からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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賛美

礼拝を捧げる姿勢

テーマは 『 礼拝を捧げる姿勢 』 です


ハレルヤ。

今日1日も主の導きと守りがあることを祈ります。

今年も神様の前で私たちは礼拝を捧げるようになります。


形式的に捧げる礼拝にならない為に、どのように礼拝すべきかをもう一度話したいと思います。


まず、私たちは礼拝の対象は、この世を創造し、私たちを造ってくださった1人の神様であることを覚えましょう。

他のどんなものに対しても私たちはそれを礼拝の対象にしてはいけないです。


多くの礼拝の中に、伝統に従うとか、人間的な想いから出た様々なやり方で礼拝を捧げますけれども、それは神の前には何の価値もなく、愚かな者に過ぎません。


神様の前に礼拝を捧げる時には、神様が語ってくださったように霊とまことを持って礼拝をしなければなりません。


霊とまことを持って礼拝を捧げることは、どういうことでしょうか?


神様に目を向け、神様に集中することです。

そして自分の心から礼拝を捧げることであります。


礼拝の中でも、多くの雑念が私たちの礼拝を妨害する時があります。

その時には、祈りによって雑念を追い出し、もう一度神様にしっかりと目を向けましょう。


そして神様に捧げる礼拝は、教会に来られた時だけではありません。


教会に来ていない毎日の生活の中でも、私たちは神の栄光を現しながら、神様が喜ぶ生活をする時に、そのことが神を喜ばせる礼拝になります。


生活と礼拝を分離することは出来ません。


教会に来ては御使いの顔をして、教会を出た瞬間から悪魔の顔になったらいけないです。


教会を出て仮面を脱いで、世の人々と同じように肉に従って生活をして、礼拝を捧げるその時だけ天使の仮面を被って 教会に入ってきて礼拝を捧げても、その礼拝は神様が受け入れることができません。


また、神に捧げる礼拝は、くちびるの賛美のいけにえを捧げなければなりません。


多くの人々が、ただ口を開いて賛美をしたら、神様がその賛美を受け入れてくださると思うんですけども、賛美はそういうものではありません。


賛美そのものも神に捧げるいけにえでなければならないです。


私たちが口を開いて主の御名をのべ伝える時に、それは立派なくちびるの実になります。

神への賛美になります。


祈りを中止しながらも、賛美生活をしない人も多いし、みことばには忠実でありながらも、賛美を飾りほどに考える人々は、自分の無知を悔い改めなければなりません。


【へブル13章15節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくびちるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

心から出てくる神様への感謝、神の御名を高めること、心からの祈り、私の手の奉仕、このすべてが神様に捧げられるものになるならば、神様はその礼拝を喜んで受け入れてくださいます。


このような姿勢を持って、神様に礼拝していきましょう。
(・∀・)


2017.1.9
3分テレフォンメッセージ

(毎日24時更新):06-6618-9105 、06-6618-9106

八戸ノ里キリスト教会

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私は礼拝者になる

テーマは 『 私は礼拝者になる 』 です

【ヨハネの福音書4章21-24節】

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

サマリヤの女とイエス様の対話で、私たちは 主が求めておられる礼拝が どのような礼拝なのかを知ることが出来ます。


ユダヤ人は霊的ではない 形式的な礼拝をし、サマリヤ人は よく分かっていなかったので、みことばから離れた礼拝をしていました。

ですから神は、彼らから まともな礼拝を受けたことがありませんでした。

それは私たちにも当てはまると思います。


礼拝は “どこで(場所)” が問題ではなく、“何によって(霊によって)” 、“どのように(神の啓示によって)” ささげているのか が問題です。


神は 選ばれた民に、このような礼拝をささげてほしいと願っています。

そのためには、礼拝者自身が変わらなければなりませんので、どのように変わるべきかを話します。


形式的な礼拝、仕方なくささげる礼拝をして、やるべき義務が終わったと思って自己満足して帰る人は 一番気の毒な人です。


そのような礼拝はゴミ箱に入っています。
無駄なことをしただけです。


しかし、霊とまこと すなわち誠実、正直、啓示によって神の御顔を求める心で礼拝をささげる人は神体験をします。


真の礼拝者の姿を見ながら,、自分たちもそれを目指していきたいと思います。




召されたところで神を礼拝する




真の礼拝者は神に出会ったその場所で、すぐに神を礼拝しました。


【創世記12章7-8節】

そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

信仰の先祖・アブラムが一番にしたのは、神に召された所で まず祭壇を築いて、礼拝をささげたことでした。

自分の家を建てる前に まず祭壇を築いて神を礼拝しました。


他の神の人たちも召されたところで祭壇を築いて神を礼拝しました。


彼らにとって、神が臨在するすべての所が聖なる場所でした。


【マラキ書1章11節】

日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間で、あがめられているからだ。―万軍の主は仰せられる―

