からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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クリスチャン

人生の目標をはっきりする

テーマは 『 人生の目標をはっきりする 』 です

【第2テモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。


クリスチャンにとって人生の目標は、ただ単に何かを達成するための一時的な目標であってはいけないです。


聖書の神のことばによってクリスチャンは この世の旅路とその後の世界も知っているので、人生の目標はそこまで考えながら立てないといけないです。


いつか神の前に立つことを考えるならば、それに焦点を合わせた目標を立てることです。


使徒パウロはそれを知っていたので、覚悟を決めて生きていました。

ですから私たちもそれを見習って人生の目標を立てることです。



聖徒は何よりも恥じることのない人生を送ることです。

これを目標にしないといけないです。



神様は聖徒が聖なる者になることを願っています。


すなわち罪によって汚れた者ではなく、罪から離れて ますます聖なる者になることを願っています。


いつか主の前に立った時に、汚れた服を着ている自分の姿を想像してみて下さい。

大いに恥を受けるだけでなく、主の前から追い出されてしまいます。




神の前に、自分の良心に恥ずかしくないように生きることです。

そのためには不義と妥協せず、義を求めて生きることです。


もし罪を犯した場合は、すぐに悔い改めて神に立ち返ることです。

みことばを基準にして生きる時に 罪から離れることが出来ます。



また信仰によって大胆に生きることを目標にすることです。


人の前で自分の信仰を隠す人もいますが、それは人を恐れている証拠です。

信仰ある人は人を恐れず、神を恐れます。



ですからいつも人を恐れず大胆に信仰の歩みをすることです。

人の前で主を誇る人を主は喜びます。


主に従った人たちは命までも捨てる大胆さがありました。

神に頼り、みことばの上に立つ時に勇気が出てきます。




また日々主と共に歩むことを目標にすることです。


信じる前はみんな自分の思いを優先して歩んだと思いますが、主と共に歩むためには、主の思いと計画を優先することです。


それを目標にする時に、人生は正しい方向に向かいます。


イエス・キリストと霊的に一つになって歩む人こそ いのちの冠、義の冠を主から受けることが出来ます。

主は勝利者に冠を与え、御国の民にして下さいます。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2023.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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終わりの時代にいる私たちへ イエス様からのメッセージ

テーマは 『 終わりの時代にいる私たちへ イエス様からのメッセージ 』 です


クリスチャンとして聖書に基づいて生きることが少しずつ難しくなり、戦争や災害、地震などが増えてきている今は、神様の言う この世の終わりに差し掛かっているのです。


その時に私たちがどうすべきかをイエス様はここで3つ教えてくださっています。


【マタイの福音書24章3-35節】

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。




① だまされるな




まずはキリストを名乗る偽キリストや偽預言者に惑わされない、つまりは騙されないことです。


ノンクリスチャンよりも、クリスチャンが騙されます。

なぜなら、ノンクリスチャンは救いや キリストについて知らないし、興味すらないのです。



逆にクリスチャンは信仰生活を大切にし、キリストを求めて生きることに関心を持っています。

サタンがそれを利用するのです。


律法を捨てたくない人には律法ありきの信仰を、神様よりも人を頼ろうとする人にはカリスマ性のある偽キリストを、神様よりも知恵を求める人には真理ではない『奥義』という名の “偽り” を送ります。



本当に目を覚まして立っていないと、自分でも気づかない間に その間違った教えに耳を傾け、いつの間にかそれを「真理」として捉えてしまうのです。



【マタイの福音書24章24節】

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。


また、24節を見ると分かるように、この偽キリストや偽預言者は、言葉だけで人を惑わし、だますのではなく、大きなしるしや不思議なこと、つまりは奇跡をおこなって人々をだまします。


私たちがこういった人たちに出会った時は、真理に立ち、イエス様の言葉、聖書の御言葉を握りしめて惑わされないことです。


力ある人の教え、言葉よりも、はるかに力あるイエス様の言葉に耳を傾け、神様を求めることです。




たとえ周りの人が、『キリストのような人がいて、本当にその人がすごくて、奇跡もしていて、これは本物のキリストに違いない』と言っていたとしても、興味を持って、その人を知ろう、どんな人か見てみようと行く必要はないということです。


【マタイの福音書24章29-31節】

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。


29-31節にあるように、天のしるしが はっきりと皆に分かる形で表されない限り、他の人は全員本物のキリストではありません。


どんなに教えが良くても、奇跡をおこなっても、カリスマがあっても、100%違います。


聖書でこのように書かれているように、はっきり分かりやすい形で一つ一つ御言葉が成就しない限り、それまでに現れる預言者やキリストは全員 “偽者” なのです。





② あわてるな




終わりの時には戦争が起こります。

実際に戦争が起きたり、これからさらに大きい戦争が来る、民族同士が戦い、国々同士が敵対して戦うのだという噂を聞いたりします。


ここでも書かれてあるように、イエス様の言葉の通り『必ず起こること』なのです。

神様の計画の中ですべて起こることなのです。



そのように戦争、ききん、地震が起きる前から 私たちは起きることを覚悟し、実際に起きた時にはイエス様の言葉の通り、あわてないこと、心をざわつかせないこと、不安にかられないことです。



