からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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今は終わりの時代、目を覚まして用心していなさい

テーマは 『 今は終わりの時代、目を覚まして用心していなさい 』 です

【マタイの福音書24章35ー44節】

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

主が再臨するその日、その時に関して私たちは知らなくても良いです。


なぜなら はっきりとその時、その日は教えられていないからです。



しかし 主が明確にしたのは、主は思いがけない時に来られると言われたことです。


主の再臨を信じて心からその日を待ち望んでいますか?


【マルコの福音書13章32節】

ただしその日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

【第1テサロニケ5章1ー2節】

兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。

主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

【第2ペテロ3章10節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

主の日が来る時まで、人々は何が起こるかも知らないで、普段通りの生活をしていると思います。


結婚し、仕事に出かけ、食べたり飲んだりと、いつもの生活をしています。

それ自体が悪いことではありません。


ただ、それらのことばかりに没頭して、神に対しては無関心であることが問題です。



神は世界を造り、それを動かし、そして計画を立てています。

どれほどの人がそのことに関心があるでしょうか?


まるで神が存在しないかのように無視しながら無関心でありますが、神は みことばを送って世界に対して、これから何をなさるかを教えています。


それを聞かないならば 何の準備も出来ず、ある日突然 世界の終わりを迎えてしまいます。


神のことばに関心もなく、魂が眠っている人々に、主は目を覚ますように警告を送っています。



【マタイの福音書24章42節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

【マタイの福音書25章13節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

【マルコの福音書13章37節】

わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。

【ルカの福音書21章36節】

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。

【コロサイ4章2節】

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

主は語った通りに必ず来られます。

準備して待つ者は幸いです。
ヽ(TдT)ノ


2017.5.21
聖日礼拝メッセージ

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岩のように揺るがない信仰が必要

テーマは 『 岩のように揺るがない信仰が必要 』 です

【第1テサロニケ3章7-8節】

このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。

あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。

信仰については今までたくさん話してきました。

信仰にも色々な信仰があるからです。


どんな逆境にも乗り越える信仰があれば、小さな試練にも すぐ倒れる信仰もあります。


ある信仰は主に褒められましたが、ある信仰は主に非難されました。

力ある信仰があれば、死んだ信仰もありました。


深く根を下ろした信仰もあれば、根が浅く すぐ消えていく信仰もあります。


なぜ私たちは主にあって堅く信仰に立つ必要があるでしょうか?




永遠に生きるために




イエス・キリストに対する信仰は 神の恵みを受け、その魂が救われ、いのちを得ます。


それから その人は “義人は信仰によって生きる” という主のことばのように、信仰によって生きなければなりません。


主に対して変わらない信仰をもって、主の前に立つ時まで生きると 主から永遠のいのちを受けます。


過去にあった一時的な信仰で 将来の永遠のいのちを受けるのではなく、人生の最後まで主にあって変わらない信仰を持つ者だけが永遠のいのちを持ちます。




罪に勝つために




罪は、たましいに対しては “致命的” なものです。

それは のろいと死をもたらします。


聖徒たちに罪を犯させるために、サタンが日々どれほど巧妙に しつこく強く働いているか分かりますか?


何とかして聖徒を倒そうと、サタンは日々奮闘しています。

良いことならば問題ないですが、その反対に とにかく信じる者を誘惑して 罪に倒すことだけを考えています。


それなのに聖徒が それに気づかないならば、その誘惑に敵対することも出来ず、必ず倒れてしまいます。


私たちが目をさまして身を慎んでいないと、このサタンに勝つことは不可能です。


罪の誘惑は 飽くことを知りません。

一度警戒して勝利しても、それで終わりではありません。


形を変えて すぐ違う誘惑が来ます。

誰でも罪の誘惑に陥るならば、深刻な結果をもたらします。


【箴言11章19節】

このように、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。

死ではなく、命を得るためには “サタン と 世” に勝たないといけないです。


勝つためには 堅く信仰の上に立つことです。 “信仰” という 大盾が必要です。




患難の中で揺れないために




私たちの人生は、いつも平坦な道ばかりを歩くのではないです。

悲しみの道、苦しみの道、笑いの道、平坦な道を歩く時があります。


しかし、いつも私たちを助けておられる力ある主に頼り、信仰の上に堅く立つ時に、聖徒たちは どんな苦難や患難の中でも 信仰が揺るがされず勝利することが出来ます。


激しい苦難や迫害の中でも忍耐出来た聖徒たちは 何によって耐えることが出来たでしょうか?


彼らが特別に強い人間だったからですか?
それとも、何か特別な力があったからでしょうか。

彼らも普通の人間でした。


彼らが持っていたものは、“揺るがない信仰” だけでした。


それが彼らを激しい迫害の中でも 忍耐出来るようにさせました。


信仰をもって生きる時に、サタンは必ずその人を狙います。

それを恐れるならば、信仰生活を維持することは出来ません。


主が語ったことばを思い出しましょう。


【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」


患難の中でも 主のみこころを行いながら耐えているならば、主は必ずその人を新しい天と地に導いて下さいます。

それが主の約束です。


目に見える宗教儀式だけに熱心で、神との深い関係がない “形式的な信仰” では いのちを得ることは出来ません。


主の中にある まことの信仰の中に深い根をおろした人だけが “勝利者” になります。


その信仰を見せる人だけが主に認められます。
(☆゚∀゚)


2017.4.30
聖日礼拝メッセージ

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人間をとる漁師

テーマは 『 人間をとる漁師 』 です

【マタイの福音書4章18-20節】

イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

彼らはすぐに網を捨てて従った。

イエス様が最初に弟子として選んだペテロとアンデレ兄弟は、職業が漁師でした。


仕事が終わって網を打っていた時に、イエス様が近づいて話かけてきました。

「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と。


すると二人はすぐに網を捨てて従いました。

ものすごく早い決断でしたが、イエス様が語ったことばの意味をちゃんと理解していたでしょうか?


