からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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マルコの福音書

主が受けた苦悩

テーマは 『 主が受けた苦悩 』 です


【マルコの福音書14章50節】

すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。


神が人となってこの世に来られた方がイエス・キリストです。

そして その方の最後は十字架の死でした。


キリストが受けた苦悩は計り知れないものでした。

どんな苦しみと苦悩があったでしょうか?





皆から捨てられたので、孤独の苦悩がありました




弟子であるユダは、イエスの敵に銀貨30枚を受けて イエスを勝手に売りました。

愛する弟子に裏切られました。


ユダはイエスを捕らえるために武器を持った者たちを連れて来ました。


その様子を見て 他の弟子たちも自分たちに被害が来ることを恐れて、みなイエスを見捨てて、逃げて行きました。

弟子たち全員に見捨てられました。


預言通りのことであっても、逃げて行く弟子たちを見た主の心は相当苦しかったと思います。



愛する者から裏切られた経験がある人は、心に深い傷が出来て長い間苦しみます。


主は一人だけでなく、みんなに裏切られました。

その苦しみと苦悩は計り知れないです。


一人取り残されたイエス様の苦しい心の内は誰も想像することが出来ないです。




イエス様は私たちが苦しむ時にも裏切らず、私たちのために働いて下さる方ですが、私たちは困った時にイエス様を見捨てて逃げたことがどれほどあったでしょうか。


父なる神にも捨てられた時に、主はどんなに辛く孤独だったでしょうか。

これが一番辛い苦悩だったと思います。


父なる神はその苦悩を知っていても、その苦悩もキリストが受けるべき苦悩と考えていたので、顔を背けていました。

主の苦悩はこの叫び声で分かります。


『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』





人々から受けたひどい侮辱と恥による苦悩がありました




主は人々からあらゆる差別、嘲り、誹謗中傷、侮辱を受けました。


【マタイの福音書27章29-30節】

それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」

また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。


【マタイの福音書27章39-44節】

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。

「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。

彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」

イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。


十字架の上で 『渇く』 と言われた時も 人々は主を嘲笑いました。

主に恥をかかせることが、この時はみんなの楽しみでした。


その時、主にある苦悩は相当なものだと思います。


人から聞いた嫌なことば一つでも苦しいと叫ぶ者たちは、主が人々から受けたものと比べてみることです。





肉体の苦悩




イエス様が十字架の上で受けたのは極限の肉体的苦痛でした。


ローマの兵士たちは、イエスを鞭打ってから地面に置いた十字架にイエスを寝かせた後、両手、両足に大きな釘を打って体を固定してから十字架を立たせました。


恐ろしいほどの肉体的苦痛が全身に走り、死ぬまで続きました。


むち打たれた時に出来た体の傷と、釘打たれたところからは絶えず血が流れました。

6時間も十字架の上で苦しみ続けました。


耐えられない苦しみを受けながら、主は自分のなすべきことをしました。




罪人のために、救いの道を完成することは あらゆる苦痛と苦悩を伴うことでした。


それでも主は そこから逃げることなく、すべての苦しみをその身に受けました。



自分が受ける苦しみが まるで世界一重い苦しみだと思って、主に文句を言う私たちは、もっと主が受けた苦しみを考えることです。



主は文句ひとつ言わずに私たちのために耐えていました。

私たちが受けているすべての祝福は、主の苦悩と苦しみの結果です。


私たちに対する主の愛ほど強いものはありません。


主の苦悩を思いながら、たとえ苦しいことがあっても、主から離れず、耐え忍ぶ者になりたいです。


アーメン (TДT)


