からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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高慢

バベル塔を建てる人々

テーマは 『 バベル塔を建てる人々 』 です

【創世記10章8-10節】

クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

ニムロデは地上で最初の勇士であり、力ある狩人であり、また王でもありました。

その時代においても恵まれた人でした。


しかし主から受けた恵み、力、祝福で、彼は何をしたでしょうか?


彼はバベル塔を建てました。

彼に加担する者も多かったです。


しかし、それは主に喜ばれることではなく、反対に主に逆らう事でした。


それはバベル塔を建てる目的が、主の御心に反することでしたからです。

「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」



神のみこころは「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」でした。


神を敬い、神のことば通りに生きることを願っていましたが、人間は自分たちの力に頼って、自分たちの為に 高い塔を建て、自分たちの名をあげ、地の全面に散らされないようにしました。


神の恵みを忘れ、神に不従順し、神のようになろうとしました。

人間の邪悪な心は、ノアの洪水の後でもまったく変わりませんでした。


神は彼らが建てた塔を見て、彼らを散らし、彼らの思い通りにはさせませんでした。



世界は変わっても変わらないのは人間です。

そして人間は、あの時代よりも さらに悪くなりました。


人口も増え、知識も昔とは比べられないほど増してきましたし、科学も驚くほど発展しました。


しかし人間は昔よりも悪くなりました。

人間の高慢と悪は、今もバベル塔を建てるために熱心です。


皆ではなく、ニムロデのように権力、財力、力を持っている一握りの人たちが 自分たちの世界を造ろうとしています。

人々を支配し、神が造った世界と秩序を 自分たちの好みの世界に変えようとしています。



今に始まったことではないですが、コロナによって彼らが望む方向に急速に進むようになりました。


ニムロデのような存在が誰であるのかも明らかにされてきました。

恐ろしいことを企んでいる彼らは神に逆らう者たちですが、サタンには忠実な者たちです。


666の預言も目の前に来ました。

反キリストは すでに働いているかも知れないです。


携挙も世の終末も同時に近づいて来ました。



地上で自分たちの王国を造ろうとする人たちのことを、神はしっかりと見ています。


彼らにあるのは厳しい神のさばきです。

それに加担する者も同じです。


神を恐れ、信仰を守るために目を覚ましていないと、力ある者たちが造る世界で 彼らの支配を受けなければならないし、神からは裁きを受けるようになります。


闇の力に覆われないためには光の主の中に生きていないといけないです。



彼らからの迫害に耐えるには普通の生活や心では出来ないです。


神に身を避け、神の守りをもらう人だけがいのちを得ると思います。


目まぐるしく色んなものが進んでいます。

見逃してはいけないと思います。


目を覚まし時代を悟るためです。


アーメン Σ(゚д゚;)


2021.1.10
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謙遜また謙遜

テーマは 『 謙遜また謙遜 』 です

【第1ペテロ5章5-6節】

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

クリスチャンが身に着けるべき徳の一つが謙遜です。

謙遜にならず 高ぶっているならば、神に敵対する者だとはっきり言われました。


謙遜とは何でしょうか。


神の前に自分が取るに足りない者、価値のない者、愛される資格もない者であることを自ら認める心の態度です。


選ばれたから、救われたから自分に資格があると思うことは間違いです。


次の箇所に私たちが選ばれた理由があります。


【第1コリント1章27-29節】

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

(私たちに)知恵があるから、強いから、何かを持っているから選んだのではないです。

ですから選ばれた者たちは、神の前にへりくだり、感謝と栄光をささげなければなりません。


パウロは偉大な主の使徒ですが、イエス様のように、本当に謙遜な使徒でした。


自分自身を神の前に取るに足りない者といつも認めていました。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

本当に謙遜な発言と態度です。


もしパウロが高慢な者であったならば、神は彼を用いることは出来なかったと思います。

神に敵対する者を用いることは出来ないからです。


神は高慢な者は退けますが、謙遜な者には多くの恵みを約束して下さいました。

どのような恵みの約束があるでしょうか?


【箴言3章34節】

あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

【箴言29章23節】

人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。

【イザヤ書29章19節】

へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。

【イザヤ書57章15節】

いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。

「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。

高慢は神の座に座ろうとする心です。


人間の本性の中には高慢があります。

自分が一番で偉いという思いです。


ですからその本性を知り、高慢の本性を打ち叩き、いつも自分を低くして謙遜を身に着けるようにしなければなりません。


高い御座を捨てて、卑しい世に来られたイエス様の謙遜を見習う者になりましょう。


アーメン (´∀`*)

2019.10.13
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ブレないクリスチャンになるためには

テーマは 『 ブレないクリスチャンになるためには 』 です

【ピリピ4章4-7節】

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

最近アメリカで話題になっている7歳の男の子がいます。

皆さんも すでにニュースで知っていると思います。


100メートルを13.48秒で走った「ネクスト・ボルト」と呼ばれる子どもです。

その身体能力に人々がびっくりしました。

そこまで早く走れたのは、単に足が速いからではなく、彼の走りを見た専門家たちによれば、彼の体幹筋がすごいからだと言われました。


4歳の時から体幹筋を強くするトレーニングをやっていると言われました。

毎日トレーニングで体幹筋を鍛えたので体がまったくブレないし、それによって早く走ることが出来たと言われました。


体幹筋は、体の胴体部分で内臓を支える機能とともに、運動時にバランスを取るため骨格筋を動かす際の最初に動かす筋肉です。


この筋肉が弱ると運動が不安定になり、バランスが取りにくく、体がブレてつまずいたりします。

それぐらい体幹筋は体を支える重要な筋肉です。

トレーニングによって鍛えることが出来ます。



ブレないクリスチャンになるためには、私たちの心に体幹筋のような霊の筋肉が必要です。


今日の本文には “どのようにしたら霊の筋肉を訓練によって付けることが出来るか” のヒントになることばがあります。




いつも主にあって喜ぶことです




別のところでも同じことばが語られてあります。


【第1テサロニケ5章16節】

いつも喜んでいなさい。

主の外にいるならば、このことば通りに生きることは不可能です。


しかし主にあって生きるならば出来ます。



罪赦された事、神の子どもになった事、救われた事、主の守りと恵みと助けがある事、これらのことだけでも喜ばずにおられるでしょうか。


それらのものは いのちよりもお金よりも、健康よりも、成功よりも大切なものです。

一番価値あるものです。


それを自覚しているならば、自分を幸せな者と思って喜ぶことが出来ます。




寛容な心を持つことです




どのような心が 寛容な心でしょうか?


寛容な心は、“広い心” です。

そして一番広い心は、次のような心です。


【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


イエス様は、神の敵として生きていた私たちを赦し、受け入れ、愛して下さいました。

このように 先に模範を見せて下さいました。


寛容な心をすべての人に知らせなさいと言われたことは、すべての人に対して寛容であることです。

嫌いな人にも、敵にも寛容であることです。


私たちも広い心になれるように、人を赦す訓練、受け入れる訓練が必要です。




思い煩わず、感謝と祈りを絶えずささげることです




思い煩いは、受けた過去の恵みを忘れた時、神に頼らない時に出やすいものです。


思い煩わないためには 過去に受けた主の恵みを絶えず思い起こし、主に頼ることです。

そこから出て来るのが感謝であり、祈りです。


私たちは元々恵みを受ける資格がない者です。

反対に呪いを受けて当然の罪人です。



高慢な人は、自分には恵みを受ける資格があると思うので、主の前でも偉そうにします。

ですから神は高慢な者を忌み嫌い、御前で退きます。


使徒パウロは、絶えず主に感謝と祈りをささげました。

過酷な環境の中でも それが出来た理由は何でしょうか?