そのような戦争、ききん、地震の中でも神様の守りを祈り続け、神様の導きと備えを求め、神様の御心の通りになることを祈ることです。





③ 最後まで耐え忍べ




すでに私たちはクリスチャンが迫害される時代に突入しています。


今の日本では そこまで目に見えた迫害はないですが、世界的にはもう既にクリスチャンが真理を信じて、掲げて生きることが苦しい世の中になり始めています。


イエス様はここでクリスチャンはすべての国の人々に嫌われるとはっきり述べています。

自分を嫌う人だけではなく、仲の良い友達、家族、子ども、知り合い、もはや知らない人たちからも皆から嫌われ、憎まれるのです。


それはあなたが何か悪いことをしたからではなく、イエス様を信じ、真理に基づいて生きていこうとするから嫌われ、非難されるのです。




すでにイエス様はこの迫害の道を通り、苦しめられ、十字架にかけられ、ムチ打たれ、血を流し、痛み苦しみながらも耐え忍びました。


それは、私たちが神様の御前に戻るため、私たちが罪から救われ、聖められ、神様と永遠に共に生きられるように、その永遠の命を与えるためです。



人々に嫌われる時に、私たちが見るべきは、このイエス様の姿です。


どんなに苦しい時も、この世で自分一人のように感じられる時にも、私たちのそばにはイエス様がいるのです。

私たちを誰よりも愛し、決して裏切らないイエス様がいるのです。


永遠の命、救いがあるのです。

それは、この肉体の苦しみ、今生きる苦しみを耐えるほどの価値が十分にあるのです。




私たちが苦しみに会う過程の中で得られるものが一つあります。


それは、イエス様の私たちへの深い愛、その赦しの大きさを身に染みて感じるようになることです。


苦しみ、痛みを感じながらもイエス様は私たちのために最後まで戦い抜かれ、死ぬ瞬間まで私たちを愛し、私たちの罪を先におおい、赦したそのイエス様の愛、赦しを体感するのです。


そのイエス様が私たちに伝えてくださっているこの言葉を胸に刻みながら生きていきましょう!


アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2022.6.19
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天国のたとえで分別する

テーマは 『 天国のたとえで分別する 』 です

【マタイの福音書13章24-30節】

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。

それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」


【マタイの福音書13章36-40節】

それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。

畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。

毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。

ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。


このたとえの中には天国に関する重要な真実があります。

まず私たちは天国が存在する事実を知らないといけないです。


クリスチャンならば ほとんどの人は天国があることを知っています。


しかし問題は、天国があることと 天国に入ることは別問題です。

知っている者が入るのではなく、ふさわしい者が入ります。



この世は善と悪が共存しています。


神によって悪がすべて取り除かれたら一番良いですが、悪人が取り除かれたノアの時代の後も、人間は相変わらず同じ道をたどっています。


いまでも悪が取り除かれて欲しいですが、そんなことは起こっていないです。



私たちは なぜ神があらゆることを見ても、いま裁きを行わないのかを知る必要があります。


神は悪魔が今も活発に働き、社会はもちろん 神の教会の中にも悪魔が働いていることをすべてご存じです。


しかしそれを黙認しています。

そして共に住まわせています。








たとえに出てくる麦と毒麦は見た目で区別がとても難しいですが、違うものです。

麦の種は神が蒔き、毒麦の種は悪魔が蒔きました。


悪魔は何でも神の真似をして人々を惑わします。

あまりにもよく似ているので、人々が簡単に惑わされてしまいます。



神は真理を蒔きますが、悪魔は真理のように見せた 偽りの種を蒔きます。


悪魔も神のことばを使うので、真理をよく知らないと見抜くことが難しいです。



完全に実が成るまでは区別が難しいです。

早く良いものと悪いものを区別して片づけたいですが、神はそれを止めました。


理由は毒麦を抜き集めるうちに、麦も一緒に抜き取るかもしれないからです。

悪者を取り除く時に、良い人も取り除く場合があるからです。



すべてがきれいに片付くのは、世の終わりの収穫の時です。

その時までは、悪い人も良い人も共存するようにしてあります。


残念なことは毒麦の方は成長が早く、麦が育たないようにすごく邪魔をしています。

今の世の中もそうです。


毒麦の方が畑をほとんど覆うような状態になってあります。

息苦しい世の中になりました。



このような時代の中で、私たちは正しく分別しないといけないです。


行動を起こすのも難しい状況、立ち向かって戦うことも難しい状況、毒麦がやっていることを見るしかない苦しさ、時を待つしかない状況などが続いています。








毒麦の正体は何でしょうか?