後の彼らの行動を見ると、イエス様の思いとは違っていたことが分かります。

彼らは、“偉い人になって人々の上に君臨する” という意味で理解していました。


最初は他に選ばれた弟子も同じで、誰が一番になるかをみんな興味があって、もめたこともありました。

「人間をとる漁師」ということばは、イエス様が多分初めて使ったことばだと思います。

聖書以外では聞いたことがないことばです。


魚をとる漁師たちに対して、「人間をとる漁師」ということばは イエス様の洞察力から出たことばだと思います。

イエス様が彼らにさせようとする働きが、漁師の働きと似ているからです。


イエス様はいま私たちにも同じことを語っています。


「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

これは主の約束でもあります。


私たちは自分たちの努力で 人間をとる漁師になるのではありません。


主について来るならば漁師にしてあげる と言われました。

主について来ない者は、まず人間をとる漁師にはなりません。


人間をとる漁師はイエス様によって造られていきます。


弟子たちの姿を見ると造られていくのが分かります。

魚をとる漁師の姿と、人間をとる漁師の姿は共通点が多いです。


漁師が働く場所は広い海か湖です。

弟子たちが働く場所は 全世界です。


【マルコの福音書16章15節】

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

漁師は広い海に出て行って魚がとれそうな場所に網を仕掛け、餌を蒔いたりもします。

そして次の日に網を回収するためにまた出掛けます。

回収すると たくさん獲れていたり、一匹も獲れなかったりもします。


聖書では、二回 弟子たちが何も獲れなかった日がありました。

海に網をおろしたからと言って必ず獲れることではありません。

何も獲れない時もあります。


伝道することは、それと似ています。


一生懸命 網をおろして働いたからと、それが必ず報われることはありません。

何にもない時もたくさんあります。


それでも海に文句を言いながら (獲ることを)やめる人はいません。

過酷な状況の中でも し続けるのが漁師の仕事です。


人間をとる漁師の働きの中でも直面する多くの戦いがあります。




人間をとる漁師の仕事をなぜ主はさせるでしょうか




全人類に対する神の救いの計画のために働く人が必要だからです。


【第2ペテロ3章9節】

ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

【ローマ10章13-15節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。



人間をとる漁師の主な仕事は、遣わされて人々に福音を伝えること




イエス様が、まずどのような働きをするのかを見せました。


そして弟子たちに 次のように話されました。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

それからマタイの福音書10章では 弟子たちを正式に任命し、彼らに力を注ぎ、人々に遣わしました。


その時に様々な注意点と、彼らが直面する問題や困難に対して詳しく話しました。

それに関しては、みなさんが聖書を読んでみて下さい。


異邦人に福音を伝えたパウロは、この働きに対してこのように言いました。


【エペソ3章7節】

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。

「人間をとる漁師」に選ばれたことが神の恵みと思って、死に至るまで忠実に働き、数えきれない多くの魂を主に導きました。

立派な 人間をとる漁師になっていました。




「人間をとる漁師」として、どのように福音を伝えるべきでしょうか




福音を伝える方法は 時代によって、地域によって変わっていきます。


イエス様がおられた時代は、人々の所に出かけて直接 福音を語りました。

人々はそこに集まって福音を聞きました。


路傍伝道は、昔 よく使われた方法でした。

人々の生活が、今よりも単調で そんなに忙しくもなかったので、路傍伝道の時も集まって来ました。


しかし、いま路傍伝道はあまり効果がないです。

立ち止まって聞く人はほとんどいないです。


今の時代に合うものが効果あります。

今はすべての人たちがネットを使う時代です。


みんな手に携帯を持って、それで情報を手に入れますし、人と会話をします。

悪魔もそれを大いに使っています。


ISがどのようにして戦闘員を集めたでしょうか?

ネットを使って募集しました。

そこに連絡した人たちが渡って行き、テロリストになっていきました。


SNSを使って、すべての情報が拡散されたり、そこから情報を得たりする時代に変わりましたので、いまこれが福音を伝える一番有効な手段です。


【第2テモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

時間も空間も関係なく、SNSを使って福音を人々に伝えることが出来ます。






アメリカでのことです。

最近アメリカでは「Back to church Sunday」運動が盛んになったらしいです。


教会から離れた人や 一度も教会に来たことのない人たちを、日曜日の礼拝に招待する運動ですが、メールで招待状を送る方法です。

それが素晴らしい効果を上げていると聞きました。


この運動に参加する人々は 週に一度、それを1年間、自分が通う教会に招待するメールを送りました。

それによって 70万人が参加しました。

すると一年間で参加した教会の出席者が20%増えました。


最初はそんな方法は “幼稚である” とか、“効果がない” とか否定的だった教会も、いまは参加しているので100万人に増えたと聞きました。

しないよりは した方が良いです。


どんなに小さいことに見えても、しないよりは効果があります。


私たちの周りにいる信じない家族や知り合いの魂を導くためには、小さいことでも実践しようとする意思と努力が必要です。


イランで ムスリムだった人が、アメリカでクリスチャンになって 今は福音を伝える放送をやっていますが、たくさんのムスリムの人が その放送を聞いています。


ムスリムの人たちを伝道するためにやっている90分放送ですが、パキスタンで250万人、サウジアラビアで10万人、スーダンで500万人、イランで100万人、それ以外でも聞いていて今は5千万人が聞いています。


福音に反対する人も多いですが、聞きたいと願っている人も多いです。


教会のホームページでも毎日福音を伝えています。


ただ単に 教会を紹介するために作ったのではなく、福音を伝える目的で作りました。

訪問者がどんどん増えているので効果があります。

「今日のいのちのパン」や「今週のメッセージ」でも毎日訪問者が多くなってきました。


みなさんも個人的にSNSを使って福音を伝えて下さい。


聖書のことばだけを伝えるブログを作っても良いと思います。

メールで伝えても良いです。


良い知らせを伝えることが「人間をとる漁師」の仕事です。


みことばの種が蒔かれると、いつか芽が出る時があります。

自分にも福音を伝える使命があることを覚えましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2017.2.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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死んだ行いを悔い改める

テーマは 『 死んだ行いを悔い改める 』 です

【ヨハネの黙示録3章1-6節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『 神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」 』

サルデス教会に送った神様の啓示の言葉は厳しい言葉であります。

今の時代、私たちは本当に聞かなければいけない言葉だと思います。

この箇所を読んで何かを感じることはありますか?
彼らは教会に属して信仰生活をしています。しかし、悲劇的な姿であります。神様が喜ぶ姿ではないです。
神様に叱られている姿であり、悲しい姿であります。


彼らの中で一番悲劇的なのは『福音から離れた生活を行っていること』であります。

私たちは 福音に出会ったので救われました。


イエス様がどのようなお方なのか、なぜイエス様が十字架にかかって死んでくださったのか ――?
私たち罪人がそれを見て「私の罪のために死んでくださったのだ」、「救われる為には十字架に架かってくださったキリストを信じなければいけないのだ」、
「自分が犯した罪を悔い改めなければいけないのだ」と、私たちが罪から離れて自分の罪を悔い改めて イエス様を受け入れて 信じました。

信じたということは、魂が救われたことを意味するのです。


私たちが福音を受け入れたならば、その後はどうでも良いかと言うと決してそうではないです。
その時から本当の信仰生活がスタートするのであります。
生まれ変わった時から、私たちは生まれ変わった者として生きていかなければならないです。

もし 再び死んでしまうならば、どうやって救い出すことができるでしょうか?