父なる神にささげる礼拝は、場所や儀式などの制限を受けることなく、すべての所で神への礼拝がささげられることを啓示されました。




どのような状況の中でも神を礼拝する




これが出来る人が真の礼拝者です。

このような人たちは、自分が礼拝する対象が誰であるかを明確に知っています。


そして彼らは真の礼拝者として生きることを決心しているので、どのような状況の中でも神を礼拝しますし、その姿を見ます。


ヨブの姿を見てみましょう。

1日のうちに子供10人と 多くのしもべが死に、財産もすべて悪者たちの襲撃を受けて奪われてしまい、子なし、無一文になりました。

すべてに恵まれていたヨブが、一夜で悲劇の主人公になりました。


それは強い津波が去った後のような状況でした。

しかし、そのような状況の中でも、ヨブがしたことは神への礼拝でした。


【ヨブ記1章20-22節】

このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

こういう状況でも 神に礼拝したのは、それが いつもの生活であったからです。


普段から礼拝をささげることは彼の日課でした。

週に1度ではありません。


ですから最悪の状況の中でも、いつものように神に礼拝をささげることが出来ました。


状況によって神への信仰が左右されるならば、果たして苦難の時に信仰が生きているでしょうか?


パウロとシラスの姿もあります。

主のために働いているのに、彼らが受けるものは迫害と侮辱だけでした。


何度もむち打たれて牢の中に入れられました。

牢の中での彼らの姿です。


【使徒の働き16章25節】

真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

辛い時の状況は暗やみに例えられます。


「神はどこにいますか?どうして私を見捨てましたか。」と言いたくなる時です。

それは普通の人の考えです。


しかし、信仰は心の目で神を見ることですから、信仰によって生きる人は暗やみの中で、光である主、愛である主を見上げます。


そして、その神と人格的な交わりをします。それが ”礼拝“ です。




人生の歩みの中で礼拝する




イエス様は 私たちが歩く時に、私たちの道になって下さいます。


私たちの人生の道の光になって下さる方で、世の終わりまで私たちと共にいて下さると約束して下さいました。


荒野でイスラエルの民を導き守ったのは誰ですか?

彼らが荒野を安全に40年間歩んだのは誰のおかげですか?


答えです。


【出エジプト記13章21-22節】

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

神はこのように見える形で彼らを日々導いておられることを見せて下さり、彼らの道となって下さいました。


彼らは そのように導いてくださった神に感謝をして礼拝をささげたでしょうか?

残念ながら、彼らは礼拝者としては失格でした。


【詩篇78編17-20節】

それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。

彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。

そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。

確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」

世界の どの国、どの金持ちが、米一粒も生産が出来ない荒野で 200万人もの集団を40年間も養うことが出来るでしょうか?


荒野で食べ物がなくて餓死した人は、1人もいませんでした。


神の奇跡で彼らは毎日導かれ、守られてきましたので、毎日その神に感謝して自分たちに出来る礼拝をささげることが当然なのに、反対に 彼らは欲深くなり、神への文句をブツブツ言う とんでもない者になっていました。



他人の姿を見る私たちは厳しいことを言います。

「私ならばそんなことはしない。毎日神に感謝して礼拝するよ。」と言いますが、実際は同じことをやっていませんか?


毎日必要が与えられ、守られたことに対して神の前で感謝していますか?

導きに対して感謝していますか?


すべての事について感謝して神と共に歩むことは、生活の中での礼拝です。


意識して礼拝をしないと、当たり前という思いに流されて、神への感謝が足りない者になります。


次の箇所で 真の礼拝者たちの姿を見ることが出来ます。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中には、ギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

形式的に礼拝をせず、熱心にみことばを聞き、さらに神のことばを知りたくて、毎日聖書を調べていました。


みことばをしっかり聞くことは礼拝者としても基本的な姿勢です。


神は、私たちが礼拝者として 失格者ではなく “真の礼拝者” になることを求めていますので、今までの態度を変えて、認められる真の礼拝者になっていきましょう。


むなしい礼拝は本当に意味がないです。

心の目で神を見て、神に礼拝をしていきましょう。
(*゚∀゚)っ

2017.1.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊の働きとは

テーマは 『 聖霊の働きとは 』 です

【ヨハネの福音書16章7-14節】

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。

さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。

わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたを真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

神であるイエス様が人間になったのは、人間になりたかったのではなく、人間の罪を贖うためには 人間の姿になって十字架にかかって罪を清算しなければならなかったからです。


そして十字架にかかり、人間としては死にました。

墓に葬られ、三日後に栄光の体に復活しました。


イエス様は復活した栄光の体で 私たちの所に留まらず、助け主 すなわち聖霊を遣わすと約束されました。


聖霊は すべてイエス様のものを受けて、イエス様への栄光を現わすと(イエス様が)前もって教えて下さいました。

そして聖霊を受けなさいと命じました。


私たちは、聖霊なしにイエス様を信じることが出来ないです。

それは なぜか、そして 聖霊がどのような働きをするのかを今回は学びたいと思います。




聖霊は私たちの罪を悟らせる





【ヨハネの福音書16章8節】

その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます。

聖霊が私たちに罪について悟らせるのは、世の基準での罪の判断ではありません。


世が示す罪は どのようなものかを教えなくても、人々は悪いことをすると罪の自覚が出てきます。


しかし 聖霊が悟らせる罪は、人間の自己中心的な生活から出てくる罪や 神を神と思わず、偶像崇拝の不信仰の罪、言い換えれば、神への不従順、そして救い主イエスを信じない不信仰のことなので、それを見て責めます。