世的なもの、自分の欲、サタンの誘惑、構造的な悪、あらゆる悪です。

それらが根を深く下ろしています。


ですから見えるすべての所に毒麦があります。



毒麦の悪が成長していく中で、麦として成長することは簡単なことではないです。


サタンは個人的、社会的、世界的にも堕落に導く力を持っています。

ですから多くの人がそれに惑わされ、誘惑されています。



偽りと真実、善と悪が共存する中で、自分が麦なのか毒麦なのかを知ることが大切です。

それを区別する方法です。


麦には命があります。

すなわち水と御霊によって生まれ変わった人には 命があります。


しかし毒麦には自分の罪と咎の中に死んでいるので 命がないです。



麦には謙遜がありますが、毒麦には高慢があります。

神の恵みによって自分が救われたことを知っている人が謙遜な人で、自分の義を誇る人は高慢な者です。


麦は神の愛と恵みをいつも求めますが、毒麦は世のものに一番の関心があります。


試練と患難の風が吹いて来た時に 飛ばされないならば麦、飛ばされるならば毒麦です。

すなわち中身のない殻なので飛ばされてしまいます。


教会に通う人でも形式的な信仰生活、偽りの教えに騙されている人ならば殻です。



収穫の時が来ると主が収穫を始めます。


麦と毒麦が区別され、それぞれ受けるものが違います。

このようなことが起こります。


【マタイの福音書3章12節】

手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


天国に入る人は麦です。

燃える火に投げ出されるのは毒麦であり、殻です。


これは変わらない真理です。

次の警告のことばも聞きます。


【マタイの福音書26章41節】

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」


主の収穫の時は本当に近いです。

天国に入る確信がありますか?


アーメン ヽ(TдT)ノ


2022.2.13
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聖霊を受けなさい

テーマは 『 聖霊を受けなさい 』 です

【ヨハネの福音書20章21-22節】

イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」


クリスチャンは神の恵みによって必ず聖霊を受け、聖霊のみわざを体験しなければなりません。

「聖霊を受けなさい」はイエス様の命令でした。



聖書さえあれば それで充分だ と言う人もいますが、それは主のことばに反することです。

聖霊も受けなければなりません。


  • 聖霊を受けないと聖書のことばに対する悟りが得られません。

  • 聖霊はみことばに対する信仰の悟りを与えます。

  • 聖霊は私たちに、神の完全性、神の無限の愛、神の聖さを教えます。


  • 聖霊を受けず、聖書を読んでもどれほど理解が出来ますか?

  • 聖霊の助けなしに聖書を読んでも勝手な理解しか出来ません。

  • 真理が悟れずいのちにはなりません。


【ヨハネの福音書16章13節】

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。


聖霊の教えによって真理を悟ることが出来ます。

聖霊によって真理を悟ると自分が罪人であることを告白出来ます。


聖霊を受けないと、自分が 罪人の “かしら” であることが分かりません。



【ヨハネの福音書16章8節】

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。


聖霊を受けると平安が臨みます。聖霊は平安の霊です。


ですから、平安の霊によって 心が平安になります。

この平安は、この世が与える平安とは違います。



聖霊を受けると患難や世の混乱の中でも平安があり、また神の摂理を信じて感謝することが出来ます。

聖霊を受けると分別、理解、感謝が信徒の生活の中に実際に現れます。


聖霊からの力、知恵、分別力が与えられ、サタンに惑わされず、キリストの証人としての様々な力ある働きが出来ます。




サタンとの霊的戦いにも聖霊がいないならば 勝利することが出来ないです。

霊的戦いの方法を、主はエペソ6章で教えてありますが、神のすべての武具だけでなく、聖霊が必要です。


聖霊の力と助けと導きによって勝利を収めることが出来ます。



【エペソ6章18節】

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。


御霊による祈りによって聖霊は働き、勝利をもたらします。


聖霊を受け、御霊によって歩む人が救いを受けた神の子どもであり、永遠の天国の市民であり、真のクリスチャンです。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.1.31
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あなたは準備していますか

