からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2021年07月

このような神がいるだろうか

テーマは 『 このような神がいるだろうか 』 です


【ヨシュア記1章9節】

わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

神を知れば知るほど、体験すればするほど、失望するどころか、ますます偉大な神に圧倒されてしまいます。


ですから神は『主を知ることを切に追い求めよ。』と預言者の口を通して語って下さいました。


自分が興味あることに対して人々は詳しく調べます。

それに対する知識を増やしていきます。


神に対しても いつも詳しく調べてよく知っている者もいれば、いつまで経っても浅い知識しかない人がいます。

そしてその人たちの信仰も神への信頼もとても薄いです。


しかし最低でも自分が信じる神に対して これだけは知ってほしいと思います。


それだけでも このような神は他にはいないことが分かります。





インマヌエル神様




インマヌエルを訳すと、「神は私たちと ともにおられる」 という意味である。

神を知ることです。


ひとりではなく、最強の神が共におられることが何を意味するかを知ることです。


恐れがあるヨシュアに 神が約束したのは、『あなたの行く所どこででも、あなたとともにある。』でした。



心にある恐れを消す一番の方法は、神が共におられることを信じることです。


神はみこころを成し遂げるために 私たちを選び、前進させるために共にいて、恐れを取り除き、勇気を与えて下さいます。


神は神の民といつも共にいて下さいます。

ですから弱い者が勇士になれます。





アドナイ・イルエ神様




アドナイ・イルエは「主の山の上には備えがある」 という意味である。


神を知ることです。

この神を最初に体験した人はアブラハムでした。


【創世記22章14節】

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。


一番つらい時、他に道がまったく見えない時に、主が彼になさったことを通して、主のことばに従う者に対しては すべてを備えて下さる神であることを体験しました。


明日に対する心配事が多い人は、心配する時間に主のことばに従ってみて下さい。

主ご自身がその心配事を解決して下さいます。





エベン・エゼル神様




エベン・エゼルは、「ここまで主が私たちを助けて下さった」 という意味である神を知ることです。


第1サムエル記7章1-13節にある内容を読むと、その中で 神の助けを受けた時にサムエルが言ったことばがあります。


【第1サムエル記7章1-13節】

キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。

その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。

そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」

そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。

それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」

彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。

イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。

そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」

サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。

サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。

イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。

そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。

こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。


【第1サムエル記7章12節】

そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。


サムエルとイスラエルの民は主の前に断食しながら、罪を悔い改め、礼拝をささげ、神に助けを求める祈りをしました。

このような姿勢を見ると、神は手を差し伸べ助けて下さいます。



ただ苦しいから 『助けて下さい』 と、ちょっと祈っただけで神の助けを期待しても答えられないことが多いです。


罪から離れ、神を信頼し、切に求める時に、主は助けて下さいます。





望みの神様




望みは未来に関係があります。

過去に望みをかけることはないです。現在も同じです。


望みは未来のことなので、すべてを計画し、導く神に望みを置くならば 失望に終わることがないです。


【ローマ15章13節】

どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。


【ローマ8章24-25節】

私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。


【詩篇126編5-6節】

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。

種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


涙を流しながら種を蒔くほど苦しみの中にいる者が、それでも種を蒔くのは希望があるからです。


希望があるから種を蒔くことをやめないです。


希望のない人は怠けます。
何もしないです。



希望ある人は、今日 自分がすべきことをします。


神に希望を置いている人は、どんなに辛いことがあっても忍耐して待ち望むことが出来ます。

また忍耐によって得るものがどんなに素晴らしいものかも知っています。


神には多くの力がありますが、これだけ信じて神に頼っても、私たちは地上での旅路を主と共に歩みながら幸せに、また勝利することが出来ます。


(*・ω・)ノ アーメン


2021.7.25
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苦難を受容するまでの段階

テーマは 『 苦難を受容するまでの段階 』 です

【ヨブ記2章7-10節】

『サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。

ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。

すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」

しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。


突然のがんの宣告、死、大きな問題や事故などに直面すると、だれもがそれを簡単に受け入れることが出来ないです。

あらゆる感情が湧き出て、どうしたらよいのか戸惑うことがたくさんあると思います。


一般的に最初はほとんどの人がそれを否定します。

「そんなはずがない。間違いでしょう。うそでしょう。」という思いになります。

受け入れることが出来ないので否定します。



ヨブという人は 神を恐れ、悪から遠ざかっていた成熟した信仰を持っていたので、彼はとんでもない不幸が自分を襲ったその日も、否定したのではなく不幸を受容しました。


普通の人は 受容するまで何段階も通らないといけないのに、彼は成熟した信仰を持っていたので、すぐに受容しました。

普通の人ならば事実をまず否定します。


次はそれが事実であることを確認した後に、怒りの段階になります。

「どうして神様は私にこんな試練を与えるんですか?」と神に怒りの感情をぶつけます。

神様を信じない人までも悪いことが起こると 神のせいにします。



しかし、怒るからといって状況が変わるのではないです。


状況を変えたい人間は次に妥協点を捜します。

「神様が解決して下さるならば、これをします」 と誓願を立てて神の助けを求めます。



不妊のために苦しんでいたハンナは激しく泣きながら神に祈りました。

「万軍の主よ。もしあなたがはしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けて下さるなら、私はその子の一生を主にささげます。そしてその子の頭に、かみそりを当てません。」


