テーマは 『 神の人とはどのような人か 』 です
【ダニエル書3章16-18節】
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
“神の人”と聞いたら 皆さんはどのような人を想像しますか。
近寄りがたい雰囲気で、雲の上の存在のような人で、威厳がある人だと思いますか?
また、見た目で分かるような人だと思っていますか。
日本のキリスト教の思想家であった内村鑑三は「外なる人は平凡な人になりなさい。しかし内なる人は特別な人になりなさい。」と言いました。
どこにでもいそうな平凡な人になりなさい、と。
“平凡な先生、平凡な主婦、平凡な会社員、平凡な農夫”
私たちは“平凡”と聞くと、あまり良い印象がありません。
しかし、神が見ておられる内なる人は、“特別な人になりなさい”は聖書を読んでみても納得が出来ます。
イエス様の外なる人は平凡な大工でした。
公の場で活動を始める前の30年間はまったく人々に知られていなく、平凡な人生を送っていました。
しかしイエス様の内なる人は神の御子でした。
今の時代は見える部分(外見)にすごく力を入れて外見を飾ることで 自分を特別な者に見せたいようですが、それをしたからといって特別な人になることはありません。
その人の内側に特別なものがある時に特別な人になります。
神の人と呼ばれる人々もよく見ると外なる人は平凡な人たちでした。しかし内側には特別なものがありました。
神の人とは 神が認め、神に喜ばれる人のことです。
その人の内側には、何があるのかを今回学びたいと思います。
1.信仰によって神の御心だけを求める
本文の若者3人は、いのちの危険に直面しました。
王が造った金の像を拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる命令が王から下されました。
人々はその命令に従って金の像を拝みましたが、神を信じていた3人はその命令には従いませんでした。
一度だけ拝めば死ぬことはありませんが、神に対して信仰深い彼らは神の命令に反する偶像崇拝はしたくありませんでした。
しかし それは自分たちのいのちに関わることになりました。一度きりの人生、彼らはまだ若いです。
王の前に呼ばれた3人が王に対して話した言葉の中で、すべてを神のみこころに任せる信仰を見ることが出来ます。そこには何の迷いもありませんでした。
【イザヤ書55章8節】
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―― 主の御告げ ――
ここに書かれているように、初めから神のみこころは私たちの思いとは違うことを知り、私たちの思いを貫くのではなく、神のみこころがなるように祈る姿勢が神の人の中にはあります。
この3人の中にも、神の人の姿勢がありました。
神に従うことでいのちの危険にさらされています。
しかし、そのことで主に何も要求しませんでした。
“助けてもらっても、助けてもらわなくても、神に対する信頼は変わりません”という姿勢が彼らに見られました。
祈りをかなえて下さるからという理由で神様を信じるだけであるならば、それは他の神々を信じる人の信仰と変わりがありません。
多くのクリスチャンは神様が自分の祈りを聞いて下さるので願いをもって祈ります。
そして神様が自分の味方であると信じています。自分が祈り求めた通りに神様は答えて下さると信じています。
しかし祈った後の現実が自分の願い通りにならないと「神様が私の祈りを聞き、私の味方なのにどうして祈った通りにならないですか。」と不平を言ってつまずきます。
例えば病気にかかったとします。
医者にもかかりますが、私たちはクリスチャンなので当然のように癒しを求めて神様に祈ります。でもなかなか癒されず、ますます悪くなったとします。
そこで「主が癒し主であり こんなに祈っているのに、なぜ治してくださらないのですか?」と訴えます。
本人や とりなしをする人々も同じ思いになりますが、癒しを求めたからといって すべての人が癒されるとは限りません。
1人1人に対する神のみこころは全て違います。
癒しを求めて、癒されることもあれば、死んで神様の所に帰るのがみこころの場合もあります。
本人が死ぬのが神のみこころであるならば、それを喜んで受け入れるのが神の人たちにはありますが、神のみこころに関心がなく、みこころを求めない人は神に文句を言ったり、信仰を捨てたりします。
本文の若者3人は神を信じる者として、みことばを守るためにいのちがかかっても金の像を拝みませんでした。
彼らは死にたくはなかったと思います。その時、神様は沈黙していました。
しかし彼らはみことばに立ちました。信仰を守ったことは神様が喜ぶことでした。
彼らは神様には力があり、自分たちの信仰を見て助けてくださるという信頼もありました。