テーマは 『 あなたは準備していますか 』 です

【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。


最近、世界の多くの人々が主の再臨や携挙に関する夢や幻を見ることが増えました。


YouTubeで 『Rapture dream』 や 『携挙』 で調べると、たくさん出て来るので それを参考にしたら良いと思います。

もちろんその中には嘘の内容を載せている人もいるので、惑わされないように気を付けて下さい。



主の再臨の前に携挙(一挙に空中に引き上げられること)があることは聖書に書いてあります。


その時がいつになるかは教えられていないですが、その前に起こることは色々と書いてあります。

詳しい携挙の場面はマタイの福音書24章にあります。


【マタイの福音書24章40-42節】

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。


信じる者全員ではなく、半分でもなく、携挙される人はとても少ないのが事実です。



携挙のことは世の中の人たちはほとんど知らないです。

クリスチャンの中でも まだ知らない人たちが多いです。


しかし携挙の時が近づいているのは、世の動きを見るとはっきり分かります。



今年のコロナ、それによって生まれた様々な現象を見ると、今までとは違うことが分かります。

そして私自身が特に感じたのは次の箇所です。


【マタイの福音書24章12節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。


アメリカで見る不法、コロナに関連して人々の愛が熱くなったのではなく、距離が出来、徐々に自分のことが優先になり愛が冷たくなってきました。


確実に携挙される人は、いのちの書に名前が消されずに書かれている人です。


それは、このような人です。


【ヨハネの黙示録3章4-5節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


携挙された人たちは主によって神の国に移されて行きます。


【ヨハネの黙示録21章25-27節】

都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。


主は携挙される人、すなわち命の書に名が書かれてある人たちは知っているので、彼らに携挙のラッパの音を聞かせ、彼らの名を呼びます。

「○○○、ここに上がって来なさい。」と。


その者たちは主の花嫁として空中に引き上げられ、空中で主に会います。


その感激はことばでは言えないと思います。



しかし残された人たちには生き地獄の日々が残されてあります。

ヨハネの黙示録に書いているすべての災いが待っています。


いま目を覚ましている者たちを惑わそうとするサタンの働きはとても強いです。

霊的に眠らせようと必死に攻撃しています。


それに倒されないように、主に目を向け、信仰を失わないように、しっかりと準備出来るようにすることです。


アーメン (・∀・)つ


2020.12.6
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地獄は悲惨な場所

テーマは 『 地獄は悲惨な場所 』 です

【マルコの福音書9章43-48節】

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

世の中には地獄を信じない人が多いです。

地獄も恐れず、罪も恐れない人が多いです。


クリスチャンの中にも地獄を信じない人がいます。



今日のことばはイエス様が語った地獄のメッセージです。


「イエス様もみことばも信じるけど、地獄は信じない」 という人は矛盾しています。

なぜなら今日のことばは主が語った地獄のメッセージであるからです。


地獄が存在しないのに地獄の話をしますか?


それも厳しいことを語りながらメッセージしました。

聖書のほかの箇所でも地獄の話は多いです。



【マタイの福音書23章33節】

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【第2ペテロ2章4節】

神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。




地獄はどんなところでしょうか




  • 真っ暗闇で光が全くなく、耐えることが出来ない苦しみが永遠に続く場所。
  • 残酷な拷問があり、うじや虫、蛇などがあふれる場所。

  • 水一滴得られない所、永遠に消えない火の池がある。
  • 一秒の休みも得られない場所。

  • 死にたくても死ぬことができなく、希望が全くなく絶望だけがある場所。
  • 泣いて歯ぎしりするところ、自分が行った通りに報いを受ける場所。

  • 一度入ると永遠に出られない所。
  • 火の池の中で永遠に苦しむ場所。

  • 叫んでも誰も助けてくれる者がいない場所。
  • 永遠に飢え渇きがある場所です。


こんなところが実際にあります。


悪魔、サタンはいま活発に働いています。


【第1ペテロ5章8節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。


悪魔はどんな目的をもって歩き回っていますか?


人々を地獄に落とすためです。


自分(悪魔)がいる地獄に一人でも多くの人を連れ込むために、惑わしながら歩き回り、時には光の天使、時には義のしもべ、または様々な誘惑をもって人々をつまずかせ、地獄に落としていきます。