サルデス教会の人たちは死人の方が多かったです。多くの中、生きている人は幾人しかいないということでした。
これは教会の姿なのです。イエス様は黙示録で 世の中に対してではなく、教会に対して警告を与えておられます。

「救われたから あとは天国に行けるし安心だ。」 このように思うのは、とんでもないことです。
もし教会の全員が天国へ行けるならば、このような啓示の言葉を教会ではなく まだ信じていない世の人に向けて神様が語ると思いますが、そうではないです。
すべて教会に教えています。



神様が語る言葉は「悔い改めなさい」、「目を覚ましなさい」であります。これは私たちに対する言葉です。
「終わりの時代なのに、まだ寝ているのか ――?」、「あなたは罪の中にどっぷりと浸かっているのか ――?」

福音から離れた生活をするということは、死んでいる状態であります。


福音を受け入れた人は、その時から信仰生活は福音の中に根を深く下ろして、そこから成長をして実を結ばなければいけないです。

根がないのに 実を結ぶことはないのです。私たちは「御霊の実」を結ばなければいけないです。

しかし、福音から離れて 世に根を下ろしている人たちが御霊の実を結ぶのは、有り得ないことであります。



教会の中で信徒たちの姿を見ると、同じ神様を信じて 同じメッセージを聞いて 同じ場所で礼拝を捧げているのに、
ある人たちは福音の力がすごくあります。実をどんどん結んで変化をしています。そして神様が喜ぶ姿に変わってきています。

しかし、ある人は力が全然ないです。クリスチャンであるにも関わらず 無気力で力がないです。
ある人は「私 本当に救われているのかな?」と 確信がないです。


「私、天国に行けるのかな?私、地獄に行くのかな?」 また、ある人は「私は地獄に行くと思います。」と自分で言う人は 地獄へ行くと思います。
「私は まだ救われていないかも知れません。」と自分で言う人は、その人はまだ救われていないのです。
自分の中で確信がないならば まだ救われていないのです。そのことに気付かなければいけないです。






神様は、自分の子どもたちを無理やり地獄へ送りたいとは思っておられません。

イエス様が血を流して代価を払い買い取られた者が堕落していく姿を見た時に 神様はどれほど苦しいでしょうか――?
地獄へ向かっていく人たちを見て、天の父なる神様は 大きな声で一言 次のように語ります。「悲しい ――。」
神様の胸が潰れるような思いであります。


イエス様は色々な人たちを地獄へ連れていき、地獄の姿を見せますが イエス様はそこで泣いておられます。
そこで苦しんでいる魂を見て、憐れみの心で涙を流しています。

そういうことを聞くと人々は「イエス様に憐みの心があるならば、そこで叫んでいる魂や“悔い改めます”と言っている魂を救い出せば良いでしょう?」と言います。
しかし、それは神様の公義ではないです。


イエス様はみことばで はっきりと語りました。
へブル書に「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」という言葉があります。
それを私たちは聞いています。特にクリスチャンであるならば 礼拝がありますので みことばを聞いています。それなのに なぜ化石のような状態になったのでしょうか。

なぜ無気力なクリスチャンになってしまったのでしょうか。なぜ死んでしまったのでしょうか。
これはすごく問題であります。


これは誰のせいでしょうか――?

自分自身のせいです。
自分が福音の中に根を下ろしていないので、神様を信じていても(自分で)好きなように生きています。

みことば中心に生きるのではなくて、自分がしたいように生きています。神様の言葉がもはや その中には存在していないです。


そして 一番の問題は、祝福を与えてくださる神様なので きちんと(祝福を)用意してくださっていますが、
神様を信じる目的が「自分の問題を解決して欲しい」、「病気を癒して欲しい」、「祝福して欲しい」、「私を天国に行かせて欲しい」など、それだけの思いで神様を信じるならば偶像崇拝と何ら変わりがありません。

世の中の人たちが神社やお寺へ行って拝む理由は何でしょうか?
祝福して欲しいからです。「地上で生きている時、私を祝福してください。この問題を解決してください。私の病気を癒してください。」


このように彼らは拝むのですが、クリスチャンが神様に対しても同じで、神様に祈るのが自分の祝福のため、欲しいものを手に入れるため、問題が解決されて欲しいという思いだけならば「偶像崇拝」です。ただイエス様の名を呼ぶことだけが違うことで、それでは神様は喜ばれません。
神様は「わたしを利用しようとするのか。」とおっしゃいます。これはとんでもないことであります。




悔い改め



地獄に落ちる理由は、悔い改めて新しくなる姿がないからです。

私たちは神様を信じるということは、何のために信じるのかを明確にしなければならないです。


皆さんは何のためにイエス様を信じていますか?
ただ単に この世で自分の願いが叶えられて 欲しい物を全部手に入れて 贅沢に生活をしたいためにイエス様を信じているのでしょうか?
もし そうならば、とんでもないことです。

私たちが福音を信じるということは、何を食べるか何を飲むかの問題で信じるのではないです。
“生きるか死ぬか”の問題であります。


福音は生きるか死ぬかをはっきりと分けるのです。
イエス様は「悔い改めて立ち返り 信じる者は救われる。信じない者は永遠の滅びである。」と語りました。
そのことを知らない人はいないと思います。

この言葉を信じて、もう滅ぼされたくないという思いで信じていますが、自分は命の道を歩いているのか?それとも相変わらず世と仲良くして
この世の霊に満たされて 妥協をしながら生きているでしょうか?


