いつも当ブログを読んでくださり心から感謝致します。
次回の更新は、5月7日(日)を予定しております。
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東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★
【マタイの福音書9章14-17節】
するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。
だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」
先週は『新しいことをする神様』に対して話しました。
救い主イエス様が地上に来られてなさったことはすべて新しいことでした。
それに対して、当時の人々もびっくりしました。
新しいことが好きな人には魅力的に見え、古いものに固執する人には目障りで、疑い深い人は戸惑いと疑いの気持ちが出ました。
ある者たちは受け入れずに惑わす者、悪魔だと非難しました。
救い主が来たのに、自分たちの古い考えで受け入れることが出来ず、救いのチャンスを逃しました。
しかし心を開いた人たちは 主から新しい恵みを受け、救いを受けました。
本文は特に神の選民であり、神様から律法を受けたユダヤ人に主が聞かせたいことばでした。
今も主にはその思いがあると思います。
相変わらずユダヤ人は古い革袋から抜け出ずにいます。
本文の前には色々なことがありました。
中風の人の癒し、罪の赦し、レビが選ばれた場面、罪人たちとの食事、断食のことなど、それを問題にしたパリサイ人たちが反論しました。
彼らの目にイエス様は律法破りの不敬虔なとんでもない人に見えました。
理解出来ない人に見えました。
自分たちは律法を落ち度なく必死に守っているのに、イエス様や弟子たちはそれらを平気に破っているので許せなかったと思います。
当時、宗教熱心な人たちは みんな律法主義者でした。
文字通りに律法を守り、そして聖書にも書いていない制度や形式まで作ってそれを守り、また人々にも要求しました。
守っている自分たちは義人で、守らない者は罪人だという基準も決めていました。
ですから自分たちの基準とまったく合わないイエス様を受け入れることは出来ませんでした。
イエス様の行動を見るたびに『なぜ』という思いをいつも持っていました。
パウロも元は誰よりも律法に熱心な者でしたので、イエス様に敵対しました。
消すべき人物だと認識していました。
彼らはみな古い契約に縛られ、古い革袋から抜け出ずにいました。
古い革袋は旧約です。
古いぶどう酒は動物の血です。
新しい革袋は新約です。
そして新しいぶどう酒は、新しい契約の血であるイエス様の血です。
古い契約はモーセの律法で、新しい契約はキリストと御霊の原理です。
旧約ではみんな律法の下にいましたが、キリストが来られてからは 律法の下でなく、いのちの御霊の恵みの下にいるようになりました。
【ローマ7章6節】
しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
古い文字は律法のことです。
律法に縛られて、救い主を知ることも出来ず、迫害したパウロがそのまま生きていたならば、彼は神の国に入ることは出来なかったと思います。
本人は天国に間違いなく入ると思っていたでしょう。
ですから救われた後に、自分が固執していた古い革袋を思い切り捨てました。
そして新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生き方に変えました。
イエス様が十字架にかかって血を流したのは新しい契約のためでした。
【ルカの福音書22章20節】
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
ぶどう酒の意味が『わたしの血による新しい契約』の意味で使われています。
またその時にこのようにも言われました。
【マタイの福音書26章28-29節】
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
この地上では新しい契約のために主は血を流しました。
そして主が聖徒たちと共に新しいぶどう酒を飲む日が来ることも話して下さいました。
聖霊がすべての人に注がれることを意味するでしょう。
新しい契約によれば罪の赦しは行いでも動物の血でもなく、『 キリストの血 』 によります。
また新しい革袋は、教会の姿です。
決められた場所でしか礼拝をしなかった人たちが、霊とまことによって礼拝するようになったのもイエス様によるものでした。
古いものに執着するのではなく、福音の信仰、新しい教理、新しい思想、新しい生活様式に変えることです。
形式的に行われることを主は忌み嫌います。
律法の中にある神のみこころを悟ってみことばを行わず、形式的にみことばを守ることが間違いです。
人に見せるためではなく、神に見せるためにするのが福音の信仰です。
新しい革袋に新しいぶどう酒を入れる生活は、イエス様のように自分の十字架を負い、イエス様のあとに従う生活です。
