テーマは 『 教会の奉仕 』 です
【第1コリント12章5ー7節】
奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
イエス様こそ神に仕えた最高の奉仕者でした。
父なる神のみこころに従って、人々に仕えるために休む間がないくらい よく働きました。
夜は1人で神にお祈りをしていましたので、いつ寝る時間があったのかと思うほどです。
弟子たちと船に乗り、突風のせいで、船が揺れ、船の中が水浸しになった時 イエス様だけがぐっすり寝ていたのは、たぶん寝不足が続いて熟睡していて何も気づかなかったと思います。
寝たふりしたわけではないですね。
弟子たちも実によく働きました。
イエス様に見習って、1人1人が立派な奉仕者でした。
神から私たちはキリストのからだの器官であると言われましたが、それは “器官としての機能をしなさい” という意味が含まれてあります。
機能しないと器官としての意味がありません。
最近YouTubeで何万人も集まる韓国教会の聖歌隊の賛美を聞きましたが、聖歌隊員の数がものすごく多くてびっくりしました。何百人もいました。
その教会より人数が多い教会でも、一度に集まる聖歌隊員は100人前後ですから、その教会はそれよりも何倍もの数だったので びっくりしました。
それを見て感じたのは、聖歌隊の奉仕が1番人気があるのかなと思いました。
目立つところに、それも指定席のように、決まったところに座りますね。
大きい教会でも 実際は、様々な部署で奉仕者が足りないのが現状です。
清掃の奉仕とか食事当番とか、こどもの世話とかはあまり人気がないですね。
それでお金を払って人を使ったりします。
ある5000人集まる教会で、実際 奉仕している人を調べたら1500人くらいでした。
それは少しだけでも奉仕をしている人を入れた数です。
すると残りの3500人は何もしていないことになります。
すなわち失業者が3500人もいることです。
それは、イエス様の体の器官としての活動をしていないことを意味します。
何もしないことが楽で良いことでしょうか?
もし皆さんが社会で失業者の立場ならば、早く仕事に就きたいと焦る気持ちになると思います。
”神への奉仕を何もしなくて良いだろうか?“ということも考えないといけないです。
神は私たちに御霊の賜物を1人1人に与えて下さいました。
それは働きをさせる目的があったからです。
みなの益となるために 神様は私たちを選んで賜物を与えました。
その賜物を活かして働くことが奉仕です。
奉仕の精神は、イエス様から学ぶ事が出来ます。
【マルコの福音書10章45節】
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。
これが基本的な奉仕の姿勢で、人に仕えることが奉仕の姿勢です。
クリスチャンが他の人から仕えられることだけを期待するならば、他の人に仕える機能を失ってしまいます。
教会に対して 愛がないとか非難的なことばを口にする人の中には、自分から人に仕えたことがない人も多いです。
いつも “してもらうことが当たり前” だと思っています。
それはみことばとは違う態度です。
私たちは、互いに仕え合うようにと言われています。
クリスチャンは主のしもべとして 人に仕えるように選ばれた人たちです。
父なる神もイエス様も聖霊様も弟子たちも みな人に仕えました。
その精神をもって聖徒たちは、体の器官として互いに仕えなさいと主から言われています。
奉仕にも働きにもいろいろあると最初から言われました。
それは同じ神様がそのすべての働きを任せて下さいました。
次の箇所にその様子があります。
【マタイの福音書25章15節】
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
それで終わりではないですね。
よほど経ってから しもべたちの主人が帰って来て しもべたちと清算を始めました。
その中で一タラントもらったしもべだけに予想外の問題が生じました。
彼はもらったものを、地を掘って隠して 何も仕事をしませんでした。
他のしもべたちが様々な活動をしていた時に、彼は神の働きに無関心で自分のことだけをしていました。
きっと本人はそれでも大丈夫だと思ったことでしょう。
しかし主人は怒りました。
その態度は、主人への不従順な態度です。
主人は彼を厳しく叱りました。
そして主人は次のように語りました。
【マタイの福音書25章30節】
役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。
このように命じました。
これで分かるように、自分に与えられたタラントと役割を決して ないがしろにしてはいけないです。
それを小さく考えてもいけないです。
神との清算が始まると大変なことになってしまいます。
また、奉仕はどこでするものですか?
もちろん教会の中にありますが、教会だけに限られているわけでもないです。
ある熱心なクリスチャン主婦が奉仕したい気持ちはたくさんありましたが、時間もお金も足りなく、奉仕の機会も与えらず悲しんでいました。
いつものように神の前に座って、自分の事情を話しながら、奉仕の道が開かれることを祈っていました。
すると小さい娘が近づき、やぶれた人形を直してほしいとせがまれました。
しかしそのお母さんは祈りが邪魔されたことが気に入らず、娘を叱って追い出しました。
祈りが終わって娘の所に行くと、娘は泣いて寝ていました。
その時に神様の声が聞こえました。
「どうしてあなたは手軽なことはないがしろにして、大きなことだけを求めているのか。」
それから彼女は心を変えて、すぐに出来る善行、近くにいる人への伝道奉仕を始めました。
後に さらに大きく神に仕える働き人になりました。
神様への奉仕でほめられた人たちを見ても それが言えます。
献金箱に1番たくさんのお金を入れたとほめられた人物は 金持ちではなく 1番貧しいやもめでした。
彼女にとっては自分に出来る最高の奉仕を主にしました。
自分にある生活費全部を献金箱に入れました。
離れた所で見ていたイエス様がそれを知り 感動しました。
感謝の心が見え、喜んでささげる姿は 主に仕える奉仕の姿です。
イエス様に高い香油を注いだ女性も イエス様にその奉仕のことでほめられました。
主のために自分が出来る大きなことはないと言わないでください。
小さなことのように見えても、それは重要なことです。
小さな奉仕が神の国を広げ、魂を救い、神様を喜ばせます。
裸の者に着るものを与え、病気の人を見舞い、空腹な者に食べ物を与えることも 主に対する奉仕です。
奉仕をする人は与える人で、神の国に投資する人です。
受けることばかり求める人は、与えることを投資だと思っていないです。
とにかく、その人たちは 手元に積み上げようとする人です。
しかし与える人が勝利し、受けてばかりの人は失敗します。
与えられた働きを一生懸命にやった人たちに対して、主はこのように語りました。
【マタイの福音書25章21節】
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
奉仕によって一番恵まれるのは、奉仕をした “本人” です。
神は絶対に ただ働きをさせる神ではなく、たくさんの利益を与えて下さる神です。
たくさん奉仕をした人は、天国に行くのも楽しみです。
自分のために どのような住まいが用意されているのかが知りたいですね。
どんな報いがあるのかが期待できますね。
働く時間はあまり残されてないです。働ける時に熱心に働いて下さい。
奉仕も喜んでして下さい。
主が注目していますから。
( ̄ー ̄)
2016.11.6
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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