神様は今回の本文の中で「いのちの書から消すようなことは決してしない。」と書かれていますが、ある人たちはこの5節のみの言葉を取って「一度救われた人は決して いのちの書から名前が消されることはない。」と断言をしていますが、とんでもない間違いです。

これには神様の条件があります。
「勝利を得る者」と語りました。勝利をした人の姿は4節に書かれています。
死人が多い教会の中で幾人かの人たちだけが名前を消されないということであります。


その他の死んでいる者たちや 寝ている者たちに対して語った言葉は、「盗人のように来る」と語っています。
この意味は、神様はもともと盗人ではないです。盗人はサタンです。サタンが来る目的は盗む、殺す、滅ぼす です。
魂を盗むのです。そのため肉体が死に、永遠の滅びに至ります。つまり地獄に落ちるということであります。


神様が盗人のように来るということは、その者を神様が迎えに来るのではなく、イエス様が来る時は裁きの為で、 再臨は救いの為に来るのではないです。
世の終わりであります。すべてのものが終わりです。


その時に神様は勝利した者たちの魂を守ります。

しかし、霊的に死んでいる人たちや眠っている人たちは滅びていくのです。
その人たちにはサタンが飛びかかり、連れて行くところが地獄であります。


サタンも不思議な業を行います。サタンも病人を癒します。サタンは死人を生き返らせることも出来ます。人の人生の中でサタンはいくらでも働きます。
サタンからそういうものを受けて 安心している私たちの姿を見て、サタンは一番喜びます。

安心をしていると自分を顧みることをしないからです。
今、私は神様のみこころに従って生きているのか?と 自分を点検することをせずに眠っているのです。


ダビデが罪を犯して悔い改めていなかった時に、神様は預言者ナタンを遣わしました。
ダビデは預言者でもあり 王様でもあるのです。すごく神様に愛された者であります。
しかし、罪を隠して悔い改めませんでした。

神様はナタンを遣わしましたが、ナタンは行きたくなかったと思います。殺されるかもしれないからです。
王様に言うのは難しいと、それも隠れた罪を告げるのはとても勇気が必要であります。
それでもナタンは遣わされて行き、ダビデに はっきりと語りました。


ダビデの素晴らしいところは、その言葉を受け入れて その場で神様の前に出て灰をかぶり悔い改めをしました。
もし彼が悔い改めなかったならば、たとえダビデであっても地獄へ落ちたと思います。


神様が「いのちの道は狭く険しい。その道を歩む者はまれである。」と語りました。
これはクリスチャンだからと言って、「私、教会に通っています」ということだけで皆が天国に行くことはないのです。それは錯覚であります。

私たちは福音の中に根を下ろして生活をしなければいけないです。

信仰が強い者と信仰が弱い者の根本的な違いは、“十字架を経験したのか、十字架を経験していないのか”であります。


イエス様に出会い、イエス様が架かった十字架が誰のためであったのか? イエス様がなぜ そこで血と水と汗を流して ご自分の命を捧げたのか?
それは あの隣人のためでしょうか――?それとも、あの罪人のためでしょうか――?
これは あなたが十字架を経験していないことになります。


私のような罪人のために十字架に架かり、十字架の前でイエス様に申し訳ない気持ちで涙を流し、そうする中で自分の魂を救ってくださったイエス様に対して
「私は一生イエス様から離れません。恵みを忘れることはしません。」とイエス様と共に毎日 十字架を経験しながら生きる人は 最後まで大丈夫です。


そのような人たちは、イエス様が自分の罪のために十字架に架かりましたので 罪を軽く考えないのです。
「私がまた罪を犯すならば、それはイエス様を十字架につけることになるのだ。」と考えます。




クリスチャンへの裁き



クリスチャンに対して神様の裁きが厳しいのは何故でしょうか?


イエス様が十字架を背負って歩いた時に、エルサレムの神殿を見て泣きました。
これは教会を見て泣く姿であります。

教会が「私たちは神様に仕えています。立派な教会があります。律法を守っています。毎日行いをしています。」と言うのを聞き泣いておられます。
イエス様が泣く理由は、堕落しているからです。


神様のことを知っていると言いながらも、本当は知らないのです。
みこころのままに歩いておらず、クリスチャンが今 罪を犯しているならば
その人たちは日々イエス様を十字架につけています。ですから罪が厳しいのです。

裁きも教会から始まります。つまり、そこにいる信徒たちから始まるということであります。


地獄へ行った人たちの 色々な証を聞いていますが、全員が共通して言うことは、「地獄にクリスチャンがたくさんいた」ということです。牧師たちもたくさんいました。



―― 地獄の証 ① ――

ある南米の女性が イエス様に地獄へ連れて行かれた時に 火が燃えている場所や許さない心を持っていた人が入る場所を見ました。
そこでイエス様が「あなたはどちらに入るのかを選びなさい。」と語りました。彼女が驚いて「それはどういう意味ですか?」と聞きました。

イエス様が語った言葉は「ここは他人を絶対に許さない人が入る場所である。あなたの心の中に未だに許していない人がいるだろう?」とおっしゃいました。


神様は私たちに言いました。
「あなたが人を許すならば、天におられる神様もあなたを赦す」と語りました。

しかし、クリスチャンではありますが いつまでたっても「あの人だけは死んでも許しません!」と言うなら、この地獄があなたを待っているということです。


それで彼女が瞬間的に思い出しました。
彼女は長い間 祖母に対して憎しみの心が消えることがなかったのです。
もし祖母を許さないならば、自分はこの場所に来るのだと分かったので、その場で祖母を本気で許しました。

1人を許さないだけで、永遠に出られない恐ろしい地獄の火の中で(全身の)肉が落ちて苦しみ叫び、悲鳴を上げる暗闇の世界に自分は行きたくないと思いました。


聖書の言葉には従順しなさいということが書かれています。
私たちがこの1つ1つの言葉に不従順するならば、天の御国には入れないです。

不従順するということは、神様に敵対して生きるということであります。不従順はサタンからくる霊であります。



―― 地獄の証 ② ――

また他の人の地獄の証では、ある教会にいる信仰の良い信徒が亡くなりました。

誰もが「あの人は本当に素晴らしい信仰生活をしていたから、イエス様のところへ行って素晴らしい報いを受けるだろう。」と思っていました。

しかし、何と地獄で見つけたのです。
その姿を見てあまりにもびっくりしました。


「イエス様。あの人は生きている時に イエス様のことをすごく愛していました。イエス様からの言葉も“わたしも彼女を愛していた”でした。彼女は神様にたくさんのものを捧げました。彼女は素晴らしい働きをしました。素晴らしい信仰をもっていました。」とイエス様に聞きました。

