からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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霊的戦い

悪魔の正体と策略

テーマは 『 悪魔の正体と策略 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

聖書には神の存在だけでなく、悪魔の存在も現れています。


そして、悪霊が 人間や人間世界に及ぼす悪い影響に対しても詳しく教えています。


イエス様も悪魔と戦いました。

そして 私たちもこの悪魔と戦うように言われました。


この教会では、いつも霊的戦いをしていますが、ますます悪魔の働きが強くなっているので、身を慎み、目を覚ますために さらにしっかりと悪魔の正体と策略に対して学びます。




悪魔の正体



悪魔には様々な姿があるので、それによって呼ばれる名前も違います。


聖書の中にある名前だけでも、20以上はあります。

  • 暁の子
  • 明けの明星
  • 悪魔
  • サタン
  • ベルゼブル
  • 悪い者
  • 人殺し
  • 偽り者
  • 世を支配する者
  • この世の神
  • ベリアル
  • 空中の権威を持つ支配者
  • 暗闇の世界の支配者
  • 誘惑者
  • 死の力を持つ者
  • 底知れぬ所の御使い
  • アバドン
  • 大きな赤い竜
  • 古いへび
  • 全世界を惑わす者、訴えている者

などがあります。


聞いただけでも悪者の姿が想像出来ます。

悪魔は アダムとエバを堕落させ、彼らの祝福を盗み、神との関係を壊し、死をもたらした悪い存在です。

そして今も同じことを人間や世界にしています。


悪魔が堕落した天使であることは、クリスチャンならば知っています。

霊の存在であり、霊の世界に対してはとても詳しいです。


霊の世界は 架空の世界ではなく、“現実よりもリアルな世界” です。


すべてのものは 霊の世界から始まりました。

物質の世界は、後から創造されました。


神が遣わす御使いは聖徒に仕える霊ですが、悪魔は聖徒たちを攻撃する悪の働きをします。


(悪魔は)死の力をもって人々と世界を支配する、暗やみの支配者です。

軽く見てはならない存在です。

策略家であり、世界でどんな悪でも平気に行う存在で仲間がたくさんいます。




悪魔の働き



今日の本文にあるのが悪魔の働きです。


ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています。

活発な働きを全世界でしています。

戦争もテロも事件も、悪魔の働きによるものがほとんどです。


獅子が獲物を捜すのは 食い尽くすためで、その手にかかれば、いのちが危険です。

イエス様が語ったことばが、ヨハネの福音書にありますが、これは悪霊の働きを見せてあります。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。