地獄のメッセージを聞いても信じない理由、罪から離れない理由は、聖書も地獄も信じないし、地獄のことよりも罪の誘惑が強いからです。

死んだら何もかも終わりで、天国も地獄もない と思うのは、自分だけの考えで事実ではありません。



イエス様は誰一人地獄に行くことを願わないです。


信じて、悔い改めて、救われてほしいと願っておられます。

信じて主に従う者は、いのちの書にその名が書かれ、地獄には行かないです。


しかし信じない者、いのちの書に名のない者、不法を行う者、罪を犯した後も悔い改めない者、生まれ変わっていない者は天国には行けず、残念ながら地獄に行きます。


何があっても地獄には行かない者になりましょう。

とても悲惨な場所ですから。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

アーメン ( -д-)ノ


2020.9.20
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悪魔の策略に勝利するために

テーマは 『 悪魔の策略に勝利するために 』 です

【エペソ6章10-13節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。


悪魔の存在に対して一番知らないといけないのは、神を信じる人たちです。


なぜならば悪魔が一番狙っているのは 神を信じる者たちだからです。


聖書は悪魔の存在も策略も戦い方も教えています。

しかしそれに無関心で無知なクリスチャンが多いので、やられてしまう人が多いです。


やられるだけではなく 支配されてしまうと、天国には入れないです。

重大なことになってしまいます。


今回は悪魔との霊的戦いで、悪魔の策略に勝利するために知るべきことを伝えます。

この世のことと比較しながら伝えます。




戦う前に準備をします




これは当たり前のことです。

何も準備なしに戦うことは愚かなことです。

戦う武器を準備します。


悪魔は霊的存在なので、すごく知恵があります。

戦う武器をたくさん持っています。


それに対抗するために必要な武器を神が教えました。



まずは神からの力を得ることです。

その力は大能の力です。


神の力を受けることですが、“聖霊の力” “聖霊充満” です。


「聖霊があなたがたの上に臨むとあなたがたは力を受ける」と言われました。


臆病者であった主の弟子たちが聖霊を受けた後に、人や悪魔や支配者たちの迫害も恐れなくなりました。

勇敢な者、戦いに強い者、大胆な者になりました。


【ヨハネの福音書16章33節】

あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。


この みことば通り聖霊を受けた後に、勇敢になりました。


聖霊に満たされた人は力があり、神の武具を身に着けています。

腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備え、信仰の大盾、救いのかぶと、神のことばの剣です。



ゴリヤテとダビデが身に着けたものを見ると、神の武具を身に着けた者が強いことが分かります。


ゴリヤテは世のもので完全武装しました。

頭に青銅のかぶと、うろことじのよろい、青銅の胸当て、足には青銅のすね当て、背には青銅の投げやり。

さらに盾持ちの部下までいました。


ダビデは羊飼いの服装、手には杖、羊飼いの使う袋、すなわち投石袋に五つの滑らかな石を入れ、石投げを手にしました。

たったそれだけでした。


戦いの結果はダビデの勝利でした。



ダビデが身に着けたのは世のものではなく、神のすべての武具でした。


見た目では分からないですが、ダビデ自身は自分が神の武具を着けていることを知っていました。

ですから恐れず大胆に戦うことが出来ました。


神の武具を身に着けていないならば、戦いでの勝利はないです。




戦う相手を正確に知ること




悪魔ですが、悪魔は自分が支配している人間を使って戦いをしています。


主権、力、暗やみの世界の支配者たち、すなわち権力や富を持つ者が世界を支配し、信じる者や教会に圧力をかけたり、迫害します。

歴史を見たら一目瞭然です。


悪い王や支配者たちが上に立つと罪と悪が増え、キリスト教に対する迫害が起こり、人の自由を奪う悪い法律が出来ます。

犯罪や不法も増えます。



信仰を守ることがどんどん難しくなるので、信じる者は世界を見て悪魔の力を受けて活動する者がだれかを知り、霊的戦いをしないといけないです。


彼らが活動出来ないように祈ることです。


騙されないように、また惑わされないように、正しい情報を常に手に入れ、相手を知ることです。

そうしないと巧妙な彼らの策略に騙されてしまいますので、勝利するどころか悪魔の虜になります。




悪魔に弱みを握られてはいけないです




悪魔は皆さんから目を離さないです。

ストーカーのようであり、やくざのようです。


悪魔は神の前で皆さんを訴える者です。

すなわち誹謗中傷する者です。


正しい人であったヨブを神の前で誹謗中傷したのが悪魔でした。



私たちの罪と咎を見つけたら、それを神の前でずっと誹謗中傷するのが悪魔です。


イエス様とはまったく違う姿です。


悪いことをすると悪魔は微笑みます。

利用出来るものを見つけたからです。


弱みがない人に悪魔の脅かしは効き目がないです。


しかし弱みを握られた者はおびえて悪魔に従うしかないです。




霊的戦いで戦う方法




悪魔の策略に対して正確な情報を手に入れたら、受け身で戦うのではなく、先制攻撃をすることです。

やられる前に攻撃することです。


【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

分かりやすく言うと、イスラエルの戦い方は霊的戦いでも使えます。

とても小さな国ですが、敵国に囲まれていながらも勝利している理由は 戦い方にあります。


正確で膨大な情報、勇敢な軍隊や最新鋭の武器、イスラエルの諜報機関モサドの存在です。


敵に対しては先制攻撃をして潰します。

それが一番強い戦い方です。



それを私たちも霊的戦いで使わないといけないです。


悪魔にやられてその支配下に置かれた後に嘆きわめいても、悪魔は手に入れた者を簡単には手放しません。


祈っても悪魔の妨害で神に届きません。

神から完全に引き離し、堕落させ、滅びに投げ入れます。



霊的戦いは 祝福のための戦いではなく、生きるか死ぬかの重大な戦いです。


それを認識しないと なぜ戦うのかも知らず、悪魔の策略に負けて命を盗まれてしまいます。

地獄に行って初めて気付く人も多いと思います。


霊的戦いは死ぬ時まで続く長い戦いです。

停戦がない し烈な戦いです。


目を覚ましていないと分からない戦いです。



準備出来ていない人はしっかりと準備してほしいです。

そして戦って下さい。


アーメン (ノ`Д´)ノ


2020.7.19
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みことばの栄養を食べ、食べさせる

テーマは 『 みことばの栄養を食べ、食べさせる 』 です

私たちが生きていくためには、食べ物が必要不可欠であり、栄養のあるものを食べて生きていく必要があるように、私たちの霊も 栄養のある神様のみことばを毎日食べて生きていかなくてはなりません。


