からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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霊的成長

キリスト者の生活

テーマは 『 キリスト者の生活 』 です

【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

キリスト者の生活に対して、皆さんはどのように考えているでしょうか。

日曜日には教会に行き、聖書を読んだり、祈ったりすることだと思いますか。


ある人たちは “イエス様を信じている” と言いながらも、これらのことすらしない人もいます。


果たしてイエス様が その人を“(イエス様を)信じる人”として認めて下さるでしょうか?

そのことをよく考えることです。


ある先生から聞いた話ですが、ある教会の執事に会って話を聞いたら、その人ははっきりと「私はキリストを信じてないです」と言われました。

その話を聞いてびっくりはしましたが、正直に言ってくれたので まだ望みがあると思ったことを話してくれました。


その人はまだ信じていないので、いつかは信じる望みがありますが、信じていると言いながらも 死んだクリスチャンは、自分自身に騙されているので これが問題です。


本当に信じている人は どのような生活をする時に、主が認めて下さるでしょうか。




神に自分自身をささげる




今日のことばにあるように、“自分の体を神に受け入れられる聖い供えものとしてささげなさい” と言われました。


パウロはこの状態を別のことばでも表現しました。


【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

すなわち救われた人は 自分のからだに対する権利がなく、権利を持っているのはイエス様です。


ですから、自分の体を 自分の快楽や好きなように使うのではなく、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために使うことです。


いつも “私のからだは私のものではない、神の栄光のために存在するんだ。“ と思うことです。


神の栄光を現す時に、私たちは神に 自分自身を聖い供えものとして自分をささげることが出来ます。




心の一新によって自分を変える




人は変わってからキリストを信じるのではないです。


伝道してみると、ある人は「自分は罪が多いから今は無理です。」と言います。

そして「まともな人間になってから信じます」と言われます。


それは順番が違いますね。

健康な者が医者は要らないように、正しい者には救い主も要らないです。


主は罪人を救うために来ましたので、罪人を招いておられます。


罪人はそれに応じれば良いです。
その人を主は救います。


しかし、それからは私たちが変わる番です。

キリストから恵みを受け、キリストに属する者になった人は、新しい生き方を始めないといけないです。


私たちは立場が変わると、それに合わせていきます。

学生から社会人になると服装、時間の使い方、人間関係、生活パターンなど すべてが変わり、それに適応していきますね。

結婚したらまた独身生活とは違う生き方をしないといけないです。

それに人は合わせていきます。


神を信じたらどうなりますか?


それからは 私たちが神に合わせていかなければなりません。

ですから日曜日でも教会に来て、神を礼拝しないといけないです。
これが信じる者の生活ですから。


主のことばを聞いて神の御心を分別して、それに従って行く時に 私たちはキリスト者の生き方が出来ます。




神の恵みによって異なった賜物を受けるのでそれを使う




【ローマ12章6-8節】

私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。

神は私たちが神の栄光を現す体にするために、私たちが持っているものを使うのではなく、(神が)必要な賜物を与えてそれをもって 私たちが神のために働くようにしておられます。


ですから “自分は何の才能もないから主のために働くことが出来ない” というのは間違えています。


神が その人を何かに使いたいと思う時には、その人にふさわしい賜物を与えます。

そして、それを道具として使うことを願っておられます。


自分がその賜物をもらったかどうかは目で確認できるものではなく、実際働きを始めると現れます。


モーセを神が選んだ時に何度も自分は口下手と言いながら使命を断ろうとしました。


しかし後の彼の姿を見ると、どこに口下手の姿が見えるでしょうか?

神が彼の口にことばを与えて下さったので、何の問題もなく民の指導者として働くことが出来ました。




上にある権威に服従する




【ローマ13章1節】

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたのです。

キリスト者の国家への服従を教えています。

地上で神から権威が与えられた政治家の中に、神に敵対する人もたくさんいます。


神の教会も信徒も迫害する者も多いですが、神は 悪い者にも目的があって使うために立ててあります。

歴史を見ると分かります。


神は、キリスト者が神が立てた権威と秩序に従うことを命じました。

イエス様さえも地上の権威に従いました。


もしその権威が神に敵対するように命じるならば、私たちは彼らよりもさらに高い権威を持っておられる神の権威に従わないといけないです。




人を愛する者になる




【ローマ13章8節】

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

神を信じる者は律法を守らなくても良いということではないです。

反対に律法を完成させないといけないです。

信じる者が神の言葉を大切にすることは当たり前です。


神の口から出る言葉で生きることが救われた人の生活です。


たくさんある みことばを、どうやって守ることが出来るでしょうか?