人殺しが計画的に人を殺すように、悪魔も計画的に人を狙って働きをします。

悪魔は今も激しく神に敵対するために活動しています。


そのために教会を攻撃し、信徒たちを誘惑し、あらゆる手段を使って人々が救われないように妨害します。


神様とは反対のことをするのが 悪魔の働きです。

悪魔は働きのために緻密な作戦や策略を立てて実行します。


この策略を聖徒たちは知らないといけないです。


信じてない人たちはサタンの支配下にあるので、いつでもサタンは好きなように出来ます。



サタンは、豊かに祝福することも出来ますし、成功させることも出来ます。
しかしサタンは 彼らのたましいを手に入れてあるので、最終的には地獄に突き落とします。


そして、その結末に大喜びする恐ろしい悪魔です。


聖徒を落とすためには霊的戦いが必要なので、悪魔は、神に敵対する時には 巧妙な策略を立てます。


多くのクリスチャンたちが サタンに対して無知で、霊的戦いに対しても知らないのでほとんど悪魔が勝利しますね。


クリスチャンたちは教会に通っているだけで満足し、世の人と変わらない霊的状態です。


霊の目も耳も開いていなく、ラオデキヤ教会のような状態がとても多いです。


サタンから見たらありがたい状態で、とても働きやすい環境です。




悪魔の策略



実際に悪魔に長い間 仕えていた人から聞きました。

びっくりするような内容が色々ありました。


悪魔に対しても、その策略に対しても何も知らないクリスチャンが多過ぎることは怖いことです。


聖徒が “キリストの兵士” と呼ばれるように、悪魔にも “悪魔の兵士” と呼ばれる者たちがいます。


彼らはすごい策略を持って、キリストの兵士たちを攻撃して勝利しています。

ものすごい力を持ってありますし、とても熱心です。


しかしキリストの兵士たちの多くは 寝ていて、サタンの捕虜にされてしまいました。

サタンに悩まされています。


悪魔の策略は、まず地域に呪文や呪術をかけてイエス・キリストの真理が入らないように妨害します。

その地域に貧困、病気、淫乱、暴力、麻薬の霊などを送って、その霊が地域を支配するようにします。


世界や地域を見ると よく分かります。


日本もその霊に強く支配されているので、福音が入らないです。

偶像が盛んです。


神の命令で、初めて八戸ノ里に来た時も、強いサタンの力を感じて、恐れと不安が出たので道端に立ったまま祈りをしましたが、体が震えた記憶があります。


そして教会開拓をしたくない思いが出ました。

しかし神の命令があったので開拓をして 今に至りました。






2年前に神様が夢でこの地域を支配しているサタンの陣地をはっきりと見せて下さり、人々が霊的にサタンに捕えられ縛られていることを見ました。

そのことをはっきり覚えています。

サタンの働きがどれほど強いかを見せて下さいました。


アルコール、ギャンブル、麻薬、スマホ中毒など、中毒と呼ばれる状態は99.99%サタンの働きです。


サタンは最初 (その人に)“一回だけ”と誘惑をします。

そして快楽を与えます。


それがまだ弱い時は抜け出ることも出来ますが、中毒にかかると自分の意思では もはや無理です。


それはサタンに完全に支配されてあるので、そこから抜けることは 本人の意志では不可能で、霊的戦いが必要であり、神の助けが必要です。


悪魔は、人々の心に 自分たち(悪魔)を神のように信じる心を入れ、真理に対しては疑いを入れて 真理を信じないようにし、十字架を否定するようにします。


たとえ信じたとしても十字架から分離させるために、真理が悟れないように攻撃します。

人は救われた瞬間から戦いが始まります。
それはサタンとの戦争です。


救われた人には、“神の目的と使命” がありますが、サタンはその目的と使命を私たちから取り除こうとします。

そこからサタンとの戦争が始まり、サタンが激しく攻撃してきますが、多くの人はそれを神様のせいにします。


悪いことが起こると すべて神様のせいにして、誰もそれをサタンのせいにはしないです。

教会の外にいる人も教会の中にいる人も同じことを言います。


病気、苦難、貧困、出世が出来ないことなど、人生で起こる様々な問題を 全て神様のせいにします。
これは間違いです。


誰もサタンの仕業と思わず、神のせいにして神を攻撃するので 人々は神から離れ、サタンの存在には気付かないので サタンは自由に好きなことが出来ます。


それがサタンの巧みな策略です。

神のせいにして神から離れさせる作戦です。


長く教会に通っていても真理を悟ってないならば、(真理を悟らないように)サタンによって覆いが掛けられています。


そして形だけの信仰にさせます。
多くのクリスチャンが “名ばかりのクリスチャン” です。


真理を悟り、真理によって自由にされ、キリストの兵士として戦って勝利している人は少ないのが残念です。


サタンは、人の弱点をよく研究しているので、弱い所を誘惑し集中的に攻撃します。


すると その攻撃で、ほとんどの人は誘惑されてしまいます。

誘惑されないために必要なのが霊的訓練です。


罪と肉の欲と戦って勝利するためには、自分の肉を打ち叩かないといけないです。


それが霊的訓練です。

肉のものがあればあるほど、悪魔がそこを誘惑し攻撃します。






教会の中で働く悪魔の策略には、何があるでしょうか?


一つ(一致)にならないように、“分離の霊” を入れます。


この霊が働くと 妬みや高慢、非難、悪口、不満が出て来て、愛し合う代わりに分裂、分派が起こります。

そして愛の交わりが出来なくなります。

信仰状態が悪くなり、人々は救われなくなります。


また“惑わしの霊” を入れて、真理から離れるようにして偽りを信じさせ、信仰を堕落させます。


そして“メッセージを使う策略” もあります。

教会が人々に、幸せと恵みだけをメッセージするように仕向けます。


これは信徒たちにアメだけを食べさせることです。


人々が教会に来る時には “罪、呪い、問題、サタンの縛り、病気、悩み” などを持って来ます。


その時に必要なのは、そこから自由にさせることです。

捕らわれた人には解放を、囚人には釈放を告げ、悲しむ者には慰めを、病人にはいやしの働きをしたのがイエス様でした。


幸せと恵みのメッセージだけでは、そこから自由になることは出来ないです。

まず悔い改めさせ、悪霊を追い出し、癒しを行って自由にさせる必要がありますが、それをしないで恵みのメッセージだけを伝え、何も起こらないようにするのもサタンの策略です。


サタンは その働きが教会で出来ないようにして、人々がいつまでも縛られたまま自由が何かも分からず、幸せと恵みだけを求めるようにします。


たましいの状態を何も変わらないようにします。
そこが悪魔の狙いです。


人は霊的手術が必要であり、罪からの自由が必要です。


個人の領域での悪魔の策略は、私たちの “ことばと感情” を使います。

絶えず否定的なことば、非難のことば、悪いことば、攻撃的なことばを使うようにします。

ことばはそのまま種となって実を結びます。


家庭の中の不和の一番の原因も “ことば” です。


間違えた一つの行動よりも、それを非難する言葉のほうが圧倒的に多く、サタンはそれを使って人間関係や家庭を破壊します。

否定的で非難のことばを一番たくさん使っている人が 一番サタンに支配されています。


その口は悪魔が出入りする門です。

サタンは その人が言った通りに悪いことをします。


それはサタンに “しなさい” と命令するのと同じです。

自分のことばで全てを失うこともあります。


そしていつも怒ってイライラする人も、サタンに大いに用いられています。

その悪い感情で空気を汚します。


自分の体にも毒を蒔くので、いつかは病気になりますね。


サタンは、信徒の心に疑い、不信仰、恐れ、憂鬱な思いを入れます。

それによって平安を盗みます。


これらは神から来るものではないことを知って、騙されずにサタンとの戦いをしないといけないです。


次回は 「サタンとの戦い方」 に対して学びます。
( ̄ー ̄)


2016.2.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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新しい人と古い人の戦い

テーマは 『 新しい人と古い人の戦い 』 です

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことばは神の約束であり、キリストを信じて受け入れた人は、その約束通り 新しい者になります。

それは素晴らしい約束であり、新しくなることは祝福です。
しかし実際の姿はどうでしょうか?


自分の中で、新しい人とは正反対の姿(つまり古い姿)を見て失望したことはありませんか?

神のことばによると、自分の中には新しく造られた人が存在するのに、日常の中で以前と変わらない古い姿を見ると『何も変わっていない』と みことばを疑う人や、自分に失望して古い姿のままで生きている人が多いです。


聖書が語る“新しい人”と、現在の自分の姿との“差”をどのように解決したら良いのか、
また、新しい人が勝つためにはどのようにしたら良いでしょうか。

まずは新しい人、すなわち新しく造られた人が何であるかを知らないといけないので、そのことを先に語ります。




イエス様とニコデモの会話





【ヨハネの福音書3章3-8節】

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

この内容で分かるのは、新しい人は御霊によって生まれるということです。

奇跡の中の“奇跡”というのは、病気が癒されることではなく 御霊によって新しく生まれることです。

まるで赤ちゃんが生まれるように、“霊の人”が生まれることです。神の驚くべき被造物である新しい人は、実際に生きている生命体です。


“霊の人”という新しい人は、神を知ることが出来、霊の目と耳が聞かれ、キリストの恵み、贖い、神のみこころに対して喜び、神様を賛美します。そして自分の罪を悟り、神の愛を感じます。