2023.3.26
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罪人を招くために来た主

テーマは 『 罪人を招くために来た主 』 です

【マルコの福音書2章14-17節】

イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」


イエス様に対する評価は二つに分かれました。


歓迎する人と非難する人でした。

歓迎する人たちは罪人たち、非難する人は義人たちでした。


罪人が誰なのかを説明する必要はないですね。

人間はアダムからみんな罪を犯したので、聖書は全人類を罪人だと言います。



【ローマ3章9-10節】

では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。


『義人はひとりもいない』と言われているのに、自分は義人だと思っている人たちがいました。


律法に対して一番厳格な人々であるバリサイ人たち、律法学者や祭司たちは「自分は義人」だと思っていました。

律法を文字通りに守っていたので罪人の認識は全くなく、義人だという自負心が天に届くほどでした。




彼らは義人としての誇りが高く、罪人たちの罪を厳しく裁いていました。

ですから罪人と共にいるイエス様も罪人の仲間と思い、厳しく裁きました。


とんでもない人間が現れて律法を無視し、人々を惑わしていると思っていました。



それでもイエス様の目には彼らも罪人なので救いたいと思っていました。


主のみこころはすべての人が救われることです。

救いに差別はないです。



しかし主の願いとは反対に自分には罪がないと思っている義人たちは、イエス様を必要としなかったので主の所には来なかったです。


主のそばに来た人たちは、罪を認め、自分は罪人だと思っている人たちでした。


イエス様は自分が罪人であると感じている人、人から無視され、裁かれている人たちのために世に来て下さいました。







自分を罪人と思っていますか?それとも義人と思っていますか?


自分を罪人と思っている人たちは、自分がいかに腐敗した悪者であるかの認識があります。

うわべは良い人に見えても、自分の心と思い、行動が人には見せられない悪質なものであることを知っています。



いつから罪人の認識が芽生えるでしょうか?

真理のことば、罪に関することばを聞いた時からです。


なんとなく感じていた罪が明確にされます。

そして自分の罪に対して絶望的になります。


そこに主から、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。』 と言われると、絶望から希望に変わります。


自分の罪を悔い改めて、罪の赦しを受け、神の子どもになる特権までも受けます。



イエス様には罪人の罪を赦す権威と救いを与える権威がありますが、両方とも何もせずにことばだけで伝えたのではなく、十字架の犠牲を通して人に与えることが出来ました。



イエス様を信じて救われた人たちは、「主によって罪赦された義人」と主から言われますが、同時に罪人です。

自分には罪がなかったと言えない者たちです。


自分を義人だと誇っていたパウロが主に出会って最初に気づいたのは、自分がとんでもない罪人という事実でした。



それが彼にとって一番の恵みでした。

それによって主を信じ、救われたからです。


主からの救いの恵みを忘れないために、彼のように私たちも告白すべきことばがあります。


【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。


アーメン (´;ω;`)


2023.3.19
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感謝を知っている人たち

テーマは 『 感謝を知っている人たち 』 です

【マルコの福音書14章1-9節】

さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。

彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。

この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。

すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。

貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。

この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。

まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


今日は収穫感謝祭ですから、感謝について考えたいと思います。


ことばで『感謝します。ありがとうございます。』は誰でも言えます。

しかし同じ感謝でも口先だけの感謝があれば、真心からのあふれる感謝もあります。


口で言うよりも態度であふれる感謝を表した人たちが主を喜ばせ、主はその人たちのことをいつまでも覚えておられます。


今日は感謝を知っている人が、どのように感謝を表したかを見たいと思います。





非常に高価な香油が入った壺を割って、香油をイエス様の頭に注いだマリヤ




財産としてコツコツと集めた香油をイエス様になぜ注ぎましたか?


人々は彼女の行動を非難しました。

彼らが言っていることをマリヤが知らなくて、そのようなことをしたでしょうか?


主にしたことが他の人の目には無駄なことにしか見えなかったと思いますが、主は世界中に、福音が宣べ伝えられるところなら、彼女がしたことも伝えて、その人の記念となるようにしなさいとまで言われました。