特に今日は、そのみことばの栄養を食べていくこと、また自分だけではなく、私たちの周りの大切な人、特に家族にもこの栄養を食べさせないといけないことを見ていきます。



まずは聖書のみことばから「家族」、そして「信仰」について学んでいきましょう。


【第2テモテ1章5節】

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

テモテは、お母さんはユダヤ人で、お父さんはギリシャ人(異邦人で未信者)でした。


【使徒の働き16章1-3節】

それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、

ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。


ユダヤ人の父親は、子どもたちに律法を教える責任があったのですが、もし信仰がある父親が生きていない場合は、祖母から律法、つまりは神様のことばを学んでいました。


このテモテの信仰を育てたのは、お母さんとおばあちゃんだったのです。

テモテのお母さんと、おばあちゃんがテモテに聖書のことばを小さい時から教え、それからテモテが信仰を持つようになりました。


テモテは、この貴重な何よりも大切な信仰を、親から受け継がれ、迫害があっても、二心にならず、あきらめない、最後まで信仰を捨てないほどの、純粋な神様に喜ばれる信仰をしっかり持っておりました。


テモテが信仰を持つようになった背景には、一番身近にいた、母と祖母という家族の存在があったからです。



私たちは誰かに「信仰を持ってほしい」、「救われてほしい」、「もっと信仰が育ってほしい」と思う時、「とりあえず教会に連れて来たらいいか」と考えませんか?

もちろん、教会に連れて来ることはとても良いことですし、メッセージも聞けるし、他のクリスチャンの方とも交わりができるのでとても良いと思います。


ただ、もしそれが家族であるのならば、私たちがすべきことは、「教会に連れてくること、お祈り、以上。」

なのではなく、実際に御言葉、聖書を伝えていくことがとても大切です。


あなたの家族は、あなた自身の家族であり、他の人ではなく、一番近く、一番影響を与える関係です。

私たちは、その家族とともに、それぞれ信仰を持ち、育てていく「使命」が1人1人にあるはずです。



信仰を育てるためには、神様のみことば、聖書に親しむことがとても大切です。

パウロは テモテに次のように言っています。


【第2テモテ3章14-15節】

けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

テモテは、幼いころから聖書に親しんできました。

よく読んでいて、よく知っていました。

そしてそれによって、信仰を持つようになったのです。


あなたの大切な家族、あるいは一番近い人と、一緒に聖書を読んでいくこと、みことばを伝えることがとても大切なのです。




栄養失調




信仰生活は、子育てと同じです。


子どもが生まれると、親は一生懸命、ミルクをあげます。

子どもが生きていくため、成長していくためです。


母乳やミルクから始まり、離乳食に移り、そこから徐々に普通の固形の食べ物を食べるようになります。


普通の食べ物が食べられるようになり、美味しい物が分かるようになり、自分で自分に必要な食べ物は何か、栄養良く食べるようになるのです。

信仰と御言葉、私たちの霊も同じです。



信仰が小さな時は、食べやすく消化しやすいように、分かりやすい御言葉から少しずつ食べ始め、毎日食べることです。

それから徐々に聖書が何を言っているのかが分かるようになっていくと、聖書の深い真理を知り、味わっていくことです。


始めは何が何なのか分からないながらも、少しずつ栄養として食べていくことで、後に徐々に御言葉を悟るようになります。

徐々に悟ることで、少しずつ固い食べ物を食べられるようになるように、御言葉の深い真理を知っていくのです。



そして、自分に今 どんな食べ物が必要なのか、どの栄養が足りていないかが分かり、美味しいもの、体に良い物を選んで食べるように、私たちもその時々に必要なみことばを食べていくことが とても大切なのです。


子どもが食べ物を食べるのは生きていくために必ず必要なことであり、足りないと栄養失調になり、何も食べないと死んでしまうのです。

同じように、毎日御言葉を食べないと、私たちも栄養失調になり、いずれは死にます。






ジャンクフードは、食べている間はとても美味しく感じ、また食べたいと思いますが、それを食べ続けると気付けば栄養失調になり、私たちの健康を害していきます。


私たちも栄養のあるみことばではなく、この世のことばや違う教えを食べると、その一瞬は美味しく感じ、また食べたいと思うかも知れません。


ただ、それを食べ続けると、気付かない間に栄養失調になり、私たちの霊を害し、いずれは死んでしまうのです。


私たちは自分自身が健康に生きるためにも栄養のある このみことばをしっかり毎日食べる必要があるのです。


食べないと死んでいくからです。



また、私たちは自分自身だけではなく、自分の周りの人、特に家族を食べさせていくことも大切です。

あなただけが、健康に生きて、周りの大切な人がどんどん栄養失調になり、やせ細ってしまっていても、それで良いのでしょうか?


あなただけが美味しいもの、体に良いものをパクパクと食べ、横にやせ細り、栄養が必要な人を放っておいても良いのでしょうか。



私たちには、自分たちだけではなく、周りの人にこの栄養あるものを食べさせ、生かす使命があるのです。


それは親が子どものことを愛し、毎日栄養のあるご飯を食べさせるように、私たちも みことばという食べ物を周りの人に食べさせていくことが必要なのです。

ミルクから始め、離乳食を与え、徐々に固形のものを食べてさせていくことです。



今まであまり家族と一緒に聖書を読んだことがなく、どこを読んで良いのか分からない方は、その家族が好きなところからスタートしたら良いです。


ストーリーやドラマが好きな方はぜひ、新約聖書の最初の4つの福音書や、その中のヨハネの福音書からでも良いです。


ことわざや、格言、自分を高めることに興味のある方なら、箴言。

物事をじっくり考えたり、哲学的なことが好きなら、伝道者の書から。

一つずつ順番にするのが好きなら、創世記から。

心にホッとする言葉や、詩が好きな方は、詩編から。


どこからスタートするか、何を読むかはそれぞれその人に合わせて始めたら良いと思います。



聖書を出して、読むことが難しいならば、聖書からの話をまとめて伝えるのも もちろんOKです。

少しずつ、私たちの方から、神様からの愛のメッセージであるこの聖書のみことばを伝えましょう!