自分の思いのまま、自己中心的に生きていた者が神に頼り、その導きを受けて生きようとします。


しかし新しく生まれたからといって霊的なことが何もかも分かり、その通りに生きられるわけではありません。


なぜなら私たちが新しく生まれても自分の中にある“霊の人”はまだ赤ちゃんに過ぎないからです。

そして自分の内には 肉の人、古い人が死んではいません。
古い人は死の判決を受け、権利を奪われましたが、相変わらず抵抗をします。それは(肉が)死ぬまで抵抗を続けます。


肉の人は、霊の人が生まれたことを知り、それを憎み殺そうとします。


そのことによって私たちの中には戦いが始まります。
つまり霊の人と肉の人、新しい人と古い人との戦いが始まります。


パウロ自身もその戦いを経験していたので、その様子をこのように話しました。


【ローマ7章18-25節】

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、 それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

そして次の箇所でも、その戦いがあることが書かれています。


【ガラテヤ5章17節】

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

このことで分かることは、この霊的戦いが信徒の生活の中に起こるということです。

生まれ変わった瞬間からこの戦いは始まります。
そして いつも(肉か霊の)強い方が主導権を握ります。


自分がどちらを選ぶか、どちらが好きか、どちらの味方になるかによって戦いの結果が変わります。

私たちが戦いで勝つ方法は1つしかありません。


私たちが霊的に強くなり、霊的に成長することです。

霊的に成長すればするほど、肉の人、古い人は力を失っていきます。


それでは、どのように私たちがこの戦いで勝利を得られるのかを学びます。




1、自分自身との戦い




私たちの敵は 他人ではなく、自分の内にある古い人です。
それは肉に従って歩もうとする肉の人です。


【ローマ8章13節】

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このみことば通りだと思います。

私たちが霊の人として生きるためには、古い人を殺さないと自分自身が死んでしまいます。


古い人を殺す方法は、自分の中にある(古い人の)強い欲を殺すことです。



【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

たとえば、自分の欲で好むことだけをするならば、霊の人は成長することができません。

霊の人が成長するためには、みことばを読まないといけないですし、祈りも必要なのにテレビばかりを見たり、眠りをむさぼったり、人とばかり話したりすると霊の人はまったく成長しません。

自分の欲に従う人は、霊の人を殺してしまいます。そして自分の心の中に怒り、憎しみ、悪い感情などを入れたままにすると霊の人はだんだんと死んでいきます。


新しい人を成長させたいと願う人は、「体の行いを殺すんだ」と決心しなければなりません。

自分の中に存在する様々な情欲に対して「NO」と はっきりと言うことが大切です。


イエス様に集中したいと願う人は、自分の時間と関心を奪うものを退けなければなりません。

これは聖書の教えに私たちが従うことです。


古い人を助けてしまうものを十字架に釘つけることが大切であり、絶えずこの戦いをしていかなければなりません。

一度戦ったからといって肉の欲が消え去るわけがないです。そして自分の力で常に勝利するわけでもありません。


パウロのように「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と主の助けを求めることです。

彼は戦い続け、主の助けを求めました。


あまりにも信徒たちがこのことに対して無関心、無抵抗なので次の箇所でこのように語っています。


【ヘブル12章4節】

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。




2、イエス様を見上げること




イスラエルの民たちが罪を犯し、神が送った火の蛇によって多くの者がかまれて死にました。
その時に神はモーセに青銅の蛇を作りなさいと命じ、それを見た者は死ぬことがありませんでした。


主はそのことを自分の十字架と重ねてこのように語りました。


【ヨハネの福音書3章14-15節】

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

十字架にかかったイエス・キリストを信仰で見上げていくならば、神のいのちが私たちの中に流れてきます。

それが聖書の真理です。


十字架の上で自分の罪のために血を流しているイエス様を見上げながら、私たちは自分の欲に従ってキリストを苦しめながら生きることができるでしょうか。


私たちがキリストから目を離して世を見るならば、誘惑するものがたくさんあります。

目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢などに心が奪われます。
「欲しい、欲しい」と、そういうものをむさぼるようになります。

主は「それらのものは御父から出たものではなく、この世から出たものです。世と世の欲は滅び去ります。」と語りました。


私たちの中には生まれながら強い欲があります。

そしてこの世は私たちがさらに貪欲になるように教えます。そうしないと金儲けが出来ないからです。

肉の欲に縛られて生きているクリスチャンもたくさんいます。


いつもこの世ばかりを見ながら、イエス様を信仰で見ないので いつまでも霊の人が成長することなく、霊の人なのか、肉の人なのか自分でも分からない状態です。


自分の欲望だけに関心があり、キリストを見上げることをしないなら、自分が本当に救われた人なのかどうかをもう一度考えなければなりません。

生まれ変わった者は自分の主を見て生きるのです。


【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

これが私たちへの主からの命令です。




3、訓練だと思って耐え忍ぶ




イエス様の贖いを信じて、信仰の戦いを続けても、また からだの行いを殺しても勝利できない時があります。

その時は戦いをやめますか。絶対に戦いをやめてはいけません。


神様は私たちを戦いの中で訓練するからです。

肉の人から霊の人として変わるには、時間がかかるだけではなく、訓練も必要です。


例えば、ある人が神様よりもっと愛するもの、関心を寄せているものがあるならば、神様はそれを知って、その人がそのことに失望するように、嫌気がさすようにしていきます。

その人がそのことが出来ないように、色々な試練を送ります。


例えば、イスラエルの民が40年間、なぜ荒野にいましたか?
神様はすぐにでも彼らをカナンの地に導き入れる力のある方です。


でもそうしなかったことに神様の理由と計画があります。


【申命記8章2-6節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、 あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、 飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出る すべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、 はれなかった。

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

そして新約聖書でも主が語りました。


【ヘブル12章5-7節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

自分の中にまだまだ古い人が強いならば、人を通して、環境を通して訓練が続くと思ってください。

「なぜ私にこんな試練が。神様、なぜ助けてくださらないのですか。」と叫ぶ前に、自分の中にまだ残っている肉の欲が何か、古い人の姿は何であるかを見つけ出してそれを殺す戦いをしてください。


そして霊の人を強くするために、栄養を与え、神の霊の武器を用いて戦ってください。

私たちは新しく生まれ変わった人を愛し、古い人を憎まなければなりません。
自分の中にある様々な欲を十字架につけるならば、自分の中に主の平安と感謝、神の力が臨みます。


