からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2023年03月

主が受けた苦悩

テーマは 『 主が受けた苦悩 』 です


【マルコの福音書14章50節】

すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。


神が人となってこの世に来られた方がイエス・キリストです。

そして その方の最後は十字架の死でした。


キリストが受けた苦悩は計り知れないものでした。

どんな苦しみと苦悩があったでしょうか?





皆から捨てられたので、孤独の苦悩がありました




弟子であるユダは、イエスの敵に銀貨30枚を受けて イエスを勝手に売りました。

愛する弟子に裏切られました。


ユダはイエスを捕らえるために武器を持った者たちを連れて来ました。


その様子を見て 他の弟子たちも自分たちに被害が来ることを恐れて、みなイエスを見捨てて、逃げて行きました。

弟子たち全員に見捨てられました。


預言通りのことであっても、逃げて行く弟子たちを見た主の心は相当苦しかったと思います。



愛する者から裏切られた経験がある人は、心に深い傷が出来て長い間苦しみます。


主は一人だけでなく、みんなに裏切られました。

その苦しみと苦悩は計り知れないです。


一人取り残されたイエス様の苦しい心の内は誰も想像することが出来ないです。




イエス様は私たちが苦しむ時にも裏切らず、私たちのために働いて下さる方ですが、私たちは困った時にイエス様を見捨てて逃げたことがどれほどあったでしょうか。


父なる神にも捨てられた時に、主はどんなに辛く孤独だったでしょうか。

これが一番辛い苦悩だったと思います。


父なる神はその苦悩を知っていても、その苦悩もキリストが受けるべき苦悩と考えていたので、顔を背けていました。

主の苦悩はこの叫び声で分かります。


『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』





人々から受けたひどい侮辱と恥による苦悩がありました




主は人々からあらゆる差別、嘲り、誹謗中傷、侮辱を受けました。


【マタイの福音書27章29-30節】

それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」

また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。


【マタイの福音書27章39-44節】

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。

「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。

彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」

イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。


十字架の上で 『渇く』 と言われた時も 人々は主を嘲笑いました。

主に恥をかかせることが、この時はみんなの楽しみでした。


その時、主にある苦悩は相当なものだと思います。


人から聞いた嫌なことば一つでも苦しいと叫ぶ者たちは、主が人々から受けたものと比べてみることです。





肉体の苦悩




イエス様が十字架の上で受けたのは極限の肉体的苦痛でした。


ローマの兵士たちは、イエスを鞭打ってから地面に置いた十字架にイエスを寝かせた後、両手、両足に大きな釘を打って体を固定してから十字架を立たせました。


恐ろしいほどの肉体的苦痛が全身に走り、死ぬまで続きました。


むち打たれた時に出来た体の傷と、釘打たれたところからは絶えず血が流れました。

6時間も十字架の上で苦しみ続けました。


耐えられない苦しみを受けながら、主は自分のなすべきことをしました。




罪人のために、救いの道を完成することは あらゆる苦痛と苦悩を伴うことでした。


それでも主は そこから逃げることなく、すべての苦しみをその身に受けました。



自分が受ける苦しみが まるで世界一重い苦しみだと思って、主に文句を言う私たちは、もっと主が受けた苦しみを考えることです。



主は文句ひとつ言わずに私たちのために耐えていました。

私たちが受けているすべての祝福は、主の苦悩と苦しみの結果です。


私たちに対する主の愛ほど強いものはありません。


主の苦悩を思いながら、たとえ苦しいことがあっても、主から離れず、耐え忍ぶ者になりたいです。


アーメン (TДT)


2023.3.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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罪人を招くために来た主

