からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2016年12月

イエス・キリストの偉大さに対する様々な証言

テーマは 『 イエス・キリストの偉大さに対する様々な証言 』 です

【マタイの福音書1章18-23節】

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

本物と偽物を見分ける方法は色々ありますが、様々な証言や証拠によって見分けるのが1番確実です。


イエスがメシヤ(救世主)であり、偉大な神であることは、生まれる前からの証言やその他の証言、証拠などで間違いないことが はっきりとしています。

今回はその部分を調べてみたいと思います。


調べることもせずに勝手な思いや先入観で、“メシヤではない” と決めつけるのは、知恵のないことです。


私が8回くらい観た映画「ベン・ハー」は 1959年に初めて上映されましたが、来年リメイク版が上映されます。

アカデミー賞にて11部分を獲得した記録は、未だに破られていないようです。


その映画は小説「ベン・ハー」が原作です。

「ベン・ハー」を書いた「ルー・ウォーレス」は無神論者で、キリスト教が大嫌いでした。


それで彼は「キリスト教撲滅論」を書こうとイエス・キリストについて取材を始め、彼が実在の人物ではなく、救い主でもないことを証明しようと試みましたが、調べていくうちに だんだんイエス・キリストが実在の人物であることを信じざるを得ず、そのうち、彼自身がキリストを受け入れる決心をしました。


そして、キリストが救い主であることを書いたのが「ベン・ハー」です。


来年映画が上映されたら観て下さい。また、以前に作られた映画も観て下さい。




主の使いの証言




【マタイの福音書1章20節】

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

結婚が決まった婚約者に身に覚えのない妊娠が発覚された時に、正気でいられる人がいるでしょうか?

それは今の時代でもショックを受けます。


ましてや律法が厳しい時代のユダヤならば、女性はさらし者になり、律法によって殺されます。

ヨセフは正しい人だったので、内密に去らせようとしました。


マリヤを妻として迎えることは到底出来ませんでした。

とても辛い心でいる彼に、夢で主の使いが現れました。

主の使いという特別な存在が、自分が抱えている問題に触れたこと自体 彼には驚きでした。


人のことばなら受け入れられませんが、主の使いの証言ならば誰が信じずにおられるでしょうか。

ヨセフは主の使いのことばを素直に受け入れました。


もちろんどこまで理解したかは分かりませんが、偉大な人が生まれるということは信じました。




東方の博士たちの証言と証拠




【マタイの福音書2章1-2節】

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

彼らは星に導かれて 遠い国からユダヤの地までわざわざ贈り物を携えて来ました。


国から招待されたわけでもない人たちが、わざわざ他国をいきなり訪問することがあるでしょうか?

伝承によれば彼らは王であったと言われています。


そういう身分の人たちならば、事前に様々な協議をして 日程を決めて訪問すると思いますが、彼らは不思議な星の導きによってユダヤまで来ました。

ヘロデ王は彼らの訪問を受けて戸惑いました。


それも自分たちは誰一人知らないユダヤの王としてお生まれになった方を拝みに来たと言われたので、人々は戸惑いました。

星はさらに彼らを導いて幼子がいる所まで案内しました。


もし そこに何もなかったならば、彼らは自分たちの勘違いと思って失望して帰ったと思います。

しかしその場所で幼子を見つけたので、贈り物をして大喜びで帰りました。




バプテスマのヨハネの証言




【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

バプテスマのヨハネの存在と働きは、旧約聖書で預言されてありました。


【イザヤ書40章3節】

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。

彼がその働きをした時に人々がその働きを認め、彼から水のバプテスマを受けるためにユダヤの全地域の人々が集まりました。


そして、そのバプテスマのヨハネに 神は “メシヤを見分ける方法” を教えて下さいました。

それが次の箇所にあります。


【ヨハネの福音書1章32-34節】

またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。

私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』

私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」

人々から尊敬され、敬虔であるバプテスマヨハネが嘘の証言はしないはずです。




神とモーセとエリヤの証言



【マタイの福音書17章1-5節】

それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。

そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。

モーセとエリヤは旧約時代の実在人物で、モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者のような人物で、民から最も尊敬されていました。


すでに天に召された2人が、突然姿が変えられたイエス様と話していることは、イエス様が普通の人間ではなく、神が遣わしたメシヤであることの証拠になります。


そして真の神ご自身が雲の中に現れて はっきりと証言して下さいました。

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」 と。


歴史人物の中で誰がこのように証言されたでしょうか?


