テーマは 『 弟子の道 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

イエス様が十二弟子を選んだ時に、彼らは素直に主に従いました。

『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間を取る漁師にしてあげよう。』と言われた時、彼らはすぐに従いました。


弟子たちがすぐに従ったのは、主と共に人間を取る仕事をすることだと単純に思っていたからです。

深刻な思いはありませんでした。


主は弟子たちを訓練しながら、本格的に弟子の道が何かを教え始めました。

弟子たちが思っていたこととは違っていました。



弟子の道は 弟子としての仕事というよりも、イエス様中心に生きる人生です。


イエス様はご自分のことを『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』と言われました。


イエス様中心に生きることは、道であり、真理であり、命である主を追い求めながら、イエス様に集中して生きることです。




イエス様中心に生きない人は 弟子とは言えないです。

他のものに集中して生きる人は弟子にふさわしくないです。


生涯をかけてイエス様を探求しながら生きる人が弟子の道を歩んでいる人です。

生活の中で、イエス・キリストのみこころを実践することが弟子の道です。



イエス様は父なる神のみこころを行うために人間となってこの世に来られました。

イエス様に従う弟子はイエス様のみこころを実践する人です。


弟子になる人には目的があります。

その目的とは『イエス様について行きたい、イエス様に似る者になりたい、イエス様を伝えたい』ということです。


何のためにイエス様についていくのか分からない人は弟子ではないです。



弟子にはハッキリした目的があります。


イエス様の弟子になる人は、自分を捨てないといけないです。

いつも主に従うために、自分を捨てる決断と実践が必要です。


貪欲、名声や権力、富を求めている生きる人は それを捨てることが出来ないので弟子になることが出来ないです。




しかし それらをちりあくた だと思う人が最後まで主に従うことが出来ます。

自分の十字架を負ってついて行く人が 弟子の道を歩んでいる人です。


自分の十字架とは、自分がしないといけない “主からの使命” です。



最善を尽くして、十字架を負って主に従う人が弟子です。

信じる者になり、弟子になり、御霊に導かれて十字架の道と復活の栄光にあずかるのが弟子の道です。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2022.12.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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