信仰を持ち、先にクリスチャンになった私たちには、この救い、みことば、聖書をまずは家族に伝えていく必要があるのですが、それによって、その家族の救いに繋がることもできるのです。


【第2テモテ3章15節】

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

人々はいろんな形で救われます。

それは神様のご計画であり、みわざであります。


その救われ方はそれぞれ違いますが、私たちが今持っているこの聖書が、「救い」に導いてくれますし、「信仰」を育ててくれます。


これを読むようになることが大切です。

聖書を読むことは、神様を知ることです。


神様がどんな方であり、何を私たちに伝えたいのか、私たちは神様にとって どのような存在であるのかを知っていくことです。






例えば、自分の夫や妻、仲の良い友達を思い浮かべてください。

その人がどんな人であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、よく知っていますよね。


逆に、あまり相手のことを知らずに、仲良くなったり、好きになることはありますか?
―― ほとんどないはずです。


私たちも神様、イエス様が一体どんな方であるのか、何が好きなのか、どんなことに興味を持ち、何を大切にしているのか、それを詳しく知らないと、心から信じたり、愛したり、礼拝することはできないと思います。


まずはいきなり信じようとする前に、イエス様がどんな方であるのかを知っていくことです。

それを知っていくために一番良い方法が「聖書」なのです。

また、聖書は「救いに導く」ことに加えて、次のことでも大切です。


【第2テモテ3章16-17節】

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


この16節は日本語がとても難しいですよね。

もっと分かりやすく言うと このようになります。


聖書は、真実を教え(①教え)、何が間違っているか(罪)に気付かせ(②戒め)、間違えている時に直させ(③矯正)、正しいことをするようにさせる(④義の訓練)ために有益なのです。


このテモテへの手紙が書かれた当時は異端が多かったのです。

間違った教えが多かったので、「聖書(旧約)こそ真実を教えてくれている」と伝えています。




今の時代




今の時代は、ますます何が真理であり、何が正しく、何が間違えているのか、どんどん分からなくなっています。


今まで常識だったことが非常識になったり、「個人の選択、趣向、考え方だ、だから全部受け入れなさい。受け入れないならば、差別です」と言われる世の中になっています。


何が間違っているのか気付かず、むしろ それが合っていると勘違いをする。

あるいは、間違っていると気付いていても、直さない人、逆にそれが正しいと訴える人が溢れている社会です。


その中で私たちは生きていて、特に子どもたちや若い人はすでに曲げられてしまった偽りの真理を、学校や、社会、世の中でまるで それが本当の真理であり、正しいものであるかのように学んでいるのです。

気付かないままに、真理を真理と気付かず、間違ったことを正しいと学ぶ社会になっています。



これはノンクリスチャンの中だけでの話ではなく、クリスチャンの中でも真理を曲げて伝えている牧師、クリスチャン、教会がとても多いです。


その中で、何が本当に正しく、また、間違えているのか、一体何を選択すべきなのかを教えてくれるのは、聖書です。


いつまでも変わらない真理、人間が人間らしくどのように生きていくべきかを、はっきり噓偽りなく書いてくれているのが聖書なのです。

聖書は、私たちの間違いに気付かせ、直し、正しい方に導いてくれます。


盲目な者として、無知の者として生きるのではなく、知恵ある者として、目を覚ましている者として生きることができるのは、聖書なしでは無理です。



聖書のみことばがあなたの中に入っていないと、間違えたことに気付くことも、ストップさせることも、正しい道に戻ることもできません。

それは、私たちだけではなく、私たちの周りの人もそうです。


特に、子どもがいる方は、親として、その子どもを正しい道、命の道へと導く責任があります。



「誰かが教えてくれるから良いや」ではなく、あなたが見本となり、教えていくことがとても大切なのです。


そのためにも もちろん、また、あなた自身が生きるためにも、まずはあなた自身が、聖書に親しみ、それに基づいて生きること、聖書の教えにとどまることが大切なのです。

逆にワクワクしませんか?


聖書は私たちにたくさんのことを教えてくれ、私たちに益をもたらしてくれると思うと、もっと知りたい、読みたいとなりませんか?