簡単な方法を主が教えて下さいました。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。

愛一つで律法を完成することが出来ます。


愛は相手の益になることを先に求めるからです。

愛は相手に害を与えません。むしろ相手が喜ぶことをします。

愛は相手に惜しまず与えます。




平和に役立つことをする




【ローマ14章19節】

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

この二つのことは、人にも社会にも教会でも 徳を高めることです。


主が地上に来られたのは 自分のためではなく、人間のためでした。

世の光、世の塩の働きは、このように徳を高める時に真価が現れます。


自分のことしか考えないのはサタンの子であることを覚えましょう。

助け合うことが平和を作ることです。




互いに同じ思いを持つものになる




【ローマ15章5節】

どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

キリストにあって同じ思いを持つ必要があるのは、共に神に栄光をささげるためです。


主の働きをする中で分裂、分派、妬み、高慢などがあると神の栄光が現れません。


それはサタンが喜ぶ姿です。

ですからパウロは一致のためにこう考えました。


【第1コリント3章4-9節】

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

キリスト者としての生活がどういうものであるのか、自覚が出来たでしょうか?


毎日認識して生活に適用して下さい。
v( ̄∇ ̄)v

2016.9.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ)

テーマは 『 七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ) 』 です

【ヨハネの黙示録1章19ー20節】

そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

黙示録は、キリスト教に対するローマの迫害が厳しかった ネロ皇帝の時代に記録されました。


主の弟子であるヨハネも迫害され、パトモスという島で囚人生活を送っていた時に、イエス様から啓示を受けて黙示録を記録しました。

様々な啓示を受けましたが、最初に聞いたのは 教会に対する主のことばでした。


教会に対する神様の関心が どれほど強いかを知ることが出来ます。


黙示録を記録した時の教会は、成長期を越えて迫害の中で衰退期にさしかかっていました。

教会は “キリストのからだ” で、主はそれぞれの教会の状態をすべて知っておられます。


ですから主は、教会に向けて ほめ言葉、非難のことば、悔い改めのことば、裁きの警告、そして報いなどについて語りました。

イエス様の犠牲と勝利は受け入れましたが、霊的成長と真実さに欠けた人たちに向けて語りました。



今回は、七つの教会に対して 主がどのようなほめことばを語ったのかを学んでいきます。

その中で、残念ながらラオデキヤ教会だけは ほめられなかったので、六つの教会だけを挙げていきます。


どのような教会が “良い教会” で、どのような教会が “悪い教会” かは、自分勝手に判断するのではなく、黙示録にある七つの教会を参考にすると、正しい判断が出来ると思います。


キリストの再臨を待ち望んでいる私たちが、どのような姿で待つべきかを主のメッセージで知ることが出来ます。




◎ エペソ教会



【黙示録2章2ー3節】

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

悪い者、にせ使徒たちが 教会の中に浸透したのは、教会を内部から混乱させ、惑わすための “サタンの策略” でした。


正しい信仰を持っていないと惑わされます。

しかし 幸いにも、エペソ教会の信徒たちは 彼らの偽りを見抜いて、悪い者たちの悪行を許さず、間違えた教えに惑わされませんでした。


そして外から来る迫害にも よく耐えて信仰を守っていました。

積極的に神を求め、教えられた神のことばを守っていたので、主からほめられました。


エペソには、アルテミス神殿があるので 宗教の中心地でもありましたが、その中でもキリストを信じて信仰を守っていました。

主に対して誠実な教会でした。


テモテはパウロに任命され、エペソ教会の牧会者になりました。




◎ スミルナ教会



【黙示録2章9節】

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナ教会は 皇帝崇拝を強要するローマの勢力と律法主義を掲げて、キリスト教を迫害するユダヤ人たちから迫害を受けました。


