からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

霊的生活

聖徒の霊的生活とは

テーマは 『 聖徒の霊的生活とは 』 です

【ピリピ3章17ー21節】

兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

聖徒とは、キリストがご自身の血の代価を払って買い取り、“神の所有とされた人たち” の事です。


聖徒は 天国の国籍を持っている 天国の市民です。

天国の市民として、この地上で生きていくためには、以前とは違う生活が要求されます。


キリストに見習う生活、キリストのための生活、キリスト者として より成熟した生活です。


それらの生活は聖徒の霊的生活ですが、具体的にどのようなことかを 今回は学びます。




キリストに見習う生活




キリストは、神である方が “人間を罪から贖う目的” を持って 人間になられました。

そのために支払った犠牲はすごいものでした。


その犠牲の愛と、十字架の死と復活を信じて救われた人が、今度はキリストに見習う生き方をしなければなりません。


天国の市民になったならば、すでに地上でも それにふさわしく生きるのは当然だと思います。

聖徒にふさわしく生きるために、キリストに見習うべきことは色々ありますが、絶対外せないものがあります。


それは、「 聖、愛、真理 」です。


 聖 について 


【第1テサロニケ4章3ー5節】

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、

各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、

神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、

【ヘブル12章14節】

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。


 愛 について 


【第1ヨハネ4章7ー8節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

【第1ヨハネ4章16節】

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


 真理 について 


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

【第3ヨハネ3ー4節】

兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。

私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。

聖徒であっても真理に歩んでいないと、あっという間に真理とは反対の道を歩みます。

そして十字架の敵として歩みます。


すなわち真理を愛さない、信じない、真理に逆らう、真理から耳をそむけることになります。

そして道に迷い、サタンのわなに陥り、惑わされてしまいます。


真理の中を歩むことは、“キリストの中で歩むこと” です。




霊的競走に励む生活




聖徒は天国を目指して歩む人たちです。


オリンピックの陸上競技に出場する選手たちは、どんなに苦しくても日々訓練し、そして試合に出ると決められた道を全力で走ります。


そこには怠ける姿勢も、言い訳も、諦めることもないです。

体の調子が悪くてもやります。

たとえ最下位になっても、ゴールに向かって全力を尽くします。



天国を目指す人がゴールまで辿り着かないならば どうなりますか?