しかしそれがすべてではありませんでした。
神様がたとえ自分たちを死なせても、そのみこころに従うと決心し金の像に拝むことを拒否しました。
そして その後、彼らは火の中に投げ込まれました。
自分たちの願いや思いを捨てて完全に神のみこころに従いました。
これが神の人たちの中にある特別な信仰です。これは完全に神様に信頼する姿です。
沈黙していた神様は火の中に入った彼らの真ん中に現れました。それは信仰が勝利した瞬間でした。
そして彼らの神は偉大な神であることを証明し、彼らももちろん助かりました。
神の人には勝利があるのみです。神が彼らに勝利を与えて下さいます。
この世の基準では愚かに見えるかもしれませんが、神の目には彼らが勝利者です。
2.神様と通じるものがあり、自分を通して神様を表現する
まずはイエス様の姿を思い出しましょう。
人間の姿で来られましたが、人々が見たのは神の姿でした。
なぜならイエス様のことばを聞いて、人々は神の権威を感じたからです。
病人を癒す姿を見ても神の姿、人を愛する姿を見ても神様を見ました。
主のことばによれば「わたしは父の中に、父はわたしの中に」がポイントです。
父の中にいつもおられるので、自分を通して父なる神を表現することが出来ました。
神様は目には見えませんが、力や不思議なわざや奇跡などあらゆる方法を通してご自身を表現して下さいました。
それをそのまま神の人たちは表現しています。
ですから人々は、その人たちの姿を見て「この人の中には神の霊がある」と言います。
力あるわざや奇跡、知恵を見て みんなはそのように感じました。
神様は私たちに「神になれ」とは言いません。
しかし あなたを通して神が表現されるようにしなさい、と言われました。
神様の栄光が現れるようにしなさい というのがその意味です。
イエス様の中にいる人たちは、その人の中から光が出てきます。そこにキリストの人格が出てきます。
自分の行動が悪魔的な人も多いです。
憎しみ、恨み、妬み、悪い思いなどが心にいっぱいある人は自分自身を通して悪魔を表現しています。
どう見ても、そこに神様がいるようには見えません。
そういう人たちには悪魔がいるんだとはっきりと分かります。神の人は死に至るまで自分を通して神が表現され、神が栄光を受けるような生き方をします。
ですから悪から離れ、いつまでも自分の肉の思いや欲をみことばに従わせます。
神の栄光を表すことは自分を通して神を表現することです。
3.神の人は 神様、神の国、霊的なことに一番関心がある
その人たちにとって上にあるものを求め、そして神を慕い求めることは いのちにもまさります。
【ローマ書8章5節】
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
すなわち神の人は御霊に属することをひたすら考えながら生きています。
天に属するものをひたすら求めながら生きる人は、目を天に向けて生きているので、御国に属する者になりますが、地上のことだけに関心がある人は、結局は地に属しているので自滅していきます。
上にある天を目指して生きる人は上に上がっていきますが、地に関心があり、地に属する人は地の下にある地獄に進んでいます。
神様はこのように生きる人を神の人と認め、特別な思いと愛をもって愛し、その人には多くの素晴らしい報いを用意しておられます。
立派な神の人として生きたパウロは地上を離れる時が近づいたことを知って次のように語りました。
【Ⅱテモテ4章6-8節】
私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時がすでに来ました。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
時の流れがとても速いです。
あっという間に地上での生活は終わります。もれなくこの世を去って行かなければなりません。
私たちはどこに帰りますか。どこで永遠の時間を過ごす予定でしょうか。
今日の歩みがその行き先を決めます。
神の人のように生きるならば、その人は天に向けてまっすぐ歩く人です。
しかし世を愛し、そこにしか関心がない人は下り道を歩んでいます。
今どこを歩いているのか確かめて下さい。
滅びの道ではなく、神の人たちのようにいのちの道を歩む者が幸いな人です。
(・∀・)
2015.4.12
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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すべての事について…感謝❤
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