神はその祈りを聞いて、ハンナに男の子を与えました。

そして彼女は神に誓願した通りにその子を主に捧げました。


自分の願いが叶えられた後に、主への誓願を果たさない嘘つきも多いですが、彼女は誓願を守りました。

神はハンナをさらに覚えて彼女に3人の息子と2人の娘を与えました。



次は妥協も通らないと諦めてうつ状態になります。

「私の人生はこれでおしまいだ」と絶望する段階です。



ここで終わる人も多いですが、次の段階に行く人たちもいます。





受容段階・世の塩のような役割




それは、ありのままを認め、受け入れる受容段階です。

信仰ある人たちは ありのままを受容します。


自分に起こるすべてのことは、神の計画の中にあることだ と受け止めます。

ヨブもヨセフもダニエルもひどい苦難がありましたが、それをそのまま受容して忍耐しました。


神は、忍耐して神につぶやかなかった人たちを必ず祝福して下さいます。



そして、さらに次の段階もあります。

それは自分が経験した辛いことを生かして、同じ経験をしている人たちを慰め、助け、人の益のために働く段階です。


この人たちが世の光、世の塩のような役割をします。

社会を明るくする人たちです。



神は私たちがこの段階まで行くことを願います。

こういう人たちが本当に人を愛して善を行うことが出来ます。


神様は理由なく苦難を通らせるのではないです。


私たちの益のために、成熟した信仰に育てるために、キリストに似た者にするために、愛と謙遜がある人にするため、苦難を通して私たちを変えていきます。


また、試練を通ることによって ますます天の御国に望みを置く者になることも主は知っておられます。


アーメン (*゚∀゚)っ


2021.7.18
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名が天に記されている喜び

テーマは 『 名が天に記されている喜び 』 です

【ルカの福音書10章17-20節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」


イエス様は70人の弟子たちに力を授け、彼らに福音を伝える任務を与えて遣わしました。

そして弟子たちはその力によって素晴らしい働きをし、帰ってきて喜びながら主に報告しました。


悪霊どもさえ服従することを見て、彼らは相当喜んだと思います。

私たちが出て行ってその働きをしても、同じように興奮して誰かにそれを伝えたと思います。


しかし主は、その喜びよりも さらに喜ぶべきものがあると言われました。

「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」



主のことばのように私たちが一番喜ばないといけないことは、いのちの書に自分の名が書き記されていることです。


いのちの書に名が書き記される人は、小羊であるイエス・キリストを通して救われた神の民です。


悔い改めと信仰によって救われ、最後まで信仰を守った人がいのちの書に名が書き記されます。





いのちの書、行いの書、真理の書




天には数々の書物があると聖書に書かれていますが、代表的な書物は三つあります。

いのちの書、行いの書、そして真理の書です。


【ダニエル書10章21節】

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。


真理の書には歴史における神の計画が記されていると思われます。



【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


いのちの書に名の記されている人は、神のさばきに会うことがありません。

その者は神の国で永遠に生きることが許されますが、いのちの書に名の記されていない人は永遠の地獄に行きます。


【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


聖書には、いのちの書に関して難解な部分もあります。


いのちの書に記された名が消されることもあるのか? と。

ある人たちは「ある」と言いますし、ある人たちは「絶対ない」と言います。


聖書のある箇所を読むと、消されることがあるように思われますし、ある部分を読むとそんなことはないように思われるからです。



どの人間も聖書のことばを完璧に理解することは出来ないです。

理解出来る部分と、出来ない部分があります。


救いは “神の恵み” であり、私たちに救われる資格があったから救われたのではないです。


行いではなく信仰によって救いを受けます。


ですから罪を犯したから救いが消されることはないと思います。

罪を犯した後でも悔い改めるならば罪が赦されます。







しかし、私たちが信仰によって救われたのに、その信仰を自ら捨てるならば話は違うと思います。


信じた者が堕落して、神への信仰を捨て、他の神々を信じるならば、それでもその者は天国に行けるでしょうか?

不信仰になって あらゆる悪を行う者に対して、神はその名をいのちの書にそのまま記しているでしょうか?


公義を行う神にそれは出来ないと思います。



本当に救われた人なら、神への信仰を捨てることは出来ないです。


