からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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預言

今が備えをする時である

テーマは 『  今が備えをする時である 』 です

【創世記41章29―36節】

今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。

それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、

この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。

夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。

パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。

彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

神が歴史の主権者であることを信じますか。そして神の預言は必ず成就することを信じますか。

私は信じます。
なぜならば歴史がそれを証明しているからです。


「偶然」という言葉がありますが、神様がなさることは偶然だと言わせないために、神様は前もって預言を与えておられます。


まだ起きてないことを神様は預言で教えて下さいます。

信仰ある人はそれをそのまま信じて行動します。


本文はエジプトの国で これから先に何が起こるかを神様が夢でパロに示しました。

しかし夢を見たパロも、すべての知恵ある者たちや呪法師も、夢の説き明かしが出来ませんでした。

そこへ ヘブル人の奴隷であり、罪を被せられて牢の中にいたヨセフが呼ばれました。

ヨセフは夢の説き明かしはもちろん、それに対する立派な対策もアドバイスしました。


すると王は彼のことばを受け入れ、ヨセフが奴隷であるにも関わらず 王の次の地位に彼を任命しました。

本当にありえない決定でありました。ヨセフの人生も一瞬で変わってしまいました。

パロがヨセフを№2の地位にした理由は何ですか。

夢の説き明かしが良かったからでしょうか?


もちろんそれもありますが、パロは彼の中に神の存在を見たからです。


「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」

「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにはいない」

このように神の存在を認めました。


四大文明の1つであるエジプト文明が一番盛んな時代でしたので、知恵ある人もたくさんいましたが、神の霊が宿っているヨセフの知恵を超える人はいませんでした。


将来起こることを神様が示すことも、そして そのことを神の人を使って素晴らしい知恵で教えているのも、その目的は 信じて備えをさせるためであり、それによって備えをした人々を生かすためです。


聖書に記録された歴史の中に起こったことだけを見ても、ソドムとゴモラの町が罪のために滅ぼされることを、神はアブラハムに前もって伝えました。

それによってその町から甥であるロトの家族を救い出すことが出来ましたが、もし示されなかったならば1人も助からなかったでしょう。

その時、神のことばを真剣に聞いて主に立ち返った人は 他にはいなく、町と共に人々が滅ぼされました。


ノアの箱舟も神の預言によって造られました。

ノアは箱舟を一所懸命造りながら、洪水で世界が滅びることを人々に伝えましたが、人々はノアの警告を無視しました。

その結果、洪水の時に助かったのは、箱舟を造り 洪水に備えたノアとその家族だけでした。


ダニエルに見せた幻の内容で、すでに歴史の中で成就したものも多くありますし、これから起こることもまだあります。

イエス様が人間として生まれることも預言され、その通りになりました。


そしてエジブトでは、ヨセフが話した通りになりました。


【創世記41章46-49節】

― ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった― ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。

さて、豊作の七年間に地は豊かに生産した。

そこで、ヨセフはエジプトの地に産した七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々にたくわえた。すなわち、町の周囲にある畑の食糧をおのおのその町の中にたくわえた。

ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。

【創世記41章53-57節】

エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、

ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんはすべての国に臨んだが、エジプト全土には食物があった。