自分で勝手に話を作る人は多いですが、このような証拠はありません。

中でこういうことをされた人物がいたでしょうか。


目の前で不思議な光景を見た弟子たちが証言しました。




悪霊の証言



【ルカの福音書4章41節】

また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。

悪霊は霊の存在であるから、私たち人間よりも霊的なことに対しては優れています。


イエス様が現れると、悪霊どもは自分たちの存在がばれて、人々から追い出されることを知っていました。

なぜなら闇は光の前では消えるしかないからです。


ですから、いつも悪魔は 先に色々とイエス様に話しました。


時には「追い出さないで下さい」と言ったり、抵抗したりもしましたが、いつもイエス様は悪霊を追い出して人々を助けました。

嘘つきである悪霊さえイエス様の前では嘘が言えませんでした。


人々の前でイエス様が「神の子です。」と はっきり言いました。




主の言葉を聞いた群衆たちの証言



【マタイの福音書7章28-29節】

イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。

というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

主は毎日 人々に教えました。

その教えは素晴らしく、どこでも人々が集まり、その教えを喜んで聞いていました。


その言葉で人々のたましいを導き、慰め、励まし、いやし、奇跡などを行いました。

今まで誰もやったことのない奇跡や、権威あることばを語るので、人々はイエス様を救い主として受け入れました。


同じことばを聞いても、妬みや宗教の霊に縛られた祭司や律法学者たちは 心がかたくなであるのでイエス様を拒否しました。

しかし一般の人々はイエスをメシヤであると証言しました。


これらのことを見ても、イエス様が救い主であり、偉大な方であることの証明になったと思います。


これ以外だれの証言や証拠が必要になるでしょうか?

もしイエス・キリストをメシヤとして認めないならば、その人はそのことを証明しなければなりません。


ユダヤ人の多くはメシヤとして認めず、未だにメシヤを待つ人が多いですが、最近はイエス様が多くの個人の前に直接現れて、多くのユダヤ人がその瞬間変えられてメシヤとして認めています。

今ありえないことがイスラエルや中東で起きています。


どんな神でも良いと言う人は多いです。


道徳的には正しく生きられるとは思いますが、魂が死ぬか生きるかが懸かってあります。


罪は善行では消えないですね。


私たちの罪を贖って天国に導きたいと願って 地上に来られたイエス・キリストを、その時代の人々が救い主であると証明しました。


目を開けて、耳を開いて、その証言をしっかりと聞いて下さい。

信じますか?それとも信じられないですか?


今度は信じる者が新たな証言をする番です。

主は偉大な神です。
メシヤです。


そして再び再臨なさる方です。
( ̄‥ ̄)=3

2016.12.25
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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1年間の感謝