しかし、信仰よりも “宗教をやって形式的” になっている人は 救われてもいないのに、「自分は救われた」と勘違いしていると思います。


次の聖書の箇所を深く考えてみて下さい。

消されることは絶対ないと思うより、消されることがあるかも知れないから、そうならないように信仰によって生きる者になりましょう。



【出エジプト記32章32-33節】

今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。


【詩篇69章28節】

彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。


【イザヤ書4章3節】

シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。


【ダニエル書12章1-2節】

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。

地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。


ヨハネの黙示録の中にはいのちの書に対して書かれた箇所が色々あります。


【ヨハネの黙示録13章8節】

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


【ヨハネの黙示録17章8節】

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。


【ヨハネの黙示録20章12節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。


【ヨハネの黙示録20章15節】

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。


【ヨハネの黙示録21章27節】

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

いのちの書に名の記されている者は必ず神の国に入るので、それが一番の喜びです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.7.11
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二種類の人間

テーマは 『 二種類の人間 』 です

【ガラテヤ3章10-14節】

というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。

しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。


私たちの目にはあらゆる種類の人間が見えますが、神の目には二種類の人間しか見えません。

それは、神の呪いの下にいる人間と、呪いから解放された人間です。


すなわち律法の下にいる人間は 呪いの下にいることになります。

また良い行いによって救われると思っている人もこれに含まれています。



どの人間も律法全体を守ることは出来ないし、罪一つない人間も世には存在しないです。


どんなに聖く正しく生きようとしても、罪と縁がない人はいないです。

聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」と宣言しています。


肉に属する者は、肉の悪い行いによって生きるようになっています。

そして肉に属する者は 神の国を相続することが出来ないです。



また呪いから解放された人がいます。


この人たちも呪いの下にいましたが、自分の身に呪いを受けて死んで下さったキリストを信じたことによって神の恵みを受け、呪いから解放されました。


呪いから解放されたことが「救い」です。


救いは神の恵みであり、受ける価値のない人が、努力なしに、信仰だけで得るものです。





信仰




なぜ信仰だけで得られるでしょうか?


キリストが私たちために呪いを受けたので、律法の呪いから私たちを贖うことが出来ました。


【ガラテヤ3章13節】

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。


ですから信じる人は キリストによって呪いから解放されます。

解放された人は聖霊を受け、聖霊から永遠のいのちを受けます。


【ガラテヤ6章8節】

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。


信仰だけで救われることがないと言いながら、他のことも強調する人たちはキリストの恵みを受けることもなく、呪いの下にとどまることになります。



他のものによって人間をのろいから解放することは不可能なので 神は御子を世に遣わし、十字架にかかるようにしました。


そして、それを信じる者だけが救われるようにしました。

ですから神の目には、キリストによって呪いが取り除かれた人と 呪いがそのまま残っている人しか見えないです。


自分はどこにいますか?


アーメン Σ(・ω・ノ)ノ


2021.7.4
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