やがて、エジプトの全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」

ききんは全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。

また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。

もし神からの夢をないがしろにし、神の知恵に従わなかったならば、エジプトだけでなく全世界が飢えによって ほとんどの人が死んだかも知れないです。

神が言われるように備えをしたのでエジプトだけではなく、全世界の人々までも生かすことが出来ました。


今の時代にも神様の預言があります。
そしてその預言通りになってきたことが見えて来ました。


【マタイの福音書24章6-8節】

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

昨日のニュースで聞きましたが、昨年テロによる死者は3万2727人で 2013年と比べると、81%の増加でした。
過去45年で最悪になりました。


そして絶えず戦争も起こってありますし、世界中で大地震が増えましたし噴火も増えました。

北朝鮮だけでも、昨年1月の報告で 穀倉地帯で飢餓が原因で死んだ人が数千人いました。


毎年ひどくなっているのは主の預言通りであります。

私たちはこのような時代に何を備えたらいいでしょうか。

そしてこれから起こると言われてある出来事のために、何を備えたら良いのかを伝えます。




霊的ききんのためにみことばの備え




ききんのために食料の備えも必要ですが、霊的ききんのためにみことばの備えが必要です。


【アモス書8章11-12節】

見よ。その日が来る。―神である主の御告げ―その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

迫害が起こって聖書が取りあげられる時、教会が堕落して真理ではなく人間の教えを教える時代になる時に、真理のことばを聞くことが難しくなります。

そのために聖書を読める時に、そして真理が語られる時にしっかりと自分の中にみ言葉を蓄えておかないと信仰を守ることが出来ないですし、いのちのパンがないので霊的飢えで魂が死んでいきます。


聖書が読める時に毎日み言葉を呼んで黙想し心に蓄えて下さい。
必要な時が来ます。




キリストの再臨に対する備え




キリストの再臨に対する備えが必要です。

マタイの福音書25章に、花婿を迎える10人の花嫁のたとえ話がありますが、このたとえは主の再臨に対して備えた者と備えていない者を教えるためのたとえでした。


5人の花嫁は、ともしびと油を しっかりと備えて花婿を待っていましたが、残りの5人はともしびだけを用意して、油の備えをしませんでした。

愚かな5人はともしびが消えそうになり、油を買いに行った時に、花婿が来て彼女たちは花婿を迎えることが出来ませんでした。


もう既に戸は閉められ 婚礼の祝宴が開かれました。
彼女たちは主の再臨に間に合わなかった人です。

再臨を迎える備えは、結婚式を控えた新婦がどのように日々を過ごすのかを想像したら分かると思います。

何よりも自分自身をきよく保つと思います。花婿だけを愛して心待ちにするでしょう。


いつ再臨するか分からないからと好きなように生きていたら災難です。


主は次のように言われました。


【マタイの福音書25章13節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

主の再臨を信じない人は 何のことだろう?と思うでしょうが、復活して天に昇って行ったイエス様は再臨して、信じる者を天国に連れて行き、信じない者たちは裁くと預言しました。


それが世の終わりになると言われました。

十字架の死の預言、復活の預言も全部その通りでしたので、再臨もその通りになると信じます。




いつでも天国に行ける備え




いつ死んでも天国へ行けるように備えが必要です。

アブラハムと金持ちとラザロの話が ルカの福音書16章にありますが、死んで金持ちは地獄、アブラハムとラザロは天国でした。

悲惨な地獄にいる金持ちが言ったことばを聞くと、天国に行くために何が必要であるかが分かります。


【ルカの福音書16章27-31節】

彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。

私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせて下さい。』

しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』

彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』

アブラバムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

主を信じる信仰と悔い改めが天国に入る条件です。


金持ちは信仰もなかったですし、悔い改めも出来ていませんでした。

人は明日のことがわかりません。
ですから、いつ何があっても天国に行けるように信仰を持ち、自分の罪を悔い改めておくことです。


このように備えをしておけば、ヨセフの時代にききんがあっても食べ物の備えがあり飢えることがなかったように、これからますます患難が大きくなっていく世の中で備えがある人は、その中でも守られます。

すべきことをしないでいると慌てることになり、被害を受ける者になりますので、今からでもしっかりと備えましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2015.6.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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復活は事実です

テーマは 『 復活は事実 』 です

【マタイの福音書28章1-8節】

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。

すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。

その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。

番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。

ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そ こで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。