彼は主のあわれみと恵みを知り、その後に、自分の高慢を徹底的に砕きました。


パウロの告白でそれが分かります。


【第1コリント15章8-10節】

そして、最後に月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

救いの恵みを これほどまでに感謝しながら生きている人はあまりいないと思います。


あれほどのたくさんの主の働きをしながらも、これほどまでに謙遜で、主に頼った人物はいないです。

主のために死ぬ時も喜びながら死にました。

霊の軸がまったくブレなかったです。



私たちも パウロの中にあったものがあるならば、どんな環境の中でもその信仰はブレることはないでしょう。

人につまずくことも、倒れることもないと思います。


神のことばを口にする者がクリスチャンではないです。

サタンでさえも神のことばを頻繁に使いながら人々を惑わします。


クリスチャンは イエス様から学び、みことばを実践しながら、ますますイエス様に似る者となり、キリストの香りを放つ者にならないといけないです。


これらのものが備えられるならば、神の平安が心と思いを守って下さると約束して下さいました。


心と思いに神の平安がないならば、何かが欠けてあるからです。

足りないものを訓練して備えましょう。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2019.2.17
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なぜ広い道を歩くクリスチャンがいるのか

テーマは 『 なぜ広い道を歩くクリスチャンがいるのか 』 です

【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者は多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

今日はイエス様を信じると言いながらも、広い道を歩くクリスチャンの話をしたいと思います。


イエス様に従う道は いのちの道です。


そして、その “いのちの道は狭い” と言われました。

ですからクリスチャンであるならば、そのことばを当然知っています。


しかし問題は 教会に通いながらも、狭い道には行かず、広い道を歩く人が多いです。

広い道は滅びと死の道なので、その道を歩くことは不幸なことです。



なぜそのような不幸を自ら招きますか?

ある人たちは、自分がその広い道を歩いているのに、狭い道を歩いていると勘違いしています。


なぜ広い道を歩いているのか、その原因と解決策を伝えたいと思います。




広い道を歩く原因




自分のたましいが 不信仰と罪の習性、闇のわざを喜ぶことに慣れているのが原因です。


長い間慣れ親しんだものが身についているので、そちらの道を歩くことが楽で慣れています。


たとえば悪口、陰口、人への非難や裁くことに慣れている人は イエス様を信じても、口を開いたら相変わらず同じことばが口から出てきます。


傲慢なことばを平気に口から出して人を傷つけ、人との間に争いを起こします。

その習性を直してないならば、自然と出てきます。


【ヤコブ3章9-10節】

私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。

賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

いのちの道を、主と共に歩みながら、主が聞いている前で、いつも人の悪口が言えるでしょうか。


広い道を滅びる人と共に歩いているので、平気に他人の悪口、裁くことばが出てきます。

悪い行動も同じパターンだと思います。



昔、韓国に有名な金ユシンという将軍がいました。

ある時、その将軍は馬の上で眠ってしまいました。


目を覚ましてみると 自宅ではなく、キセン(芸者)の家でした。

それでその将軍は、自分が愛した馬の首をはねました。

いつもそこに通っていたので馬が覚えていました。


しかし将軍は馬の行動で、自分の罪の習性の深刻さに気づきました。



滅びに至る道はとても広いです。

明るく、にぎやかに見えます。


多くのサタンの使いたちが、人々の心を惹きつける魅力的なものを並べて肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などを引き寄せています。