私たちのたましいの敵は、私たちを破滅させるために、絶えず欲に火をつけ、罪で誘惑します。


ですから、私たちは絶対的に罪と戦い、自分自身と戦っていかなければなりません。


戦わないなら古い人・肉の人が霊の人を殺し、それによって自分も死んでいきます。

私たちが戦う時は、絶えず小羊イエス・キリストの血と主の御名を使って戦いましょう。

そして勝利したイエス様にいつも頼りましょう。
( ̄‥ ̄)=3


2015.1.18
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
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使徒パウロの同労者

テーマは『 使徒パウロの同労者 』です

【ローマ16章1-7節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

どうぞ、聖徒にふさわしいかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

パウロは たくさんの働きをした人であることは、誰もが知っています。
彼は十二使徒たち以上の働きをし、偉大な人物でした。

しかし、どんなに偉大な人であっても、聖霊の力を受けた人であっても、1人ですべてをこなすことは出来ないです。

パウロの仕事の陰では、多くの人々の協力がありました。
すべて平信徒でした。この人たちはイエス様が働いたように働いた人々であります。

パウロの同労者には テモテ、バルナバ、ルカなどは聖書に度々出てきます。

今回は私たちがあまり聞き慣れていない名前ですが、その人たちのことを考えてみたいと思います。
パウロにとって とても大切な仲間たちであります。




【ローマ16章1節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

≪フィベ≫… 女性の執事です。教会での執事は、信徒たちの中で一番働きが多い者であります。
神学校へ行くのが献身ではなく、執事と任命されるのは「教会であなたは主に一生懸命献身しなさい」ということです。
あらゆる仕事をして教会をたてていく者です。
パウロが「この人を推薦する」と言ったのは、それは「認められた人」ということです。
私たちは信用できない人を人々に推薦することはできないです。
また、パウロにとってフィベは、パウロが伝道で出て行くことが多かったですが、そのための経済的援助をしました。
惜しまずに神様の働きのためにパウロに捧げて助けました。他にも、困った人たちに対しても彼女は助けました。
とても親切で心の優しい者でした。

人を助ける人たちは、優しい人でないと助けることができないです。
自分のことしか関心がない人は、他人を助けることはしないです。
心優しい人は、他人に関心があり、愛があります。彼女はそのような者でした。
奉仕をする時も、お金だけを捧げて偉そうにしたのではなくて、一生懸命に仕事をし献身しました。
また、フィベは従順で みことば通りに動く人でした。
私たちはこのような姿を学ばなければならないです。




【ローマ16章3-4節】

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

≪プリスカ とアクラ≫… 夫婦であります。「使徒の働き」の中にはこの人たちの姿が何度も出てきます。


【使徒の働き18章1-4節】

その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。

ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、

自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。

【使徒の働き18章24-28節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

プリスカとアクラは、パウロを招いて一緒に生活をしていました。
聖書の中で、一番理想的な夫婦の形は、この2人です。
夫婦が同じ神様を信じ、一緒に協力して素晴らしい働きをしました。

1年6ヵ月間パウロと生活をしました。その中でパウロは、夫婦に聖書のことをよく教えました。

そして、この家を解放して教会にしていました。この夫婦はパウロによって、みことば充満、聖霊充満になり
聖書の知識が多いアポロよりも この夫婦の方が霊の目が開かれていて彼より上でした。
アポロは知識だけでみことばを伝えましたが、彼に欠けているものを明確に知り、招き入れて聖霊によって働きをすることを教えました。

どれほどこの夫婦が、神様やパウロに献身的であったかは、パウロがコリントからエペソへ移動した時に、
この夫婦も引っ越し パウロについて行き、そこでもパウロを支えたことで分かります。


【ローマ16章4節】

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけではなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

命を懸けてパウロと共に働きをしました。これはすごいことです。たとえ命に関わることであっても、
逃げることをしませんでした。

神様の働き、すなわち霊的なことと肉のことを、私たちはハッキリと区別をしなければならないです。
私たちは生活をしていますので、色々なことがあります。
しかし問題に引っかかる度に「神様の働きを辞めたい。今はそんなことをしている場合ではない」となると、
その魂は死んでいきます。その(肉の)問題は自分で精一杯努力をして解決していくものであります。

神様の働きは変わらないです。
自分たちが生活をしていることを 全て神様の働きに引っかけて神様の働きを辞めていくならば、
サタンはいつでもその人に問題を与えるのです。完全に働きが出来ないようにし、信仰が離れていきます。

神様の働きがあるので、今まで守られてきたのです。
「神様の働きは絶対に辞めることができません。ですので、色々な邪魔をする問題を早く解決してください。」と神様に助けを求めるのが良いです。
神様の働きを辞めたら楽になるということは絶対にありません。辞めると神様の助けがなくなります。

プリスカとアクラはパウロを守る為に自分たちが前に立っているのです。
このような人たちが 神様が祝福する人であります。

自分たちの家で礼拝をすることは、神様の恵みなのです。
私たちクリスチャンは何が一番大切かと言うと、霊的祝福ほど大切なものはないです。
それはいつまでも残るものです。
私たちはいつまでも残るものを手にしていなければ、ラオデキヤ教会のような霊的姿になります。




【ローマ16章5節】

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

≪エパネト≫… 性別は分かりませんが、パウロがアジヤで伝道をして最初に信じた人です。
パウロの心にすごく残っている人物です。

しかし、それだけではないです。なぜここで、この人を語るのでしょうか―?