入れないのはもちろんですが、地獄行きになります。

これだけは避けないといけないです。


(人生・いのち は) 1回限りの競走であることを知らないといけないです。


【ピリピ3章12ー14節】

私は、すでに得たのではなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

霊的競走は決して楽ではないです。

様々な邪魔や誘惑もあります。

それでも足を止めて やめてはいけないです。


なぜならば理由があるからです。


【ローマ8章18節】

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

先にあるものがあまりにも素晴らしいものですから、それを思いながら競走に励むことです。




霊的戦いの生活




この世には、目に見えない霊的戦いが絶えずあります。


見える世界の裏にある “見えない世界での戦いが より厳しくて激しい” です。


見える世界も見えない世界も造ったのは神です。


暗闇の世界では サタンと悪霊がつねに働き、彼らは悪いことしかしません。


神に敵対し、信じる者の信仰を邪魔して信仰から離れさせ、神から離れさせ、滅ぼすためにいつも働きます。

信じない者はすでにサタンに支配されています。


サタンは、信じる者に対して戦いを挑んでくるので、聖徒はそれに対して霊的戦いをしないといけないです。


【エペソ6章11ー13節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

【ヤコブ4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

神は霊的戦いを避けるように、そして逃げるようにとは一度も語ったことがありません。

この戦いは、“立ち向かって勝利” するように命じられています。


イエス様は悪魔に勝利した方です。


悪魔が持つ死の力を打ち破って、復活したことでサタンに勝利しました。



主のことば通りに、神の全能の力と神の武具を着けて、恐れず悪魔に立ち向かうならば必ず勝利します。


聖徒はこのような生活をするように召されていることを自覚して、その生活をしていきましょう。


礼拝に参加するだけで、信仰生活をしていると錯覚しては困ります。

キリストが「しなさい」 と言われたことを していくのが 信仰生活です。


キリストを愛するならば、キリスト中心の生活になります。
(。・ω・)ノ゙


2017.9.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神のみこころに従って生きる日常生活

テーマは 『  神のみこころに従って生きる日常生活 』 です

【第1テサロニケ5章19-24節】

御霊を消してはなりません。

預言をないがしろにしてはいけません。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

先週の聖餐式の後に 神様が急に語ったことばがありましたので、皆さんに伝えました。


神様は「良いものを守りなさい」と語りました。

その時に少しだけ説明をしましたが、主がなぜそのことを語ったのでしょうか。


私たちはあらゆることを見て、今の時代が 以前とは違う終末の時代であることを見ていますし、感じています。

終末ということばは 今に始まったことばではなく、昔の人々もその時代を見て語っていました。



終末は まだ来ていない “未来” のことですが、既に自分たちが生きている生活の場、自分の人生の中で動いている人生の過程の延長とも言えます。


終末と言っても何か特別なものとして現れるのではなく、今のように 日常があり、その先にあるのが終末です。


ですから私たちは今の平凡な日常生活の中で 終末論的な霊性をもって生活しないと、主の再臨を喜んで迎えることが出来ないだけではなく、主に責められるようになります。


パウロは終末を生きている聖徒たちに「神のみこころに従って生きる日常生活」を教えました。


今日はそのことについて学びます。




「御霊を消してはいけません。預言をないがしろにしてはいけないです。」




神によって生まれ変わった人の生活は、肉の欲望や自分の思いのままに生きる生活ではなく、御霊に導かれて、御霊と共に歩む生活です。

そのような生活をするには御霊を消しては出来ないことなので、御霊を消してはいけないです。


御霊を消すことはどのようなことでしょうか?


御霊は神なので、実際に私たちがその存在そのものを消すことは出来ません。

本文での “御霊を消してはいけません” の意味は、聖徒が御霊の御心に反抗したり、その導きを拒否して、聖霊の活動を制限することを意味します。

つまり 聖霊が働けないように邪魔をしたり、妨害したりすることです。


聖霊は信じた時から私たちの中におられ、天国まで導く方ですが、クリスチャンになったからと言ってすべての人が聖霊に従って生活しているとは言えないです。


自分の欲望のために聖霊の導きを負担と思い、神の声を聞くことを嫌がります。

皆さんもこのことを経験していると思います。



いつも喜んで神の声を聞き、導きに従っているでしょうか。

自分の思いと合わなかったり、自分の計画と違うと、神様の導きよりも自分の思いのままに動くことが多いです。


そのような自分の思いがあるので、神から預言のことばを聞いても それをないがしろにします。


私自身、神のことばを伝えたのに、それに対して腹を立てられ攻撃されたことが今までに何度もありました。

そして聖霊の賜物に対しても否定したり、不道徳な生活を続けるとそれは神の品性とは合わないので聖霊が悲しみ、それによって聖霊の活動も制限されます。


聖霊の活動が止まると、信仰生活の中で喜びが消えるのはもちろん、聖霊の実を結ぶことも出来ません。
そして心の中には不安と恐れ、葛藤が生まれてきます。


イスラエルの初代王であったサウルが聖霊に従った時には 彼自身聖霊に満たされて良い実を結び、心も平安でした。
しかし神に逆らい始めた時から、彼の心から喜びも平安も消えて、不安と恐れに悩まされるようになりました。