しかしその道は、深く入れば入るほど 中は狭く、暗く、そして息苦しくなります。


私たちの古い人は、死の道を歩むことに慣れているので、何も感じずにその道を選び、平気にその道を歩きます。


今は分からなくても後に自分が歩んでいる道が死の道であることに気づくでしょう。

気づかない人も大勢います。



終わりの時代は、教会の中で 広い道を歩く人が狭い道、いのちの道を歩く人に悪口を言い、裁きます。高慢だからです。


いま誰かをさばいている人は、自分の間違いに気づく必要があります。


その人は広い道を歩いています。




広い道から離れ、いのちの道に戻るための解決策




広い道、死の道を歩くことに慣れている自分自身の罪の習性を殺すことです。

そして、いのちの道を歩く新しい習性を身に着けることです。


偉大な使徒・パウロも、自分自身を絶えず訓練して 新しい習性を身に着けました。


【第1コリント9章27節】

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。


狭い道、いのちの道は主が歩んだ道でした。

そしてこのように言われました。


【マタイの福音書16章24節】

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

狭い道は、最初は狭くて険しく見えても、その中は広く、自由があり、平安と喜びがあります。いのちがあります。


クリスチャン生活がしんどいと思う人は、今も自分が肉の中にとどまっているからです。

教会に通いながらも広い道を歩いているからです。


いまも罪の習性に慣れていて、みことばの自由を味わってないからです。

主と共に歩む生活ではなく、形だけの信仰生活をしているからです。


みなさんはどの門を開いて、中に入りますか。
(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


2018.10.28
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神に願った二つの事

テーマは 『 神に願った二つの事 』 です

【箴言30章7-9節】

二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。

不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。

貴重な真理を学ぶためには、神のことばを聞くことが一番です。

次に、神と深い交わりをした信仰の人々の姿勢から学ぶことです。


本文はアグルの祈りですが、祈りの内容から神への信仰の姿勢を学ぶことが出来ます。

アグルが願った二つのことで、私たちは真理を学ぶことが出来ます。



神のみこころにふさわしく生きることを願う




それは物質的なものよりは、精神的なものに より大きな価値を置いていることがわかります。


【箴言30章8節】

不真実と偽りとを私から遠ざけてください。

このように願いました。

不真実と偽りは、永遠に価値のないものを求めて生きる時に出て来るものです。


むなしい心で生きると、人間は不真実な者になりますし、自分の利益ばかり求めると 相手に嘘をつきます。


それによって罪が生まれ、神の御心にふさわしく生きることが出来ないです。


神を自分の主人として いつも思って生きる人は、神のみこころにふさわしく生きることを第一に求めます。




神を敬い、神に栄光をささげる人生を願う




【箴言30章8-9節】

貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。

アグルは、富と貧しさから来る誘惑とつまずき、危険性を知っていましたので、それに自分か引っかかることがないように祈りました。


富を得ることは悪いことではないですが、誘惑と危険性がたくさんあります。



まずは物質の豊かさによって高慢になりやすく、自分に恵みを与えた神を忘れやすいです。


すでにこの危険性に対して神は警告しました。


【申命記8章12-14節】

あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、

あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、

あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。

【申命記8章17節】

あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。

豊かになると過去の苦しかったことを忘れて 高慢になりやすいですし、小さいことへの感謝も忘れてしまいます。






また貧しい者は、貧しさのために他人を騙したり盗んだりして罪を犯し、罰を受けて神の御名を汚すことがあります。

または貧しさのために神につぶやき、つまずいたりすることもあります。


貧しさの中でずっと生きると、神に敵対する人々から嘲られることがあります。


ですから、日々の糧が与えられるように神に祈ることです。


また貧しい生活の中で落胆して悲しい顔つきで生きるのではなく、希望をもって熱心に働いて立ち上がるように努力も必要です。



アグルはこれらのことを知っていたので、富や貧しさで神を敬い、神に栄光をささげる生活に支障が出ないように神に願いました。


富と貧しさによって神を忘れることもあれば、信仰生活がなまぬるくなる傾向もあります。


ですから私たちも、アグルがそれらを警戒して神に願ったように 自分たちも警戒し、神に願うことが必要です。


人間は環境の支配を受ける存在です。

環境の変化によって腐敗し堕落し、罪を犯し、高慢になり、神を忘れることは いくらでも起こります。


ですから、いつも神が喜ぶことが何かを考え、御心にふさわしく生きることを心掛けなければなりません。
(*゚∀゚)っ


2018.6.24
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謙遜の衣を着る

テーマは 『 謙遜の衣を着る 』 です

ハレルヤ。

主の御名をほめたたえます。


信仰告白をしてイエス様を信じて長い年月が過ぎたにも関わらず、人格も行動も変わっていない人の問題点は何でしょうか?


“自分は信仰がある”と言いますが、聖霊に逆らっている人が多いです。


最近、韓国で名の知れた牧師先生の目のあたりにアザが出来ていました。

その先生とは、私も大阪で一緒に食事をしたことがあります。

謙遜な先生で、貧民たちがいるところで教会を開拓し、彼らの世話をしていました。


そして、その教会がある程度大きくなった時に、他の先生を後任者にして自分はそこを去り、田舎の方で また開拓しました。


そして最近、教会の創立記念日が近付いたので、それに参加したい意思を伝えました。

そうしたら、そこの教会から何人かの信徒が訪ねてきました。


理由は“来てほしくない”と言うためでした。

彼らは牧師に対して誤解していました。


再び牧師として戻るのではないかと思って、それを止めたくて来た人たちでした。

その中のひとりの長老が帰り際に、いきなり牧師の顔を一発殴りました。

その長老は、18年前から一緒にいた信徒でした。


そして、その信徒たちは帰っていきました。

牧師は突然殴られたのでびっくりしました。


噂を聞いて、記者が訪ねてきて「その信徒を傷害罪で訴えますか?」と聞かれた時に、牧師は「そんなことはしない」と、はっきりと言いました。

信徒を訴えることは出来ません、赦します、と言いました。


相変わらず謙遜な先生でした。

その態度に安心しましたが、その先生を殴った長老に対して考えてみました。

牧師が何もしていないのに、暴力を振るったことが理解できませんでした。


しかし、聖書の中で答えを見つけました。

敬虔なステパノがユダヤ人たちに語ったことばで分かりました。


【使徒の働き7章51-54節】

かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

すなわち、神の教えを聞き、世話をしてもらっても いつもその心が高慢で、心を頑なにしていると、うなじのこわいものになって 神のことばには不従順、聖霊には逆らいます。


心と耳に割礼を受けない者は、いつまで経っても人格も性格も態度も変わることがありません。


彼らに対して預言者はこのように言いました。


【エレミヤ書6章10節】

私はだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。彼らはそれを喜ばない。

私たちは、心と耳に割礼を受けて、神のことばを聞いたら 真理を悟って従順する人になりましょう。


そして謙遜の衣をいつも身にまとうようにしましょう。
(・◇・)ゞ

2016.1.16
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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天国と地獄からのメッセージ

テーマは 『 天国と地獄からのメッセージ 』 です

【ルカの福音書16章19-31節】

ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、

金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。

さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。

彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。

そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。

私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』

彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』

アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

本文の内容は、生きている人たちの地上での話ではありません。


死んだ人たちの会話の内容をイエス様が私たちに語って下さいました。

死んで天国に行った人と、死んで地獄に行った人の会話の内容を通して 主は “天国と地獄に行った人たちが送るメッセージを聞いてほしい” と願っています。


物乞いであったラザロと、名前が書かれていない金持ちの人がいました。

地上での生活はどうでしたか?


金持ちは 金がありますから、いつもいい服を着ていました。

全身ブランドものを着て、毎日贅沢に遊び暮らしていました。

庶民の生活とは かけ離れた生活でした。


ドバイやモナコとかの国の風景を見ると、金持ちの生活がどんなに贅沢かわかりません。

その人たちが着ているもの、乗っている車、住宅などがすごかったです。


人生楽しんでいて、自分たちは特別に祝福された者だと思っています。

彼らの目には貧困層など見えません。

なぜなら日々付き合う人はみんな似たような金持ちや権力者ばかりだからです。


今日の本文の金持ちも、地上であふれる祝福を受けました。


金持ちは 地上でこんなに祝福されているから、死んでも祝福がある天国にいけると思ったに違いありません。


まさか自分が地獄に行くとは考えたこともなかったでしょう。

もし考えたならば、そんな生活はしなかったと思います。

ですから立派な棺とお墓、たくさんの人が集まる葬儀、そして荘厳な儀式、まるで天国へ凱旋でもするかのような姿だったでしょう。


しかし死んで連れて行かれた場所は 真っ暗な地獄で、永遠に消えることもない火が燃えており、地上では見たこともない恐ろしい悪魔がたくさんいるし、そこには数えきれない魂が様々な苦しみの中で叫んでいました。


見たこともない空間にいて、悪魔に囲まれ、そこから出ることすら不可能であることも知りました。






一方、ラザロはどうでしたか?