聖霊の働きは、世にいる人々に(イエスを信じない)不信仰の罪を悟らせ、人々を死と罪の刑罰から救って下さるイエス様に導きます。


誰も聖霊の導きなしに自分の罪を悟ってイエス様のところに来る人はいませんし、イエス様を主とも言えないです。



【第1コリント12章3節】

聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

私自身も聖霊から「あなたは罪人ではないのか」と罪を指摘されて、初めて自分の罪に気付きました。


罪を犯していないからではなく、罪があるのに、それが罪であるという認識がなかったので、何も考えずに 日々過ごしていました。


指摘されて初めて、それが罪であることに気付きました。

神の前に罪を犯してない人間は1人もいないと聖書は はっきりと指摘しています。


しかし、それを知らない人に罪の話をしても「私は罪なんか犯していない」と否定します。

ですが、神様は罪が赦される道をイエス様によって完成しましたので、すべての罪は悔い改めるならば 神から赦しを受けることが出来ます。


だけど、不信の罪を悟らせる聖霊の働きを拒否し(罪を)認めないならば、その罪は赦されません。


【マタイの福音書12章32節】

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

クリスチャンとは 聖霊の導きによって自分の罪を悟り、罪を悔い改め、イエスを主と告白する人たちです。


聖霊が自分の罪を指摘する時は、敏感に反応して悔い改めて罪から離れ、聖い生活を目指しましょう。




聖霊よって私たちは生まれ変わる




生まれ変わる とは、罪によって死ぬしかない罪人が イエス様を信じることで永遠のいのちを受けることを指します。

“ただ心を入れ替える” ことではないです。


聖書では、生まれ変わることを次のように言われます。


【ヨハネの福音書3章6節】

御霊によって生まれ変わる

神様は 私たちが肉体を持って生まれるようにした後に、聖霊によって新しく生まれ変わるようにします。


聖徒は、自分が罪人であることを聖霊の指摘で悟り、罪を悔い改めて、罪を赦す権威のあるイエス様の血潮を信じることで救われます。

生まれ変わることは霊的救いを受けることを意味し、さらに人格と心に変化が起こることを意味します。


聖徒が生まれ変わると聖霊はその人の心の中に住み、そこに神の愛を注ぎます。

それで聖徒は、生まれ変わる前の悪い行いを捨てて、日々変わりながら聖霊の実を結ぶようになります。


自分は一生懸命に努力をしているのに、なかなか変わることが難しいという人が意外と多いですが、それは根本的に間違えています。

自分の努力で変わるのではなく、聖霊に頼る時に、聖霊の働きによって変わることが出来て、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


聖霊なしに生まれ変わることは、100% 無理です。

自分で自分の罪を赦すことは出来ないですし、死からいのちに移すことも出来ないです。


自分に出来ることと、出来ないことがはっきりとしています。
出来ないことを頑張っても出来るわけがないです。


ですから聖徒は、自分の中に聖霊を迎え入れ、自分の中で働いておられる聖霊にいつも頼り、感謝と賛美をささげないといけないです。


霊的なことは すべて聖霊なしですることは出来ません。

生まれ変わった状態を次のように説明しました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



聖霊は私たちを助けて下さる




聖霊の住まいは、聖霊を受け入れた人の心の中です。

なぜ そこを住まいにするのでしょうか?


それは、聖徒たちと共に歩みながら いつでも聖徒を導き助けるためです。

聖霊は聖徒の保護者の働きをしておられます。



【ヨハネの福音書14章17-18節】

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

もし私たちが聖霊の助けなしでも立派なクリスチャンになれると思うならばそれは大きな錯覚です。

それは高慢な思いです。


「神のことばがあるし、それを行えば立派なクリスチャンになれるから、別に聖霊は要らない」 という人たちもいますが、自分たちに神のみことばを行う力がありますか?


パリサイ人たちのように、うわべは神のことばを実行しているように見えても 心の中は変わりませんでした。

それはイエス様が語った次のことばの通りです。


【マタイの福音書23章28節】

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

頭では分かっているのに自分の弱さの為、再び罪に巻き込まれることは いくらでもあります。


その時に誰の助けを求めますか?

自力では なかなかそこから抜け出られないです。


しかし聖霊に助けを求めるならば、聖霊は助けて下さいます。


聖霊の実を結びながら、正しい聖徒の生活を送るためには いつも聖霊の助けを求めなければなりません。


聖霊は聖徒たちの痛みや傷を癒し、導き助けて下さいます。

助けて下さる聖霊の働きが 次の箇所にあります。


【ローマ8章26-27節】

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

聖霊は私たちを孤児にさせず、助けるためにイエス様が遣わした方ですから、いつも頼り、また助けを求めましょう。


信仰を守るのもだんだん難しい時代になってきました。


ですから聖徒たちは さらに聖霊に頼りながら、この世と罪から自分を守り、聖霊の力を受けて大胆に神の子どもとしての歩みをしていきましょう。
(´∀`)


