からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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ユダヤ人

九人はどこにいるのか

テーマは 『 九人はどこにいるのか 』 です

【ルカの福音書17章12-19節】

ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、

声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。

イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」


イエス様は10人が大喜びしながら感謝するために戻って来ると期待したと思います。


死ぬまで治ることのない らい病が癒されたから当たり前のように感謝すると思うのが正常ですね。


しかし戻って来たのはたった1人でした。

それも そのひとりはサマリヤ人で、ユダヤ人9人は誰ひとり戻って来ませんでした。



主と共にいたユダヤ人たちも、サマリヤ人の前で恥ずかしかったと思います。

主は病人を癒して良いことをしたのに、主が味わった思いは失望と悲しみでした。


『私ならば絶対そんなことはしない。主の所に戻って来て感謝します。』と、みんなは言うでしょう。


それが本当のことならば良いですが、残念ながら今もあまり変わらないです。



10人のらい病人は恵みを求めた時は必死になって『イエス様、どうぞあわれんで下さい。」と声を張り上げて叫んだのに、癒された後には なぜ感謝のことば一つ言えなかったでしょうか?


感謝は神の恵みを悟った者だけが出来るからです。


クリスチャンの中にも恵みを悟っていない者が多いです。


求める時も、まるで神が自分に借りがあるかのように、また自分が何かを神に預けたかのように要求して、与えられると「当たり前」と思い、感謝しないです。

これほど情けないことはないです。



牧師の立場としても一番辛くて悲しいことは、たくさん愛し、世話をし、助けた人から感謝どころか悪口を言われ、裏切られた時です。

その人たちは感謝がなく 要求や願いが多く、自分の思い通りにならないと全部牧師のせいにして悪口を言います。


神にも文句、教会や牧師にも文句を言います。

これが一番辛いといつも思います。






感謝は次の恵みを生み出す種です。

感謝が蒔かれると、そこからまた感謝出来ることが生まれます。


主に感謝したサマリヤ人はその信仰を誉められました。

彼の感謝を、主は信仰の行動として認めました。


感謝しなかった9人は不信仰の者でした。


また感謝は恵みを受けた時に、すぐにすることです。
神や人々と感謝のことを分かち合うことです。



良いことがあった時に、どのようにしていますか?

良い例があります。


放蕩息子が悔い改めて父の所に帰って来た時に、父はしもべたちに言いました。

『肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。』と言って、喜びをみんなと分かち合いました。


感謝なことを隠し、感謝することを惜しんではいけないです。


人から良くしてもらった時は常識のない人に思われるのが嫌なので すぐにお礼のことばを言いますが、神に対してはそれが出来ていない人たちがいます。



神様から良い恵みを受けたら、感謝を表すために、主に感謝献金をささげていますか?


その度に感謝献金をささげて主に感謝の気持ちを表す人もいれば、ある人たちは何もなかったかのように何もしないです。

神はすべてを見ています。


「感謝すべき事なのに、どうして何もしないのか?」と私が思う時がありますが、果たしてその人に恵みを与えた神はどう思うでしょうか?


いつかまとめて感謝しようと思っているのか、それとも感謝のことばだけで良いでしょうと思っているのでしょうか?



感謝は、分かち合う時に 本物の感謝になります。


肉のものだけに関心があると、いつか主を裏切ります。

弟子たちも霊的恵みを悟っていない時、主が十字架にかかった時、みんなが逃げて行きました。


ユダヤ人は未だに主の恵みを悟っていないし、感謝もしないです。

ユダヤ人は全世界で誰よりも先に主に選ばれ、メシヤも自分たちのところに来たのに、感謝どころか十字架につけて殺しました。



感謝しない彼らを見て、神は福音の恵みをユダヤ人から異邦人に移しました。


彼らはその後にとても厳しい道をずっと歩んでいます。

恵みを忘れ、感謝もせず裏切る者になると、福音と恵みのチャンスを逃してしまいます。



主の食卓から落ちるパンくずの恵みにも感謝する者になれば、大きなパンの恵みが来ます。


悪い時代の特徴は感謝しない者が多くなります。

悪者の特徴も感謝を知らないです。


しかし神を愛し、神の恵みを知っている者の特徴は、すべてのことについて感謝します。

絶えず神に感謝をささげます。


【エペソ5章20節】

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

【詩篇116編17節】

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

アーメン (・∀・)


2021.8.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神様がいないように感じられる時に

テーマは 『 神様がいないように感じられる時に 』 です


神様の言葉が直接聞けない、神様の姿を目で見ることができない。

そのため、『神様が本当に一緒にいてくださるのか』、『こんな辛い時に神様は私を助けようとしてくださるのか』、『私のために本当にすべてを益として働かせてくださるのか』、そのように不安に感じる時はありませんか?