なぜ物乞いになったかわかりませんが、食べ物、着るもの、住むところもないホームレスの人でした。

金持ちの家ならば残飯でも もらえると思って、門前に座っていますが、残飯をもらったという記録もありません。


ラザロは、金持ちをみて羨ましかったと思います。

すべてをもっている金持ちは、毎日が贅沢三昧の生活、ラザロは食べるものすらない辛い生活をしていました。

ラザロの願いは金持ちの残飯でも腹いっぱい食べることでした。


彼はある日、力尽きて門前で死んだでしょう。

彼のために悲しむ者も 涙を流す者もいないと思います。


ラザロ本人は天国に行けるとは思わなかったかも知れません。

もちろん天国はだれもが行きたい場所です。


自分は神から見捨てられて食べ物もろくに食べられない超貧乏生活をしているので、地上で祝福されてない者が天国で祝福されるわけがないと思っていたでしょう。


しかし死んだ後に、思ってもいなかった所に連れて行かれました。


そこは地上とはまったく違う美しい天国でした。

何の不自由も不足もない素晴らしい所でした。


ラザロが天国に着いた時に 彼はそれが現実ではなく、夢のように思われたでしょう。

あまりにも自分が生きた世界とは違っていました。

苦しみも悲しみも痛みも すべて消えていました。


天国に入った時の喜びは半端ではなかったと思います。

汚かった自分の姿もきれいな姿に変わりました。


2人がそれぞれ死んだ後に、天国と地獄での対面がありました。

普通は(対面は)出来ませんが、神の特別な恵みならば このようなことも出来ると信じます。


天国では ラザロが信仰の先祖アブラハムと共にいました。

それを見た金持ちがアブラハムを呼びました。




・地獄からのメッセージ




【ルカの福音書16章24節】

彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

私たちはイエス様の言葉で 地獄が実際に存在することを知りました。


作り話だと思っている人は、これこそが現実であることを知る必要があります。

この 地獄からのメッセージを聞かなければなりません。


地獄に落ちた金持ちは、自分がいる地獄の状況を話しました。

まずは、自分をあわれんで下さいと叫びました。


地上では自分をあわれな者と思ったことは一度もなかったと思います。

反対にラザロのような人をあわれな人と思って生きていたでしょう。


しかし地獄に行く人が一番あわれな人間です。


そして地獄から出られないことも訴えました。

炎の中で焼かれていても、“死ぬことも出来ない” と地獄にいる者が 地獄の様子を語っています。


地獄の火は「永遠に消えることのない火」であるとマタイの福音書25章41節にあります。

そして黙示録19章20節には「火の池」であると書いてあります。


金持ちは苦しくてたまらないと叫びました。

地獄のような苦しみは生前では体験することが出来ません。


すべてが耐えられない苦しみですが、そこでは “永遠に受け続けなければならない苦しみ” です。


水一滴もない所です。

何の楽しみも、休みも、遊びもなく、そこにあるのは 苦しみと惨めさとあわれな姿、絶望しかない所です。

水一滴の願いも叶えられない場所です。


その人はアブラハムに2つの願いをしました。


1つは自分のためにラザロをよこして水で舌を冷やしてほしいと願った事です。

次には家族のための願いでした。


金持ちの家族は、彼が天国で何の心配もなく、地上の延長線のような贅沢な暮らしをしているだろうと思っているでしょう。


地上にいる人は彼の心配などしていないですが、地獄にいる彼は、生きている兄弟のことを心配していました。

生きている人が死んだ人をかわいそうに思って悲しむことはありますが、地獄に行ったと思って心配することはないですね。

日本だけではなく、他の国の人でも 死んだら天国に行けると思っている人が多いです。


しかし全く違うことを知った金持ちは、その現実を まだ生きている自分の兄弟に知ってほしくて、ラザロを彼らの所に遣わして、“自分がいる地獄には来てほしくないと伝えてほしい” と願いました。


良い所ならば みんな来てほしいと願いますが、あまりにも苦しい所ですから、特に家族は誰一人来てほしくないと願いました。


そして地獄に行った人は、自分が地獄にいる理由を地獄に行って やっと悟りました。

その理由は、悔い改めがなかったことでした。


悔い改めることは決して難しいことではないですが、世を愛する心が強いと悔い改めが出来ないです。

金持ちの生活を見ると世を愛し、快楽を求め、彼の思いは地上の事だけでした。


神のことばが耳に入って来なかったですし、心は高慢になって弱い立場の人に手を差し伸べることもしませんでした。


本当に必要な “神を愛し、隣人を愛すること” が完全に抜けていましたし、罪に対しても無感覚で、むしろ罪を楽しんでいましたので 彼の人生は地獄という恐ろしい所に送られてしまいました。


神様は (神様のことを)信じない者だけではなく、信じていて自分は間違いなく天国に行けると思っている人の中でも、実際は天国には行けない人もいることを教えています。


金持ちの地獄からのメッセージは 震えながら、苦しみながら語っている警告のことばです。


「ここに来たら駄目だよ!とんでもない苦しみの場所だよ!奇跡をみて信じるのではなく、神の言葉を聞いて悔い改めないといけないよ!」と必死の思いで叫んでいるメッセージです。




・天国からのメッセージ




物乞いラザロは、地上では良いことは何もありませんでした。


人が寄って来ることもない孤独な人生で、惨めで、ひもじい思い、悪いことしかない生活をしました。

人から見ても本当にあわれな人生でした。


だれがこの人が天国に行けると思ったでしょうか。

反対に天国には行けないと思ったでしょう。
彼の悲惨な生活は 神にのろわれていると思うからです。

しかし人々の予想とは違って、ラザロは天国に行き、信仰の先祖アブラハムのふところにいました。


何の苦しみもなく、平安で、食べ物や着るもの、住む所で心配する必要も完全に消えました。
そして愛されていました。


ラザロも自分は天国に行けないと思ったかも知れません。

何も良いこともしていないし、神に文句も言ったこともあったでしょう。

彼は物乞いの人生を感謝したことはないと思います。


彼のどの部分が良かったかはわかりませんが、彼はきっと自分の罪を悔い改めたに違いないです。


金持ちが悔い改めなかったので天国に入れなかったのですから、ラザロが天国に入ったことは確かに悔い改めがあったと思います。


天国は悲しみも苦しみもなく、地上の生活がどんなに惨めであったとしても、その延長線で苦しみを受け継ぐことはない場所です。


天国は 神と信仰の先輩たちと仲良く暮らす場所です。

信仰の先祖アブラハムがそこにいました。


天国には燃える火も悪魔も存在しません。

天国は慰められる所で、涙もなく平安がある所です。


もし自分が神を信じ、悔い改め、神の御心にそった生活をしているならば、地上でたくさんの苦労があっても天国に望みを置いて下さい。


神は必ず天国に迎え入れて下さいます。


地上での豊かな生活が祝福ではないです。

多くの金持ちの姿をみると、神を求めず、快楽に更けて肉を喜ばせる生活をしています。


ラザロは天国で何も話してはいないですが、代わりにアブラハムが天国からメッセージを送りました。


まずは希望のメッセージです。

警告ではなく希望のメッセージです。


地上で悪いものを受けていたラザロが、今はいいものを受けていると伝えました。

そして天国で慰めを受けていると伝えました。


苦しみも、悲しみも、飢えも、貧困もない天国であると伝えました。


“天国に入りたいならば、神のことばの教えを聞いて信じて、悔い改めなさい” と天国に入る方法も教えました。


信仰と悔い改めは死ぬまで継続しなければなりません。


やめてしまうと天国には入れません。

私たちは両方のメッセージを聞かなければなりません。


地獄に行かないために地獄のメッセージ、天国に入るために天国のメッセージを聞かなければなりません。


「地獄に行ってもいい」 とは決して言わないで下さい。

ありえないほどの苦しみが永遠に続く場所ですから、目指すなら天国です。
ヽ(TдT)ノ

2016.7.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊の働きとは

テーマは 『 聖霊の働きとは 』 です

【ヨハネの福音書16章7-14節】

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。

さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。

わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたを真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

神であるイエス様が人間になったのは、人間になりたかったのではなく、人間の罪を贖うためには 人間の姿になって十字架にかかって罪を清算しなければならなかったからです。


そして十字架にかかり、人間としては死にました。

墓に葬られ、三日後に栄光の体に復活しました。


イエス様は復活した栄光の体で 私たちの所に留まらず、助け主 すなわち聖霊を遣わすと約束されました。


聖霊は すべてイエス様のものを受けて、イエス様への栄光を現わすと(イエス様が)前もって教えて下さいました。

そして聖霊を受けなさいと命じました。


私たちは、聖霊なしにイエス様を信じることが出来ないです。

それは なぜか、そして 聖霊がどのような働きをするのかを今回は学びたいと思います。




聖霊は私たちの罪を悟らせる





【ヨハネの福音書16章8節】

その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます。

聖霊が私たちに罪について悟らせるのは、世の基準での罪の判断ではありません。


世が示す罪は どのようなものかを教えなくても、人々は悪いことをすると罪の自覚が出てきます。


しかし 聖霊が悟らせる罪は、人間の自己中心的な生活から出てくる罪や 神を神と思わず、偶像崇拝の不信仰の罪、言い換えれば、神への不従順、そして救い主イエスを信じない不信仰のことなので、それを見て責めます。