2015.11.22
聖日礼拝メッセージ

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感謝は礼儀である

テーマは 『 感謝は礼儀である 』 です

【詩篇111篇1-10節】

ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。

主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、

主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。

御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行われる。

主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

今日は収穫感謝祭ですので、感謝をテーマにしたメッセージを伝えたいと思います。


“収穫”ということばがあると、何かを手に入れたから それに対して感謝を捧げる事だと思っているかも知れません。

もちろん得たことに対しては、私たちは当然のように感謝をしなければなりません。
(何かを得たのに)まるで受けていないかのように黙っていてはいけません。


ですから今日は神様から受けた恵みに対して1つ1つ覚えながら、しっかりと感謝をして欲しいです。


そして今回は、それ以外にも私たちが最も感謝をしなければならないことがあるので、それに焦点を合わせて語りたいと思います。


今回のテーマは「感謝は礼儀である」と決めました。

人に対して感謝のことばを伝えることは、相手に対して礼儀を見せていることです。

良くしてもらっているのに、感謝のことば1つ言わない人に対して礼儀正しいと言えるでしょうか?
きっと、礼儀のない人だと思うでしょう。


神様に対しても感謝のことばを言うなら、礼儀のある人です。
しかし感謝のことばを言わないならば、神様に対して礼儀のない人になります。


詩篇111篇は“神への賛美”です。

賛美は神への最高の感謝です。神の存在そのものに対しての感謝であり、神の前に立って最高の礼儀を見せている姿です。


神様を本当に知っている者は、常に神様に目を向けて、神様の存在そのものに感謝しています。
皆さんはそのようにしていますか?


自分に対して神様が何をしたか、しなかったかに関係なく神様という素晴らしい存在がおられることに感謝をささげます。

心を尽くして主に感謝しますと告白することが神様が1番喜ぶ感謝です。

最大の敬意を現わしながら主をほめたたえ感謝をささげる時に、主が喜ばないはずがありません。


具体的にどのようなことをほめたたえ感謝をしたでしょうか?





①主の偉大さ、主の尊厳と威光、そして主の義をほめたたえる




いつも神様のことを考え、神様のことを調べ、神様に近づく人は自然とその口からまず神様への賛美が出てきます。


『主は何と素晴らしい方でしょうか。あなたはまことに偉大な方です。
栄光に満ちた主よ。主の栄光がとこしえにありますように。主は情け深く、あわれみ深い方です。』


このように次から次へと主への賛美が出てきます。

これがすべて神の存在に対する感謝です。


“感謝します。感謝します。”と言うことが感謝ではなく、主への賛美は立派な感謝でありますので、主の前に出た時は いつも主をほめたたえることからはじめてください。


いきなり「これをしてください。あれをしてください。」と神様を召使いのように命令しながら使ってはいけません。

それは神様のことをまともに知らない人がすることであり、礼儀がなっていない人の姿です。





②教会と神の民たちに対して感謝




1節で「私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」と感謝をささげました。

主を信じる人々が集まる教会と信じる人々の親しい交わりに対して心から感謝をささげていますか?


異邦人のように教会に通う人とお客さんのように通う人は感謝を知らないと思います。

しかし教会を愛し、信徒を愛する人たちは教会があることを感謝し、信徒に対しても いつも主に感謝を捧げます。


教会は神がおられる所です。
神に仕えていたコラの子たちが神にささげた賛美が詩篇84篇ですが、1節から4節に素晴らしいことばが出てきます。


【詩篇84篇1-4節】

万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。

雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、 あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。

なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。

皆さんにはこのような思いがありますか?


もし迫害が起こり、教会が壊され、信徒たちも散らされてしまうならば、その時に教会と信徒の仲間がどれほど大切な存在であったかを身に染みるほど分かると思います。


私たちが毎週集まって共に礼拝をささげ、祈り、一緒に語りながら食事をすることは本当に感謝なことですし、本当に幸せなことです。


いつも私はこのことを感謝しています。
なぜなら これがとても とても大きな祝福だからです。





③神様がいつも私たちに恵みを与えて下さることに感謝




神様は私たちのたましいを救い出しただけではなく、日々必要な食べ物を与え、住むところも与え、日々守ってくださる方です。

何もない荒野でもイスラエルの民200万人以上を40年間養ってくださった神様です。


イエス様は私たちに次のように語ってくださいました。


【マタイの福音書6章31-32節】

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

このように主が必要を満たす方であると教えて下さいました。


そして次のように主に祈りなさいと教えました。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

実際に私たちは今年もすべてのものが与えられて生活できたことを感謝します。


食べ物がなくて飢えたことも、着る物がなくて裸で過ごしたことも 寝るところがなくてホームレスになったこともありませんでした。

すべてが守られましたので、心から感謝を捧げないといけません。


今日 話したすべてのことばを日々実行しながら生きた人物を聖書で探すならば、アブラハム、モーセ、ダニエル、ヨセフなど色々出てきますが、個人的にダビデは素晴らしかったと思います。


詩篇23篇にその姿が映されています。
神様への限りない感謝と信仰の思いが詩篇23篇です。
(・∀・)


【詩篇23篇1-6節】

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

2014.11.23
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に現われた宣教

テーマは 『 聖書に現われた宣教 』 です

【詩篇67編5節】

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

宣教の働きなしに人々が神のことばを聞くチャンスはあまりありません。
つまり、伝える人がいないと、誰も神のことばを聞くことが出来ないです。

宣教は神の言葉を伝えることであります。

私たちは宣教のことを考えると、宣教は新約時代になってからのものだと思いますが、
決してそうではなく、宣教は旧約時代から神様の計画であり、そして実際に宣教活動もありました。

今回は宣教がどこから始まったのかを学んでいこうと思います。




(1)宣教はどこに根拠を置いているのか?