神様の声が直接聞こえたら良いのに。

神様、イエス様を直接目で見られたら良いのに。

神様はどこにいるのだろうか。



聖書はすべて神様、イエス様について書かれていますが、実は一つだけ神様が全く登場しない本があります。


神様の言葉が直接出ていなければ、神様を表す言葉自体出てこない。

それでも神様がそこにいらっしゃるということを感じられる本です。


それはエステル記です。






今日はエステル記の話を見ていきましょう。

エステル記全体をざっとまとめて見ていきましょう。


【エステル記1章1節】

アハシュエロスの時代のこと―このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた―


ペルシヤ帝国(今のイラン)のアハシュエロス王の時代(B.C.485-464年)でした。


それ以前、B.C.586年に エルサレムがバビロニアに滅ぼされ、バビロンで捕囚となり、その後、B.C.538年にユダヤ人がユダヤの地に戻るよう勅令が出ましたが、案外そのままバビロニア地方や、ペルシヤ地方に残ったユダヤ人が多かったのです。

ユダヤ人はその異国の地に住んでいました。



歴史から見ると、アハシュエロス王は独裁的で、金銭を愛し、暴君でした。


決して、良い王様という訳ではなく、自分が気に入らなければ、何でも思った通りにしてしまうような人でした。

もともと彼には奥さんとして王妃ワシュティがいましたが、自分の思い通りにしてくれなかったのに腹を立て、退けました。


その代わりに、多くの王妃候補の中から王妃として迎えられたのがエステルでした。

エステルは両親が亡くなっており、モルデカイが叔父でしたが、エステルを自分の子どもとして育てました。


このモルデカイはエステルに、エステルの身分、つまりユダヤ人であることは隠すように教え育てました。


モルデカイ自身もシュシャンの城にいて、エステルが王妃になった後も エステルの様子をいつもそばで見守っていました。


ここで、アガグ人であり、ユダヤ人の敵であるハマンが出てきます。

アガグは、元々アマレク人の王であり、つまりはユダヤ人の敵でありました。


第1サムエル記15章で、サウル王がアマレク人を討ちましたが、彼はすべてを聖絶せよ、という神様の命令に背き、アガグを生け捕りにし、結局はそれをきっかけに神様はサウルを王から退け、ダビデを選びました。






ハマンの話に戻りますが、このハマンは王に気に入られて、王はハマンをすべての首長たちの上に置きました。


【エステル記3章1-2節】

この出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた。

それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。


ユダヤ人であり、神様を信じるモルデカイは、ハマンにひざをかがめず、ひれ伏すこともありませんでした。


それに怒ったハマンは、モルデカイだけではなく、モルデカイの民族、つまりユダヤ人を全員殺す計画を企て、王を説得し、その命令を実際に出しました。


【エステル記3章13-15節】

書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。

各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。


つまりは、これから約1年後に、すべてのユダヤ人が虐殺されるという命令でした。

モルデカイはもちろん、それを聞いたユダヤ人はみな激しく悲しみ、荒布をまとって灰をかぶり、嘆きました。


モルデカイはエステルにこのことを伝言で送り、また、「彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように」頼みました。


それに対して、エステルは王に死刑に処せられるかも知れないという返事をしました。


【エステル記4章13-14節】

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」


モルデカイは、エステルに何とかするように頼みつつも、たとえエステルが行動を起こさなかったとしても、別のところから救いがあると信じていたのです。


自分が思っている方法と違ったとしても、きっと他の形で必ず救いがあると、神様が救ってくださることを信じていたのです。


【エステル記4章15-16節】

エステルはモルデカイに返事を送って言った。

「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」


ここで、エステルは自分の民のために、行動を取ることにしました。


でも、エステル記での本当のヒーローはエステルではありません。

それは、聖書自体が教えてくれています。


実は、旧約聖書はよく読むと非常に精巧に作られていて、韻を踏んでいたり、多くはサンドイッチのような作りをしていたりします。


つまりは、同じような出来事、同じような言葉が繰り返され、サンドイッチのよう形で組まれ、その真ん中に一番伝えたいことや、話の核心が詰まってあります。


【例】

A

  B

    C

       D ←こちらがその話の中で中心となる部分

    C’

  B’

A’


実は、エステル記も同じような作りになっていて、これに当てはめていくと、中心に来る箇所は “6章” なのです。


これは、エステルが実際に動きを取り始めた後に起きた話の部分です。


5章で、エステルは王とハマンを呼び、宴会を設けました。

その時は、特にユダヤ人のことや、王の命令については、何も言わず、代わりに次の日にもう一度同じ宴会をするから、二人とも来てほしいと告げました。


そこで、本当のヒーローが現れる6章が始まるのです。

6章を実際に読んでみてください。


【エステル記6章1-14節】

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。

その中に、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。

そこで王は尋ねた。「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」

王は言った。「庭にいるのはだれか。」ちょうど、ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。

王に仕える若い者たちは彼に言った。「今、庭に立っているのはハマンです。」王は言った。「ここに通せ。」

ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」

そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、

王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。

その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください。」

すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」

それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。

それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った。

そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」

彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせ、エステルの設けた宴会に連れて行った。


ここで働かれたのが神様でした。

神様はその本番の祝宴の前日、王に眠りを与えず、モルデカイが行ったことを王の耳に聞かせ、彼の心を動かしました。


もし宴会を1日遅らせていなかったら、もし神様が王を眠らせずに、モルデカイの記録を読まずに そのことを思い出していなかったら、エステルがユダヤ人やモルデカイが殺されるという命令を聞いても、きっと良い反応はしなかったでしょう。