主が十字架にかかった時は街中の人々が集まり、主が死んでいく姿を見ていました。

それは、その日の一番大きなニュースだったと思います。
新聞ならば一面に載った記事だったと思います。


大祭司やパリサイ人、総督や軍人、一般の人たちまでも関わった事件でした。


復活は人々の目につかない時に起こりました。

安息日が終わり、週の初めの明け方でした。明け方は まだ人が活動する時間ではありませんし、朝早い時間に墓参りへ訪れる人もいません。


そのような時に復活は起こりました。
主が十字架にかかっていた時には、御使いは一度も見えませんでした。

大声で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言っても、神様や御使いは何の反応もありませんでした。


人々は自分を救えないイエスを見て嘲笑いました。
「やはりメシヤではなかった。普通の人じゃないか。」と思いました。

しかし、これで終わりではないことが、キリストが神である証明となります。

何よりも復活こそが神である証明です。


死んで終わりであるならば、ただの人です。ナザレ人イエスが死んだだけのことです。

しかし復活があるので 人間ではなく神であることが証明されました。

そしてその復活は事実です。
また、それは何によって証明されたでしょうか。今回、それを検証します。




1.主イエスの預言の的中




事前に何度も「死んで葬られ、三日目によみがえる」と主は話しましたが、その通りになりました。

墓に入ったことは完全に死んだことを意味しますが、そこから自ら出て来ました。

御使いが石を転がす前には すでによみがえっていて墓の中にはいなく、墓の外にいました。
そして生きている姿を人々に見せました。


イエス様は公の場で活動していた時に、すでに死んでいた人を三人も生き返らせたことがありました。

ナインという町に主が行かれた時に、やもめの一人息子が死んでかつぎ出されるところを見ました。

その母親を見てかわいそうに思い、棺に手をかけて「青年よ。あなたに言う。起きなさい」と言うと その死人は起き上がりました。
それを見て人々は恐れを抱き、神を崇めました。


今度は会堂管理者ヤイロの12歳になる一人娘が死にました。

主はその娘のところへ行き、娘の手を取って「子どもよ。起きなさい」と叫びました。
すると娘の霊が戻って来て娘は起き上がりました。


ラザロも死んで墓に入って四日目になりましたが、主は墓の前に行って「ラザロよ。出て来なさい。」と大声で叫ばれました。

すると 死んでいたラザロが生き返って墓から出て来ました。


この三人を生き返らせたことでも、すでに主は自分が話したことばに対して証明して見せました。

ラザロのお姉さんであるマルタに「あなたの兄弟はよみがえります」と主は言いました。


そして「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」と言った後に、墓の所へ行ってラザロを生き返らせました。