彼女がやったことは、主をとても喜ばせました。



罪人である自分の罪を赦し 魂を救って下さった主を、自分のいのちの恩人と思って、感謝と主への愛と献身、信仰を表したものが惜しみなくささげたものの中にありました。


人の心を見る主ですから、彼女が無言でやったことでも、彼女の心を主は受け取って下さいました。





貧しいやもめ




貧しいやもめも感謝を知っている人でした。

彼女の話はマルコの福音書12章に出てきます。


【マルコの福音書12章38-44節】

イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、

また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。

また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。

そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。

すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。

みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」


受ける恵みは喜んでも、主にささげることを惜しむ人が多いです。

自分の欲しい物のためにはお金を使っても、主にささげることにケチな人も多いです。


お金があっても主にはささげたくないですね。

ある人はまるで主に対して気前よく、自分を誇りながらささげる人もいます。


しかしこの貧しいやもめは違っていました。


ささげた金額はとても小さな金額でした。

自分が持っているものを全部ささげました。


感謝と、主に対する信仰がないならば、主に自分の人生をゆだねていないならば、なかなか出来ないことです。

主に対するあふれる感謝がこのような行動に出てきます。





らい病が癒されたサマリヤ人




らい病が癒されたサマリヤ人も感謝を知っている人でした。


10人のらい病人が癒されました。

9人は選民であるユダヤ人、一人だけがサマリヤ人でした。


祭司の所に向かっていく間に癒されました。


それでサマリヤ人は祭司に自分の体を見せる前に、自分を癒して下さった主に報告と感謝をささげるために戻って来て、主にひれ伏して感謝をささげ、主を賛美しました。


選民である9人は感謝を知らない者でした。

求めた時には声を張り上げて必死に叫んでいましたが、癒された後は一言も感謝のことばがなかったです。


クリスチャンでありながら感謝がないと主が悲しみます。





あふれる感謝をしたパウロ




感謝のことばを一番たくさん使った人物がパウロです。


一番苦労が多く、あらゆる迫害を受けたパウロが一番感謝のことばを使ったというのは、感謝は環境とは関係がないことが分かります。


たくさん所有すれば、思い通りになれば感謝することが多いと思っているでしょうが、現実はそうではないです。

乏しかった時のほうが、感謝が多かったかも知れないです。




今の人たちは物には恵まれてありますが、感謝は乏しくなりました。


キリストにあって歩み、キリストに命を懸けた人はいつも感謝が溢れます。

キリストが共におられるからです。


【コロサイ2章6-7節】

あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。

キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2022.11.20
収穫感謝礼拝メッセージ

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危機の中での平安

テーマは 『 危機の中での平安 』 です

【マルコの福音書4章40-41節】

イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

危機の中で感じる一番の感情は、死の恐怖だと思います。


「このまま死ぬのかな。」


弟子たちもそうでした。

イエス様と同じ舟に乗りましたが、激しい突風が起こり、舟は水でいっぱいになりました。


その中でイエス様は眠っていました。

弟子たちは恐怖に満ち、イエス様を起こして「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないですか。」



死の恐怖を口にしてイエス様を責めました。

それを聞いてイエス様は彼らに謝ったでしょうか。


謝ったのではなく、まずは風をしかりつけて 風が収まるようにしました。


その後に弟子たちを責めました。

「どうしてそんなに怖がるのです。信仰がないのはどうしたことです。」と。


これに対して彼らが見せた反応は違い、大きな恐怖でした。



イエス様の超自然的な能力に圧倒されて畏敬の念を抱いた感情でした。


ですからイエス様には何も言えず、互いに「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言いました。


病人が癒される奇跡はたくさん見た彼らでした。

しかし、ここまでの力があるとは思ってもみなかったことが分かります。


自分と同じ人間の姿をしているので、主の力を過小評価していたのでしょう。






信仰がない人や薄い人は、まず神の力を過小評価し、神にも不可能があると思っています。

これこそが神を侮る姿です。


神を侮る人たちは、危機の時にそれがすぐに現れます。

「今にでも死にそうです。何とも思わないですか。」


恐怖、不信仰、絶望、あきらめ、つぶやきは信仰がない時に出て来ます。



荒野でイスラエルの民も同じことをしました。


「なぜ神は私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子はさらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と大声で泣きわめきました。

それを聞いた主の中に怒りが燃え上がりました。


そしてこのように語りました。

「この民はいつまでわたしを侮るのか。
わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」



神のわざを見ても 信じないことは、神を侮る不信仰の態度です。


神を侮る人が危機の中で平安を感じることは不可能です。


もし私たちの中に彼らと同じ思いがあるなら、それは神を侮っていることです。


小さな危機の前でもすぐに怖がりますか?

泣いてわめいていますか?