聖霊の働きは、世にいる人々に(イエスを信じない)不信仰の罪を悟らせ、人々を死と罪の刑罰から救って下さるイエス様に導きます。


誰も聖霊の導きなしに自分の罪を悟ってイエス様のところに来る人はいませんし、イエス様を主とも言えないです。



【第1コリント12章3節】

聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

私自身も聖霊から「あなたは罪人ではないのか」と罪を指摘されて、初めて自分の罪に気付きました。


罪を犯していないからではなく、罪があるのに、それが罪であるという認識がなかったので、何も考えずに 日々過ごしていました。


指摘されて初めて、それが罪であることに気付きました。

神の前に罪を犯してない人間は1人もいないと聖書は はっきりと指摘しています。


しかし、それを知らない人に罪の話をしても「私は罪なんか犯していない」と否定します。

ですが、神様は罪が赦される道をイエス様によって完成しましたので、すべての罪は悔い改めるならば 神から赦しを受けることが出来ます。


だけど、不信の罪を悟らせる聖霊の働きを拒否し(罪を)認めないならば、その罪は赦されません。


【マタイの福音書12章32節】

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

クリスチャンとは 聖霊の導きによって自分の罪を悟り、罪を悔い改め、イエスを主と告白する人たちです。


聖霊が自分の罪を指摘する時は、敏感に反応して悔い改めて罪から離れ、聖い生活を目指しましょう。




聖霊よって私たちは生まれ変わる




生まれ変わる とは、罪によって死ぬしかない罪人が イエス様を信じることで永遠のいのちを受けることを指します。

“ただ心を入れ替える” ことではないです。


聖書では、生まれ変わることを次のように言われます。


【ヨハネの福音書3章6節】

御霊によって生まれ変わる

神様は 私たちが肉体を持って生まれるようにした後に、聖霊によって新しく生まれ変わるようにします。


聖徒は、自分が罪人であることを聖霊の指摘で悟り、罪を悔い改めて、罪を赦す権威のあるイエス様の血潮を信じることで救われます。

生まれ変わることは霊的救いを受けることを意味し、さらに人格と心に変化が起こることを意味します。


聖徒が生まれ変わると聖霊はその人の心の中に住み、そこに神の愛を注ぎます。

それで聖徒は、生まれ変わる前の悪い行いを捨てて、日々変わりながら聖霊の実を結ぶようになります。


自分は一生懸命に努力をしているのに、なかなか変わることが難しいという人が意外と多いですが、それは根本的に間違えています。

自分の努力で変わるのではなく、聖霊に頼る時に、聖霊の働きによって変わることが出来て、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


聖霊なしに生まれ変わることは、100% 無理です。

自分で自分の罪を赦すことは出来ないですし、死からいのちに移すことも出来ないです。


自分に出来ることと、出来ないことがはっきりとしています。
出来ないことを頑張っても出来るわけがないです。


ですから聖徒は、自分の中に聖霊を迎え入れ、自分の中で働いておられる聖霊にいつも頼り、感謝と賛美をささげないといけないです。


霊的なことは すべて聖霊なしですることは出来ません。

生まれ変わった状態を次のように説明しました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



聖霊は私たちを助けて下さる




聖霊の住まいは、聖霊を受け入れた人の心の中です。

なぜ そこを住まいにするのでしょうか?


それは、聖徒たちと共に歩みながら いつでも聖徒を導き助けるためです。

聖霊は聖徒の保護者の働きをしておられます。



【ヨハネの福音書14章17-18節】

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

もし私たちが聖霊の助けなしでも立派なクリスチャンになれると思うならばそれは大きな錯覚です。

それは高慢な思いです。


「神のことばがあるし、それを行えば立派なクリスチャンになれるから、別に聖霊は要らない」 という人たちもいますが、自分たちに神のみことばを行う力がありますか?


パリサイ人たちのように、うわべは神のことばを実行しているように見えても 心の中は変わりませんでした。

それはイエス様が語った次のことばの通りです。


【マタイの福音書23章28節】

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

頭では分かっているのに自分の弱さの為、再び罪に巻き込まれることは いくらでもあります。


その時に誰の助けを求めますか?

自力では なかなかそこから抜け出られないです。


しかし聖霊に助けを求めるならば、聖霊は助けて下さいます。


聖霊の実を結びながら、正しい聖徒の生活を送るためには いつも聖霊の助けを求めなければなりません。


聖霊は聖徒たちの痛みや傷を癒し、導き助けて下さいます。

助けて下さる聖霊の働きが 次の箇所にあります。


【ローマ8章26-27節】

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

聖霊は私たちを孤児にさせず、助けるためにイエス様が遣わした方ですから、いつも頼り、また助けを求めましょう。


信仰を守るのもだんだん難しい時代になってきました。


ですから聖徒たちは さらに聖霊に頼りながら、この世と罪から自分を守り、聖霊の力を受けて大胆に神の子どもとしての歩みをしていきましょう。
(´∀`)


2015.11.22
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あなたは正しい者ですか、それとも罪人ですか

テーマは 『 あなたは正しい者ですか、それとも罪人ですか 』 です

【ルカの福音書5章27-32節】

「この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた。

するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。

そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。

すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」

そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」

皆さんは自分を正しい者と思っていますか。それとも罪人と思っていますか。

これはとても重要な質問です。

この質問に どのように答えたら良いか、困るでしょうか。

自分を正しい者と言う勇気もないし、罪人と答えるのも嫌な感じがするし、「どちらでもありません」というのが一番無難な気がしますか?


日本は先進国の中で一番クリスチャンが少ない国です。

少ない理由は色々あると思いますが、自分を正しいと思う人が多く、罪人という認識が少ないことがあるかも知れません。

そもそも罪がどういうものか知らないのが問題かも知れません。


そして日本には “本音と建て前” の文化があります。

文化と言えば悪いものだと思わない傾向がありますが、それは偽善者または二重人格者と何が違うでしょうか。

偽善者だと思います。

もし皆さんが他の人から「あなたは偽善者で二重人格者です。」と言われたら すごく腹が立ちますし、良い気持ちがしないですね。




偽善者の姿




偽善者の姿をちょっと見てみたいと思います。

ルーマニアで最も影響力があったリチャード・ウォンブラント牧師ですが、この牧師はチャウシェスク独裁政権の時に、キリスト教の牧師であるだけの理由で捕まり 14年間も共産党本部の地下牢に入れられ、まともな食事も与えられず、日々拷問を受けて奇跡的に生き延びましたが、解放されて世界中を回りながら、その体験を語りました。