これらは主がいのちの主権者であることを表した出来事です。
そしてご自身も死からよみがえることを前もって はっきりと見せた出来事でした。




2. 数人の番兵たちが復活の目撃者




彼ら(番兵)は主の味方ではありません。

彼らは祭司長やパリサイ人たちがピラトの所へ行って、弟子たちがイエスの遺体を盗むことがないようにと頼まれたことで ピラトが出した兵士たちでした。

そして兵士たちはイエスを鞭打ち、十字架につけ、復活を信じない者でした。


しかし 突然大きな地震が起こり、主の使いが天から降りて来て、墓の石を動かす姿などを見て震え上がり死人のようになってしまいました。

夢ではなく現実に自分たちの目で はっきりと見たので恐れおののきました。


そして祭司長たちの所に行って、起こったことを全部報告しました。

その報告を受けた祭司長たちの対応を見ても復活が事実であることが証明されました。


【マタイの福音書28章11-14節】

女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こったことを全部、祭司長たちに報告した。

そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、

こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。

もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」

と言いました。


目撃者にうそを言わせるために多額の金を払うことは、復活が事実であったことを証明するものになります。

十字架につけた者たちも驚かせたのが主の復活でした。




3.主の弟子たちが主の復活の証人




墓を見に来たマグダラのマリヤや他のマリヤが 誰もいない墓や御使いのことばで驚き、それからすぐにイエス様に会い、主は彼女たちに「おはよう」と声をかけまし た。

彼女たちは大喜びでした。それから主の弟子たちが次々と主に会いました。

何度も主に会ったので誰も復活を疑う者はいませんでした。


疑っていたトマスも後に自分の不信仰を恥ずかしく思いました。




4.500人以上の兄弟たちが同時に復活の主に会う




目撃者が多くなればなるほど、それは事実として認められます。


【第1コリント15章6節】

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

これらのことで人々は復活を当然のことのように受け入れました。

聖書の後半部分を読んでも復活に対して異議を申し立てる者はいませんでした。


祭司長たちも後で弟子たちを迫害しても、キリストの復活はうそだとは言えませんでした。




5.主を迫害したパウロが復活の主に会って回心した




パウロの回心は、本人はもちろん誰も予想ができなかったことでした。

彼は誰よりも熱心にキリストを伝える者を迫害し、教会を荒らした者でした。


パウロがダマスコに行って キリストを信じる者たちを縛り上げる目的で進んで行く時に、突然 天からの光で彼は地面に倒れました。

そして声が聞こえてきました。
「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか」 「主よ。あなたはどなたですか。」 「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」


これによって彼は完全に別人になってしまいました。

いくら主のことばを聞いたり、復活の話を聞いても堅く心が閉ざされていた過激派の彼が一瞬にして心が変わり、主の弟子になりました。

そして誰よりも多くの働きをした使徒になりました。

自分が直接目撃したり、体験することが一番影響力が強いです。






もし 今もキリストの復活が信じられないとか、作り話だという人がいるならば、聖書をよく読み、また歴史もよく調べたら良いと思います。読まずに知らないままで否定する人は愚か者です。

確認もせず否定するのはよくないことです。よく調べてから判断することを勧めます。


私たちの罪を贖うために、人間と同じ姿になるしかなかったイエス様でしたが、十字架の死によって贖いの働きを完成しましたので、本来の神の姿に戻るためによみがえりました。

そして、いのちの主として 私たちにも復活のいのちを与えて下さると約束して下さいました。

私たちに起こる復活の姿はこれです。


【第1コリント15章42-44節】

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ 、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

聖徒の復活もすべて主によって与えられる最高の祝福です。


よみがえられたイエス様に心から感謝します。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.4.5
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストの死は何が違うのか?

テーマは 『 キリストの死は何が違うのか 』 です

【ヨハネの福音書10章17-18節】

わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。

だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それを もう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」

今は受難週ですので、イエス様に目を向けて イエス様のことをもっと考えたいと思います。

生まれた人間は 必ず死を迎えますが、“人間の死”と“イエス様の死”は同じでしょうか?
それは全く違うものであります。


キリストの死が すべての人の死と同じであるならば、キリストの死には何も特別な意味はありません。

(イエス様は)2千年も前に亡くなった方ですが、普通ならば既に亡くなった人の死を、いつまでも語る必要はありません。

しかし、今もずっとキリストの死が語り続けられているのは、その死がほかの人間の死とは 明らかに違うからです。


キリストは生きている時に、既に 自分の死について語り続けました。
イエス様は33歳で亡くなりました。
30歳から公の場で働きを始めましたが、その時から「死」のことを語っておられます。
年を取った人が死について語るのは不思議ではないです。

しかし 一番力に溢れ、働き盛りの30代前半の男性は いわば「死」とは無縁ですが、自分の死に関して何度も 語りましたので、周りが聞いたら不思議だったと思います。

そして、33歳の時に イエス様ご自身が語られた通りに十字架にかかり死にました。


自分の死に対して「自分から命を捨てるのです。」と言いました。

この世が辛くて死にたいから 自身の死のことを語ったのではないです。
(イエス様は世に対して「嫌だ」と言ったことはないです。)
イエス様は自発的に天から地上に来られましたが、死ぬ時も自発的な死でありました。