主はそれを見て、弟子たちに語った同じことばを語るでしょう。

弟子たちは暴風ばかり見てイエス様は見ませんでした。


信仰のない人はいつも環境ばかり見て、口ではイエス様を呼びますが、目はイエス様を見ず、環境を見ています。


環境を見たら死の恐怖、不安と心配しか出ないです。

平安はどこにもないです。






舟の中にいる人の中で平安であったのはイエス様だけでした。


天地を創造した主が解決出来ないことがありますか?


冷静に考えることです。

もちろん神は私たちが願う通りには働かない方です。



しかし神にはどんなことでも出来る力があります。


もし主を信じる人ならば、危機の中でも平安を保つ秘訣は イエス様から目を離さないことです。


自分を殺そうとする人々が歯ぎしりしながら殺到した時のステパノは、彼らを見ずに天を見つめていました。


【使徒の働き7章55-56節】

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」


しかし誰も天を見上げることもなく、ステパノだけを見て彼を殺してしまいました。


殺される人が一番死の恐怖に陥るはずですが、一番平安でした。

主を見ていたからです。


ここが違います。


危機があっても無くても いつも主を見上げて生きる人には平安があります。


主の守りと助けがそこにあるからです。

そして主のことばが力になるので平安になります。


【イザヤ書41章10節】

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

アーメン (・∀・)


2021.1.17
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地獄は悲惨な場所

テーマは 『 地獄は悲惨な場所 』 です

【マルコの福音書9章43-48節】

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

世の中には地獄を信じない人が多いです。

地獄も恐れず、罪も恐れない人が多いです。


クリスチャンの中にも地獄を信じない人がいます。



今日のことばはイエス様が語った地獄のメッセージです。


「イエス様もみことばも信じるけど、地獄は信じない」 という人は矛盾しています。

なぜなら今日のことばは主が語った地獄のメッセージであるからです。


地獄が存在しないのに地獄の話をしますか?


それも厳しいことを語りながらメッセージしました。

聖書のほかの箇所でも地獄の話は多いです。



【マタイの福音書23章33節】

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【第2ペテロ2章4節】

神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。




地獄はどんなところでしょうか




  • 真っ暗闇で光が全くなく、耐えることが出来ない苦しみが永遠に続く場所。
  • 残酷な拷問があり、うじや虫、蛇などがあふれる場所。

  • 水一滴得られない所、永遠に消えない火の池がある。
  • 一秒の休みも得られない場所。

  • 死にたくても死ぬことができなく、希望が全くなく絶望だけがある場所。
  • 泣いて歯ぎしりするところ、自分が行った通りに報いを受ける場所。

  • 一度入ると永遠に出られない所。
  • 火の池の中で永遠に苦しむ場所。

  • 叫んでも誰も助けてくれる者がいない場所。
  • 永遠に飢え渇きがある場所です。


こんなところが実際にあります。


悪魔、サタンはいま活発に働いています。


【第1ペテロ5章8節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。


悪魔はどんな目的をもって歩き回っていますか?


人々を地獄に落とすためです。


自分(悪魔)がいる地獄に一人でも多くの人を連れ込むために、惑わしながら歩き回り、時には光の天使、時には義のしもべ、または様々な誘惑をもって人々をつまずかせ、地獄に落としていきます。


地獄のメッセージを聞いても信じない理由、罪から離れない理由は、聖書も地獄も信じないし、地獄のことよりも罪の誘惑が強いからです。

死んだら何もかも終わりで、天国も地獄もない と思うのは、自分だけの考えで事実ではありません。



イエス様は誰一人地獄に行くことを願わないです。


信じて、悔い改めて、救われてほしいと願っておられます。

信じて主に従う者は、いのちの書にその名が書かれ、地獄には行かないです。


しかし信じない者、いのちの書に名のない者、不法を行う者、罪を犯した後も悔い改めない者、生まれ変わっていない者は天国には行けず、残念ながら地獄に行きます。


何があっても地獄には行かない者になりましょう。

とても悲惨な場所ですから。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

アーメン ( -д-)ノ


2020.9.20
聖日礼拝メッセージ

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イエスを殺そうとした理由

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【マルコの福音書3章6節】

そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

イエス・キリストは、ある日突然 十字架にかかって死んだのではなく、早くから殺意をもって殺そうとした人たちがいました。

そして結局、彼らによって殺されました。


誰がどのような理由があって最初から殺そうとしたのでしょうか?


