テーマは 『 信仰の試練 』 です
【ヤコブ1章2-4節】
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
【ヤコブ1章12-14節】
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
今回は “信仰の試練” に対して 神の言葉を伝えます。
本文の中には何度も “試練や誘惑” という言葉が書かれていますが、よく読んでいくと それぞれ意味が違うので、そのことを理解する必要があります。
信仰には “試練” がつきものです。
試練に会って、「どうして私に?」と思うのではなく、「来るべきものが来たのか」と肯定的に捉えることが必要です。
なぜならば、その試練が悪いものではないからです。
どのような意味があるのかを学びます。
・私たちを完全な者にするための試練
ヤコブ1章2-4節に出てくる試練は、“私たちを鍛錬するため” の試練です。
聖書に出てくる信仰の人たちは、皆 この試練を受けました。
これは、鍛錬のためのテストです。
代表的な人物はアブラハムです。
創世記22章にアブラハムが受けた試練がありました。
それは神から来た試練でした。
【創世記22章1-3節】
これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
ある日、突然ふりかかった とんでもない試練でした。
アブラハムへの信仰のテストでした。
自分の思いを優先するならば、神に従うことが出来ません。
親として愛する自分の子どもを殺すことは出来ません。
しかし 信仰で考えるならば、どんなことであれ 神に従うことが優先です。
信仰のテストは (自分の思いではなく)信仰を選ぶならば、すぐに正解を出せます。
(神から)言われた通りに従えば 問題がないです。
どちらが正解か と迷う必要もありません。
しかし肉の思いで悩むと さらに苦しくなり、神と戦うようになり、だんだんと心が不信仰に傾くので、最後には不正解を選ぶようになります。
アブラハムはどうでしたか?
それまでも神の言葉に従って歩んで来たアブラハムは、今回も信仰による決断しかしませんでした。
すぐに支度をして翌朝早く 示された場所に向かい、イサクを言われた通りに全焼のいけにえとしてささげようとしました。
その瞬間、「アブラハム。アブラハム」と彼を呼ぶ御使いの声がありました。
初めは「アブラハムよ」と呼びかけましたが、次は「アブラハム。アブラハム」と呼びかけ、緊迫したようにも聞こえます。
アブラハムが刀を取って自分の子を殺そうとしたのが あまりにも本気だったからだと思います。
アブラハムは前回と変わらない答えでした。
「はい。ここにおります。」
御使いは次のように仰せられました。
【創世記22章12節】
「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
信仰の試練は、神が第一なのかをテストします。
神が一番でないならば、その信仰は 神が喜ぶ信仰ではないです。
その人にとって “一番” になっているものが(その人にとっての)神であり、それは偶像の神です。
そのような人は偶像崇拝をしており、信仰は “形だけ” です。
ですから、試練を与えてテストをすると分かってきます。
人間はいつも変わるので、時々試練を与えてテストをする必要があります。
この信仰の試練によく耐える人は ますます信仰が強くなり、さらに神を愛し、神を恐れる人になります。
だんだんと信仰のレベルが上がっていき、強度が強くなります。
アブラハムは この試練に耐えたので、“信仰の父” になりました。
このような試練は、私たちを成長させ、豊かにし、完全な者にさせます。
・イエスを信じることによって来る試練
ヤコブ1章12節のみことばです。
『試練に耐える人は幸いです。』
ここでの試練は “苦難、患難、迫害など” です。
試練を持ってくるのは神ではなく、悪魔です。
神に敵対する悪い勢力を悪魔が使って試練を与えます。
キリスト教は長い間 迫害を受けました。
新約聖書が書かれた時代は 激しい迫害がありました。
その時代に一番迫害と試練にあったのは、使徒パウロでした。
【第2コリント1章8-9節】
兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
主の弟子たちは、試練に対してとても肯定的な思いで受け取っていました。
その試練によってイエス様の苦難にあずかる者になったことを喜びましたし、その試練によって肉の思いが砕かれ、もはや肉に頼る者ではなく、神に頼る者になることを期待しました。
ペテロもそのように試練を捉えていました。
【第1ペテロ1章6-7節】
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、
あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
この試練は悪い者たちによって受ける試練ですが、神はそれを善に変えて下さいます。
その試練に信徒が忍耐して 信仰を守り通す時に、素晴らしい報いを与えて下さいます。
それはいのちの冠で、最も価値ある報いです。
ですから、試練が来た時に 喜んで受け入れないといけないです。
それによって大きな報いが与えられるからです。
・私たちを倒そうとする誘惑
これは ヤコブ1章13-15節にある誘惑です。
この誘惑は 神から来るものではないので絶対受けてはならないです。
これはサタンが私たちを悪に誘う誘惑です。
今の日本では迫害は ほとんどないですが、この誘惑はたくさんあります。
激しい迫害に耐えた人でも この誘惑に負ける人がいます。
サタンが アダムとエバを倒したのは、まさに この “誘惑” でした。
目の欲、肉の欲を刺激しました。
刺激されたエバが善悪の木を見ると どうなったでしょうか。
【創世記3章6節】
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
誘惑に負けた姿です。
誘惑された時に すぐさまサタンを追い出さないで、好奇心で見るならば 必ず誘惑に負けます。
見た瞬間に心にある欲が目覚めて誘惑と結びつき 罪を生み出します。
誘惑は罪を犯させるためにサタンが仕掛けた罠です。
それに引っかかると必ず罪を犯します。
立派な信仰を持っていたダビデが倒れたのも、1人の女を見て誘惑されたからです。
目の欲に揺れた時に サタンを追い出せば良かったのに、それをせず女を連れて来させたので、そこから信仰が転落していき、そのことでダビデがどれほど辛い日々を送るようになったか分かりません。
誘惑は本当に気を付けないといけないです。
サタンは欲につけ込みます。
女の欲があるならば 女で誘惑します。
名誉、地位、情など色々な誘惑のパターンがあります。
自分が持っている欲はすべてサタンの標的になります。
この誘惑に負けないためには2つの方法があります。
神の武具を身に着けて誘惑が来た時に戦うことです。
サタンを追い出します。
誘惑されると罪を犯すので神は血を流すまでは戦いなさいと言いました。
いつも神の武具を身に着けて警戒することです。
そして自分の中にある様々な欲を打ち砕いて捨てることです。
それには霊的訓練が必要です。
知識ではなく実践です。
自分の欲と戦い、試練の中で実践をすることです。
自分の中にある欲を捨てないと いつまでもサタンは誘惑を止めません。
ですから自分がしんどくなり、誘惑と欲に疲れ果ててしまいます。
霊的訓練で内側にある欲を取り除かないといけないです。
生きている限り、信仰の試練はあります。
試練があって当たり前と思って下さい。
しかし それは悪いものではなく、私たちに必要であることを認識して、逃げず、文句を言わず、耐え抜いて勝利して下さい。
そうすると必ず成長しますし、神からも良い報いを受けます。
(・∀・)つ
2016.2.28
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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みことばがあふれています!
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