神様は天と地を造り、全世界のすべての主権者であります。

そして神様は1人の人を選びました。
それは信仰の先祖・アブラハムです。

一番初めにアブラハムに語った言葉に世界宣教の計画があります。


【創世記12章1-3節】

主はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

3節の「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」は何を意味しているでしょうか?

罪によって死ぬしかない人類が、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって救いを受けるという霊的祝福を暗示しています。


イエス様はアブラハム、ダビデの子孫であります。
(このことはマタイの福音書1章1節に“アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。”と書かれています。)

それを見ても分かるように、神様がアブラハムに与えた計画を完成させたのが、イエス・キリストであります。


イエス・キリストは天から地上に来られて 罪の中にいる人々を救うため十字架にかかるために来てくださいました。

そして死んでいる者はみな救われるという言葉が聖書に書かれています。


【ガラテヤ3章7-9節】

ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。

そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

8節に“福音”ということばが出てきます。
アブラハムの子孫だけではなく、信仰による者たちは たとえ異邦人であっても救いを受けるのです。


ですから神様の宣教の計画は、旧約時代から既に始まっていました。




(2)詩篇にある世界の救いの約束




詩篇は祈り・賛美だけが書かれている箇所ではありません。

神様の預言のことばがたくさん書かれています。そしてその中に救い・宣教の計画が175回も出てきます。


詩篇67編は“宣教師の歌”と言うほど全世界に福音が伝えられることを願っています。

私たちが人々の魂を導きたいなぁと思うならば、この祈りが必要であります。


【詩篇67編1-7節】

どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。セラ

それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。セラ

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。

神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。

私たちは全世界の民が救われることを願って、このように祈りをしていかなければならないです。


宣教は たましいが救われるための最初の一歩が “祈り” であります。

なぜなら人間の力では、たましいを救うことができないからです。
私たちは伝えることは出来ますが、その中でたましいに触れるのは聖霊様であります。

ですから私たちは まず神様にたましいが救われることを祈る必要があります。
祈るならば神様は働きます。神様の力ある御業を現してくださいます。


詩篇に書かれている世界の人々への救いの約束のことば175個をすべて紹介することは今は出来ませんが、少しだけ伝えようと思います。


【詩篇47編9節】

国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。

範囲が全世界であります。アブラハムの神の民ということは信仰を持って救われる人々の姿です。


【詩篇68編32節】

この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。セラ

【詩篇96編7節】

国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。

神様は 世界と人間を造りましたので1人も滅びることなく、イエス様を信じてたましいが救われ 天の御国に入ることを願っておられます。

しかし、実際に世界は今どのようになっているでしょうか。
神のみこころとは違います。


神様が救いの計画を持っておられても多くの人々は偶像の神々に仕えながら滅びに向かっています。


先日、民族博物館へ行きました。地域の人々の暮らしも展示されていましたが、そこには必ず宗教というものがありました。人間が作り出した神々がどれほどたくさんいたかわかりません。大きいものもあり、小さなものもあり、形も様々でした。

カナンの部族が偶像崇拝をします。エジプトの民たちも偶像崇拝をします。
人々はそこで神々を造り、祭壇を築いて 日々拝むのです。


偶像に仕える者たちの姿を、神様はどのように見ているでしょうか。次の箇所です。


【詩篇97編7節】

偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。

人間は神を知らないと、こんなに無知であり愚かな者であるのか。
偶像を拝むことによって滅びを受けるのに、そのことに気付かず いつまでこういうことをしているのだと神様は見ておられます。




世界には70億人くらいが住んでいます。

人々はどのような宗教を信じているのか見てみましょう。


キリスト教が一番多いですが、それはカトリックとプロテスタントが合わさった数であります。
カトリックの中には異端的なものがありますので、果たしてその中でどれだけ救われるかは分からないです。

プロテスタントの中にも 死んだような教会がたくさんありますので、その中でも真理を正しく知って聖霊を受けて生まれ変わった人がどれくらいいるかは本当に分かりません。


  • キリスト教―― 20億人
  • イスラム教―― 11億9000万人
  • ヒンズー教―― 8億1000万人
  • 仏教―― 3億6000万人
  • ユダヤ教―― 1400万人
  • その他の宗教―― 9億1000万人

イスラム教がすごい勢いで広まっています。なぜなら海外に出て行き命を懸けて伝える人が多いからです。
ヒンズー教はインドの人口が多いので信じている人が多いです。インドには神々と呼ばれているものがたくさんあります。仏教は東南アジアなどに信じる人が多いです。