殺意をもっていた人たちは テロ集団ではなく、厳格なユダヤ教徒であるパリサイ人たち、そして祭司や律法学者たち、すなわち “宗教指導者や宗教熱心な人たち” でした。


これは今の時代も変わらないですね。

イスラム原理主義者たちが世界中で行うテロを見ると、その恐ろしさが分かります。


イエスを殺そうとした人々も似たような人間でした。

彼らは 誰よりも律法を知り、それを厳格に守っている者でした。


しかし、イエスに対する彼らの姿を見ると 平気に律法を犯していました。

十戒には「殺してはならない。」と明確に書いてあるにも関わらず、彼らは人殺しをしようを企んでいました。


なぜ 神のことばを破りながらも、イエスを殺そうとしたのでしょうか。

殺意から殺人に繋がっていきました。


そこには2つの大きな理由が考えられます。




政治的理由




イエスが生まれた時、東方の博士たちが 特別な星に導かれて エルサレムまでやって来ました。

そして、「ユダヤ人の王として お生まれになった方は、どこにおいでになりますか。」と尋ねました。


するとその時、王であったヘロデは 恐れ戸惑って、自分は何も知らないので、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、「キリストはどこに生まれるのか」 と問いただしました。

彼らは、“ベツレヘムで生まれる” と正確に教えました。


しかし、彼らは見に行くこともしませんでした。

長い間、待ち望んでいた人たちなのに、メシヤが生まれた話を聞いても 全く動かず、歓迎もせず、捜しに行くこともしない姿が不思議でたまらないですね。


無関心でした。


博士たちは星に導かれて幼子イエスに会い、ひれ伏して拝みました。

ユダヤの王として認めました。


しかし一番メシヤに対して詳しい宗教指導者たちは、誰一人尋ねて行って拝むこともしませんでした。


後にイエスが公の場で宣教を開始し、誰も行ったことのない様々な奇跡や権威あることば、すなわちメシヤの預言と同じ働きをしているのを見ながらも、また人々が イエスをユダヤの王だと言っても 彼らだけは認めませんでした。

そして受け入れることもしませんでした。



また、イエスの所に多くの人々が集まり、どこへ行っても歓迎されているイエスの姿を見て、彼らの心は妬みでいっぱいでした。

なぜなら、(イエスが宣教を開始する前まで)彼らは民を支配し、権力を振るっていたからです。


人々の流れと関心が イエスに向いてしまうと、自分たちの権力を維持するのが難しいと考えていたので、消すしかないと思いました。

これは、いつの時代にも政治の世界でよく起こることです。


メシヤとして認めない心、妬み、権力欲によって殺そうとしました。




宗教的理由




イエスに対する信仰がなく、メシヤとして信じることが出来ませんでした。


信じないので、イエスが “メシヤであると宣言すること” に腹を立てました。

そのことを受け入れることが出来ませんでした。


そして彼らは宗教儀式を行うことを喜び、日々それを励んでいるのに、イエスが自分たちとは違うことをして、その儀式を破ることもするので ますます憎み、敵対し殺そうとしました。


(イエスを)神ではなく、悪霊だと彼らは思っていて悪霊呼ばわりしました。


また時には、イエスが 自分が天から来られた神の子、時には神 とも言うので、“神を侮辱する者” として生かしておいてはいけないと思って殺そうとしました。


【ヨハネの福音書5章18節】

このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。

【ヨハネの福音書8章58-59節】

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

彼らが霊的無知であったからです。


【ヨハネの福音書12章40節】

「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

彼らが本当に聖書に詳しい者であったならば、イエスが預言されたメシヤである証拠をたくさん見つけることが出来たと思いますが、彼らは一度も イエスが本当にメシヤであるかどうかを詳しく調べたこともありませんでした。



ただ自分たちがイメージしていた(メシヤの)姿ではなく、また自分たちにある欲や高慢や妬みなどによって殺意をもち続け、結局は自分たちの手でメシヤを殺してしまいました。

この罪はどんなに大きな罪でしょうか。


主イエスに敵対して生きることは、自分の命取りになります。


信じていのちを得る者になりたいです。
アーメン (・∀・)


2018.3.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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