自分の古い考え、自分のやり方、自分の経験ではなく、神のみこころを知り、みこころに従って歩むならば古くなることがないです。
日々新しい生活が出来ます。
新しいものをいつも入れると いつも新しくなりますが、古いものを手放さず、新しいものを拒むならば、その状態は古臭いものになります。
新しいことをする神様を経験するためには、新しい革袋ではないと無理です。
古い革袋のままの人は イエス様を知ることも救いを受けることも出来ないです。
新しい契約を信じないと永遠の命も天国も失います。
残念なことです。
アーメン (・∀・)つ
2022.4.8
聖日礼拝メッセージ
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【イザヤ書43章18-19節】
先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
神様は創造主です。
無から有を作り出すことが出来る方です。
そして神様の中には無尽蔵の知恵があります。
神にとって不可能はないです。
人間の想像をはるかに超えて働く方です。
人間は神に対して無知なので神様の能力、知恵を理解することが出来ないです。
理解してもわずかな部分しか理解しないです。
神様のことに無知な人間に対して、神様はこのように宣言しました。
『見よ。わたしは新しいことをする。』
神様は人間に向かって『新しいことをしなさい』と語ったのではなく、『わたしが新しいことをする。』と言われました。
この部分がとても大切です。
読んで分かることは、ほとんどの人は自分に対して『いなご意識』を持っていることが分かります。
その意識によって『出来ない、無理だ』と否定的になり、神様に対しても不信仰になります。
次の箇所に『いなご意識」が出てきます。
【民数記13章32-33節】
彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
そして民全体が大声で泣き叫び、「できればこの荒野で死んだほうがましだ。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と騒ぎ出しました。
神様の奇跡をさんざん見たにも関わらず、彼らは神様を無視しました。
それまで自分たちの力でしたことは一つもなく、いつも神様が新しいことをして導き守ったのに、まるで自分たちの力で、やってきたかのように思っていました。
カナンの地に住む人たちを見て、自分たちには戦う力がないと思い、絶望して神に文句を言い、不信仰の言葉ばかり口から出していました。
神様がこれからなさることには一切関心もなかったです。
期待しないなら、信仰が生まれないです。
海に道を作って自分たちを渡らせて助けて下さった神をすっかり忘れていました。
神様が奇跡を行う力が尽きたかのように、また自分たちに戦いをさせると思ってびびっていました。
人間は新しいことが出来ないです。
特に人間の力を超えたことは出来ないです。
出来ないことに対して『しなさい』とおっしゃったことがないです。
いつも神様が新しいことをします。
彼らが恐れたアナク人との戦いはどうなったでしょうか?
その時も神様が新しいことをしました。
神の命令に従って七日間黙って城壁を回り、最後に大きな声を上げた時に城壁が突然崩れ落ちました。
そして城壁に入る道が出来たので、その町を征服することが出来ました。
考えられない神様の不思議な方法が新しい奇跡を起こしました。
不可能を可能にするのが神様の特技です。
ですから『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。』と言われました。
過去にあったことよりも大きなことをすると宣言しました。
子どもがいないアブラハムに約束通り子どもを与えたのも神様です。
100歳のアブラハムに90歳の不妊の妻サラからイサクが生まれました。
40歳で同胞のために立ち上がったモーセでしたが、うまくいかず40年間失敗したような人生を送り、80歳になった時に神様が突然現れてイスラエルの民をエジプトから解放する指導者にしました。
80歳のモーセにどんな力があったでしょうか。
なんの力もありませんでした。
ですから神様に呼ばれて一番びっくりしたのがモーセ自身でした。
誰の目からも一番ふさわしくないように思われましたが、偉大な働きが神によって出来ました。
いつも働いたのは神様で、モーセは神様から言われたことだけをパロや民に伝えました。
神様は自分の力を誇る者は使わないです。
何も出来なくなった者を選んで 人生改革を行います。
荒野の人生に道を、荒地に川を設ける方です。
自分の人生が荒野でも荒地でも 神様には問題ではないです。
神様は私たちの人生で新しいことをしようとします。
神様の手に自分の人生を任せる人には、神様が必ず新しいことをなさいます。
毎日新しいことをする神様に信仰をもって期待することです。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚
2022.4.3
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