これらの1つ1つのことに対してイエス様は知っておられて「彼女はそのようにした。しかし彼女は悔い改めなかった。」と言いました。


「何を悔い改めなかったのですか?」と聞くと 神様が見せる場面がありました。
彼女が生きていた時の普段の生活を見せてくれました。


彼女には1人の親しい友人がいました。
友人は病院に勤めていて薬を処方する担当をしていました。
彼女は病気を患っていて、ずっと飲み続けなければいけない薬があり、その薬代が高いので、彼女は友人にお金を支払わないで薬を得る方法を見付けました。

病院の受付時間内ではなく、誰もいない時間にその薬を貰っていました。
これは友人がさせたことではなく、その人が頼んだことでした。
本来ならばきちんと料金を支払って薬を得なければならないのですが、お金を払うのがもったいないという思いが働きました。


神様は 彼女が初めてそれを行った時に、心の中に「それは罪なんだよ。」という思いを入れました。

しかし、彼女は「あ、これは神様からの思いではない。」と考えました。
彼女の中での罪の認識は、人を殺す・盗みなど十戒に書かれているようなものであって
今回のことは合理的に考えました。「少しくらい貰っても」という思いでした。この罪を彼女は小さく考えました。

「私は主のために いっぱい働きをしていて、神様を愛しているし、信仰生活もまともにしているし、貧しい者もたくさん助けたから、地獄へ行くことは考えられない」と思っていました。


(神様は)警告を与えましたが「いや、これは大きな罪ではない。こんな罪で地獄へ行くことは有り得ない。」と ずっと思っていました。
神様の警告を「これはきっと私の考えだから、もう考えないことにしよう。」と死ぬ時まで これをやり続けました。

つまり死ぬ時まで泥棒をしていました。
そして それだけではなく、友人までも罪をずっと犯させ、もう1人の魂も罪人にさせていました。
そして彼女は悔い改めることもなく亡くなりました。


悔い改めなかったので地獄へ来たのです。

それまでどんなにその人が神様の働きをしていても、悔い改めない者は地獄へ行きます。




姦淫



また、姦淫を犯すクリスチャンもとても多いです。

これをやめようとせず 平気に行います。たくさんの罪が相変わらず行われているのです。


これをその人たちは安心しきっているのです。
「私はクリスチャンだし、命の書から私の名前が消されることはない。」という思いであります。

ですから、その人たちが地獄へ落ちた時に 一番びっくりするのです。「何で私はここに来ているの?」と。
そしてイエス様を見た時に「イエス様!私の罪を赦してください!」と叫びます。


しかしイエス様は「もう遅い。」
「何度も何度もあなたに警告をしたが、あなたは聞き入れなかった。罪から手を洗おうとはしなかった。」と語りました。






私たちはいつ死ぬか分からないでしょう?

ですから、日々準備が出来ていないといけないです。
のほほんとしているのは寝ている姿であります。

本文の「あなたの行いを知っている。」とは(神様は)全ての行いを見ているのです。
その行いを見て「それでもクリスチャンか」と言います。


人を憎む。神様のものは盗む。赦さない。不品行を行う。あらゆる世の人が行う罪を全て犯していながら 日曜日が来たら 教会でメッセージを聞いて、そしてすぐに忘れて あとは好きなように この世と仲良く生きています。


そうしながら自分が天国へ行くと思うのは錯覚であります。




福音を正しく伝えない



牧師たちが地獄へ落ちる一番多い原因は「福音を正しく伝えなかったこと」です。


「悔い改めなさい」という言葉を語らず、韓国の教会でも堕落をしている多くの理由は「天国も地獄も語らない」です。
「今は21世紀なのに天国とか地獄とか、そんなことを言うのは無知な者が言う言葉でしょう?」

このように一番大切なものが教会で語られずに「この世で祝福を受けましょう。」という言葉に皆が飛びついて「権力と富を手に入れましょう」とメッセージをします。

神様はそれを見て「それはあなたの魂を滅ぼすものなのに、それを求めるのか。」と語ります。


私たちが神様を信じるということは、区別された生活をすることであります。
この世の流れに従って生きるのではなく 私たちをそこから離して生き方を変えていかなければいけないです。

クリスチャンであるのに、口が悪い。他人を裁く。妬み 憎しみ 高慢 これらが身体に付いていると、いつの間にか汚れた衣になっていきます。
臭いがプンプンしている汚れた衣を着ている人を、神様は天国に入れるわけがないでしょう。


悔い改めるということは、その汚れた衣を綺麗に白く洗うことなのです。


黙示録で褒められた教会では悔い改めの言葉がないですが、非難された教会のすべては「悔い改めなさい」という言葉でした。

悔い改めが足りないということは、自分の罪に対する認識が足りないということであります。


これは毎日 十字架を経験していない姿です。十字架を見るならば、自分が犯した罪を思い出すのです。
「今日もこの罪でイエス様を釘つけてしまいました。主よ、本当に申し訳ありません。私の罪を赦してください。」
十字架を見て悔い改めないならば、何なのですか?
十字架の上で苦しんでいるイエス様を見て、「お金をください」「病気を癒してください」と言えるでしょうか。


十字架に架かったイエス様を経験することは、「そこで死ななければならないのは私なのです!罪人である この私なのです。」このように ひざまずいて悔い改めなければいけないです。

言葉だけではなく、毎日の自分の生活が 主に立ち返ってイエス様を見て生きないといけないです。
そして自分の中の小さな罪も、ガン細胞のように 後で私を滅びに落とすのだという怖い思いを持たないといけないのです。


もし自分の体にガン細胞を見付けたとしたら、小さいからと言って無視をしますか?「まだ小さいから病院に行かなくても大丈夫だ」とは誰も言わないと思います。
「小さいうちに見つかって良かった。早く病院へ行ってそれを取ろう」という思いになるでしょう。
お金をたくさん使っても診察へ行くと思います。それをそのまま放置することはないと思います。


それなのに、自分の魂に対しては 関心がないです。

その罪が自分の足かせになって、自分を永遠の滅びに陥れているのに、罪を捨てるどころか、
罪を楽しみながら、罪を増やしながら全身ガン細胞で蝕まれています。そうしたら死ぬしかないのです。




魂に対する準備



神様は 時はいつなのか、今は終わりの時であります。

地震が起こることは災いであるのです。

ある幻が開かれた人は、世界各地へ神様が連れて行き その国を見せるのです。
ソドムとゴモラを見た時に神様は何をされましたか?
同性愛で本当に汚れているので火をもって滅ぼしました。


日本でも、地震が起きるとずっと警告があります。先日も地震がありました。
これは神様が警告をしていることなのです。


私たちは準備をすることはもちろんですが、魂に対する準備は出来ているでしょうか?