牧師はニュージーランドのクライストチャーチ市に行きました。
都市の名前が「キリストの教会」という意味です。

ですから、牧師はそこに住む人は全員クリスチャンだと思いました。

ある時、レストランで男性と合席になり、そこで会話が始まりましたが、その男性がクリスチャンではないことが分かりました。


牧師は「どうして教会に行かないのですか?」と聞きました。

すると男性は次のように答えました。
「教会に行くと偽善者が多過ぎて、私は教会には行きません。」

それを聞いたリチャード牧師は「私は教会に偽善者が多いので、教会に行くと心がとても楽です。なぜなら私も偽善者ですから。」と答えました。

皆から尊敬される立派な牧師が自らを“偽善者”と認めました。

そのことばの意味を私たちは悟らなければなりません。


皆さんは偽善者ですか。それとも「私は偽善者ではありません」と否定しますか。

今日の本文には偽善者の姿が出て来ました。

それはパリサイ人と律法学者です。彼らのどこが偽善でしょうか。

彼らの生活を見ると偽善的な姿は見えません。むしろ敬虔な姿です。


神のことばを文字通り守りますし、いつも聖書を読むし、よく祈るし、施しも熱心で、献金もよくささげ、落ち度のない敬虔な生活をしていました。

しかし彼らの心をとらえているものがありました。

それは他人に対する優越感、自分を正しいと思う心、それによって他人を裁いていました。

本文でもその姿がありました。


イエス様が自分たちが罪人だと思う人たちと一緒に食事しているのを見て非難しました。


別の箇所でさらに彼らの姿を見たいと思います。


【ルカの福音書18章9-14節】

自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。

「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。

私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんで下さい。』

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

パリサイ人の姿は“高慢”です。神様が一番嫌う罪は高慢です。


高慢の基にあるのは「私は他の人よりましだ、もっと正しい」と思う優越感です。

この意識に捕えられると、自分より劣る人に対して 自分が審判者になって軽蔑したり、非難したり、裁いたり、また怒ったりします。

イエス様は このパリサイ人に向かって「まむしのすえたち、偽善者」と呼びました。

そのことばを聞いた時に彼らは怒り狂ってイエス様に対して殺意を抱きました。そして後になって十字架につけました。


なぜそこまでしたのでしょうか。
彼らは完全主義者だったからです。

彼らの一番恐ろしいことは、(外見は)謙遜で覆われている高慢です。

それがパリサイ人たちの典型的な姿でした。

教会の中にはパリサイ人のような偽善者もいれば、他人の行動を見てつまずいて 教会を離れるもう一人の偽善者もいます。


リチャード牧師と話をした男性も偽善者です。

なぜその人たちが偽善者だと思いますか。

その人たちが他人を裁く時には「私はあの人のように高慢ではない。私は偽善的ではない。あれでもクリスチャンか、あれでも牧師か、私ならばあんなことはしない」と自分自身を高く評価するからです。

それで教会を離れて、信仰を捨て、他の宗教に改宗する人もいますが、それはその人の信仰が不透明であったことを改めて見せていることです。


信じた時から クリスチャンは世の光、世の塩ですが、(周りが)暗いからといって光を放ちたくないと嫌がる光を見たことがありますか。

(味がなくて)美味しくないから 入って塩味をつけたくないという塩があるでしょうか。

そのような確信がないので 人を見て揺れ動き、他人を非難して人のせいにした挙句、神から離れます。


信仰生活は、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない(ヘブル12章2節)生活です。
信仰はイエス・キリストを信じることから始まり、生活はそれを持続することです。


信仰生活は、まずは神様と私たち自身の問題で、次に他の人たちとの間で生きることです。


それなのに他の人たちと生きることが嫌で信仰を捨てるということは矛盾していると思いませんか。


問題は他人ではなく自分自身にあります。
いくら弁明しても自分と神の関係がはっきりしないので心が揺れて人間関係につまずきます。

私たちは人を見て信仰生活をするのではなく、イエス様を見て信仰生活をします。

他人のあやまちや罪を見た時には祈り、自分もそのような罪を犯さないように、罪の誘惑に負けないように気をつけることです。


自分のことは棚にあげて、他人が悪いという偽善者たちにイエス様がはっきりと語りました。


【ルカの福音書5章31-32節】

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」





私たちは体の調子が悪いと病院に行きますね。

病院へ行くと、もちろん病人だらけです。そして あらゆる病気の人がいます。

それが嫌で病院へ行くのを諦めますか?

諦めるならば治る病気も治らず 痛みで苦しむか、病気が悪化して死ぬかです。
多分そんなことで病院へ行くのを諦める人はいないと思います。

医者に病気を隠すどころか、症状を一生懸命説明して、治してほしいと訴えます。


しかし教会に他の罪人が来るのを見て、それが理由で行かないとは自分の魂が死んでいくのに その自覚がなく、自分の魂が死ぬのを放置しているのと同じです。

罪は魂の癌であって、これによっては100%死にます。

また、罪の癌は神様に出会うまでは自覚症状が全くないです。自覚がないので軽く考えています。


日本人が信じている信仰は罪に対しては全く触れないです。
でも触れないからといって罪が存在しないということはないですね。罪は存在します。

イエス・キリストはそれに触れ、その罪を悔い改めるならば、その罪を赦し、そして罪に定めないと恵みを備えています。


それは恵みであり、難しくないですが、サタンはそこから目をそらさせ、そしてアダムとエバを騙したように「あなたは罪人じゃないよ。罪によって死ぬことはない。先祖たちもみんな天国に行ったよ。」と甘いことばでささやきます。

神の真実とサタンの騙しことばを人々に伝えると色々な反応があります。

特に日本人は真理は信じないで、サタンの偽りのことばを信じる人が圧倒的に多いです。

または「自分は罪が多いし、もっとまともになってから信じます」という人がいます。
これも偽善者になりやすい姿です。


なぜなら正直に、道徳的に、倫理的に清く生きることは素晴らしいことですが、それが自己義に変わる時に、それはパリサイ人と同じ悪を行うことになります。

自分が道徳的に倫理的にまともな人間だと思う人に罪人の認識があるでしょうか。

自分を正しい者と思うので、さらに救いからは遠くなります。
その人たちは神様を求めることをせず、自分の努力だけで生きるようになります。

でもそれで罪が消えるわけではないですね。


罪の問題は、神様の赦しを得なければならない次元です。努力では得られないです。

ですから その人たちは自分は罪が多いと言いながらも、実はそこまで罪に対する自覚がないです。

一見、謙遜な姿に見えますが、自分の力でなんとかしようとする高慢が隠れています。


そして自分の罪を全く認めていない人がいます。

目が見えない人の姿です。
正しい者でもないのに、自分を正しい者と勘違いしながら死ぬまで生きる人です。


また、自分の罪を認めてはいますが、自分は罪深い人間だから赦されることはないと勝手に決めてしまう人もいます。

病院では軽い病気は受け入れ、重い病気は受け入れないでしょうか。
絶対にそんなことはないですね。

重い病気の人が優先になります。


神様の赦しにも 重い罪も軽い罪もないです。






そして本文に出てきた人物レビのような人がいます。

レビは取税人です。
彼の仕事はお金はたくさん入りますが、評判の悪い仕事でした。

その理由は、不正な方法でお金を手に入れる人たちが多かったからです。

レビもそのような人だったと思います。

一般の人たちは彼らを罪人と呼びました。


イエス様は彼に目を留め、いきなり呼びました。
「私について来なさい。」とひと言言っただけで、何もかも捨てて、立ち上がってイエス様に従いました。

そして自宅に招いて大ふるまいをしました。それも他の大勢の人を招いて食事会をしました。


それには2つの理由があったと思います。

罪人である自分を招いてくれたことに対する感謝と喜びの気持ちを現すために自宅に招きました。
そして今までお世話になった仲間や愛する人たちとの別れの挨拶でもありました。

古い生活を清算し、新しい生活への出発を祝うためでもあったでしょう。


お金をたくさん手に入れて良い家に住み、毎日ごちそうを食べ、良い服を着て、良い車に乗り、外国へ旅行するのが人生の目的で、それで満足するために生きていますか。

レビはそれを手に入れていましたが、罪の意識だけは消えなかったでしょう。

罪人の自覚は、自分の中には罪があり、弱さがあり、汚い思いがあり、いくら努力しても自分という人間が変わっていないことを認める時に出てきます。


さらに謙遜さも それを認めるところから始まります。

罪に対する自覚があると他人に対する優越感と、優越意識が消えていきます。

そして自分には罪の赦しが必要であると救いを求めます。


レビはイエス様に従って12弟子のひとりになりました。

そして新約聖書のマタイの福音書を書きました。マタイとはレビの別名です。

イエス様の招きを受けたことで彼の人生は罪人から弟子に変わりました。


どちらが良かったと思いますか?

