テーマは『キリストに学んだ生まれ変わった者の姿』です。
【エペソ4章20-24節】
どんなに知識のある学者や、ノーベル賞受賞者でも、その分野の勉強だけでは名誉を受けることができません。
人々にどのように貢献しているかがポイントです。
ただ(その分野の)知識を持っているだけではいけないということです。
クリスチャンとは どのような人を指すでしょうか?――【エペソ4章20-21節】
教会に来ているから、という理由だけではクリスチャンではありません。(中身が変わっていないのならば)
主の教えを、心の耳でよく聞く人が「クリスチャン」であります。
礼拝メッセージでも、『私が聞かなければならないメッセージなんだ』という思いで聞くならば、
「聞いている」ということ。そうすると自分の身になくてはならない栄養になります。
読書をするにしても、ただ単に浅い部分だけを読むならば、それは「本棚に飾ってある本」にすぎません。
この世では、多神論説などがありますが、これは人間が都合の良いように考えた話です。
人間を造ってくださった唯一の神様から、「このようにしたら人間の本来の姿で生きることができる」と教えを受け
そのことが書かれている真理(聖書)を学び、悟ることが、人間として幸せになれる一歩です。
【エペソ1章13節】
「私を神様の所有物にしてください。よそには行きたくないです。」というのが本物で、
他のところへ行ってしまうと、唯一の神様は証印を押すことができません。
マリヤは一番の良いものを選びました。日々、主の言葉を聞く人たち。
真理に混ぜ物をしてはいけないです。
【ホームページ・詩篇119篇の学び】を参照してください。詩篇119編の学び
この詩篇119編を書いた著者は、真理を聞き、学び進んだ人です。みことばの味を知っている人が書いたものです。
みことばの大切さ、魂にとって なくてはならないものだということがわかります。
救われた時だけではなく、日々 古いものを脱ぎ捨てることが必要です。
自分の努力ではできないです。心の霊によって変わることができます。殻を破ることです。
人間は他人に見られたくない部分があるので、他のもので飾ったりしますが、みことばで洗っていくことが必要です。
【ローマ13章13-14節】
「昼間らしい = 光の世界」
救われるまでは私たちは暗闇にいました。
今は神様の憐れみによって、光の子となりましたので他人に自分の姿を見せても恥ずかしくない姿で
いなければなりません。
私たちの信仰が、人々の役に立たなければ意味がありません。
それに反するならば、それは意味がない死んだ信仰です。
そして周りにいる人々の魂に光を照らし、滅びて行くのを防ぐことです。
私たちが学んで実行していくときに、人々の目が覚めていきます。
【ヤコブ1章21-25節】
祝福は、みことばを実行すると受けます。
本当にクリスチャンならば、日々キリストから真理を学び、生活の中で試してみます。
私たちは無知な者なので、素直にみことばを受け入れていきましょう。
2次元の世界=肉・本能的な世界。(世を愛する人)
4次元の世界=みことばの中を歩く人・光の中で生きている人の世界。(神の世界を味わうことができる人)
動物と同じ生活(2次元の世界)をしてはいけません。ギャンブルや快楽から離れなければなりません。
人間らしく生きるには4次元の世界です。人間本来の姿で生きることが本当の幸せです。
「財産や物を持っていなくても幸せ。神様がいるから幸せ」
捧げものはいつも大胆にします。(天国の銀行に貯めている行動です)
偽りのない神様なので、私たちを貧しい者にすることはないです。
神様に対してはいつも大胆にならなければ恵みを多くもらうことができません。
そうすると、心が「ハレルヤ!」になります。いつも喜びで溢れています。
みことばを素直に受け取り、実行する人になりましょう。
2011.11.13
聖日礼拝メッセージより
八戸ノ里キリスト教会
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