このように神を信じない人の方が多いです。救われている人はその中に何人いるでしょうか。

イエス様が全世界を見て嘆きました。救われている人は少ないと語りました。神様から見たらそれは心が痛くなることであります。


ですから、私たちは時が良くても悪くても福音を宣べ伝えなさいという言葉を神様が語っています。




(3)旧約時代の宣教によって救われた たましい




≪ ラハブ ≫

ヨシュアが遣わした2人の斥候はエリコにいる遊女ラハブの所に行きました。ラハブは神のうわさを聞いてその2人を隠しました。
なぜ2人がラハブのところに行ったのかは、これもきっと神様の導きであります。神様がラハブの中に からし種ほどの信仰があることを知っていたと思います。

このことによってエリコが滅ぼされる時に彼女は助かりましたし、後にはダビデ王の先祖となり、イエス・キリストの系図の中に入りました。

これも宣教でありました。もし2人がラハブのところへ行かなければ、ラハブもラハブの家族も殺されるところでした。


≪ ルツ ≫

モアブ人でありましたが、ユダヤ人と結婚しました。
旦那は死にましたが、義母であるナオミの信仰を見て、彼女も信仰を持ちはじめ、後にはイエス・キリストの系図の中にも入りました。

自分に影響を与える信仰を持っている人の姿がないならば、ナオミに「ついていきます」とは絶対に言わなかったと思います。

モアブ人にも神々がいましたが、ルツは自分たちの宗教を捨てました。ナオミの信仰を見て「この神を信じたい」という思いがあったのでしょう。


D.L.ムーディー氏は「1人の人が聖書のことばどおりに生きるならば、100人がその行ないを見習う」と言いました。


神様は、クリスチャンたちに「あなたたちは世の塩、世の光です。」
そして「良い行いを通して神に栄光を捧げなさい。」と語りました。
これは私たちが良い行いをすればするほど、人々が私たちの姿を見て 私たちが信じる神を褒め称えるようになります。

私たちが信じると言いながらも、暗闇の業を続けて行うならば 人々は私たちを見てあざけます。


私たちがクリスチャンとして、救われていないたましいのためには私たちの姿そのものが宣教でなければならないのです。キリストを紹介する者でなければならないです。


≪ ナアマン将軍 ≫

彼は権力と名誉がありましたし 豊かな生活をしていました。王様からも すごく信用を得ていました。
しかし彼は治すことが出来ない らい病を患っていました。これは日々苦しいことであります。

その時に福音を伝えたのは誰でしょうか?
イスラエルの地から連れて来られた1人の若い女奴隷は、らい病で苦しんでいる将軍を見て その女主人に話しました。

「もしご主人様がサマリヤにいる預言者のところに行かれたらきっとあの方がご主人様のらい病を直してくださるでしょうに。」と告げました。 これを聞いたナアマン将軍は神の人エリシャの所へ行き、その病気も癒されました。 彼女は良いことを言いました。それが福音です。


福音とは 良い知らせのことです。その人にとって最も必要な良い知らせです。


私たちは福音であるからとイエス様のことを長い言葉で語らなくても、例えば病気にかかっている人に対しては「イエス様は癒してくださいます。イエス様は癒し主です。教会に一緒に行きませんか?」と伝えることが福音であります。

もし彼女が黙って見ているだけで伝えなければ ナアマン将軍は癒されることもなく、救われることもなかったです。





私たちは伝道するのが難しいと言いますが、難しいと考えるならば難しいかも知れないです。
ですが、問題を抱えていない人は1人もいないと思います。

その人たちが 答えを求めている姿を見たならば、その部分で語れば良いのです。

希望がなく「死にたい、死にたい」と言っている人にはイエス様のことを語るのです。
「イエス様はそういう人たちのために来て希望を与えました。「わたしがいのちである。」と語りました。」


ですから私たちは一言でも相手にとって慰めとなり、その人の力となり、希望になることを提供していくのです。

たくさん語るのではなく、1人1人求めるものが違います。
「イエス様ならばこうしてあげます。」と良い知らせを伝えることが伝道であります。


イエス様は「全世界で出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と語りました。

自分だけ救われたら良い、他の人は関係ない、宣教は 牧師や賜物がある人がやれば良いというのではなく、
救われた者は それは伝えることであります。

倒れている人を見て無関心であるなら、自分が神の御前に来た時に褒められるでしょうか?絶対にありません。


天国で一番大きい報いを受ける人は、伝道をし たましいを導いた人です。


なぜ伝道が一番大きい報いであるかと言えば、滅びて行くたましいに対して あわれみの心を持って その人に語るからです。これは愛がないと語ることができないです。

たましいの世話をする者、たましいを憐れんで語る者、愛を示す者は 一番大きい報いを神様から受けます。


宣教することは、人間が堕落した時から神様が願っていることであります。


ですから皆さんの家族や親族、周りの人々に対して、私たちは一言でも良いので語ることです。
その人たちが受け入れるか、受け入れないかは その人の責任であります。

ことばだけではなく、私たちが人々の間で感謝と愛にあふれる姿を見せるだけでも福音は伝わっていきます。


天国と地獄があることを語っても、その人たちには愚かに聞こえるかもしれないですが、それが福音であります。

宣教の使命は私たちみんなが受けていますので、福音を伝えることをいつも心がけてください。
(*´ -`)(´- `*)

2014.6.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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サタンとの戦いに勝利する!

