テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です
【ローマ4章19-21節】
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。
そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。
信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。
いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。
ただの一冊の本に過ぎません。
また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。
アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。
それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。
アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?
神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。
高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。
なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。
信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。
(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)
神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。
アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。
アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。
目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。
神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。
【創世記12章1-3節】
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。
すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。
しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。
アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。
しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。
その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。
信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。
すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。
そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。
しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。
簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。
まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。
神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。
まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。
アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。
信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。
アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。
最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。
現実はどうでしたか―?
75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。
自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。
信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。
たぶん私たちならば両方やっていると思います。
しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。
これは素晴らしい信仰です。
人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。
忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。
しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。
沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。
台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。
でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。
疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。
根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。
現実の強い風で倒されてしまいます。
アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。
【イザヤ書55章11節】
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。
神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。
信仰は力です。
環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。
アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。
この姿は私たちが見習わないといけないです。
次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。
その姿を確信に満ちた信仰と言えます。
確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。
そして日々そのことを黙想することです。
まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。
その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。
見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。
現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。
ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。
しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。
信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。
しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。
信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。
彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3
2015.7.26
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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今日の「いのちのパン」
シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤
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