ダビデも神の言葉に違反して罪を犯した時には聖霊の活動が止まり、彼の心からも平安が消えて、毎日葛藤の続く生活をしました。


神の霊的権威に逆らう生活をすると信仰生活に混乱が生じ、健全な霊的生活は出来なくなります。


士師時代の一番大きな問題は何か分かりますか。
士師記の最後のことばが問題の核心です。


【士師記21章25節】

そのころ、イスラエルには王はなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

王がいないことが問題ではなく、イスラエルの王である神のことばに従うことをせず、皆 自分がしたいようにしました。これが問題でした。


聖霊がなさることを、いちいち人間があれこれと判断し始めると恵みは消え、冷たい律法という物差しと自己義だけが残ってしまいます。

それでは良い実を結ぶ信仰生活は出来ません。


御霊を消さないためには自分の不信仰と かたくなさとを捨て、自分の経験に頼らず、神の導きとみことばに頼ることです。




「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」




肉の欲に従う人に欠けているものは、正しい分別力と判断力です。
なぜなら、欲に目がくらむからです。


しかし私たちのうちにおられる聖霊に支配され、聖霊に導かれるならば、聖霊は私たちに悟りを与え、導いて下さいます。


良いものと悪いもの、有益になるものと害をもたらすもの、創造的なものと消耗するもの、永遠のものと一時的なもの、神が喜ぶものと神が悲しむもの、神の国と世のものを分別させ、私たちの人生に良いものが残り、それによって良い人生が送れるように助けて下さいます。


【ピリピ4章8-9節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいて下さいます。


本当に良いものを堅く守るために、自分が良いと思うものではなく、神が良いと思うものが何かを知ってそれを受け入れ堅く守ることです。

日常生活の中でいつも神の基準に従って何が良いものなのかを試し、良いものだけをつかんでそれを奪われないように守ることです。




「悪はどんな悪でも避けなさい。」




良いものを堅く守るためには、悪を避けなければなりません。
悪は良いものを傷物にし、ダメにしてしまいます。


外側だけ敬虔なパリサイ人や律法学者に対して、主は厳しく彼らを叱りました。

彼らが悪を避けず、それを自分たちの中に持っていたからです。


【マタイの福音書23章25ー28節】

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。

目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

彼らのような生活を もし私たちがいま続けているならば、それは主の再臨を待ち望んでいる人の生活とは言えず、終末を生きている人としてふさわしくありません。

なぜなら必ず主に責められるからです。


聖徒たちは平凡な日常生活の中でも、聖別した生活をしないといけないです。

主が 「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でありなさい」 と命じているからです。


形式的な宗教生活で自分の魂が救われるのではないです。


神の御心に従い、御霊の良い実を結ぶ人は 主の再臨の日に恥を受けることはないです。

そして そのように生きる時に、霊、魂、体を主は守って下さいます。


時間は止まることなく、確実に世の終末に向かって進んでいます。

いま私たちは終末に向かって日々歩んでいます。


誰もが主の前に立つようになります。


その日が、恥を受ける日、後悔する日にならないようにしましょう。

そうではなく、すべての労苦が報いられる日、喜びの日になるようにしましょう。


神の御心に従って歩んでいる人の終末は、希望ある明るい終末です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2015.8.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

曜日別の祈りです(リニューアルしました)
今日の祈り

神様からの警告のことばです(新コーナー)
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

霊的生活は どう破滅するのか

テーマは『 霊的生活がどう破滅していくのか 』です

【へブル2章1-4節】

ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、

私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、

そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。

神様によって救いだされた人々は、新しく生まれた者ですので当然のように成長していかなければならないです。

霊的生活をしながら成長していかなければならないです。
しかし、成長せずに生まれたままの姿で自分は大丈夫だと思っているならば、その人はいつかは神様に背を向けて堕落していく危険がとても多いです。すると当然の処罰を受けるようになります。

私たちは、救いを受けたならば その救いは自分が持っているものの中で一番優れたものであるという認識が必要です。

この認識がないと、素晴らしい救いをないがしろにしてしまうのです。
本当に価値あるものは誰もないがしろにしないと思います。
しかし救われたのに、救いに対して価値を知らないと ないがしろにします。自分の思いのまま生きるのです。


そうなると、みことばから離れていますので押し流されて霊的に漂流する者になります。
しっかりと希望の港に留まっていないといけないのですが、勝手に動き出すのでいつの間にか広い海へ流されて
どこへ行くのかも知らないで、戻ろうとしても戻ることが出来なくなるのです。

救いはイエス様の中にしかないので、自分が勝手に神様から離れて他のところで「救ってください!」と叫んでも
誰もそこから救い出すことが出来ないです。


私たちは神様が願う信仰の実を結んでいかなければならないです。しかし、私たちは救われただけで
洗礼を受けただけで安心して何もせず、神様の前にも来ないで、みことばも読まず、祈りもしないで、霊的生活を
一切しないならば、その魂が実を結ぶことは有り得ないです。

