テーマは 『 3本の十字架 』 です
【ルカの福音書23章32ー48節】
「どくろ」と呼ばれる同じ所に建てられた3本の十字架ですが、行き先が全然違います。
私自身はどこの十字架にかかっているのかを見なければならないです。
①滅びの十字架
犯罪人がそこに架かりました。
救われていない魂たちが架かる十字架です。自分の罪の刑罰をその身に受けている全ての罪人が、
架かります。
人々は「私は救い主なんかいらない。そこまで私は悪い事をしていない。私は死んでも地獄ではない。天国に行く。」
これは勝手な思いであります。
聖書には、すべての者は罪を犯したので、わたしの元には来ることができないと書かれており、
創世記からヨハネの黙示録まで変わらない真理であります。
この1人の犯罪人はイエス様の傍にいながら、イエス様に向かって罪を犯しました。
とても悪い者でした。これは救われていない人だからそうしているのではなく、
救われていながらも私たちはそのようにしていることが多いです。
私たちは犯罪人になって滅びの十字架を背負って死んではいけないです。
②救いの十字架
もう1人の犯罪人でした。同じ死刑宣告を受けた者は、死と滅びの道で真っ逆さまに地獄へ堕ちる直前に
イエス様に出会いました。
救いのチャンスは誰にでもあります。これは私たちの姿でもあります。
自分に残されたものは「死」しかないと思った瞬間 に違うものがあることを見付けました。
それはパラダイス(天の御国)があることでした。
そして罪のないイエス様には自分達を救うことが出来るんだということがわかりました。
イエス様に謙遜な言葉を語り霊が開かれました。
③力の十字架
イエス様が架かった十字架であります。
死に至る人を救い出す力の十字架です。
光として来られたイエス様が死ぬので暗闇になりました。
私たちは 「イエス様が罪人ではなくて、私が罪人で、とんでもない犯罪人なのです。
私の代わりに十字架に架かったイエス様、本来ならば私がもう1本の十字架に
架からなければならないのに、イエス様が代わりに死んでくださいました。
私はあの救われた犯罪人なのです。」 と、クリスチャンたちはそのように思います。
イエス様は地獄に堕ちていく人たちを救い出すことができる力のある十字架です。
【Ⅰコリント1章18-19節】
私たちは力ある十字架によって救われたことを感謝しなければならないです。
これは一方的な神様の恵みであります。これほど感謝すべきことはどこにあるのでしょうか。
その恵みを受けた者がどうやって感謝をすれば良いのか、
自分自身が今得ている命をもって、どうやったら神様を喜ばせることができるのか、
それを考えなければならないです。
自分の肉の思いの為に生きるのではなくて、命を与えてくださったイエス様に
「私はどうやったら主を喜ばせ、どうやったらこの感謝を捧げることができるのか」
これを私たちは死ぬまですべきことであります。
感謝をする人は、みことば通りにします。もっとも小さい者に愛を示します。
パウロは命を懸けてイエス様を愛していました。その愛は、人々を愛することに現れました。
全ての信徒たちの神様の働きの1番は魂を愛することです。
滅びていく魂を憐れむ心、そして隣人を自分のように愛しなさい。と、「愛」であります。 .。゚+.(・∀・)゚+.゚
2013.3.24
聖日礼拝メッセージ・受難週
八戸ノ里キリスト教会
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