テーマは 『 このような神がいるだろうか 』 です
【ヨシュア記1章9節】
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
神を知れば知るほど、体験すればするほど、失望するどころか、ますます偉大な神に圧倒されてしまいます。
ですから神は『主を知ることを切に追い求めよ。』と預言者の口を通して語って下さいました。
自分が興味あることに対して人々は詳しく調べます。
それに対する知識を増やしていきます。
神に対しても いつも詳しく調べてよく知っている者もいれば、いつまで経っても浅い知識しかない人がいます。
そしてその人たちの信仰も神への信頼もとても薄いです。
しかし最低でも自分が信じる神に対して これだけは知ってほしいと思います。
それだけでも このような神は他にはいないことが分かります。
インマヌエル神様
インマヌエルを訳すと、「神は私たちと ともにおられる」 という意味である。
神を知ることです。
ひとりではなく、最強の神が共におられることが何を意味するかを知ることです。
恐れがあるヨシュアに 神が約束したのは、『あなたの行く所どこででも、あなたとともにある。』でした。
心にある恐れを消す一番の方法は、神が共におられることを信じることです。
神はみこころを成し遂げるために 私たちを選び、前進させるために共にいて、恐れを取り除き、勇気を与えて下さいます。
神は神の民といつも共にいて下さいます。
ですから弱い者が勇士になれます。
アドナイ・イルエ神様
アドナイ・イルエは「主の山の上には備えがある」 という意味である。
神を知ることです。
この神を最初に体験した人はアブラハムでした。
【創世記22章14節】
そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。
一番つらい時、他に道がまったく見えない時に、主が彼になさったことを通して、主のことばに従う者に対しては すべてを備えて下さる神であることを体験しました。
明日に対する心配事が多い人は、心配する時間に主のことばに従ってみて下さい。
主ご自身がその心配事を解決して下さいます。
エベン・エゼル神様
エベン・エゼルは、「ここまで主が私たちを助けて下さった」 という意味である神を知ることです。
第1サムエル記7章1-13節にある内容を読むと、その中で 神の助けを受けた時にサムエルが言ったことばがあります。
【第1サムエル記7章1-13節】
キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」
そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。
それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」
彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」
サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。
サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。
そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。
【第1サムエル記7章12節】
そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
サムエルとイスラエルの民は主の前に断食しながら、罪を悔い改め、礼拝をささげ、神に助けを求める祈りをしました。
このような姿勢を見ると、神は手を差し伸べ助けて下さいます。
ただ苦しいから 『助けて下さい』 と、ちょっと祈っただけで神の助けを期待しても答えられないことが多いです。
罪から離れ、神を信頼し、切に求める時に、主は助けて下さいます。
望みの神様
望みは未来に関係があります。
過去に望みをかけることはないです。現在も同じです。
望みは未来のことなので、すべてを計画し、導く神に望みを置くならば 失望に終わることがないです。
【ローマ15章13節】
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
【ローマ8章24-25節】
私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
【詩篇126編5-6節】
涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
涙を流しながら種を蒔くほど苦しみの中にいる者が、それでも種を蒔くのは希望があるからです。
希望があるから種を蒔くことをやめないです。
希望のない人は怠けます。
何もしないです。
希望ある人は、今日 自分がすべきことをします。
神に希望を置いている人は、どんなに辛いことがあっても忍耐して待ち望むことが出来ます。
また忍耐によって得るものがどんなに素晴らしいものかも知っています。
神には多くの力がありますが、これだけ信じて神に頼っても、私たちは地上での旅路を主と共に歩みながら幸せに、また勝利することが出来ます。
(*・ω・)ノ アーメン
2021.7.25
聖日礼拝メッセージ
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