ですから政治的、宗教的、社会的、経済的に深刻な迫害がありました。

信徒たちは貧しく苦しかったですが、信仰だけは変質されることがなく、よく信仰を守っていました。


世にあるものを捨てて主を選び、霊的富が豊かな教会でした。


この教会は、 “殉教の教会” としても有名でした。

立派な指導者も数多く養成しました。


その教会の指導者の1人・ポリュカルポスのことばは有名です。

彼を捕えた総督は彼に「誓え。そうしたら赦してやる。キリストをのろえ。」と言いましたが、ポリュカルポスは 次のように答えました。


「86年間、私はキリストに仕えてきた。キリストは一度も私を裏切らなかった。私を救って下さった王を、私はどうしてのろえようか。」

そのことで彼は 火をつけられ殺されました。




◎ ベルガモ教会



【黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

主が “サタンの王座がある” というほど、この都市は偶像崇拝が盛んな地域でした。

そこにあるベルガモ教会は異教徒からいのちを狙われたりしました。


苦難と殉教の危機の中でも信仰を守りました。


そして忠実な証人アンデパスが殉教しましたが、彼は皇帝崇拝を拒んだために逮捕され、熱によって真っ赤になった青銅の牛の上に乗せられて焼き殺されました。


残忍なやり方で彼を殺しました。

それでも信徒たちは信仰を守っていました。




◎ テアテラ教会



【黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

テアテラ市は偶像崇拝と淫乱が多い、堕落した文化がある都市でした。


その中でも テアテラ教会は、信仰、希望、愛がある教会でした。


特に愛の実践がありました。

もちろんこの教会の中でも、非難される行動をした信徒たちはいました。


しかし、ある信徒たちは 信じた時よりも信仰も行いもさらによくなっていました。

主はそれをほめました。


エペソ教会は初めの愛から離れてしまいましたが、テアテラ教会の信徒たちは信仰、希望、愛をさらに大きくしていきました。


成長することは、実を結んでいく姿ですから 主に褒められました。

そして、悔い改めもある教会でした。




◎ サルデス教会



【黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

衣は 身分を現わす象徴的なことばです。

汚されることは、“罪に染まったこと” を意味します。


ですから衣を汚さなかったことは「キリスト者としての名誉を汚さなかった。」
すなわち、信仰の純潔を守ったことを意味します。


実際この教会には、信仰の純粋性を守ることが出来ず、世の風潮や罪の誘惑に妥協して淫行を行い、信仰までも汚れてしまった人が多かったですが、その中でも数少ない人だけが罪から自分を汚すまいと思って 主と共に歩み、そのことで主からほめられました。




◎ フィラデルフィア教会



【黙示録3章8節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

少しばかりの力は、タラントのたとえにありますが、少ないタラントしかもらってないにもかかわらず、主に対して忠実でした。


彼らは 主を愛していましたので、最後まで主のことばを守りましたし、世の富の誘惑や名誉、武力にも屈することなく信仰を守り通しました。


キリストのためにすべてを捨てた信徒たちでした。

この教会は主の心に適った教会でした。


このように主は、一つ一つ教会に対して正しい診断をして下さいました。


私たちが良い信徒、良い教会になるためには、主が何をほめたのかを知り、それを目指したら良い信徒、良い教会になります。
(*´∇`*)

2016.9.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的成長するには?

テーマは『 霊的成長のための祈り 』です

【コロサイ1章9-12節】

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

パウロのコロサイ人に対する祈りです。

パウロは福音を伝えて教会を建てていきます。そして そこに集まる信徒たちに みことばをもって教育していきます。
彼らが神を知り 神の中で新しい者に変えられ、霊的に成長をして主の弟子たちになり、
彼らが次の世代に福音を宣べ伝えていくことが一番の願いであります。

そのためには救われただけでは話にならないです。
救われた者ということは、新しく生まれ変わったことを意味します。その人たちは、霊的赤ちゃんであります。
赤ちゃんのままでは何も使い物にならないです。
その人たちには恵みだけが必要で 養っていかなければならないです。

生まれ変わった人は自分自身が霊的成長することを求めなければならないです。
しかし、霊的成長は努力だけで出来ることではないです。

成長したいのにどうしたら良いのか?教会へ行き、みことばを聞き、皆と交わりをしたら成長できるのか?
みことばだけを読んだら良いのか、奉仕をしたら成長できるのか――。

それ以前に私たちは神様から受けなければならないものがあります。

このような(パウロの)祈りを 求め続けて、強くされていかないと成長することができないです。
私たちはこの祈りに沿って霊的成長のために日々 生活の中で祈らなければならないと思います。


9節の「あらゆる霊的な知識と理解力によって」というのは何を意味しているでしょうか?
物事を総合的に判断する力であります。
人々は何かを見て判断することが出来ますが、それは偏っています。偏った判断は間違えています。
全体を総合的に見る力は、神様による知恵がないと出来ないです。