私たちは地上でたくさん欲しいと求めていますが、これは肉の目で見るから地上のものを一生懸命集めようとします。しかし、もし私たちが神様の目で見るならば、考え方が180度変わると思います。

180度変わることで、「あの時に 私がもっと霊的になれば良かったのに。あの時にもっと神様に捧げたら良かったのに。あの時 もっと主のために仕えたら良かったのに。あの時に もっと信仰生活をきちんとしておけば良かったのに。」と、全て逆になります。


肉の目で見るなら、「地上のあれも これも欲しい。もっと欲しい。」と まるで永遠に地上で生きるかのように食べますが、神様の目から見たら、神様と私たちの思いは天と地ほどの差があると言います。

神様は霊的に見ているので、私たちの霊的状態を見ておられます。
そして「何と貧しい者であるのか。何と堕落しているのか。何と汚れた者であるのか。」

もし私たちが上から(自分自身の状態を)見るならば、自分の姿を見て飽きれると思います。


「何をしているの?服が汚れているよ!洗いなさい。今、あなたはサタンと仲良くしているよ。どんどん地獄に近付いているよ。早く立ち返りなさい!もっと神様に喜ばれる者になりなさい。」と、霊の目で見るならば、私たちはきっとそのように言うと思います。

神様が一度救われた者は、何をしても どのような罪を犯したとしても天国へ行けるというのは 間違えていると教えています。


聖書には「悔い改めないならば」という言葉がたくさん出てきます。

盗人のように来る、暗闇の中に落とされる、外の暗闇で歯ぎしりする、大きな艱難の中に投げ込む、火の中に投げ込む、「主よ、主よ」と言うものが皆天国に入るのではない。
この言葉を (多少 罪を犯しても天国へ行けると安心している人は)どのように解釈をするのでしょうか?


聖書全体の言葉、主のみこころは何か、悔い改める者に対する神様の恵みはいつでもあります。

しかし、悔い改めることをせずに それを軽く考えていつまでもそこに留まっているならば、いつの間にか罪によって その人を飲み込んでしまいます。

天国は罪人が入れないところであります。


死んだ行い、死んだ自分の心、死んだ信仰生活を悔い改めなければいけないです。


私たちの中に様々な問題を よく考えると神様と自分の関係が悪いと問題が消えることはないです。

この世にどっぷり浸かって生活をするならば、サタンが絶えず問題を持ってきます。
私たちを滅ぼし盗むために、そして私たちが死んだ時に誰よりも早く来るのはサタンです。


神様にたくさん仕えた人たちや、神様がいのちの書に名前を書いている人たちは、死んだ時に悪魔は来られなく、御使いたちが迎えにきます。
しかし どっぷりと罪の中で生活をしていたクリスチャンには、御使いが来ないです。悪魔サタンがその人の肉体から魂を奪い取って地獄へ連れていきます。

また 中途半端な信仰生活をしている人は、御使いとサタンが来て戦います。「これはわたしのものだ」とサタンが主張をし、御使いも「わたしのものだ」と言います。
そこで霊的戦いが起こります。


私たちが想像できないほど地獄は苦しみの場所であります。
すべての感覚が残ったまま 地上では有り得ないような拷問を受けて暗闇で悲劇的な目に遭います。


一番厳しい裁きは何だと思いますか?
神様から切り離され、神様がその人から目を逸らして 断絶された裁きが一番厳しいのです。

神様は私たちの いのちの主であります。その神様が私たちの命に関心がなくなり、助け主ですが もう助けることをしなく、私たちにとって希望ですがそれも神様がしない者に一番厳しい裁きがあります。


ですから地獄にいるその人たちは 必死にサタンに助けを求めますが、サタンは助けることをしないです。
イエス様がたまに訪問すると 魂が助けを求めてきます。しかし地獄から出た者は誰一人いません。そこに来ている人がそこから出て自由を得ることは有り得ないことであります。

天国に入っても同じことです。完全に死んだ人がその所から出たり入ったりすることはないのです。


天国と地獄を「(自分で)見てみなければ分からない。」と言うのではなく、見た時は既に遅いのです。

私たちクリスチャンにとって 天国が一番の希望であります。地上でいくら苦しい生活をしていても天の御国を本気で信じている人は希望があるのです。


悔い改めて「神様、私の魂を守ってください。私を苦しみのないところに導いてください。」と福音の中に深く根を下ろして神様に頼り みこころを行いながら天国に望みを抱き 生活できるように導いてくださいと 毎日自分の力で生きることが出来ないのでイエス様の力を求めるのです。

神様は何もかも知っておられます。そして私たちが今のままで良いのかを考えることであります。
もし今 神様が自分を呼ぶなら天国へ行けるのか ――? 行けない人たちもたくさんいるのです。

ですから神様が「目を覚ましなさい」とおっしゃいます。


このメッセージは神様が伝えて欲しいメッセージであります。


寝ているでしょう?―― 起きなさい。
死にかかっているでしょう?―― 生きなさい。
罪を罪とも思っていないでしょう?―― 悔い改めなさい。


教会へ行くのもイヤだ。神様を信じるのも面倒くさいと言っていたら、それが後になって自分の首を絞める言葉になります。自分で自分を地獄へ落とすことになります。


イエス様が「地上では辛いこともある。苦しいこともある。」
しかし私のいのちの主が私たちのために33歳で地上を離れたイエス様、苦しみを受けたイエス様を悲しませるのではなく、その恵みの中に留まる必要があります。 (・◇・)ゞ

2014.3.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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あなたは誰ですか?伝道について

テーマは 『 伝道するために 』 です

【ルカの福音書15章3-10節】

魂を救う為に、伝道しなければならないということは知っていますが、
「どうやったら伝道できるのか?」と悩んでいる人が結構多いです。

神様が一番喜ぶことは、罪人が悔い改めて、主に立ち返ることです。

天国に喜びを与えるために私たちが人を導くのではないです。
救われた人たちは、まず救いがどういうものであるのかを理解しなければならないです。

【Ⅰペテロ2章9ー10節】

救いを受ける前と、救いを受けた後は、状態が変わったことをこの箇所で主が教えてくださいました。
救いを受けた人たちは、今度はそれを伝えなければならないです。
その使命を神様が私たちに与えてあります。
私たちは(世の人たちと)区別されていますが、私たちも以前はそこにいた者で、神様から救い出されました。
ですから今度は私たちが行って、その人たちをそこから救い出しなさいというのが神様が私たちにさせることです。