この人は救われただけではなくて、その後 立派な働き人になったからです。これはとても大切であります。
救いを受けても その後はどのようになっているのか分からない人が、世の中には大勢います。

しかし、救われたその時から信仰が成長して 神様の働き人になることは一番理想的であります。
救われた人が熱心に働くほど、主のしもべたちを喜ばせる姿はないです。




【ローマ16章6節】

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

≪マリヤ≫… 名前通り女性であります。信徒たちのために非常に労苦をしました。
熱心に自分の身体をもって奉仕をしました。旅人をもてなし、人々に食事の用意をし、苦しんでいる者を慰め、
お祈りをし、常に生活そのものが教会と信徒たちに関心があって生活をしてきました。

自分を犠牲にした立派な姿であります。このような人達がパウロを支えていました。




【ローマ16章7節】

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

≪アンドロニコ とユニアス≫… ユダヤ人です。祈りと霊的戦いにおいてパウロのパートナーであります。
異邦人は全て偶像崇拝をしていますので、そこで福音を伝えると当然のように迫害を受けるのです。
ですから先頭に立って、パウロと一緒に捕らえられた者たちであります。
教会の奉仕には色々な戦いがありますが、このように霊的戦いを共にする人もすごく必要です。
とりなしの祈り、戦いの祈り、一緒に出て行って闘う働きをシラス、バルナバ、ルカ、マルコもこのような働きをしました。

ですから一緒に捕らえられて牢の中に入れられたこともたくさんありました。
自分たちの生活があるにも関わらず先頭に立っていました。

天国へ行った時にパウロだけ祝福をたくさん与えて、この人たちには祝福を少しだけ与えるということはないです。
神様の目から見たら同じなのです。名前の問題ではないです。
「使徒だから」、「平信徒だから」ではなく、命を懸けて働く姿は同じ姿であります。
パウロはそれを知っている者でした。




牧師であるのに仕事をしない。
牧師であるのに何もしない、遊んでばかり、寝てばかり、聖書も読まない、祈りもしない。
そのようは人たちもいるのです。

また、信徒だからといって「別に私たちはしなくて良い」と言って寝ている人、何もせず逃げてばかりいる、
このような人は神様はどのように見ているでしょうか―。
怠け者、使命を果たさない者、自分のタラントを土に埋めた者、自分の教会が苦しんでいるのに関心もない者です。


パウロは次のように語ります。

ローマ16章19-20節

あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。

平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。

これからも良い働きに励みなさいということであります。
今している働きは素晴らしい働きだからと高慢になってはいけないです。
過去のことを人前で誇って、働きをしなくなるのはいけない と、これからも良いことをし続けなさいと言っています。
悪に無関心になることが良いとパウロが語っています。

私たちがサタンに「出て行け」と言うから、サタンが私たちの言葉を恐れて出て行くのではなく、
私たちが従順して主が喜ぶ働きをずっとしていくと、神様がそれらのものを踏みつけてくださるのです。
サタンは私たちの力で踏まれるのではなくて、主が私たちを通して働きをしてくださるので踏みつけられるのです。

踏みつけられるということは、サタンが私たちを倒すことができないということであります。

立派に献身して働く人たちに サタンはどうすることもできないです。その人と神様の関係が平和です。

神様がその人を尊く用いてくださるのです。

今、使徒パウロは ここにはいませんが、聖霊様が働いておられます。
私たちは聖霊様の同労者にならなければならないです。
そして牧師や信徒たちが一緒に働きます。一緒に働くことで、一緒に良いものを神様から受けるようになります。

信徒と一緒に心を痛める事、教会に問題がある時に一緒に祈ること、問題がある信徒と一緒に祈ることなど
協力して初めて良い働きが出来るのであって、1人で全部しなさいと言ったら絶対に無理であります。

それを私たちは みことばを通して、いつか神様の御前に立った時に報いを受ける人になってほしいです。
今、振り返ってみると、あの時に神様から離れないで献身して一生懸命働いたことを良かったと思う日が必ず来ると思います。 (^∀^)

2013.9.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝❤

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伝道者パウロの姿勢

テーマは『 伝道に対するパウロの姿勢  』です

【Ⅰテサロニケ2章1-12節】

兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。

ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。

私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。

私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、 私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。

ご存じのとおり、私たちは今まで、 へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。

また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。

それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。

このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。

また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、

ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。

パウロは偉大な伝道者であります。
他の使徒も もちろんそうですが、福音のために自分の命を投げ出した人たちであります。

イエス様から尊い使命を受けたその時から、彼らは命を福音のために捧げるのだという強い決心で
働きだした者です。
パウロが他の弟子たちと違うのは、イエス様が生きている時には 弟子ではありませんでした。

イエス様を迫害した者が、今度は福音のために仕える者になりました。

パウロは特にヨーロッパに対して最初に出て行き福音を伝えた者であります。
アジア、ヨーロッパの門を開いたのはパウロです。

伝道する時に、どこへ行っても激しい迫害が 彼を待ち構えていました。
パウロほど激しい迫害、試練、苦難に遭った人はいません


なぜ、私たちが伝道をする時に迫害が起こるのでしょうか?
今の日本ではそれほど迫害というものはないですが、昔は日本にもヨーロッパから宣教師たちが来て
福音を伝えた時にはすごく迫害を受けました。

初めはそこまで(迫害が)ありませんでしたが、救われる人が増えてきてからは「危険だ」ということで迫害が起こり
多くのクリスチャンや宣教師が殺されました。教会も迫害されました。福音が入った地域はどこも同じです。

「迫害」 これは霊的戦いであります。光を持って入っていくところは暗闇だからです。
霊的に暗闇であります。豊かな国であっても真っ暗闇の世界です。

そこにいる人々は神を知らない者であります。神ではない偶像に仕える者であり、罪の奴隷です。
サタンが支配をしています。

ですから、そこに光を持って入ると、サタンが喜ばないです。福音の真理の言葉が気に入らないのです。
自分たちの肉と敵対するものであるので、そこに迫害が起こるのです。

しかし、神を全く知らない者よりも 一番パウロに迫害を加えた者は、ユダヤ人でありました。
神を知っている者たちで、彼らはイエス様を迫害し、殺した者であります。
パウロも以前は彼らの仲間でした。イエス様を殺した後に、福音を宣べ伝える人たちを迫害していました。
ですから当然のように(パウロが福音を伝える時には)彼らの妨害がありました。

敵対心、憎しみ、妬みの心で殺意を持って迫害しました。


【Ⅰテサロニケ2章2節】

ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、 私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。

パウロの素晴らしいところは、どんなに命を狙われる迫害を受けたとしても退かなかったことです。
もし 人や迫害が怖くてそこから逃げたならば、今 私たちに福音が届いていないと思います。

パウロの強さは、どんなに迫害されても逃げなかったことであります。
それは初めから命を捧げているので命を狙われても良いということです。
これが一番強いことであります。

私たちは福音を伝えていますが、多くの人たちが(誰かに)反対されると引っ込んでしまいます。
「この人は無理だ。」という思いが出て、自分自身も迫害に耐えられないので、「もういいわ」となります。


なぜ、このような思いになるのでしょうか――?