テーマは 『 1年間の感謝 』 です

【詩篇23篇1-6節】
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

12月になると1年があっという間に過ぎた感じがします。

「1年ってこんなに長いの?」と言われた人に、今まで会ったことがありません。


今年も あと2週間ほど残っていますが、来週がクリスマス礼拝で、その次は新年になりますので、今日は一年間受けた主の恵みに感謝したいと思います。


今日の聖書のことばは詩篇23篇です。

詩篇の中でも一番よく知られてあります。


23篇には感謝という言葉はありませんが、感謝の気持ちがにじみ出てあります。

感謝の思いなしにこの詩篇は書けないですね。


今日は何に対する感謝があるのかを考えてみたいと思います。

すると自分たちも何に対して感謝すべきかがわかります。




神様が共におられたことに対する感謝




23篇全体には常に主が共におられるのがわかります。

これこそが最大の感謝です。


主は私から遠く離れた所におられる方ではなく、いつも共におられる方です。


私たちの手を握って私たちを導き、守って下さる主です。


ダビデにはそのような信仰があったので、前向きで健全な人生を生きることが出来ました。


彼の人生は決して平凡で順調な人生ではなく、波乱万丈な人生でした。

しかし、その中でも神が自分と共におられるという信仰を持っていたので、苦しみの中でも、神の慰めと勇気を受けて勝利することが出来ました。


神が共におられるという事実から目をそらすと私たちは絶望し、常に不安と思い煩いに支配されます。


主はいつも共にいて下さる方です。
それが神の約束でした。


【マタイの福音書28章20節】

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

主が共におられることがどれほど感謝かわかりません。

主がいない生活は考えられません。


今年も主が共にいて下さったことが何よりも感謝です。




主の助けと導きと守りが感謝




ダビデは 主が羊飼いとして自分を緑の牧場、いこいの水のほとり、義の道に導き、敵からも守って下さったことをすべて思い出して感謝しました。


ダビデは多くの戦いを経験した勇士でもありました。

ですから命が取られるような場面がたくさんあったにもかかわらず、生き延びたことは自分の力でなく神の助けと守りがあったからと彼は信じていました。


わたしたちも同じです。

主の守りと助けがなかったならば、どうなったでしょうか。


皆さんも自分の人生を振り返ってみて下さい。

思い出すと危険な場面が色々ありました。

助けられた、守られたという場面が色々と思い出されます。


一つ間違えたら死んだかも知れない場面があります。

車を運転する人は、事故を起こしたかも知れない場面があります。


地震などの自然災害も今年も多かったです。

色んな病気も流行っています。

テロも毎日のように世界の様々な場所で起きています。


これらは自分で自分を守ることが出来ないです。

神様の守りと助けなしには生きていけないです。


ですから無事に過ごせたことが大きな感謝です。




衣食があったことに感謝




【第1テモテ6章7-8節】

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

衣食は人間生活の一番の基本です。

不足があると生活が不便になりとても困ります。

世界に目を向けると家もなく、食べるものもなく、着る物もない人がたくさんいます。


日本人口の何倍も困っている人がいます。

難民のことを考えると一瞬にしてすべてを失い、どこに向かったら良いのかも分からず困っている人がたくさんいます。


それを見た時も本当に衣食があることに感謝が出てきます。


日本も貧困層が年々増えています。

その人たちは衣食住を確保するだけで毎日必死です。


不自由なく一年過ごせたことは本当に感謝です。


“良いことが何もなかったから感謝したくない” ではなく、それでも守られて、助けてもらったので感謝することです。


感謝は、自分自身の活気ある生活のために、他人に喜びをプレゼントするために、神の祝福の手を握るために必要です。


感謝は、神様に明日の恵みを期待します。

6節のことばに恵みへの期待と信仰があります。


まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


ある牧師が書いた「ありがとう」です。


「ありがとう。窓よ。ありがとう。カーテンよ。ありがとう。床よ。ありがとう。壁よ。ありがとう。天井よ。ありがとう。木々よ。ありがとう。庭よ。ありがとう。空よ。ありがとう。友よ。ありがとう。兄弟よ。ありがとう。みんなよ。見回しても、見回してもありがたいことばかり。朝も夕もすべてを見てもありがたいことばかり。」
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.12.18
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謙遜の衣を着る

テーマは 『 謙遜の衣を着る 』 です

ハレルヤ。

主の御名をほめたたえます。


信仰告白をしてイエス様を信じて長い年月が過ぎたにも関わらず、人格も行動も変わっていない人の問題点は何でしょうか?