伝道をする時に、いくつかの方法があります。“語るべき言葉”です。


① 「あなたは誰ですか?」

この質問をするなら、びっくりすると思います。それで相手の人は名前を言うかも知れませんし、
自分が所属している名称を言うかも知れません。

ですが、本当の意味で あなたという存在は、何ですか?と聞くことであります。
質問を受けた人々は答えられないと思います。
自分という本質は何であるのか――?わからないと思います。
ですから、神様を求めないのです。救いが何であるのかがわからないのです。

聖書には、全ての人間はこういう者であると教えてあります。

【ローマ3章23節】

神様から見る私たちの姿は「罪人」であります。これは全ての人間に共通した部分です。
これを伝えなければいけないです。

「私が何の罪を犯したんですか?」と腹を立てるかも知れません。
その時に「神様があなたを罪人だと言っている姿はこの姿です。」と教える部分は、
人間だけは神様の姿に似せて造られたものですが、それは神様の栄光を現す為に造られた目的があります。

しかし、人間が神様の初めの言葉を無視して逆らいました。それが罪の始まりでした。
神様が人間を造った(本来の)目的通りではないです。

ですから神様の栄光を受けるに相応しくなく、栄光を現す事もできないのであります。
その姿が、神様の目から見たら罪人なのです。

すべての人間は汚れているので、罪とは言わないで「似た者同士でしょう~」と、
お互いの汚い部分は見ようともしません。

しかし、聖い神様の目から人間を見ると、誰もが罪人です。それを神様が教えてあります。

それでも「私は罪人ではない」と語るならば、その人たちの罪を見せることです。それが次の箇所です。

【ローマ1章19-32節】

この箇所に1つも当てはまらないという人はいないです。これらは罪の姿であります。
私たちはこういう罪を人々に見せなければならないです。


② 「あなたはどこに向かっていくんですか?」

私たちの人生はどこかに向かって歩いています。立ち止まった人はいないです。
永遠にこの世で生きる人はいないです。
どこかに行くのです。

それを相手に聞きます。
人によって「知りません。」、「天国に行きます。」、「死んだら【無】でしょう?」等と答えるでしょう。
しかし、それが真理でしょうか?
神様から出た真理の言葉はそうではないです。

【ヘブル9章27節】

どこに向かっていくのですか? ――神様の裁きの座に私たちは死んでから、まず向かっていきます。
そこに誰もが立たなければならないです。

「私は【無】になった方が良いです。」と言っても誰も逃げることができないです。
なぜなら、世界を造ったのは神様であり、法則を造ったのも神様であるからです。

自分は願っていても、これだけは避けることができないです。

【ヨハネの黙示録20章11-15節】 、 【ヨハネの黙示録21章7-8節】

いのちの書に書かれている人は、勝利者として神様の御国に入ります。
もう1つは、その人達の不信仰によって、数々の罪によって火と硫黄の燃える池の中に永遠に閉じ込められます。

ですから、「どちらに行きますか?」ということであります。あなたは、どちらに行きたいですか?
これは2つに1つで、その中間はないです。

もし「救いの道に行きたいです」と言うならば、そのまま(救いの道に)行くのではないです。
“みことばを通して神様は「そこに行きたいならば、こうしなさい。」と、あなたに対する解決策を
神様が持っていらっしゃいます。”と、次の箇所を伝えます。

【エペソ2章8-9節】

信仰というものは、神様の言葉を聞く事であります。
福音は悔い改めなしには無理なのです。私たちの信仰には悔い改めが必要であります。

救いは悔い改めなしには、救いはないです。悔い改める時にイエス様の血潮が注がれるのです。

現代の福音は間違ったものが多いです。教会でも悔い改める事を語らず恵みだけを伝えることは、
それによって魂は救われません。

信仰を見せるということは、罪を認めて立ち返ることであります。
罪人であると自分を認めることです。「私には救いが必要です。私を救ってくださるのは神様しかいません。」と
それが信仰であります。

【ヨハネの福音書3章14-16節】

【民数記21章4-9節】

自分の罪によって死んでいく者であっても、イエス様の言葉を信じて十字架を見上げるならば、
その人は生きます。
しかし、不信仰なまま神様の言葉を耳に入れないならば、その人はそのまま死にます。
ですから同じように蛇にかまれた者であっても、1人は生き、1人は死にます。
その違いは神様の言葉を信じたか、信じなかったか、です。

行いを良くするからと言って、罪が消されることはないです。
自分の汚れは、それを洗い落とさない限り汚れが付いたままです。
イエス様の血潮でないと、その汚れは絶対に無くならないです。

それが神様が用いた方法・解決策であります。

私たちは十字架がこういうものであるのだということを“民数記とヨハネの福音書”の聖書箇所で
知ることができます。
私たちは愛だけを伝えるのですが、それだけを伝えると十字架が見えてこないです。
罪人のためにイエス様が十字架に架かって死んでくださいました。


③ 「あなたはどうしますか?」

決断は私たちがするのではなくて、
みことばを聞いた人たち、解決策を聞いた人たちが選ばなければならないです。

あなたがそれを信じて、決断をするならば、こうなりますと次の箇所があります。

【ヨハネの福音書1章12節】 、 【ヨハネの福音書5章24-25】

神様はどんな時でも私たちがみことばを聞いて、信じて救われる事を望んでおられます。

救いは軽いものではなくて、本当に永遠の命を得るか、永遠の死を受けるか、一番大きい問題であります。

ある人たちは、平気に「地獄が良い」という人がいます。
それは地獄を見ていないから言えるのです。

この地上でも地震が起きたり、テロが起きている悲惨な場面を見ているだけでも、ゾッとします。
恐怖や不安でいっぱいになります。

だけど、それは地獄に比べたらある意味では大したことではないです。なぜならそこから逃れる道があるからです。

しかし、地獄というところは、どんなに逃げたくても逃げられなく、終わって欲しいと願っても終わらない世界です。
どうやって人間を常に苦しめようかと楽しんでいるサタンが取り囲んでいます。
燃える火に投げ込まれても、一度入れられたらどうにもならないです。