これは 誰かが無理やり「死になさい」と言ったのではないです。

この「自発的な死」が、『キリストの死の特徴』です。


ここで なぜ「自発的な死」が必要であったかを考える必要があります。

「自発的な死」でないならば、本人は死にたくないのに(いじめなどで)誰かの強要で自殺に追い込まれることが世の中では起こっています。

しかしキリストが十字架に至るまでの過程は、様々な人間が関わって十字架にかけ 他人によって殺された形にはなっていますが、キリストはそれらのことが起 こる前に 「自らいのちを捨てます。」と自分の死について預言を語り、その死は「自発的な死」であることを明らかにしました。


その「自発的な死」はこのためであります。

人々は普通なら「長生きをして 人々に役立つ働きをしよう。」と考えます。
でも、イエス様はたった3年間しか働きをしていないです。

なぜイエス様に自発的な死が必要だったのでしょうか?それは次の箇所に書かれています。


【ヨハネの福音書10章10-11節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

盗人とはサタンのことです。そして もう1人の盗人は宗教指導者・偽預言者たち、言わば惑わす者であります。
当時も、宗教指導者たちは盗人でした。サタンがその宗教指導者たちの中で働くのです。


その者たちは神様の言葉を伝えますが、イエス様から見れば 全てが「盗人」でありました。
それは魂に関心がないからです。
自分の目の前にいる魂が、狼の餌食になっているのに 魂に関心がなく、自分の地位や権力・豊かな生活に関心があるのです。ですから、羊を食い物にしているのです。

そこでイエス様が羊のために働きをすると、彼らは妬み、敵対し、殺したいと思いました。その姿は盗人であります。
そして、狼が羊を襲うと、彼らは自分の命を守るために逃げるのです。


しかし、イエス様は違いました。
キリストの自発的な死は、羊のために自らがいのちを捧げたことが分かります。

旧約時代においては、神様のことを「羊飼い」と表現しました。民たちのことは「羊」と言いました。

ダビデも詩篇23編で「主は私の羊飼い」と呼びました。


【イザヤ書40章11節】

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

ここには良い羊飼いとしての神様の姿があります。
羊を飼い、世話をし、弱い子羊を引き寄せて主のふところに抱くとは どれほど主は優しいお方でしょう。
これが神様の姿であります。


それは、自分自身が全人類の救い主であることと、主ご自身が神であることの宣言です。


キリストの十字架の死は、本当は(私たち)羊が死ななければならないのですが、代わりに死んでくださったのです。

キリストの死の自発性は 人類の救いにおいては、必要不可欠な要素です。
もし、イエス・キリストの死が自ら選んだ死でないならば、人類を贖う効力(救い)が そこにはないです。
これでは(キリストは)死にたくもないのに殺された ということになるからです。


次の箇所では、キリストの死が自発的であることと、羊のためであったことが書かれています。


【Ⅰペテロ2章24-25節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、 自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

キリストの自発的な死のことも書かれていますし、イエス様が私たちの魂の牧者であることと 私たちは羊であることがはっきりと書かれています。

キリストは自分のいのちを捨てる権威があると語りました。そして、自分にはもう一度(いのちを)得る権威があることもヨハネの福音書10章に書かれています。これは、蘇るということをイエス様が宣言したということです。

つまり「死では終わらない」ということであります。

なぜなら、羊にいのちを豊かに与えると約束されたイエス様が 蘇らないならば、いのちがないのですが
復活することによってイエス様が語った通りに、羊にいのちを豊かに注ぐことができるのです。