自分で自分を守ろうとするからであります。
恥をかきたくない、迫害をされたくない、苦しみも受けたくない、自分のプライドがそれを許さない。

そうなってしまうと、福音を伝えることが出来なくなります。
これはイエス様が来られた時も同じでした。誰も(イエス様を)歓迎をしませんでした。
イエス様が悔い改めを語っても、耳に厳しい言葉は聞きたくないのです。
しかし、これが普通なのです。

福音を伝えるならば、当然その人たちが反対をして抵抗し受け入れず、そして悪口を言います。
こういうものであると 私たちが初めから思う必要があります。

私たちが激しい迫害を受けても、パウロを見習って逃げてはいけないです。
相手の陣地に入るということは、激しい霊的戦いをしていく という思いをもって行かなければならないです。

インドに行った宣教師も1人の魂を勝ち取るのに7年かかりました。
行ってすぐにリバイバルが起きた事はほとんどないです。

環境を恐れる必要はないです。環境を恐れると何も出来ないです。
小さなアリのように思うと良いです。すると恐れの心が消えます。
「私の中におられる神様がどれほど力があるのか」と思う必要があるのです。

義人の道には苦難があるのです。クリスチャン生活も、敬虔に生きようとすると苦難があります。


【Ⅰテサロニケ2章3-6節】

私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。
私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、 私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
ご存じのとおり、私たちは今まで、 へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。
また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、 人からの名誉を受けようとはしませんでした。

4節に「神を喜ばせようとして」と書いてあります。

伝道する一番の目的は、神様を喜ばせるためです。
イエス様もそうでした。父なる神様のみこころを行うためでした。

神様を喜ばせたいという思いが初めに来た時に、神様はその人の働きを喜びます。


【Ⅰテモテ1章11-15節】

祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。
私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、 私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。
私は以前は、神をけがす者、 迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを 受けたのです。
私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、 ますます満ちあふれるようになりました。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」 ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

自分が以前どのような者であったのかを語っています。命の恩人(キリスト)のことも言っています。

命の恩人には、感謝の心で命を懸けることなのです。
イエス様は、私たちの命の恩人であります。

私たちは神様を喜ばせなければならないです。神様は素晴らしい恵みとともに使命を与えてくださいました。
私たちが福音を伝えることは、神様がすごく喜ぶことでありますので伝えたら良いです。


そしてパウロが伝道をする時に1つの思いがありました。
パウロは人々の魂を愛しました。熱い愛がありました。これがないと伝道を続けることが出来ないです。

【Ⅰテサロニケ2章7-9節】

それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い 育てるように、優しくふるまいました。

このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、 私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者と なったからです。

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちは あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

パウロは天幕を作る仕事をずっとしながら、自分のための稼ぎもありました。
その目的は人々に負担をかけたくなかったからです。

愛には必ず犠牲が伴います。犠牲が伴わないものに「愛」という言葉は相応しくないです。

口先だけで「愛します。愛します。」と言っても何の値打ちもありません。
愛は必ず自分の方から犠牲を払うことであります。相手のために何かをすることなのです。
負担をかけることが愛ではないです。

ですから神様は、相手に必要なものを与えなさいとおっしゃいます。

人々がパウロの姿を見て、たくさんの魂が救われました。


世の中には様々な宗教がありますが、それらを素晴らしい愛の宗教だとは誰も思わないです。
自分たちがそれを信じていながらも言う言葉があります。「宗教 = 金儲け」 と日本ではたくさん言われています。

しかし、キリスト教の姿はそうではないです。イエス様ご自身が犠牲を払いました。
人々から名誉もお金ももらったことはないですが、イエス様は命までも捧げました。
弟子たちもそのような姿でした。
しかし、その時代でも他の宗教はそうではなかったです。金儲けであり、自分達の腹を肥やしていきました。

パウロはその中でも昼も夜も働きながら、神様の福音を彼らに伝えました。それが彼の愛の姿であります。


また、パウロは福音を伝える際に気を付けていることがありました。

【Ⅰテサロニケ2章10節】

また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、 あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。

福音を聞く者たちにつまずきを与えないことであります。

私たちが伝える福音は素晴らしいものですが、伝えるその人自身がダメな者であるならば
人々はそれを受け取ることができないです。

神様は私たちに「世の光、世の塩です。」という言葉を使いました。もし、塩が塩けを無くしてしまうならば、
人々に踏まれると語っております。料理でも同じように、塩は少しで良いのです。
どんなに小さな光でも、暗闇の中では明るくなります。

私たちが完璧過ぎても周りは遠慮してしまいますが、まだまだ色々な部分で未熟な者であっても、
私たちは自分と近いところへ行き、福音を伝えたら良いのです。そうしたら受け入られやすいです。

わずかな塩でも、わずかな光でも良いです。そして自分自身もその中で変わっていくのです。
1日でも1回でも 行動を起こす時に、主の力がその中で働きます。

パウロはいつも人々に福音を伝えましたが、自分自身も福音の中で生きることを心掛けていました。
これは福音を伝える者は、誰もがそうすべきであると思います。
汚い手で良いものを渡すのではなく、手を洗って神様に悔い改めながら綺麗なものを与えるならば、
受け取るのです。

パウロの伝道者としての姿を見て、私たちも学んでいきましょう。 .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2013.7.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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サタンとの戦いに勝利する!