「天国はつまらなさそう」という人もいます。その人がそういう世界があることを信じないから言うのですが、
「本当に 本当に、そのような世界があったらあなたはどうするのか?」と
「死んでしまったらもう遅いよ!」と私たちはその人たちを責めなければならないです。
「それでも良いのか!?」と私たちは語るべきであります。

私たちは神様の素晴らしさを伝える使命があります。しかし、(私たちに)みことばが何もないのなら、
人々にただ「信じなさい」と言っても、その人達は何を信じたら良いのかわからないです。

なぜ信じなければならないのか、その意味もわからないのです。
ですから私たちは、みことばには力があるので順序正しく、「あなたはこういう者です。」
「あなたはどこに向かっていくんですか?」とそれを教えることであり、
そして「救いはこういうものであります」と自分の努力や行いでは救われなく、
どんなに拝んでも、良い働きをしても、それでは救われません、と

それを教えることであり、救われたらこういう素晴らしい状態になりますと私たちは伝えることであります。

始まりがあり、終わりがあります。中途半端に教えるのではわからないです。
罪人であることを教えない限り、悔い改めることはしないでしょう。
悔い改めなしに主に立ち返ることもないです。救われることもないです。

罪がないと十字架がいらないです。十字架が意味のないものになってしまいます。
ですから、十字架は何のためにあるのか・・・。
    → 「罪人である あなたのためにあります」。

神様はあなたが滅びに行くことを願わないです。1人も滅びに行くことを願わないです。
それで神様がそうしました、と。そして福音を伝えることであります。

これが伝道するということです。
私たちが正しいものを伝えない限り、正しい道に導くことはできないです。
今回のみことばは紙に書いてカバンの中に入れておいてください。

こういう伝道方法を用いて、魂を導いてください。 (・◇・)ゞ

2013.2.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私たちは何者でしょうか?

テーマは『私たちは何者でしょうか?』です。

※本日はいくつかのテーマで分かれています。

【詩篇20章1-9節】

神様はダビデの信仰を見ておられました。小さな石ころでゴリアテを倒されました。

世の人は、実力・競争など、あらゆるもので誇っています。
そしてどんなに頑張っても上には上がいるので、私たちは勝ち続けることができません。
また、自分より劣っている人を見て、慰めたりしています。

私たちは何者でしょうか?
私たちは救い主イエス様を受け入れているので、それらをする必要はありません。
人は、持っている物を羨ましく思いますが、私たちは魂を見ましょう。

【Ⅰコリント12章12-27節】

教会はキリスト(からだ)で、私たち1人1人は各器官なのです。自分の立場をよくわきまえましょう。
「自分は手なのか? 足なのか?」それは、わからないのですが
1つの器官が無くなると、教会は不調になります。
教会は神様のみわざで作られたものです。

小さな臓器であっても、無くてはならない重要性があります。
私たちは兄弟姉妹が休んだり、元気がないのを気付くと胸が痛くなるので、
神様にはなおさらです。神様は私たちの傍で見ておられます。

【Ⅰコリント12章21節】

私たちは、自分の口を通して相手を傷つけることがあります。
舌は使い方によって、とても危険なものになります。
兄弟姉妹を裁いたり、冷たい言葉をかけることは、罪を犯していることです。
なぜならそれは、兄弟姉妹1人1人は、イエス様が十字架にかかったほどの尊い魂だからです。

【詩篇32章1-11節】

32章8節のみことばは、イエス様を受け入れた人だけに与えられる言葉であります。
私たちは死んだ後に行くべき道があります。天の御国です。
≪ 神様の言葉を、曲げて受け取らない者は幸いです。 ≫
≪ 神様の言葉を、チャレンジする信仰で握りしめる人は幸いです。 ≫

私たちは牧師を通して、1人1人に預言の言葉をいただきますが、
言葉の内容が、「厳しいから聞きたくない。」、「祝福の言葉ではないと受け取らない」ではありません。
この言葉を受け取るのは自身の選択です。この時に、神様はどのようにするのかを見ておられます。

行くべき道を通すために、苦しい時を経験させることもありますが、神様はすべてをご存知であります。
目を真っ直ぐに上げましょう。

ここでイエス様を知っていたら、たとえ転んでも塵を掃って、また立ち上がります。
イエス様を知らないと、自らの命を絶ってしまうこともあります。

もっとイエス様に助けを求めてください。これは遠慮することではありません。
神様は助けたい思いでいっぱいであります。

立ち上がる度に強くなります。神様は私たちを甘やかすことをなさいませんが、
手を出すタイミングを見ておられます。
私たちが励ましを受けて歩いていけるようにしてくださいます。

【ルカ9章23節】

日々負っているもの = 例えば、家族の救いです。 日々祈りましょう。
自分を捨てることです。自我があると、神様とぶつかります。

自我があると、私たちの耳にやさしくサタンが囁いてきます。
イエス様が一番扱いにくい人は、自我が強い人です。
そのような人に、イエス様は苦しまれます。
何故ならば、敵を愛しなさい。→ 「それは無理です。」(このように自我が邪魔をします。)
家族の中で一番最初に救われたあなたが、自我を捨てて手を差し伸べるのです。

【エレミヤ29章11-14節】

29章11節は、私たちが問題の中にある時、良いことを考えられない時があります。
しかし、私たちは明日のことをわからない者です。今夜のことですらわかりません。
私たちは今のことしか出来ません。
将来と希望は明るいものです。ただし、これには条件があります。
29章12-14節です。

素晴らしい預言を与えられたからと待っているだけでは道は開かれません。
神様は待っておられます。私たちはついキョロキョロしてしまいますが、
神様は私たちをジッと見ておられます。
イエス様の足元にひざまずき、駆け込むことです。
常にサタンは心の奥を汚そうとします。

辛い時に一番悲しんでおられるのは、自分ではなく 「神様」です。
私たちは、魂の親がいることを意識した方が良いです。

頑ななのは、私たちの心で、イエス様に期待しましょう。
―― これらのことは、覚えているうちに祈りましょう。――

サタンは、私たちの内に落ちた種を盗もうとします。
すぐに家に帰るのではなく、礼拝堂で期待して祈ります。
花のつぼみを無理やり開くと、花を殺すことであります。
しかし、神様の愛が働くと綺麗に咲きます。私たちの心も同じように考えましょう。

≪深く植え付けてください。芽が出るように、祝福されますように。≫  アーメン

2012.2.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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