世のことはだんだん好きになるのですが、みことばを読むのはだんだん面倒になります。
そして堕落する生活をするようになります。それが霊的堕落に繋がっていきます。

クリスチャンだから、救われたからと言って全員が天国に入るのではないです。
救いをないがしろにするならば当然のように処罰を受けることが、このみことばに書かれています。
誰もがその危険性があります。十二弟子もイエス様を一時的に見捨てました。




【へブル3章7-11節】

ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。

あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。

だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。

わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」

心が頑なになって、みことばに従わない姿勢は、不信仰の心であります。頑なな心は従順しない心です。

クリスチャンが生きる目的は主です。イエス様のために生きる道なのです。

私たちは自分の考えで生きる者ではないのです。自分の考えで生きるのは肉に属しているのです。
しかし神様の子どもになったのなら、主人が誰なのか、主の言葉が一番なのです。
ですから、頑なな心は砕きなさい。それはあなたの魂を滅ぼすものであると語ります。


【へブル5章11-13節】

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。

あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。

【へブル6章4-8節】

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。

成長しないのは怠けているからなのです。

成長することに関心がなく、怠けている人たちは、みことばを聞いても耳が鈍いです。
反応しない耳になっています。

成長したいと願う人は、いつも耳が開いていて神様の言葉を1つも漏らさず、
聞いて実行し自分の栄養にして成長する気持ちが強いです。

聖徒は自分のためだけではなく、主のため、教会のため、人々のためにも霊的に成長しなければならないです。
そのために努力をしなければならないです。

努力をすることの基本は、まず みことばを食べることであります。
みことばを食べる人はどんどん大きくなっていきます。




【へブル10章26-31節】

もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。

心が悪くなって罪を犯し、みことばをあざける人たちの姿です。

これは神様を信じていない人の姿ではないです。神様を信じていない人は、神様を裏切るということもないです。

つまり「真理の知識を受けて後」ということは、神様を知っている者たちの姿です。
悔い改めないで良心までも麻痺されて罪を犯しながらも 平気に生きているのです。
そして口先だけで「神様、赦してください。」と言いますが、生活そのものは立ち返っていないです。

イエス様は罪のいけにえになって十字架にかかりました。その十字架にかかったイエス様を無視し続けるならば、
誰が自分のための仲介者になるでしょうか?―― 誰もいないです。
誰もいないので滅びるしかないです。




【へブル12章25節】

語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。

神様の言葉は福音であります。たとえ警告の言葉であっても、私たちの魂にとっては良い知らせなのです。
その言葉を聞いて私たちが立ち返るならば、自分の命を守ることができます。

神様は必ずみことばに書かれた通りに裁く方であります。




霊的堕落を止めるために

  • 真理の言葉に対して正しい知識と信仰を持つべき
  • みことばを正しく悟って、みことばの上に堅く立って日々の信仰生活をすることが大切
  • 罪の誘惑を断ち切らなければいけない

神様が願う道から離れて自分の思いのままに生きるのが堕落であります。
自分の中から出て来る誘惑もあります。

間違えた悪い考え、頑なな心、毎日の罪の習慣、これをし続けるならば滅びてしまいます。

これらを潰していかないと、サタンがそのにおいを嗅いで近寄ってくるのです。


【へブル3章13節】

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

心が頑なということは、罪に誘惑されているのです。
神様の言葉を握っているなら心が頑なにはならないからです。


【箴言4章14-15節】

悪者どもの道に入るな。悪人たちの道を歩むな。

それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。

このように語るのは、罪が誘惑をするからです。誘惑される場所に近寄らないことであります。
小さな誘惑でも私たちは断ち切ることが大切です。

堕落するならば、永遠の刑罰があることを覚えなければならないです。

自分が今、いばらとあざみを生えさせているのか、それとも神様が喜ぶ実を結んでいるのか、
自分の姿を見たら分かると思います。

神様は、成長して実を結んだ人だけを安息に入れるのです。これを忘れないようにしましょう。 (⌒-⌒)

2013.10.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