テーマは『 自分を小さい者と思った人たち 』です

― エレミヤ ―

【エレミヤ書1章5-8節】

エレミヤが語った言葉は、コンプレックスから出た言葉ではないです。言い訳でもありません。

神様はコンプレックスに陥っている人を遣うことはないです。
このような人は否定的な思いが多く、すぐに他人と比較をし自分より優れた人に対して妬みを持ちます。
自分の良い部分より、悪い部分ばかりに目がいきます。
そして、神様には「私はこんな者だから出来ません。」と言います。

このみことばのエレミヤが語ったのは、預言者としての使命がどういうものであるのかを知っていましたので、
恐れの心がありました。とても重たいもので大変な仕事なので、ただ逃げたいというものよりも
 「わたしにはふさわしくないです」という思いでした。
今の預言とは違い、当時の預言は世界や王様や国民に対して悔い改めの言葉を語らせるので、
「(若い者が)取るに足りない者です」と言いました。

自分には出来ないと、自分の姿を正しく見ています。
これは自己卑下ではなく、その働きと自分という人間を比べると、もっともっと出来る人達がいます、と
誰かと比較をしたのではないです。これは謙遜な姿です。謙遜とは自分自身を正しく見ることを言います。

神様の言葉を受けて、それ以上彼は言い訳をせずに受け入れ、50年間預言者として働きました。
たくさんの迫害を受けましたが、その働きを続けていました。
人々は心が頑なで高慢でしたが、エレミヤは初めから謙遜な者で、50年間ずっと忠実な者でした。
人々の評価は気にしなく、神様が自分を立てたので誰も耳を傾けなくても、与えられた言葉を語りました。
忠実な者は仕方なく従う者ではないです。常に神様に感謝しながら、その働きを喜んで続けます。

【哀歌3章22-24節】

どんな時でも心が神様にあります。

― サウル ―

【Ⅰサムエル記9章20-21節】

民たちの願いによってサウルが王に選ばれましたが、サムエルを通してそのことを聞いた時に語った言葉です。
「私はそんな者になるでしょうか。」彼はとても謙遜な者であります。
神様は油注ぎを与えて、サウルをイスラエルの初代王にしました。
そして神様によってサウルに力が付いてきました。するとサウル本人だけが変わってきました。
神様という存在がうっとうしくなり、誰の命令も聞きたくなくなりました。

王になり人々を支配することを味わって、神様から言葉が来ても言い訳をして中途半端に守りました。
自分の欲が優先になっていました。この原因は高慢からきています。

人の話を聞かない人がいますが、その心の中には高慢があるからです。
話を聞かないということは、相手よりも自分の方が偉いという思いが働いてあります。
それは謙遜とは言えないです。
謙遜な者は、小さい子供が語っても話を聞きます。子供からも学ぶことがあります。

自分が年を取ったから偉いのではないです。

サウルは最期には自殺をしました。神様が共におられない戦いで敗れ、怪我を負いました。
自殺は罪になります。自分の命を粗末にすることであります。

― ダビデ ―

サウルの後に王様になったダビデを見ます。

【詩篇131編1-2節】

ダビデが王様になった時の言葉であります。
彼の口から出た言葉は高ぶりではありませんでした。
神様からの祝福を得ていてもダビデは一度も高ぶったことはないです。

謙遜な姿は、神様より前に自分で勝手に(行動を)しないことであります。
神様の時がまだ来ていないのに、自分で判断をして自分で動き出すのは、
神様から見たら高慢な姿であります。

高慢は勝手なことをします。こういう者には神様は祝福を与えません。
ダビデは死ぬ時まで同じ姿でした。いつも神様に感謝をして愛していました。

― パウロ ―

【Ⅰコリント15章9-10節】

パウロはイエス様のことをメシヤとは認めていませんでした。
先頭に立って教会を迫害しクリスチャン達を苦しめていました。
高慢で自分がしていることが正しいと思っていました。
彼がやっていることをイエス様が指摘した時に目からウロコが落ちて、初めて自分の姿が見えました。
その時から砕かれて高慢さがなくなっていきました。

【エペソ3章8節】

謙遜な姿で、私たちが見習わなければならない姿であります。

【Ⅱコリント11章5-15節】

信徒達の中では謙遜な者でしたが、福音を迫害する者の前ではそのような姿ではありませんでした。
働きを迫害する者にパウロは大胆に語りました。

【ルカ17章7-10節】

主の前ではそのようにしなさいと語りました。自分を誇る者には神様は「(あなたのことを)知らない」と言います。
サウル王のように高慢になって滅びることにならないように気を付けなさいという警告の言葉であります。

教会の中でも報いを求めるのではなくて、自分の役割があるならばそれを喜んで行い、
人が褒めてくれなくてもすべきことをしたと、神様はそれを知っておられます。

「私がそうしたんだから、ありがとうくらい言いなさい。」
「私があなたにしたんだから、あなたも私にしなさい。」
これはGive and Takeで愛でも何でもありません。

愛は与えることであります。相手から返ってこなくても愛があるから喜んで与えることができます。
謙遜になって「もっと、もっと働かせてください。主の為にもっと私は役に立つ者になりたいです。」と。
そして働きをした後は、「喜んでなすべきことをしました。」と言うならば、
神様の目から見ると、それは美しい姿に映ります。

自分が高慢になるならば、人に嫌われるということを知らなければならないです。
でも謙遜な人には人が寄ってきます。柔和・優しさ・笑顔・平安な心・その人の傍に行くと心が安らぎます。
恵みは謙遜なところへ流れていきます。

神様からの恵みの雨をもらいたいならば、低いところに下る人が一番神様からもらうと思います。

<今週の目標>

【自分の高慢を砕いて謙遜になる】
すぐに人を非難することは高慢であります。そしてまず悔い改めをします。
主に喜ばれる者になりましょう。

2012.7.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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