テーマは『霊的戦いに勝利するために』です。

【ヨシュア記5章2-5節】

6章に大きい霊的戦いが出てきます。神様から出たものが霊的戦いです。
土地を奪うためにする人間の戦いではなく、滅ぼさなければならないサタンの勢力に対する戦いです。
聖なる霊的戦いであります。

イスラム教はアッラーの神の為と言いますが、自分達のために人を殺したりテロを起こしたりします。
そういうことをして自分達は天国へ行きたいと思っています。

聖書に出てくる霊的戦いは神様からの指示があります。
旧約聖書を読むと、戦いがとても多いですが、実際の戦いであります。
霊的戦いに対して一番偉大な教材は旧約聖書であります。
新約聖書はさらに範囲が拡大されて霊的戦いのことを主が語っておられます。

しかし新約聖書の霊的戦いをするには、旧約聖書に出てくる戦いを学ばなければならないです。
旧約聖書を通して主の戦いの姿を見せて、私たちはそれを学びなさいと言っておられます。

戦いに負けたことが一度ありますが、それを探ると何故負けたのか原因が出てきます。
そして勝利した戦いは、勝利した秘訣が書かれてあります。

旧約聖書は霊的戦いで勝つために学ぶ点が多いです。
エリコは、とても恐ろしい町です。
そこには強い軍隊やすごい城壁があり、彼らの力では勝利することは不可能であります。
イスラエルの民たちは武器を持っておらず、戦いの経験もなく、40歳以下の者でありました。
その中には女の人や子供もいました。

この状況の中、神様はどうやって勝利に導いたのでしょうか。
神様の命令がありました。戦いの前にまず させたことは、割礼をしなさいということでした。
これは人間的な思いで見たら、とても愚かなことであります。

割礼というものは、神様がアブラハムと契約を結んだ時に語った1つの印であり、神の民になる契約です。
神様との関係をもう1度整理し、新しくしなさいということであります。

【コロサイ書2章11節】

神様の前で無力な者、自分を否定する者、神様だけに頼る者、こういう者に神様は霊的戦いで
勝利を与えてくださいます。

割礼を受けた者らしく生きていかないといけません。
心が大切であります。心は聖霊様が住む「神の神殿」であります。
その神殿の中に神様がおられますので、私たちは割礼を受けないと聖霊様が住むことができないのです。 
私たちの肉のものを十字架につけなければならないです。
肉の手段を捨てなければ、本当の意味で割礼を受けた者ではないということになります。

【コロサイ書3章5-10節】

今あるべき姿は3章10節のことばであります。

サタンを恐れたりしますが、恐れはサタンが持ってきたものであります。
しかし、神様はサタンを恐れる必要がないとおっしゃっています。
なぜなら、当然守らなければならない神様の言葉を、自分達が守らないために受ける神様の御怒りの方が
大きいからです。
サタンがもたらすものよりも、神から来るものを恐れなければなりません。
私たちの身体も魂も殺すことができるのは神様であります。
サタンよりも力ある神様を恐れないといけないです。

神様に助けを祈り求めたら、助けてくださいますが、
しかし私たち自身が神様の敵になって神様の怒りを起こしてしまうならば、誰も助ける者がいないです。
サタンが助けてくれますか? ――サタンは助けるものではないです。私たちが滅びることをサタンは喜びます。

戦う時に、神様が味方である時に、私たちは勝利することができます。
霊的戦いは神に逆らう勢力に対する戦いであります。

なぜ私はいつも霊的戦いに勝利できないのか?なぜ神様は私を助けてくださらないのか?
あなたは本当に割礼を受けているのか?神様との関係であなたはどうなのか?あなたは私に従っているのか?
もし逆らっているのなら、いくら求めても神様は助けることができないです。

神様が一番悲しがるのは、既に自分がサタンのところに行っていることに気付いていないことです。
目が見えない、自分がどこにいるのかもわかっていないことです。

【申命記20章4節】

神様との関係を正しくするならば全ての戦いで勝利を与えてくださる神様です。

旧約聖書の霊的戦いで勝利したものは、神様の指示に全ての民たちがその通りに従いました。
そして神様に献身しました。すると100%その戦いは勝利で終わりました。

指導者も民も、祈りながら神様に作戦を聞くと必ず方法を教えてくださいました。
エリコの戦いでも神様の方法に従ったことで勝利することができました。
戦いに負けた時は、神様に従わなかったことが原因なのに、神様につぶやきました。
敗北の理由は神様ではなく、民たちにありました。従わなかった罪があるからです。

【Ⅱコリント10章3-4節】、【エペソ6章10-12節】

聖徒たちの霊的戦いは常にあります。
この時に私たちは「サタンを追い出さなければ」と考えたり、
自分を苦しめる周りの人達をターゲットにして「あれがサタンだ」と他人と戦い始めます。
しかし、それだけが霊的戦いではないです。

一番強いものは「常にあなたの内側にある」と神様が語っておられます。
私たちが戦うべき相手は、外部の勢力ではなく信仰生活で起きる
自分の内側にあるものとの戦いが一番しなければならない戦いであります。

①肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢
これは御父から出たものではないです。神様から出たものなら戦う必要はないです。
しかし、神様から出ていないものが私たちの中に存在するなら、それはどこから来たものでしょうか?
――それは、この世(悪霊)から来たものです。

私たちには肉の欲、目の欲がありますが、それらは神様に対して戦いを挑むものです。
肉の身体を脱ぎ捨てなさい、そしてイエス様から心の割礼を受けているのに、それを持つならば
再び古い者に戻ったということになります。
サタンと共に仲良く歩んだ時の姿に戻っていることを意味します。

こういう思いが出てきた時に、サタンに立ち向かっていかなければならないです。
そうしないと肉の奴隷になってしまいます。
霊的戦いを軽く考えるならば、自分の命が取られることを意味します。
サタンの目的は、「盗む」、「滅ぼす」、「(魂を)殺す」です。
わずかな肉の欲のために、あなたの大切な永遠の命を手放すのか?
肉の欲を殺しても殺しても常に出てくるので、これは激しい戦いになります。

②悪からの誘惑
サタンが私たちの心に植え付ける色んな想いです。
不信感、疑い、憎しみ、怒り、不安
これは私たちの想いにサタンが常に入れるものです。悪を行うように誘惑するものです。

良い想いは神様が与えてくださいます。私たちが良い行いをするためにみことばを入れます。
そうすると心が満たされていきますが、悪い想いは全てサタンが入れる悪いものです。
私たちは自分の心を守らなければならないです。サタンの誘惑に乗り、心に入れてしまうと罪を生みます。

③罪との戦い
罪と知っていながら、留まっているなら全てを失うので立ち返らなければならないです。
罪の奴隷になると、さらに罪を犯します。ついには心が死んでしまい、
良心が麻痺されて、罪を犯しても何にも思わなくなります。そうなると完全に神様から切り離されてしまいます。
私たちは罪を犯さずに生きる人はいないですが、しかし罪を犯したならば悔い改めて立ち返り、
罪の奴隷になってはいけないと神様が語っておられます。

罪は楽しいだろう?やり続けなさい。神様を信じてみことばに従って生きるのは、しんどいだろう?
短い人生、喜び楽しみながら快楽を求めながら生きなさい。
そして肉を喜ばせる言葉に誘惑され「神に従うのはしんどいな~、もう ほっといてくれ」となってしまうと、
その先は自分で刈り取らなければならないです。
他の者が刈り取るのではなくて、自分が蒔いたものは自分で刈り取ることになります。

しかし戦って私たちが神様の言葉に従っていくならば、神様が共に闘ってくださいます。
神様が戦うので負けることは有り得ないです。霊的戦いは自分の永遠の命にかかっています。

戦いそのものは楽ではないです。
しかし主は、楽ではない中でも神様に頼るならば、神様は力を与えて勝利することができます。

私たちは1週間に1回は礼拝に参加をしてみことばを聞きながら賛美をしますが、
これは軽く考えてはいけないです。これは戦いの1つの武器であります。

しんどくて参加したくない時こそ、それは肉の想いでサタンに抑えられていることなので
神様がいるところに行かないと、さらにサタンによって抑えられていきます。
礼拝の場所ではみことばを宣言し、賛美があるのでサタンは追い出されていきます。
来る時は肉体はしんどいです。しかし神様は、しんどい時に1人でどうやって戦うんだ?
サタンは私たちが神のところへ行かないように策略を持って働きます。

【詩篇149編5-9節】

礼拝の中でサタンを縛ります。知恵を受け、神様の助けを受けて勝利するために礼拝に来なければならないです。
その想いで来るならば、神様は帰る時に必ず勝利させてくださいます。
だからサタンに騙されてはいけないです。
サタンの誘惑であり聖徒たちが聖日礼拝に来ることは神様との契約であり、神の民である印であります。

本当に心に割礼を受けている者は、神様の安息日を守り、神様に祈らないといけないです。
もちろんこの複雑な世の中に生きているので、どうにもならない時もありますが、
それ以外の理由で、行けるのに自分の肉に負けてサタンに騙されて行かないならば
霊的戦いに負けたことを意味します。

ある牧師が「サタンを縛ることをしているんですか?そんなことをしてはいけない」と言っていました。
そういう牧師の教会は悲惨であります。サタンはやりたい放題です。
聖書にはこのように書いてあります。「悪魔に立ち向かいなさい。」、そして「戦いなさい」という言葉もあります。
私たちはサタンが多く働くところで生きているのに、戦わないならば奴隷になってしまいます。

霊的戦いに勝利するために旧約聖書で学び、負けた戦いにも何故負けたのかを知ると、
そこに自分の姿が出て来ます。
従わなかったから、欲を出したから、罪をそのままにしたから・・・いつまで経っても勝利できないです。

肉を叩いて潰して、聖霊に服従させなければならないです。
もし自分の想いのままに生きるならどうなるか、士師記を読めばわかります。

神様を恐れてください。そして神様が語った通りに指示に従ってください。そうするならば100%勝利します。
日々戦うと、どんどん新しい者に変わっていきます。 ( ̄‥ ̄)=3 フン

2012.3.4
聖日礼拝メッセージ

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