テーマは 『 キリスト者になる方法 』 です
【ヨハネの福音書3章16-21節】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを 持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあって なされたことが明らかにされるためである。
みなさんはどのようにしてイエス・キリストを信じるようになったでしょうか。
それは一人一人違うと思います。
信じるようになったことは大きな祝福であります。
今すぐには分からなくても、私たちが世を離れた時に 救われたことが本当に素晴らしい祝福であったことが分かると思います。
「福音を一度も聞いたことがない」や福音を聞いても信じない人はとても残念であります。
私たちが伝えても、キリスト教を反対する人が多いですね。良いことを伝えているのに、なぜ受け入れられず反対されるのでしょうか ――?
その理由は様々だと思いますが、その中でも キリスト教に対する間違えた先入観があるので拒否する人が多いです。
しかし、伝える人たちが正しく伝え、聞く人が正しくキリスト教に対して理解するならば、キリストを信じる人が多いと思います。キリスト教は人間の根本的問題を扱う宗教であります。
信じたら天国、信じなかったら地獄 それだけのことではないです。これは福音ではないです。
それだけを言うならば多くの人たちが拒否します。「天国も地獄も信じない。」「死んでみないと分からない。」「別にどちらでもいい。」等
あまり良い反応はなく、キリスト教に対する好感度が下がってしまいます。
それ以前に、本質的なものに触れなければなりません。
①人間は認めたくなくても、本質的に罪の中から生まれた暗闇の子です
まず、私たちが罪人であることを伝えないと何も始まりません。
聖書が私たちに対して語る真理の言葉は、「義人はいない。ひとりもいない。」、「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず。」です。
【エペソ2章1節】
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって
これらの言葉を総合してみると、一言で皆が「罪人」であるということです。
「私は一体何者なのか」と悩む人が多いですが、私たちは「人間は誰もが罪人です」と答えなければなりません。
聖書で 自分たちは罪人ではないと思っていた人たちが、姦淫の現場で捕らえた女の人をイエス様のところにつれて来て、「モーセは律法の中でこういう女を
石打ちにするように命じています。ところであなたは何と言われますか。」と言った人には罪の意識がなかったと思います。
私たちもモーセの律法にそのように書かれているからと石を投げたと思います。そうしたら女性は殺されていたでしょう。
しかしその時、イエス様は彼らに向かって「あなたがたのうちで罪のない者が
最初に彼女に石を投げなさい。」と言うと、年長者から ひとり ひとり離れていき、誰一人残りませんでした。
これはイエス様が人間の本質に迫ったことです。「あなたたちの罪はないのか?」ということであります。
私には罪がないと言える人は1人もいません。すなわち罪人であります。
アダムから罪を犯しました。エバも罪を犯しました。その息子・長男のカインも人殺しをしました。
初めから罪にまみれたのが人間であります。神様は良いものを造りましたが、人間が罪を犯しました。
その子孫がすべて罪人です。これを私たちは人々に伝えることであります。
私たちは生まれながらに罪の中から出て来て、そして罪を犯している者だということに出会わないと 神様の存在がいらなくなります。
【創世記6章5節】
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
いつも悪い方向に向かっていくのです。自分の心を見てもマイナス(否定的)に傾いていきます。そのことを神様がはっきりと語ってくださいました。
【エレミヤ17章9節】
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。
人間は2つのものを持っています。偽善者であります。
心の中にいっぱい悪いものを持っていながら、外見は良い人のフリをするのです。
心の中では他人に対する憎しみがいっぱいですが、「私はあなたを愛しています。」と笑顔で語るのです。
ですから人間ほど恐ろしいものはないです。
動物には出来ませんが、人間は巧みに生きているのです。ですから罪人ではないと言える人は1人もいないです。
もし「罪人ではない」と言う人がいるならば、その人は嘘つきであります。
哲学では、人間の存在に対して出した結論は、虚しいということです。
②神様は光であり、そして罪もなく聖い方です
光が世に来たと 今回のテーマである ヨハネの福音書3章19節に書かれています。
イエス様は、自分のことを世の光であると語って下さいました。
光ということは、そこに闇がないことです。罪は暗闇です。罪を犯した人間は光ではなく暗闇なのです。
罪人たちは、誰もが暗闇の中を歩んでいて何も見えないので自分がどこへ向かって行くのかも全く分からないです。
その暗闇でさまよっている者たち、虚しく生きている人たち、滅びに向かって歩んでいる人々を救うために 光であるイエス様が 神様に遣わされて地上に来られました。
さまよっている人たちに必要なものは何でしょうか ――? 食べ物ではないです。
その人たちにとって大切なものは「光」であります。
罪の闇を追い出すために 光であるイエス様が来られました。
闇と光は共存することができません。闇は光によって追い出されます。
自分の中にある闇を追い出すためには光であるイエス様が必要です。光であるイエス様を心の中に迎え入れるならば闇は消えていきます。
しかし、光を受け入れない1つの理由について、暗闇のわざを捨てたくなく、自分が罪人であることを認めたくない人はキリストを信じようとはしません。
【ヨハネの福音書3章19-20節】
光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、 その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
「私は罪人です。わたしはイエス様が必要です。」と言う人は、キリスト者になれます。
③私たちはイエス様によって天の父なる神の元へ行くことができます
私たちが人々に伝える時に、天国のことをいきなり語るのではなく、①と②を伝えた後に語ります。
世の中の宗教には、自分たちが語る天国のような場所がありますが 次のように語っています。
【ヨハネの福音書14章6節】
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることは ありません。
もし 私たちが天国に行きたいならば、キリストを通らなければなりません。
キリストの十字架が地上と天国を繋ぐ道であります。
世の宗教は「私たちにも救いの道があります。」と言いますが、それは届かない道であります。
また、神様は私たちを天国へ強制的に入れる方ではありません。
その道を選んで行くか 行かないかは私たちの自由意思、私たちの選択に任せています。
自分でよく考えて自ら決定するようにして下さいました。
これが福音であります。私たちが福音を正しく伝えて相手に委ねることであります。むりやり「信じなさい。」と言う必要はないです。
耳のある者は聞きなさいと神様が語りました。
自分たちがキリスト者になるのも、この過程が必要でありますし、私たちが他の人たちに福音を伝える時も きちんと詳しく説明しながら伝えることが大切です。
そうしないと信じたくても何を信じたら良いのか分からず、自分が何者で キリストがなぜ必要なのか、天国にはどのようにしたら行けるのかが分からないです。
- 人間は誰もが罪人であること
- 暗闇の中にいる罪人たちを救うために、光であるイエス・キリストが来られたこと
- イエス・キリストが天の御国へ行ける唯一の道であること
このことを正しく知り、正しく伝えてください。
それによって相手の人が受け入れるならば、それから神様のみことばを学ぶことでありますし、みこころを知るようになります。
クリスチャンとしてどう生きるべきなのかを教会に来て、みことばを学びながら成長していきます。
私たちは人間の本質に迫って語り、イエス様のことを伝えたら良いと思います。 (・◇・)ゞ
2014.1.26
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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