので彼はすごく喜んでいました。

死ぬことを喜んでいたのです。キリストと苦難を共にし、わたしが一粒の麦となって死ぬならば、多くの魂の実を結ぶ事ができると見て喜びました。

もしも 私たちが罪を犯して死ぬならば、喜ぶことは出来ないです。
それは何の報いもなく、人々に良い影響を与えるどころか悪い影響を与えるのです。

しかし、キリストのために献身的に働きをし、人のために自分の命を捧げる人は永遠に褒め称えられます。
神様がその人に栄光を注ぎます。その死は新しい命の道に入る1つの扉を開ける栄光の死なのです。
地上での扉は閉まりますが、新しい扉を開けると永遠の命の世界であります。

これは誰でも行ける世界ではないです。黙示録にあるように「勝利する者」という前提があります。
つまり、勝利をしていない者はその恵みを受けることが出来ないのです。


私たちも自分を犠牲にしないと、最期には神様が「あなたは生きる値打ちがない者である。」と犠牲をさせるのです。

私たちの命は自分のために生きるのではないです。キリストにあるものは、キリストのために生きる者であります。

私たちがキリストを取ってしまうならば、それはクリスチャンではないです。
キリストのために生きる者を「クリスチャン」と呼ぶのです。

私たちは生き方によって、神様から救い出された者であることを ずっと見せていかなければならないです。

クリスチャンとして生きることは、教会に行く事、奉仕をすることではないです。

心と生き方すべてのものを神様が喜ぶほうに変えない限り、神様と一致できないですし、救いの達成には至りません。

クリスチャンとしてきちんと生きていく人生を私たちは目指していきましょう。 (・∀・)つ

2014.1.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私たちの罪と神様の恵み

テーマは『 私たちの罪と神様の恵み 』です

【ミカ書7章18-20節】

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、 怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。

もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、 すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。

ミカは預言者です。神様は彼の口を通して、罪深いイスラエルに対して裁きの言葉を語りました。

憐み深く、恵み豊かな神様ではありますが、選ばれた民たちが神様の恵みに感謝もせず、仕えることもしないで神様を悲しませました。

聖書には、「憐れむのに飽いた」という言葉があります。神様が何度も憐れんでも、民たちが罪の中に留まり立ち返らないのです。

聖書に出てくる「罪」とは何でしょうか?
全ての人間は罪を犯していますが、人間は神によって造られた被造物であります。
ですから、造られたものは 当然のように神様のみこころに従って歩まなければならないです。
これが救われた人間の義務でもあります。

しかし人間が みこころに従わず、自分勝手に行動をすることが罪なのです。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

人間はなぜ死ぬのでしょうか。

ただ身体が弱ったから死ぬのではなく、主が語った言葉通りに罪から来る報酬を自ら受け取るので死ななければならないです。

罪は人間から出たものです。自らが罪の種を蒔き、さらに罪を犯して大きくしていきます。
神様は罪がない方であり、神様から出てくるのは恵みであります。
罪を犯している人間に対し 神様は律法通りに裁くならば、その都度 殺さなければならないです。
そうすると地上に人間は存在しなくなります。

しかし、罪を犯しても神様は何度も赦して、私たちを生かしてくださいました。


神様の恵みから離れると(その人から)何が起こるでしょうか――。
自らが罪を犯すと、消えていくものがあります。それは恵みです。

神様の恵みは、みことばや聖霊様から来るものが一滴一滴 自分の中に貯まり、それを飲んで癒されていくのです。

罪を犯すと、一滴一滴の中に毒が撒かれるのと同じであります。つまり飲めない水になるのです。
そうすると汚れてしまい喜びや平安が消えます。
外見では、笑ったり 信仰も形式的に守っていくのですが、その人の深い部分には喜びがないです。
霊が枯れて飲む水がなくなるので その人は死にます。