テーマは 『 罪人を招くために来た主 』 です

【マルコの福音書2章14-17節】

イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」


イエス様に対する評価は二つに分かれました。


歓迎する人と非難する人でした。

歓迎する人たちは罪人たち、非難する人は義人たちでした。


罪人が誰なのかを説明する必要はないですね。

人間はアダムからみんな罪を犯したので、聖書は全人類を罪人だと言います。



【ローマ3章9-10節】

では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。


『義人はひとりもいない』と言われているのに、自分は義人だと思っている人たちがいました。


律法に対して一番厳格な人々であるバリサイ人たち、律法学者や祭司たちは「自分は義人」だと思っていました。

律法を文字通りに守っていたので罪人の認識は全くなく、義人だという自負心が天に届くほどでした。




彼らは義人としての誇りが高く、罪人たちの罪を厳しく裁いていました。

ですから罪人と共にいるイエス様も罪人の仲間と思い、厳しく裁きました。


とんでもない人間が現れて律法を無視し、人々を惑わしていると思っていました。



それでもイエス様の目には彼らも罪人なので救いたいと思っていました。


主のみこころはすべての人が救われることです。

救いに差別はないです。



しかし主の願いとは反対に自分には罪がないと思っている義人たちは、イエス様を必要としなかったので主の所には来なかったです。


主のそばに来た人たちは、罪を認め、自分は罪人だと思っている人たちでした。


イエス様は自分が罪人であると感じている人、人から無視され、裁かれている人たちのために世に来て下さいました。







自分を罪人と思っていますか?それとも義人と思っていますか?


自分を罪人と思っている人たちは、自分がいかに腐敗した悪者であるかの認識があります。

うわべは良い人に見えても、自分の心と思い、行動が人には見せられない悪質なものであることを知っています。



いつから罪人の認識が芽生えるでしょうか?

真理のことば、罪に関することばを聞いた時からです。


なんとなく感じていた罪が明確にされます。

そして自分の罪に対して絶望的になります。


そこに主から、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。』 と言われると、絶望から希望に変わります。


自分の罪を悔い改めて、罪の赦しを受け、神の子どもになる特権までも受けます。



イエス様には罪人の罪を赦す権威と救いを与える権威がありますが、両方とも何もせずにことばだけで伝えたのではなく、十字架の犠牲を通して人に与えることが出来ました。



イエス様を信じて救われた人たちは、「主によって罪赦された義人」と主から言われますが、同時に罪人です。

自分には罪がなかったと言えない者たちです。


自分を義人だと誇っていたパウロが主に出会って最初に気づいたのは、自分がとんでもない罪人という事実でした。



それが彼にとって一番の恵みでした。

それによって主を信じ、救われたからです。


主からの救いの恵みを忘れないために、彼のように私たちも告白すべきことばがあります。


【第1テモテ1章15節】

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。


アーメン (´;ω;`)


2023.3.19
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イエス・キリストの一生

テーマは 『 イエス・キリストの一生 』 です

【コロサイ1章15-17節】

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。


自分が信じるイエス・キリストがどんな方なのかを知らないならば、それは恥ずかしいことです。


信じるなら、その方に対してよく知らないといけないです。


本文にも書いてあるようにイエス・キリストは見えない神のかたちであり、神そのものであり、万物を創造した方です。

万物よりも先に存在した方です。


目に見えない神を見たと言えば 嘘のように聞こえますが、神を見たというのは 神の臨在を体験し、神の声を聞いたことを意味します。





イエス・キリストは人間の罪を贖うために処女マリヤの体を借りて この世に来て下さいました




【イザヤ書7章14節】

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。


イエス・キリストは聖霊によって生まれた方です。





イエス・キリストは生まれて八日目に割礼を受けました




【ルカの福音書2章21節】

八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。


律法によれば、男の子は生まれて八日目に割礼を受けました。


割礼は神が選んだ民になったという契約のしるしです。

世の人と区別され、神の民になったことを意味します。


イエス様も律法に従って割礼を受けました。





十二歳になった時にエルサレムにある神の宮を訪ねました




【ルカの福音書2章40-43節】

幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。

さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。

イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、

祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。




三十年間ナザレで大工として父を助けながら生活しました




【マルコの福音書6章3節】

この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。




三十歳の頃に公の活動を始めました




そしてその活動は三年間続きました。


【ルカの福音書3章23節】

教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。


主な活動の場所はユダヤ、ガリラヤ周辺、カペナウムなどでした。

最初に行った奇跡は、カナの婚礼式で水をぶどう酒に変えたことでした。

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十字架の死、そして三日後には復活しました




イエス・キリストは地上での最後の一週間はエルサレムに入り、弟子たちとの最後の晩餐、十字架の死、そして三日後には復活しました。





復活した後も四十日間 人々に姿を見せた後に昇天しました




【使徒の働き1章9節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。


今年は4月9日がイースターです。


その時まで、イエス・キリストの生涯、活動、苦難、そしてイエス様と自分との関係に焦点を合わせたメッセージをしたいと思います。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2023.3.5
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