一緒に、あなたと、あなたの愛する方たちとこの栄養満点の御言葉を食べていきましょう!
アーメン (。・ω・)ノ゙

2020.6.14
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携挙される人、残る人

テーマは 『 携挙される人、残る人 』 です

【マタイの福音書24章27-31節】

人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

主の再臨は二回あります。

空中再臨と地上再臨があります。


主の再臨の日は、人々にとっては心臓が凍り付くほどの恐ろしい日であり、驚きの日になります。


なぜなら天の万象が揺り動かされて、闇と稲妻とラッパの響きが全世界を襲うからです。

それが先に起きるので、人々は天地が消え去る恐怖に襲われます。


その時に主が雲に乗って来られ、携挙が起こります。


【ヨハネの黙示録6章12-14節】

私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。

天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

【ヨハネの黙示録8章10-12節】

第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。

この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。

第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。

この時にすべての信徒が携挙されるのではなく、わずかな人だけが空中に引き上げられ、多くの信徒は地上に残されます。


そして残された人たちは大患難を受けるようになります。

自分は携挙されると思っていた多くのクリスチャンも残ります。

悲しいですが、そうなります。



しかし携挙されていないから 主がその人を捨てたのではないです。


花婿である主を迎える準備が出来た人は携挙されますが、準備が出来てない人は残されます。


携挙の事件は残された人を生かすためでもあります。

携挙なしに一回だけの地上再臨で終わるならば、救われることもなく、やり直すチャンスもなく、そのまま裁きの対象になります。



携挙される人にとっては主の空中再臨は人生最高の日になり、すべての苦しみから解き放たれる日です。

報われる日になります。


残った人たちはその時に、気付くと思います。

携挙があったことで、主が語ったことばがすべて真実であり、地上再臨も、裁きも必ずあることを確認する機会になります。


それによって目覚めて、主に悔い改めて、命を懸けて信仰を守ると思います。

そして患難を通って救われます。


それが父なる神の愛であり、最善です。




携挙される人・残される人




どのような人が携挙されるでしょうか?


救われた後でも御霊によって導かれ、主の花嫁として主を心から深く愛しながら交わりを持った人、天に望みを置き、主の再臨を待ち望んだ人です。


目を覚まして花嫁の準備が出来た人が携挙されます。

この人たちの姿は次の箇所です。


【ヨハネの黙示録12章11節】

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

信仰と従順、忍耐、聖霊充満、みことば充満な生活をしている人たちが携挙の恵みを受けます。



しかし御霊の導きに従わず、自分の知識、計画、思い、本能的な欲望に従って形式的な信仰生活をした人たちは、信仰においても、聖さにおいても失敗したので残されます。


主はその人たちの姿を「地と地に住む人々、地上に住む人々、肉に属する人」と呼びます。

“知っていること” と “信じること” は全然違います。


本物の信仰が必要です。

携挙に残された人々が救われるために必要なものも、“本物の信仰” です。


主との深い交わりがあることが『本物の信仰』です。



携挙に残された人々は、主がゲッセマネの園で汗が血のしずくになるほど 切実な叫びの祈りをしながら父なる神を求めたように求めないと大患難の中で救い出されることはないです。


しかし信仰を持って切に主の名を呼び求めるならば、主の救いを受けることが出来ます。



世界の扉が閉じる時がだんだん近づいています。

いつ携挙が起きても不思議ではない時代のなかを生きています。


主の花嫁としての準備をしながら生きなければなりません。


【第1テサロニケ4章16-18節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

アーメン (*^・ェ・)ノ


2020.5.31
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謙遜また謙遜

テーマは 『 謙遜また謙遜 』 です

【第1ペテロ5章5-6節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

クリスチャンが身に着けるべき徳の一つが謙遜です。

謙遜にならず 高ぶっているならば、神に敵対する者だとはっきり言われました。


謙遜とは何でしょうか。


神の前に自分が取るに足りない者、価値のない者、愛される資格もない者であることを自ら認める心の態度です。


選ばれたから、救われたから自分に資格があると思うことは間違いです。


次の箇所に私たちが選ばれた理由があります。


【第1コリント1章27-29節】

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

(私たちに)知恵があるから、強いから、何かを持っているから選んだのではないです。

ですから選ばれた者たちは、神の前にへりくだり、感謝と栄光をささげなければなりません。


パウロは偉大な主の使徒ですが、イエス様のように、本当に謙遜な使徒でした。


自分自身を神の前に取るに足りない者といつも認めていました。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

本当に謙遜な発言と態度です。


もしパウロが高慢な者であったならば、神は彼を用いることは出来なかったと思います。

神に敵対する者を用いることは出来ないからです。


神は高慢な者は退けますが、謙遜な者には多くの恵みを約束して下さいました。

どのような恵みの約束があるでしょうか?


【箴言3章34節】

あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

【箴言29章23節】

人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。

【イザヤ書29章19節】

へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。

【イザヤ書57章15節】

いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。

「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

高慢は神の座に座ろうとする心です。


人間の本性の中には高慢があります。

自分が一番で偉いという思いです。


ですからその本性を知り、高慢の本性を打ち叩き、いつも自分を低くして謙遜を身に着けるようにしなければなりません。


高い御座を捨てて、卑しい世に来られたイエス様の謙遜を見習う者になりましょう。


アーメン (´∀`*)

2019.10.13
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