完全に器を変える為には悔い改めて、神様に洗ってもらわないと心の泉が綺麗にならないです。
神様に立ち返る方法しかないです。
足を洗い、心を洗って帰ってきたら 神様はその人に希望を与えてくださいます。

不従順・不信仰は、神様に敵対することであります。それによって得るものは無いです。

人間が罪を犯すと、罪の奴隷になります。


【箴言5章22節】

悪者は自分の咎に捕らえられ、自分の罪のなわにつながれる。

これは奴隷の姿であります。
罪を断ち切らないと、繋がれているので離れられなく 罪から解放されることがないです。
初めは小さな誘惑から始まりますが、そこから立ち上がらないのでサタンは足かせをかけておくのです。

サタンの手から逃れるために 必死に もがいて神様を求めるならば、その罪を赦してくださいますが、
ある部分ではその人は その罪を楽しんでいるのです。
自分の肉の欲の方が強いので「私はしばらくここで楽しみたい」とサタンに繋がれているにも関わらず気にしないのです。

神様から「立ち返りなさい。」と言われた時には、“その時 ” が立ち返る時であります。


それが神様の愛と憐みであり、恵みであります。
神様はたくさんの厳しい叱責の言葉を語ります。これは「愛」なのです。愛がなければ言わないです。

なぜなら、そのままだと滅びに至るからです。
それなのに、「イヤだ。良い言葉が欲しい。厳しい言葉は聞きたくない。神様は私のことを憎んでいる。」
これは、目がくらんでいる姿です。罪によって目がくらむと悟りがないのです。自分の足の下には地獄が待っているのに気付いていないです。

周りの人たちは、それに気付いているので 離れるように言いますが、その人は罪によって、みことばに覆いが被されているので暗闇に陥っていきます。

しかし、神様は私たちが罪深い者であることを知っているのです。そして神様の恵みの手が働きます。

今、自分の目が開かれていると思っている人たちは考えなければならないです。本当に自分は目が見えているのでしょうか?

私たちは神様の恵みがないと、生きる道がなく希望がないです。


【Ⅱペテロ3章9節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを 望んでおられるのです。

すべての人が罪を犯したので、神様からの栄誉を受けることが出来なく、それによって神様は裁きを遅らせているのです。

それは神様の深い愛であり 憐れみであります。「帰ってきなさい。」と恵みのところに来ることを望んでおられます。
このように優しく語ってくださる神様がどこにいるでしょうか?―― この世に神と呼ばれるものはたくさんあっても、
憐み深く、赦してくださる神様はいないです。

他の宗教では、罪の話は全くしないです。彼らがしない理由は そこに救いがないので 初めから触れないのです。
そして良いことをしなさいと言いますが、一度汚れてしまった者に良い服を着せたとしても中身が汚れていますので 絶対に聖い者にはならないです。


しかし 主は汚れた罪を始末する恵みを持っておられます。
私たちは罪や咎ばかりですが、主の恵みで そこから救い出してくださいました。

この素晴らしい神様を悲しませてはいけないです。

自分が今どのような姿なのかを見て、まず自分が先に立ち返ることです。
祈りでも、自分が欲しいものを求めて祈るのではなく、祈りをしてから 神様に耳を傾けることであります。

私たちは神の声を聞くために祈るのです。

立ち返ることは祝福です。主の言葉を信じるのが祝福であり信仰であります。

他人が自分に対して罪を犯した時も、私たちは愛のある者、憐み深い者、許す者にならないといけないです。
他人を裁くと、神様から「あなたはどうなのか?あなたの心のほうが、よっぽど汚れている。しかし わたしがあなたを赦しているのだ。」という声を聞かなければならないです。

私たちを愛し、赦してくださった神様に対して 私たちは本当に感謝をして、私たちも神様を愛し、神様の傍から絶対に離れないようにしましょう。

忍耐をしながら ますます神様に頼っていくならば、神様から来るものは、恵みの上にさらに恵みであります。
命の水が枯れることはないです。 (^∀^)

2013.12.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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