取税人の時の罪を犯しながら贅沢な生活の方が良かったですか。
それともお金もなく苦難も多い弟子になったことが良かったでしょうか。

実際 レビが取税人に戻っていないことを見ると弟子になったことが良かったみたいです。


罪人がイエス様を信じて損することがありますか?

――全くないです。反対に得することだらけです。

人々から罪人だと軽蔑されていたレビは、立派な弟子になり多くの人々からも尊敬される人になりました。






もしイエス様が「私は正しい人を招くために来た」と言われるならば、私たちは皆 その資格がないのです。

しかし罪人を招くために来たというので誰にでも受ける資格があり、とてもありがたいです。


そしてイエス様の魂に対する思いがどんなに強いかを語った箇所があります。


【マタイの福音書18章11-14節】

〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕

あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。

そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

私も以前は迷い出た一匹の羊でしたが、神様の忍耐と憐れみ、恵みによって救われました。

それがなかったならば、この世がすべてと思って自分がどこに向かっていくのかも知らず生きていたと思います。


でも今は安心しています。
自分がどこに向かっていくのかを知っていますし、真理も知っています。そして永遠の世界も知っています。

自分を主の前で罪人だと認めたことによって得られた祝福はたくさんあります。

罪を告白しただけで赦してもらいましたし、受け入れてもらいましたし、神の子どもになる特権まで与えて下さいました。


こんな素晴らしい祝福を拒否することは本当に大きな損失です。

失った後に胸を叩きながら永遠に後悔することはないようにしましょう。


自分が信じたい時に信じるのではなく「きょう、もし御声を聞くならば心をかたくなにしてはならない。今は恵みの時、今は救いの時です。」と語ったことばのように、今日が恵みを受ける時と思って恵みを受け取って下さい。
(・∀・)つ

2015.6.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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イエス様の心を持つ信徒はどれくらいいるのか

テーマは 『 イエス様の心を持つ信徒はどれくらいいるのか 』 です

【ピリピ2章1-5節】

こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、

私の喜びが 満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、 他の人のことも顧みなさい。

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

全世界の人口は正確には分かりませんが、約70億人近くいます。
その中でキリスト教が一番多く、33%と言われています。22億人がクリスチャンということになります。(プロテスタントとカトリックの比率は50%です)


今、クリスチャン人口が一番増えている国は中国です。
人口13億人のうちの5%にあたる6700万人がクリスチャンであると言われています。
そして2030年になると、2億4700万人がクリスチャンになる計算です。

今はアメリカがクリスチャン人口が一番多いですが、2030年になると中国が世界一キリスト教徒が多い国になります。

日本は、東アジアの中で一番クリスチャン人口が少なく、1%くらいです。

韓国は人口の4分の1はクリスチャンであります。リバイバルをして6万ほどの教会が建っています。
しかし教会が大きくなっていくと様々な問題が生じ、クリスチャン人口が減ってきています。これはとても残念なことです。

原因はクリスチャンたちの生き方が人々に好感を持たせなかったからです。
初めは良かったのですが、大きくなるにつれて様々な問題が生じて人々が離れたり、またそれ以上増えませんでした。


神様は、ただ多くの人たちがクリスチャンになれば喜ぶでしょうか?
たとえ全世界の人がキリストを信じたとしても、神様はそれで満足をするでしょうか?


数え切れないほどの教会が建ったからと言って、イエス様はそれで満足しません。
神様は、このように数字や形には関心がないのです。

主が一番関心のあることは、私たちの心であります。

その心がキリストと一致しているのか、ということです。
それはキリストの心が自分たちの中にも無ければいけないということです。


“うわべ”だけのクリスチャンや、クリスチャンと言いながらも教会に通わず、祈りもまったくせず、みことばも読まないようなクリスチャンを神様は喜ぶでしょうか。

このような信仰で「私と神様は一致している」と言えるでしょうか?

教会に集まる人たちも色々な人たちがいます。
そこで問題や分裂、争いがあります。信徒同士や牧師など色々あります。


しかし、よく考えると その問題の原因になっているものは何かを詳しく調べていかなければなりません。

うわべに表れているものが、その問題の原因ではないです。

例えばピリピ教会の中でも信徒同士に分裂の問題がありました。
その信徒たちの自己中心的で高慢、妬み、争いなど、様々な思いで人間関係が壊れていました。


教会とは頭(かしら)がキリストであります。そして信徒は1つ1つの身体の器官だと聖書に書かれています。
目には見えない神様ですが、頭のない身体は存在しないのです。

そこで私たちが組み合わされているのが教会です。


ですから、そこにイエス様が存在しないならば、建物があって人が集まったとしても そこは教会ではないです。それを神様が教会とは認めないです。

しかし、ある意味で イエス様が存在しない教会が多いのです。形は教会でも、中身は教会ではないのです。

今回のテーマ箇所の3節に「自己中心」ということばが書かれていますが、自己中心が様々な問題の原因となっています。自己中心は、ある意味で高慢であります。「自分が1番」であるのです。


クリスチャンであり神様のことばを聞きながらも変わらない人々がいるのです。自己中心的な人がたくさんいます。
ですから問題が消えなく、分裂が起こります。


信仰歴が長い人でも自分を捨てないならば、自己中心的な思いが消えることはないです。


「私の意見が正しい。私の考えは曲げる必要はない」と自分が間違えていても変えようとしないのは高慢です。


【Ⅱ歴代誌7章14節】

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、 わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

これは全ての人に向けて語ったのではなく、「わたしの名を呼び求めているわたしの民」に語りました。

民になったから全部同じだということではないです。
民と呼ばれているにも関わらず、神様のみこころと反する生き方をする者たちが相変わらずいることを神様は見ておられます。


神様が求めているものは、みずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、悪い道から立ち返り罪から離れる者に対して神様は、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそうという言葉があるのです。

神様は、神様と心が1つになっている者を求めているのです。


【Ⅱ歴代誌16章9節】

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。 あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。

世界人口の33%がクリスチャンだと語りましたが、その中から神様と心が1つになっている者を探さなければ見つけることが出来ない状態なのです。

それは神様と全く一つになっている者が少ないということを意味するのです。


私たちはすぐに神様から見つけ出される者でしょうか?