霊的な知恵と理解力、これがないと私たちは先に進められないです。
霊的なことがよく分からないのに、私たちはどうやって霊的に成長をして、霊的な働きができるでしょうか。

ソロモンが祈った祈りを思い出したら良いと思います。
神様に「正しい裁きが出来るように、わたしに聞き分ける力をください。」と判断力を求めました。
これこそが霊的知恵・霊的理解力であります。

これは聖霊様が与えてくださる賜物です。賜物は聖霊様が持っているものですので 求めることであります。


9節に「神のみこころ」とありますが、神様のみこころが何であるかと言うと、神様が喜ぶことです。
神様が喜ぶことが何であるかを私たちがはっきりと知ることが大切であります。
私たちは自分が喜ぶことが良いことだと思っていますが、それは神様のみこころと違うことが多いです。

霊的知恵と霊的理解力があれば、神様のみこころを知ることは それほど難しくないです。
霊的なものを求めることは、神様が喜ぶことであります。

多くの者は肉のものをたくさん求めます。
高慢な思いで求めたり、みこころに適わないものを一生懸命祈っています。ですから叶えられません。
しかし、神様が喜ぶ霊的なものを求める時には惜しまずに与えてくださいます。

主にかなった歩みをすることは召しに相応しく歩くことであります。
みこころを知ると自分に対する召しが分かります。

私たちが自分勝手に歩くと、そこに罪が生まれます。


10節に「あらゆる点で主に喜ばれ」とありますが、神様を喜ばせる働きをすることです。

主を喜ばせるためには、時には自分の思いを神様の前で消していかなければならないです。
自分の計画、習慣、性格、色々なクセ、苦難、このようなものを私たちは消さなければならないです。
全部を持ったままでは神様に喜ばれる姿にはならないです。

この姿は、どのような姿でしょうか――?
主のみこころの全てにおいて従順する姿であります。

自分の思いが神様に敵対する思いになりますので、それらを十字架につけます。
霊的成長のために、肉のものはどんどん捨てなければならないです。
肉のものを捨てた時に、そこに霊のものが入ってきます。

その結果として 実を結ぶことができます。それが聖霊の実であり 美しい実です。(10節)

神様のことを知りたいという人が多いですが、このように歩んで実を結んでいくと自然に神様のことが
分かるようになります。

みこころに従順して、上にあるもの(霊のもの)を求めて成長し実を結んでいくと、実を結ぶ過程の中で
神様がどのような方であるのか すごく分かるのです。


【コロサイ1章11節】

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし

力は自分にあるのではないです。神様によって私たちは力を受けなければならないです。内側の力であります。

内側に力がないと、忍耐ができません。

信徒たちの生活において、忍耐はとても大切なものです。忍耐できない人は成長は無理なのです。
成長する時には忍耐が必要です。
あらゆる訓練や苦しみや苦難、その中で 自分の思い通りにならなくてもその中で待ち望む力は内側の力であります。

「神様、私は力がない者なのです。忍耐をしようとしても力がなくて、すぐに切れてしまいます。
切れた瞬間に成長が止まってしまうのです。ですから、神様。私に力をください。実を結ぶためにも
忍耐が必要であります。そのために神様によって強くされる必要がありますので力をください。」と
肉の力に頼るのではなくて、日々 祈りによって主に求めることです。

希望を持って生きることができます。


11節に「寛容」とありますが、これは神様に対することではなく、人に対する寛容であります。

特に私たちが寛容を示さなければならないのは、自分が気に入らない人たち、自分が敵だと思っている人たち、
自分を苦しめる人たちです。
そういう人たちに対して狭い心ではなくて、広い心をもって恵みを与え続けることであります。

内側にその力があると敵を許すことができます。
狭い心は、クリスチャンの心ではないです。

私たちは元々、本当に狭い心なのですが神様から力を受けて、どんどん器を広くしなければならないです。


12節に「感謝をささげるように」とあります。

これも主に祈らなければならないです。「私が感謝の人でありますように。」

 

何を求めて生活をするのか、神様が一番願うのは霊的成長です。
これを求めないならば、神様は与えたものまでも取り上げてしまわれます。
しかし、豊かに持っている者は、さらに与えられます。

周りの人たちに影響力を与える人になってください。 (・◇・)ゞ

2013.7.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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