“自分は信仰がある”と言いますが、聖霊に逆らっている人が多いです。


最近、韓国で名の知れた牧師先生の目のあたりにアザが出来ていました。

その先生とは、私も大阪で一緒に食事をしたことがあります。

謙遜な先生で、貧民たちがいるところで教会を開拓し、彼らの世話をしていました。


そして、その教会がある程度大きくなった時に、他の先生を後任者にして自分はそこを去り、田舎の方で また開拓しました。


そして最近、教会の創立記念日が近付いたので、それに参加したい意思を伝えました。

そうしたら、そこの教会から何人かの信徒が訪ねてきました。


理由は“来てほしくない”と言うためでした。

彼らは牧師に対して誤解していました。


再び牧師として戻るのではないかと思って、それを止めたくて来た人たちでした。

その中のひとりの長老が帰り際に、いきなり牧師の顔を一発殴りました。

その長老は、18年前から一緒にいた信徒でした。


そして、その信徒たちは帰っていきました。

牧師は突然殴られたのでびっくりしました。


噂を聞いて、記者が訪ねてきて「その信徒を傷害罪で訴えますか?」と聞かれた時に、牧師は「そんなことはしない」と、はっきりと言いました。

信徒を訴えることは出来ません、赦します、と言いました。


相変わらず謙遜な先生でした。

その態度に安心しましたが、その先生を殴った長老に対して考えてみました。

牧師が何もしていないのに、暴力を振るったことが理解できませんでした。


しかし、聖書の中で答えを見つけました。

敬虔なステパノがユダヤ人たちに語ったことばで分かりました。


【使徒の働き7章51-54節】

かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

すなわち、神の教えを聞き、世話をしてもらっても いつもその心が高慢で、心を頑なにしていると、うなじのこわいものになって 神のことばには不従順、聖霊には逆らいます。


心と耳に割礼を受けない者は、いつまで経っても人格も性格も態度も変わることがありません。


彼らに対して預言者はこのように言いました。


【エレミヤ書6章10節】

私はだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。彼らはそれを喜ばない。

私たちは、心と耳に割礼を受けて、神のことばを聞いたら 真理を悟って従順する人になりましょう。


そして謙遜の衣をいつも身にまとうようにしましょう。
(・◇・)ゞ

2016.1.16
3分テレフォンメッセージ

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人生の台本

テーマは 『 人生の台本 』 です

ハレルヤ。

今日も聖霊に満たされますように祈ります。


人生には台本がありません。

人生ほど先が読めないものはありません。

ですから、ドラマチックでもあります。


聖書にはドラマよりも面白い ある人たちの人生が書かれてあります。


【第2列王記7章3-4節】

さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」

当時、ライ病人は、町の中に住むことが許されず、町の外に隔離されて生活していました。

普通に生きることができず、社会から疎外されていました。


しかし、神様は彼らを使ってアラムに包囲され、そのためひどい飢饉が町を襲い、飢え死するしか道が残されていなかったユダヤ人たちに勝利の知らせを伝える者にしました。

四人のライ病人たちは、どうせ死ぬ運命だから、祖国を裏切り、アラムの軍隊に降伏するために行きました。


神様は自分の力をあきらめ、神の前に完全に降伏する人たちに恵みを与えた話が聖書に色々と出てきます。

しかし、それが終わりではなく、救い出した人たちを神の働き人として用いてくださいました。


ライ病人がしたことといえば、とにかく生きるために その道を探っただけでした。

何一つ持っていないライ病人として選択できる道は降伏することしかなく、彼らはその道を選びました。


しかし、何が起こったでしょうか?

アラム軍隊の耳には、彼らの歩く音がまるで戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎのように聞こえたので、彼らは恐れて何もかも捨てて逃げていきました。


ライ病人たちは何が起こったかも知らず、アラムの陣営に行って、驚く光景を目にしました。彼らはお腹いっぱいに食べ、この良い知らせをユダヤ人にも伝えました。


これは誰一人想像することすら出来ない 神の不思議な方法でした。

この方法に用いられた人たちは、霊的な人でも 特別な力がある人でもなかったことが、私たちに慰めを与えます。


アラムの軍隊も ライ病人たちも普段通りにやっていたでしょう。

しかし、神のドラマに動員された人たちは、何も分からず その役割を立派にこなしていました。


私たちの人生も、台本を事前にもらって演技をするドラマとは違って、次の場面がどのように進行されていくのか まったく分かりません。

ですから、人生に神の演出という信仰がないと、不安に絡まれてしまいます。


私たちが信じなければならないのは、神のドラマは私たちが想像すらできない神の方法で進みますが、次の箇所にあるように信じなければなりません。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

それを悟る人は患難の中でも、希望をもって感謝し 喜ぶことが出来ます。

神のドラマで、自分がどのような役割をするのか知る必要もありません。

事前に知ったら面白くないです。


ただ自分の役割に忠実であれば良いです。

神が演出する人生には、“失敗” という結末がないことを確信しながら、日々忠実な者になりましょう。
(*´Д`*)

2016.2.22
3分テレフォンメッセージ

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