テーマは『霊的戦いに勝利するために』です。

【ヨシュア記5章2-5節】

6章に大きい霊的戦いが出てきます。神様から出たものが霊的戦いです。
土地を奪うためにする人間の戦いではなく、滅ぼさなければならないサタンの勢力に対する戦いです。
聖なる霊的戦いであります。

イスラム教はアッラーの神の為と言いますが、自分達のために人を殺したりテロを起こしたりします。
そういうことをして自分達は天国へ行きたいと思っています。

聖書に出てくる霊的戦いは神様からの指示があります。
旧約聖書を読むと、戦いがとても多いですが、実際の戦いであります。
霊的戦いに対して一番偉大な教材は旧約聖書であります。
新約聖書はさらに範囲が拡大されて霊的戦いのことを主が語っておられます。

しかし新約聖書の霊的戦いをするには、旧約聖書に出てくる戦いを学ばなければならないです。
旧約聖書を通して主の戦いの姿を見せて、私たちはそれを学びなさいと言っておられます。

戦いに負けたことが一度ありますが、それを探ると何故負けたのか原因が出てきます。
そして勝利した戦いは、勝利した秘訣が書かれてあります。

旧約聖書は霊的戦いで勝つために学ぶ点が多いです。
エリコは、とても恐ろしい町です。
そこには強い軍隊やすごい城壁があり、彼らの力では勝利することは不可能であります。
イスラエルの民たちは武器を持っておらず、戦いの経験もなく、40歳以下の者でありました。
その中には女の人や子供もいました。

この状況の中、神様はどうやって勝利に導いたのでしょうか。
神様の命令がありました。戦いの前にまず させたことは、割礼をしなさいということでした。
これは人間的な思いで見たら、とても愚かなことであります。

割礼というものは、神様がアブラハムと契約を結んだ時に語った1つの印であり、神の民になる契約です。
神様との関係をもう1度整理し、新しくしなさいということであります。

【コロサイ書2章11節】

神様の前で無力な者、自分を否定する者、神様だけに頼る者、こういう者に神様は霊的戦いで
勝利を与えてくださいます。

割礼を受けた者らしく生きていかないといけません。
心が大切であります。心は聖霊様が住む「神の神殿」であります。
その神殿の中に神様がおられますので、私たちは割礼を受けないと聖霊様が住むことができないのです。 
私たちの肉のものを十字架につけなければならないです。
肉の手段を捨てなければ、本当の意味で割礼を受けた者ではないということになります。

【コロサイ書3章5-10節】

今あるべき姿は3章10節のことばであります。

サタンを恐れたりしますが、恐れはサタンが持ってきたものであります。
しかし、神様はサタンを恐れる必要がないとおっしゃっています。
なぜなら、当然守らなければならない神様の言葉を、自分達が守らないために受ける神様の御怒りの方が
大きいからです。
サタンがもたらすものよりも、神から来るものを恐れなければなりません。
私たちの身体も魂も殺すことができるのは神様であります。
サタンよりも力ある神様を恐れないといけないです。

神様に助けを祈り求めたら、助けてくださいますが、
しかし私たち自身が神様の敵になって神様の怒りを起こしてしまうならば、誰も助ける者がいないです。
サタンが助けてくれますか? ――サタンは助けるものではないです。私たちが滅びることをサタンは喜びます。

戦う時に、神様が味方である時に、私たちは勝利することができます。
霊的戦いは神に逆らう勢力に対する戦いであります。

なぜ私はいつも霊的戦いに勝利できないのか?なぜ神様は私を助けてくださらないのか?
あなたは本当に割礼を受けているのか?神様との関係であなたはどうなのか?あなたは私に従っているのか?
もし逆らっているのなら、いくら求めても神様は助けることができないです。

神様が一番悲しがるのは、既に自分がサタンのところに行っていることに気付いていないことです。
目が見えない、自分がどこにいるのかもわかっていないことです。

【申命記20章4節】

神様との関係を正しくするならば全ての戦いで勝利を与えてくださる神様です。

旧約聖書の霊的戦いで勝利したものは、神様の指示に全ての民たちがその通りに従いました。
そして神様に献身しました。すると100%その戦いは勝利で終わりました。

指導者も民も、祈りながら神様に作戦を聞くと必ず方法を教えてくださいました。
エリコの戦いでも神様の方法に従ったことで勝利することができました。
戦いに負けた時は、神様に従わなかったことが原因なのに、神様につぶやきました。
敗北の理由は神様ではなく、民たちにありました。従わなかった罪があるからです。

【Ⅱコリント10章3-4節】、【エペソ6章10-12節】

聖徒たちの霊的戦いは常にあります。
この時に私たちは「サタンを追い出さなければ」と考えたり、
自分を苦しめる周りの人達をターゲットにして「あれがサタンだ」と他人と戦い始めます。
しかし、それだけが霊的戦いではないです。

一番強いものは「常にあなたの内側にある」と神様が語っておられます。
私たちが戦うべき相手は、外部の勢力ではなく信仰生活で起きる
自分の内側にあるものとの戦いが一番しなければならない戦いであります。

①肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢
これは御父から出たものではないです。神様から出たものなら戦う必要はないです。
しかし、神様から出ていないものが私たちの中に存在するなら、それはどこから来たものでしょうか?
――それは、この世(悪霊)から来たものです。

私たちには肉の欲、目の欲がありますが、それらは神様に対して戦いを挑むものです。
肉の身体を脱ぎ捨てなさい、そしてイエス様から心の割礼を受けているのに、それを持つならば
再び古い者に戻ったということになります。
サタンと共に仲良く歩んだ時の姿に戻っていることを意味します。

こういう思いが出てきた時に、サタンに立ち向かっていかなければならないです。
そうしないと肉の奴隷になってしまいます。
霊的戦いを軽く考えるならば、自分の命が取られることを意味します。
サタンの目的は、「盗む」、「滅ぼす」、「(魂を)殺す」です。
わずかな肉の欲のために、あなたの大切な永遠の命を手放すのか?
肉の欲を殺しても殺しても常に出てくるので、これは激しい戦いになります。

②悪からの誘惑
サタンが私たちの心に植え付ける色んな想いです。
不信感、疑い、憎しみ、怒り、不安
これは私たちの想いにサタンが常に入れるものです。悪を行うように誘惑するものです。