外見はクリスチャンらしくしていても、神様とは違う心を持っている人が多いのが現実です。それをそのままにしておいても良いでしょうか。

私たちがキリストと同じ心を持っているならば、行くすべてのところの問題が消えていくと思います。
しかし、外見はクリスチャンだとしても 悪魔の心を持っているならば、争いや分裂の原因を作るでしょう。

自己中心的な思いは、どこにいても問題を起こします。


皆さんは精神科病院へ行ったことはありますか?

私は行ったことがあり、精神病にかかった人と多く接しました。見た目は変わったところがなく、分別力もあります。きちんと話もしますが、その人たちの中で共通するものがあります。

皆、自分の話しかしないのです。自分のことにしか関心がありません。
また、被害者意識が強く、他人の話を聞かず、変えようともせず、自分の考えや思いを主張する傾向が強いです。


クリスチャンも「主よ、主よ」と言っている人が、神中心ではなく自己中心な思いがすごくあり、自分の考えを捨てないです。


自己中心は何1つ良い実を結ぶことがないです。


ですからイエス様が「わたしについて来たい者は自分を捨て」という言葉を使いました。
これは自分の良い部分を捨てなさいという意味ではなく、自己中心的な思い、高慢な思いを捨てない限り、(イエス様とは)一致しないということであります。

イエス様と自分の中で葛藤が多い人は、何が問題でしょうか?
神様や環境ではなく、自分自身が問題であります。相変わらず虚栄心などを持っているのでイエス様と合わないのです。

イエス様と一致しない人は、周りの人とも一致ができないです。
一致をするためには、それらを捨てなければならないです。


私たちがイエス様の心を持つための1番の方法は、イエス様をいつも見ることであります。

福音書を読むと、イエス様の姿が出てきます。イエス様から目を離さず、イエス様の姿をジーッと見ることです。
これはイエス様を観察をすることであります。


そして、私たちがイエス様の心を持ちたいと思うならば、へりくだり謙遜にならなければいけないです。

イエス様はもともと神でありました。神が人間の身体をとって地上に来られました。
もうこれだけでも謙遜であります。人間は神になろうとしますが、イエス様(神様)は人間になりました。さらに人に仕えたので、ものすごく謙遜です。

私たちの足を洗い、私たちの重荷を負ってくださるのは、神様の謙遜な姿であります。

私たちが高くなろうとするなら、イエス様と一致するのは不可能です。

しかし、高慢で高ぶっていた者が自分を低くして へりくだっていくならば、だんだんイエス様の心を自分の中で持つことができます。

私たちはイエス様を見ながら、頭を下げて自分の身を低くしていかなければならないです。






愛・憐み・寛容な心は、なぜ必要だと思いますか?

私たちは他人を愛することが出来ない者であります。
自分のことや所有物、家族は愛しても、それ以上の愛がないです。

他人を愛することも、自分の好みの人だけを愛します。自分のことを愛してくれる人を愛します。
少しでも気に入らないと私たちは、その人と縁を切ってしまいます。その人を嫌ったり呪ったりします。
私たちはそのような者であります。


教会の中で、私たちが他人に接する姿をイエス様は見ておられます。
例えば、教会でアルコール中毒者が来たとします。また、麻薬中毒者が入ってきたとしたら、その人たちを歓迎するでしょうか?しないでしょうか?

そのことによって私たちの中にキリストの心があるかどうかが試されていきます。
「あんな人は来なければ良いのに」という思いを持って、その人に見向きもしないならば、自分にキリストの心がないことであります。


イエス様は罪人や遊女、悪霊にとりつかれている者や病人のところへ行きました。
そのことを宗教指導者たちはものすごく軽蔑をして悪口を言いました。

もし私たちが宗教指導者たちと同じ心を持つならば、それはパリサイ人、まむしのすえどもと同じであります。

私たちは自らその場所へ訪ねていかなければならないです。そして歓迎をしなければならないです。
そのような人の中にはイエス様の愛や憐み・寛容な心があるのです。寛容は広い心で、差別することがなく、その人を受け入れる心です。


神様はクリスチャンに願っているのは、イエス様の中にある心を持って欲しいということです。
愛を持って接するならば、死んでいたたましいが生き返ります。


信仰生活を送りながらも、心が冷たい人がいるのです。その人の中に温かいものがないです。人と接する時にも笑顔がないです。

これは鏡で自分の姿を見て、みことばに照らし、「果たして自分はどうなのだろう?」と自分の中にイエス様の心を持っているのかを確認しなければならないです。


イエス様が再臨した時は、信仰歴が長い者でも、奉仕をたくさんする者でもなく、イエス様と心が1つになっている者が一番初めに天に引き上げられます。






バンジージャンプをしたことはありますか?
ロープに身を任せて、高い所から飛び降ります。それはとてもシンプルです。飛び降りれば良いことです。
これは子供にも分かることです。それは理論的に難しいことがないからです。

しかし、知識と実際にやることは全く別のものです。
ある者は「出来ます」と言って 身体にロープをつけたのに、直前になって出来ない人もいます。


これを見て、私たちが分かることは、いくら理論を知っていても実際に飛び込まないと分からないことであります。
飛び降りた人が初めてバンジージャンプがこういうものだということが分かるのです。

私たちはイエス様に対しても、そういうことであります。

「イエス様の心を持つことはこういうものです。」と、このように言うこと自体は知識です。
しかしイエス様と親しくなってイエス様の心を持つことは全く別のものです。


理論だけで生きているクリスチャンが多いということです。実際に(イエス様に)飛び込んだ人は少ないということであります。知識を持ったからといって、それが何になるでしょうか。

信仰生活は実際にやらないと分かりません。実際にイエス様に近づかなければ、イエス様がどのような方なのかは分かりません。


クリスチャンは「信仰、信仰」と言っても、キリストの中に飛び込まないと、いつまで経っても その人の心が燃えることはなく、心が変わることもないです。

しかし、私たちがキリストの中に飛び込むなら、キリストも私たちの中に飛び込んでくださるのです。そこで1つになるのです。

信仰は知識ではないです。もしも知識の信仰ならば、その知識が偶像になります。


皆さんはイエス様に出会ったことに対して、どのように思っていますか?
イエス様に出会えたことは人生で最高の恵みだと思っているでしょうか?

皆さん1人1人の信仰の姿は違います。しかし神様が求めるのは1つであります。「わたしの心を持ちなさい。」ということです。

信徒1人1人にその心があるなら、争いが起こらないのです。皆違うのでバラバラになり分裂、争い、戦いがあるのです。

ですから、「自分の心にイエス様の心が無いのが問題であり、いつも私が問題を起こしているのだ。」と思ったら良いです。


自己中心を捨てない限り、イエス様の心が私たちに入ることはないです。

イエス様が行ったことはすべて正しいので分別をする必要がないです。
つまり、イエス様の口から出ることば、すべての行動は正しく、真理そのものですので、私たちがそのまま受け入れて良いということです。


様々な問題は自分自身の中にあるのです。ですから自分自身が変わらなければいけないです。


イエス様の心をもっと持たなければ、イエス様が私たちを見た時に「あなたはどこから来たのか。わたしはあなたを知らない。」という結果になると思います。
ですからそういうことにならないように、イエス様の心を皆さんが持ってください。それが聖徒であります。
(^∀^)

2014.8.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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