しかし、ここで神様が働かれて、モルデカイに栄誉を上げたから、その後の二日目の宴会でエステルが王に、ハマンの企みによって、ユダヤ人であるモルデカイ、エステルも含めたすべてのユダヤ人が殺される予定であることを伝え、それを取り消してもらうことができたのです。


自分がもらおうとした栄誉は、かえって自分が恨んでいたモルデカイが受け、ハマンは むしろそのモルデカイの栄誉を受ける際に、まるでモルデカイのしもべのように、モルデカイの馬を引き、町の広場でモルデカイの栄誉を大声で伝えました。

また、モルデカイを殺そうとしたハマンの家に立てた柱に、むしろハマンがかけられて殺されることになりました。



その後、ユダヤ人の虐殺の命令を取り消し、むしろユダヤ人の敵を殺すことができる命令を発しました。

ユダヤ人の敵、また、ユダヤ人を迫害する者、ハマンの10人の子が代わりに虐殺されました。


神様は、神の民を祝福する者を祝福し、のろう者をのろいます。


それは、アブラハムに与えた約束をずっと守られている神様の姿であり、神様は神様の民のために働かれ、すべてを益にしてくださいます。


一言も神様の存在や言葉について ここでは述べられていませんが、私たちには見えていないそのところで神様は働かれています。



エステルが王に助けを求める前に、神様が王の心を変え、神様の民であるユダヤ人をのろい、殺そうとしたハマンに、神様が代わりに復讐をしてくださったのです。


私たちの目には神様が働かれていないように思える時でも、神様は裏ですべて働かれているのです。


本当のヒーローは、神様なのです。


私たちは神様がこのように、見えないところでも、直接私たちに言葉で語りかけない時であったとしても、私たちのために、働かれていること、すべてを益としてくださることを知るべきなのです。


今もし あなたが辛い環境にあったとしても、苦しみがあったとしても、このように何もしていないのに殺されそうになったユダヤ人を助けてくださる神様が、あなたのことも今見ておられ、あなたが見ていないところでも あなたのために、あなたを救い、助けるために働かれておられるのです。






また、私たちはただそれを知って、「神様が働かれるのだな」と思うだけではなく、私自身もどうすべきなのか、モルデカイとエステルの姿からも学びましょう。


まずは、モルデカイのように「助けと救いが起こること」を信じることです。


4章14節であるように、エステルが行動を起こさなかったとしても、きっと別のところから救いが起こるという、人を信じて期待するのではなく、神様への絶対的信頼と信仰を持つことです。


また、エステルのように実際に行動を起こし、神様がすべてを益にしてくださることを信じて、ゆだねることです。


エステルは、モルデカイの言葉のように、何も行動を起こさないこともできました。

しかし、エステルは死ぬかも知れないということを承知の上で、信じて、実際に行動を起こしました。


なぜ自分がその時に、そこで王国にいたのか、王妃になったのか、それを考え、自分がすべきことをしたのです。



私たちはいずれ神様の前で、「自分がしたこと」の責任を取ることになります。

ここで併せて覚えておくべきことは、「私たちがその時に取るべき行動をしなかったこと」に対しても、その責任は問われるのです。


神様はその時、その場所に、必要があり計画があって、私たちを置いている時があります。

その時に、私たちがすべきことを実際にするかどうかは私たち次第です。



たとえ、私たちが行動を取らなかったとしても、神様は、他の人や他の手段を使って救いや、その計画を成し遂げられます。


ただし、私たちが行動を起こさなければ、その行動を起こさなかった私たちに責任が降りかかります。

行動をしたことに対して、責任を取るのはあたりまえですが、逆に行動をしなかったことに対しても責任を取ることになるのです。



例えば、あなたの周りに救われるべき人がいて、あなたに救いを伝えるチャンスがあるとして、そこであなたが救いを伝えなかったとしても、もし神様の救いの計画があればその人はどこかで誰かによって救われるかも知れません。


ただし、御言葉を伝えなかったことに対して、沈黙を守ったことに対して、私たちはその代価を払わないといけなくなるでしょう。



目の前で困っている人がいて、その人を助けるかどうかもあなた次第です。


あなたが助けなかったとしても、神様のあわれみがその人にある時は、神様があなた以外を使って助けを送ってくださいますが、その場で助けなかったあなたは、行動を起こさなかったことに対して責任を取る必要があるのです。


私たちが行動を起こさないといけない時、その時は、神様を信頼して大胆に行動を起こすことです。



神様はいつも私たちを見えないところでも支えてくださり、働いてくださっていて、すべてを益に変えてくださるのです。


神様が必ず助けと救いを与えてくださることを信じて、今日も大胆に行動に移していきましょう。


アーメン (・∀・)つ


2021.3.7
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