八戸ノ里キリスト教会より ワンコイン英会話教室のお知らせ
テーマは 『 主の心に適ったモーセ 』 です
【出エジプト記33章17-19節】
主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」
すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
モーセの生涯は生まれた時から死ぬまで、色々あり過ぎるので 一度に語ることは難しいです。
今回は、モーセがなぜ 主の心に適う者であったのか、それだけに絞って語ります。
エジプトで430年間も奴隷生活をしていたイスラエルの民を解放するために、神に選ばれた人がモーセでした。
力もない1人の人間が、200万人近い奴隷を 大国エジプトから解放して連れ出すことが可能でしょうか。
それは不可能なことでした。
神には奴隷から解放する計画があっても、モーセは考えたこともなかったので、主から言われた時に、戸惑ったモーセは 自分のような者にそんな働きが出来るわけがないと辞退を申し出ましたが、神の説得でモーセは主のことばに従いました。
そして神の力と助けによって、主のことば通りに民を奴隷から解放し連れ出し、40年後約束の地カナンの入口まで導くことが出来ました。
その時に見せたモーセの姿は、本当に主の心に適う姿であったと自分でも思います。
主の心にかなった姿はこのような姿ではないでしょうか。
主への忠実な姿
【第1コリント4章1-2節】
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。
忠実さを要求した神に 彼は答えました。
モーセは選ばれた時から死ぬ時まで忠実でした。
40年間、イスラエルの民を率いて 荒野での生活は大変な苦労がありました。
大変な苦労とは 生活の苦しみではなく、神の恵みがあっても絶えず恵みを忘れてつぶやく民、神に忠実な姿はまったくなく、神を悩ませる民、少しでも不満があるとそれをいつもモーセのせいにして非難する民のことがモーセには一番苦しかったです。
それでもそこから逃げず、最後まで神が任せた民の世話をしたことがモーセの忠実な姿でした。
ヘブル書で主がモーセの忠実さを高く評価しました。
【ヘブル3章2節】
モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。
任された小さな働きに対しても 忠実な人を見ると安心します。
しかし残念ながら多くの人は忠実ではなく、主の働きを自分の都合で勝手にやめます。
ですから主はこのように言われました。
【ヨハネの黙示録2章10節】
死に至るまで、忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
主に忠実な者に 主は恵みを与え、あわれんで下さいます。
主への従順な姿
一番信仰ある人は神のことばを信じて従順する人です。
神のことばを無視したり、軽んじたりする人が 神を愛する人、信じる人でしょうか。
従わない信仰は死んだ信仰です。
信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。
荒野での40年間、イスラエルの民はとにかく神のことばに逆らい続けました。
神もそれにはうんざりして何度も彼らを滅ぼそうとしました。
神は、従うモーセだけは生かすと言われました。
それを聞いて、民のために必死にとりなしをするモーセの祈りで、民は滅ぼされず生き延びました。
モーセは主から言われることは何でも従いましたが、民は正反対でいつも不従順の姿でした。
従順するモーセの姿を学ぼうとせず、うなじのこわい民で、肉の思いだけが強くて神への関心もありませんでした。
モーセの信仰を見ると、いつもそこに付くことばがありました。
主がモーセに命じられた通りである。
細かいことに対してもモーセは、主のことばをよく聞き、命じられた通りにしました。
これが主の心に適う姿です。
主と人の前で謙遜な姿
モーセは指導者です。
神に愛され、神に用いられました。
神の力で奇跡も不思議なわざも行いました。
こうなると高慢になる人が多いですが、モーセはますます謙遜な者になりました。
謙遜は主に喜ばれます。
【ヤコブ4章6節】
しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
神に忠実、従順な人は、当然 神の前でへりくだります。
しかしモーセの謙遜は人の前でも同じでした。
モーセにつぶやく者に対してモーセが見せた姿です。
【民数記14章5節】
そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。
【民数記16章4節】
モーセはこれを聞いてひれ伏した。
モーセが悪いことをしたから民に責められているのではないです。
この時も悪態をついているのは民の方でした。
モーセは悪に対して悪で報いず、ただ怒り狂っている民の前にひれ伏しました。
これは謙遜な姿です。
モーセは相手が多くて勝ち目がないので ひれ伏しているのではありません。
神がこれらを見て怒り、彼らを滅ぼそうとした時のモーセのことばを聞けばわかります。
【民数記14章19節】
あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。
これは、なかなか口に出来ないことばです。
しかしモーセは神の栄光が現れることを いつも願っていましたので、神の赦しと憐れみが現れるように願いました。
どんな時でも民を愛する指導者でした。
そして主の栄光が自分のプライドよりも優先でした。
聖書が記録するモーセの謙遜な姿です。
【民数記12章3節】
さて、モーセという人は、地上のだれよりにもまさって非常に謙遜であった。
このように神に対して忠実、従順、謙遜な人が神の心に適わないわけがないですね。
私たちが神の心に適う者になるためには、これらのものすべてが必要です。
三つの中で一つもないのが 私たちの現状かもしれないです。
ですから神の心に適う者といまだに言われてないですね。
開き直るのではなく、「わたしの心に適う者」と言われるように目指したいと思います。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3
2018.7.8
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