テーマは 『 苦難をどう思うのか 』 です
【第2コリント1章8-10節】
兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
人々が一番恐れていることは苦難が来ることです。
ですから苦難が自分の人生に来ないように祈ります。
しかしこの祈りは正しい祈りではないと言われています。
なぜならイエス様が “この世にあっては苦難がある” と前もって言われたからです。
正しい祈りは、「苦難を乗り越える力を与えて下さい」 と祈ることです。
パウロの人生は、主に出会ってから苦難の人生に変わりました。
主が弟子アナニアに、パウロのことをこのように預言しました。
【使徒の働き9章15-16節】
しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
主はこのように語った理由は、福音の働きを邪魔するサタンの力が どれほどパウロを苦しめるかを知っていたからです。
主ご自身も苦難を受けたからです。
悪魔が大いに働くこの世では、敬虔に生きようとする人たちが苦難を受けることが多いです。
神に逆らいながら生きる人たちは、闇が好きなので、光を嫌い、光の中を歩む者を迫害します。
パウロは、自分が進む道に いつも敵による攻撃と迫害、苦難があると知っていました。
しかし苦難を恐れて避けたことは一度もありませんでした。
苦難を前にした時の心境をこのように話しました。
【使徒の働き20章22-24節】
いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
苦難よりも福音をあかしする任務に集中しました。
これが苦難を恐れないためには必要です。
何かをするためには 何をすべきかを考えると共に、何をしてはいけないかも考えないといけないです。
苦難を恐れることはしてはならないことです。
「恐れるな」と言われたことばの中には、色々な意味があります。
苦難がないことは、幸せではなく不幸です。
晴れの天気が365日続くとどうなりますか?
すべてが枯れます。
枯れないために時には雨、時には台風も必要です。
いつ神様を一番求めますか?
いつ聖書をたくさん読みますか?
苦難の時です。
ヨブは神様が認めたほど敬虔な人でした。
しかし彼が受けたほどの苦難は、その時代誰も受けていなかったです。
その苦難がどれほど大変だったのか、ヨブはこのように訴えました。
【ヨブ記7章19-21節】
いつまで、あなたは私から目をそらされないのですか。つばをのみこむ間も、私を捨てておかれないのですか。
私が罪を犯したといっても、人を見張るあなたに、私は何ができましょう。なぜ、私をあなたの的とされるのですか。私が重荷を負わなければならないのですか。
どうして、あなたは私のそむきの罪を赦さず、私の不義を除かれないのですか。今、私はちりの中に横たわります。あなたが私を捜されても、私はもうおりません。
ヨブの苦難は終わりがないように思われました。
しかし終わりが来て、神はヨブを大いに祝福しました。
主はヨブの後の半生を前の半生にも増して祝福されました。
詩篇38編は、ダビデが書いたものですが、ヨブ記にとても似ています。
長く続く苦難の中で書いたものでした。
【詩篇38編1-8節】
主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私の中に突き刺さり、あなたの手が私の上に激しく下って来ました。
あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。
私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。
私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。
私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。
私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。
私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。
苦しみをあらゆることばで表現しました。
ダビデも主の心に適った者で、主に愛されました。
しかし多くの苦難がありました。
後にダビデも 神に尊く用いられ、多くの祝福を受けました。
苦難は、火の中で不純物を取り除いて 純金にする過程に似ています。
ですから詩篇119編に このようなことばがあります。
【詩篇119編71節】
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
苦難の中にいる時は、このような心構えでいなさい と言われたことばがあります。
【ヘブル12章11-12節】
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
イエス様も苦難を通りましたので、苦難の中にいる人たちが耐えるように助けて下さいます。
耐えた人に祝福を与えて下さいます。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3
2022.2.27
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