「死」が無ければ 罪人の贖いはありませんし、キリストの「復活」が無かったなら 永遠のいのちが与えられることもありませんでした。 つまり福音が存在しなくなります。


福音には必ず十字架の死があり、その後に必ず復活があります。これで完全な贖いになります。

罪人たちが死ななければならないのに イエス様が代わりに死に、そして命を得る時にイエス様が3日後に墓から復活したので命が与えられています。


また、キリストの死は さらに他の人たちとの違いがあります。それを みことばで紹介していきます。




従順の死



【ピリピ2章8節】

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

イエス様は神様がたてられた自分の計画に対して、たとえ死ぬことであっても従順しました。




代表者としての死



【ローマ5章19節】

すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

ひとりの人の不従順とは、人間の代表者であったアダムです。

原罪というものがありますが、人間は生まれがら罪があります。
しかし人々は、罪を知らないので 赤ちゃんを見て、「この子には罪がないです。」と言うのは聖書的ではないです。
まだ自らは罪を犯していなくても アダムから来た原罪の罪があるのです。

すると人々は「それは関係がないでしょう?アダムが犯した罪なのに、何で私が背負わなければならないのか?」と反論します。


もし このように言われたら、皆さんはどうしますか?
アダムは神様が一番初めに造った人間ですので、神様から見たらアダムは人間の代表者です。

この人間の代表が罪を犯したので、それに属するすべての者が汚れた者になっているということになります。


また、“ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです”というのは、イエス様が人類の代表者になるということです。その方の従順によって全人類の罪人たちが義人になるチャンスが与えられたことになりました。


私たちは「アダムのせいで私は滅ぼされるのだ」と不平不満を言う必要がないです。
なぜなら、イエス様が他に救いの道を備えてくださっているからです。

もしイエス様が代表者でないならば、1人の罪を贖うためにイエス様は毎度も死ななければならないのです。
この地球上に70億人が住んでいます。その人たちを救うためにイエス様が70億回死ぬことになりますが、それは出来ないことであります。


ですから、代表者を1人たてて(人々の罪を)イエス様が背負って死ぬならば、他の人たちが十字架にかからなくても イエス様を見て信じる者には神様がそれを認めて義人にしてくださるということです。これが神様の法則であります。

1人の罪人(アダム)によって全てが罪人になり、1人の従順(イエス様)によって私たちが義人になる道が開かれたのが「イエス様の死」です。




無罪の死



【ヘブル7章26-27節】

また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。

ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。 というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成した遂げられたからです。

ここに書かれている通り、イエス様は罪人を救うために共にいましたが、彼らと一緒になって罪を犯したことは1度もありませんでした。

無罪で死んだこの方こそが 私たち罪人を救うことができます。

誰が「私にはあなたは要りません。」と言えるでしょうか?
もし そう言うならば、その人は未だに自分が罪人であることを分かっていない人です。

分かっているならば、拒むことはできません。

もし自分が罪人であることを知っているならば、“誰が私をここから救い出してくれるのか、どうやったらこの罪が赦されるだろう?”と求めるようになります。

それに必要な方がイエス様であります。


しかし、イエス様を要りませんと言う人は、自分の罪の代価を自分で払わなければいけないのです。

神様はそのことを知っていましたので 私たちにとって必要なイエス様を無罪であるにも関わらず十字架にかかるようにしてくださったのです。
それによって神様と敵対関係にあった私たちが和解するようになりました。

そこで自分の罪を悔い改めた人は、神様から罪が赦されて、神様の子供になり和解できるのです。


歴史の中でイエス様以外に全人類のために命を捨てた人はいません。
自分の名誉、権力、利益、家族のために命を懸ける者はいるのですが、まったく関係のない全人類のために 罪がない者が死ぬということはないです。

イエス様は自発的にそれをしましたし、死にいたるまで従順しました。
私たちのために犠牲の死を払いました。


この特別な方は、私たちにとって なくてはならない必要な方であります。

「イエス様がいなければ、今も自分の罪の中にいますし、救いとは無縁な者でした。そして天国にも入られない者でした。」ということを自覚して欲しいです。

私たちのために命を捨ててくださったイエス様に、常に感謝をして“この恵みこそが 私たちにとって最も大きな恵みであること”を覚えて感謝しましょう。
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2014.4.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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