良い想いは神様が与えてくださいます。私たちが良い行いをするためにみことばを入れます。
そうすると心が満たされていきますが、悪い想いは全てサタンが入れる悪いものです。
私たちは自分の心を守らなければならないです。サタンの誘惑に乗り、心に入れてしまうと罪を生みます。

③罪との戦い
罪と知っていながら、留まっているなら全てを失うので立ち返らなければならないです。
罪の奴隷になると、さらに罪を犯します。ついには心が死んでしまい、
良心が麻痺されて、罪を犯しても何にも思わなくなります。そうなると完全に神様から切り離されてしまいます。
私たちは罪を犯さずに生きる人はいないですが、しかし罪を犯したならば悔い改めて立ち返り、
罪の奴隷になってはいけないと神様が語っておられます。

罪は楽しいだろう?やり続けなさい。神様を信じてみことばに従って生きるのは、しんどいだろう?
短い人生、喜び楽しみながら快楽を求めながら生きなさい。
そして肉を喜ばせる言葉に誘惑され「神に従うのはしんどいな~、もう ほっといてくれ」となってしまうと、
その先は自分で刈り取らなければならないです。
他の者が刈り取るのではなくて、自分が蒔いたものは自分で刈り取ることになります。

しかし戦って私たちが神様の言葉に従っていくならば、神様が共に闘ってくださいます。
神様が戦うので負けることは有り得ないです。霊的戦いは自分の永遠の命にかかっています。

戦いそのものは楽ではないです。
しかし主は、楽ではない中でも神様に頼るならば、神様は力を与えて勝利することができます。

私たちは1週間に1回は礼拝に参加をしてみことばを聞きながら賛美をしますが、
これは軽く考えてはいけないです。これは戦いの1つの武器であります。

しんどくて参加したくない時こそ、それは肉の想いでサタンに抑えられていることなので
神様がいるところに行かないと、さらにサタンによって抑えられていきます。
礼拝の場所ではみことばを宣言し、賛美があるのでサタンは追い出されていきます。
来る時は肉体はしんどいです。しかし神様は、しんどい時に1人でどうやって戦うんだ?
サタンは私たちが神のところへ行かないように策略を持って働きます。

【詩篇149編5-9節】

礼拝の中でサタンを縛ります。知恵を受け、神様の助けを受けて勝利するために礼拝に来なければならないです。
その想いで来るならば、神様は帰る時に必ず勝利させてくださいます。
だからサタンに騙されてはいけないです。
サタンの誘惑であり聖徒たちが聖日礼拝に来ることは神様との契約であり、神の民である印であります。

本当に心に割礼を受けている者は、神様の安息日を守り、神様に祈らないといけないです。
もちろんこの複雑な世の中に生きているので、どうにもならない時もありますが、
それ以外の理由で、行けるのに自分の肉に負けてサタンに騙されて行かないならば
霊的戦いに負けたことを意味します。

ある牧師が「サタンを縛ることをしているんですか?そんなことをしてはいけない」と言っていました。
そういう牧師の教会は悲惨であります。サタンはやりたい放題です。
聖書にはこのように書いてあります。「悪魔に立ち向かいなさい。」、そして「戦いなさい」という言葉もあります。
私たちはサタンが多く働くところで生きているのに、戦わないならば奴隷になってしまいます。

霊的戦いに勝利するために旧約聖書で学び、負けた戦いにも何故負けたのかを知ると、
そこに自分の姿が出て来ます。
従わなかったから、欲を出したから、罪をそのままにしたから・・・いつまで経っても勝利できないです。

肉を叩いて潰して、聖霊に服従させなければならないです。
もし自分の想いのままに生きるならどうなるか、士師記を読めばわかります。

神様を恐れてください。そして神様が語った通りに指示に従ってください。そうするならば100%勝利します。
日々戦うと、どんどん新しい者に変わっていきます。 ( ̄‥ ̄)=3 フン

2012.3.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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サタンとの霊的戦い

テーマは『サタンとの霊的戦い』です。

疲れている時や、信仰が落ちている時に、サタンは狙ってきます。
このような人達が攻撃を受けて倒されやすいです。
これは人間の力では戦うことができなく、この戦いでの“最高の武器”は【祈り】です。

【出エジプト記17章8-16節】

祈りを休むとサタンが優勢になります。つまり綱引き状態です。(神様VSサタン)

  ◎モーセでさえも祈りを休むと、サタンの攻撃に遭います。
私たちが「できないから」、「やめよう」と呟くと、サタンが活発に働きます。
そうすると致命的な敗北を受けます。

 ◎神様は祈りを「休みなさい」とは言っていません。
目の前に大きな問題があり、たとえ弱くなっても祈らないと勝利できません。
霊的戦いには手を休めると負けますが、進んでいくなら必ず勝利します。(アーメン)

【Ⅰサムエル15章22-23節】

サタンに誘惑され、みことばに対し妥協させます。サタンはしつこいので
完全に断ち切れるまで戦います。

サタンは私たちを倒そうとしているのに、自分が生ぬるい信仰では勝てません。

【エステル記4章14-16節】

祈りの中でも最強は「断食祈り」です。自分の身を投げ出して必死に祈ります。

サタンは私たちを潰そうとしますが、恐れる必要はありません。

【ネヘミヤ4章1-9節】

神を恐れない人達を遣って、私たちの悪口を言ったり、働きを妨害することが
ありますが、【相手の顔をうかがってやめるなら、倒されるだけです。】

神様からの働きを喜んですることをサタンは嫌うので、働く気がある時は守られます。

放っておくことも策略です。私たちには、行くべき道がありますので
そこでサタンの誘惑に乗ると立ち止まってしまうので、分別力が必要です。
その小さな戦いで力を使ってしまうと、いざ本当の戦いの時には、力がなくなっているので
知恵をもって、相手にしないことが大切です。

サタンを潰さない限り、勝利は来ないです。

 

 ◎困った時だけ神頼みは通用しないので、絶えず祈ることをしましょう。 ( ̄∠  ̄ )ノ

2011.10.16
聖日礼拝メッセージより

八戸ノ里キリスト教会

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